ハバロフスク裁判証言(3)
柄澤十三夫の尋問調書

1949年12月6日、ハバロフスク市


被告柄澤十三夫の尋問調書

(答) 私は、一九四三年四月一九付のソ同盟最高ソヴエト常任委員会法令第一条に基いて為された私に対する告発に関し、全面的に有罪と認めます。

 事実私は、一九三九年より一九四四年に至る間在満日本関東軍第七三一部隊に勤務しました。而して同部隊に於ては、細菌大量生産の最も完全なる方法の研究並びに細菌戦用兵器として其の用法の研究が活発に行われたのであります。(P88-P89)

 第七三一部隊に於ては、細菌戦の準備に関する同部隊の任務を遂行する為、人間を強制的に伝染病に感染せしむる実験が間断無く行われました。実験に用いられた是等の人々は、殺害の為日本憲兵隊により同部隊に送致せられたのであります。

 一九四〇年並びに一九四二年第七三一部隊は、中国人民に対する戦争に細菌兵器として細菌を使用すべき特別派遣隊を派遣しました……

(問) 被告は具体的に如何なる点に於て有罪と認めるか?

(答) 私は具体的に左の点に於て有罪と認めます。私は長期に亘り、即ち一九三九年十二月より一九四四年八月に至る間、犯罪団体たる第七三一部隊に勤務しました。即ち最初は平隊員として勤務し、次いで班長となり、更に一九四二年の末又は一九四三年の始めより同部隊第四部(製造部)の課長として勤務したのであります。

 私の指導せる班長及び課は、実地使用の為必要に応じて腸チブス菌、パラチブス菌、コレラ菌、ペスト菌及び炭疽菌を大量に培養しました。例えば、安達駅の第七三一部隊特設実験場に於て野外条件下に於ける細菌使用の試験を実施する為、又中国人民に対する戦争に細菌兵器として細菌を実地に使用する為に、之を培養したのであります。(P89)

 細菌専門医たる私は、細菌の大量生産に当り、其の細菌が人間を殺害する為のものである事を知って居ました。併しながら当時私は、其の事が日本軍将校の義務概念として許されるものと考えて居ました。故に、上官の命令に依って定められた自己の任務を完全に遂行する為、出来得る限りの努力を払ったのであります。

 私が部隊に勤務中、私の隷下には五〇名乃至七〇名の将校、下士官、軍属が居り、又細菌の大量培養に必要なる総ての設備があったのであります……

 私の指導せる課は、現存設備を使用して一ヵ月に次の細菌量を各個に生産し得ました。ペスト菌一〇〇キログラム、炭疽菌二〇〇キログラム、腸チブス菌三〇〇キログラム、、パラチブス「A」菌三〇〇キログラム、コレラ菌三三〇キログラム、赤痢菌三〇〇キログラム。

 一九四〇年後半期、私の指導せる班は、他の部隊員の一隊と共に中国中部に赴ける元部隊長石井中将を隊長とする特別派遣隊の為に、腸チブス菌七〇キログラム、コレラ菌五〇キログラムを製造しました。尚同派遣隊は中国軍に対し、腸チブス菌、コレラ菌以外にペスト蚤を使用しました

 一九四二年中頃私を長とする班は、中国軍に対して細菌を使用する目的を以て中国中部に赴ける、石井中将を隊長とする同様なる派遣隊の為に、パラチブス「A」菌、炭疽菌一三〇キログラムを製造しました。私は、私に告知せられた証言に依り、同派遣隊と共に腸チブス菌も送られた事を知ったのでありますが、併し、私自身は夫れを確実に記憶して居りません。

 一九四〇年並びに一九四二年に派遣せられた石井中将を隊長とする派遣隊は、実戦に於ける細菌の大量撒布方法を研究すべき実験の実施を其の目的としたのでありますが、実際に於ては夫れは、中国軍に対する戦用兵器としての細菌の実地使用でもあったのです。

 一九四〇年石井中将を隊長とする派遣隊がペスト蚤を使用した事は、ペスト蚤使用地帯にペストを発生せしむる結果となったのでありますが、之は、一九四九年十月二二日の訊問の際に私が詳細に供述したところであります。以上列挙する細菌使用の結果、所期の目的が達せられたか否かに就ては私は之を知りません。(P91)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


被告柄澤十三夫の尋問調書

 私の指導下に製造せられた細菌は、安達駅の部隊特設実験場に於て野外条件下の細菌撒布方法研究の為の試験が行われた際に使用せられました。斯かる試験が行われた際に、「丸太」と呼ばれる生きた人間が使用せられたのであります。

 私は部隊に勤務中、部隊構内に特別監獄があり、其処に実験の後殺害さるべき被実験者が収容されて居る事を知って居ました。

 安達駅特設実験場に於ける試験は間断なく行われました。私は斯かる試験の実施に直接二回参加しました。即ち第一回目は一九四三年の終りで、第二回目は一九四四年の春でありました。(P91-P92)

 右の何れの場合にも、中国人らしき十名の被実験者が特設実験場に送致せられました。是等の被実験者は試験の実施前に、地面に打込まれた柱に縛り付けられ、次いで彼等の近くで細菌爆弾が破裂せしめられたのであります

 私の述べた第一回目の試験が実施せられた結果、被実験者の一部分は炭疽に感染されました。後に私の知ったところに依れば、彼等は其の後死亡したとのことであります。

 私が以上の如く二回に亘って安達特設実験場に赴いた目的は、現場に於て、即ち試験実施の際に、私の製造せる細菌の効力を確めるにあったのであります……

 私は以上に陳述した事以外に、第七三一部隊に於て生きた人間を使用する実験室内の実験が間断なく行われていた事を知って居ます。其の際被実験者は強制的に各種細菌に感染せしめられ、次いで、最も効果的なる伝染病病原体を研究する目的を以て、是等の被実験者に対する観察が行われたのであります。

 直接生きた人間に対して実験を行った事は、最も効果的なる細菌戦用兵器の研究並びに人間の感染を目的とする細菌の撒布方法の研究と言う部隊任務の遂行を促進したのであります。(P92)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


被告柄澤十三夫の尋問調書

 日本軍統帥部は、細菌戦の準備に伴い、細菌生産能力向上の対策を講じました。一九四四年日本より第七三一部隊へ新式の設備の輸送が開始せられた所以は実に茲に存するのであります。元部隊第四部長太田・キヨシが私に語ったところに依れば、是等の設備は従来の夫より更に完全なものであって、細菌培養業務をコンヴェーヤー式に実施し得るものでありました。(P92-P93)

 同年私は元部隊長北野政次の命令に依り、自ら孫呉、海拉爾、海林、林口の部隊各支部に出張しました。出張の目的は、細菌大量培養用の設備を是等の支部に据附ける事が可能なるや否やの問題を現場に於て研究するにあったのであります。

 北野少将は私の出張前に訓示を与え、支部に於ける細菌培養業務の創設は、一方に於ては細菌生産能力の増加の為に、他方に於ては有り得べき敵の空襲により部隊の設備が破壊せられた場合の細菌の生産を中止せぬ為に必要であると指摘しました。

 私の提出せる意見書に依り、同年部隊の孫呉支部、海林支部及び林口支部に設備が送付せられましたが、如何なる設備が送付せられたか私は知りません。又是等の設備器具が以上の支部に据附けられたか否かに就いても私は知りません。(P93)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


被告柄澤十三夫の尋問調書

 細菌学専門医及び細菌培養専門家たる私は、部隊に於て行われた将校・研究員の諸会議に出席し、細菌の大量培養の方法並びに使用済培養基の用法に関して報告を行いました。

 私は部下職員の技能向上の為授業を行い、一九四〇年の初頭には、新規に部隊に採用された軍属の講習に於て細菌学教官として教鞭を取りました。(P93)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


被告柄澤十三夫の尋問調書



(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  




1949年12月6日午前の公判

被告柄澤十三夫の尋問

(問) 中国への第七三一部隊派遣隊について、貴方の知っていることを全部述べて貰いたい。

(答) 私の知っている限りでは、第七三一部隊からの中国派遣隊は、一九四〇年また一九四二年の二回派遣されました。

 第一回目の派遣隊は一九四〇年でした。これは同年の後半でした。私の直接上官である製造課長鈴木少佐は、腸チブス菌七〇キログラム、コレラ菌五〇キログラムを製造する様、命令しました。鈴木少佐の言葉から私は、此等の細菌が石井中将の指揮する中国特殊派遣隊のために製造されていることを知りました。

 私は、第四部製造課班長として、この派遣隊への所要量の細菌確保に当りました。之れと同時に、私は派遣隊がペスト蚤五キログラムを携行したことを知りました。

 石井中将を長とする派遣隊は、私の記憶する所では、中国中部の漢口市附近に出動し、そこでペスト蚤及び細菌を兵器として実用しました。

 之等の実験が敵領内で行われた以上、その正確な結果は不明であります。

 しかし、工作の結果に関する情報蒐集のため、野崎少佐を長とする特別班が残り、野崎少佐は、寧波市附近に於ける伝染病蔓延の事実を報道せる新聞を手に入れることに成功しました。(P324)

(問) その新聞には何んと書かれてあったか?

(答) 私の記憶する限りでは、この新聞には、寧波市附近で此の伝染病の流行が発生する前に、日本の飛行機が飛翔し、高空から何かを投下したということについて書いてありました。

(問) 貴方はこの記事を自分で見たか?

(答) はい、自分で見ました。

 第二回目の派遣隊の工作は一九四二年の中頃実施されました。私の上官鈴木少佐は、パラチブス菌と炭疽菌を製造する様、私に命令しました。個別的に、パラチブス菌が幾ら、炭疽菌が幾らということは記憶していませんが、総量は、一三〇キログラムで、吾々が製造した細菌は、飛行機及び一部汽車で部隊派遣隊の基地があった南京に発送されました。

(問) この派遣隊の基地は、南京「栄」の部隊に在ったのか?

(答) 正に其の通りであります。「栄」部隊がこの派遣隊のために若干量の細菌を製造していたことを私は知っていますが、果たしてどれだけの量を、又如何なる細菌を製造していたのかは、記憶していません。此の外、「栄」部隊が派遣隊援助のため自隊の衛生兵若干名を派遣していたことを知っています。(P325)

(問) 中国派遣隊のことを語り乍ら、貴方は何故一九四一年の派遣隊について沈黙しているか?

(答) これについては、昨日の軍事裁判の法廷で明らかにされていました。一九四一年の、この作戦に際してはペスト蚤だけが使用されましたが、之に直接関係を有たない吾々には、これについて何も話されませんでした。

(問) 一九四二年の中国派遣隊の長は、誰だったかを述べて貰いたい。

(答) 此の派遣隊の長は、部隊長石井中将でありました。

(問) 派遣に当っては、石井中将自ら、中国に赴いたのか?

(答) はい、赴きました。

(問) 彼の外に、部隊の幹部中、誰が中国に赴いたか?

(答) 私はこの派遣隊には、又、碇中佐、田中研究員及び其の他のものが参加したことを知っています。(P326)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


被告柄澤十三夫の尋問

(問) 生きた人間を使用する石井の実験開始に関し、貴方は何を知っているか?

(答) 私は、正確には知りませんが、これらの実験は、所謂柳条溝事件の後、直ちに始められたと思います。(P326)

(問) これについて石井自身は、貴方に何か言ったか?

(答) 一九三九年、私が此の部隊に入った時、これについて私に言ったことを正確に記憶しています。

(問) 貴方が部隊にいた当時、関東軍の高級将校中、誰が部隊を観察したか述べて貰い度い。

(答) 部隊に来たのは、元関東軍司令官梅津大将、参謀長木村中将(後に大将)、宮田中佐、即ち竹田宮、日本関東軍元軍医部長梶塚軍医中将であります。(P327)

(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


被告柄澤十三夫の尋問



(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より)  


(2016.8.23)
  
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