戦場神経症竝に犯罪について
昭和13年4月孔版印刷 早尾乕雄軍医中尉
第三章 戦場に於ける犯罪に就て
今時の事変中将兵中に頻発せる犯罪事件は其の数極めて多く 其の原因につきても種々講究するの要を感し 命により法務部及ひ憲兵隊と連絡をとり 調書、司法書類、被告人等につき調査を実施せし結果により得たる所を 左に記述せんと欲す。
(一)犯罪をなす兵の精神状態
犯罪者中には前科ある者も少からす 初犯者と雖も詳細に鑑定せは精神的欠陥を有する者多く所謂中間者に属すへきものなり。
中間者の存在は社会に及ほす影響甚大なる如く軍隊に於ても是を軽視得さる所なり。今事変中の犯罪の模様を観て一層其の感を深からしめたり、重犯者にありては精神鑑定の結果夫々病名の決定をなし処置せられたれとも軽犯者にありては一々精神鑑定に至らす適宜の処置を受け不起訴放免せられし者も少からす、亦憲兵隊の手に触れさる犯罪者は実に枚挙に暇なし、是等を全て中間者の行為とせんか軍隊は中間者の巣窟と言ふへきのみ、此の言や決して適切ならす、今事変に見る犯罪の種類は悉く内地に於ては重罪のもとに処刑せらるへきものなり。
然るに戦場にては無遠慮に行はれ其の初めに於ては毫も制裁を受けす却って是に痛快を感し益々奨励せらるるか如き観ありき、例之徴発の如き公然ゆるされし事さへ最初は躊躇せる者か遂には徴発に大なる興味を感し次ては競争心さへ起すに至る 次ては不必要なる(軍隊生活には)物品を自己の利欲より徴発なすに至り是等を内地に向つて送りし例も少からす、或は徴発により上官の機嫌を取り結ひ自己の進級等に利益をはかりし例も存せり。
徴発はゆるされたる行為なれとも是を次第に意義を換へ濫用となりし結果が犯罪構成に立ち至りしものにして実に徴発なる教は極めて兵卒の心を堕せしめたる結果を示せり。軍隊には「員数をつける」といふ言葉あり 是は一種の窃盗行為なり。平時に於てすら平然と行はれつつあり。
されば戦場に於ては更に烈しく徴発品を更に「員数つけ合ふ」の有様に目新しき物は瞬時に其の行衛を失ふ。徴発は此の「員数つける」を更に大にし公にせしものの如くに解釈せるの観あり。遂には掠奪となり強奪ともなり而も是等の行為を恥つるなき迄に至りしものと思はる。
兵卒の大部分は性善良なりしを疑はす 然るも戦場に来るや予想せさりし不良行為か平然と行はれ而も何等の制裁なきを見るや徒らに遠慮をなし不自由なる思をなすより「員数をつける」心持の下に余分の物品迄掠奪を敢てなすに至りしものと解釈すへきなり。依て犯行を重たる者或は重犯を冒したる者につきては其の精神的欠陥の存在を断定して差支なし、憲兵隊の増員整備と共に俄かに犯罪数が目立ち兵の不正行為を注目するに至りたるは戦闘中は注意行届かさりしか故に同種の行為にて罰せさりしものか今日に於ては懲罰を受くることとなりし所以なり。
然るも戦闘間と戦闘休止間とに行はるる犯罪の種類には自ら差違ありて休止と共に件数増加し内容巧妙化し亦重犯者も増加の傾向あり 是れ精神の弛緩と共に考に余裕を生せしためと考えへらる。
(不二出版「軍医官の戦場報告意見集」P34〜P37)
*「ゆう」注 「(二)中間者の意義」の紹介は省略しますが、ここで「中間者」については「常人と精神病者との中間に介在なすもの」と定義されています。
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