佐々木元勝『野戦郵便旗』
南京陥落
心ならずも一日延し、十二月十五日、暗い内に起きる。予定の五時より十五分遅れて出発、トラック三台である。
局員六名、兵隊九名、軍夫一名、外に梅森書記、それが寝具やら食糧水を積んだので郵便行嚢は割合少ない。
トラックは順調、快晴。他部隊の往来は稀である。太倉からぽつぽつ死体がある。太倉を少し出たところで、犬が支那兵の死体を大分食い荒らしている。
你(ニー)が使役され道傍の乾いた溝で死体の数個に土を被せている。
攻略戦の途上、戦闘司令所があった古里村(こりそん)の道路はここだけ特に悪く、一里もないが馬の死体を数えてみると、思いのほか多く百二、三十ある。
澄んだ水には支那兵の死体が冷たく浮いている。先夜月明の中をトラックで突っ走った寂しいところで、なかなかの水郷である。
常熟の叉路で昼飯。道瑞に埃にまみれた支那の死体が二つ。一つは下半身が裸であり、一つは腐ってきたのか鼻や口から血が滲み出ている。二人とも二十歳くらいである。(P211-P214)
無錫の街は依然として荒廃している。先日、街の橋のたもとに焦げて横たわっていた裸の死体は、犬に食われ脚は骨ばかりになっている。前行する
運転手が道を誤り、蘇州の万へ大分進み引き返す。 途中兵隊が道端で体を使役し、黒くなった死体をいくつも焼いている。激戦であったためか、無錫市内外の住民が皆おどおどしている。
太陽を眩しむような手つきでちょいちょい敬礼する。
多数の貧民が鍋釜、衣類等さかんに徴発にきている。子供に日の丸の旗を持たせたりし、徴発物を天秤にかつぎ郊外に列なして帰ってゆく。この風景は万々で見受けるが、無錫がひどいように思われる。
無錫から江陰に向う途中死体が一つ、トラックが走る道より低い田圃の瑞に寄りかかっている。この辺だけに珍しくも水が澄んで青い一帯があるので、私はトラックを止め、ここで飯を炊く。
ほかのトラック二台は連絡を無視して、大分先に進んでしまいそこで飯を炊く。上海からの大切な水を使ったらしい。
私のトラックがそこに追いついた時は、皆は葱や菜や仔豚を徴発してきていた。私のトラックだけ常州に先に行き、自動車廠でガソリンを小樽二個とドラム罐一個をもらう。かく段取りを済ませて私は夕飯を食う。
城門内の塹壕のような穴の中に、正規兵の死体が数名俯伏せている。一人は銃剣で横胸を突き刺されてある。
月が蒼白に照る。トラック三台南京に向かうべく城外に出ると、森山運転手のトラックがひょっこり現われてくる。
南京郊外の軍司令部附近に、機銃を持った敗残兵が二千名を現われ、沿道は危険であるという。
それで私は責任上夜行を中止する。初めは夜通し行く心算であったから、宿舎の用意がしてない。私は運転台で運転手といっしょに寝る。大きな食パンを入れた白行嚢を枕にしてうとうとする。
夜中膝が冷え、きりきり寒い。(P214-P215)
(「ゆう」注 以降、十二月十六日)
朝四時車の外に出、そのまま街角の警備兵の焚火にあたってしまう。火事の炎が赤い。六時ごろ月が落ちて真暗になる。
未明出発、金壇に看いたのが七時五十分。十一時二十分丹陽に着く。丘に古びた塔を望み、死んだ鳥の浮いている黄色いクリークの水を汲み飯を炊く。ここから句容へがひどい悪路である。
農民が十数名道路に出て、自発的に煉瓦を敷いているところがある。やや曇り空である。風が強くなる。
打合せた通り南京の支那郵便局は占領してある。元来支那の郵便局は外国権益に関係があるので、いっさい手を触れない方針でいたが、南京、敵首都においては逆に勢を転じ、敵の大建造物を占拠し、
大いに野戦郵便の存在を高揚せんと考えた。
勇躍一番、トラックはめいめい突風のごとく走り出す。もうお互に連絡も何もない。一秒も速く南京に入城したいのである。
麒麟門から少し先、右手の工路試験所の広場には、苦力みたいな青服の群がおぴただしくうずくまっている。武装解除された四千の支那兵である。道端にもうんといる。
ぎょろっとした彼らの眼の何と凄かったことか。弾薬集積場であった馬群鎮では、敗残兵二百名の掃湯が行なわれた。
私は疾走するトラックからこの弾薬集積所に、二本の新しい墓標を見た。一本は特に憐れな抗日ジャンヌダルクのために建てられたものである。それには「支那女軍士之墓」と墨書されてある。(P215-P216)
瞬く間に南京の大城壁、中山門にくる。日の丸の旗が神宮球場の入口みたいに数本翻っている。城壁の一角が砲撃されて崩れ、木材と土嚢を積み重ね、頑丈に閉された城門は、片側だけ開いている。
南京陥落! 城門突破のこの感激の一瞬! だれが興奮し、感激しない者があったであろうか。 (上海出発以来、トラックの所要時間を到着場所ごとに、克明に記入していた私も湯山鎮から先はまったく忘れてしまっていた。)
城内に入る。コンクリートの大道路の街路にも新しい日の丸の旗が掲げられてある。この大道路を兵馬が勇ましく続々と行進する。
中島部隊附の郵便局の旗が上海銀行の前にあるが、これを素通りして目抜きの街の道路を走る。国民政府は門廓は堂々としているが、内庭は古びた低い建物である
。
南京は上海と違い、電車はなく、街一帯が落ちついている。このときの南京城内外での俘虜はおよそ四万二千と私は聞かされていた。
街角に火事がまだ燃え残っており、夕方近くそれがだんだん赤くなる 。
本通り、軍政部から海軍部にかけ数町の間は、真に驚くべき阿鼻叫喚の跡と思われる。
死体はすでに片ずけられたのか少ないが、小銃や鉄兜や衣服が狼籍を極め、ここで一、二万の支那兵が一時に掃射されたかと思われるばかりである。これは支那兵が軍服を脱ぎ捨て便衣に着替えたものらしくもあった。
太陽が真赤に沈もうとする。焼けたトラックの残骸が散乱し、木材と土嚢でぎっしり固めた挹江門は、凄烈な殺戮戦を思わせる。この門を出て揚子江岸、停車場近くの
支那郵便局に向かう。江岸に支那兵の殺された無数の跡があり、江には駆逐艦が浮いている。城外の下関一帯は、上海閘北のごとく焼け荒されている。(P216)
壮大な銀行と似た支那郵便局舎の前には支那兵の死体が、火が燃えている焼跡の中に脚から腹の方を焼かれ仰向けに倒れている。
それは将校らしく、骨相ががっちりし、両眼がカッと見開いている 。
壊れた煉瓦の焼跡に、たった今殺されたらしい中老の死体がある。口と鼻から血を出して、風呂敷包が転っている。
トラックから降りて警乗兵が開けて見ると、下らぬ衣服類と空の蟇口(がまぐち)である。
この郵便局の巨大な三階の建造物は、一階が郵便局の現業で二階からは江蘇郵政管理局である。ここに上海から連れて来た局員と警乗兵とを残し、私は中山門近く中島部隊附局へと引き返す。
暗くなりかけた街路を続々とおびただしい苦力の大群が、銃剣をつけた兵隊に連れられ行列をなして行く。これは
俘虜である。連れて行く兵隊に、私がトラックの運転台から聞くと、これは便衣に変装していたものを、一網打尽にしたもので三組あるとかである。
日の丸の腕章をつけた者が多い。鼠色の毛布を巻いて背負ったり、飯の鉢を腰にぶら下げているのがある。列に遅れまいといそいそ走って行くのや、中には三人肩を並べ腕を組み、遠足にでも行くように
噪(はしゃ)いでいるのもある。歩くのが少し遅れ、何やら、ちゃあ、ちゃあいうと兵隊に
パチンと殴られる。十五、六の給仕みたいのもいる。月が蒼白く昇る。
今宵一夜の俘虜の歴史的この大群よ! 亡国の悲しさよ!
中山門近くの局に帰るともう真暗である。山森事務官と梅森書記は、気の進まぬ運転兵に金一封をやり、機嫌を取って下関の局へ向かう。
夜だいぶ遅くなってから、このトラックの運転兵がどかどかもどってきた。下関では大変なことがあったと話す。
その夜、下関の局近くの河岸で、敗残兵掃蕩の銃声がさかんに起った。江上の駆逐艦は棲壮な灯を点じ、濁流を逃げんとする敗残兵を機関銃で掃射した。(P217)
(『野戦郵便旗』(上)より)
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