森下清人証言


七三一部隊元隊員証言記録より転載)


私の診ていた患者さんのなかに、元731部隊(関東軍防疫給水部隊いわゆる石井部隊)少年隊の隊員がいました。約7時間におよぶ彼との対話の記録。インタビューは1991年9月。152kb


質問      山本 真(大分協和病院 医師)
回答      森下清人(元七三一部隊少年隊2期生)

インタビューは大分協和病院において91年9月に行われた


森下清人証言

<少年隊に入隊>

これからはね、森下さんが見たこと、体験したことを一つ一つ描いていっていただけたらなと思うんですよね。できたら今日は七三一部隊に入隊するまでのことを、その少年隊にはいるまでのところからお聞きしたいんですが。まず生れはどこになるんですか?

生れは私は野津原。大分県の野津原(現 大分郡野津原町 大分市の西隣りに位置)。

ああ野津原ね。小学校は?

大分の金池小学校。

いつ七三一に入ることになったんですか?

昭和17年。そのころは若者は職業といったらやはり兵士、それか満蒙開拓団か軍属かかぎられたところです。昭和17年の3月29日が、今の王子中学あそこが大分高等小学校、そこを卒業した。それで職業安定所の馬場静夫というのがその当時の所長で私とこの遠縁だったんです。どこにいこうか開拓団にいこうかといって悩んでいたんです。

長男さんではなかったんですね?

長男です。6人兄弟やけどあとは女ばっかし。家をつごうだとかは非常時だから毛頭なかった。親父も勤め人でしたし。市役所の土木課に出てましたから。それで3月26日に卒業して、馬場さんからいいところがあるから行くかといわれて、どこだといったら満州だというので、その晩考えて、晩飯のときに親父に満州いくけんなといったら、こめえときから悪かったもんだから、お前が行くならどこでん行けいうてこうきた。それで次の日に門司にいって。

すぐ次の日に。満州のどこにいくとかいうことは判らなくて、軍属ということだけで。

軍属というのが僕はよくわからないんですが、兵隊じゃないんですね?


兵隊じゃない。軍隊に属するんですね。給料は軍隊からでるんですね。

階級はないんですね?

階級はあります。4段階くらいに分れますね。ええと下から庸員、雇員、判任官、高等官。高等官いうのは佐官級です。少年隊は庸員になります

そういうことで行かれて、すぐ満州に渡ったんですか?

下関で各方面から来るのを2日待った。滝沢という班長が迎えに来た。それから舟にのって釜山にいった。これが揺れて揺れて。皆吐いとりましたなあ。船倉なんですよ。それでエンジンいうんですか、スクリューいうんですか、あの音がうるそうてねえ、私も気分悪くなりました。それから釜山からは汽車にのって。確か夜でした。

その当時何歳?

14歳ですね。高等小学校卒業した時だから。ちょっと3,40人、九州ばかりで。途中新京によって食事をして。関東軍の兵舎みたいなとこでした。

新京で一泊されたわけ?

いや、すぐ出発です。ハルピン向うて。

ハルピンに着いたら、すぐ平房ですか?

そう、ハルピンの駅から軍用トラックに分乗して南向いてですね。ほこりだらけの赤土の道の。そして着いたら一年先輩がおりますわね。そこで誰は何班、誰は何班とわけられて

一班で何人ですか?

三十人くらいかな。森下は三班となって。班長は井上精二。

他の班長の名前覚えてます?

ええと、1班が高階班長。2班が藤沢班長。4班は西沢班長。

班長の中でたちの悪いのがいたらしいですね?

それは高階班長。背丈は1m60くらい、32歳位かな、脊はこまかったけど銃剣術の達人でした。

教育隊というんですか?

教育隊、園田部隊。その中に少年隊というのがあるんです。一番びっくりしたのが銃を立てかけるところがあるんですよね。軍隊となんちゃかわらん。

どういうことを少年隊はやっていたんですか?

1週間くらいは御馳走ばかり食べていましたね。内地では考えられないような御馳走をね。おかし、ようかんとかそういうものの配給もある。

少年隊というのは何か勉強するんでしょう。何を勉強したんですか?

本部に入るための基礎の勉強をするんです。それが少年教育隊というわけ。本部に配属するための下準備ですね。まず教育勅語。教育勅語は十二月の時に石井閣下が読上げるんです。その次は5箇条のゴセイモン。

何ですか?あの朕思うにとかいうやつですか?

いやいやそやなくて、我が国の軍隊はよよ天皇の統率たもうところにある、いうて始まるやつです。長いですよ全部で40分くらいかかる。覚えるのに苦労したんですよ。トイレの中に持込んだりしてね。5箇条の御誓問? あれは、ひとつ軍人はなになにを本分とすべし、いうやつですね。軍人勅諭いうやつです。

ああ、それをそういっとたんですか。それなら分ります?

先生の顔を覚えていますか?

もちろん覚えています。まず長屋教官。これが一番上の人。

やっぱり僕らが考える授業ああいう雰囲気で考えていいんですか?

そうですね。入口のドアがあって開くと内務班があるんですね。その横が学科をする黒板があって机がならんでいる。そこで9時から先生が入替わって、今日は数学なら数学という具合に授業があるんです。

朝何時ころ起きるんですか?

朝6時。食事して6時半。冬の場合は7時。それから床をあげたりして9時から授業。となりの先輩の床をあげてぴしゃーとせないかん。

今のように1時間目2時間目というふうに分けられているんですか?

そうです。教官が入替わって。学科ゆうたらまず軍隊の必要事項。それからじわじわじわじわいつのまにかこうなったのかわからんように細菌のというような学科に入っていくんですね。だいたい石井中将というのは防疫給水が専門だったですから。

いまの医学部だったら例えば細菌学以外に生理学や解剖学をしますがね?

1年たったところで、試験をしてこの男はどこに配属というのを、頭がよければいいような部があるわけですね。頭が悪ければ動物飼育の専門みたいな部があるんですね。森下は本部の柄沢班に配属されたわけです。どこの班に入ってもそこのことを絶対に喋ったらいけないことになっていたんですね。先輩と交互にならんで寝ていたんだけど。

1学年で何人なんですかね?

160人かな。

語学なんかもありましたか。英語なんかも?

英語は無かった。だけど化学記号があった。水がH2Oとかいう。これはつらかったですね、我々は横文字は不得手だから。あの亀の甲いうのは全部覚えましたけど。

一般教養みたいな、芸術とか文学とかそういうものもあったんですか?

ありました。国語とか数学とかそういう一般の中学の教科くらいはありました。時間は少ないけど一応ありました。

何の授業が好きでしたか?

中国語ですね。薮本教官の授業。それが楽しかったですねえ。

それは中国語の会話ですか?

そうです。ニーハオとか挨拶とかから始ってね。

1年間教育隊にいて何かすごく記憶に残っているのはありますか?

そうですね日曜日がくれば63棟というところで演芸があると。かならず月に1,2回。それと汁粉とか甘味とかそういうものが日曜日にはつくと。本部と63棟にいくのにちょっと10分くらいかかるんですね。そこを4列で並んで。

お休みの日に街に遊びにいくことができたんですか?

できました。外出許可の申請を出すわけです。すると一人では行かせんのです。先輩と一緒に月に1回くらい。朝早く出て7時半か8時ころでて隣の部落に平房という駅があるんです。そこまでトラックにのって、そこから汽車にのってハルピンにいくんです。

それでハルピンに行って一日遊べるんですか?

そうですね一番注意されとったのはキタイスカヤ、あそこには入るな。キタイスカヤのなかにマジャコというところがあるんです、そこに軍人、軍属が日本人が入ると次の日に必ずスンガリ(註 松花江のこと)に死体がうかぶんです。ちょいちょいそういう話があったですね。

しかしキタイスカヤといったら一番の繁華街でしょ。あそこ行かんでどこに行くんですか?

そうやね子供心に一番覚えているのは写真館に行って冬の防寒帽つけて写真とるんですね。それとロシア飴買って内地におくるんです。

映画館なんかは?

映画館は入ったことないです。喫茶店はそやね一回一年先輩の堀田というのがこれが飲むのが好きで一緒について入ったことがあるかね。ウオッカというのを飲んで。あれは強かったですね。びっくりしたですがなあ。ぽっと火をつけて。

のみましたか?

いや私は飲みきらん。いまだに飲みきらん。

赤線とか青線とか昔あったんでしょう、ああいうのは?

いややっぱりありましたねえ。先輩が連れてってくれたですね。外出する時スキンもらって。満州語でピーヤというんです。それも等級がある。一番下のは、土方がいくとこは間口が1間なかろうね。うすいカーテンがあって入って行くと横に洗面器があるんですね。それに冬の場合はお湯をいれるんです。畳一帖くらいの部屋がある。そこで今度は寝るわけですね。そしてあとはそれで終り。日本人の客は金払いがいいからよろこばれましたね。

失礼だけど内地で遊郭いってたんですか?

いやいってない。

はじめての感じはどうでした?

そやね、すぐ終ったからね。相手はよろこんどった。童貞だったからね。相手はそう朝鮮人だった。三分か五分ですよ。終ったらすぐ交代ですから。終った時は後がもう入って来るから大変ですわな。

相手するほうも大変ですね

そりゃ大変。だけど金になるからね。昼間いくんですよね。七三一部隊というのは外泊というのがないから。夕御飯に間に合うように帰るんですね。点呼が9時だからそれまでにはどういう理由があっても帰らないといかん。

その辺から聞いているとなんか普通の学生生活みたいですがね

そうですね。

つらかったのはなんですか?

一番つらかったのは学科ですわね。そりゃもうノイローゼになるごとあったですわね。それまで遊ぶばっかりでいたもんだから。それがもう試験試験でしょう、こりゃまあなにしに来たんじゃろかと思うたですね。ただ、一番印象にのこっとるのは衛生学の授業で消毒と滅菌はどうちがうかというのですね、学科が終って何か質問があるかというので私が、教官、消毒と滅菌はどう違うのですかときいて私が誉められた。その時の回答が消毒は一定の限られた細菌を殺すことであって、滅菌とはすべてを殺してしまうんだいうんでしたね。

夏休みというのはあったんですか?

ありません。ただ、旅行とかキャンプとかに全員で行きました。ええと、初年次のときは、9月の末でしたかね、大連に少年隊全員でトラックに乗っていきましたねえ。楽しかったのを覚えてますねえ。途中りんご畑がずらーとならんでる所で止ってりんご取ったこと覚えてますね。それから大連について203高地から旅順から見学して。それから松花江、スンガリ。

スンガリいうのは現地語ですか?

そうです。ロシア語です。あの、先生も見られたでしょう、川に太陽島がありますわね。そこに少年隊でキャンプ行ったんですね。もう釣れる釣れる、こんなフナが入れ食い。ものすご釣れる。一つのテントに7、80人泊れる大きな軍隊のテントはって。飯合炊飯して。

寝袋ですか?

いや、毛布です。

なかなか楽しそうですね。ところで内地には、里帰りとかそういうものはないんですか?

ありません、ただ親が死んだ場合には1ヵ月くらいの休暇を、先輩でとったものはおる、そういった感じですね。誰かの親が死んだとしますね、そうしたら軍属の上官が同行して内地に戻るんです。

ああ、一人では帰さないいうことですか。まあそうやって1年がたちますわね、そうしたら、ここがどういう所なのかだいたいわかってきましたか?

そうですね、入って6ヵ月くらいして衛生学が入ってきましたね、それからだーと専門的な内容が入ってきましたから。

本部でどういうことをしているということも?

いや、それはわからんですわね。

先輩からもれてくるんじゃないんですか?

いや、絶対いわんです。ただ衛生兵になるんだという感覚はもちろんありましたね。包帯の巻き方とか3角襟の使用方だとか消毒液に何種類あるとかですからね。

あの、本によると将来医者になれるんだといって集めたというような記述があるんですが森下さんそういうこと聞かれました?

いや、我々の時代はそういうことは聞かなかったですね。あくまで軍属になるいうことですから。まあ、この部隊で努力したら中学卒の資格ができるというようなことは聞いたことありましたけどね。



森下清人証言

<本部柄沢班に配属>

いつの段階から少年隊からでて本部の方に入ったんですか?

1年たって、4月からですね。

森下さんは席次はどのくらいだったんですか。わからないんですか?

わかります、だいたい。もう私は半分以下です。

じゃ、それで振分けられるわけですね。どこに入ったんですか?

私は第3班。柄沢班。これは入ってまず培養の基礎をつくる、菌を植付けそれを無菌室でかきとって、無菌室というのはガラス張りで、入っていくときに霧のような消毒液がシャーとかかって解剖するときに医者がかぶるような帽子をつけて、眼鏡をつけてガーゼ八枚重ねのマスクをして下は作業着で、作業服のうえにゴムの前かけを着るんです

初めて着た時のことを覚えていますか?

うーん、人間誰が誰かわからんねー。それで無菌室に入る時はクレゾールいうんですかあの液体の中を長靴で入って、そう8分目くらいまで浸かって、そんで手袋して、そやねえあの医者がオペするときのようなかっこうをしてそれで入る前にシャワーを浴びるんです。それで培養缶というのがあるんですよね、その中にジュラルミンの3センチくらいのが10何本はいってるんですわね、ほで寒天を使ったのを沸騰して、培養缶のなかに穴が無数にはいっているんです、それでかき棒のさきで細菌をかきとって・・・

それはぶっつけ本番じゃないんでしょう?

ええ、先輩とか上の人から、柄沢少佐からも。

柄沢少佐っていくつくらいのひとなんです?

50年配くらいの、そう部隊一厳しい、よー怒られましたわなあ。脊は高い、あの1月1日のあれありますわね、あれでささげー筒てやるときにみんな刀さーとふりますわな、柄沢少佐のはちょっとかわってて短い刀をちょちょちょとふるだけなんですわね。しかし、厳しかったわね。敬礼でもいいかげんだったら追っ掛けていってぶったたいて直させよった。直属の部隊上官には停止敬礼いうて立止まって敬礼せないかんのです、直属じゃない将校の場合は歩きながらでいいわけ。

その柄沢少佐の下に先生というのは何人いたんですか?

さー、よーけおったですなあ。軍属の医者で20人くらい

かなり大きいものですね、班といったらこじんまりしたもの考えますがね

いや、全部で170人、我々入れてね。

兵隊もいるんですか?

我々のところは兵隊はいない。我々と先輩が50人ずついるわけです。それで本部がありますわね、そこを柄沢班に入るとトロッコが全部敷いてあるわけですね、ほいで入って左に脱衣所があって、シャワー浴びてそのまままっすぐいって左にいくと大きな釜があって、寒天を溶かしてね、またまっすぐいって冷却室があって、薄暗い所に保温室というのがあるんですね。ちょうどこの部屋の2倍くらいあって、銅板がはってあって、ドアもこんなに厚い。カシャーンいうて閉まる。そんなのが12、3あって、ほで温度調節してそのなかで菌を培養するんですね。

毎日朝の9時からずーとしてたんですね?

たまには我々悪かったからさぼりはしてたけどね。見張りをおいてね、寒い時は中が温いから。そういう部屋は例え上官でも黙ってドア開けるわけにはいかんからノックしますわな、それで今考えたらよーあげな馬鹿しよったというか、子供だからおなか空きますわな、それで滅菌するときの布がありますわね、それにメリケン粉かっぱらってきて、練ってから葡萄糖の缶を振りかけて、塩入れて、それで高圧釜のなかに入れて。

あー、パンをつくるわけだ

それでパンを吹かすわけですわな。こんな大きな(直径3、40センチ、高さ25センチ程度)。

どこで小麦粉かっぱらってくるわけですか?

いやー食品倉庫いきゃあらゆるもんがある。葡萄糖でもなんでも。

パンというのはどのくらいで出来るんですか?

時間ですか。それは菌によってこれなら何10分で出来るとかあるんです。

見つかったことありませんでしたか?

あります。ま、しかし腹が減るのに代えられんからね。それからおいしかったのは人参ですね。モルモットに食わすために人参をダーと切るんですね、それをいただくんです。甘かったですよ。ほんで頭にきたときなんかに人参のおおけなやつをピュと投げるんです。するとコロッとひっくり返る。それでモルモット死んでしまう。上官から怒られたときなんかね。

見つかった時覚えてますか?

ぱ、と上官がドアをあけた。ボイラーの上で食べよったとき。口に一杯ほおばっとるけん返事がでけんのです。こりゃ降りてこい言われて、口あけいと言われて、開けたらパンがぽろぽろですわね。それが柄沢少佐だったりしたらバーンと殴られて、

1回や2回じゃなさそうですね

ないです。それと上官の部屋の掃除の時が楽しかったね。机のなかに煙草があるんですよ。まー悪いことはようしよった。

一緒に悪いことした悪友の名前覚えていますか?

後藤祥太郎とか和田清美とか衛藤とか大分県からいとるのと一緒にしてましたわね。皆覚えとります。とにかく腹がへるからねー。

御飯たっぷりあったんと違うんですか?

いや、飯が一膳だから。お替りがないから。ただ滝沢班長が、大きな食堂で皆でたべるんですが、班長だから大きくつぎますわね、私一年間班長当番だったもんだから、滝沢班長の。そしたら気をきかせて班長が残して、食えいうて。

それで御飯は麦飯ではなかった?

そうです。内地いたときは芋とかかぼちゃを覚えとりますわね。それからおかずは肉魚でしょう。カレーライスとかトンカツとかおよそお眼にかかれなかったもの食べれましたわね。

戦争してるという感じはありましたか?

いや、内地からくる手紙は全部検閲してましたから。そういうことは全部墨塗って消してあるから。だから手紙は元気か元気かというとこだけ残してあって、あと全然わからんのです。

でも軍隊ですからそのうち敵が責めてくるとか、最前線おくられるかもしれんとかそういう感覚なかったですか?

なかったですね。全然。日本は押せ押せという感じで勝っとるというくらいしか頭になかったからね。一番勢がいいとき行きましたからね。ただ途中で支給されとった銃が木銃に代えられましたからねえ。南方かどっか送ったんでしょうかねえ。

教練もあったんですか?

柄沢班に入ってからはないんです。教育隊におったときにありました。柄沢班に入ってからはない。だいたい必要な項目は教育隊のうちにしてしまうから。柄沢班に入ってからはもう班単位で行動しますから。

それからは柄沢班で授業がおこなわれると?

授業じゃなくて、たとえばこれは何度で滅菌しなければならないとか、1年間で習ってはいたけども、柄沢班に入ってからは本格的な作業内容というのがあるんですね。

さっきいった厳しいけどなかでパンもつくったりとか、あの高圧釜も銅板のはってあった部屋にあるんですか?

高圧釜は全然別です。高圧釜は培養基がありますわね、本部の中こういうふうに線路が走ってますわね、そしてここから入って左に釜があって、タイルが貼ってあって、それからこういって銅板貼った部屋が12、3ある、それからここに大きな門がある、そこで無菌室がある、そこのむこうに高圧釜があるだから順序よくなっているんですね。

その当時作業に危険性を感じませんでしたか?

その当時菌というのに危険性を感じていなかったからね、感染したら病気になるという知識はあったけど、まあ慣れもあったし、それとりんごがおいてあって、

りんご?

りんご。果物の。もし誤って、あ、ピペットてありますよね。あれで誤って吸ってしまったとき、飲み込んでしまったらいかんからりんごをかじって捨てるんです。

たしか本にも書いてあったけど。りんごかじったことあるんですか?

何度でもあります。あわてものだったから。あーやったという感じですわ。

一年中あるんですか、りんごは?

ええ、冷凍しとったからね。

何回くらいかじったんですか?

7、8回くらい。

だれかそれで病気になってしまったという人は?

あります。もうそういう場合は戦病死ですね。

同期のかたで亡くなられたかたいます?名前を覚えていますか?

村上いうたね。配属になって2、3ヵ月後ですね。ただ柄沢班じゃないです。

何にかかった?

ペスト。

隊のなかに病院はあるんですか?

ありません。診療所ならありましたけどね。手術したり入院したりするときはハルピンの陸軍病院に移されるんですね。

村上さん、どこの出身でしたか?

えーと、山形ですね。

死んだら内地に送りかえされるんですか?

ええ、骨にして。戦病死ですね。

森下さんが内地に送った写真とかあるんですか?

いや、ないですね。どこにいったのか。葉書は2、3枚ありますけどね。

柄沢班というのはこの絵の、ここが本部ですね、この向うの呂号棟の?

呂号棟の1階です。ほいで先日お話したようにこの回りにトロッコの線路がひいてある。

1階全部を柄沢班が使っていたと。こちら側は窓がないんですね。こちら側は?

こちら側もないんです。ここにはあるんですが、その他はありません。真っ暗です。

この本部のなかは最初の1年目は入れないんですね?

はいれません。何をやっているかもわかりません。

2年目の4月から柄沢班に入られたわけですね、それでやったことは先だっておききした細菌の培養だけですか?

まず、培養基の作り方ですね、それから滅菌、その他そういうことを徐々になれていくんですね。

呂号棟1階でずっと仕事をしている、他の所にはいかないんですか?

いや、あります。それは柄沢班でも小動物を飼育していましたから、その結果の菌を、ペストならペスト、チフスならチフスを動物から培養して、それをマルタに打つわけです。そのマルタを隔離室に入れて、死ぬまで観察するわけです。

その仕事も全部柄沢班の仕事なのですか?

ええ。



森下清人証言

<はじめて見たマルタ>

マルタのいうのは今日はじめて出て来たんですけど、そのマルタがいるというのをはじめて聞かれたのはいつの時点ですか?

聞かれたというより、見たんですね。言われる前に。

それはいつのことですか?

ここの回りにトロッコがありますわね。ほでここから入ってここからこういったところに柄沢班のここに扉があるんですね。トロッコである日仕事しとったんですわ。そしたらここの扉があいとったんですわ。鉄の扉が。それで見たら死体を運搬しとったんですわ。解剖した後の死体をね。お、あれ何だろかてわけですわ。

何人くらいでみたんですか?

うん、トロッコはだいたい4人ひと組で押します。重たいから。お、なんかというわけで。それまでちょいちょいうすうすマルタという言葉ききよったですから。

マルタという意味はわかっていた?

そりゃわかっていた。本部に配属になってしばらくしてそれとなく判った。

見たのはそれがはじめて。それは何月ころですか?

えーと、7月かな。7月の末でしたかね。

どんなふうにみえましたか?

ちょうど鉄の扉が北側になるんですね。ハルピンの街の方向ね。そで、その時に向うも手でもって運ばないんですね。やっぱレールが引いてあるんですね。それでトロッコみたいなもので、その上に担架みたいなものを、そのまま焼却炉に入れるように、横たえて。

解剖したということが歴然としていたんですか?

わかった。動かなかったからね。死んでるのはわかった。

だけど解剖したかどうかという証拠は?

そりゃわからんかった。布かぶせてありましたから。

人間であることはわかった?

そりゃわかります。焼却炉がそこしかないし、そういう造りになっていたから。

その時の御記憶をおききしたいんですが、4人でみたんですね?

こういうふうに皆で止って見たんですね。

しゃべらなかった?

もの言うと響くからね。

誰かがおしていたんですか?

そうですね。マスクした隊員が。兵隊じゃないです。医者ですね。

そのとき見たのは何体でしたか?

2体。その2体は重ねとったわけですわね。1体すんで横にのけといて、もう1体すんで重ねとるんですわね。高さでわかります。

ま、布かぶせているから男女とかそういうのはわからない?

そうですね。どういうのかは。

そこで初めて見られたと?

ただ少年隊のときに風向きによっては臭いがくるんです。焼却するときの悪臭が。それまで経験したことないような妙な臭いが。なんか妙な臭いがするのお、て。



森下清人証言

<解剖室へ>

それから1ヵ月半位のときに柄沢班から柄沢少佐の下の軍医のかたから、たしか少尉だったかと思いますが、実験するので使役に行けと、使役というのは軍隊用語で加勢ですわね。行けと。そしてこのことは一切言うことはならない。秘密だと。わかりました、いうて。

一人でですか?

2人です。これが解剖室ですわね。焼却炉のすぐ横ですわね。

それで解剖室に行かれた。解剖はもまだ始っていなかったんですか?

ええ、やってなかった。

解剖室はどんな部屋ですか?

タイル張り。白のタイル張り。まだ死体はなかった。それで、ちょっと待っとれ、命令あるまで待っとれと。柄沢班でするときは柄沢班の者が行くようになっとるんですね。専属というのはおいてないんですね。解剖室も一つじゃないんですね。いくつかあってこの解剖室は何時から何時までという具合に

どのくらい待ったんですか?

うーん、15分から20分ですかね。必要なところからペストならペストをとってシャーレにとって、それを白金耳でもってずーと塗るわけですわね。研究したい所を解剖してそれで塗るわけですわね。

待っている間に何か話しましたか?

やっぱ噂どうりやな、いよいよ我々も配属されるようになったなあ、と。

何か一人前になったような気分でしたか?

いや、小動物の解剖は我々させられていましたから。

いよいよ今度は人体だなという?

そういうことですね。

二人で黙って待っていたんですか?

そうです。

それで15分か20分して解剖室に入って?

もうあの解剖の先生なんかは消毒してマスクして眼鏡かけて。

あなたたちの格好もそうじゃないんですか?

そうです、先日お話したようにマスクして眼鏡かけて霧かぶって。

それで解剖していた?

いや、終ったあとですわね。使役というのは片付けですわね。水をながしたり再度消毒したり。置いてあるものをホルマリンやアルコール浸けにしたりするわけですね

ああ、中に入れという時は解剖は終っているんですね。身体は残っていましたか?

身体そのものは残っていましたね。目的がありますからね。このマルタには何々をうってあるからどこどこを調べたいという具合ですからその調べたいところだけ切っているんですね。ほで、そこから白金耳ですくうんですね。

あなたたちはその培養基にうつすのをしたんですか?

いや、それは後になるんです。そのときは片付けです。

そのときの情景を手短に

血液が下に散ってますわね。それを流して、消毒液を流して無菌にして。死体のほうはさっきいったのに乗せて焼却炉にもっていくんです。ほで、焼却炉に入れて、焼く人は別におるんです。それに渡して再度部屋に帰って掃除するんです。それやったら時間がかかってもいいから。それでメモしとるんです。肝臓とか腎臓とか書いとるんですわ。ぞうもつをずっとおいとるんですわ。それを3%の食塩水で洗うんですわ。それをホルマリンやアルコールの中にいれるんです。血液がでないように3プロの食塩水でよく洗うんですね。

注射器か何かでいれるんですね?

あ、いや特殊なポンプのようなので食塩水をおくりこむんです。それを血管に入れるとザーと血液が洗い出されるわけですわね。そうしてホルマリンに入れると血液が漏れ出さないんですわね。

それでホルマリンの中に始末してそれで一応仕事は終りと?

はい。それを柄沢班の15畳か20畳くらいのそういう資料をおく棚があるんですわね。その所に持っていっておくんですね。して、解剖した日にちと先生の名前をかいとくんです。

はじめて解剖室に入ったときの死体、どんな人でしたか?

男性です。白系ロシア人です。ハルピンは白系ロシア人が多いんですわね。一見して色が白いんですね。28か30歳くらいでしたね。体格がええですわ。手なんかこんなに太くて毛が生えとるんですわね。胸毛もね。そりゃ男前でした。身長は1m80は楽にあったでしょうねえ。

もとどういう人だったかというのは?

そりゃわからん、どっからきたかとかは。

それは何月のことになります?

その時?はじめて見てから2ヵ月くらいしてやから、9月ころですわね。もうぼつぼつ涼しくなるころやねいう。

その時の同僚の名前覚えていますか?

谷口。もう死にました。

それからちょくちょくそういうことはありましたか?

ええ。

何かそのことで強烈に印象に残っていることありますか?

なんで、こういうふうに、まあ子供ながらの疑問ですわね、1体でもって3人なら3人の先生がいっぺんに自分の調べる所せんのかね、そしたら1体ですむのにな、という考えをもったことはありますわね。

それはどういうことなんですか?

いや柄沢班でペストの解剖しますわね、そしたらよその班でも同じようなことするんです。そしたらいっぺんですむのになと。何回もいかんでもいいのになあと。

ああ、なるほど

それで入ったときに他の者には言うなよと命令された後、特別室の食堂のようなところに連れていかれて、好きなだけようかんなんかを食べれるんですね。ほでそこで腹一杯食べたあと、酒ようかんてあるんですわね、それを2、3本持って帰って。

しかし初めての解剖、すぐ慣れましたか?

慣れましたね。

ようかんが出るからむしろ行きたいとか?

いや、それはないです。まあ、ようかんでもでるからなあというぐらい。まあ、後の楽しみがあるから。行きたくはなかったですよ。

初めて見た時はやはりショックなものでしたか?

というより気分が悪くなったですわね。初めて大量の出血なんか見たわけでしょう。

月に何回くらいありましたか?

多い時で週に2、3回ありましたね。そのかわり同じ先生じゃない。柄沢少佐自身がするときもあれば東京から知らない人がきてから柄沢少佐立合いのもとでやるとか

それらは死体解剖ですね。死んでからの解剖ですね?

もちろんそうです。その前におとなしいのから別の部屋に連れていって菌を打つわけですわね。ほで死体になるまで記録とるんですわね

そういう今言われたことも御覧になったんですか?

うん、我々がやった。

今度はそのへんのことを



森下清人証言

<感染実験>

ほとんど解剖に行ったのと同じ頃ですわね。

今度は説明がいりますわね、どういうことを記録せよとかの?

そうですね、脈拍、ペストの場合はリンパ腺の腫れ具合、肉眼でみたようにね。まず身長体重をはかりますわね。それでガラス張りでしたから。

ガラス張り、部屋がですか?

その中にマルタを入れとるわけです。外から見て観察すると。

天井までガラスがあるんですか?

そうです。壁も戸もガラス。8帖から10帖くらいですわね。外に机とかがあるんです。

中にマルタと・・・?

ええ、ベットが置いてある場合もあるし、布団のときも。中のマルタが何時間くらいで倒れるかずーと記録していくわけです。

床にトイレがあるとか、洗面所があるとかは?

そういったものはないです。下はタイルです。

マルタは何体いれるんです?

いや、それは研究するマルタを1体だけです。

どういうふうに調べるんですか?

中に入れる前に体重とか測るわけでね。マルタの部屋があるわけですね。これから連れてってね隔離室というのがあるんです。そこから連れ出すんですね。

マルタ小屋はみてないんですね?

マルタ小屋は見てない。隔離室から連れて、観察室につれていくんです。

どうやって連れていくんですか。ストレッチャーで運ぶんですか?

いや、歩けるから。

どういうか格好させてるんですか

そりゃもうまっ裸。

それで鎖。手鎖、足鎖?

凶暴性によって違うんですわね。

最初に見たかたは覚えていますか?

ロシア人です。男性。40過ぎていた。脊は低かった。こぶとり。

その方ロシア人でしょ、あなたが命令するんですか?

いや、通訳がおります。

通訳を使って歩けとか、鎖をつけたままですね。その方手の方も鎖をつけていましたか?

手はつけてなかった。

凶暴じゃなかった?

というより暴れても抑えきるというような。それに拳銃もってますからね。我々のところに連れてくる者が。

ああ、兵隊が

いや、軍属ですね。兵隊の場合もあります。

そこで受取って、あなたがたが連れていくんですね。兵隊も一緒ですか?

そうです。4、5人でね。部屋の中で注射うったんですね。

裸のままね。ところであなたたちの格好は?

いやもう感染する恐れがあるから常に消毒した格好ですね。

その時の同僚は?

えーと、小笠原。

そこで森下さんと小笠原さんが実験につくと。まず身長と体重を測ると。それで一緒に部屋の中にはいるんですね?

入ります。

それで接種は誰がしたんですか?

そりゃもう解剖する先生です。

どういう風に接種されましたか?

えーとその時は静脈に。一番最初のはちょっと何の菌かわからんのですが。もちろん菌そのものはねばっこいから、薄めて。

そのときマルタのロシア人は抵抗しましたか?

抵抗しないような方法があるわけなんです。というのが君はおとなしいから早く出してあげよう、それにあたっては予防接種しないといかんから、と通訳がいうんですね。そすと喜んで手を出す。

しかし、おかしいと思いますよね?

そうですね、我々が出た後、きょろきょろしてますわね。

それで接種したあと外から観察するわけですね?

ええ。観察記録するノートがあるわけです。記録する科目がずーとあるわけです。それに何分になったらどういうようになって、何分になったらマルタが座り込んだと。で、何分で横になったと。

どういうふうに変化していったか覚えていますか?

うーん。打った菌を覚えてないからね。まず打ってから3、4時間後に顔の色がわるくなったね。それから座りこんだね、それでひざまづいて頭をかかえて、それが約30分くらい続きましたですね。それから横になって、背伸びして、またうつ伏になって、仰向けになったりして。早かったですね。

その間ずーと観察を?

交代がある。だいたい2、3時間で交代。死んでしまうまで、6人で2人1組で。

それで比較的早く亡くなったと。その方血を吐いたりしませんでしたか?

そやねえ、きみずのようなもの吐いたねえ。それでそのとき先生に電話で連絡しました。えー、今きみずを吐きました。どうしましょうか、と。そしたら、よし、そのまま観察を続けろ言われました。

それで?

その後早かったですなあ。10分くらいして、動かなくなりましたね

亡くなりかけた時瞳孔なんか観察しないんですか?

それは命令した医者が入っていってするんです。

それをずーと観察されてどういうようにお感じになりましたか?

人間簡単に死ねるんだなあ。注射1本で。しかし、おれはあんな苦しみはしたくないのうということですわね。

それで亡くなって、そのあと解剖室に連れていったりもするんですか?

やります。我々に命令するわけです。よし、終ったぞー、というて。

それですぐ解剖しますわね?

そうですね。すぐします。すぐストレッチャー言いますかあの病院にあるあれにのせて解剖室につれていきます

それで待機して、ホルマリンやらアルコールの準備したりして・・・

いや、準備はできとるんです。目的がありますから。先生のほうでこれこれをしたいというのが判っているから準備はできとるんです。

それで待機して、解剖は見ないんですね?

いや見ます。その時はね、肝臓やったかね、こっちに3枚ありますわね。こっちに2枚重なっているやつ。あれはー、何だったかね。(註 肺)

ええと今、最初に観察されたロシア人の方が亡くなられて、そして解剖を、それは立合われた、と?

そうですね。

その時の先生の名前覚えている?

いや、覚えてない。

先生の名前はわかるんですよね?

わかる。標本にかいてあるから。何々少尉とか何々中尉とか書いてあるから。

そのような少尉とか、中尉とかの位の人ができるんですか?

いや、資格があるひとはできます。軍属でも、判任官でも高等官でも、柄沢班長なら柄沢班長に、つまり自分の所属している上官に、こうこうこういうことをしたいのでマルタ1本お願いしますと伝票を出してオッケーが出ればそれでいいんです。自分の思う実験ができるんです。それでその実験の成果を報告するわけです。

ちょうど、その最初の実験のときのドクターはどんな人でしたか?脊の高い人でしたか?

そやねえ、1メーター65くらい、私たちがちょっと見上げるくらいでしたから。痩せとったね。

解剖は一人でされるの?

その時は東京から来た若い見たことのない先生がついとったね。今ならインターンいうんですかね。全部で4人いました。

その時は森下さんは見ていた?

ええ、見てました。

中に入ってたんですか?

いや、顔出し口がありますから。必要なければ外で待ちますから。

4人の先生が解剖されて、先生方が出られてからはいるんですか?

そうです。中から手上げてから、初めて我々はいるんです。

それで死体を焼却炉にもっていって、さっきの話のようにするんですね?

そうです。

服は完全防備のやつでするんですね?

そう、まだ菌が生きてますからね。

そういうふうな内部の仕事に入られて、焼きついているような思い出何かありますか?

というのは、うすうすは聞いたことがあったが、ああこれがマルタなんだな、ということと、容疑はなんだろな、スパイ容疑かなとか。

死刑囚という認識はあったんですね?

ありました。というのが七三一に入って来るのがもう消耗品で入って来ますからね。人間じゃない。品物だから。マルタというのがもう消耗品ですから。

皆さん、当時マルタ、マルタといっとったんですか?

そうです。

片仮名のマルタなんですね。漢字ではなくて?

そうです。漢字じゃ書かない。一連番号があって、その記録をみればどこどこで逮捕されたとか書かれているんです。

それを見たことがあるんですか?

いや、ありません。憲兵隊に保管されているはずですから。

それで、さっきの話に戻りますが、すぐに死ななくて、2、3日もつことがありますよね。そのとき先生はずっと立合っているんですか?


いや、立合ってない。そろそろかなという時に我々が、先生そろそろですいうて電話するんです。観察室のところに電話があるんですね。

あなた亡くなったときに立合われましたわね。実際どのように連絡するんですか?

電話で先生呼出して、いま、息ひきとりました。どうゆう処置とりましょうか。そしたらこうこうこうしとけと。それに従ってするわけです。

何先生というのは判っていたわけですね?

アルコールの札先にみてますから。何先生か、何技師かというのは。

技師って何ですか。先生じゃないんですか?

技師っていうのは軍属ですね。先生とつく場合は軍医なんですね。兵隊になるわけです

軍医の場合は少尉とか中尉とかあるわけですね。軍属の方は、そういうのがなくて技師だけと?

いやいや、一番下が星のひとつマークで、2番目が白の五つ星、ほで、雇員傭員というのが白で、判任官が黄なで、高等官が空色でそういう段階になってるんです。

そこにマルタ連れていかれて予防注射とかいうてされるんですけど、暴れたりしたのはおりませんでしたか?

おりましたね。感付いてね。その時じゃなくて後になってですけど。



森下清人証言

<女性マルタとの会話>

女性の方もいましたか?

おります。中国人。そで私が聞いたのに、ニーナーチュラマー、あんたどっからきたんか。わたしゃ案外中国語できたから。少年隊のときに中国語も教えますからね。外出なんかしたときいりますから。

で、聞かれたと。何と答えましたか?

上海。そで、ニーショウハイユーマーあんたに子供さんがおられますか、メイユラということはいないということ。フーチンムーチンユーラーマー、お父さんお母さんいますか。いる、と。その程度の会話はできます。

どんなことを聞かれました?

まだ結婚はしてないと、どうしてきたんか。何かわからんけど逮捕された

いくつくらいの人?

それは若かったね。23くらい。というのはニーデチイネントーザイスちゅうのがあんたことしでいくつになりますか、アルスウサンちゅうことは23ですからね。私の記憶では23。仕事の事は聞かなかった。

隔離室で会ったわけですね。その女性の方も裸だったんですか?

う? 女性は服着てた。

男性は裸で、女性は服着ていた?

そうです。

どんな服着てました? 囚人服ですか?

いや、囚人服じゃない。中国服。自分の着てきた服や思います。それで手に鎖。手錠じゃなくて時代劇に出て来るような幅の広い鉄の。その間に30センチか40センチの鎖があって。

それで普通の服を着ていて?

マルタ小屋では裸なんですよ。それを隔離室につれてくるときに、他の人の手前もあるから釈放するからいうて服着せるんでしょうね。私物に着替えさせるんですね。

おびえてましたか?

いや、あんまりおびえてなかった。釈放されると思っていた。自分は本当に出してもらえるんだろうかいうて私に聞いた。というのは先生が来るまでに時間があったから。

それで何と答えたんですか?

それですぐ予防接種をして釈放するから。ほで、お金なんかはどうなるんじゃろうかいうて。汽車にのらないかんから。

それで釈放されると思って?

信じきっとった。

名前覚えてますか? 名前聞きましたか?

チン。チン・・・ショウレイ。レイという字は美しいというあの字ですな。チンはこざとへんのあれですわね。ショウは、それが思い出さんのですわね。

マルタだから名前が書いてあるわけではないですよね。それはお聞きになったんですね?

そうです。ニーショマミンズあんたの名前はて聞いてそういうたんです。

それでその方も観察室にいれて、やはり注射ですか。静脈注射?

先生によって違いますわね、その人の時は注射するまではいなかった。私は。

その後観察にいったりもしなかった?

それは私はしなかった。その女性の場合は。・・・とても綺麗な方でした。色の白いねえ。髪の毛は黒で長い、それを三つに編んでた。一本じゃなくて、二つに分けて。

今でも顔を思い出しますか?

思い出します。なぜ私がそれを覚えているかちゅうと、私の兄弟は女ばっかし。そで特に意識にのこるんです。

脊の高さは?

そう高くはなかったね、私よりは高かったけど。やせて。中国人のあれというのはたいがいが先生もお会いになったと思うけど、やせてスーとしてますわね。ああいう感じです。クーニャンて感じですわね。映画なんかで柳のしたで扇子なんかしてるようなね。

話しぶりからね、教養があるという感じでしたか?

ありました。満州では家のことをファンズというんです。ニイというのは貴方ということ。それでニイファンズナーベンちゅうと、あなたの家はどこですかということです。ところが中国大陸のほうになるとファンズじゃ通じないんです。ジャーなんです。ニイジャーナーリーとなるんです。

つまり最初の満州の言葉じゃ通じなかった、それで大陸の言葉では通じた?

ショマ、ショマいうて聞直すわね、向うがわからんと。何、何と。

それで上海ということとか判ったわけですね。しかし、本当はそういうこと聞いたらいかんのではないのですか?

いや、そりゃかまわんのです。そりゃもう許可なってますからね。落着かせるわけだからね。お前は殺されるいうわけじゃないんだから。イースーラなんていったらあんた殺されますよなんていったらそりゃ大変やろうけど。

まあ、そういうことも任務のうちだと?

いや誉めやせんけど禁じもしないという。

それで変なこと聞くようだけど、その若い女性見て、その時かわいそうだなとか思いましたか?

もちろんあります。これ何もわからんで、何時間後には解剖されるんやなあと、知らないということは恐ろしいことだなあ、と。

その女性が解剖されるのとかも立合ってないんですね?

私、その時たまたま急ぐ仕事があったからね。顕微鏡の染色の途中で行ったから。

何の菌だったかということも?

調べる必要もないし、調べる気もないですから。調べようと思えば同僚に聞いたらわかるんですけど。同じ柄沢班ですから。

それ以外に、その2年目のときのことでそのように強い印象をおもちになっている方がいますか。

マルタですか。マルタ。番号は覚えてますけどね。何番の方がどういう体形でどういう顔だったかとかは。えーと、15番が黒人

黒人がいたんですか?

いました。

それはアメリカ軍の方ですかね?

いや、それは全然わからん。通訳は英語で喋ってましたね。黒人いうても真黒のじゃなくて薄黒い。背丈は大きい、体格は痩せがた。職業は日本軍の捕虜ですね。飛行士。撃墜されて捕虜になった

それは通訳の方から聞かれたんですか?

そうです。

それは満州かどこかで撃墜されたんですか?

いいえ、日本で。それをこっちに送ってきた。

その方の名前は御存知ない?

名前はわからんけど、番号が15番。あの当時30位ですね。
階級は少尉、アメリカの

その方とどこでお会いになりました?

その方とは、通訳が連れてきて隔離室のところで引渡されますわね、私らは消毒してるから。ほで、むこうのマルタも消毒して部屋に入れると。

それで観察室につれていくとき知られたのですね?

いいや、私たちは隔離室までだったですね。

そこで通訳の方から・・・?

ええ、通訳の方とはしょっちゅうですから顔見知りになっているからね。どこ、て聞いたらアメリカち。

他には?

50歳くらいの、・・・ベトナム人かねえ、あれは。ベトナム人と私は思いますけどね。私の同級生の骨格ににとったねえ。

その段階でお会いになった方で、この前話していただいた女性の方は他には?

その段階では他には。これは後ほどの話になりますが、屋上から見たのが。

それは後でじっくり聞かせていただくつもりですが、まあ、そういうふうにマルタ小屋から隔離室に連れて来る、それから観察室に行く。観察室のなかで実験が始って、そこで亡くなったら解剖室につれていって解剖して、焼却する。で、身体の各部はホルマリンづけにすると。そういう一連の流れということで理解してよいですね

はい。

あと、先程暴れたマルタがいたいわれましたけど、それのことを

ああ、あれは私がついとったんじゃないんです。私らがええと、解剖室で片付けよったときなんか大きな物音がしたんです。大声も。それで入口のとこ行ってみたら、大きな白系ロシアが暴れてたんです。手と太ももと足首に鎖つけられてましたけど、大声あげて暴れてました。それで軍属が押えつけたり銃で殴ったりしてました。

森下さんが引出したマルタじゃないけど、見た?

そうですね。見ました。

森下さんはそういう危険な目にあったことはないんですか?

私はなかったですね。

そういう感じで9月頃から冬まで続いたということでいいわけですね?

そうですね。そで、柄沢班本来の仕事は七三一部隊の培養基をつくるわけですからね。



森下清人証言

<正月の閲兵式>

それで冬になると閲兵があると。その年も石井四郎はいたんですか?

そうですね。私たちが行ったときから部隊長閣下は石井四郎。

あの、悪魔の飽食読むとね、42年から45年は北野政治と書いてあるんですが。42年いうたら17年ですわね。そしたら森下さんが入られてからは部隊長は北野政治だったとおもうのですが?

北野政治という名前はよく聞いてますが。

しかし、1月1日の閲兵式のときは石井四郎が来たと。勘違いじゃない?

いいえ、そういうことはない。写真にあるように石井四郎閣下は鼻髭がぐっと伸してます。

(悪魔の飽食の石井四郎の顔写真を見せて)この顔覚えてます?

覚えてますよ。閣下ですから。

北野政治の顔はどうですか?

いや、見た記憶ないです

(石井四郎とその兄弟の写真を見せて)この顔を・・・

ええ、これは兄さん。高等官。軍属の。見たことあります。佐官級ですわね。医者ではないです。

(北野政治の写真を見せて)写真によるとこれが北野政治と書いてますわね?

あ、そうですか。記憶はないですね。私たちの部隊長は石井四郎閣下でしたから。入隊した時の4月のときから。次の1月も石井閣下、そのまありに偉い人がずらっとならんでいたですね。

それでその年の正月の閲兵式も、寒いでしょうねえ。零下30度? 朝何時からですか?

9時から。防寒服来て防寒マスクつけて、ほで石井閣下が言うときだけ帽子の耳当て跳ね上げて、頭の上にぼたんがあってそれにつけるんです。

聞えましたか。声はよくとおる声でしたか?

聞えました。マイクだったから。とおってましたよ。

どういうことを話されましたか?

こないだ話ましたように、軍隊の教育勅語とかから始って。

特殊な話はないんですか。例えば戦況が悪化してるから頑張らねばならないとか?

そういうことは一切ないですね。戦況とか部隊の仕事内容とかは一切でないです。

石井のほかに誰かしゃべるんですか?

ええ、祝詞いうんですかね。教育隊では園田中佐。軍属と軍人と区別してずうっつとならんでるんですね。私たちは少年隊ですから右っかわの一番端になるんですね。ほで左から高等官、将校であれば階級別にならんでいくんですね。但し、教育隊の隊長は中佐だから左のほうにいますわね。班長は私たちの前にたちますけど。そで班長の前に長屋教官いうて少年隊の責任者がおるわけです。

どのくらいの時間があるんですかね?

どのくらいいうて、嫌気がさすくらい長いんですわね。寒いのと、凍傷にかかるいうて手あげられんでしょう。睫毛のところが氷でもってつららが下がるし。真白になって耳は真っ赤になるんです。わからんように足を靴のなかでうごかさんと凍傷になるんですしね。

その2年目の正月。空は晴れてましたか?

いいえ、雪が降ってました。ハルピンの街の方からの風で、雪が降ってましたね。日は変えられんですから。

そうですね。1月1日だから。雨が降っても雪が降っても?

いや、雨の時は63棟なんです。

地面は凍っていたんですか?

もちろんカチンカチン。雪は薄くですね。ぱらっとした細かい雪ですね。

それでその雪なんか拭取ってはいけないんですか?

そりゃもうじーとして。軍隊ですからね。細かいことはいいんですけど、飛上がったりはできませんよね。

倒れたような人いませんでしたか?

それはいませんでした。緊張してるから。

それからお祝いの何かするんですね?

お祝いは各隊に分れてから隊にもどってからですね。炊事班というのは満人がおって御飯たいてまっとるんですね。そで、食事当番というのが各班で4名ずつ、これは閲兵にでらんで帰ってすぐ食べれるようにずらーと並べとくんですね。

4月までがワンサイクルになりますわね。同じように、細菌の仕事とマルタの実験と?

いや、それからの解剖はノータッチ。

あ、それからは立合ってない?

ええ。柄沢班以外のはノータッチ。

ああ、それ以外の班のがですね。それで17年に少年隊に入って、18年に柄沢班、19年もそうですね?

そう。20年もそう。8月の停戦になるまで。とちゅうで班が変ることはないんです。配属された業務内容を全部マスターするわけですわね。他の八木沢班なんかに行ったらまた一からやりなおさないかんし。もう、そういうよそのところが何してるかわからん状態だったし。

森下さんが入ったあとも少年隊に入ってきましたね?

はい、毎年入って来ます。20年にも。数はだいたい同じくらい。

上の学年は?

はい、私たちが3年次になったとき、うえは4年次というのはないんです。そうなった場合にはこの地図でいいますと、ここの錬成隊になるんです

錬成隊になると仕事の内容はかわるんですか?

おんなし。ほやけど階級があがりますわね。

少年隊は軍属だと言っておられましたね。そしたら錬成隊は軍隊のほうになるんですか?

変りません。あくまで軍属は軍属。最後まで軍属。

正月から4月までのことで何か覚えていることありますか?

そうですね、今少しふれましたがね、少年隊、判任官、家族もちがおりますからね、そういう方のもちつきをやろうと。63棟で。臼を30位並べて。正月前ですけどね。どんどん釜でたいて。そとにアンペラというのがあるんです。

アンペラ?

ええと、どういうたらいいんでしょうかねえ。満州には竹を編んだような、むしろみないなものをアンペラというんです。日本でいうござみたいなもんです。その中についたもちをならべるんです。そしたら寒いからすぐこおるんです。それでこれはどこの官舎へとかするんです。もっていく途中、ズボンの中に入れるんです。ほで、途中に防空壕があるんですが、かくすんです。

ははは。あんもちなんかもあるんですか?

いや白いもちだけです。いたみやすいからね。官舎の方にはあんもちいれます。

隠したもちをあとでとりに入って・・・

そうです。で、ペチカで焼いて。おいしいですよ。最高の味です。それとちょっと後先の話になりますけど、2年次の11月のころアンダいうとこに七三一部隊の特別な演習場があるんです。かなり離れたとこですがね、細菌弾を空中爆破してどのくらい散らばるかいうのを調べるんですね。もう寒いしね、それとノロいうのが多かったですね。先日お話した培養缶の中を抜いたのを並べるんです。それを1列づつ我々が分担するんです。

アンダ、日本語で安達ですか。どこにあるんですか?

ハルピンの北。とにかく部落もあまりないとこ。それでノロいうて鹿の種類がいて、あれがトラックでいきよると、トラック飛び越えるんです。びゅーと。そりゃあ、びっくりしますよ。ありゃー何やろかいうて。ほんでバーンいうて射つんやけど、当らんですね。速いですよ。それからねえ、夜は狼が鳴くしねえ、そりゃ恐かったですよ。1週間くらいおったですね。テントで。ほで、菌じゃないんですよ。爆破した破片を数えるんですね。それでどのくらいの範囲にひろがるか判るらしいんですね

お正月、年賀状内地から届きましたか?

届きました。はい。元気でやっているかとか、休暇がいつごろ取れるんだろか、とか。戦況のところは今でいうマジックで消してましたけどね。大分におるんだけど、野津原にそかいするからいうのは消えてた。

戦況がわからないから、日本が危なくなっているとかいうのは?

全然。勝ってるもんだとばかり思っていた

肉親が亡くなったとかで内地に帰られた方いますよね。そういう方から聞きませんでしたか?

うーん。聞きませんでしたねえ。いや、七三一部隊くらい命令が徹底してるとこはそうないんじゃないですかね。隣の部隊がなにしてるかもさっぱりわからんことが多いんだから。同じ柄沢班でも、ちょっとマルタの使役があっていきますわね、そしたら森下はどけいっとったか全然わからないですからね。

他にいろいろな班がありますよね。そのなかで一切今日何があったかは言わない?

うーん。聞けばね。核心には触れないけどね。もし核心に触れたこというてそれが一級上の者に入ったら班長のとこいくから、ばっかばかやられるからね。そりゃもう叩かれるなんていうもんじゃないんです。はんじょうかというのがあるんです。班長なんかがはいてる皮のつっかけみたいなやつです。部屋ばきですね。それで血がでるまで殴られる。

そういった子供もいたわけですね?

ええ、なんぼでもおりました。

殴られる理由というのは、やはり仕事の中身を喋ったというのが?

いうたほうも、聞いたほうも殴られます

森下さんも殴られましたか?

あります。お前方今日はどげな仕事しよったんか、今日はどやったかいうのを、一級上の小板というのに聞かれたんですね。そしたらお前らなに言よんのか、部隊の作業内容のこと言いよったろうがいうて。

それは誰かがいいつけたんですか?

いや、横で聞いとった。ほですぐ班長室によばれて。直立不働の姿勢ですわね。倒れてもすぐ立ってね。悪い班長ならながいことやられますわね。私らの班長は井上班長いうて案外優しかった。涙をながしながら叩くんです。がまんしろいうて。私らも班長と一緒に泣きながら殴られますわね。2、3回倒れましたね。子供やからね。

小板さんも殴られた?

いや、小板というのは一級上なんです。私らが同年兵と話とるのを小板が聞いたんです。
小板が班長に申し上げたんです。

ああ、勘違いしてました。森下さんと話したのは誰なんですか?

それは佐藤正二。

いつの時ですか?

2年次ですね。おれたちは腹へったらまんじゅう作って食べたりしよんのぞちゅうような話ですがね。

向うの方はどういうことを?

おれ達の方はのう、顕微鏡がズラーと並んどんのぞ、ほんで1、2台か特別に凄いのがあっておれたちはあたられんのや、電子なんとかいうとったですがね。

佐藤さんはどの班でしたか? 病理なら岡本班ですかね?

岡本班だったような気がつよいですわね。ほで顕微鏡見るときゃのう、両目開けて見ないけんのぞ、いうてね。私もそのくらいのことは知っとったですがね。片目で顕微鏡見て片目でカウントするのみてましたから。

それで森下さんと佐藤さんが殴られたと。井上班長に?

そうですわね。



森下清人証言

<屋上からマルタを覗く>

この前言われていた中庭で見たマルタというのはいつごろのことですか?

柄沢班に配属になって、2年次に入ってから9ヵ月目ですかね。2月のころです。

その時の状況を思い出してもらえますか。

はい。許可無くして屋上に上がることを厳禁す、という張紙があるんですね。階段の所に。なんでかのう、なんで上がったらいけんのかのう、いうて子供ごころに思ったんですわね。行くないうたら行きたくなるからですね。

ロープかなんか張っていたんですか?

いや、板に張ってあった。何人といえど、許可なく屋上に上がることを厳禁す、と部隊長名ででしたね。

で、一人で上がった?

いえいえ、その時は3人で。えーと私と、和田清美いうのと後藤祥太郎と。皆、大分県の者で。

かけあがった?

かけあがらんと、見つかるからね。鍵はかかってない。

4階まであって、5階のところが屋上になるんですね。鍵はないと?

ええ、鉄の扉ですね。七号棟の上に出たんですね。

この七号棟の上ではないですね。回りの呂号棟の上ですね?

そう、この辺です。ここからなら両方が見えるんですね。

何が見えましたか?

マルタがおった。ここが陰になりますから、ここに男の人が五、六人と女のひとがここにおったんですわ。それ以外は七棟の建物でみえなかったですね。ただ、そこは日蔭になりますから。囚人服をきてましたね。青い。濃い青色。あいいろみたいな。冬の場合は棉が入った服ですね。つなぎの服です。

女の人もつなぎですか?

いや、女の方は上下の服です。えーと女のほうは青じゃないですね。色はちょっと覚えてないです。

どんな感じの人でしたか?

年齢は34、5という。ちょっとでっぷり肥えた方。髪はながかった。一つに結っていた。満人ふうに。身長は上からみたからよくわからん。子供を抱いとったね

どのくらいの子供を?


そうね、目があいとるくらいのかね。手足動かしとったね。

森村さんとの本に、ポケットに入っていたキャンディーをやりたかったというふうに書かれてあるところですね?

いや、飴やったんです。上から投げてやった。

え、本当にやったんですか? 向うは気がついてたんですか?

気がついてましたよ。こやってシェーシェーしとった。看守は向うみとった。看守に気付かれたら、重営倉やから。そでありがとうという格好して、あめをとって。

飴というのは?

ロシア飴。紙をとって投げた。

そして、その女性は赤ちゃんになめさせてましたか?

いや、そこまでは見とらん。ただ女の人は手錠してなかったね。足課せいうんですかねあれもしとらんかった。男は全部していたけどね、鎖に玉がついているのもいたし。それがアメリカです。ほで、看守が呼んだ時に玉をかかえて、中腰になって、いきよるのが見えたわけね。そで女のひとも後姿になって向うみたですね。

どのくらい見てたんです?

三分くらいです。

女の人以外に記憶してるマルタいますか?

それが今いうた黒人のね。アメリカの。ええと、東亜系、アメリカ系統、白人もいましたかね

それは白系ロシア人とはまた違うんです?

ええ、身体のつやが全然ちがうんです。日本人と中国人でも違うでしょう、そういう感じで。体格のいい白人で金髪でしたね。若いがっちりした男でしたね。

冬の日でしょう、回りの建物があるから陽があたらないような気がするんですが、あたるんですか?

ええ、こっちから陽がくるでしょう、で、こういうふうになるからこっちのほうがあたるんです。

それで、見て、走って降りた?

ええ、ただ、降りるときは気をつけておりますわね。それで銅板ばりの保温室てありますわね、そこに入って、聞かれたら悪いから。

どんな話されました?

うわさどおりマルタおったのう、一つだけか思たら、二つあったのう。左と右とにあるんやのういうて。その時まで一つかと思ていたから。ガラスがないから中見えんからね。初めて屋上にあがって二つあるのを知りましたね。

中庭があるのは知っていた?

それは知っとったです。

中庭いうのはコンクリート打ってあるんですか?

いや、土です。木とかは生えてません。

このマルタ小屋いうのは何階建てですか?

2階建て。冬なんかは冷暖房ききますからね。

冷房もあるんですか?

マルタんとこには冷房はない。将校のところにはありました。

あの当時の冷房て、どんなのですか?

ウーン、そやね、ただ風が吹くいうくらいのものやねえ。

で、たった三分だけど、拾らうのは見なかったけど・・・?

いや、拾らうのは見た。しゃがんで。目の前の二mくらいのとこに落としたから。私が見てるとこで飴の皮むいたからね分かったんですよ。それで呼ばれますわね。そで、後姿みて我々も降りたんです。

呂号棟の屋上というのは何かいろいろ設備があるんですか?

いや、のっぺらぼう。コンクリです。雨の降った時の溝はありますがね。

その後そこに登られたというのは?

後にも先にもその一回だけ。ほんで、まわりの呂号は4階だけは窓がありました。3階まではのっぺらぼう。4階だけ窓があって鉄格子がはいってました。ほで、屋上にはひさしが突きでとるんですね。絶対上がられん。

それでマルタ小屋のほうは。本部と渡り廊下で繋がっているんですか?

いや、繋がってない。廊下があるだけ。建物そのものは独立してます。で、ここに扉があって逮捕したマルタはここからいれるんですね。

マルタ小屋というのは2階いわれましたね。窓あるんですか?

あります。鉄格子が入ってます。



森下清人証言

<マルタの収容>

他にその年でなにか強烈な記憶になっているのは?

マルタに?

ええ


ああ、一つあります。マルタが連れてこられるところを1回見ました。

え、マルタをですか。あの、やはりハルピンからトラックに乗せて連れてくるんですか?

違います。トラックですか? そういう話は聞いたことがないですがねえ。私ら、マルタは飛行機で運んでくるいうふうに思うとりましたが。その時も、飛行機でした。ちょうど土曜日の夕方ですけど、少し薄暗くなったころでしたかねえ、飛行機の爆音がしたんですね。大きな爆音です。そのとき呂号で残業しとったんです。培養缶の後片付け。そで、あの北側の扉、あれが開いていて、外のぞいたら憲兵がずらーと並んどるんです。

憲兵が。並んでたいうのは一列でですか?

いや、20mおきくらいに通路の両側にです。その中を8人。目隠しされて、手をうしろでにされて紐で繋がれてるのが歩かされとったんです

8人。それは確かですか?

こやって指さして数えたから。前と後に一人づつ、横に確か二人づつ軍属がついてました。そやって見てたら近くにいた憲兵に見つかって、手振ってあっちいけいうふうにされて。それでさーと呂号の西側の方に逃げました。だから中に入ってくるところは見てません。

その8人というのは、何人だったんですか? 男女とか?

皆、中国服きてましたから、中国人だったと思います。私服だった思います。男か女かいうのはちょっとわからんかったねえ。

それはマルタに間違いない?

間違いないですよ。マルタ小屋に入れるなら、あそこからしか入れられんですから。

しかし、飛行機で連れてくるんですか。何か本ではハルピンに留置場があって、そこから足りなくなったら補充するいうように書かれていましたけど?


いや、飛行機です。そのために専用の飛行場持っとるんですから。呑龍(どんりゅう)いう大きな飛行機も持っとるんです。あれで上海やら重慶やらから直接連れてきとったんじゃないですかねえ。そりゃハルピンからも連れてきとったんかもしれませんけど。よく深夜とか明け方近くに飛行場の滑走路に明りがともるんですよ。そしたらゴーいうて大きな爆音がして飛行機が着陸するんです。少年隊の宿舎からちょいちょい見えてました。ああ、またマルタ連れてきたなあ思いよりましたですなあ。

いや、この話は本当に初めて聞きました。よく思い出してくれました。どうやってマルタ連れてきていたのかいう問題がありましたから。それじゃマルタから離れて他に印象に残っていることがあったら

※「ゆう」注 森下氏は戦況についての知識をほとんど持たない様子。


森下清人証言

<軍医柄沢少佐の横顔>

・・・そやねえ。高圧釜の大きさかねえ。すごい大きさでしたからね。それで蒸気を抜く時の音がまた凄くて、シュワーいうてですね。それと楽しかったいうのが子供やからトロッコに乗ってダーとはしるんですね。

かなり長い距離あるんでしょうね。ところで角があるところでひっくりかえったりしませんでしたか?

ありますね。まあ、培養基かかえているときひっくり返ったらおおごとやからねえ。それに培養基は重いからそうスピードはでんしね。それではずれた場合には鉄の棒でもとにもどすんです。

森下さんも脱線させましたか?

ありますよ。培養基つんで。40か45積むんですね。そのときは四人で押していて、ああ、ちょっとまていうのに押すもんやから。ガタンいうて落ちた。ちょっとびっくりしましたね。

四人ですか。名前は覚えている?

まあ、なんでも悪いことするのは私ですわね。それと後藤と和田と谷口。みんな大分です。

それでそれからは少し慎重になりましたか?

いやあ、ならんですよ。子供ですから。それと柄沢少佐が時々自分の作業場をまうことがあるんですよね。ほで、薄暗いんですよね。で私らがトロッコで遊びよって、ここまがったところで鉢併せになってしもうた。

どういわれましたか?

キサマラワー! 言われてもすぐとまらん。それからずっと足で止めようとして、止まったところがちょうど柄沢少佐の前。気様ら何しとるか!並べえー!いうてカツーンと叩かれた。頭を刀で。いたいですよ。

その時の仲間もさっきの悪友?

そう後藤祥太郎と和田と谷口。夏やったですね。

そのとき柄沢少佐は一人で歩いていたんですか?


いや、部下連れてました。当直士官。斜にたすきかけていた。それで叩かれて、ありがとございましたあっ、言うて。

で、そのあとおとがめなしですか?

ないです。やっぱ自分の班のものはかわいがっとったから。気は短いけどね、さっぱりしとった。ほで、かわいがってくれるときはものすごかわいがってくれるんです。将校の部屋に掃除にいきますね。それで煙草があるんです。高級なたばこがね。たしかほかけ舟の絵のついたやつ。そで柄沢少佐が、森下、お前たばこ吸うんじゃねえんか。はいいうたら、そとで吸うわけにはいかん、おれの前で吸えいうて。ほで、僕と谷口がつったって。

おいしかったですか?

いや、もう緊張して。

そのときは柄沢少佐は何か仕事しながら?

いや、話しとった。きさまらどこの出身か。九州です。九州はどこかー。大分いうてもぴんとこんのです。それで大分県の別府です。ああ、別府いうたらええ温泉があるとこやのう、いうて。

で、掃除にいったんですね。入口に柄沢少佐と書いてあるんですか?

ええ、柄沢少佐室いう縦に書いた表札みたいなのが、戸の左側にあります。

戸の色とかは?

白です。スリガラスの窓がついてます。本部の左の方ですね。2階の西側。それの南向きの部屋。部屋の中はコンクリですね。外目には煉瓦積みに見えますけどなかはコンクリ。床は絨毯しいてました。ふわふわしてたし。色は・・・。

入口で靴をぬぐんですね?

はい。我々はながぐつですから。靴下であがってですね。柄沢少佐は長靴(ちょうか)でね。それでソファーがあって。茶色の。それで机があって、それと柄沢少佐の机が窓に向ってあって。ほで直立しとったら、そげ固とならんでいいから座れ、いうて。はいいうて座って。あの当時マッチですから、あの黄燐マッチいうやつで、灰皿の横の鉄のところでシュッとすって、それで煙草すって、鼻から煙出したら、「1回や2回やないやろが。すいっぷりがいいのう」「はいっ」「今までどこでのんだか」「はいっ、こうこうこういうことで何々少尉の机の中のをいただきました」「いただきましたじゃなかろうが。そりゃ盗ったんじゃねえか」

隣の谷口さんもすったんですか?

吸います。ほとんど皆吸います。

販売店とかでは買えんのでしょう?

未成年やから買うわけにはいかんのです。ハルピンの街でこっそり吸うとか、部隊にもって帰ってこっそりすうんです。

まあ、よう吸っていたんですね?

そうです、それがもとで肺気腫になったんですから。

あ、そやね。その可能性は十分ありますね(森下氏は肺気腫で私にかかっていた)


ほんで吸った後掃除してあとかたづけしとけいうて帽子かぶって出ていきましたね。あ、それと本棚がありましたね。解剖学とか細菌学とか医学の本がびっしり詰っとったですね。

部屋でも軍服ですか?

そうです。銀に星ひとつ。

柄沢少佐は厳しい方と聞きましたが、体格はどうなんですか?

体格はヒョローとしとるんです。脊は高いんです。先生(175cm)よりちょっと高いくらいですね。それで部隊長閣下みたいな髭はやしとって、幅はちょっと狭いけど、いっつも先をねじっていたから、いい格好になっとりましたなあ。

髪の毛は薄い方とか?

いや、まあ短くしてはいましたがね。やわい髪でした。

自宅から隊までは軍服ですか?

軍服です。将校用の専用の車がありますから。

それでは3年次のことをお伺いしたいと思います。三年目もやはり柄沢班ということですね。何か進級式みたいなもんがあるんですか?

ありません。自動的にあがっていきます。

仕事は同じ呂号棟ということで、仕事の内容は変るんですか?

変ります。解剖室にひんぱんに出入りすることになります。回数が多くなります

細菌の培養の仕事からむしろ解剖などの仕事が増えると?

増える。それで内容も徐々に変ってきますね。それは先生たちが解剖終りますわね、そしたら「君たちが調べたいところがあったら調べていい」といって譲りうけるわけです。例えば、我々が見たい所ですわね。脳のなかがどうなっとるとか。小脳がどこにあるかとか。それに腸の長さはどのくらいとかですね

脳を解剖するというのなら頭蓋わらないといけませんね。それは先に割ってあったんですか?

いやいや、先生がはらわたをあたった場合は、頭はあたってないんです。そのとき我々があたるんです。見ようみまねでね、鼻骨から顎にかけてのこをかけてね。それであけます。かっぱの皿のようにしてね。

観察室での観察いうのは三年次ではあんまりないんですか?

あんまりない。時と場合にはありますがね。

なんかその辺で強烈な印象が残ったのはありますか?

そうやね。腸なんかでも直接自分で開いたというのは初めてでしたからね。あたたかったですね。

頭あけたマルタどんな実験で殺した人か覚えていますか?

実験?そりゃわからん。体格は案外よかったですね。普段の食事はいいからね。35、6歳くらいですね。

で、三年次もこの七棟八棟の中には入ったことないんですか?

ありません。ここには特殊な警備の者だけしか入られんのです。なかがどうなっていたかというのを知ったのはまだ先の終戦のときに我々が入って処理したとき見たんですね。マルタを全部ガスで片付けてそれを処理した時

それじゃ、マルタは中では裸でいたというのは御自分で見られたわけではないと。

そりゃもう三年次になったときに自然に判ってきます。

わかる?

看守と面識が出来てくるから。

しかし、この本にはそのように出ていないんですが?

そりゃ僕も言ってないし。他の者も口が固いですから、七三一というのは。

なぜ裸で収容していたと?

自殺する恐れがありますからね。それで冬は完全暖房になっとるんですから。我々少年隊はその当時ペチカですわね。ほでトイレも落とし。しかし、そこは水洗ですしね。

まあ、しかし、御自分では見られていない、看守から聞かれたということですね?

そうですね。ま、あの又聞きですわね。

何かそのそれ以外のことで強く覚えていることありますかね?

そやね。私たちが片付けにいったとき、中国の女の人がありましたね。梅毒の実験の。スペロヘータの実験の。それは思い出ありますね。

もう少し詳しく


えーと、やられた先生は、園田中佐。教育隊の中佐のね。それで私たちが入ったのは梅毒のそれをやったあとですから、恥部をずうっと切り開いとったですね

その実験がどういうようにしたとかはお聞きになりましたか?

いやー、それは聞いてない。それは恥部と、それとあばらを開いとったですね。その中をどうあたっていたかは覚えてないですね。顔とかはあたってないです。まあ、そのような繰り返しです。

女性というのはその一体だけですか?

そうですね。女性というのは案外少なかったんです。

普段から収容されているのはどのくらいになりますかね。そう多くはないんでしょうね?

そうですね。30から40。まあ50くらいの間というたら間違わんでしょうねえ。それが実験で減ってくると、スパイならスパイ容疑と、銃殺刑にするのを送ってくるんです。

三年次で他には?

三年次になるとね、培養したのをかきとって無菌室で菌の培養をする作業が入るようになるんですね。

パンはもう作らない?

いや、後のものに作り方の要領を教えて、後でわけろよいうて。


森下清人証言

<少年隊の余暇>

ええと、3年次の夏、もうだいぶ大人になっていますよね。ハルピンの街をあるいたときのことなどで何か思い出残っていますか?

あのですね、ものすごい臭いなんですよね。汽車にのると同時にですね。にんにくの臭いやらニラの臭いやらがものすごかったいうのがね、忘れられんですね。3年になったら外出時間は自由になって、よくしたのは、動物班から馬をかりてきて、飛行場のほうにいくんですね、そこで7、8人で並ぶわけです。100mくらいに分れて。そしたらキジがおってから、あれがパタパタと飛び立ってから300mくらい先におりて、それを1、2回繰返すともう飛べないんですね。疲れてね。飛行場やから。それで頭をつかまえるんですね。

へえ、そんなに簡単につかまえられるんですか

もう飛べんなっとるからね。それと、からすが白いんですね。

え、本当?

先生見られんかったですか。満州のからすは白いんですね。とてもシッポの長い、胸が少し黒いのがあってあとは白い。ほで、巣は枯れ木の上にあるんですね。時期になったら卵やらとりに行くわけです。ま、食べんけどね。取った時はもうなかでひよこになりよるから食べれんのです。

ははあ


ほんで、とりに行ったら頭のうえでからすがカーカー、鳴き声は日本のと一緒です。えーと、それからキツネがおる。金キツネそれから普通のキツネ。それを捕まえるのも案外簡単です。りすなんかもおりましたね。

どうするんです?

満人の墓いうのは、かんおけをおいて上から土かぶせるんです。そやからキツネなんかがかんおけを巣にするわけです。ねぐらに。穴が3つか4つありますね。逃げ道が。それを捕まえるんです。

どやって捕まえるんですか?

ドンゴロスの袋があるんですね。あれを穴にかぶせるんです。ほで、ひとところから火をたくんですね。そしたらどっかの穴からぽっと出てくる。そで、ドンゴロスの袋の中に入る、それを捕まえる。

捕まえられましたか?


ええ、もうだいぶ捕まえた。

捕まえてどうするんですか?

キツネそのままもって帰るわけいかんから、皮だけはいで、わからんように防空壕のなか入れとくんです。それで外出するときにハルピンのロシアの店で買うところがあるんです。

満人の墓は七三一の近くにあるんですか?

あります。これがハルピンへの道ですね、そしたらここにウートン(五屯)スートン、サントンいう部落があるんですね。このウートンの墓によく行ったですね。土曜日の昼から行ってキツネとって、日曜日にハルピン行って売るんです。

お仲間はいつもの?

谷口、瀬戸、芦田こういうのでやりました。

1回に何匹くらい捕まえられるんです?

そりゃもう親子やったら3匹くらい。金キツネというのが値がいい。ほかにあんまりつやがよくない赤みがかったのがおりますわね。

それでドンゴロスに入ったのをどうするんですか?叩いておくの?

そうですね。噛みつくからね。ドンゴロスにわっかをつけとるんです。で、入ったらわっかをしめるんです。はいったらと思ったら地べたに臥せる、そうしないと飛び出すからね。

なるほど、それでどうやって皮はぐんですか?

木がありますわね、それに逆につるすんです。それで後ろ足の内股に丸く切り口を入れるんです、そうやってつるしたまま脂をそぎながら剥いていくんです。それで塩塗って防空壕に隠すんです。

なるほど。それでハルピンのどこにお店があるんです?

キタイスカヤ。そこに専門に扱っている店があるんです。ロシア人の。ハラショー、ハラショーいよったですねえ。ウォーチンハラショーいうたら大変良いいうことですわね。

ロシア語も出来たんです?

そのころには我々も少しは出来たしね、将校のことカピタンいよったしね、ウォーチンハラショーいうたら大変いいやしね。向うも日本語少しはわかるし。

いくらくらいになったんですか?

いくらくらいやったかねえ。8円か9円くらいやたかねえ。

感覚がわからないんですが、今でいくらくらいかな?

私たちが月に10何円給料もろとったですわねえ。

そしたら5匹もっていったら40円か50円。そりゃ相当なもんですわね

そで、飲みに行く者は飲みに行くし、我々はピーヤいこかちゅうわけで。

ピーヤ?

遊郭。

それだけあったら結構遊べますでしょうね?

遊べます。おみやげも買えます。ハルピンの街からおみやげ買って家におくるんですね。

なるほど。遊郭もちょっといいとこいけますね?

そうですね。朝鮮ピー、ロシアピー、日本ピーいろいろ行けますわねえ。

どこが一番高いんですか?

そやね。やっぱりロシアピーやね。白系ロシアの。その次が日本ピー、3番目が満ピーの上位のやね。時間が長いわね。30分くらい。2回くらいは出来るわね。

どんな部屋ですか?

部屋は似たようなもんですが、広いですわね。それと飾りものしてます。で、ふとんもきれいなものをたんすの上にきれいにつんでます。まくらもピシャーとありますしね。

なれそめになったりした子はいなかったですか?

そこまではなかったけどね。我々はいろいろ行きたかったから。まあ子供でしたから。満ピー行ったら今度はロシアピー行こやいうたりね。変ったとこ行きたかったから。

思い出に残っているような人はいますか?

そやねえ、日本人やったら、どこから来たんかいう話になるわね。大分いうてもわからんから、別府やいうわね、そしたらあそこはええ温泉あるとこやね、いう話になりますわね。その子は茨木いよったね。

そんなとこまで行っとるんですか。やはり身売りか何かでしょうかねえ?

そやろうねえ。

そのロシアピーとかいうのはやっぱりきれいなんですか?

きれいですよ。そりゃ好みはありますがね。店に写真があるわけ、そで年齢書いてます。それでこれいうたら、そでダワイダワイいうたらこっち来なさいいうことやね。ほで部屋にいくわけ。

それは店のなかにロシアピーやら日本ピーがいるんです?

いやいや、店によってですね。一緒におる場合の店もあるし、ロシアピーならそれだけしか置いてない店もあります。

どの辺にあったんですか?

キタイスカヤから松花江のほうに向って、右っかわの方に入った裏通りの2、30軒ぐらい。

飲み屋なんかはどこでした?

いや、私は飲まんからよく知らんですわね。甘いもんはあちこち行ったけど。

しかし、それは真っぴるまからそういうことをしていたわけですわねえ

そうです。

キツネの御利益はよくわかりました。キジは何でつかまえるんです?

キジは食べるんです。おいしいですよ。刺身なんか最高です。捕まえて、首ひねってほで生返っても飛べんように羽根をうしろに曲げていっかいこやって回すんです。そしたら絶対飛べないです。それを宿舎にもて帰って、宿舎のうらで料理するんですね。近くの畑のなかとかね。ほでわからんように持って帰って食堂でたべるんですね。

りすも捕まえたようですけど、あれ食べれるんですか?

いや、あれも皮はいで売るんです。あんまり高くないですけどね。

りすはどやって捕まえるんですか?

りすはやっぱ穴のなか入りますから、火たいて。同んじですわね。日本のリスより大きいですよ。立ったらこのくらい(膝のところを指して)ありますから。

キツネ狩りとかりす狩りとかで手噛まれたりしたことあるんでしょう?

あります。ありゃ噛まれたらいたいですよ。皮が破れます。キツネが袋の中いれたのがまだ生きとって、袋の中からギューいうて。そで逃げてしもうた。袋かぶったまま逃げて、途中で袋から抜けて。尻尾下げてピューいうて逃げる。もう絶対捕まえられん。だいぶ出血しましたね。左手を。それから、実弾庫に行って弾を盗み出してね。銃はあったから。38式の歩兵銃いうのが。ほで、兵器庫いって30発くらい盗み出すんです。

いいんですか、そんなことして?

そりゃわからんから。調べんから。そりゃわかりゃやられるだろうけどね、ま、銃なんかを傷つけたら班長におこられますけど。

それでどこ行って射つんです?

飛行場に行って、聞えないとこまで馬にのっていくんです。

その馬いうのは、さっきも出てきたけど、乗っていいんですか?

動物舎に馬小屋がある。それで運動させないかんから、そこおる者に運動させに行くよ、いうて。そしたらその何頭目と何頭目はいいよ、いうて。そりゃ石井閣下の馬なんか乗ったら大ごとやから。

鞍なんかもあるんですか?

ありますよ。でも、だいたい我々も慣れたら鞍より裸馬のほうがいいんです。

それで鉄砲もっていって何射つんですか?

いやいや地平線向って射ったり、コウリャン畑いって射ったりするんですよね、そしたらコウリャンがチッチッチッいうて全部折れるんですよね。弾がいったところが。まあ、射って快感を味わういうだけのことですわね。

それでキツネ射ったりはせんのですね?

そりゃもう。当たらんですよ。今でいうたらストレスの解消みたいなもんです。小銃の音いうたら案外聞えんのです。ちょっと離れたらピショーいうくらいですね。射つ本人はカーンいう感じで反動ありますけどね。そやから部隊なんかから全然聞えんのです。

やっぱり何人かで?

そですね。6、7人とか、2、3人とか。ほで射って帰った場合は銃の検査を班長がいつするかわからんから、後からきた後輩に全部掃除さすんです。我々もみなそういう道とおってきたですから。申し送りですわね。
それからすいかとかまくわうりとかね、すいか畑なんてはるか向うに満人の小屋がある。ほで、こっちから行って腹一杯食べて、そしたら向うのほうからどんどんどんどん追うてくるんが判るんです。スイヤー、スイヤーいうて。誰かー、誰かーいうてですわ。ほなぼちぼち逃げようやいうて帰ってそれからゆっくり帰ってそれでいいほど広いんですわ。まくわうりも甘みが全然違う。そりゃおいしい。内地のよりよほど大きいし。いいメロンのような味ですよ。

それがこの前聞いたウートンとかスートンの

はい、ウートンですね。それから部落いくとチェンピンいうの売っとるんですね。満人の常食です。トウモロコシの粉をねって、大きな鉄板に油ひいて、そこで焼いて、その上に生葱(なまねぎ)おいて味噌いれてくるりと巻くんですわ。一番最初、これ見た時は真っ黄なですから、おおきな卵焼き作りよるなあとびっくりしましたが。厚さはないんですね。それをくるりと巻いて、そのまま食べるんです。これもおいしい。

いくらくらいしたんですか?

いくらくらいやったかねえ。我々は物々交換やったねえ。石鹸持っていったり、靴下持っていったり。とても1本食いきらんです。それと、あ、先生ハルピンで夕陽見られましたか? あの夕陽が大きかったのが印象に残っとりますねえ、こんなに大きかった。地平線にねえ。それと夜になるとね、ウートンのあたりとかスートンのあたりとかにポーンいうて合図があがるんです。スパイなんやろうねえ。その度に憲兵隊があのサイドカーいうのに乗って行くんです。バーと10台くらいで。もう行った時はおらん。

平房いうのはどのくらいの街ですか?

6、70戸くらいですかねえ。満人の家が。店なんかもあります。

平房通っている汽車は、満鉄の路線じゃないですよね?

ええ、大連いく本線じゃない。さて、どこいく線路かねえ。その平房から引込線が七三一にきとるわけです。平房ですか。中国読みでピンファンやったかねえ。

平房いうのはウートンなんかよりは大きいんですか?

そう、街いうほどじゃないけど、まあちょっとした部落ですわねえ。もちろん散髪屋もあれば店屋もありますわね。それからちょっとびっくりしたのは泥棒市場いうのがあって、あ、ないな思たらすぐその泥棒市場行ったら必ず見つかりますね。靴が片方なくなったと思ったら市場でうっとるんですね。そで、とりよるのを見つけて怒ったら、帰せばいいんやろういうてね。



森下清人証言

<厳冬の満州>

ほれとびっくりしたのが冬になったらしらみがおるんですわね。先生行かれたのいつでした。

私は9月

そりゃぼちぼちしらみの繁殖時期に入りますわね。少年隊に入ってもむずむずしてくるんですわね。そで授業が終ったらペチカの前で脱ぐんですわね。そしたら縫目のところにズラーと。ほで、ちと休憩時間の長い時はペチカの横に石炭くべるスコップがあるんです。それを真っ赤にやいて、みんなでとったしらみを焼くんです。そしたらパチパチパチパチ。私ら焼イカいいましたけどね。

冬場ですか


しらみいうのは寒さにものすご強いんです。零下30度くらいで死なんのです。ただ熱には弱いんです。蒸気滅菌とかしたらすぐ死ぬんです。

少年隊のベッドいうたら、どんなんです? 2段ベッドとか?

いや、まったく軍隊と一緒です。一つずつ。両側に2、8、16ですね。ほで枕もとの上に整頓だながあるんですね。そこにゲートルとか着替えのシャツとか置くんです。

私物なんかは?

内地から持ってきたのとか、配給があって余らして内地に送ってやろう思て、みな石鹸なんか貯めよったんですね。それを入れる倉庫はあるんです。自分の箱置いてあってね。部屋の方は自分のところなんていうのは無くて、まあ共同生活ですわね。

今の病院なんかじゃ、ベッドにそれぞれカーテンなんかありますけど、そういうものも無かったんですね?

ありません。

冬は寒くはなかった?

冬? そりゃ暖っかい。シャツ1枚ですよ。外は零下30度ですけど。布団は毛布ですけど冬の場合は8枚。口にあたるとこだけシーツついとってね。

そこにシャツとパンツで入って、いや、ふんどしかな?

いや、ステテコです。冬場は一晩中ペチカ焚いてますから。夏は暑ければ窓開けますからね。網戸にして。蚊はあんましおりませんでしたね。ただ蚊はおおきかったですね。かとり線香は焚いておきますけどね。戸がありますわね。そこの鉄のとってには全部包帯をまいてあるんです。でないと、濡れた手でつい握ってしまったら凍りつくんです。ほで一番始めに注意されるのは、冬の場合はぴたっと付くからあわてて剥がすなよ。握ったまま力をいれたら少しずつ氷が溶けるから、そのとき離しなさい。それが一番始めの注意です。

でも間違えて剥がす子いるでしょうねえ。

おりますよ。びっくりしますよ。あれは痛いですよ。それから、最初の冬のことですけどね、何を注意するいうて大をするときは注意せえといわれましたわねえ。

というと?

落としトイレなんですね。ほで、下から凍ってピラミッドになる。そのとき寝とぼけてこやって座ったら、ケツにつきささってしまう。そで、汲み取り口がありますわね、あそこから中入って、鉄の棒で崩しよった。それで内務班の部屋に帰るでしょう。そしたらあちこちちさいのがついとって、部屋は暖かいもんやからたまらんのですわ。臭うて。作業しとるときはわからんのですけどねえ。

なるほど。部屋で破片が溶けるわけだ

とにかく冬のトイレは恐かったね。

もし、入ってみてとがっていたらどうするんですか?

そのときは上から叩くんです。たたく鉄棒がおいてあったから。

小便は凍らないんですか?


小便? あれは大丈夫。ひってすぐ凍らんからね。

しかし、朝顔のなかで凍ったりしませんでしたか?

小便の方は便器じゃなくてセメントの溝だけだったから。それから、風呂。風呂が私らの兵舎から200メートルくらいやったかね。帰る時タオルがピシャーと凍ります。こやってみんな帰ります。そうなったらすぐ折れます。そのくらい寒い。それで風呂から帰ってきて内務班に入ってしまうと、ここに食堂があって。全員が食べる広い食堂ですよ。で、一番前に教官、長屋教官の席があって、その横にに班長の席があって、班長の後にずらーと班の者が並んで座るんですね。

一斉に食事ですか?

そうです。そでこの食堂の横に班長室があるんです。内務班の入口がこうあって、ここに銃をズーと置いあるんですね。ほで入るとベッドがあってそれが先輩ので、となりに後輩のになって、そでこの中央にペチカがあって。班長にかわいがってもろたらこのペチカの隣に寝れるんです。入口のとこは風が入って寒いですからね。それから不寝番いうのがあるんです。これが眠うて眠うてたまらん時があるんですね。そのとき時計の針をまわすんです。10分か20分くらい。

1時間とかはせんのですか?

1時間したら起床が1時間早なってしまう。そで、こんどは朝早目に針を戻しておくんです。で、他の班がキショーいうたとき針あわすんですわ。そで、先輩にまわすとき、これが起きんのですわ。これ往生しますわ。かいうて勝手に寝て、本部から見回りでもきたらおおごとやからねえ。

不寝番て何するんですか?

少年隊の部屋の中、全部まわるんです。で、ペチカが消えないようにとか。2週間に1回くらいですね。1時間交代でね。

ああ、そう長くはないんですね

そやけど、冬の1時間いうたらつらいですよ。

たしかに、満州だから寒いでしょうし

ほで、冬になるとあのスンガリが全部凍りますわな、あの上をトラックが走るん見てびっくりしたですなあ。

川が平らに凍るんですか?

もちろん平らですよ。もうスケートなんかも出来るんやから。女性やら日本人やらがスケートしてましたわなあ。あの上を。幅がどのくらいあるでしょうねえ。7、800mくらいありますかねえ。それをトラックが走っていって、割れたらどけんするんやろう思ていらん心配しましたわねえ。

とりあえず3年目まで走ってきた感じですが、最後の4年目をこれからお聞きするということになります。4年次もだいたい同じ生活が終戦前まで続いていたということになりますか?

そうですね。そういう繰り返しですわね。ただちょっと自由がきくと。マルタに関してはさほど変ったことはないけど、よその部の解剖、実験の情報が徐々に入ってくるようになったですね。

例えばどんな情報が入ってきましたか?

真空試験をやったとか、解剖の方法とか、同じ同期生から。

その真空試験いうのは?

結局カプセルの中に入れて空気を抜くわけです。そうすると穴という穴から腸とか全部飛び出してくるいうて、凄かったらしいです

それを言われた方、覚えていますか?

はい、1班におったのですね。茨木の方です。4年次になってちょっとして聞いたですね。

何班ですか?

それは研究班になるんですね。岡本班ですね。どういう意味でやったのかそこまで聞かなんだけどね。

この本によると最後になって細菌の大増産になったいうて書いてありますが?

そうですね。4年次に入ったころですね。私たちの柄沢班は40缶から50缶作りよったのが倍の80缶から100缶作るようになったんですわね。

どやって増産したんですか?

培養缶を増やすんです。今までの倍の培養基をつかったんですね。その時点においてはあらゆる菌の培養しだしたですわね。それまでは10種。法定の。チフス、パラチフス、発疹チフス、コレラ、赤痢、ペスト、脳脊髄髄膜炎、それを培養していたですね。

事故は起こりませんでしたか?

それからは、・・・柄沢班でなくして、まあ時々死んでますから。死んだら63棟で葬式あるからわかるんです。多い時で年間6、7人。ほとんど事故です。ペストが多かったですね。完全に消毒してなかったとか。ペストのついた蚤からやられたとか。

あの、4年次というと、この本によると石井四郎が帰任しているわけですが、まあ森下さんの記憶ではずっとおったということですが、まあ、4月の訓辞で何か特別なこと言ったりしませんでしたか。というのは、もうそのころは本土の方はぼろぼろですわな、それで何かそのことに触れたりとか?

いや、特に。

20年でしょう、内地の情報は少しは?

いや、全然入りません。もちろん勝ってると思うていた。どんどん占領しとるんやろなあと

七三一は空襲なんか無かったんですか?

全然ありません。

結局マルタの7棟、8棟を見たというのは終戦直前でしたね。そこまでとんでしまっていいですか?

まあ、楽しかったこと、つらかったこといろいろありますけど、核心に触れるようなことは特にありませんからね。

それじゃ、まずそれを伺いましょうかね。その後でエピソードあったらまた聞かせていただくことにして

そうですね。



森下清人証言

<証拠隠滅>

それじゃ、まず、どうもこりゃおかしいぞという感じが初めてしたのはいつですか?

それは8月になってもいつのの平常と全然変らなかったですね。で、8月の13日の朝。

13日!

本部に出勤しようとして、本部の衛兵所がありますわね。入口のところに。ここにはいったところの右側に大きな穴ほっとったんですね。 本部の前のひろっぱですね。


穴が。今まではなかったんですね。夜のうちに堀ったんですかね?

どうですかね。先日言うたように1月1日の訓辞やるとこですわね。

相当大きな?

まあ、びっくりするほどの穴じゃないですけどね。この部屋の半分くらいですね。

深かったですか?

そう深くはなかった。1.5mくらいでしたかねえ。ほしたところが、そこで書類焼きよったんですね。軍属と伍長、軍曹とかああいう兵隊の者が、完全に燃えるように破りながらほりこんでました。

お医者さんは?

お医者さんは全然いなかった。それが時間が8時40分くらいですわね。9時までに本部に入らないといかんのです。その横並んで行くわけですわね。衛兵所入るときは頭ーひだりいうて敬礼しながら。そしたら止れー!言われて、止ったんです。そしたら、衛兵所におった下士官が、日本が負けたから、少年隊はすぐこのまま帰れ!言われたんですね。それで宿舎に帰ったら、今から内地に引き上げるからその準備をしろっていうお達しがあった。

寝耳に水みたいな話ですわね、どんな気持でした?

うれしかった。帰れるいう。常に帰りたかったですからねえ。みんなで帰れるのう、帰れるのういうて喜んで走ったですわね。ほで私物整理していたわけですわね。それで仲のいいものでこれから酒保に行こやいうて、大八車引いて、酒保にいったんですね。

酒保って大きさは?

大きいですよ。そこのジャスコくらいあります。ここの酒保は普段官舎が使うんです。少年隊は使えないんです。日用品なんかがたくさんあるんですね。それで3人で大八車三人で引いていったら、酒保の人も二人しかいなくて。

普段は何人くらい?

15人か、10人以上おりますわね。ほでもう、甘味とかいろいろありますわね、ようかんとかね。

買ったんですか?

買ったんじゃない。貰ろて帰ったんですわ。向うも認めて、もってけって。それで服とかも、将校の服なんかもありましたし。2回行きましたわね。

一緒に取りに行った仲間は誰ですか?

私たちのグループは、いつもの後藤、谷口、小笠原、和田、佐藤、それと私ですわね。佐藤いうのは今もこの近くに住んでますよ。前は大分の鉄道に出よった。

それから?

少年隊は各班何十人ずつ使役を出せ、いう本部からの通達があったですね。

何時ころですか。その連絡が入ったのは?

その連絡はさあ10時か11時ころですかねえ。車引いて帰ってきて間もなくやった。

あなたの班は何人出したんですか?

さあ、20人くらいかねえ。班長が、行く者おるかいうて手挙げるんですね。

それでどこ行きました?本部行った。本部の3階に行って、部屋はちょっと忘れましたが、将校から負けたからこれから作業手伝ってもらうから、上官の命令に従って迅速にかつ敏速に確実な作業やってくれ。少佐やったかな、中佐やったかな。かなり上の人でしたね。

柄沢少佐ではないんですね。軍人ですか。軍医じゃなくて?

軍人。そで、それから当直将校。それは少尉です。それと軍属のかたと上官のかたが2人来て、マルタ小屋に行って。

何人くらい行ったんですか。マルタ小屋に?

さて、80人からちと100人くらい行ったんじゃなかったですかね。ほで、行ってみたら戸が全部開けてあったですね。ほで、部屋のなか初めてみて、ああ、こげなっとったんか、いう前にびっくりしたんが、全部死んっどったということなんですね

死んでた。部屋のなかで、死んでた? その初めてみたマルタ小屋の印象をちょっと言ってもらえんですか

廊下がずっとありますわね。で両方に牢があるわけではないんです。片一方にあるんです。鉄格子があってガラスがあって鉄格子があるんです。三重になってるんですね。戸は鉄の扉です。鉄の格子。それが開けてあったんですね。入口はピシャットしてます。それで冬でも温度は一定にできるんですね。

それで七棟ですか八棟ですか。行かれたのは?

七棟。

マルタ小屋は明るいんですか、暗いんですか?

明るいですよ。

あの、マルタの入っている方にも窓あるんですか。

あります。あいてます。もちろん鉄格子入ってます。高い窓ですがね。二つ。

北側向いていますわね?

そうです。南側は廊下ですから。

色は何色ですか?

部屋の中? ええと茶色。コンクリに塗ってある。床もコンクリ。

ベッドは?

ベッドはない。ふとん。

トイレは?

トイレはあります。隅の方にね。戸はなくて外から一面みえるようにね。

で、死んでたとおっしゃいましたね。倒れてた?

全部倒れてた。大きい部屋になると8帖か10帖くらいのとこに6、7人くらい入っている部屋もあれば4人くらいのもあるんです。

1階2階回られて全部死んでましたか?

全部。全部死んでた。

どういう死に方でしたか?

ガスですね。あれは。私らもマルタ小屋は部隊長閣下の部屋にガスのスイッチがあるいうのは皆知ってましたし、ああ、あれを開いたんやろないうて。顔が青くなってましたからあれはガスです。間違いないですね。

そこでね、初めてマルタ小屋入られたわけですけど、ここでね、先日問題になった、マルタは小屋のなかでは裸だったか、服を着ていたかというのがありましたね。どちらでした?

僕たちが行ったとき、そのときは服着てました。おそらく、まあ、後の推察ですけど、上層部は我々以前にわかっとったと思いますから、そで服着せて、全員釈放とか何とかいったんじゃないかなあと思います。

冷たくなってましたか?

もう、冷たくなってました。顔が変色してましたですわね。

女性とかもいましたか?

もう、そういう区別をする暇がない。マルタの足を持ったり手を持ったりして、外に出す、運搬です。

どこに出したんです?

これからですね、野口班のここのところです。穴を掘ってあった。大きな穴を。このなかに全部ほたり込んだ。

じゃ、一つのマルタを2人がかりとかで?

いや、重いからね2人や3人じゃ持ちきらん。力ぬけてだらーとしとるから。

それで階段おろして。階段はマルタ小屋のなかにあるんですね?

そうです。ほで、我々じゃなくて大人の方もかなり来てましたね。そで、他の者は8号棟からこれを通ってとにかくマルタを穴のなかに全部入れるという作業でしたね。

作業されたのは7棟だけですね。8棟は行かなかったと?

最初7棟をしたんです。それで私達のほうが早くすんだんです。7棟の方が人が多かったから。それでそれから8棟に行かされました。

8棟も同じように死んでいましたか?

いや、8棟行って驚いたのが、頭射たれて倒れてたマルタがいたんです

8棟はガスじゃない?

いや、ガスです。ほとんどは7棟みたいに死んでました。その中に2体だったと思いますが、頭射たれてました。

もう少し詳しく

仰向けに倒れていたんですね。大きなロシア人のマルタでした。額に小さな穴があいて、頭の後の方は大きな穴があいて、血が飛散っていたんですね。あれは銃で額射った後です。入ったところは小さな穴があくだけですけど、出るところは肉を巻いて吹飛ぶんですよね。それと途中だったかと思うんですけど、8棟に最初から行っていた少年隊の仲間から、生きとるのがおって、憲兵がモーゼルの1号で射ち殺したいうのを聞きましたから。

まだ、生きていたと?

殺せー、殺せーいうて鉄格子つかんで暴れていたマルタを憲兵が額狙って射ったいうてですね。

森下さんが8棟行ったときまだ生きてるのはいなかったですね?

ええ、そりゃ死体運びですから。その時は皆死んでました。

8棟からどこ通って運び出すんですか? 7棟を通るんです?

いや、8棟から7棟は直接行けないんです。8棟から呂号の中央の所に出て、そこから呂号のトロッコに乗っけて、それで運び出しました。

8棟のマルタの死体は別の所にですか?

いや、同じところです。呂号出て、20mくらい引きずって、穴の中に掘り込むんですね。あ、さっき言わなかったけど、穴に鉄の棒が通してあって、人間バーベキューみたいな感じで焼くんです。

どういうことですか? 鉄の棒が穴の上に張ってあるいうことですか?

そうじゃなくて、(絵を書く)楕円形の大きな穴があって、すりばち状になっていて、それで底から少しのところに鉄の棒が何本も渡してあるわけです。そしたら良く燃えますわなあ。下に空気入るから。そしたらよく燃えるでしょう。頭いいですわ。

ああ、わかりました。底に落ちずに下からあぶる感じになるわけですね。それでバーベキューか、なるほど。そりゃ確かによく燃えるでしょうねえ。それで、何時ころまでかかりましたか?

そやねえ、けっこうかかったねえ。4時間か5時間か。

昼御飯も抜きですか?

乾パンもってた。本部でちょっと休憩して食べて。3時ころまでかかったですねえ。それから結局この中に残っている品物全部だして、それで1斗缶に入っていた、ガソリンじゃない、・・・私はアルコールじゃないかと思うんですが、それをまいたんですね。廊下とかね。

どのようにまいたんですか?

1斗缶ありますわね。あれに穴ほいで、1人で一つずつそれを下げてずーとまくんです。まず、部屋にまいて廊下にまいて、同じ様な作業を同時に終らせるようにね。その時の服装は作業服と長靴ですわね。で、マスクと眼鏡はなしでね。それで終ると同時に火を放ったんですね。

マルタ小屋いうのは木造なんですか?

いや、布団とか燃えるものがあるから。

死体の方は?

それは我々がしたんじゃなくて、将校やらいろいろずーとおったですわねえ、何10人と。それが重油かけて燃やしたんですわねえ。

そこほったら人の骨でるんやろうねえ・・・

そりゃもちろん出ます。

で、火つけたと。何時ころですか?

ええと、もう夕方でしたから、4時半ころですか。5時かねえ。晴れていて、けっこう蒸暑い日でしたねえ。

森村さんの小説(新 人間の条件 続巻)に登場するでしょう。あの、壁に一面、血書が書いてあったいうのが。

ありました。血でね。ダースとかね。

ダース?

殺す!いうこと。それとかロシア語もありましたね。2、3部屋に書いてあったですね。

大きい字ですか?

手でなぞったくらいのやね。ロシア語はわからんけどね。あと、ニースラハオ尓的死了好、お前は死んだほうがいいとかね、ショークイズ。小さい鬼の子とか。

それから?

それから作業終って少年隊に帰ったんです。それで班長から内地に帰る用意はでけたか言われて、晩御飯食べて、部隊名の入った七三一いう名の入った本とか私物とかを全部処理したんですね。焼却ですね。そでいつでも帰れる状態にしたんです。

それで寝た。眠れましたか?

うーん。疲れたからねえ。

消燈は?

9時ですね。

消燈までは皆で話したりしましたか?

ええ、お前かた、帰ったらどこかいうてお互い住所交換したりね、とにかくうれしゅうてたまらんで、もて帰った甘味とか洗濯石鹸とかタオルとかお土産にもってかえることしか頭にないんですわ。

で、その日はもうありませんね。それで翌日?



森下清人証言

<撤退>

翌日、何時ころだったかねえ。13日の朝、全員が私物もって、そこんとこはっきりせんのですが、引込線のとこ行ったんですね。で、もう列車が入っとったですね。ずーとね、貨物列車が。有蓋の貨物が。貨車がとにかく何十台と繋がってましたわねえ。ほで、何班は前から何両目と決められておったですね。それで行ったときには下に貨車の下にかなりの荷物がはいっとった。味噌とか醤油とかが。それから酒とか。そのうえに畳おいたりアンペラおいたりして我々が乗ったわけ。

動き出したのは?

さて、時間は。そのときにはここは火の海でしたわね。本部が。真っ赤な、ぼんぼんぼんて。ほでもうパンパンパンいうのがどっかこっちに兵器庫が燃えていたからでしょうねえ。

軍属や家族なんかが後から後から乗ってくるんでしょうねえ?

軍属。家族は・・・全然会わなかったですねえ。なぜですかねえ。家族の人には全然あわないんですよねえ。ま、列車ごとに分けとったんかもしれんですねえ。

その燃えているというのは寝てる時気がつかなかったんですか?

夜? もちろん気がついてましたよ。本部にはマルタと同時に火をつけましたからね。夜どうし燃えてましたよ。それで火を放ったその日に、ここに8372いう飛行部隊があるんです。ほで、ここの消防車がが来たんです。黒煙があがりだした頃。4時ころですかねえ。

むこうの消防車いうのもやっぱ赤いんですか?

そうです。サイレン鳴らして。この少年隊の前通って、7、8台来たですね。それでここで、衛兵所のとこで全部止められて、憲兵が出て、帰ってくれと。8372(はっさんななにい)が、隣の部隊やけどここが何しよるか全然わからんのです。

8372の方は、戦争負けて片付けているいうのは全然知らない?

知らないから火事や思うて来たんですわ。

なるほど。そこで押問答にならなかったんですか?

いや、そりゃ軍の命令やから。すぐ帰りました。憲兵同志でなにか話していましたね。

あなたたちはそれどこで見とったの?

私たちはこの少年隊の、ここから酒保に行く時見た。

火はどんどん燃えつづけたわけですね。

ええ、軍属の者とか衛兵のものとかが取囲んでいましたわね。全部なかから出たあとはねえ。

夜、火が官舎の窓から見えましたか?

火というより黒煙ですわね。

いや、夜は?

夜、それどころじゃなかったから。帰れる、帰れるいうてね。

朝起きたらまだ燃えていたと。

貨車に待機してるときに、またボンボン大きな音がしでしたんですね。ほで、なんやろな思たら、呂号を破壊しよったんですな。マイトか何か仕掛けてね。

何時頃出発しましたか?

ええと、夕方かね。3時ころですね。

その日は何もしなかったんですね。

ええ待機。

一つの貨車に何人くらいで?

20人か25人くらいですかね。

貨車というのは戸を閉めれるのですか?

いや、あの馬とか牛とか積むあれですわ。そしたら間もなく全員点呼があって、汽車が動きだした。

動き出したときは感激でしたか?

さあねえ。どういうものかねえ。内地に帰れるいうかねえ。何しろ情報が入ってませんからねえ。内地の状態とかはねえ。

汽車はスピード出して? ゆっくりでしたか?

いや、普通の。40キロくらいでしたかねえ。まず平房の駅に出て、平房はノンストップで。ハルピンはちょっと止ったね。10分か15分くらい。

新たにハルピンで乗ってきた者はおりましたか?

いや、全然。我々も降りれないし。トイレなんかも貨車のなかで。

それからは?

もうずーと、小さい駅なんかはとまらんで。新京で止まったねえ。3時間くらいしてですかねえ。駅のプラットフォームじゃないんです。ちょっと離れたとこに。それで、各貨車に班長が乗ってますから、日本は負けたんであって、このまま日本に帰っても男はもちろんのこと皆殺されているから、女は全部犯されて自殺したりしてるから、日本に帰っても望みはないから、志のある者は、満州に残る勇気のある者は、そうしたほうがいいんだけど、これは強制はしない、いう話が班長からありましたわね。ほで、新京で7、8人降りましたわね。それはあとから降りたわけがわかるんですがね。その当時降りたいうのは、新京に親戚の者なんかがおる者が降りたんですね。

その方達、帰ってこれたんですか?

帰ってこれたんもおるし、行方不明になってしもたのもおるですね。私もそのとき私の姉さんの婿さんが警察しとったわけ。よっぽど降りようか思たんです。そやけど、警察やったら満人からやられるいう噂がとんどったからね、駄目やろうおもて。そで新京の、お、駅の手前で1回止まってますね。そこで夕食の準備したんですわ。

貨車の中で?

いや、貨車から降りて。ほで、班長が何がどこ積んでるかみな知っとったですから、何両目には米つんどる、何両目には味噌つんどるいうて集めて。紙に書いてもっとったですから。ほで、降りて、火をたいて、はんごうたいて。近くの部落の鶏捕まえて、首はねて、焼こうとしとったら、全員ジョウシャー!いう命令がきて、そのまま持って、とりなんかも半焼けでしたけど、それ持って貨車乗ってみんなで食べたですわねえ。

部落いうて満人のでしょう。とり取られて文句言いませんでしたか?

そりゃ、言よったねえ。なんか。

襲ってきたりしませんでしたか?

そりゃなかったねえ。停戦いうのはまだこっちしか知らんかったからねえ。ひとつも平せいと変らんから。

新京はまだ明るかった?

まだ、ぱーと明るかったですねえ。

で、それからプラットフォームの隣にとまって、すぐ出発したですね。それからは希望者のおる駅だけ止っていったですねえ。釜山の方に向ってねえ。

それで森下さんはたしか途中でおりたんですよね。

ええ、宮の原。

それは奉天より釜山より?

釜山より。内地に帰っても何にもないのなら、途中で降りようやという話になったですね。そで、どこで降りようかいうて。馬族になろうと思うてたから、馬族になるためには川があって、部落があって、山があるところで降りよういうことになって、本渓湖のとこで、今のとこ良かったないうて次の宮の原で降りたんです。

(森下は、この後内地に戻ろうとするが八路軍の捕虜となり、同軍の衛生兵、軍医として昭和23年まで従軍した。その後脱走して引上げ船にて昭和24年日本に戻る。)

それから、新京の駅のところで、七三一部隊の建物は全部飛行機から爆弾を落としてこわしてしまったという情報が入りました。

それは15日くらいですか

そうですね。



森下清人証言

<七三一部隊の医師たち>

ここまで、4年間をざあっと聞かせていただいたわけですが、これからは働いていた軍医の姿とか、まだ聞かせていただいてないエピソードとかそういうことを聞かせていただきたいと思います。

はい。軍医とか技手(ぎて)とかね。

技手とか技師とかでてきましたけどどう違うのですか?

技手は助手。インターンみたいなもんですね。技師は先生です

この前に天野先生のこと少しお話しいただきましたけど、天野先生は常勤ではないんですね。

はい。飛行機で来てました。年に3、4回はあったと思います。天野教授と名前しらない若い先生が3、4人よくいっしょに来てましたね。他に小板先生。それから神永教授を覚えてますね。

小板先生? どちらの先生ですか?

えーと、たしか山形の出身と聞きました。どこの先生かいうのはちょっと。

天野先生は京都でしょう?

ええ、そう。天野教授は京都。それから千葉から誰か来てましたね。たいてい一人じゃなくて、4、5人一緒に来られてましたね。内地で連絡取合って来られるんでしょうねえ。

天野先生ですが、どういう印象でしたか?

やさしかったですよ。ちょっと、痩せぎみで、すごい男前でしたねえ。36、7歳くらいでしたかねえ。軍属の服を着て。真っ赤な長靴を履いてですね。格好よかったですよ。

長靴というのは皆、赤なんですか。

いや、普通軍属は黒です。軍属でも判任官以上なら赤が履けます。天野先生は当然佐官級だったから履いていいんです。軍隊でも尉官以上でないと長靴は履けないんです。それで軍刀もそうですね。

軍刀もつけていた?

誰? 天野先生? 軍刀はつけてなかった。

それで飛行機から降りてきて七三一に入って。

そうですね。飛行機でやって来て、憲兵従えてね。まず、七三一に入ったら部隊長閣下に報告に行きますわね。皆。話では。何ヵ月とか何日間どういう実験をするとかマルタのあれをしたいとか出すわけですね。

それで天野先生は何日くらい滞在されたんですか?

10日、どんなに急いでも10日か15日はいましたね。官舎は別にありますから。天野先生はよく来られてましたねえ。

そこに泊ってお仕事されるということですね。一緒に仕事したことは?

ええと、天野教授は、・・・マルタが終ってから片付けたことが1、2回ありますね。そのとき、御苦労さんと。君たちは若いからつらいだろうけど、頑張ってくれと。来るたびに、まあ私手伝ったのは2回だけだったですけど、きまって声かけられました。

どんな実験だったか覚えてますか?

そのときはちょっとわからんかったですね。観察はしなかったから。

小板先生のほうは?

厳しい。小板先生は厳しい。軍隊あがりというか、陸軍の少尉か中尉でした。軍医中尉ですね。

どのくらいの年格好ですか?

その人は44、5で、ちょっとこ太りで、1m65くらいでしたかね。

あと、神永教授というのはどこの教授ですか?

いや、どこの先生かいうのは。年は45くらいで、痩せがたで脊の高い先生でしたね。眼鏡かけてましたね。それと、柄沢少佐と仲がよかったですね。よくみえられてました。この先生もやさしい先生でしたねえ。私らが細菌培養してるとこなんかに白衣着て見学にみえたりしてました。

神永先生の実験のお手伝いしたとかはありませんか?

いや、それはなかった。

そういう先生が来られるからといって仕事が変ることはないんですね。

変らない。ま、内地からどこの先生が何人という情報は入りましたね。

それではここにいろいろな班がありますわね。柄沢班は第4班ですね。ところで1部の笠原班、笠原先生というのは?

これは脊の高い方ですね。技師でしたからね。そう厳しくはなかった。陸軍あがりは皆厳しいですがね。軍属になるわけですね。45か50ちょっと年配でしたね。

田中さん?

これはちょっと。田中少佐いうのは聞いたことがあるけど、思い出せないですね。これには昆虫と書いてありますがね。

吉村

これは覚えています。技師ですね。それこそこれがあの、凍傷実験やってた、我々もやらされた

あなたたちも?

部屋のなかにこのくらいの水槽作って、腰掛けて中に氷入れて、足をつけて、ほでどのくらい我慢できるかとですね。それで帰るときようかんとかビスケットくれる。

かなり冷たいですか?

冷たいを通りこすですね。切れるくらい。

どのくらい我慢できましたか?

えーと、15分くらい。全然感覚なくなります。

マルタの場合はそんなもんじゃない?

ええ、そんなもんじゃない。水をかけて外に出すんですね。

吉村先生は覚えてますか?

ええ、この方はちょっと厳しいというか、研究熱心で、いかにも先生という感じでしたね。年は・・・我々が若かったから年配に見えますわね。やから50歳くらいに見えましたね。脊は高いです。痩せがたで。

とっつきにくい先生?

いや、そういうことじゃなくて凍傷に関して研究が熱心でしたね。とことんやるという感じでね。

凍傷にはなりませんでしたか?

いや我々は室内だから。我慢できなくなれば止めれるから。ほで、一人一人のグラフが出るんですね。

次、高橋班。高橋少佐

あ、この方やさしかったですね。軍人だけど。50歳くらいで脊が低くて眼鏡かけてますね。こぶとり。

石井技手

これちょっと、覚えありません。あ、マルタのとこおった、ああ、石井閣下の兄貴ですよ。

江口技師というのは

??

湊技師

???

岡本

ええと、顕微鏡のよけいおいてあった班ですね。

岡本先生は?

これっちゅうのは。眼鏡はかけてなかった、体格は中くらい。よう注意されよりましたね。我々は。両目あけんか、両目あけんかいうてね。我々こどもやけん片目つぶりますわね、どうしても。それと計算まちがえんようにいうて。

それはいつ注意うけたんですか? 柄沢班に入る前ですか?

入ってから。他の班のとこにも指導にくるんです。週に1回から2週間に3回くらい。

石川班

ちょっと記憶がない。

内海

うーん。これも記憶ないなあ。

田部班

よう聞いてたね。だけど、ちと思いださんです。

野口少佐

このかたはね、痩せとって髭はやして、50すぎて眼鏡かけとった。神経質な感じで、厳しい方でしたね。冗談が通じない感じ。もちろん少佐に冗談言いませんがね。

八木沢技師

聞くのは聞いとったがねえ。

太田大佐は?

この方はたまに。こぶとりで、小柄。髭はえてません。

菊池少佐は?

この方はやさしい。眼鏡、縁なしの。44、5くらいでしたかね。

西中佐

この方は少年隊の隊長だったから。でっぷり肥えててやさしい。髭はない。

園田大佐

西中佐の後任ですね。西中佐は私達が入って3ヵ月くらいして交代されたんですね。それからは見かけたことないですね。

園田大佐はどういう人でした?

この方もやさしいです。私的制裁は厳禁するいうて。あまり脊は高くなくて、丸顔。これは我々の直属の上官ですからね。

乱暴してこまるというような人はいないんですね?

そりゃ我々のお父さんか兄貴くらいの年の人になるわけですから。

班長クラスが危ないわけですか?

そりゃもう高階班長。これが。自分の班の者はかわいがるんですが、よその班になると木銃てあるんですけど、あれでやるんです。ひっくり返る。痛いですよ。

あの、本に書いてある、皆で殴ったいうのは本当ですか?

ほんとです。えーと、18年の、消燈前でしたね。

やったのはあなたたちの学年ですか?

私たちと1級上とでですね。一番奥の部屋でわざと騒いだ。ほたらばーと飛んでくると同時に電気消して、ばかばかばかーと。ほで、誰がやったかわからん。その前にも面白い話があって、本部からビーカーに蚤入れて帰って、ベッドにまいたことあるんです。菌はついとらんやつやけど。

どんな人ですか?

脊のこまいね、銃剣術の3段。今、秋田の農業組合の組合長しとる。房友会できたときに参加してくれいうたんやけど、来なかった。やられる思うて。近頃ぼつぼつ顔出してきましたけど。今、75、6ですかねえ。今でも元気いいです。

よくね、終戦語よく夢をみることがあったいわれてましたね。どんな夢を?

そやね。よくマルタの夢をね。あの子供抱いてた。それに白系ロシアとか。ベトナムのとか。そんなんみて飛び起きよったねえ。あぶら汗かいてね。悪いことしたなあ、罪深いことしたなあとその度思いよった。


まあ、森下さんらは自分で命令した立場じゃなかったからねえ、それを命令したお医者さんなんかがその後どういうふうにこれを考えたのかがねえ。その当時悪いことしとるなんていう感覚は森下さんはなかったんでしょう?

そりゃもう命令やから。なれっこになってたしねえ。

死刑囚ということだったし・・・?

消耗品いうことで入って来ますからねえ。

まあ、戦争終ってから戦時中のことを今の感覚で断罪することは出来んでしょうけどねえ?

そうですねえ。戦争終る直前に石井閣下とか偉い人は飛行機でちゃっと帰ってしまったからねえ。

柄沢少佐はどうして捕まったんですかねえ?

さあ、なんで残ったんか。たしかハバロフスクに抑留されて内地に戻ってきて、それで亡くなって、それから奥さんが房友会に出席されたんですよね。生きとるときには房友会に入ってもらえんでしたね。

房友会いうのは少年隊だけの会じゃないんですか?

はい。はじめはそうだったんですけど、だんだん拡がって七三一部隊全部の会いうことになったんです。遺族も入れます

話は変りますけど、森下さん向うで病気とかしませんでしたか?

しました。盲腸やりました。ハルピンの南棟、ここに陸軍病院があるんです。ここで私盲腸の手術したんですね、8月か9月でしたね。手術するの初めてでしょう、そで盲腸切って咳するのも響くしね、ほで廊下、便所いくのもこうやってやっと行っとったんです。そしたら向うから女の人来るの気がつかんかったんです。そしたらそれが婦長で、ほでそこで敬礼せんかったいうて怒られてねえ。ほりゃ婦長いうても陸軍やから準尉から少尉くらいのもんやからねえ。そりゃぴしっと立って敬礼せんとあかんのです。

それ以外に入院とかはないんですか?

私、病気はせんかったから。ただ重営倉に3日間入れられたことはあります。

それはどうしてですか?

なんか、はっきり覚えんのやけどねえ。同僚が腹減るやろいうて握り飯をもってきてくれ1たのは覚えてますがねえ。
 それと少年隊の横に畑いうて書いてありますがね、ここに石炭積んどったんですね。部隊で使う小さないい石炭を積んどったんですね。それが自然発火するんです。

自然発火?

日中暖かいでしょう、それでむれてね、夜になると青い火が出るんです。

女性の隊員もいたんですか?

はい。まあ、実験をしたりはしませんでしたがね。例えば柄沢班なら顕微鏡の掃除とかね。

本にはマルタの暴動のことが書かれてありますけど?

私がおったときにはありません。ただ私たちがいく5、6ヵ月前に中のマルタが暴動おこしたいうのは聞きました。中庭のとこで人梯いうんですかね、騎馬戦のようなかたちで上に乗っていって、全部機関銃で射ち殺したいいますね。しかし、あの呂号はあがれませんわ。3階まで窓ないし、4階は窓はあるけど鉄格子入っているし。屋上になるところはひさしがはりだしていたし。




森下清人証言

<帰国>

最後に日本に帰ってきたときのことを

朝鮮の興南収容所に入ったのが23年の11月。で、そこで船がくるのをまっとったですね。そこに興安丸いう引上げ船がきて、それに乗ったんやけど、ほんとに日本に戻れるんやろか、ウラジオストックに連れて行かれるんやなかろうかいうて着くまで安心せんかったですね。それで3、4日して佐世保に着いたんです。24年の6月です。して、佐世保について上陸すると同時に浜辺に妙な兵隊がおるんですねえ。顔は日本人そっくりなんです。ほで、カーキ色のスカーとした軍服きてねえ、それで日本語喋っても一つも反応がないんです。おかーしいのう思たら2世なんですよね。それがたくさんおった。

それで佐世保もどったときに・・・

DDTまいとって予防接種しとるとこに先輩の鹿児島出身の瀬戸口祐雄(さちお)いうのががいたんです。おー。森下やないか。今ごろ帰ってきたんか、お前も苦労したんやろうなあいうてね。佐世保の検疫所に御飯とおつゆ2つ持ってきてくれたですね。1つ先輩やけど少年隊の3班。同じやった。佐世保で防疫給水しとったんですね。その後も文通してたけど、もう亡くなりました。この人もいい先輩でしたねえ。それで引上げ列車で大分ついたら、新川のほうまでずーと見渡せてねえ。焼け野原。それで朝の八時半頃家に着いて。御袋が泣いたですね。

家帰ってびっくりされたでしょうねえ?

いや、生きとるのは知っとったんです。安東の街を八路軍が占領した時陸軍病院を接収したんです。そこに中島(大分市中島)出身の姉妹が看護婦しとって、ローレイ(雷震、八路軍軍医 八路軍当時の森下の上司)が一緒に連れて行くいうたんです。それを日本に帰してやれ、いうてローレイに交渉したんです。いや、一人だけだいうと、二人がねえちゃん先帰りよ、あんたこそ先帰りよいうて話まとまらんのです。俺は一生逃亡せんからそれでなんとか二人とも帰してくれいうて話つけたんです。それが帰ってうちの近くの者やから、うちの家いって、森下先生にお世話になりましたいうて。そしたら、あん悪いあれがどこ行たのか思たらいつのまにか医者になっとるとはなあ、言うて皆で笑ろうたいいますわね。それで帰ったものやから。

それから?

しばらくはもう定職にもつかんで悪いことばかりしとったね。大分の森下ゆうたら有名やったね。南大分のK(県議)いうのがおりますわね。あれも極道やったんです。あれと我々の派が対立しとったね。私も日本刀ズボンの中いれてね、びっこひいて歩いとった。ヒロポンばっかうっとったし。もう全然寝んで大丈夫なんですよ。まあ、うたんとグターとなって。まあ、あれうっても食事でけるのは大丈夫いうね。私、食事できたから。別府にヒロポン買いに行きよったですね。それから蒲鉾屋に勤めてね。それからそこの大将が死んで、鶴崎の方に働いて、まあいろいろしてきましたね。案外勤めると私、きちんと勤まるんですよ。

七三一の出身者とは今でも連絡あるんですか?

ありますよ。大分のものなら電話番号全部控えてますしねえ。他県の者ともね。

もう一度七三一行きたいですか?

行きたいですねえ。死ぬまでにもう一度行きたいですねえ。なんの贅沢もいわんからもう一度行きたいですねえ。私が七三一におったいうことでその場で射殺されても本望ですわねえ。



(2016.4.17)


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