ハバロフスク軍事裁判
被告 三友一男の記録


 以下は、「ハバロフスク軍事裁判」の記録のうち、三友一男に関連する部分を抜粋したものです。


緒言

 本版に収載したのは、裁判の公文書だけである。

 尚、起訴状並に若干の証拠書類及び主要罪状に関する尋問調書の如き予審書類は、裁判記録の中から集録して茲に発表する。

 被告の供述及び最後の陳述、法廷審理に於ける証人の証言(要約したもの)、鑑定人側の鑑定書、国家検事の論告及び弁護人側の弁論の如き法廷審理の記録は、公式の公判速記録に拠って茲に発表する。(P6)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


起訴状

 一九四二年、第七三一部隊及び第一〇〇部隊は、細菌戦遂行準備の為、ソヴエト同盟との国境地帯の特殊偵察を行った。

 それ以前に、日本関東軍司令部の指令により、第一〇〇部隊は、系統的に、ソヴエト同盟との国境線に細菌班を派遣し、謀略の目的を以て、此等の班は、数年に亘り国境、就中三河方面に於ける貯水池を汚染した

 此等の事実は、被告平桜、三友並に証人吉川其の他の供述により確定されたものである。(P36)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


起訴状

 十、三友一男。本人は、一九四一年四月より一九四四年に至る迄、第一〇〇部隊員として、ソヴエト同盟に対する細菌戦遂行及び謀略実施の為殺人細菌製造に積極的に参加した。

 三友は、一定の細菌兵器の効力実験の被実験体と為すが如き惨虐な方法による囚人の惨殺に直接参加した。

 一九四二年七−八月に、第一〇〇部隊勤務員を以て構成せる偵察・謀略別隊の一員として、被告三友は、三河方面に於て、ソヴエト同盟に対する謀略工作に参加した。(P46)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


被告三友一男の訊問調書

1949年12月6日、ハバロフスク市

 訊問は通訳官ヨルギン・ゴリゴリー・ゲオルゲヴィチを通じて行わる。通訳官は、ロシヤ連邦共和国刑法第九五条に基く責任に関し警告せらる。

 署名 ヨルギン

(問) 貴方は、一九四三年四月一九日付のソ同盟最高ソヴエト常任委員会法令第一条に該当する罪を犯した廉により告発せられた。貴方は貴方に提起された告訴に対し自己の有罪を認めるか?

(答) 告知せられた一九四九年十二月五日付の決定書に依り、一九四三年四月一九日付のソ同盟最高ソヴエト常任委員会法令 ー 私は其の要旨を理解します ー 第一条に基いて為された告発に対し、自己の有罪を全面的に認めます。(P107)

(問) 被告は具体的に如何なる点に於て有罪と認めるか?

(答) 私は左の点に於て自己を有罪と認めます。

 即ち、一九四一年一月四日私は炭疽、鼻疽、牛疫、羊痘の病原菌を製造する関東軍第一〇〇部隊に志願兵として入隊し、更に、是等の病原菌が特に対ソ戦の為に製造される事を知りながら、第一〇〇部隊の特別実験室に於ける是等細菌の製造に積極的に参加したのであります。

 上記の部隊に入隊後、私は炭疽菌及び鼻疽菌の培養に関する特別講習を受け、是等の細菌を私の担当する培養器を以て培養しました。私は此の職務を、同部隊に於ける全服務機関に亘って、即ち一九四一年四月より一九四四年十月に至る迄遂行しました。

 夫れ以外に私は、動物及び生きた人間を使用して、私の製造せる殺人細菌の効力を検査する実験に度々参加しました。此の実験は、日本軍統帥部が是等の細菌を対ソ戦に使用する為に行われたのであります。

 例えば、一九四二年七月-八月私は第一〇〇部隊の他の勤務員と共に、三河地方への派遣隊に参加しました。同地では、鼻疽菌の持久性試験がデルブル河に於て、炭疽菌の持久性試験が貯水池に於てそれぞれそれぞれ実施せられました。本派遣隊の指揮者は、第一〇〇部隊第二部長村本少佐でありました。

 同地に於て、私は鼻疽菌、炭疽菌を自ら培養しました。而して派遣隊は是等の細菌を、デルブル河及び貯水池に於ける試験に使用されました。此の実験は・・・ソヴエト同盟国境のアルグン河に注ぐデルブル河に於て行われたのであります。(P108-P109)

 一九四四年八月−九月、私は研究員たる松井経孝の指導の下に、第一〇〇部隊内に於てロシア人及び中国人の囚人七−八名に対する実験を行い、是等の生きた人間を使用して毒薬の効力を試験しました。即ち、私は是等の毒薬を食物に混入し、之を以上の囚人達に与えたのであります。

 一九四四年八月末、私は松井の指図を受け、粥に約一グラムのヘロインを混入し、之を中国人の一囚人に与えました。同人は此の粥を食し、食後約三〇分にて人事不省となり、人事不省の儘約一五−一六時間経過した後にs防止ました。

 以上の用量のヘロインを与えた時、吾々は夫れが致死量であることを知って居りましたが、併し、吾々にとっては、彼の生死は問題ではなかったのであります。

 私は朝鮮朝顔、ヘロイン、バクタル、ヒマシの種子の効力を調べる為、若干名の囚人に対してそれぞれ五−六回宛実験を行いました。ロシア人の一囚人は実験の結果衰弱し、実験に使用することが不可能となったので、松井は私に、青酸加里に注射によって此のロシア人を殺害する様命じました。注射後此のロシア人は即死しました。

 私は又、私が実験に使用した囚人三名を憲兵が銃殺した時に臨場しました・・・(P109)

(問) 自己の供述に附言し度い事があるか?

(答) 附言したいことは何もありません。供述は私の言葉通り正しく書き取られ、私の為に通訳官ヨルギンが日本語で読み上げられました。左署名を以て確認致します。

三友

訊問者 軍事検事法務中佐 アントーノフ
 同   内務省ハバロフスク地方管理局勤務員中尉 ボイコ
通訳官 ヨルギン(P110)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


三友一男証言

被告三友の尋問

国家検事 被告三友、貴方は何時第一〇〇部隊に勤務し始めたか?

被告三友 第一〇〇部隊に入隊したのは一九四一年四月でした。

(問) 第一〇〇部隊の何部に勤務していたか?

(答) 私は第二部に勤務していました。

(問) 貴方は第二部の第何課に勤務していたか?

(答) 最初私は第二部第一課で勤務し、第六課創設後私は同課で勤務するようになりました。

(問) 貴方が第六課で勤務し始めたのは何時か?(P405)

(答) 一九四三年四月以降であります。

(問) 第一〇〇部隊第二部第六課は何に従事していたか述べて貰いたい。

(答) 第二部第六課の主要な任務は、細菌戦及び謀略の方法の研究並びに細菌の大量生産でありました。此の研究はソヴエト同盟に対する細菌戦準備の為に行われていました。

(問) 主として如何なる細菌が研究されていたか?

(答) 鼻疽菌、炭疽菌、牛疫菌、羊痘菌であります。

(問) 第六課では細菌戦用の一定の種類の伝染病が研究されていたのみならず、細菌の大量培養が行われていたと貴方の言ったことを理解するのは正しいか?

(答) はい、その通りであります。

(問) 貴方自身は第六課に勤務して何をしていたか?

(答) 私は主として鼻疽菌の培養に従事し、同時に生きた人間を使用する実験に参加していました。

(問) 貴方は第一〇〇部隊の何れかの派遣隊に参加したか?

(答) 一九四二年七月及び八月私が第一課に勤務していた当時、私はデルブル河への派遣隊に参加しました。(P406)

(問) 誰が此の現地工作に行ったか?

(答) この派遣隊の長は村本少佐で、彼の外に将校、研究員若干名、技術員三名、全部で二〇名以上でありました。

(問) 派遣隊に参加した者の中に平桜がいたか?

(答) はい、居ました。

(問) 此の派遣隊の目的は何であったか?

(答) 此の派遣隊の目的は、ソヴエト同盟に対する謀略目的に鼻疽菌、炭疽菌を使用する可能性の研究でありました。此の派遣隊の工作中、デルブル河は鼻疽菌により、溜り水の貯水池は炭疽菌により夫々汚染されました

(問) 生きた人間を使用する実験に関する問題に移る。第一〇〇部隊では生きた人間を使用して、如何なる実験が行われたか?

(答) 第一〇〇部隊勤務中、私は人体実験に一度参加しました。

(問) 私は別の事を質問している。第一〇〇部隊では生きた人間を使用する実験が行われていたかどうか?

(答) はい、行われていました。

(問) 誰が此の様な実験を行っていたか?(P407)

(答) 人体実験を行っていたのは四人であります。即ち全業務の指導をしていたのは井田研究員、これに参加したのは中島中尉、松井実験手、それから私であります。

(問) 被実験者は第一〇〇部隊の何処に監禁されていたか?

(答) 之等の人間は部隊衛兵所の隔離室に監禁されていました。

(問) 此の隔離室は誰の直轄であったか?

(答) 此の隔離室は部隊庶務部事務課長直轄でありました。

(問) 第一〇〇部隊で行われていた生きた人間を使用する実験に関し貴方の知っていることをすっかり話して貰いたい。

(答) 生きた人間を使用する実験は一九四四年八月-九月に行われました。これら実験の内容は、被実験者に気附れない様に彼等に催眠剤及び毒を与えることでありました。被実験者は七−八名の中国人とロシア人でありました。実験に使用された薬品の中には朝鮮朝顔、ヘロイン、ヒマシ油の種子がありました。之等の毒剤は食物に混入されました。

 二週間に亘って各被実験者に毒剤を盛った此のような食事が五−六回支給されました。汁には主として朝鮮朝顔を混入し、粥にはヘロイン、煙草にはヘロインとバクタルを混入したと思います。朝鮮朝顔を混入した汁を与えられた被実験者は三〇分乃至一時間後には眠に落ち五時間眠り続けました。(P408)

 被実験者は皆、二週間後には彼等に対して行われた実験の後衰弱し、実験の役には立たなくなりました。

(問) そして彼等をどうしたか?

(答) 機密保持のため、被実験者は皆殺されました

(問) どんな方法でか?

(答) 或ロシア人の被実験者は、松井研究員の命令で青酸加里を十分の一グラム注射されて殺されました。

(問) 誰が彼を殺したのか?

(答) 私が彼に青酸加里を注射しました

(問) 貴方に殺されたロシア人の死体を貴方はどうしたか?

(答) 私は部隊にあった家畜墓地で死体を解剖しました。

(問) それから貴方はこの死体をどうしたか?

(答) 此の死体を埋めました。

(問) 穴を何処に掘ったか?

(答) 部隊裏の家畜墓地です。

(問) 家畜の死体を埋めていた同じ所か?(P409)

(答) 場所は同じでありますが、穴は違います。(場内動めき憤激の声満つ)

(問) 此の人間が如何なる方法で貴方に殺されたか? 貴方は如何に此の殺人を行ったか述べて貰いたい。

(答) 此の被実験者に青酸加里を注射するため、松井の指示によって下痢を起させました。之が青酸加里を注射する口実になりました。

(問) では、貴方は此の人間を欺したのか? 治療のため注射すると言いながら、貴方は実際には青酸加里を入れたと言うがそうか?

(答) その通りであります。

(問) 貴方に殺されたのは此の一人か、或は貴方は他の人間をも殺したのか?

(答) 中国人の被実験者が一人、私が毒を混入した粥を食べ、数時間意識不明の状態をつずけた後死亡しました

(問) 粥には如何なる毒が混入されたか?

(答) ヘロイン一グラムであります。

(問) 貴方は致死量の毒剤を粥に盛っていることを承知していたか?

(答) 承知していました。

(問) では、貴方が全く意識して行った殺人であるか?(P410)

(答) その通りであります。

(問) 貴方に殺された此の人の死体は何処に葬られたか?

(答) ロシア人と同じ場所に埋められました。

(問) 即ち、家畜墓地か?

(答) そうであります。

(問) 被実験者殺害の他の実例を知っているか?

(答) ロシア人の被実験者が二人と中国人が一人同じ場所で憲兵に射殺されました。

(問) 即ち、之等の人々は直接家畜墓地で射殺されたのか?

(答) そうであります。

(問) どうして彼等は憲兵に殺されたのか?

(答) 私は秘密保持の為と思います。

(問) 実験用として第一〇〇部隊に送致された人々は皆死ななければならなかったと言うが、是れは正しいか?

(答) それは正しくあります。

国家検事 私には被告三友に対する質問はもうない。(P411)

プロコペンコ弁護士 被告三友、部隊に志願で入った動機如何?

被告三友 私は満洲を見たかったのです。丁度当時私の友人が数名第一〇〇部隊に行こうとしていましたので、私も一緒に行きました。

(問) 貴方は今検事の質問に対して貴方が人体実験を行ったと答えたが、何の為に又何故貴方は之を行ったか? 貴方は之に個人的な利益を感じていたか?

(答) 個人的な利益は何もありませんでした。

(問) 貴方は今貴方の行動を如何に考えているか?

(答) これらの非人道的な人体実験及びソヴエト同盟に対する細菌謀略と細菌戦準備に参加したことを悔悟しています。(P412)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


被告の最後の陳述

被告三友

 私は、自分が第一〇〇部隊に於て勤務した当時、自分の悪事と犯罪の重さを十分に自覚していませんでしたが、ここ、ソヴエト同盟に四年間住み、又、特にここ数日、裁判に出席して、私は、自分が犯した犯罪が如何に重いものであるかを衷心から徹底的に痛感しました。

 ここで初めて、私は、ソヴエト同盟に関する真実を知り、ソヴエト人を知り、ソヴエト人が如何に人道的であり、高潔なるかを知るようになりました。(P713)

 私は、自己の責任を十分に理解しました。私は、悪事に自分が加った事を後悔しております。(P714)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)


軍事裁判の判決状

十、三友一男 −第一〇〇部隊員− は、細菌兵器の製造に直接参加し、且つ、生きた人間を使用して自ら細菌の効力を実験し、この惨虐な方法によって彼等を殺害していたものである。

 三友は、三河附近に於ける体ソ同盟細菌謀略の参加者であった。(P735)



 判決す

 三友一男 ー 一九四三年四月一九日付のソ同盟最高ソヴエト常任委員会法令第一条により、一五年間を期限として、矯正労働収容所に収容すべし。(P737)

  (『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  

 

(2018.2.4 )


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