小林英夫『日中戦争』 「ハードパワー」と「ソフトパワー」の戦い |
「軍事力」において圧倒的優勢だったはずの日本軍が、なぜ「日中戦争」に敗れたのか。 一般には、「中国大陸の広大さ」がその理由に挙げられます。どんな大兵力を動員しても、広大な大陸の中では、日本軍は「点と線」しか確保できなかった。そして奥地重慶に逃げ込んだ蒋介石を捉えることは、軍事的にも不可能だった。そのような説明です。 しかしそれは、「日中戦争」の一面でしかありません。最終的には中国は、国際世論を味方につけ、連合国の力を借りることにより、戦争に勝利しています。中国が諸外国を味方につけた「外交力」、あるいは「宣伝力」の強力さを、無視することはできないでしょう。 小林英夫氏『日中戦争』(講談社現代新書)は、「ハードパワーとソフトパワーの戦い」という視点から、「日中戦争」の全体像をまとめ上げています。 以下、内容を紹介していきます。大変面白く、かつ入手容易な本ですので、関心を持たれた方にはぜひ一読をお勧めします。 まず、「ハードパワー」と「ソフトパワー」の定義です。
あえて単純化すれば、「ハードパワー」は「軍事力」、「ソフトパワー」は「外交力、宣伝力」、と理解すればわかりやすいでしょう。 日本は、「ハードパワー」に頼り、短期の「殲滅戦」で戦争に勝利しようとしました。一方中国は、戦争を「消耗戦」に持ち込み、「ソフトパワー」により形勢逆転を目指しました。 初期の上海戦では、「ハードパワー」にアドバンテージを持った日本軍が、中国軍を圧倒しました。
続けて日本軍は南京を陥落させ、さらに徐州・漢口も占領しました。しかし「ハードパワー」による短期決着を目指した日本軍の目論見は外れ、蒋介石は遠く重慶に逃げ込んで抗戦を続けます。 かくして、戦争は「持久戦」となります。しかし中国には、自らの力で勝利を勝ち取る力はありません。そこで中国は、「ソフトパワー」の発揮により反撃に転じようとします。 初期において、中国は諸外国、特に米国の同情を獲得することに成功していました。この本からは離れますが、いくつかの事例を紹介します。
当時の駐日大使・グルーは、戦後、天皇制の存続に力を尽くした「親日派」として知られます。そのグルーですら、ここまで厳しい言葉を発しています。 実際の話、初期においてすら、「当時のアメリカ国民の意識調査では、中国に同情する者は七十四パーセントを占め、日本に同情する者は二パーセントにすぎなかった」(黄仁宇『蒋介石 マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記』P177)という状況でした。 このような「親中ムード」を背景に、中国は諸外国の「対日制裁」を引き出すべく、「外交戦」を展開します。しかし初期の段階では、この試みは成功しませんでした。
国民政府の次の一手は、米国をターゲットにした、「外交ロビー活動」です。
その一方で中国は、米国世論を味方につけるための「宣伝戦」にも力を入れていきます。
また中国にとっては、多くの国際的ジャーナリストを味方につけたことが、「宣伝戦」を有利に進める大きな材料になりました。
念のためですが、中国の味方をしたジャーナリストたちは、別に何か不純な動機を持っていたわけではないでしょう。小林氏も、次のように書きます。
実際には、中国側の宣伝活動には、少なからず「誇張」や「ウソ」が混じっていたのかも知れません。しかし「日本の軍事攻撃に苦しむ中国」という「事実」が根っこにあったからこそ、「宣伝活動」は十分な成果を挙げることができた、と言えるでしょう。 このような中国側の「ソフトパワー」の発揮は、米国などからの大規模な物資支援、あるいは日本に対する石油禁輸措置などの形で、少しずつ成果を挙げていきます。そして打つ手がなくなった日本は、英米戦争という「狂気の選択」に追い込まれることになります。
結局のところ、「ハードパワー」で圧倒的劣勢にあった中国は、「ソフトパワー」で世界を味方につけたことにより、日本に対して逆転勝利を収めることになりました。 余談ですが、小林氏は、国際社会において中国側の「ソフトパワー」を増大させてしまった事例として、「南京事件」を挙げています。逆に日本にとっては、手痛い「失策」でした。
なお小林氏は、「南京事件」が深刻化した責任の一端を国民政府側にも求めています。ただし「しかし、これらのことは被害を増幅させる理由にはなっても、日本側の責任を軽減することにはならない」と結んだのは、冷静な判断であると言えるでしょう。
(2019.4.6)
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