秦郁彦氏の「スマイス調査(修正)」について


 「犠牲者数をめぐる諸論」で紹介した通り、 秦郁彦氏は、中公新書「南京事件」の中で、「南京事件の犠牲者数」について次のような記述を行っています。

秦郁彦氏『南京事件』より

 板倉氏は結論として、「南京で死んだ人の数は一般人(城内+江寧県)一・五万人、兵士三・二万人」で計約五万、うち日本軍による不法殺害は、兵士○・八万、一般人〇・五万、計およそ一・三万人と推定、 幅を持たせて一万〜二万人としておけばよい、と述べている。

  筆者としては、スマイス調査(修正)による一般人の死者二・三万、捕らわれてから殺害された兵士三・○万を基数としたい。しかし不法殺害としての割引は、 一般人に対してのみ適用(二分の一から三分の二)すべきだと考える。つまり三・○万+一・二万(八千)=三・八〜四・二万という数字なら、中国側も理解するのではないか、と思うのである。 

(同書 P214)


 私は、この文を紹介した当初から、この「スマイス調査(修正)による一般人の死者二.三万」というフレーズが引っ掛かっていました。この文の前後をいくら読んでも、「修正」の根拠が、どこにも見当たらないのです。

 「スマイス調査」については、「市部調査」による死者2,400人、行方不明者4,200人、及び「農業調査」による死者26,870人、合計33,470人が「基数」になります。 「南京戦史」、あるいは板倉氏などは、「南京市」の範囲を「江寧県」に代用させて、「市部調査」6,600人プラス「農業調査のうち江寧県」9,160人、合計約15,760人を「基数」としています。 (「スマイス調査をめぐる議論」参照)

 いずれにしても、「2.3万」という数字は、「南京戦史」、板倉氏の「本当はこうだった南京事件」を含め、どこにも登場しません。




 板倉正明氏の雑誌論文を読んでいたら、それらしき記述をようやく発見できました。「30万虐殺説虚構の証明 (続)南京大虐殺」の数字的研究」(「ゼンボウ」S59年10月号)です。


 この論稿で、板倉氏は、「スマイス調査」における「1000人あたりの病死者数」が少ないことに着目し、「病死」の一部まで「暴行」として報告されているのではないか、という疑問を提出しています。


 「農業調査」については、具体的には、次のようになります。

<スマイス報告>
死因 暴行 26,870人 (住民千人あたり25人)
    病死  4,080人 (住民千人あたり3.8人)
    合計 30,950人 (住民千人あたり28.8人)


 板倉氏は、バック教授の「中国における土地利用」の調査結果により、「病死」は「住民千人あたり7.4人」が正常値である、とします。 この数字を前提に、上の数字を修正し、「修正計算を合計欄で行うと、殺されたものの総数は約23,000人となる」と主張します。


 板倉氏は明記していませんが、具体的には次の数式になると思われます。

修正「暴行」死者数=30,950人×(28.8人−7.4人)/28.8人=22,998人。

 板倉論文の発表(S59年)と秦氏「南京事件」の初版発行(S61年)から見て、秦氏の「スマイス調査(修正)」の根拠は、どうやらこれと考えて間違いないようです。




さて、仮にそうだとすれば、秦氏は大きな「見落とし」をしています。そう、これは「農業調査」のみの数字であり、「市部調査」による「6,600人」がカウントされていないのです。

 「市部調査」の「割引率」を秦氏がどのように考えるかはわかりませんが、秦氏の数字はこの分だけ「上方修正」される、ということになりそうです。


*その後渡辺久志さんに、秦氏の「修正」根拠についての私の発見を、雑誌論文で取り上げていただきました。(ただし私の名は出てきません)

**なお私は、従来、秦氏も板倉氏と同じく「南京市」を事件の範囲としている、と認識していました。しかし上の通りだとすれば、 秦氏は「農業調査の範囲である「南京特別市」(正確にはその六県のうち四県半)を事件の範囲として考えていることになります。

(2003.11.8「思考錯誤」板投稿分、2005.8.16一部修正の上本HPにアップ) 


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