家永裁判 最高裁判決


家永教科書裁判 最高裁判決

1997.8.27高裁判所第三小法廷

4 「七三一部隊」の記述に対する修正意見について

 (一) 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

  (1) 本件教科書二七七頁の脚注に「またハルビン郊外に七三一部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。」と書き加えようとする改訂検定の申請に対して、文部大臣は、七三一部隊のことは現時点ではまだ信用に堪え得る学問的研究、論文ないし著書が発表されていないので、これを教科書に取り上げることは時期尚早であり、選択・扱いの上で不適切であるとの理由により、右原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付した。

  (2) そのため、上告人は、右原稿記述を全部削除した。

  (3) 本件検定当時までに公刊されていた七三一部隊に関する文献、資料は、従前公刊されたものの復刻版二点及び改訂版を含め三六点に及んでおり、新聞、テレビ等でも数多く報道されていたが、中でも昭和五六年から昭和五八年にかけて作家Sが発表した「悪魔の飽食」全三巻は、「1」 旧七三一部隊員の供述、「2」 旧七三一部隊幹部に対する尋問調書を含むアメリカ軍の資料、「3」 ハバロフスク軍事裁判記録、「4」 旧七三一部隊幹部による医学学術論文、「5」 中国における取材などにより、七三一部隊の実態を詳細に描いたもので、大きな反響を呼び、世人の注目を集めた。

 また、七三一部隊の存在について、本件検定当時発表されていた学術書としては、上告人著「太平洋戦争」(昭和四三年)、T大学助教授U著「消えた細菌戦部隊―関東軍七三一部隊―」(昭和五六年)、右U、ジャーナリストV共著「細菌戦部隊と自決した二人の医学者」(昭和五七年)があり、外国の文献としては、Wの「歴史の隠された一章」があった。

 (二) 原審は、右事実関係の下において、本件検定当時においては、七三一部隊に関する研究は、いまだ資料が発掘、収集され、事実関係が次第に解明されつつある段階にあって、発表された事実関係も十分な検証がされていたとはいえず、教科書に記載するには信頼するに足りる資料が不十分であったといわざるを得ないから、文部大臣が時期尚早であるとして修正意見を付した過程に看過し難い過誤があるとはいえない、と判断した。

 (三) しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

 原審認定の前期事実によると、七三一部隊に関しては、本件検定当時既に多数の文献、資料が公刊され、中には昭和四三年に刊行された上告人の著作もあり、必ずしもすべてが本件検定の直前に公刊されたわけではないことが明らかである。

 そして、原審が、本件検定当時、七三一部隊の存在等を否定する見解があったことを認定していないことに照らせば、本件検定当時、これを否定する学説は存在しなかったか、少なくとも一般には知られていなかったものとみられる。

 そうすると、本件検定当時において、七三一部隊の実態を明らかにした公刊物の中には、作家やジャーナリストといった専門の歴史研究家以外のものが多く含まれており、また、七三一部隊の全容が必ずしも解明されていたとはいえない面があるにしても、関東軍の中に細菌戦を行うことを目的とした「七三一部隊」と称する軍隊が存在し、生体実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していたものというべきであり、これに本件検定時までには終戦から既に三八年も経過していることをも併せ考えれば、文部大臣が、七三一部隊に関する事柄を教科書に記述することは時期尚早として、原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付したことには、その判断の過程に、検定当時の学説状況の認識及び旧検定基準に違反するとの評価に看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというべきである。

 これと異なる原審の判断には、教科書検定に関する法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は、右をいうものとして理由がある。



家永教科書裁判 最高裁判決

 判示一二の2ないし4についての裁判官園部逸夫の補足意見は、次のとおりである。

 私は、本判決の理由中意見が分かれている判示一二の2ないし4について、いず れも多数意見に与するものであるが、最高裁昭和六一年(オ)第一四二八号平成五 年三月一六日第三小法廷判決・民集四七巻五号三四八三頁に関与した者として、右 判決の採用した裁量権濫用に関する判断基準を当小法廷において適用するに当たり、 右判決の理由中の判断との整合性を勘案しつつ、次のとおり、多数意見を補足しておきたい。



三 「七三一部隊」について

 近現代史における歴史上の事柄については、様々な理由からその全容が明確にされていないものも少なくはない。

 殊に戦争期における事柄については、あるいは混 乱の中で起こった事柄であるため、あるいは関係者の多くがその事柄によって死亡 してしまったため、あるいは記録が何らかの理由により失われてしまったためなど、様々な理由により、必ずしもその原因や経緯、被害者の正確な数などが明確になら ないものが少なくないのである。

 例えば、本件教科書でも問題とされた南京事件の 実態や沖縄戦の住民被害の実態なども、今日に至ってもなお不明な部分があること は否定できないのである。

 しかしながら、そうであるからといって、南京事件がなかったわけではなく、沖縄戦の住民被害がなかったわけでもない。事柄の全容が 確に解明されない限り、教科書に記述することが不適切であるということはできな いことは右の例からも明らかといえよう。

 殊に「七三一部隊」についていえば、これは日本軍によって生体実験が行われた という異常な事件であり、関係記録は、敗戦間際、国際的非難を恐れた軍部によって組織的に廃棄され、また、被害者で生き残った者はないといわれており、正規の記録によってはその実態を検証することが困難な事例である。

 それにもかかわらず、 七三一部隊の行った所業については、戦後間もないころから歴史家、小説家、ジャーナリスト等による調査等によって次第に明らかにされてきたのであり、昭和五八年当時の学説においても、資料の正確性に疑問を呈する見解はあったものの、七三一部隊の存在とその所業自体を否定するものはなかったといえるのである。

 本件原稿記述は、被害者の数などの点において適切さを欠く疑いがある部分もあるが、七 三一部隊の存在とその所業を教科書に記述することは時期尚早との理由で、原稿記述を全部削除しなければならないほどに不適切とはいえないというべきであり、原 稿記述の全部削除を求めた修正意見には、その判断の過程に看過し難い過誤がある ものと考えるのである。



家永教科書裁判 最高裁判決

 判示一二の4についての裁判官千種秀夫の反対意見は、次のとおりである。

 私は、多数意見が、上告人の昭和五八年九月の改訂検定申請のうち「七三一部隊」 の原稿記述について、文部大臣のした修正意見を違法とし、この点に関する原判決 を破棄すべきものとしたことについては賛同しかねるので、以下その理由を述べる。

一 多数意見は、「本件検定当時において、七三一部隊の実態を明らかにした公刊物の中には、作家やジャーナリストといった専門の歴史研究家以外のものが多く含まれており、また、七三一部隊の全容が必ずしも解明されていたとはいえない面があるにしても、関東軍の中に細菌戦を行うことを目的とした『七三一部隊』と称す る軍隊が存在し、生体実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件 検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していたものというべきであり、これに本件検定時までには終戦から既に三八年も経過していることをも併せ考えれば、文部大臣が、七三一部隊に関する事柄を教科書に記述することは時期尚早として、原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付したことには、 その判断の過程に、検定当時の学説状況の認識及び旧検定基準に違反するとの評価 に看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというべきである。」 としている。

二 しかしながら、本件検定当時「七三一部隊」と称する軍隊が存在し、生体実験 をしていたという事実が大筋において否定されていなかったからといって、そのことから直ちに、文部大臣の本件修正意見に看過し難い過誤があり、被上告人国に国 家賠償法上の損害賠償責任があるとするには、やや飛躍があるように思われる

 申請に係る原稿記述の検定に当たっては、申請の記述が事実に反していてはな らないから、まずは事実の存否が判断の前提として重要なのであるが、事実があれ それで済むというものではない。

 教科書の検定は、犯罪の立証でもなければ、歴史学の論争でもないのである。

 判示九で説示しているとおり、検定に当たっての文部大臣の判断は、「申請図書について、内容が学問的に正確であるか、中立・公正 であるか、教科の目標等を達成する上で適切であるか、児童、生徒の心身の発達段階に適応しているか、などの様々な観点から多角的に行われるもので、学術的、教育的な専門技術的判断であるから、事柄の性質上、文部大臣の合理的な裁量にゆだねられるものである」。

 したがって、右判断が裁量権の範囲を逸脱したものとして 国家賠償法上違法となるのは、「合否の判定、合格の判定に付する条件の有無及び 内容等についての検定審議会の判断の過程に、原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反 するとの評価等に看過し難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされ たと認められる場合」に限られるのである。

  しかも、その判断は、抽象的なある事実の存否そのものではなく、具体的に申請のあった改訂原稿の記述を対象としてされるものであることはいうまでもない。



 それでは、それに続く「七三一部隊」の記述は、前後の文脈の中でどのような意味を持つのか。

 改行もなく続く注記の中では、この記述もまた「このために」に続くかに見えなくはない。しかし、その内容からみると、そのように続けて読むべ きかに疑問なしとしないのである。

五 そもそも、「七三一部隊」の存在及びその所業については、戦後の早い時期から今日まで、広く世間に知られながらこれを否定する学説のなかったことは、多数意見の指摘するとおりであろう。

 そして、終戦から本件検定時までに既に三八年が経過していることもまた事実である。

 しかしながら、その長い期間の間、このような事実について必ずしも正確な調査研究が尽くされていたとは言い切れないことは 原審の認定判断するところであって(その詳細については山口裁判官の反対意見二 及び三項に記されているのであえて重複を避け、それをここに引用する。)、正確 な調査研究が尽くされなかったことにはそれなりの理由があったものと推測されるのであるが、長きにわたって否定する学説が発表されなかったとしても、そのことによって事実の内容やその意味するところが明らかになるものではない。

 およそ、 「七三一部隊」のような日本の軍隊が他国で行った残虐行為については、それが、教科書に記述されるか否かは別として、我が国民が等しく記憶にとどむべき事柄であり、それが教科書に記載されたならば、その持つ意義も決して小さなものとはい えない。

 そのような事柄であるからこそ、いまだ日本の歴史について十分な知識を有しない青少年のために作られる教科書において初めてこれを取り上げるに当たっては、その事実の存否のみならず、その意味するところについても誤りない記述が求められるのであり、これを記述するに当たっては、その趣旨内容についても十分な検証がなされて然るべきものといえるのである。

 そのように考えるとき、前記の ような本件検定当時の学説状況の中にあって、文部大臣が時期尚早として、本件原稿記述を削除するよう修正意見を付したことには、それ相応の理由があったものと いうことができ、これをもって看過し難い過誤というのは当たらない

 文部大臣は、何も既に他の教科書にも採用されているような記述を削除せよとの意見を付したわけではないのである。

 この文部大臣の判断を看過し難い過誤であるとするならば、 それは文部大臣の検定権を否定するか、あるいはその裁量権を極めて狭く解するも のであって、最高裁平成五年三月一六日第三小法廷判決と抵触するおそれもなしと しない。

 以上の次第で、私は、「七三一部隊」についての多数意見に反対であり、この 点に関する原審の判断は、正当としてこれを維持すべきものと考える。



家永教科書裁判 最高裁判決

 判示一二の4についての裁判官山口繁の反対意見は、次のとおりである。

 私は、多数意見と異なり、「七三一部隊」の原稿記述について文部大臣が修正意 見を付したことは違法ではなく、右の点についての上告人の上告は棄却すべきもの と考えるので、以下その理由を述べる。



二 ところで、原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

 本件検定当時までに公刊されていた七三一部隊に関する文献、資料は、従前公刊されたものの復刻版二点及び改訂版を含め三六点に及び、新聞、テレビ等でも数多く報道されており、中でも昭和五六年から昭和五八年にかけて作家Sが発表した 「悪魔の飽食」全三巻は、「1」 旧七三一部隊員の証言、「2」 旧七三一部隊 幹部に対する尋問調書を含むアメリカ軍の資料、「3」 ハバロフスク軍事裁判記 録、「4」 旧七三一部隊幹部による医学学術論文、「5」 中国における取材な どにより、七三一部隊の実態を詳細に描いたもので、大きな反響を呼び、世人の注目を集めた。

 また、七三一部隊の存在について本件検定当時発表されていた学術書としては、上告人著「太平洋戦争」(昭和四三年)、T大学助教授U著「消えた細 菌戦部隊―関東軍七三一部隊―」(昭和五六年)、右U、ジャーナリストV共著「細菌戦と自決した二人の医学者」(昭和五七年)があり、外国の文献としては、W の「歴史の隠された一章」があった。

 そして、「悪魔の飽食」、「消えた細菌戦部隊」を高く評価し、昭和五八年度検定当時の日本近・現代史の学界においては、本件原稿記述に表現された程度の事実は既に十分確認されていたとする見解がある。

  しかし、他方において、前掲「悪魔の飽食」及び「消えた細菌戦部隊」の基礎資料 とされたものについては、次のような指摘がなされている。

 すなわち、(1) 前掲 「悪魔の飽食」及び「消えた細菌戦部隊」の基礎資料とされたハバロフスク軍事裁 判記録に関する出版物は、通常この種のものに付されている奥付・序文がないため、訳者、日本での出版社、発行年など書物の来歴をうかがうことができず、また、モ スクワで印刷されたものがどうして当時アメリカの占領下にあった日本で発行され たのかなどの点で史料としての疑問が多く、原本に当たり検証することもできない同書を学術的に利用するには慎重な検討が必要である

(なお、「悪魔の飽食」の著 者も、ハバロフスク軍事裁判記録は、あくまで勝者が敗者を裁いたドキュメントで あり、さらに供述証言に応じた元隊員たちの複雑な思惑も絡んで、七三一部隊の本質をうかがわせるものであっても同部隊の正確な全容を示すものではないとしている。)。

(2) 「悪魔の飽食」の基礎資料の一つとされたアメリカ軍の資料は、その資料価値は高いと考えられるものの、当時占領下という状況で米軍が尋問した結果であるから、その任意性・信ぴょう性、供述された範囲(生体実験等重要部分を欠く。)等には疑問があり、慎重に扱うことが必要であるところ、これらは、昭和 五六、七年ころに初めてアメリカ合衆国で研究者が一般に利用できるような状態に立ち至ったのであり、昭和五八年度検定以前には、我が国では、同記録のごく一部 分が紹介されていたにすぎず、いまだ十分な史料批判が行われていたということはできない。

(3) 同じく「悪魔の飽食」の一資料となった旧七三一部隊員の証言は、 内容が主に医学にかかわる問題であるのに、元隊員の中でも医師でない下級隊員( そのほとんどが匿名)の証言がほとんどで、医師が中心となる上級隊員の証言が全 く欠けている点、文書的裏付けに欠ける点等で信頼性に問題があって、無条件にこ れを利用することは危険である。

(4) その他に多数ある関係者の証言を収録した 文献、資料については、いずれも下級隊員の手記であったり、あるいはジャーナリ ストが伝聞や風評をまとめたりしたものであって、資料の信用性を十分検討した学術的研究書として発表したものではない。

 そして、前掲「太平洋戦争」は、前掲ハ バロフスク軍事裁判記録を基本とし、他には史料として問題のある非学術的雑誌記事に基づいて叙述したにとどまるし、V助教授の著作も、学術的研究書に付されるのが通例である注が付されていないという点で形式が不十分であり、当該記述がい かなる文献資料に基づいたものであるかを第三者において照合可能なものとなっていない上、重要箇所に全くの推測に基づく所があるなど問題があり、また、前掲 悪魔の飽食」はそれが元とした資料を学術書のような形式では明らかにしておらず、 他の研究者がその記述内容の真実性を検証するには困難があるなどとし、昭和五八年度検定当時、七三一部隊に関する研究はいまだ不十分であり、高等学校の教科書に記述し得るほど、学術的研究としてはまとまっていなかったとする見解もある。

三 右によれば、昭和五八年度検定当時において、七三一部隊に関しては多数の文献、資料があったものの、それらの文献、資料の中には、例えば原本に当たって検証することができないため慎重な取扱いを必要とするもの、公開されて日が浅く研究者の史料批判が行われていないもの、学術書の形式をとっておらず他の研究者がその記述内容の真実性を検証するには困難があるものなどがあり、学術的にみて問 題があるものが少なくなかったといわざるを得ず、したがって、本件検定当時にお いては、教科書に記述し得るほどには学術的研究としてまとまっていなかったとする見解は、相当の合理的根拠を有するものということができる。

 そして、当時の学界の状況が右のようなものである以上、歴史の教科書の叙述に当たって要請される前掲の実証主義的態度にのっとって考える限り、「本件検定当時においては、七三一部隊に関する研究は、いまだ資料が発掘、収集され、事実関係が次第に解明されつつある段階にあって、発表された事実関係も十分な検証がされていたとはいえず、教科書に記載するには信頼するに足りる資料が不十分であったといわざるを得ないから、文部大臣が時期尚早であるとして修正意見を付した過程に看過し難い過誤があるとはいえない」とした原審の判断は、首肯するに足り るものといわなければならない。

四 この点に関し、多数意見は、

「七三一部隊に関しては、本件検定当時既に多数の文献、資料が公刊され、中には昭和四三年に刊行された上告人の著作もあり、必ずしもすべてが本件検定の直前に公刊されたわけではないことが明らかである。

そ して、原審が、本件検定当時、七三一部隊の存在等を否定する見解があったことを 認定していないことに照らせば、本件検定当時、これを否定する学説は存在しなかったか、少なくとも一般には知られていなかったものとみられる。

そうすると、本 件検定当時において、七三一部隊の実態を明らかにした公刊物の中には、作家やジ ャーナリストといった専門の歴史研究家以外のものが多く含まれており、また、七 三一部隊の全容が必ずしも解明されていたとはいえない面があるにしても、関東軍 の中に細菌戦を行うことを目的とした『七三一部隊』と称する軍隊が存在し、生体 実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していたものというべきであり、これに本件検定時までには終戦から既に三八年も経過していることをも併せ考えれば、文部大臣が、七三一部隊に関する事柄を教科書に記述することは時期尚早として、原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付したことには、その判断の過程に、検定当時の学説状況の認識及び旧検定基準に違反するとの評価に看過し難い過誤があ り、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというべきである。」とする。

 しかしながら、本件において問題となるのは、右の大筋を教科書に記述するこ との適否ではなく、本件教科書二七七頁の脚注に「またハルビン郊外に七三一部隊 と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験 を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。」 と具体的、断定的な記述をすることの適否である。

 そして、前掲の原審で認定した 本件検定当時の学界の状況からすると、本件検定当時、本件原稿記述の内容が否定するものはないほどに定説化していたものと断ずることは到底できないことはもとより、歴史の教科書の叙述に当たって要請される実証主義的態度にのっとって考え る限り、当時においては、七三一部隊に関する本件原稿記述を教科書に取り上げる ことができるほどには、信頼するに足りる学術的研究、論文ないし著書などの資料 は十分ではなかったといわざるを得ないのである。

 そうすると、文部大臣がこれを 教科書に取り上げることは時期尚早であるとし、検定基準に照らし、必要条件である第一(教科用図書の内容とその扱い)3(選択・扱い)の「(2) 学習指導を進める上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。」に欠けるとして修正意見を付したことは相当であって、その判断過程に看過し難い過誤があったとは認めることはできず、これと同旨の原審の判断は首肯するに足りるといわなければならない。

五 したがって、論旨は理由がなく、本件上告は棄却すべきものと考える。



家永教科書裁判 最高裁判決

最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 大野 正男  
裁判官      園部 逸夫
裁判官     千種 秀夫
裁判官     尾崎 行信
裁判官     山口  繁


家永教科書裁判 最高裁判決

 


(2016.6.26)
  
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