| 東中野修道氏 「再現 南京戦」を読む (9) |
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「敗残兵狩り」は「合法」か? −「国際法」をめぐる吉田・東中野論争− |
この論稿で、東中野氏は、「便衣兵」の処刑には裁判の手続きが不可欠であること、また、「安全区に逃げ込んだ中国兵」が「便衣兵」ではないこと、を明言してしまっています。 否定派主張のキーポイント、「便衣兵処刑合法説」を自ら否定してしまった形です。旧来の否定派陣営にしてみれば、頭を抱えたくなるところでしょう。
東中野氏がどうしてこのような論を唱えるに至ったかは、容易に推察がつきます。「便衣兵」であるとすると、国際法上その処罰には「裁判」が必要になる、という論点をどうしてもクリアできない。だから、「便衣兵」であることを否定しておきたかったのでしょう。 さてそれでは氏は、どのような論理で「安全区の敗残兵処刑」を正当化しようとするのでしょうか。 ここから氏は、何とも頭の痛くなるような議論を始めてしまいます。 「南京の支那兵」は「便衣兵」ではなかった。かといって吉田氏の指摘するような「戦時重罪人」でもなかった。 だから、裁判抜きで処刑して構わない、というのです。 *東中野氏のこの論稿は大変読みにくく、吉田裕氏の言を借りれば、「その論旨は、はなはだ曲がりくねっていて意味のとりづらい部分が少なくない」ものです。 私自身精読には努めましたが、それでもなお、氏の主張を十分に把握しそこねている部分がある可能性はありますので、予めお断りしておきます。 戦時重罪人でなければ処刑して構わない、という明らかな「論理の飛躍」はひとまずさておきます。彼らはどうして「戦時重罪人」でないのか。氏の論理を追いましょう。
要するに、立作次郎の「戦時重罪」の「例示」にそのような項目がない、ということが理由です。一応、立の記述を確認しておきます。
そして東中野氏は、「便衣兵」でも「戦時重罪人」でもない、という意味で、「非捕虜」なる新語を発明してしまいます。
そして、さきほどの、「戦時重罪人」ではない、「非捕虜」なるものであれば裁判抜きで処刑して構わない、という「論理の飛躍」を、氏はどのように解決しようとするのか。 要するに、国際法で明確に禁止されていないから「合法」である、という大胆な主張です。
立作太郎の「例示」の中に入っていないからこれは「戦時重罪」ではない。東中野氏のこの「理屈」は、ほとんど詭弁ともいえる議論です。まず吉田氏は、この点を衝きます。
「例示」の中にないからといってその項目が対象外とは限らない。全く当たり前の話です。
吉田氏の反論は、それだけにとどまりません。吉田氏は、この立氏の著作、及び信夫淳平氏の著作を丁寧に読み込むことで、二人が「第一条違反」を「戦時重罪」と考えていることを指摘して、東中野氏の詭弁をあっさりと粉砕してしまいました。
ここでは、東中野氏の主張に反して、立作太郎が「四条件違反」を「戦時重罪」と考えていることが明記されています。
つまり、立が考える「戦時重罪」は、 「例示」の11項目に限定されたものではなかったわけです。東中野氏の主張にとっては、かなりの打撃です。 吉田氏はさらに、信夫淳平の記述を紹介して、追い討ちをかけます。
信夫もやはり、「第一条違反」を「戦時重罪」と位置づけています。 そもそも,、先ほど見たように、「戦時重罪人」でなければ裁判抜きで主張しても構わない、というのも乱暴な議論です。 秦郁彦氏も言うように、「捕虜としての権利がないから裁判抜きで殺していいということにはならない。自然法に照らしても不法でしょう。古代の暴君ならともかく、こいつは悪い奴だから、その場で処刑していいというのは、文明国がやることではない」(『諸君!』2001年2月号 座談会「問題は「捕虜処断」をどう見るか」P134)というのが、まずは常識的な理解でしょう。 もはや蛇足になりますが、吉田氏は、東中野氏の「「非捕虜の処刑」の違法性は、国際法のどこにも明記されていない。明確に禁止されていない限り、それは合法であったことになる」という暴論にも、冷静な批判を加えます。
論争の経緯を振り返ると、東中野氏は、立作太郎の「戦時重罪の例示」に「四条件違反」が見当たらない、従って「四条件違反」は「戦時重罪」に該当せず、裁判なしの処刑は合法である、という主張をしていたわけです。 ところが吉田氏によって、立や信夫が、「例示」11項目以外にも「戦時重罪」項目が存在すると考えていたことが示されてしまいました。しかも、立・信夫とも、当の「四条件違反」を「戦時重罪」と考えていたことは明らかです。 東中野氏にとって、これに反論する方法は、いや、吉田氏の理解は誤っており、やはり立や信夫は「四条件違反」を「戦時重罪」とは考えていなかった、と論証することでしょう。 あるいは、立や信夫は、「四条件違反」は「民兵」については「戦時重罪」となるが「正規兵」については「戦時重罪」とはならないと考えていた、という、論証でもいいかもしれません。 しかし次に見るとおり、東中野氏にはそんな「論証」などできませんでした。 吉田氏はこの論稿の最後で、「以上、南京事件をめぐる国際法論争を東中野氏の言説を中心に検討してきた。東中野氏からの反論を期待したい」(P81)と、思い切り氏を「挑発」しています。 さて、東中野氏はどのようにこの「挑発」に応えたでしょうか。
さて氏は、この書の第14章で「国際法」議論を始めるにあたり、いきなり東中野説への批判をずらずら並べるという、何とも大胆な構成を試みました。
東中野説を批判する5名の論客のうち吉田氏を除く4名が、いわゆる「右派」の論客であることは、特筆してもいいでしょう。氏は、自分の「孤立」ぶりを自ら告白してしまった形です。 氏はよほど、自説に自信を持っているのでしょうか。ここまで大胆なことをやる以上、当然読者は、劣勢を一挙に覆すような驚異の論を、東中野氏が隠し持っているものと期待します。しかし・・・。 その、続きです。
何のことはありません。東中野氏は、吉田氏から批判された論点を完全にスルーしてしまいました。 吉田氏は、根拠を挙げて、立作太郎、信夫淳平という当時の代表的な国際法学者が「四条件違反」を「戦時重罪」と見ていると考えられることを説明しました。 そうであれば、その処罰には「裁判」が必要になるのですが、東中野氏は、これに完全に沈黙してしまった形です。 東中野氏が「四条件違反は戦時重罪ではない」と主張してきたのは、立の記述に基づいていたはずです。 立が他のところで明確に「戦時重罪」と考えていることが示されているのに、立の考えを無視して、 今さら「いや、こう考えるべきである」と根拠の薄い(そして、極めてわかりにくい)主張を述べても仕方がありません。 *東中野氏のこの部分の「反論」は、おそらく読者の方には、一体何が書いてあるのやら、ほとんど理解不能であろうと思います。この「わかりにくさ」は、論に詰まった氏が、とにかく何か書いておけ、と、この部分をいい加減に書き飛ばしたためかもしれません。 一応、私なりに解釈してみます。 論争は、東中野氏が反論不能に陥り、吉田氏のシャットアウト勝ちという形で終息した、と判定してよいでしょう。 *余談ですが、東中野氏はここで「戦闘員の三条件違反行為は「戦争犯罪」以上の大罪であった」という、びっくりするようなことを書いています。 さて、笠原氏が、両者の論争をこのように論評しています。
以上の議論経緯を見ると、妥当な評価である、と考えられます。>
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