被告柄澤十三夫の尋問調書
(答) 私は、一九四三年四月一九付のソ同盟最高ソヴエト常任委員会法令第一条に基いて為された私に対する告発に関し、全面的に有罪と認めます。
事実私は、一九三九年より一九四四年に至る間在満日本関東軍第七三一部隊に勤務しました。而して同部隊に於ては、細菌大量生産の最も完全なる方法の研究並びに細菌戦用兵器として其の用法の研究が活発に行われたのであります。(P88-P89)
第七三一部隊に於ては、細菌戦の準備に関する同部隊の任務を遂行する為、人間を強制的に伝染病に感染せしむる実験が間断無く行われました。実験に用いられた是等の人々は、殺害の為日本憲兵隊により同部隊に送致せられたのであります。
一九四〇年並びに一九四二年第七三一部隊は、中国人民に対する戦争に細菌兵器として細菌を使用すべき特別派遣隊を派遣しました……
(問) 被告は具体的に如何なる点に於て有罪と認めるか?
(答) 私は具体的に左の点に於て有罪と認めます。私は長期に亘り、即ち一九三九年十二月より一九四四年八月に至る間、犯罪団体たる第七三一部隊に勤務しました。即ち最初は平隊員として勤務し、次いで班長となり、更に一九四二年の末又は一九四三年の始めより同部隊第四部(製造部)の課長として勤務したのであります。
私の指導せる班長及び課は、実地使用の為必要に応じて腸チブス菌、パラチブス菌、コレラ菌、ペスト菌及び炭疽菌を大量に培養しました。例えば、安達駅の第七三一部隊特設実験場に於て野外条件下に於ける細菌使用の試験を実施する為、又中国人民に対する戦争に細菌兵器として細菌を実地に使用する為に、之を培養したのであります。(P89)
細菌専門医たる私は、細菌の大量生産に当り、其の細菌が人間を殺害する為のものである事を知って居ました。併しながら当時私は、其の事が日本軍将校の義務概念として許されるものと考えて居ました。故に、上官の命令に依って定められた自己の任務を完全に遂行する為、出来得る限りの努力を払ったのであります。
私が部隊に勤務中、私の隷下には五〇名乃至七〇名の将校、下士官、軍属が居り、又細菌の大量培養に必要なる総ての設備があったのであります……
私の指導せる課は、現存設備を使用して一ヵ月に次の細菌量を各個に生産し得ました。ペスト菌一〇〇キログラム、炭疽菌二〇〇キログラム、腸チブス菌三〇〇キログラム、、パラチブス「A」菌三〇〇キログラム、コレラ菌三三〇キログラム、赤痢菌三〇〇キログラム。
一九四〇年後半期、私の指導せる班は、他の部隊員の一隊と共に中国中部に赴ける元部隊長石井中将を隊長とする特別派遣隊の為に、腸チブス菌七〇キログラム、コレラ菌五〇キログラムを製造しました。尚同派遣隊は中国軍に対し、腸チブス菌、コレラ菌以外にペスト蚤を使用しました。
一九四二年中頃私を長とする班は、中国軍に対して細菌を使用する目的を以て中国中部に赴ける、石井中将を隊長とする同様なる派遣隊の為に、パラチブス「A」菌、炭疽菌一三〇キログラムを製造しました。私は、私に告知せられた証言に依り、同派遣隊と共に腸チブス菌も送られた事を知ったのでありますが、併し、私自身は夫れを確実に記憶して居りません。
一九四〇年並びに一九四二年に派遣せられた石井中将を隊長とする派遣隊は、実戦に於ける細菌の大量撒布方法を研究すべき実験の実施を其の目的としたのでありますが、実際に於ては夫れは、中国軍に対する戦用兵器としての細菌の実地使用でもあったのです。
一九四〇年石井中将を隊長とする派遣隊がペスト蚤を使用した事は、ペスト蚤使用地帯にペストを発生せしむる結果となったのでありますが、之は、一九四九年十月二二日の訊問の際に私が詳細に供述したところであります。以上列挙する細菌使用の結果、所期の目的が達せられたか否かに就ては私は之を知りません。(P91)
(『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』より) |