常石敬一編訳『標的・イシイ』第九章 人体実験の暴露(1)
常石敬一編訳『標的・イシイ』

第九章 人体実験の暴露


第九章人体実験の暴露

一九四六年七月−一九四八年三月

【背景】

 戦時中の日本国内での人体実験として有名な九大事件の発端はGHQへの投書であったという。実際アメリカ国立公文書館のGHQ法務部のファイルには大量の投書が収められている。投書の中には七三一部隊や石井を告発するものもある。

 法務部では、従来のG−兇両霾鵑修梁召箸脇販に、これら投書にもとづいて調査を進めている。そしてG−兇茲蠅眩瓩、日本のもうひとつの生物戦部隊、満州一〇〇部隊、すなわち関東軍軍馬防疫廠に行きあたっている(資料87)。こうした法務部の調査がG−兇汎販に行なわれていたことは資料88から明らかであろう。

 この時期、G−兇魯熟△砲茲訐舒罎蕕琉き渡し要求を必死になってかわそうとしていた。その足もとで、法務部がソ連を利するような調査を進めていた。資料88には、そうしたG−兇里△錣討屬蠅よくでている。

 このG−兇硫霪以来、法務部の活動は鈍ったようで、レポートが少なくなり、一九四七年の年末から翌年の初めにかけて、生物戦との関連で法務部が行なっていたいくつもの調査が打ち切られ、G−兇飽き継がれている。G−兇飽き継がれてからのことはまだ解明されていない。(P377)

 さてソ連の尋問要求であるが、これは資料86の陸軍省電報WX九五一四七との相乗効果によって、マッカーサーおよびウイロビーを窮地に追いこんだ。第七章および八章の[背景]にも記したように、彼らは口頭でではあっても生物戦関係者に「戦犯免責」を約束していた。ところがWX九五一四七によって、そうした「免責」は連合国軍最高司令官(SCAP)の独断で与えることはできなくなった

 ソ連の要求には根拠があり、それまでのサンダースやトンプソンの公式の報告にはまったくでていない、人体実験、中国への生物兵器による攻撃、それに安達の野外実験場の存在が明白となった

 約一年半にわたるSCAP、GHQの生物戦調査がずさんなものであったことが暴露された。マッカーサーらは、この経過、すなわちソ連の要求によって、それまでのGHQの戦犯免責を与えての生物戦調査が粗雑なものと判明したことをワシントンに伝え、指示を仰ぐわけにはいかなかった。

 彼らは二段階の戦略をとった。まず第一段階は、アメリカ本国の反共・反ソの立場を利用して、ソ連の引き渡し、尋問要求をかわすこと。第二段階は、ソ連が提示した証拠も動員して、石井らのもっているであろう情報を大きくみせ、ワシントンからの「戦犯免責」を引きだす、ということである。

 結果としてはソ連の要求は、アメリカにとって大きな成果をもたらすこととなった。すなわち陸軍省はすでに日本にきたことのあるサンダース中佐やトンプソン中佐ではなく、N・H・フェル博士を派遣し、「大きな価値のある……アメリカの知らない」(資料101)情報を入手することになった。

 その情報のひとつが資料108で言及されている人体実験に関する「六〇ページのレポート」である。このレポートは有名ではあるが、一九八三年夏の段階ではその所在すら確認されていない、という。編者が一九八三年夏、アメリカ国立公文書館のアーキヴィストに問いたところでは「我われもそれを捜しているが所在すらまだわからない。多分陸軍にあると思うので数年来問い合わせをしている」ということであった。(P378-P379)

 「六〇ページのレポート」の全文は結局まだ入手していないが、資料111の一九四七年八月五日付の海軍情報局のレポート中に、その要約が収められている。このレポートによって、日本の生物戦部隊が人体実験を行ない、中国に対して生物兵器を試験的とはいえ使用したことを、アメリカも確認したことがはっきりした。

 ソ連の要求はまた、ワシントンに少なからぬ混乱を起こしたことが資料109110からわかる。外交担当の国務省と軍部との対立である。

 だがこの対立も本質的なものではない。石井たちを裁判にかけずに情報を引きだす、という点において両者は一致していた。ただその「免責」の言質を与えるかどうかの対立であった。けっして免責を与えるか否かという対立ではなかった。アメリカの安全(セキュリティ)のために石井たちから情報収集を行なうという点において両者は一致していた。

 「六〇ページのレポート」の具体的価値は、当時キャンプ・デトリックがだしていた「月例報告」と照合してみるとはっきりする。それらは秘密レポートで、なおかつ病原体は「エージェント勝廚箸「エージェントY」と表わされているが、毎月のレポートをみていくと、炭疽とペストが重視されていたことがわかる。

 そしてその中で重要な課題が、それぞれの感染量の決定やワクチンの開発であった。「六〇ページのレポート」はまさにそれらについて、人間を実験に使って得られたデータを提供したことになる。これは旧日本軍の生物戦部隊の情報が、アメリカの生物戦研究に寄与したうちの一例にすぎない。「六〇ページのレポート」はアメリカにとって二度と得がたい情報であった。

 しかしこの事実は、数年前まで、M・サンダースも知らないことだった。彼はそれまで、「日本の生物戦研究は貧弱で、学ぶことはなかった」と述べていた。今日からみて、旧日本軍の生物戦部隊の研究は、科学的研究という観点からは貧弱であったかもしれないが、情報の価値からすれば、その大規模な人体実験のゆえに大きかった、と言えよう。(P379-P380)

 またサンダースやトンプソンが科学的に貧弱と判断したのは石井らが人体実験の事実を隠すために、細部について詳述しなかったことも原因であったろう。(P380)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)



アメリカ国立公文書館文書

86

一九四六年七月二四日

発信−ワシントン(統合参謀本部)
あて先−アメリカ陸軍太平洋軍総司令官〔CINCAFPAC〕(マッカーサー)
番号−WX九五一四七

一、日本と極東および太平洋の旧日本占領地域で現在アメリカ軍の支配下にある地域(一九四五年一〇月二四日付のWX七八四一七をみよ)における情報源の開拓における国際協力についてのアメリカの政策に関する政府の方針は以下の第二、三、それに四節のように確定している。

二、アメリカ支配下の日本および旧日本支配地域で現在アメリカ支配下にある極東および太平洋地域における情報活動および情報資料についての諸外国からの要求の調整およびそれに対する措置は、国務省、陸軍省、それに海軍省の方針にもとづいて、アメリカ陸軍太平洋軍総司令官あるいはアメリカ太平洋艦隊総司令官が、それぞれの分担地域に応じて決定することとする。

三、以下の規則が前記原則の履行にあたっての一般的な指針である。

〔A〜D、省略〕

E、要求に対する措置およびその調整にあたるアメリカ軍の司令官の判断で、アメリカの安全を危険にさらす情報、アメリカが友好関係を維持している外国政府との関係を傷つける情報、あるいは科学の研究・開発の分野においてアメリカの進歩をそこなう情報は、統合参謀本部および必要なら国務・陸軍・海軍三省調整委員会〔SWNCC〕への照会と承認なしに提供してはならない。

〔四、省略〕

五、前記三Eに関して、目下の情勢では科学の研究・開発および軍需品についての情報は、統合参謀本部への特別の照会とその承認がないかぎり英連邦(アイルランドを除く)以外の国に公表してはならない

〔以下省略〕(P381)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

87

一九四七年四月四日

連合国軍総司令部、法務部、調査課
事件番号−三三〇
報告者―N・R・スミス中尉、歩兵
表題―山口本治、若松有次郎、ヤサズカ、保坂ヤスタロウ、マツシダ・シロウまたはヤマシタ・シロウ、石井四郎またはトーゴー・ハジメ
事実の概要−現在までの調査課事件番号三三〇号の調査のレポート。関東軍獣医部および同防疫給水部隊での捕虜に対する諸実験は細菌戦を考えてのものである
〔途中省略〕

詳細

 東京にて―SCAP、GHQ、G−兇帝国陸軍石井四郎元中将の事件調査の進行状況についてのレポートを要求している事実にかんがみ、現在までの調査の概要を作成し、以下のように時間の流れに沿ったレポートを提出する。

 本調査はNと名のる人物からの日付のない手紙を受け取ったことが発端であった。その手紙は帝国陸軍の軍人が実験のために捕虜を鼻疽に感染させ、解剖していたとしていた。実験の当事者として名前があげられていたのは、山口本治少佐、若松有次郎元少将、ヤスザカ元中将、マツシダ・シロウ元大尉であった。〔途中省略〕

 一九四五年一二月三日対敵諜報部隊〔CIC〕の第八〇部隊、首都担当、は石井四郎に関して、千乗県山武郡千代田村に住んでいるという情報の要約を提出した。この情報は同部隊の信頼できる情報提供者八〇−一一のものである。

 情報提供者は次のように述べている。すなわち、石井は千葉県の大地主ということであり、日本陸軍軍医部の中将であったが、死亡したと発表されており、彼の葬式が一九四五年一一月一〇日に千葉県山武郡千代田村でみられたという。

 情報提供者は、死亡は嘘であり、石井は反民主的活動をたくらんでいる千代田村の村長の助けで、地下にもぐっていると主張した。情報提供者はまた、石井は戦時中軍医部隊である石井部隊の部隊長で、中国の広東で彼の不注意の結果何人かの中国人の体内にべスト菌を注射し、その市にべストを流行させた、と主張している。(P382-P383)

 一九四五年一二月一四日、OCCIOは日本の細菌戦に関する日本共産党からの覚え書の写しを送ってきた。この手紙は石井部隊の活動をあばくものである。それは、石井部隊は石井四郎軍医中将の指揮でハルビンに創設されたとしている。

 一九四四年に石井部隊はペスト菌の培養に成功し、それを満州人および戦時中に捕えた何人かのアメリカ人市民に試した。石井は終戦が宣言されたときにペスト菌の大量生産を開始したところだったと主張している。

 さらに日本陸軍は研究所を爆破し、文書、機器、それに研究に使用していた何百人かの人間を抹消したとも述べている。研究は東京と京都の帝国大学の医学部と協力して行なわれていた。

 覚え書はまた、研究に関与していた指導的人物は京都の正路倫之助と吉村寿人、それに千葉医専の緒方規雄であった、と主張している。そのために動員された医大および研究所は、東京の伝染病研究所、京都帝大、陸軍省医務局、それに千葉医専であった。

 一九四五年一二月一五日、東京世田谷区新町のS・気般召里訖擁から一通の手紙が民間情報部〔CIS〕に届いた。これは連合国軍翻訳尋問部〔ATIS〕によって同部文書二〇三五号として翻訳され、その写しが法務部に配られた。

 その手紙は、石井は表むき濾水の研究をやっていたが、ひそかに細菌戦の研究をしていた、と主張している。秘密の研究所を満州−海拉爾線の背陰河駅の近くに作っていた。当時少将だった石井はトーゴー・ハジメという偽名を使っていた。

 手紙は彼らの細菌学研究のために動物の代わりに人間を使うという残虐行為が行なわれていた、と指摘している。犠牲者の大多数は罪人であったが、無実の農夫、共産軍兵士、婦女子もおり、一〇〇〇人以上の人が鼻疽菌、ペスト菌およびその他の強力な毒素についての実験の犠牲となった、と主張している。

 手紙はまた、石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。

 手紙が濾水機や顕微鏡といった機器は日本特殊工業という名の会社から購入していたと書いていることも注目する必要があろう。その会社はクリツ・ミツイチが代表者であった。会杜発足当初はクリツの個人経営であったが、のちに法人組織となり、石井と彼の部下が身代りの株主の名前を使って配当を受け取り巨額の利益を得ていた。(P383-P384)

 一九四六年二月一〇日、宮崎県児湯郡高鍋町のT・Kと名のる人物が法務部に手紙をよこした。その手紙は、山口県萩市の何人かの人間は中国新京の孟家屯の実験所で連合国の捕虜を人間モルモットとして使った責任者であった、と指摘している。彼は元帝国陸軍の獣医たち、若松有次郎、ヤマシタ・シロウ、保坂ヤスタロウ、それに山口本治の名前をあげていた。〔途中省略〕

 一九四大年六月二六日、福岡の第六海兵隊師団司令部でジョン・エグルッサー中尉がT・Kを尋問し、彼の署名捺印のある言明は、同人の一九四六年六月二七日付のレポートとして提出されている。Kは日本陸軍におり、満州に駐留したことがあり、一九四三年に軍務を離れ関東軍獣医部の軍属となった、ことを明らかにした。

 彼は、実験のため人間に鼻疽を感染させ、解剖しているといううわさを聞いた、と述べた。しかし彼はこれら実験が捕虜に対して行なわれたのか、それとも中国人苦力に対してなのか記憶がなかった。

 彼はさらにハルビンの石井部隊でもこの病気についての研究を行なっており、同様のことがあったのではないか、と述べている。Kはその部隊で行なわれていた実験は秘密であり、どの程度のことが行なわれていたのかよく知らない、と述べた。

〔途中省略〕

 一九四六年八月二三日、長野県東筑摩郡に住むというT・NからSCAPの民間情報教育局〔CIE〕に手紙が届き、それは一九四六年一〇月一四日付のL・H・バーナード少佐のレポートに収められている。手紙は次の通りである。

戦争犯罪人を通告す

陸軍獣医少佐 山口本治 宮崎県柴田郡村田町
陸軍獣医少将若松有次郎 山口県大津郡萩市(ママ)
陸軍獣医中佐保坂 不詳

 右の者満州新京第一〇〇部隊野外解剖場に於て連合国の捕虜多数を獣疫の実験に供し、解剖せり

 実験に関係する者尚ほ多数あるも右の者調査せば判明す。

 右実験に関しては多数の証人あり。

 昭和二十一年八月二十三日(P384)

通告者T・N
連合国民間情報部長殿(ママ)


 一九四六年一〇月四日、京都市吉田町に住むというH・Uからマッカーサー将軍あてに手紙がきた。〔途中省略〕

 Uは先の戦争時に、軍医の石井四郎中将はハルビン郊外に巨大な人体実験所を設立した、と主張している。石井は秘匿名加茂部隊の指揮官で、多数の連合国の捕虜に対して残虐な実験を行なっていた、と言われていた。Uによれば、彼が実験所と彼の活動の証拠を破壊したことは秘密ではなかったという。Uはさらに、石井は自分の名が戦犯リストに載ることは避けられないと考え、自分の行為の責任を免れるため賄賂を贈った、と主張している。

 一九四六年九月三日付の差出人不明の手紙をSCAP民間情報教育局は受け取った。福島県郡山市という住所しか書かれていなかった。〔途中省略〕手紙は次の通りである。



石井四郎軍医中将に関する投書

 勝ち抜く為だと長い間軍隊生活を強要せられ着のみ着のまゝで復員してみれば昨日に変る社会の冷酷の扱ひ家業は失はれ、然も昨今のインフレと就職難、資金を借りたくとも借す(ママ)人とてなく十余名の家族を抱へての生活苦……これが生命をさゝげて国家に奉仕して来た私たちに与へられた報酬の全部でした。

 終戦一ケ年凡ゆる努力を傾注して来ましたが私たち一家の経済は愈々窮迫するばかり……此の儘の状態で推移せんか、生活の破綻はもう直き訪れるでせう。

 私は次第に生きる希望を失ひかけて参りました。

 私は時折死の幻影にとりつかれます。

 何か刺戟があったら或はそれに突進するでせう。

 かうした生活に陥入れたのは無謀な戦争を敢てした軍国主義者に外なりません。

 日本は今民主的平和国家として生れ変らうとしてゐます。ほんとうに平和国家となる為には軍国主義信奉者は完全に払拭せられなければなりません。然し終戦後の各内閣は極力之が隠蔽と保護に力を傾けてゐるのです。

 その一例は既に召喚命令の出た石井軍医中将の如きそれで有ます。過日の新聞には満州よりの一帰還者の談と押して彼は満州で銃殺されたと書いてゐました。それは如何に虚偽に終始してゐるものであるか私はよく知つてゐるのです。(P385-P386)

 それは政府の指令に依る宣伝以外の何物でも有ません。

 彼は有名な軍国主義者でした。典型的国家主義崇拝者でした。そして又人道の敵でも有ました。それが故に彼は関東軍防疫給水部なるものを創設したのでした。彼は此処で何をやつたかそして何を計画してゐたか。

 私は彼の部隊に過古(ママ)に於て勤務した事があったのでよく知つてゐるのです。

 石井四郎中将の召喚に依つてその内容は白日下に暴露されることは国家主義者共の如何に虞れることか。それが故に事実を隠蔽秘匿してゐるのです。

 彼の召喚はA級戦犯者に真に不利な事実を提供致しませう。更に皇族の一員にさへも累系を及ぼすものなのです。

 それが故に終戦後、内閣就中、外務及陸軍大臣、終戦連絡事務局並に復員庁は殊更に事実を闇にほうむらうとしてゐるのです。

 悪徳に充ちた彼等を擁護し反面何等の罪のない私たちが犠牲にならねばならない。こんな不合理な事は有ません。

 彼の悪虐無道の行為を揚決(ママ)し広く輿論に訴へ彼と共に計画し或は関聯した者たちの罪悪は公正な神の裁きを受けしむることこそ其の平和国家建設の上から其の前提とならねばなりません。

 私は石井のこと、彼の長たりし部隊の内容と世期(ママ)の惨虐行為の数々、構成分子等一切の秘密を知つてゐます。

 更に終戦後如何になつたか……これも調査次第で判明致しませう。

 若し御希望なれば私は本件調査の為為し得る限りの御援助御協力をしたいと思つて居ります。

 私に若干の時と調査費用を御恵与下さるならば必ず御期待に副ひ得る確信を有します。

 詳細に亘つては御面談致し度存じます。若し幸ひに調査の大役お命じ下さるならば本書到着三日以内に日本経済新聞紙上に裏面の如き出頭広告御掲示方御願ひ申上げます。

以上(P386)

(出頭命令)
石井志郎(ママ) 昭和二十一年 月 日
時当課ニ出頭スべシ
聯合軍総司令部情報課



 この手紙の差出人の要求、『日本経済新聞』を通じての接触は行なえなかった。たとえ接触が必要であっても、期日までに翻訳がまにあわなかったためだった。

 この情報は、中国の関東軍の実験所における石井将軍と彼の仲間の行為について多くの告発が指摘する情報の一種であった。告発の要点は、実験のために捕虜に鼻疽を感染させた、ということである。

 一九四六年一二月三日、ジョン・C・ドーネルは若松有次郎前少将の尋問レポートを提出した。

 それによれば若松は、研究において捕虜、中国人あるいは日本人であれ、とにかく人間にどんな種類の注射もしたことはなく、また病気の研究のために人間を解剖したことはなかった、と述べている。彼は関東軍獣医部では、多数の満州人が病気の動物の群れから鼻疽に感染し死亡していたことは常識であった、と述べている。

 彼は研究所の所員(日本人)が研究中誤ってこの病気に感染し死亡した、と言っている。一人は奉天で研究していてであり、もう一人は新京でであった。若松は二人を解剖しなかったし検視もしなかったと主張しているが、彼らの名前、病気の期間、あるいは彼らの症状の詳細についてなにひとつ覚えていない、と言っている。

 若松はまた石井部隊で行なわれていた研究は知らないと述べ、両部隊間での研究報告書の交換はなかったと主張している。さらに彼は受け取った研究報告はすべて上級の司令部に送付したと述べている。

 一九四七年一月二四日、法務部仙台事務所員、E・H・パウエル大尉が元関東軍獣医部の獣医T・Nにインタヴューした。Nはインタヴューで、自分は不法な実験に加わったことはないが、獣医部の第二班が人間についての研究と実験を行なっていた、と述べている。さらに彼は山口本治が第二班の責任者であったが、のちに保坂ヤスタロウ元中佐に交替した、とも述べている。

 また彼は、T・Kはこれら残虐行為を実際に目撃しており、オオウチ・マモルという人物がそうした実験の写真をみている、と述べている。さらにNは、第二班で注射を受けた人の大部分が死亡し、死後死体は死因を判定するために解剖された、と聞いたと述べている。(P387-P388)

 第二班に関係していた人物としてNがあげた名前は次の通りである。
〔途中−人名−省略〕

 一九四七年一月二四日、内藤良一を尋問した。彼は元中佐で、東京の陸軍軍医学校に勤務していた軍医である。彼にはハルビンの石井の研究と連携して軍医学校で行なわれていた研究について尋問した。

 内藤は、石井は濾水という防御的な研究を隠れみのにして、細菌戦の実験を行なっていた、と述べている。石井は一九三二年に何度かハルビンに行き、細菌戦の研究を発足させた。さらに内藤は、細菌戦の考えは石井だけのものであり、彼は一九三〇年にヨーロッパ旅行から帰国して以後、このプロジェクトのための資金獲得の努力を始めた、と述べている。

 内藤はまた次のように述べている。すなわち日本の細菌学者はみな石井となんらかのつながりがあり、彼らのあいだではハルビンの施設で人間が実験に使われていたことは広く知られていたことであった

 また石井は実験中はトーゴー・ハジメという偽名を用いていたが、これはその研究所での仕事中は石井の部下全員がやっていたことでもあった。

 その研究所に所属していた人のリストが内藤から得られた。そのうち重要と思われる人物を次に列記する。
〔途中−人名−省略〕

 次の八部門があった。(一)、研究(科学)、(二)、細菌の研究(攻撃)、(三)、血清の製造(防御)、(四)、給水の研究、(五)庶務、(六)、教育、(七)、診療部、それに(八)、補給。
〔途中省略〕

 一九四七年三月六日、法務部福岡事務所員ジョセフ・サルティアノ大尉が、関東軍獣医部で行なわれていたと言われている実験についてT・Kを尋問した。Kの名前はT・Nが、一九四七年一月二四日付の調査レポートにあるE・H・パウエル大尉とのインタヴューであげたものであるが、それによればKは実験を目撃していた、ということである。

 しかしKは実験を目撃したことも参加したことも否定したが、次のように述べた。すなわち、第二班の指導の下で行なわれていた実験の結果、死者一三人をだしたのは若松将軍の責任であると聞いたことがある。さらにKは若松はその実験に参加していた、と述べている。(P388)
〔途中省略〕

 一九四七年三月一三日、元関東軍防疫給水部の総務部長増田知貞を尋問した。その尋問は一九四七年三月一七日付のN・R・スミス中尉のレポートとして提出されている。

 石井が細菌戦の実験のために動かしていた秘密研究所の場所と現実性が確認された。増田は、研究所はハルビンから約三二キロの平房にあった、と述べている。彼はまた実験が太田澄碇常重それに石井によって行なわれ、実験は細菌爆弾についてであったことを知っている、と述べている。
〔途中省略〕

 当部はこれまで、捕虜に対して実験を行なった日本の病院とハルビンの石井部隊および新京の関東軍獣医部とのつながりを確かめようとあらゆる努力をしている。現在までに当部は、東京およびその近郊の病院九箇所で捕虜に対して実験が行なわれていたことを告げる手紙を、いろいろのところから受け取っている。

 当部が注目したのは、北日本の一機関、すなわち新潟医専の有山という名の医者が行なった人工血液についての実験である。それは西部軍司令部の病気の捕虜に対する実験とはまったく違った経過をたどった。

 捕虜に対して実験を行なったと告発されたのは品川陸軍病院、相模原陸軍病院、それに東京第二陸軍病院であった。東京にある伝染病研究所および陸軍軍医学校は、石井に動員されたため、石井部隊に協力して研究を行なっていたことは明確に立証されている。これら各機関は次のような事件番号の下で調査されている―

相模原陸軍病院 番号二九〇
品川陸軍病院 番号一八七三
東京第二陸軍病院 番号三八五
伝染病研究所 番号一一一七
軍医学校 番号三三〇(石井との関連)
杭州病院 番号一三八七
西部軍司令部 番号四二〇
有山登(新潟医専) 番号九九七
九州帝大 番号六〇四

 これら病院ないしは研究所で上級司令部からのそうした実験および研究の命令にもとづいて、病気の捕虜に対してなんらかの研究が行なわれていたことは明白だが、現在までこれら命令の出所は確認していない。(P389)

 本レポートはこれまでの調査を概観しており、またそれによって法務部が連合国の人間に対する不法な実験および残虐行為を行なった罪のある人物を調べ、彼らを戦犯とすべく努め、裁判にかけるように努力していることがわかるようになっている。

 証人や民間検閲部〔CCD〕の押収物や最高司令官あてに送られた手紙で名ざしされた被疑者の証言から、ペスト、鼻疽、それに炭疽についての研究が、関東軍防疫給水部および同獣医部の両所で行なわれ、その目的は戦略的な細菌戦を始めるための大きな計画の一部分であったことは明白である。

 本調査は細菌戦の実験を行なっていた人物が対象であるため、SCAP、GHQ、G−兇亘椒侫.ぅ襪髻嵌襦廚忙慊蠅靴覆すよう命じている。
〔以下省略〕

〔R・G三一九〕(P390)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

88

日付−一九四七年四月一八日
連合国軍総司令部、法務部、調査課
事件番号−三三〇
報告者−N・R・スミス中尉、歩兵
表題−山口本指
事実の概要−今後の尋問は連合国軍翻訳尋問部〔ATIS〕尋問センターの指示の下で法務部東京事務所が行なう。本事件は秘密に指定された。
参考資料−一九四七年四月四日付のN・R・スミス中尉のレポート

詳 細

 東京にて−一九四七年四月一八日、法務部は次のような一九四七年四月一七日付の照会票をG‐兇ら受け取った。表題−法務部、調査課、事件番号三三〇。

一、一九四七年四月四日付の連合国軍総司令部、法務部、調査課レポート、事件番号三三〇、主題「山口本治」について。このレポートには秘密に指定されている情報が含まれている。

二、次のことに注意されたい―

a、一九四六年七月二四日の陸軍省電報WX九五一四七、主題「……情報源の開拓における国際協力におけるアメリカの政策……」のとくに第三節Eおよび第五節を参照。(電報の写しは一九四七年三月一二日付の照会票として法務部に送付した。)

b、一九四七年三月五日のSWNCC三五一/一。(写しは一九四七年四月一七日にキング少佐に送付した。)

三、本調査は統合参謀本部の直接指揮下で行なわれるべきもので、G−兇了愆の下で行なわれる。各措置、尋問あるいは接触は当部と共同で行なわれなければならない。アメリカの利益を守り、困難を未然に防ぐために最大限の秘密保持が不可欠である。

四、次のように要求する−

a、本件についての訴追あるいはなんらかの刊行物の発表といった活動は、G−兇瞭碓佞覆靴帽圓覆錣覆い海函(P391-P392)

b、前記レポートおよび告発の手紙を秘密に指定し、本件にかかわったアメリカ側の全要員にこのことを周知すること。

c、新しく得られた情報はG−兇膨鷭个垢襪海函

d、さらに文書あるいは写真の入手に努めること。

e、今後の尋問は連合国軍翻訳尋問部の尋問センターの指示の下で行なうこと。

*****

 前記照会票の第四節eにかんがみ、今後の尋問は連合国軍翻訳尋問部の尋問センターの指示の下で法務部東京事務所で行ない、これまで各地の事務所に調査課題としてだしていた課題はすべて撤回される。
〔以下省略〕
〔R・G一五三〕(P392)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

89

主題−尋問要求
発信−連合国軍総司令部、国際検察局
あて先−G−
日付−一九四七年一月九日

注一、マッカイル中佐が話し合った結果、ソ連側の国際検察局から調査部を通じてG−兇法同封の覚え書が送付された。覚え書についての説明は不要である。覚え書に対する適切な措置について当部に対して助言を求める。

同封書類一通(極東国際軍事裁判、ソ連よりの覚え書)。


覚え書

あて先−ウィロビー少将、G-局長、連合国軍総司令部
経由−国際検察局調査部
発信人−ヴァシリエフ少将、極東国際軍事裁判所ソ連次席検察官

 国際検察局のソ連代表部には、関東軍が細菌戦の準備をしていたことを示す材料がある

 これら材料を証拠として軍事裁判所にだすには、関東軍防疫給水部すなわち満州第七三一部隊でかつて活動していた人物について数多くの補充的尋問が必要である。(P392-P393)

 それら人物は、

一、石井軍医少将、防疫給水部第七三一部隊長
二、菊池斉大佐、防疫給水部第七三一部隊第一部長
三、太田大佐、防疫給水部第七三一部隊第四部長(かつて第二部長を務めていた)

 これらの人物は彼らが戦争に細菌を使用する目的で細菌の研究を行なっていたこと、またこれら実験の結果として多くの人びとを殺していることについて証言することとなる。

 この調査が完了し、材料が裁判所に提出される前に、本調査に関する情報が拡散することのないよう予備的な措置を講じるのは妥当なことと信じる。すなわちこれら証人から、この調査についてだれにも言わないという約束をとりつけ、予備尋問は陸軍省の建物内では行なわない、ということだ。

 前述のことに関連して、一九四七年一月一三日に前述の人物の尋問ができるよう国際検察局を通じて助力していただきたくお願いする。尋問はとくにこの目的のために用意された場所で、本調査について口外しないという約束をとりつけたうえで行なわれる。

 このほかに当方は貴下に対し、国際検察局のソ連代表部に防疫給水部第七三一部隊元第二部長村上隆中佐、および同部隊元総務部長中留金蔵の所在について文書で知らせるよう要求する。これら文書は彼らを裁判にかけるために必要である。

ヴァシリエフ少将
極東国際軍事裁判所ソ連次席検察官
〔R・G三三一〕

(1)以下の資料でC・A・Wとあるのはウイロビーのサインである。(P393)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

90

極東軍総司令部
参謀部、情報局

一九四七年一月一七日

主題−日本の細菌戦実験(P393)
あて先−極東軍、G−胸暇塗長

一、以下に報告する言明は東京のソ連検察局のメンバー、ソ連軍のスミルノフ大佐から得られたものである。本情報は陸軍省情報局の日本部から陸軍省に生物戦の補遺レポートとして送付するよう勧告する。

二、前記主題についてのソ連の関心がG-兇肪里蕕気譴燭里蓮一九四七年一月七日国際検察局のワルドーフ氏が、ソ連から生物戦についての尋問のため日本人の引き渡しを求められている、と述べたときである。G−兇ら国際検察局に、ソ連に対して要求の理由を覚え書として提出させるよう指示した。その結果が添付の覚え書(同封書類一)である。

 そのときソ連に、マッカイル中佐がこの間題について彼らと会談する用意がある、と告げ、会合は一九四七年一月一五日九時から東京の陸軍省で行なうことになった。

三、出席者は以下の通りである。
   R・P・マッカイル中佐 極東軍、G−
   O・后Ε吋蕁湿佐 化学戦将校
   A・I・ヤグロツキー 極東軍、G−供通訳
   D・L・ワルドーフ 連合国軍総司令部、国際検察局
   レオン・N・スミルノフ大佐 ソ連軍将校
   ニコライ・A・バゼンコ少佐 ソ連軍将校
   アレックス・N・クニフ ソ連通訳

四、マッカイル中佐はスミルノフ大佐に、ソ連がこの問題で尋問を必要とすることになった材料あるいは情報の説明を求めた。スミルノフ大佐はクニフ氏を通じて次のように述べた。

終戦からまもなく満州第七三一部隊第四部の川島将軍と彼の補佐役柄沢少佐を尋問した。彼らは次のように証言した。

 すなわち日本軍は細菌戦の大規模な研究を平房の研究所および安達の野外実験場で、満州人や中国人馬賊を実験材料として使って行なっていた。実験の結果、合計二〇〇〇人が死亡した。平房には発疹チフスを媒介するノミを大量生産する装置やコレラ菌や発疹チフスの病原体を大量に培養するベルトコンべヤー・システムが二基あった。ノミは三カ月で四五キログラム生産された。コンべヤー一基で一カ月に、コレラなら一四〇キログラム、発疹チフスなら二〇〇キログラムの病原体を培養した。」(P394)

「発疹チフスを媒介するノミの生産は次のようにして行なわれた。発疹チフスに感染させたネズミを四五〇〇個の特別な缶の中にいれ、ノミに刺させる。しばらくして、缶の中の電燈をつけ、感染したノミをネズミから引き離し、着脱できるノミ容器に追いこむ。ノミを大量に集める。ネズミを刺してから七時間後には、刺したノミは感染している。」

平房では人間は監房にいれられ、研究所で培養される各種培養菌の効力についてのデータを得るため、いろいろなやり方で感染させられた。人間はまた囚人護送車で安達に送られ、杭に縛りつけられ、実戦において細菌を散布するいろいろな方法、主に飛行機からの爆弾投下あるいは噴霧によって細菌を浴びせられた。犠牲者は平房に戻され、観察された
。」

前記情報はソ連にとってあまりにも途方もないことだったので、ソ連の細菌戦専門家が呼ばれた。彼らは再尋問を行ない、平房の廃墟を調べ、この情報を確認した。(平房の施設は日本軍が破壊した。それがどんな具合かについてはっきりさせるため、マッカイル中佐は次のように質問した。問−大佐は『平房の廃嘘』と言われた。それは爆撃によるのか、それとも戦闘の結果か。)」

「平房の施設は日本軍の手によって、証拠隠滅のため完全に破壊された。すべての文書が破棄され、わが方の専門家は廃嘘を写真に撮ろうかと思い悩むこともないほどのひどい破壊状況だった。」

日本軍は満州人や中国人二〇〇〇人を殺すという恐るべき犯罪を行ない、それには石井将軍、菊池大佐、それに太田大佐が関与している。(ソ連側が尋問を望んでいる日本人の名前である。)ノミや細菌の大量生産も非常に重要である。ニュールンベルク裁判でドイツの専門家は、ノミを使って発疹チフスの病原体を蔓延させることは細菌戦の方法として最高のものと考えられる、と証言している。日本はこの技巧を保有しているように思える。

この情報を入手することはソ連にとってだけでなく、アメリカにとっても意味があるだろう。これら三人の日本人の尋問を、戦犯となることは免れないということは言わずに行ない、彼らに尋問について口外しないと誓わせることを要求する
。」

五、会談で得られた情報は、すでにアメリカが知っていること、あるいは、これまでの調査官が疑っていたことと一致する。生産量についての数字は新しいものだ。人体実験は疑ってはいた。平房の施設が文書ともども完全に破壊されたという情報は、これまでに得られた情報と一致している。以下の秘密レポートをみよ。(P395-P396)
a、〔サンダース・レポート〕
b、〔トンプソン・レポート〕

ロバート・P・マッカイル
中佐、歩兵
〔R・G三三一〕(P396)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

91

発信−極東軍最高司令官
あて先−陸軍省参謀本部
番号−C六九九四六
日付−一九四七年二月一〇日

 極東国際軍事裁判所のソ連検察官が元日本軍の石井将軍、菊池大佐、および太田大佐の尋問を要求してきた。三人とも以前満州ハルビン近郊の平房研究所で細菌戦の研究および実験にかかわっていた。要求は身許の確認されていない捕虜たちから得られたという情報にもとづいている。彼らは前記三人が承認しそして実行した実験の結果、中国人と満州人二〇〇〇人が死亡したと述べている。

 ソ連は新たな戦犯裁判をアメリカが承認するであろうという仮定にもとづいて要求をだしているのだが、捕虜たちが彼らに述べたという平房での発疹チフスやコレラの病原体および発疹チフスを媒介するノミの大量生産に関心があることも認めている。

 当地での意見は、まだアメリカが知らない情報をソ連が日本人から入手することはないだろうというものと、尋問に立ち会えば、ソ連の質問のやり方を通じてなにか新しい情報が得られるかもしれない、の二つである。一九四六年七月二四日付のWX九五一四七の三節Eと五節にしたがって、ソ連にこれら尋問を許可するかどうかの決定を求める。(P396)

〔R・G三三一〕(P396)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

92

極東小委員会〔SFE〕一八八
一九四七年二月二六日
国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会

ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問要求

参考資料−a、SWNCC三五一/D
       b、CM−IN一六〇四(二月二二日)

事務局員による覚え書

一、同封書類は作業グループから三省調整委員会に提出されたレポートで、小委員会での討議のために回覧されている。

二、参考資料bを考慮して、統合参謀本部は三省調整委員会に対し、本資料を緊急課題として配慮するよう求めている。

J・B・クレサップ
中佐、アメリカ海軍
事務局員


同封書類

ソ連検察官による何人かの日本人への尋問要求
三省調整委員会極東小委員会のレポート

問題

一、極東国際軍事裁判所のソ連検察官の、以前満州で生物戦研究にたずさわっていた三人の日本人へのインタヴュー要求に関する連合国軍最高司令官の電報C六九九四六に対する回答の作成。

考察

二、アメリカの調査担当者は日本の指導的生物戦専門家、石井中将に一九四六年一月二二日−二九日、東京でインタヴューした。そのインタヴューにもとづけば、ソ連に尋問を許可しても、彼らが生物戦におけるなにか有効な技術情報を得ることはないだろうと信じられる。

 菊池大佐と太田大佐についてはインタヴューをしていないし、情報もない。こちらの監視の下で尋問を許可すれば、ソ連の質問のやり方を通じて、生物戦におけるソ連の知識および研究・準備について手がかりが得られるかもしれない、と考えられる。

三、菊池大佐および太田大佐がもっている生物戦の知識が、ソ連にとって軍事的価値があるかどうかはわからないので、ソ連の尋問の前に、この問題で日本で得られる最も有能なアメリカ人が彼らにインタヴューする必要があると考えられる。

 ソ連のインタヴューに先立って、日本の三人の生物戦専門家に対しこの問題についてのアメリカの調査に言及しないように指示する必要がある。太田と菊池の予備尋問でなんらかの情報がでて、それが非常に重要でソ連に対して公開すべきではないと判断された場合、彼らにそうした情報をソ連に対して明らかにしないよう指示する必要がある

 連合国軍総司令部のスタッフ中に、菊池大佐および太田大佐がもたらすかもしれないそうした生物戦情報の重要性を判断できる能力のある人物がいないと考えるなら、アメリカによる予備尋問調書を航空便で陸軍省に送ることとする。

四、中国に対して日本が行なったとされる行為についてソ連には戦犯訴追の明確な権利はないのだから、尋問の許可はそれにもとづいてではなく、友好国に対する友好的なゼスチャーとして与えられるべきものである。ソ連に対して今回の許可は将来の要求の先例となるものではなく、要求はその都度検討されることを明確にしておく必要がある。

結論

五、以前満州で生物戦の研究にたずさわっていた三人の日本人に対するソ連の尋問要求は、付録の条件の下で許可すべきものと結論する。

勧告

六、以下のように勧告する。

a、三省調整委員会は前記結論を承認するべきである。

b、三省調整委員会の承認後、統合参謀本部は付録のメッセージが軍事的な観点から問題がなければ、連合国軍最高司令官に送付すべきである。(P398)
〔R・G一五三〕

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

一九四七年三月六日
国務・陸軍・海軍三省調整委員会
SWNCC三五一/一についての決定

ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問要求

事務局員による覚え書

 一九四七年三月五日三省調整委員会は非公式会合によって、SWNCC三五一/一を承認した。

H・W・モーズレー
W・A・シュルゲン
后L・ローランス
事務局
〔R・G一五三〕(P399)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

94

一九四七年三月二ー日
発信−ワシントン(統合参謀本部)
あて先−極東軍最高司令官(マッカーサー)
番号−W九四四四六

 以下は貴下の電報C六九九四六に対する回答として、国務・陸軍・海軍三省調整委員会から受け取ったものである。メッセージは二部からなっている。

 第一部。以下の条件付で許可された。SCAPの主導権の下でソ連による生物戦についての石井将軍、菊池大佐および太田大佐に対する尋問は行なわれるものとする。(P399-P400)

a、菊池大佐および太田大佐をその能力のあるアメリカ人がインタヴューすること。貴下の同意が得られれば、陸軍省は尋問とそれに続くソ連の尋問を監視するための特別訓練を受けた人物を急派する用意がある。

b、予備尋問で十分に重要でソ連に対して公開すべきではないと考えられる情報が得られた場合は、菊池および太田にそうした情報をソ連に対して明らかにしないよう指示すること。

c、ソ連のインタヴューに先立って、日本の生物戦専門家に対し、この問題についてのアメリカの調査に言及しないよう指示する必要がある。

 第二部。中国に対して日本が行なったとされる行為についてソ連には戦犯訴追の明確な権利はなく、尋問の許可はそれにもとづいてではなく、友好国に対する友好的なゼスチャーとして与えられるべきものである。ソ連に対して今回の尋問許可は将来の要求の先例となるものではなく、要求はその都度検討されることを明確にしておく必要がある。

サインなし
〔R・G三三一〕(P400)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

95

連合国軍総司令部

主題−極東軍内での生物戦専門家の手配
発信−G-
あて先−軍医部、化学戦将校、経済局、薬剤部、G-機国際検察局〔IPS〕
日付−一九四七年三月二五日

一、第二次世界大戦中およびそれ以前、細菌戦にかかわっていた何人かの旧日本軍将校を、新しく得られた情報にもとづいて近く再尋問の予定である。

二、陸軍省は特別訓練を受けた専門家の派遣を提案している。しかし本戦線にそうした専門家がいれば、その協力を得るのが望ましい。

三、特別訓練を受けた陸軍省の人間の受け入れが望ましいということであれば、上記の各部門のあとに各自のイニシャルを記してほしい。(P400-P401)

四、専門家が得られるなら、そのむね本チェック・シ−トの下に書いてもらいたい。

担当べチューン
C・A・W
〔R・G三三一〕(P401)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

96

極東軍総司令部
APO五〇〇
一九四七年三月二七日

記録のためのメモ

主題−ソ連による日本の細菌戦専門家の尋問と逮捕の要求

受取人- 参謀長

一、一九四七年一月七日、国際検察局〔IPS〕は、G−胸暇塗長に対して電話で、極東国際軍事裁判所のソ連代表部が旧日本軍の細菌戦部隊の将校の尋問許可を求めている、と伝えてきた。国際検察局はソ連に要求を文書にして提出するよう求めた。

 文書による要求はG-胸暇塗長あてにソ連の次席検察官A・ヴァシリエフのサインのある覚え書として国際検察局紹介状として一九四七年一月九日に送られてきた〔資料89〕。ソ連側との会談は一月一五日に行なわれ、このとき彼らはこの問題の情報面に興味を示した〔資料90〕。

二、ソ連からの文書による要求は参謀長あての記録用覚え書とし、一九四七年二月八日参謀副長の承認を受けて、二月一〇日、電報C六九九四六として送った。こうした問題は統合参謀本部の決定を仰ぐ必要がある。

三、ソ連に対して、要求は検討中であると国際検察局を通じて口頭で答えただけで、はっきりした回答はしていない。ソ連は執拗にほとんど毎日問い合わせをしてきたので、大変不愉快で、一九四七年二月二一日に簡単な問い合わせ電報を送った。

四、一九四七年二月二七日、ソ連のヴァシリエフ将軍はそのサインのはいった文書でG−胸暇塗長との会見を申し入れてきた。その中でソ連が求めているのは戦争犯罪人の証拠だけであり、ソ連側の証拠書類をアメリカが欲しければ渡してもよい、と述べていた。(P401-P402)

 彼は必要ならソ連の専門家をつれてきて手伝わせてもよい、と表明していた。ソ連の将軍は、決定がおりたら国際検察局を通じて伝えてほしいと要請した。一九四七年二月二八日、電報C五〇四七四が陸軍省に送られた。

五、一九四七年三月一日、陸軍省から電報が到着した。それは「貴下のC六九九四六は国務省、陸軍省それに海軍省で目下検討中である。決定は一九四七年三月五日ごろ通知されよう」と述べていた。

六、一九四七年三月七日対日理事会のソ連側委員ドレヴヤンコ将軍は一通の覚え書を提出した。この覚え書の内容は次の通りである。

a、法務部が戦犯の疑いありとしている日本人の何人かはソ連の戦犯である。

b、ソ連は法務部による日本人の告訴を要求する

c、ソ連はアメリカに、二人の日本人をソ連が戦犯として裁くため引き渡すよう要求する。この二人は一九四七年一月にソ連の次席検察官が覚え書で述べた人物のうちの二人である。

d、アメリカが尋問したい日本人とソ連がそうしたい者とは互いにつながりがあるようだ。

七、陸軍省の決定がおりず、ソ連に対して回答ができなかった。陸軍省の返事が遅いので、一九四七年三月一九日、電報C五一〇〇八を送った。

八、一九四七年三月二七日、陸軍省電報W九四四四六(基本電報)が、先の電報の要請(前記二)に対する決定とするべく陸軍省から統合参謀本部に提出された。それは次のような内容だった。

a、SCAPの管理下でのソ連の尋問は許可する。

b、陸軍省は調査のため適当な人物を派遣する用意がある。

c.予備尋問において日本人が重要な情報をもたらした場合、それをソ連側に述べてはならない、と言い渡すべきである。

d、ソ連に対して尋問はアメリカの好意によって行なわれるものであり、戦犯に対するものではなく、これは先例とはしないと告げる必要がある。(P402)

九、ソ連が細菌戦の情報的側面へのその関心を隠すために、中国人や満州人に対する細菌の使用を言い立てるふりをしていることは明白である。ソ連が保有していると述べる証拠は多分重要なものであり、したがって情報という観点からはソ連との共同作業は望ましいものと考えられる。

一〇、G−胸暇塗長は基本電報に同意しており、当地で得られない適当な人物二名を陸軍省代表として送るよう要求する〔資料95〕。ソ連がいつかみずからの要求を撤回する可能性もあるが、いつとは予測できない。

一一、G−胸暇塗長は対日理事会のソ連側委員に、理事会はアメリカが尋問したい日本人と、細菌戦にかかわった日本人とは分離するであろう、と回答するよう提案する。この計画は国際検察局の通常のルートを通じて国際軍事裁判所のソ連の次席検察官とつめることになる。対応は基本電報の第二部にもとづいてなされるであろう。

一二、ソ連の次席検察官への回答は国際検察局を通じ、基本電報の第二部にもとづいて行なわれようが、陸軍省の代表者が来日する前にソ連側の証拠に近づくよう試みる。

一三、以下の承認を要請する。
a、陸軍省への電報。
b、対日理事会のソ連側委員への回答書。
C、国際検察局を通じてのソ連次席検察官への回答。

C・A・W
〔R・G三三一〕

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

97

連合国軍総司令部
APO五〇〇
一九四七年三月二七日

参謀長への要約報告

一、本文書はソ連による旧日本軍の細菌戦専門家の引き渡し要求に関してのものだ。

二、アメリカは優先権をもっており、その人物の尋問はすでに行ない、彼のもたらした情報は米軍化学戦部隊中の手にあり、最高秘密〔トップ・シークレット〕となっている。(P403-P404)

三、ソ連はこの人物の確保を何度か試みている。我われがかくまってきた。ソ連は日本人専門家が戦犯であると主張し、自分の主張を通そうとしている。

四、統合参謀本部の指示は、訴追はさせず、連合国軍総司令部の監督下で尋問をさせよ、それは極東軍にいない専門家の助けがいるかもしれない、である。

五、覚え書は次の通り進言する。

a、陸軍省に専門家二人を送るよう電報を打つ。
b、ソ連に対し日本人専門家の引き渡しを拒否する手紙をだす。
e、統合参謀本部が承認した尋問へ向けて動くよう国際検察局に照会状をだす。

C・A・W
〔R・G三三一〕(P404)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

98

一九四七年四月一日
発信-陸軍省、ワシントン
あて先−極東軍最高司令官
番号−W九五二六五
 一九四七年三月二九日のC五一三一〇について。ノーバート・H・フェル博士を尋問を行なう人物として化学戦部隊〔CWS〕は選んだ。尋問者は一人で十分と考えられる。貴下がとくに二人の必要性を示せば別だが。フェル博士は、四月五日にワシントンを出発する予定である。

サインなし
〔R・G三三一〕(P404)

(1)化学戦部隊の人間ではあるが、サンダースやトンプソンとは違って、キャンプ・デトリックの人間ではなかったようである。肩書も博士であり、中佐その他の階級を示すそれではない。(P404)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

99

APO五〇〇
一九四七年四月一〇日

高級副官部〔AG〕〇〇〇・五(ソ連)
覚え書、あて先−K・ドレヴヤンコ中将、対日理事会、ソ連代表委員

主題−覚え書一〇八七、一九四七年三月七日

一、〔省略〕

二、貴下の覚え書一〇八七の第三節について。日本の石井元将軍および太田大佐をソ連に引き渡すことはできない。というのは中国あるいは満州において日本が行なったとされる行為について、ソ連には戦犯訴追の明確な権利がないように思えるからである。

三、貴下が第三節で言及している人物についてはすでに連合国軍総司令部の国際検察局とも連絡をとり、極東国際軍事裁判所のソ連の次席検察官と協力しての尋問を考慮中である。しかし共同尋問は戦犯調査ではないし、また今回の尋問許可は将来の要求の先例となるものではないことに留意すべきである。

最高司令官に代わって
ジョン・B・クーレイ
大佐、高級副官部
高級副官
〔R・G三三一〕(P405)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

100

一九四七年五月六日
発信−極東軍最高司令官、東京、日本
あて先−陸軍省
アルデン・ウェット少将
番号- C五二四二三
一九四七年五月六日

 統合参謀本部〔1CS〕電報W九四四四六、SWNCC三五一/一、および軍事航空便による一九四七年四月二九日および五月三日付のフェル博士の手紙について。(P406)

 本電報は五部から成っている。

 第一部 当地の日本人から得られた言明はソ連の捕虜、川島および柄沢の尋問調書の言明を確認している。ソ連はアメリカに尋問調書の写しを渡している。

 第二部 人体実験は三人の日本人が知っており、それについて述べた。また石井はそれを暗黙裡に認めた。中国に対する実戦試験は少なくとも二回は行なわれた。信頼できる情報源である増田についての調査報告では、一九四五年八月に平房では乾燥した炭疽菌四〇〇キログラムを破棄したという。植物に対する生物戦の研究は行なわれていた。

 石井がしぶしぶ述べているところからすると、上官(多分参謀本部員)は生物戦の計画を知っており、かつ承認していた。石井は文書によって戦犯免責が彼自身、上官および部下に与えられるなら、計画を詳しく述べることができると言っている

 石井は理論的に高い水準の広い範囲にわたる知識をもっていると主張している。その中には極東という地理的条件に最適な生物兵器用病原体についてのいくつかの研究にもとづく、生物戦の防御および攻撃の両面での戦略的および戦術的使用法があるし、またさらには寒冷地での生物戦の方法があるという。

 第三部A これまでに得られた言明は、説得、日本人のソ連に対する恐怖心の利用、それにアメリカに協力したいという日本人の希望によるものである。人体実験の結果について、および穀物を全滅させるための研究についての生物戦上重要な技術情報の大部分を含むデータの多くは、こうしたやり方で、「戦犯」裁判とは関係ないと考えた下級隊員から入手可能である。

    B 石井のいくつかの言明も含め、これ以上のデータを入手するには、当該の日本人に情報は情報チャンネル内に留め置かれ、「戦犯」の証拠とはしないと知らせる必要があるだろう

    C石井や陸軍上層部の計画や理論も含めた全容は石井や彼の協力者に文書による免責を与えれば入手可能であろう。また石井は彼のかつての部下の完全な協力をとりつけるうえで役に立つ。

 第四部 前記の影響力のある人はだれも、貴下の電報W九四四四六の条件下で短時間行なわれたソ連との合同尋問にはでていない。

 第五部 前記第三部Bの方法の採用は極東軍最高司令官の勧めによる。早急な返事を求む。(P406-P407)

承認C・S・マイヤーズ
大佐、参謀本部
G−供高級将校
〔R・G三三一〕(P407)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

101

一九四七年五月六日

記録用覚え書

一、陸軍省電報W九四四四六およびSWNCC三五一/一は、生物戦について何人かの日本人をソ連といっしょに尋問することを承認しているが、それは「戦犯」容疑によるものではない。生物戦について後記のような種類の情報は統合参謀本部の指示に沿ったものであり、陸軍省への照会を必要とする。

二、ソ連の関心はかつて生物戦に関係していた二人の日本人捕虜の尋問に端を発している。尋問調書の写しをアメリカは受け取った予備的尋問の結果、ソ連の尋問の正当性が確認され、次のような日本軍の活動が明らかとなった。

a、人体実験
b、中国に対する実戦試験
c、大規模な計画
d、穀物を全滅させる生物戦の研究
e、日本軍の参謀本部がこの計画を知っていてそして承認していた可能性
f、細菌の戦略的および戦術的使用の考えとそのための研究

三、前記の各項目の細かなデータはアメリカにとって大きな価値のある情報である。陸軍省から派遣されたフェル博士は、この新証拠はアメリカの知らないことだった、と述べている

四、数人の下級隊員が必要な細菌戦の技術データの大部分を集める作業に目下従事している。これまで高級隊員の情報からうかがわれるようなもの以外は得られていない。

五、現在までに得られた情報は、説得と、日本人のソ連に対する恐怖心の利用と、それにアメリカに協力したいという日本人の希望によるものである。(P407-P408)

六、生物戦の理論的、戦略的および戦術的使用についてのいくつかの物的なものも含めて、これ以上の情報の入手は、日本人に情報は情報チャンネル内に留め置かれ、「戦犯」の証拠とはしないと知らせれば、可能となろう

七、当該の高級幹部に文書による「戦犯」免責を与えれば、石井将軍の下での二〇年間にわたる経験を手にいれることになろう。また彼はそうすれば以前の部下たちの完全な協力を保障し、参謀本部とのつながりを明らかにし、そして戦術的および戦略的情報を提供することができる。

八、第六節で述べた方法は、公表を防ぐ一番の方法であり、価値ある情報を安全に守るであろう。この方法は指示電報で勧告されている。
〔R・G三三一〕(P408)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

102

SWNCC三五一/二/D
一九四七年五月一三日
国務・陸軍・海軍三省調整委員会

指示

ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問
参考資料−a、SWNCC三五一/D
       b、SWNCC三五一/一

事務局員による覚え書

 同封書類は極東軍最高司令官から統合参謀本部に送られた返事を求めるメッセージであるが、三省調整委員会に付託するので、極東軍への返事の草稿を準備してもらいたい。

H・W・モーズレー
W・A・シュルゲン
后L・ローランス
事務局
〔R・G一五三〕(P408)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

103

一九四七年五月一四日

発信−陸軍省(化学戦部隊)
あて先−極東軍最高司令官(G-供法化学戦主任将校フェル
番号−W九八〇九七
 電報C五二四二三および五月六日のテレタイプについて。本電報は一七の部から成っている。

第一部−以下の質問はノーマン博士によってフェル博士が尋問に使用するため準備された

第二部−穀物について日本のグループは主にどんな穀物を考えていたか。

第三部−どんな植物の病気、病原体あるいは昆虫を研究していたか。

第四部−穀物に対する謀略的攻撃あるいは飛行機からの病原体の直接散布を考えていたか。

第五部−研究はどこでやっていたか。研究所にはどんな設備があったか。

第六部−中心になっていた専門家はどんな人たちで、またその地位は。

第七部−野外試験はやったか。それは小規模なものか大規模なものか。実験場は隔離されたところか、それとも島か。

第八部−穀物への病原体散布のやり方はどんなものが考えられていたか。試験管培養基を投下するのか、それとも飛行機からの爆弾投下あるいは噴霧か。後者のいずれかであるなら、どんな装置を開発していたのか。

第九部−防御手段に注意を払ったか。たとえばあらかじめ処置ずみの穀物に噴霧するといったことはしたか。

第一〇部−油、毒ガス、毒物あるいは除草剤といった化学物質の穀物に対する影響について実験をしたか。

第一一部−焼夷弾ないしは噴霧あるいはその他の手段で穀物あるいは野菜を焼く実験はやったか。

第一二部−生物戦研究施設の近くに菜園あるいは農場はあったか。それらは他の農場から隔離されていたか。どんな穀物を栽培していたか。

第一三部−その農場で働いている人、すなわち植物に噴霧あるいは散布している人をみたことがあるか。穀物が枯れたり変色したことがあるか。その上空を飛行機が低空飛行をしなかったか。(P409-P410)

第一四部−これらの農場の穀物あるいは野菜を、動物あるいは人間に食べさせたかどうか知っているか。

第一五部−生物戦研究施設の専門家の中に、農学者、植物病理学者、植物学者、穀物栽培家、あるいは昆虫学者はいたか。彼らはどんな研究をやっていたか。

第一六部−日本は戦前化学的な除草剤を使用していたか。使っていたなら、どんな物質であったか。それらは戦争中手にはいったか。

第一七部−どんな穀物の病気を知っているか、あるいは識別できるか。これらのどれかが生物戦研究施設の近くで深刻な被害をもたらすことはあるか。

サインなし

担当−G-
追加配布先−最高司令官、参謀長
〔R・G三三八〕

(1)この電報はその後のアメリカ軍によるヴェトナムでの枯葉剤の使用を思い起こさせる。(P410)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

104

発信−極東軍最高司令官、東京、日本(カーペンター、SCAP、法務部)
あて先−陸軍省、戦犯部
番号−C五三一六九

一九四七年六月七日

 一九四七年六月三日付W九九二七七について。

一、石井および彼の部下についての法務部のレポートおよびファイルは匿名の手紙、伝聞による陳述およびうわさにもとづいたものである。中国において生物戦プロジェクトにかかわった多数の人物についての現在までの法務部の調査は、戦犯訴追に十分な証拠を固めるにいたっていない。未確認の申し立てとしては囚人、農夫、婦人それに子どもが生物戦研究の実験に使われたという話はある。

 日本共産党は「石井細菌戦部隊」が奉天でアメリカ人捕虜について実験を行ない、同様な研究が東京と京都で行なわれていた、と主張している。(P410-P411)

二、石井の部下は一人も戦犯容疑をかけられていないし、ファイルには彼らに対する十分な証拠もない。石井の上官だったと思われる人物は現在極東国際軍事裁判にかけられているが、それは梅津、一九三九年−四四年関東軍司令官、南、一九三四年−三六年関東軍司令官、小磯、一九三二年−三四年関東軍参謀長、東条、一九三七年−三八年関東軍参謀長、らである。

三、現在までわが連合国のどこも石井あるいは彼の協力者に対する戦犯訴追を行なっていない。

四、石井も彼の協力者も新しい裁判の主要な日本人戦犯となることはないだろう

五、この問題は国際検察局の夕べンナーと調整ずみであり、彼は次のように報告している。

A、石井の部下だった川島清少将および柄沢十三夫少佐がソ連に拘束されているのは多分戦犯容疑のためであろう。アメリカは一人も戦犯容疑で訴追も拘束もしていない。前記部下、秦彦三郎中将、関東軍参謀長、それにP・Z・王博士の宣誓供述書が国際検察局のファイルにある。

B、川島の供述書は、部隊には戦争にウィルスを利用するためそれらを研究する秘密の任務があり、実験が行なわれた、と申し立てている。石井は自分の部下に東京の参謀本部の指示でウィルス戦研究の推進をするのだと注意を促した。

C、柄沢の供述書は、石井部隊では最も有効なウィルスや細菌の培養、感染の方法、攻撃手段としての細菌の散布、ウィルスの大量生産、ウイルスの保存、それに防御手段の開発について実験が行なわれていた、と述べている

D、秦の供述書は、石井は参謀本部の指示を受けて新しいウィルスの発見や防御手段の開発のために非常に注意深く部隊を運営していたが、このことは参謀本部に細菌戦を行なう意志があった、ということではない、と述べている。

E、P・Z・王博士の証言は日本の飛行機が小麦を、一九四〇年一〇月二九日に寧波、一九四〇年一〇月四日に衢県、一九四〇年一一月二八日に金華、それに一九四〇年一一月四日に常徳に散布し、それからまもなく各地でペストが発生した、としている。(P411)

F、石井の上官の何人かは現在極東国際軍事裁判所でA級戦犯として裁判を受けており、国際検察局はこの資料の使用を考えていたが、一九四六年一二月未までに、当時得られていた情報にもとづいて、これらは証拠となりえないという決定が伝えられた。

 これら証拠は石井部隊の秘密の行為の告発に不十分であり、法廷は前もって、残虐行為および戦犯についての証拠は、検察局が告発された人物あるいはそのうちの何人かが容疑事実に関係していたことを確信できないかぎり受理しない、と宣言していた。

 ソ連の検察官は告発されている人物の一人あるいは何人かについて、前記の証拠および彼らの独自の調査によって得たであろう別の証拠を反証として、反対尋問をしようとしているようである。
〔R・G一五三〕


(1)資料100のC三二四二三に関連して、もっと「証拠」を送るとともに、国際検察局のアメリカ側の人物と調整するよう求めている。(P412)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

105

一九四七年六月二一日

極東軍最高司令官、東京、日本
番号−W八〇六七一
発信-陸軍省、戦犯部。五月のC五二四二三、六月のC五三一六九、六月のW九九二七七について。
あて先−法務部、カーペンター。

 C五三一六九の第五部Fについての明確でさらに詳細な情報、とくに石井に率いられた日本の生物戦部隊が陸戦法規を実際に侵犯しているという意見を裏づける証拠を、国際検察局が握っているかどうかについて国際検察局の考えを早急に知りたい。

 我われは連合国軍総司令部の法務部に今ある証拠が、石井および彼の部隊を訴追あるいは裁判にかけるようなものでないことに満足している。一九四七年五月六日付のC五二四二三についての最終決定の前に、陸戦法規の下で戦争犯罪と考えられる活動との石井および彼の部隊のかかわりについては、あらゆるものを証拠と考えられるものについて、知らせるように求める。
〔R・G一五三〕(P413)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

106

発信−極東軍最高司令官、東京、日本
あて先−陸軍省、参謀部
番号−C五三五五五

一九四七年六月二三日

 ー九四七年六月二二日、W八〇六七一について。SWNCC三五一/一の、とくに第四節にもとづく早急な陸軍省の行動指示を求める。どんな圧力も価値ある生物戦情報の現状を危険にさらすであろう。すでに化学戦部隊に戻っているフェル博士に相談してもらいたい。

終わり。
〔R・G一五三〕(P413)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

107

発信−極東軍最高司令官(法務部、カーペンター)
あて先−陸軍省、戦犯部
番号−C五三六六三

一九四七年六月二七日

 一九四七年六月二二日、W八〇六七一について。国際検察局のタべンナーと再度会談した。彼は次のように報告した。

一、一九四〇年一〇月二七日、日本の飛行機が寧波に麦粒を散布した。一九四〇年一〇月二九日、ペストが発生した。柄沢は供述書の三節の後半で、これが石井部隊の実験によるものであることを確認している。ペストで九七人が死亡した

ニ、衢県、金華および常徳で細菌兵器が使用されたことを示す強い状況証拠がある。一九四〇年一〇月四日、衢県に日本の飛行機が米と麦粒にノミが混じったものを散布した。その地域で二月一二日にペストが発生した。これまで衢県でペストが発生したことはなかった。〔途中省略〕(P413-P414)

三、C五三一六九を送ったときにはソ連が準備した供述書しかなかった。W八〇六七一を受け取ってから、日本語の完全な供述書を入手し、翻訳した。

 柄沢の供述書から、供述者が一九三九年から一九四四年まで石井部隊で細菌の製造に従事していたのは明白である。一九四〇年八月から一二月にかけて、石井は一〇〇人の部下を率いて、中国中部の漢口から実験に向かった。供述者はこの実験のため腸チフス菌七〇キログラムとコレラ菌五〇キログラムを製造した。〔途中省略〕

 安達の実験場では、一九四三年から一九四四年にかけて、七回か八回、ペスト菌と炭疽菌の人体実験が行なわれた。憲兵がこれら実験のために、死刑判決を受けた満州人を供給した。

 これら実験を指揮したのは石井と碇であった。供述者はこれら実験のいくつかをみており、その結果については碇、ヒノフジ少佐それに高橋から話を聞いた。一九四四年には細菌の大量生産の準備のため、細菌培養のための大量の物質が集められていた。

四、川島の供述書から、石井部隊が細菌を兵器として使用する研究任務をもっていたことははっきりとわかる。飛行機からペスト菌に感染したノミを投下したり、生きたノミをいれた爆弾を投下する大規模な実験が行なわれた。これらの実験は動物と、死刑判決を受けた二〇人の満州人について行なわれた。〔途中省略〕

五、国際検察局の意見では、以上の情報は石井に率いられた日本の生物戦部隊が陸戦法規をたしかに犯したことを裏づけてはいるが、この意見の表明は同部隊を訴追し裁判にかけることを勧告するものではない。柄沢の供述書は、検察官の尋問を決定するまでの調べで、いっしょに吟味し、そして真実性を判定することになろう。

六、C五三一六九の第五部Fと関連して、国際検察局はこの件で生物戦についての証拠はまったく含めなかったが、それは主にこの件を打ち切ったときに、訴追された人あるいはそのうちの何人かが生物戦部隊の活動に関係したことが知られ、それが裁判にもちこまれるとは考えられなかったからである。

 柄沢の供述書の翻訳を読んでから、国際検察局は以前にもまして、ソ連検察官は告発されている人物の一人あるいは何人かについて、本問題についての前記の証拠、それに満州および日本における彼らの独自の調査によって得られたであろう他の証拠を反証として、反対尋問をしようとしている、という感をますます強くしている。(P414-P415)

七、当該の供述書の写しは情報として貴下のもとに送付するところである。
〔R・G一五三〕(P415)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

108

SFE一八八/二
一九四七年八月一日
国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会

ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

参考資料−SWNCC三五一/二/D
事務局員による覚え書

(略)

結論

四、次のように結論された−

a、日本の生物戦研究の情報はアメリカの生物戦研究プログラムにとって大きな価値があるだろう。

b、入手したデータは付録「A」の三節にその概要が示されているが、現在のところ石井および彼の協力者を戦犯として訴追するに足る十分な証拠とはならないように思える。

c、アメリカにとって日本の生物戦データの価値は国家の安全にとって非常に重要で、「戦犯」訴追よりはるかに重要である

d、国家の安全のためには、日本の生物戦専門家を「戦犯」裁判にかけて、その情報を他国が入手できるようにすることは、得策ではない

e、日本人から得られた生物戦の情報は情報チャンネルに留め置くべきであり、「戦犯」の証拠として使用すべきではない。(P416)

(略)

付録「A」

問題となっている事実

一、第一節で引用されている電報の第二部は、日本の生物戦の権威、石井将軍は、彼自身、上官および部下に対して、文書によって「戦犯」免責が与えられるなら、日本の生物戦プログラムを詳細に述べよう、と言っている。石井と彼の協力者たちは現在まで文書による免責がなくてもそうした情報を任意に提出してきたし、またしつつある。(P416-P417)

二、日本の細菌戦専門家一九人が人間を使った生物戦研究について六〇ページのレポートを書いている。九年間にわたる穀物の破壊についての二〇ページのレポートも作成された。獣医学分野の研究も一〇人の日本人科学者によるレポートが書かれつつある。日本の病理学者一人が、生物戦の実験に使われた人間および動物の解剖から得られた顕微鏡用標本八〇〇〇枚の顕微鏡写真の収集と作成を行なっている。石井将軍は生物戦の全分野についての二〇年にわたる彼の経験をまとめている。

三、日本の生物戦において言われている戦犯容疑につながるかもしれないわずかな情報を要約すれば次のようになろうー

a、SCAP、法務部の一九四七年六月七日付の電報C五三一六九は次のように述べているー〔途中省略〕

f、石井生物戦部隊が行なったのと同様の人体実験は、ナチ戦犯を裁く国際軍事裁判所によって戦争犯罪であると断罪され、一九四六年九月三〇日ニュールンベルクでそうした判決が言い渡されている。本政府は現在ドイツの指導的科学者および医学者をニュールンベルクで、人体実験によって多くの人を傷つけ死なせたことを罪として訴追している。


付録「B」

考察

一、日本の生物戦情報の価値

a、石井および彼の仲間からすでに得た情報は、アメリカの生物戦研究のいくつかの面を確認し、補足しそして補充するうえで大きな価値があることがわかったし、また将来の新しい研究を示唆しているようである。

b、この日本の情報は、生物兵器用病原体の人体への直接の効果をみるための科学的にコントロールされた実験から得られた唯一のデータである。これまで、生物兵器用病原体の人体への効果は動物実験のデータからみつもるしかなかった。そうしたみつもりは不確実であり、一定のやり方での人体実験から得られる結果と比べれば、はるかに不完全なものである。(P417)

C、人体実験の結果のほかに、日本の動物および穀物に対しての実験からも非常に重要なデータが得られた。この生物戦情報が任意に提出されていることは、他の分野でももっと新しい情報が得られることの前ぶれかもしれない。

二、「戦犯」訴追を避けることの利点

a、ソ連は日本の技術情報のごく一部しか入手しておらず、また「戦犯」裁判はそうしたデータを各国に完全に公表することになるため、そうした公表はアメリカの防衛および安全保障の観点から避けるべきである、と思われる。また石井と彼の協力者を「戦犯」訴追することは、新たな技術的および科学的な情報の流れを止めることになる、と信じられる

b、この情報を「戦犯」の証拠に使うことは日本占領アメリカ軍への日本の協力を非常にそこなうことになる、と思われる。

c、実際上、石井と彼の協力者に対して、日本の生物戦についての彼らからの情報は情報チャンネルに留め置かれると約束することは、本政府は生物戦にかかわり、そこで戦争犯罪を行なった人物を訴追しない、と約束するのと同じことである。

 こうした了解はアメリカ国民の安全にとって、石井と彼の協力者がこれまでにもたらし、また今後もたらし続けるであろう情報のゆえに、大きな価値をもつであろう。しかし、次のことに留意しておく必要がある。

 すなわち奉天地区でのソ連の独自の調査は、アメリカ人捕虜が生物戦の実験に使われていて、それら実験の結果として命を落としていた証拠をつかむかもしれない。

 さらにそうした証拠をソ連検察官が目下の東京裁判の日本のA級戦犯の何人かへの反対尋問の際に、とくに石井生物戦部隊がその一部であった関東軍の一九三九年から一九四四年までの司令官、梅津への反対尋問の際にもちだすかもしれない。

 さらに、ソ連検察官が梅津への反対尋問で、石井生物戦部隊が人体実験を行なっていた証拠をもちだす可能性は強い。彼らの人体実験は、本政府が目下ニュールンベルクでドイツの科学者および医学者をそれゆえに訴追している人体実験とそうは違わないものである。(P418)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

109

SFE一八八/三
一九四七年九月八日
国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会

ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

参考資料−SFE一八八/二

担当事務局員による注

同封書類は極東小委員会の国務省委員の覚え書であるが、前記参考資料の検討に関連して、小委員会に回覧する。(P419-P420)

E・L・ターナー
大尉、砲兵
担当事務局員


同封書類

ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

極東小委員会国務省委員の覚え書

 国務省はSEF一八八/二の提案、すなわち石井および彼の協力者に彼らのもたらす生物戦情報は情報チャンネルに留め置かれ、「戦犯」の証拠としないと確約することを是認できない。当該の文書が明らかにしている事実からすれば、そうした保障を与えなくても必要な情報を石井大佐(ママ)および彼の協力者から得ることは可能であり、そうした保障を与えることは、後日アメリカに深刻な事態をもたらす原因となりかねない、と信じられる。

 同時にあらゆる有効な防護手段をとり、石井大佐のもっている情報が公開の裁判で一般に知られてしまうのを防ぐようにするべきである。それゆえ、次のように提案する。

(一)、極東軍最高司令官は石井および他の日本人関係者になんら言質を与えずに、従来通りのやり方ですべての情報を一つ残さず入手する作業を続けるべきである。

(二)、 こうして得られた情報は、国際軍事裁判所に提出された証拠が圧倒的で、そうしたやり方が続行不可能とならないかぎり、実際には情報チャンネルに留め置かれるべきである。そして

(三)、言質を与えなくても、アメリカ当局は安全保障の理由から石井と彼の協力者を戦犯として訴追すべきではない

 SFE一八八/二の「結論」の「e」は本覚え書の付録「A」のように修正し、SFE一八八/二の付録は本覚え書の付録「B」のように修正するよう提案する。これは前記の進言に合わせるためである。

付録「A」〔省略〕

(1)違いは資料108、SFE一八八/二の結論のeに「国際軍事裁判所に提出された証拠が圧倒的で、そうしたやり方が続行不可能とならないかぎり」という条件を付しただけである。

付録「B」(P420)

極東軍最高司令官へのメッセージ

 以下の電報は二部からなっている。

 第一部 一九四七年五月六日のC五二四二三について。

 必要な情報を石井と彼の協力者から入手することは、情報は情報チャンネルに留め置かれ「戦犯」の証拠とはしないという言質をアメリカが与えなくても可能であろう。また危険な言質は後日アメリカを深刻な事態に追いこむ原因となりかねない。そうした言質を与えることは得策ではない。

 しかし安全保障のために、貴下は石井と彼の協力者に対する戦犯訴追はするべきでなく、そして言質を与えずに、これまで通りのやり方ですべての情報をひとつ残さず入手する作業を続けるべきである。

 こうして得られた情報は、軍事裁判所に提出された証拠が圧倒的で、そうしたやり方が続行不可能とならないかぎりは、実際には情報チャンネルに留め置かれるべきである。

 第二部 前記問題についての全通信文を最高秘密に指定する。
〔R・G一五三〕(P421)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

110

SFE一八八/四
一九四七年九月二九日
国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会

ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

参考資料  a、SFE一八八/二
        b、SFE一八八/三

事務局員による覚え書

 同封書類は極東小委員会の新任の戦犯部委員の覚え書だが、前記参考資料の検討に関連して、小委員会に回覧する。(P421)

J・B・クレサップ
中佐、アメリカ海軍
事務局員


同封書類

極東小委員会の新任の戦犯部委員の覚え書

主題−ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

参考資料1SWNCC三五一/二/D、SFE一八八/二およびSFE一八八/三

一、新任の戦犯部委員はSFE一八八/三に同封の国務省委員の「当該の文書が明らかにしている事実からすれば、そうした保障を与えなくても必要な情報を石井大佐(将軍)および彼の協力者から得ることは可能である」とする言明に同意できない。

 SFE一八八/二の付録「C」(最初に本間題の決定を求めた一九四七年五月六日付の極東軍最高司令官の電報C五二四二三)の中で次のように述べられている。「石井は文書によって戦犯免責が彼自身、上官および部下に与えられるなら、計画を詳しく述べることができると言っている。」

 そのメッセージの第三部Bはさらに次のように述べている。「石井のいくつかの言明も含め、これ以上のデータを入手するには、当該の日本人に情報は情報チャンネル内に留め置かれ、『戦犯』の証拠とはしないと知らせる必要があるだろう。」

 メッセージは結論として第三部Bのやり方を採るよう進言している。メッセージ全体を読めば、極東軍最高司令官の意思が必要な情報を入手するため石井が率いていた日本の生物戦部隊のできるだけ迅速な取り扱いの決定であることは明白である。また彼の意見では、これはこの上もなく有利な取り引きであることも明らかである。

二、石井と彼の協力者に生物戦に関し今後得られる情報は情報チャンネルに留め置かれ、戦犯の証拠とはしないと知らせることで、本政府が後日、深刻な事態に追いこまれるかもしれないことはわかっている。

 しかし陸軍省および空軍部の委員はこの情報、とくに生物兵器の人体への効果についていずれ日本側から得られるであろう情報は、わが国の安全にとって非常に重要であり、深刻な事態を招く危険をいとうべきではないと強く信じている。(P422)

三、さらに、石井将軍およびその他の生物戦部隊員に個人的に親しく接した信頼すべきアメリカ人要員−軍人および民間人−の判断によれば非常に大きな価値をもつことになるであろう必要な情報を詳細にすべて入手するには、この日本人たちに情報は戦犯の証拠として使わないであろうと知らせる以外にはない、ということである。

四、それゆえ、最終判断としては、アメリカの安全が第一に重要である、と信ずる。

五、次のように勧告する−

a、SFE一八八/二の付録「A」のメッセージを変更なしに送る。

b、さらに検討後、各省間の意見の食い違いが解消されないときは、本書類を各省間の見解の相違を明らかにするための添付資料として三省調整委員会に送付するものとする。

六、陸軍省および空軍部の委員は前記の勧告に同意している。

〔R・G一五三〕(P423)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

111

海軍省
海軍作戦本部
ワシントン二五、D・C

一九四七年八月五日

発信−海軍情報局長
あて先−配布リスト〔省略〕の通り

主題−生物戦についての海軍の見解

一、本レポートは海軍情報局の技術情報部が、この問題について入手可能な情報のすべてを分析した結果をまとめたものである。できるだけ正確な見取り図を提供すべく、本レポートの情報は陸軍省参謀部の情報局科学部の生物戦部門が入手している情報と照合され、さらに生物戦委員会の海軍出身の委員の校閲を受けている。

T・B・イングリス
アメリカ海軍、海軍中将(P423)
海軍情報局長

生物戦

序論

 生物戦は戦争において生命体あるいはそのうみだす毒素を使って人間、動物、あるいは植物を再起不能にするかまたはそれらに死をもたらすこと、と定義できよう。

 生物戦に使われるものは比較的安価で、ほとんどがどこででも入手可能なものである。それらの単位質量当たりの破壊力は他のどんな兵器よりもはるかに大きい。ボツリヌス菌の毒素は既知の化学的毒素と比べて千倍以上の能力があると言われている。平均的な細菌一グラムには一兆個の菌体が含まれており、少量で十分な効果をあげることができる。

 どんな生物学研究施設でも生物戦に役立つ基本的知識およびそれにとって価値のある実験において貢献できるが、そうした役割を過大評価してはならない。生物兵器を効率的に生産できるのは、大量生産体制のととのった完全な設備をもった施設だけである。

〔途中省略〕

付録

日本の生物戦

序論
 細菌その他を戦争に利用しようという考えが日本で高まったのは、主に石井四郎将軍の提唱によるところが大きい。一九三二年に石井将軍(当時、少佐)はヨーロッパを訪れているが、そのとき生物戦は有効に違いない、さもなければ国際連盟がそれを非合法化するはずがない、と考えるようになった。

 一九三五年に、細菌の詰まった瓶を携行したソ連のスパイ多数が捕えられた。この機に乗じて、石井将軍は自分が提唱していたプロジェクトの承認をとりつけた

 生物兵器開発のための研究はハルビン陸軍病院で一九三五年から始まった。一九三七年までに石井らの研究は軍の最高幹部が感心するほどのものとなり、日本の陸軍省の積極的な支持を得ることとなった。しかし石井のプロジェクトは天皇の承認が得られなかっただけでなく、天皇は禁止を考えていた。(P424)

 石井将軍は天皇の承認が得られないため、生物戦の研究のための大規模な機関を、関東軍給水部の特別な部門として設立した。この部門には「防疫給水部隊」という人に誤解を与える名前がつけられた。石井将軍は給水部の責任者となってからは、司令官に対してだけ責任を負ぅことになった。

 生物戦のプロジェクトが初めから終わりまで、天皇の知らないところで行なわれたという事実は、組織構成上の弱点に直結し、結果としてこの計画の完全な成功にとって致命的となった最も重要な要素であった。

〔途中省略〕

人体実験についての情報

 日本の生物戦についての最新の情報の中に人間を実験に使って得たデータがある。これは日本が中国に対してペスト、コレラ、それに腸チフスの各菌を使ったという中国の非難を確認するものである。そのデータを以下の節に示すが、科学的に詳細に立証されている。

 入手したレポートは粒子の大きさの決定についての理論的および数学的考察、および爆弾あるいは飛行機からの噴霧によって散布された生物兵器用病原体の小滴の分布についてのもので、興味深いものである。

 中国の民間人および兵隊に対して実戦試験を一二回やっていた。結果の概要と対象となった村や町の地図もつけられていた。この概要と採用された戦術について、そのあらましを以下に述べる。

 風船爆弾プロジェクトに参加していた一人が提出した短いレポートを受け取った。このレポートによれば、風船爆弾を生物兵器用病原体の散布に使用しようと考えられたことはあったが、風船爆弾はそのような使用には不向きである、という結論に達した。

 平房とはまったく別の組織が家畜を対象とした生物戦の研究をかなり大規模に行なっていたことがわかった。

 研究室および野外実験に使われた人間は、各種の犯罪のため死刑判決を受けた満州の苦力ということだった。アメリカあるいはソ連の捕虜が使われたことは一度もなかった、と明確に述べられていた(ただし、何人かのアメリカ人捕虜の血液が抗体調査に使われたことはあった)。この主張が真実でない、という証拠はない。(P425)

(以下、「フェル・レポート」3以下と同文の部分を省略)


日本の生物戦計画についての評価

 日本の攻撃用生物戦計画の真の目的ははっきりしない。

 その研究を概観したところでは、日本軍は主に軍隊に対しての攻撃を意図していたことがうかがわれる。相手を傷つけ、そして炭疽に感染させるために考案されたハ型爆弾の目的はそれ以外にはありえない。細菌をまき散らすだけの爆弾や細菌の雲は、民間人や家畜の群れに対して使うつもりがあったかもしれない。

 謀略的使用は否定しているか、胃腸管系病原体が研究され、生物兵器用病原体の可能性ありとしてリストにのせられていた。これら病原体はこれまでみてきたような砲弾や爆弾で散布するには適さないが、謀略活動にはむしろうってつけであろう。

 日本軍が謀略での使用をもくろんでいたことを示す唯一の証拠は、各種病原体の泉や井戸の中での生存能力の研究だけである。

 細菌戦計画の目的が限られた地域あるいは軍事基地を、炭疽菌の胞子やその他の病原性をもった細菌をまいて人が住めないようにするとか、あるいは炭疽に感染させ負傷だけの場合より死亡率を上げることであるなら、おさめた成果はその努力に値しないという結論とならざるをえない

 石井将軍と増田大佐は細菌戦計画の失敗の原因を、このプロジェクトが天皇によって許可されていなかったため、必要な物資の供給が受けられず、軍の他の部局の協力が得られなかった事実に求めている。これは特定の爆弾の開発に関するかぎりは疑問の余地なく真実である。

 しかしその計画のより重要な欠陥は、石井将軍の発明した細菌培養の方法が、増田大佐の考えていた爆弾による散布方法にふさわしいものではなかったことだった。爆弾一個を満たすのに培養器九〇〇個が必要という事実を考えても、細菌爆弾はせいぜいのところ敵が集中している限られた地点に使用したときだけしか効果をおさめないことは衆目の一致するところである。

 使われた培養方法は不便で大量生産には向いていなかった。生物兵器用病原体を爆弾あるいは雲によって広く散布するのに十分な資材を用意することが非実際的であることは確実である。そもそもあんなに精力を使わないでも成果は上がったはずである。(P433-P434)

 したがってこの培養方法は個々に行なわれる謀略には不適当だが、組織的に十分な資材を用いる謀略プログラムに用いれば大きな成果を得ることができたであろう。

 日本軍は伝染病の原因となる病原体の生存能力の延長のための方法の開発ができなかった。これがこれら疾患にほとんど努力を注がなかった理由であろう。この失敗は最も重要だった。というのは各種流行病は日本軍が展開していた戦線においては非常に有効な武器となりえたはずだからである。その地域の衛生状態は貧弱で、流行病に立ち向かう方法は限られたものしかなかった。

 要約すれば、日本の生物戦計画失敗の原因は次の通りである。

(1)天皇の支持を欠いていた。
(2)科学者と軍人との実践的な協力を欠いていた。
(3)信頼できる気象データをもっていなかった。
(4)野外の作戦に合致した培養方法その他を採用していなかった。

 占領軍の監視が終われば、日本は五年以内に生物戦の準備をととのえることができるだろうことは確実である。


人物

石井四郎軍医中将−細菌戦計画の責任者、防疫給水部長の肩書を保有。
北野政次中将−一九四二年から平房研究所長。
増田知貞大佐−長年にわたり細菌戦にかかわった。
金子順一軍医少佐−平房に三年半いた。
北条円了軍医中佐−陸軍軍医学校、『細菌戦について』の著者。


施設

平房細菌戦研究所、ハルビン−最盛期には要員は三〇〇〇人いた。
陸軍軍医学校、東京−細菌戦の防御
大陸科学院−細菌戦研究(新京の支部−細菌戦研究)。
〔R−G三三○〕(P434)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


アメリカ国立公文書館文書

112


統合参謀本部
ジョン・H・イブ大佐
一九四八年三月一三日

連合国軍最高司令官、東京、日本
番号−W九七六〇五

統合参謀本部よりマッカーサーへ

 貴下の一九四七年五月六日付の電報C五二四二三に対する回答として、国務、陸軍、海軍の各省それに空軍部は以下のような結論を伝えてきた。

「貴下の前線から帰国した専門家のレポートは、これまでに必要な情報および科学的データの入手ほ貴下のほぼ満足すべき状況であることを示している。さらに貴下の要請の三−Bおよび五について、貴下がまだ必要と考えるなら、再度要請し判断を求めるよう示唆している。」
〔R・G一五三〕(P435)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


ソ連軍検察官による日本人の尋問報告書

SFE−182/2(「ゆう」注 SFE=極東小委員会)
報告書
ソ連軍検察官による日本人の訊問

目的


1 日本軍の細菌戦の情報を米陸軍の情報径路内にとどめ、その資料を戦争犯罪の証拠として用いないことといぅSWNCC351/2/Dに記された勧告にもとづいてとるべき処置を決定するため。

背景

2 SWNCC351/2/Dにおいて極東軍総司令部は、人体実験をも含む日本軍の細菌戦計画に関して日本人から入手した説明について一部、論じている。細菌戦についての日本軍の指導者、イシイ中将は、「彼自身と彼の上司と部下が戦争犯罪の責任を免除されるという保証を文書で得られるならばその計画の詳細を陳述する」と言っている。彼は「細菌戦に関する広範かつ高度な理論的知識をもち、それを防禦と攻撃に使用する方法も知っていて、その知識はすべて広範な研究に裏づけられている」と主張している

3 極東軍最高司令部は、「それに関与した日本人に、その情報は米軍の情報径路内にとどめられ、しかも戦争犯罪の証拠として使用されることはないと通知することにより、イシイからそれに関するデータも、追加データも、入手できるものと思う」と言っている。さらに極東軍総司令部は「イシイがそれに関与した元要員の完全な協力を得られるであろう」といっている。

討議

4 日本軍の細菌戦部隊の隊員は書物、報告書の作成、細菌戦の実験に供された人体と動物の解剖から作成した組織の載物ガラスの調査によって米進駐軍と協力中である。イシイ中将は、細菌戦の各段階に関する彼の二〇年の経験を網羅する論文を作成中である

5 日本軍の細菌戦部隊が戦争犯罪を犯した証拠はあるが、この証拠についての東京の国際検察団の意見は、その信頼性を検証するためには厖大な調査を必要とするであろうということである。日本の主要戦争犯罪人に対して目下、東京で行われている国際軍事裁判の今後の局面において、ソ連軍側が、現在ニュールンベルクの軍事裁判にかけられているドイツ人が責任を問われている犯罪と同様な戦争犯罪に日本軍が関与していたという証拠をもち出す可能性も存在する。(P366-P367)

6 これら日本人が既に提出した細菌戦情報も、今後提出されると思われる情報も、ともに、化学戦担当部および情報部は、わが米国の安全にとって決定的な重要性をもつものと考える。

7 日本軍の細菌戦部隊は、細菌戦の薬剤が人体に及ぼす直接的効果を調べる科学的な実験によるデータを有する唯一の情報源である。しかも動物と食糧収穫についての細菌戦実験に関し、この部隊からかなりの貴重なデータを入手できる。また重要なことは、このような情報が自発的に提供されるということは、多分、他の分野の研究について、さらに情報を入手するための手引になるであろうということである。

8 日本軍の細菌戦情報がわが国の安全にとって決定的な重要性をもつということの故に、国務省、陸軍省、海軍省共同の極東小委員会、当作業班は、わが国政府が細菌戦の問題について当班が入手した一切の情報を米軍情報径路内にとどめおくということを通告されなければならない。この決定は、下記の事項を考慮したうえで、行なわれた。

(a)趣旨として、わが国政府は日本軍細菌部隊の隊員を一人たりとも細菌戦に関わる戦争犯罪の廉で起訴することは行わないということ。

(b)ソ連軍側は、独自の調査により、日本軍の細菌戦の行為が戦争犯罪であること、あるいは戦争犯罪と関連をもつことの証拠を公開し、その証拠を現在東京で開廷している国際軍事裁判にもち出そうと試みるかもしれないということ。

(c)ソ連軍側が公開するかもしれない証拠の中に米軍の捕りょが日本軍細菌戦の実験の目的に使用された証拠が含まれる可能性は薄いということ。

9 民事部部員がSFE 182/3を認めることを要請する。(P367)

(遠藤誠編著『帝銀事件と平沢貞通氏』所収)


(2015.12.14)


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