「軍医官の戦場報告意見集」より


 不二出版「軍医官の戦場報告意見集」より、早尾乕雄氏の「戦場神経症竝に犯罪について」の一部を紹介します。冒頭の高崎隆治氏の「解説」によれば、執筆者の早尾氏は、金沢医科大学の教授であり、日中戦争開始直後に召集を受けた予備陸軍軍医中尉であった、とのことです。

 早尾氏は、「上海戦・南京戦の間に「頻発」した犯罪事件を「命により」法務部や憲兵隊と連絡をとって」調査を行い、それを報告書の形でまとめました。この時期の「兵士の犯罪」の様相を伺う意味で、興味深い資料です。

 なお、早尾氏は「上海の兵站病院勤務」であり、南京には長期にわたる滞在の経験はなかったとのことです。そのため、記述は主として「上海」のものになっています。


戦場神経症竝に犯罪について

昭和13年4月孔版印刷 早尾乕雄軍医中尉


第三章 戦場に於ける犯罪に就て

 今時の事変中将兵中に頻発せる犯罪事件は其の数極めて多く 其の原因につきても種々講究するの要を感し 命により法務部及ひ憲兵隊と連絡をとり 調書、司法書類、被告人等につき調査を実施せし結果により得たる所を 左に記述せんと欲す。


(一)犯罪をなす兵の精神状態

 犯罪者中には前科ある者も少からす 初犯者と雖も詳細に鑑定せは精神的欠陥を有する者多く所謂中間者に属すへきものなり。

 中間者の存在は社会に及ほす影響甚大なる如く軍隊に於ても是を軽視得さる所なり。今事変中の犯罪の模様を観て一層其の感を深からしめたり、重犯者にありては精神鑑定の結果夫々病名の決定をなし処置せられたれとも軽犯者にありては一々精神鑑定に至らす適宜の処置を受け不起訴放免せられし者も少からす、亦憲兵隊の手に触れさる犯罪者は実に枚挙に暇なし、是等を全て中間者の行為とせんか軍隊は中間者の巣窟と言ふへきのみ、此の言や決して適切ならす、今事変に見る犯罪の種類は悉く内地に於ては重罪のもとに処刑せらるへきものなり。

 然るに戦場にては無遠慮に行はれ其の初めに於ては毫も制裁を受けす却って是に痛快を感し益々奨励せらるるか如き観ありき、例之徴発の如き公然ゆるされし事さへ最初は躊躇せる者か遂には徴発に大なる興味を感し次ては競争心さへ起すに至る 次ては不必要なる(軍隊生活には)物品を自己の利欲より徴発なすに至り是等を内地に向つて送りし例も少からす、或は徴発により上官の機嫌を取り結ひ自己の進級等に利益をはかりし例も存せり

 徴発はゆるされたる行為なれとも是を次第に意義を換へ濫用となりし結果が犯罪構成に立ち至りしものにして実に徴発なる教は極めて兵卒の心を堕せしめたる結果を示せり。軍隊には「員数をつける」といふ言葉あり 是は一種の窃盗行為なり。平時に於てすら平然と行はれつつあり。

 されば戦場に於ては更に烈しく徴発品を更に「員数つけ合ふ」の有様に目新しき物は瞬時に其の行衛を失ふ。徴発は此の「員数つける」を更に大にし公にせしものの如くに解釈せるの観あり。遂には掠奪となり強奪ともなり而も是等の行為を恥つるなき迄に至りしものと思はる。

 兵卒の大部分は性善良なりしを疑はす 然るも戦場に来るや予想せさりし不良行為か平然と行はれ而も何等の制裁なきを見るや徒らに遠慮をなし不自由なる思をなすより「員数をつける」心持の下に余分の物品迄掠奪を敢てなすに至りしものと解釈すへきなり。依て犯行を重たる者或は重犯を冒したる者につきては其の精神的欠陥の存在を断定して差支なし、憲兵隊の増員整備と共に俄かに犯罪数が目立ち兵の不正行為を注目するに至りたるは戦闘中は注意行届かさりしか故に同種の行為にて罰せさりしものか今日に於ては懲罰を受くることとなりし所以なり。

 然るも戦闘間と戦闘休止間とに行はるる犯罪の種類には自ら差違ありて休止と共に件数増加し内容巧妙化し亦重犯者も増加の傾向あり 是れ精神の弛緩と共に考に余裕を生せしためと考えへらる。

(不二出版「軍医官の戦場報告意見集」P34〜P37)

*「ゆう」注 「(二)中間者の意義」の紹介は省略しますが、ここで「中間者」については「常人と精神病者との中間に介在なすもの」と定義されています。


(三)犯罪の種類

 官憲の取締行き届かさりし頃は放火、掠奪、殺人、窃盗、強奪、強姦等凡ゆる重犯行為思うかままに行はれつつありしか取締厳となると共に放火は漸次数を減したるを見たり。必要上の放火よりは遊戯的放火の少なからさるを見たり。殺人行為も減少せり。姦したる後に是を殺したる例も其の目撃者より聞けり 掠奪、強奪も見られたるも漸次減少しつつあり。

 反之奇異なる現象は休戦期間の続くと共に戦友間の傷害か目立ちて多くなり 支那人強姦例は殆と数を挙け得さる程の多数に上り 詐偽、脅迫、強奪、服飾潜用等の如き犯罪をも見るに至れり。犯行は次第に在留邦人にも向けらるるに至れり。

 就中傷害犯の多きこと而も是か皆飲酒の上に行はるる事に就ては兵の精神教育の不徹底を疑はさるへからさる所なり。彼等は酒を飲めは戦功を誇り高名話を競ふ傾あり。是に就きては何等怪しむに足らさるも 其の結果は必す銃剣を抜き相手を威嚇する者甚だ多し。其の終局は傷害を来すものなり。亦徒に衆人を前にして日本刀を抜き虚勢を示し支那人を何人切りし等高言を吐く将校も幾人か目撃せり 在留邦人は飲酒の上剣を抜き威嚇なすは軍人の常の如く考ふるに至り 陸軍軍人を猛獣の如くに怖れつつありとの文句さへ読みしことあり。

 在留邦人の冷淡を憤慨なす者もあれと功績赫々たる聖戦参加の将兵が如何に万死に一生を得たりと雖も上海に於て「ダンス」に興し下等なる売笑婦に戯れ或は徒に剣を抜きて人を傷つけ、或は拳銃を発砲して傷害し恐喝し或は無銭飲食なす等到底内地人の夢想たもせさる痛恨事なり。上海は実に日本軍人の犯罪都市と化したる観あり。南京亦是に次かんとする有様なり。実に日本軍人の堕落と言はさるへからす。

(犯罪に関する統計は最後に添加せり) (上海日本租界憲兵分隊に於て材料の提供を受く)

(不二出版「軍医官の戦場報告意見集」P41〜P42)

*「ゆう」注 「犯罪に関する統計」が末尾に掲載されていますが、かなり大きな表ですので紹介は割愛します。このうち「軍人軍属に於ける説諭統計」では、「飲酒による暴行」「暴行」合わせて56件、「掠奪送付」「掠奪」合わせて31件です。ただし合計933件のうち800件が「其の他」に分類されており、その内容は不明です。なお言うまでもありませんが、早尾氏自身が「亦憲兵隊の手に触れさる犯罪者は実に枚挙に暇なし」と書いている通り、これは氷山の一角であろうと思われます。


(四)犯罪頻発の原因

 左の諸項目を挙くるを得へし

一、悪戦苦闘の中に万死に一生を得たる優越感と功績陶酔感は超人間的意識と変し他を侮蔑するに至りしこと。

一、支那人を殺戮する快味を未た忘れぬために銃、剣、拳銃を濫用するの弊害を生せしこと。

一、徴発の意義を誤解し掠奪と混同するに至りしこと。

一、将兵共に文化保護の観念に乏しきこと。

一、将兵共に刑法に対する観念に乏しきこと。

一、軍人精神教育は在郷者には徹底し居らさること。

一、戦功をたてし将兵に対し当局は余りに迎合的態度に出てしこと。

一、戦の後に精神の弛緩を来したる時にあたり慰安方法宜しきを得さりしこと。

一、酒の配給多きに過きしこと。

一、古き者を残し新しき者を先に凱旋せしめしこと。

一、業務閑散となり遊興に傾きしこと。

一、上海、南京等に酒場、慰安所を多数に開設し自ら酒と女とのみを以て将兵を慰むる方法をとり他に健全なる精神の転換を図る施設を忘れたること。

一、上海見物を奨励せる傾ありしこと。

一、将兵の身上調査不行届たること。

一、未教育兵及古兵の多かりしこと。

以上は軽犯罪傷害等に関係あるものなり。



 逃亡(陣中逃亡も含む)者も悉く上海を慕ひて集り先つ遊興に耽り其資つくるや残留邦人より金品を詐取し或は恐喝強奪し或は掠奪、窃盗し是を以て遊興に耽るを常とせり 亦身辺の警戒をくらます為めに服飾潜用を敢てし自己の階級を将校或は下士に変装しつつ悪事を働けるあり 或は背広に着換へ装具を遺棄して歓楽場を渡り歩きし者もあり。如此行為ある者は悉く精神欠陥か原因をなす。

 戦友を傷害致死に至らしめし例は何れも高度の精神欠陥者たること勿論なり。

 強姦罪に就ては人間の本能性を赤裸々に表したる結果にして恰も飢えたる者は餓鬼の如きに等しく性欲に対しても通する言葉なり。人間は恐怖、疲労困憊のもとには性欲発揮することなし。是は睾丸の組織検査にもよく表はれたり。戦闘休止し精神に余裕を生し休養の効果表はるると共に睾丸の組織は常態に復帰す 此処に更に精神の緊張失はるるを以て性欲勃然として起るは当然なり。餓鬼とならさるを得す、是強姦の流行せし所以なり。是を敢てせさるは其の人の修養の厚きを物語るものとす。

(不二出版「軍医官の戦場報告意見集」P42〜P45)




2006.7.6 追記

2006年3月に出版された『現代歴史学と南京事件』の中で、笠原十九司氏・吉田裕氏が、早尾氏に係る新資料を紹介しています。

笠原十九司氏、吉田裕氏『総論 現代歴史学と南京事件』より

 
 また、最近、防衛研究所戦史部図書館で公開された早尾乕雄陸軍中尉のレポート、「戦場心理の研究(総論)」(一九三八年五月にも、次のような記述がある。早尾は金沢医科大学の予備将校で、召集されて上海・南京戦に従事した。


  余が南京へ入ったのは陥落後一週間であったから市街には頻々と放火があり見る間に市内の民家は日本兵により荒されて行った。

 下関には支那兵屍体が累々と重り是を焼き棄てるために集められたのである。目を揚子江岸に転ずれば此処に山なす屍体であった。

 其の中に正規兵の捕虜の処置が始まり海軍側は機関銃を以て陸軍は惨殺、銃殺を行ひ其の屍体を揚子江へ投じた。死に切れない者は下流に泣き叫びつつ泳ぎゆくを更に射撃する。是を見ても遊戯位にしか感じない。

 中には是非やらしてくれと首切り役を希望する将兵もある。

(中略)揚子江に沈んだ正規兵の屍体は凡そ二万人位と言はれる。
 

 (『現代歴史学と南京事件』 P12〜P13)


(2003.6.28記 2006.7.6追記)


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