deliciouscoffee氏の「夏さん事件」論




 deliciouscoffee氏(以下、「コーヒー氏」と略します)は、「夏淑琴さん事件の犯人」は実は「中国兵」である、という「珍説」を言い出し ました。もちろん、「否定派」界広しと言えども、こんな「珍説」を断定的に唱えている人物は、誰もいません。

 以下、コーヒー氏がこんな「トンデモ」を言い出した「心理的背景」、そして、その「根拠」について検討を加えていきましょう。




 まず確認しておきたいのは、コーヒー氏が、ほとんど条件反射的に、何でもかんでも「中国軍の仕業」にしてしまう、とんでもなく特異な発想を持っている、ということです。

 それを証明する「客観的資料」など、全くお構いなし。コーヒー氏が主観的に「日本軍の仕業と100%言い切れない」と思い込んだことは、全部、留保条件なしで、「中国軍の仕業」ということになってしまうようです。

 例えば、このような感じです。

(コーヒー氏)

「国際委員会文書」で日本軍の仕業とされた記録のうち、本当に日本軍の仕業だった事件はそのうちの一部だけなのです。

実際には支那人の盗賊が行った犯罪も日本軍の犯罪にされてしまったケースが多いのです。(M7982)
 


 
(コーヒー氏)

日本軍が南京を占領した後に、発電所の職員を殺害するということは支那軍の仕業と考えるのが自然です。(M8035)
 


 
(コーヒー氏)

―――――――――――――――――――

ヴォートリン「南京事件の日々」 一月二十一日 

ここ数日間、悲しみで狂乱状態の女性たちが報告してきたところでは、一二月一三日以来、夫や息子が行方不明になっている件数は五六八件(?)にものぼる。彼女たちは、夫は日本軍のための労務要員として連行されたのだと、いまもそう信じている。 しかし、わたしたちの多くは、彼らは黒焦げになった死体に混じって、古林寺からそう遠くない池に放り込まれているか、埋葬されることなく定准門外に堆く積まれた半焦げ死体に紛れ込んでいるのではないかと思っている。 一二月十六日の一日だけで四二二人が連行されたが、この数は、主としてここのキャンパスにいる女性の報告によるものだ。 一六歳か一七歳の若者多数が連行された。また、一二歳の少年が行方不明であるとの報告もあった。ほとんどの場合、連行された者は一家の唯一の稼ぎ手であった。

―――――――――――――――――――

これは支那軍の仕業だと考えるのが自然です。(M8035)
 



 それぞれの「事件」の内容を知っている方には、これはもう「お笑い」でしかありません。

 彼自身には、そもそもそれぞれがどういった事件であったのか、という知識もありませんし、もちろん「中国軍が犯人」と決め付ける具体的な「根拠」なんか何も ありません。それぞれどのような「事件」であったのか確認して、実際の「犯人」が誰であったのか、資料を見て検討を行う、なんてことは、夢にも考えない ようです。

 


 コーヒー氏の「夏さん事件中国軍犯人説」は、このような流れの中で出てきたものでした。初登場は、こんな文章です。

(コーヒー氏)

「夏淑琴さん事件」の犯人は支那兵。

支那人がやる典型的な虐殺方法だ。(M8832)
 


 これだけ特異な説を唱えながら、「説明」はたった一行。とにかく、「犯人」は、何がなんでも「中国兵」。 誰が何と言おうと「中国兵」。頭の中に、そのような回路が完全に出来上がっているようです。



 コーヒー氏には、「残虐行為」はすべて「中国兵」がやるものであって、「日本兵」は決してそんなことをやらない、という厚い「信仰」があるの でしょう。そこで私は、資料をひとつあげました。

 
(ゆう)

 トンデモさんは、何の根拠もなくこんなことを言っていればいいから、楽だね(^^)

 あ、コーヒー氏は、「日本軍は残虐な殺害をしない」という厚い「信仰」を持っているらしいから(^^)、「日本軍の残虐な殺害方法」の例を教えてあげよう。 塩野雅一著『還ってきた軍事郵便』より。ちなみにこの方、戦時中には「金鵄勲章」を受け、戦後は会社を興して、某団地協同組合の理事長を務めた人物だから、「地元の名士」と言っていいんだろうな。



>部隊は常熟、無錫、常州、丹陽と、逃げ足の速い敵を追って進撃するのであるが、途中無錫の街で見るべからざる情景を、この眼で見てしまった。何処の部隊か定かではないが、 一兵士が一才にも満たない赤子を両手で高くさし揚げて、どうするのかと思ったらかたわらのクリークへ、こともあろうに投げこんでワイワイ騒いでいるのである。

>常熟から無錫、常州、丹陽と進撃して行くその街々には敗残兵の遺棄死体に混って、現住民男女の死体が散乱していた。 その死体のなかの女性たちは下半身を裸にされて、こともあろうか、その局部に棒ぎれや竹筒が突込んであるのを私は馬上から、この眼で数回も見た。全く目を覆いたくなるような、非人道的な惨状である。
(P53〜P54)
 


 するとコーヒー氏は、やっと「根拠」を出す気になりました。・・・というか、「論理」は完全に「後付け」。「中国兵が犯人」という大前提が頭にあって、その「肉付け」の材料を、必死に探し回っていたの でしょう。

(コーヒー氏)

「夏淑琴事件」なるものの強姦や虐殺の方法は通州事件(7月29日)で支那人保安隊が日本人に行ったことと酷似している。


支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として7月30日、連隊主力と共に救援に赴いた桜井文雄の証言

>婦人という婦人は14、5歳以上はことごとく強姦されており、全く見るに忍びなかった。旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部にほうきを押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。
 


 何と、場所も時間も全く異なるところで起こった事件と「方法」が似ている、ということが、「中国兵犯人説」の「根拠」だという ことです。

 
常識で考えれば、例え「方法」が似ていたとしても、それは「ひょっとすると・・・かもしれない」というレベル。具体的な検証は、「夏さん事件」の実態に即して見るしかない・・・なんて当り前のことが、コーヒー氏には全く見えていません。

論理学風に言えば、「ある中国兵が残虐行為を行った」ということを、「すべての残虐行為は中国兵の仕業である」とすりかえている、ということなのに 。


 そして実際のところ、その「方法」なるもの、日本軍の記録にも結構見られます。私は、そのことを、指摘し ました。

 
色川大吉氏 「ある昭和史 自分史の試み」

十五年戦争を生きる 

・・・それにもかかわらず、若干の秘密は直接体験者の言葉を通してひろがるものだ。それから(「ゆう」注 「南京事件」から)ニ、三年後のことであるが、その一端は田舎の一中学生であった私のような者の耳にまで、はっきりと届いている。

 Tという元陸軍伍長のトラック運転手がいた。私の家に仕事のことで出入りしていたが、ある日、私にこんなことを話した。その姑娘(クーニャン)(中国娘)をみんなで手ごめにしたあと、 気絶していた娘の膣に、そばに転がっていた一升びんを突っこみ、どこまで入るか銃底で叩きこんでみた。そしたら血を噴いて骨盤が割れて死んでしまった、と。

(中公文庫「ある昭和史」P73〜P74)


秦郁彦氏「南京事件」より 小原立一日記

十二月十四日

最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・ 中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。外に二千名が逃げていると話していた。戦友の遺骨を胸にさげながら突き殺す兵がいた

(中公新書「南京事件」 P121)


小俣行男氏「侵掠」より

 それにしても、敵側の惨虐は報道し得ても、「皇軍」の残虐は報道できない―。

 町はずれの路傍で姑娘が、地べたに腰をおろしていた。近づいてみると、上衣はつけていたが、下着も下穿きも脱がされていた。二十歳前後だろうか。 その頃流行の断髪姿、顔立ちも整った美人だったが、兵隊に犯されて立つ気力を失ってしまったのだろう、手だけはわずかに動いて、眼は大きく開いていたが、どこをみているのか、うつろな瞳だった。 通りがかって兵隊がやったものだろう。裸の股の間に棒キレがさしこまれていた。女はそれを抜いて捨てる気力もないようにみえた。 兵隊たちが立ちどまって覗きこんでいた。そのとき、小隊長らしい将校がやってきて、兵隊に向って「かたづけろ!」とどなった。

 いったいどこへ片付けろというのだろう。病院もなければ、住民もいない。手当するようなところもない。数人の兵が姑娘をかついで行った。

 夕暮どき、私は兵隊たちにきいた。
 「あの女、どこへかたづけた!」
 「焼いちゃいました。あんな恰好でころがっていたのでは、死んでも浮かばれないでしょうから、マキを積んで、その上にのせて、焼いちゃいました」。


 彼女は虫の息だったが、たしかに生きていた。すると、彼女は生きたまま焼かれたのである。

(P53〜P54)


 「中国軍犯人説」の最大の根拠である、「この手口は中国軍特有」とのご高説は、あっさりと崩壊してしま いました。これ以降は、コーヒー氏のレスは、全くの蛇足。「議論」をだらだらと引き延ばしているに過ぎません。

 


 苦し紛れに、今度は、「夏さん証言の信憑性」を問題にし出しました。最新の「まとめ」が一番わかりいいので、これをそのまま取上げましょう。

 
(コーヒー氏)

●結論

君が何とほざこうが何と喚こうが、夏淑琴事件の犯人は支那人である可能性が圧倒的に高い。

1.女子供もお構いなしの残虐性
2.股に異物を突き刺す等、犯行手口が支那の伝統的虐殺方法
3.殺害された夏氏や馬夫人が犯人相手に懇願や質問(犯人と言葉が通じていた可能性が高い)
4.犯人が日本兵かどうかの判断力が夏淑琴にはなかった。
 


 さすがに最初の「断定」はあきらめて、「可能性が圧倒的に高い」というところまで後退したようです(^^)

 「君が何とほざこうが」。非常にわかりやすい、「反論に詰まった」時の表現ですね。「君の言うことには何も言い返せないけれど、とにかく僕は正しいんだもん」というわけ です。


 このうち1は、問題外。例えば「平頂山事件」のように、日本軍の側にも同様に「女子供もお構いなし」の記録が存在する以上は、これをもって「中国人が犯人である可能性が圧倒的に高い」などと言うことは、到底できない でしょう。

 2については、私が再三にわたり「日本軍にも同様の資料があり中国特有とはいえない」ことを繰り返し説明しているのに、そんなことはお構いなし。コーヒー氏は、都合の悪い事実にはすべて目をつぶり、都合のよい事実だけを材料にして「論」を展開し ているだけの話です。

 3も無茶。夏さんの記憶がどこまで正しいのかわからないが、「言葉が通じていた」などと断言できる材料は、何もありません。ちなみに、コーヒー氏の「論理」は、こうです。

(コーヒー氏)

>兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。

―――――――――――――――――――

中国人が犯人だった去年の「福岡一家4人殺害事件」とそっくりなのだが、それ以上に問題なのは、夏氏が犯人相手に懇願したり、馬夫人が犯人相手に質問しているという点だ。
犯人と言葉が通じていたのだから、犯人は支那人。


*「中国人が犯人だった去年の「福岡一家4人殺害事件」とそっくり」というのを「根拠」とするのも、物凄い話です。「佐川氏のパリ人肉食事件」を 「日本軍人肉食事件」の根拠にするに等しい、時間・空間の隔たりを無視した暴論なのですが、コーヒー氏は、同じことを少なくとも3回は書いており、コーヒー氏が「大真面目」であることを伺わせます。



ちなみに、コーヒー氏が「言葉が通じている」と断じた根拠は、次の文章でした。

「マギー牧師の解説書」より(5)

 フィルム四

(九) 一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、 兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。
  
(「ドイツ外交官の見た南京事件」 P177)


 当時8歳の少女からのヒアリングだから、そもそもこれがどこまで正確か、という問題はありますが、この通りだとしても、夏氏や馬夫人は、どう見ても一方的に訴えを行っていたに過ぎ ません。

 「殺さないで!」「やめて下さい!」というのは、別に言葉が通じなくても、態度で十分にわかるでしょう。そして、「何で殺したんだ」と中国語で叫んだが、日本軍兵士はそれを無視して殺人を重ねた、というだけの話 でしょう。

 しかしまあ、この「推理」に従えば、夏さんは、「犯人が中国語を語っているのにもかかわらず、犯人を日本軍として認識していた」ということにな ります。コーヒー氏は、この矛盾を、どう解消しようというのでしょうか?



4も、「中国軍犯人説」の根拠にはなりえません。

 状況から見て、夏さんが「犯人は日本軍である」と認識したことに、不自然な点はありません。だいたい、「夏さん事件」の犯人を「日本兵」と判断したのは、別に「当時8歳の少女」であった夏さんばかりでは ありませんでした。近所の人々は、すべて「日本軍の仕業」という判断を示しました。夢にも、「中国軍の仕業」などとは考えていません。

 当然の話。激戦のさ中、1個小隊にもあたる30人もの中国軍兵士が、集団で持ち場を離れて、同胞の中国人に対する「集団強姦殺人」に勤しむなんぞ、常識では考えられ ませんし、近所の人々もそういう判断だったのでしょう。マギーは、事件の現場に出向いた時、「500人の中国人が殺された」という証言を聞いています。

 たとえ「夏さんに犯人を「日本軍」と認識する能力がなかった」のだとしても、それはそれだけの話です。それを「中国軍犯人説」の積極的な根拠にするためには、何か別に、上の判断をくつがえすだけの、もっとしっかりとした「根拠」が必要 でしょう。

 「夏さん事件中国軍犯人説」は、数多い「否定派」の中でも、コーヒー氏だけが唱える「妄想」ということで、もういい でしょう。しかしコーヒー氏、こんな「妄想」、本気で主張していたのでしょうか?

 

(2004.7.10記)




 

(2005.1.15追記)

掲示板では、また同様の議論が再燃したようです。こちらでは、コーヒー氏の根拠は、このようになっています。

(コーヒー氏)
 

1.支那人が犯人だった「福岡一家4人殺害事件を思い出させる残虐性。(現在においても、三国人が日本で行う凶悪犯罪は非常に多いが、日本人が支那や朝鮮で凶悪犯罪を行うことはあまりない。)

2.夏氏が犯人相手に懇願したり、馬夫人が犯人相手に質問している。
犯人と言葉が通じていたと考えるのが自然であることから犯人は支那人と考えられる。

3.8歳の子供が犯行日時は12月13日9〜10時と認識していたのはおかしいし、ましてや14日間も経って記憶していたとは考えられない。
結局、犯行日時は12月10日なのか、12月11日なのか、12月12日なのか、12月13日なのか、不明。

4.夏淑琴の証言によれば、事件のあと、すぐ向かいが日本軍の宿泊所になり、日本兵が家の庭を通って足音が聞こえる都度、夏淑琴は布団に隠れたそうだが、四歳の妹が泣き喚いたりしなかったとは考え難い。
そもそも、傷を負い、這っていた八歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間四歳の妹と一緒に生き続けたのが不思議。

Yahoo!掲示板 「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実」トピ M7016


1、2は、もういいでしょう。「まだ言ってるの」という感じですね。

3 夏さんは、「犯行日時」を「日本軍南京侵入時」と認識しており、ここから「12月13日」と証言した、という可能性は確かに存在します。しかし、日本軍の動き等の状況から見て、「12月13日」を「犯行日時」と認定することを、特に疑う必要はないでしょう。

 万一「12月13日」ではなく、「12月14日」だったとしても、それはそれだけの話です。「日本軍の犯行である」ということに、変わりはありません。

 コーヒー氏は日本軍侵入以前の「12月12日以前」の可能性を模索しているようですが、そのためには、上に述べた通り、激戦のさ中、1個小隊にもあたる30人もの中国軍兵士が、集団で持ち場を離れて、同胞の中国人に対する「集団強姦殺人」に勤しむ、という無茶な状況を想定しなければなりません。

 だいたい、「中国軍兵士」が犯人だとしたら、いくら8歳の少女でも、軍服や言葉などで「中国軍兵士」であることぐらいはわかるでしょうから、これを「日本軍兵士」と誤認することは、極めて考えにくいことです。

 ちょっと考えればわかりますが、いずれにしても、「日時がはっきりしない」ことは、「中国軍兵士が犯人だ」という積極的な証拠にはなりえません。


4 本人がそう証言しているのですから、「絶対にそんなことはありえない」という確実な証拠がない限りは、その通り素直に受け止めておけばいいでしょう。「考え難い」「不思議」ということは、コーヒー氏の主観に過ぎず、何の「証拠」にもなりません。

 こちらもまた、ちょっと考えればわかりますが、「中国軍兵士が犯人である」という積極的な証拠には、全くなりませんね。「夏さんの証言は怪しい。従って中国軍兵士が犯人だ」というのは、いくら何でも飛躍のしすぎです。



 さて、議論が続くうちに、こんな珍妙な発言が飛び出しましたので、記録に止めておきましょう。

(コーヒー氏)
 

>少なくとも、研究者でこういう説を唱えた人はいない。

「夏淑琴事件」は支那兵か支那人盗賊の仕業なので、研究者はもっと勉強するべき。

Yahoo!掲示板 「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実」トピ M7021


 ほとんど知識を持たず、何でもかんでもとにかく「中国軍兵士」の仕業にしたがるトンデモさんに「もっと勉強するべき」と言われたら、「研究者」たちも、さぞかし目を白黒させることでしょう。

(2005.1.15追記)


 
HOME