田中淳雄少佐尋問録


太田昌克『731免責の系譜』所収


T・S問答要旨(「ゆう」注 田中淳雄・サンダース。これは田中自身が書いた記録)

1945年10月30日 16:00−18:00
於京都 都ホテル


(前書き部分 略)


田中淳雄少佐尋問録

(一) 経歴

田中淳雄 一九一三年生

一九三七、四月 京大農学部卒業(昆虫学専攻)

一九四一、四月 京大医学部卒業 軍医中尉任官

一九四一、七月−一二月 軍医学校乙種学生(防疫学教官内藤中佐

一九四二、一月 石井部隊附に命課 哈爾浜到着

一九四二、三月以降 第二部(防疫の実施)にて主として「ペスト」防疫に従事す

一九四五、六月 軍医少佐に進級 現在に至る

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

(二) 「今回の脱出経路」

(略)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

(三)部隊に於ける仕事

 部隊の仕事は秘密主義で防諜が喧しいので自分の仕事だけしか知らぬ 全般の事は部隊長と増田大佐だけが承知で我々下のものは自分の与へられたる任務 受持の僅かの部分しか知らない

 尚各資料も皆部隊に残したので詳細は不明であるが私の覚えて居る事は何でも答へる

 私は昆虫の媒介する疾病の防疫を命ぜられ発疹「チフス」の虱、「マラリア」の蚊、流行性出血熱の「ダニ」等の駆除を命ぜられたが主なるものは「ペスト」防疫であった(P225)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

(1) ペスト防疫の実施(P225)

 満州には従来「ペスト」常在地あり 毎年数十乃至数百の患者の発生を見る 該ペストの軍隊への侵入防止の為地方機関と協力(「ゆう」注 「地方」とは「軍の外」つまり「民間」を意味する戦前の用語) ペスト防疫に従事せり その実施要領は

(イ) 捕鼠殺鼠の励行 各戸より強制的に鼠の供出並買上実施(一九四四年二千万頭供出)(「ゆう」注 明らかに過大。誤記か?)

(ロ) 防鼠工事の実施並指導 防鼠溝、清潔整頓

(ハ) 予防接種、「ペスト」常在地附近部隊に五月六月二回実施
    「ペストインムノーゲン」(倉内) 生菌ワクチン(春日)

(ニ) 「ペスト」発生時は現地に出張し右三方法を強化すると共に交通遮断、検疫、検診、時には家屋の焼却、被服類の消毒等を実施す(P226)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

(2) 「ペスト」防疫の予備工作として満州国内鼠及び鼠蚤の分布並に其の季節的消長調査

(イ) 齧歯類、約二十五種類生棲するも その中「ペスト」と関係深きは
    溝鼠 最も多く八二%にして全満に広く分布す
       繁殖期 四月五月
    家鼠 新京以南の南満地方に多し
   「ハタリス」 内蒙古砂漠地方に多し
   「タルバカン」「ホロンバイル」地方 現在は少数

(ロ) 付着蚤 約四十二種類あるも其の中「ペスト」と関係深きもの左の如し
   「ケオプス」 P常在地に特に多く国境付近には全く見られない、P常在地域内の町村の「ケオプス」指数は大体一・〇以上なり
   (例へば白城子一・五 通遼三・〇 鄭家屯三・二 農安二・五 新京一・九等)(P226)
   「ケオプス」は冬季少く四月より漸増し八月最高となり十一月以降には殆んど見られず その消長はP流行と一致する

   「ヤマト」
   「ヨーロッパ」 共に北満に多く耐寒性強き種類
   「ビデンタ」 絹毛鼠特有蚤
   「テスクオールム」「ハタリス」 特有蚤
   「セランティビー」「タルバカン」 特有蚤

  自然状態に於ては「ケオプス」以外の種類の蚤にPを保菌せるを認めざりき
  従ってP防疫には特に「ケオプス」の撲滅に重点を指向せり(P227)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

(3) 昆虫の駆除剤の研究

 種々実施せるも除虫菊「ピレトリン」等以外に最近有効なるものとして白樺の樹皮より有効成分の抽出に成功し白樺油、白樺油クリームを製せり

 白樺油なれば三〇分間 白樺油クリームなれば二−三時間有効なり 但し悪臭の為余り喜ばれず(P227)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

(4) 蚤の増殖方法の研究

 一九四三年(昭和十八年)P防疫の余暇に「ケオプス」の増殖を命ぜられたり

(イ)、蚤増殖方法

 アプデルハルデン氏法(一九三一年)に倣って実施(原著を供覧す) 其の中改良せる点は (一)硝子瓶の代りに石油缶 (二)金網式固鼠器 (三)蚤床に砂、穀物も用ふること可能 「フスマ」を混ずれば可 (四)蚤床量は一缶一立(P227)
S
(ロ)、蚤飼育至適温湿度

 馘首文献記載の如く二五−三〇度、七〇−八〇%

(ハ)、集蚤 反趨光性の利用、西洋バス利用

(ニ)、吸血源 白鼠を最良とす 廿日鼠、「モルモット」、犬、猫、山羊、では失敗せり

(ホ)、隘路

 蚤の生産には絶対に白鼠を必要とす 白鼠は北満にては如何にするも自活不可能で内地よりの補給を必要とす、白鼠の固鼠器内の生命は約一週間故 一ヶ月に四回取換を要す

 而も一ヶ月後に於ける一缶よりの獲得量は最良条件にて僅に〇.五瓦(一CC 約一、〇〇〇匹)にして大東亜戦下空襲等により内地よりの白鼠の輸送極めて困難且つ長時日を要し 他面食糧不足により輸送間の損耗約五〇%なり

 従って一〇瓦の蚤生産に内地よりの白鼠一六〇頭 一〇〇瓦の蚤生産に内地よりの白鼠一、六〇〇頭を要する状況にして蚤の大量生産を命ぜられたるも到底不可能なる事であった(P228)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

S(「ゆう」注 サンダース) 何故に「ケオプス」の増殖を命ぜられたか その目的は

T これは命ぜられた、その目的は上司より話されなかったが自分は科学者として大体その目的を想像して居た

S 石井将軍はどうしてゐるか

T 私もそれが知り度いがわからない

S 「ソ」連に捕まることは無いだらうね(P228)

T 彼は賢いから そんなヘマはやらぬと思ふ

Y 私もそう思ふ

S 石井将軍の何処が好きで部下になったか

T 好き嫌ひではない 軍隊の命令で強制的になったのだ(P229)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

S 生産した蚤はどうしたか

T 一週間もすれば全部死んでしまった(「ゆう」注 「ケオプス」については、「何にも栄養の補給をしなくとも、四四日くらい生きとるんですね」との証言あり。林口支部・小幡石男伍長=西里扶甬子『生物戦部隊731』P134)

S P菌を食はせた事はないか

T それは既に印度P調査委員会や米国エスケー等が実施してゐる所で出来る自身はもってゐるが自分は専門外であるからやらなかった

S P関係の使用建物はどれ位あるか

T 約一、二〇〇平米(三棟)

S 部下に感染者は出なかったか

T 一ヶ年に発疹チフスが十五名、Pが一名程度なり

S P患者は死んだか

T 死んだものもあり助かったものもある(P229)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

S Pの攻撃方法はどんなものがあるか

T 蚤の大量生産に成功しなかったので攻撃の方法は実際やる迄には至らなかった(「ゆう」注 ウソ)

S 「イデー」としては

T 次のやうな方法が考へられる
  (一) スパイに依る手撒き
  (二) 飛行機による撒布
  (三) 「ウジ」弾に依る運用
  (四) 鼠に蚤を附けて投下
 等(P229-P230)

S 「ウジ」弾を知ってゐるか 其他の弾は

T 「ウジ」弾は知ってゐるがその他の弾は知らぬ

S 弾及其他の野外試験に就て

T 弾による試験は部隊附近で飛行機が飛び弾を投下して爆音を聞くのでやってゐる事は知ってゐるがその結果は知らない

S 菌液の撒布は

T 飛行機の音のみで爆発音が聞こえぬから室内に居る我々は何も知らない

S BKの効果をどう思ふか

T これは大問題で判らないが今日のやうに原子爆弾が出現したのでBKは成功するも単なる謀略兵器に過ぎないと思ふ

S 原子爆弾は一夜の中にも敵に破壊せらるる事があるかも知れぬ そのやうな時BK(「ゆう」注 生物戦)はどうか ソ連のやる場合を考へて見よ

T ペスト蚤に就ては それがペスト常在地に使用するなれば有効なりと思ふ しかし蚤の居らない所には撒いても無効なりと考へる(「ゆう」注 「細菌戦」のキーワードである「ペスト蚤」の用語をうっかり漏らしてしまっている)

S それはさうだ 其他BKに就いて何か知らぬか

T 菌液の方では常識より考へてMが有効と考へるし又Mが効果があると噂で聞いて居た

S それから

T 次には経口感染するD、T、C(P230)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


田中淳雄少佐尋問録

S これは誰かにも聞いた

N(内藤) 私が話した

T 私は軍医学校でN中佐より教はった

S あは……

S 三年余りも居て何も知らないね

T 部隊は秘密主義で部隊長命令で自分の仕事以外余り知らされない 作業場も宿舎も各々別々である故他の仕事を無理に知らうともしなかった

S お互に討論はやらぬのか

T 余りやらない 同じ部の内では時々やるが他の部とは全く没交渉である
※「ゆう」注 常石敬一『消えた細菌戦部隊』より

 「これら医者のうち、第一部、第二部そして第四部所属の人びとは、月に一回程度の割合で本部大講堂で行なわれる研究会に出席し、各自順番に研究発表を行なうようになっていた。何人かの人びとはその研究発表の際、自分の研究結果を撮影した映画を上映したりした。(P85-P86)

 この部隊内で公開された映画を見れば、誰の目にもその実験をした人が人体実験をしたことは明らかだったという。すなわち部隊所属のほとんどの医者が、部隊内で人体実験が行なわれていたことを知っていたわけである。」(P87)

S 今日は石井将軍が蚤の増殖を命じたこと一つを知って大変喜んでゐるが何かBKに関してもう一つ新しいことを話して呉れ

T その言はれる意味が私には解らないが 部隊は四部まであって一部は研究 二部は防疫実施 三部は給水 四部は「ワクチン」をやってゐる

S それは既に聞いた その以外に何か新しい事を

T (沈黙)

N もっと専問(ママ)事項が詳細ならば彼は知っているから質問を狭くされては

S さうか 色々話をして呉れて有難う 君を苦しめて済まなかった

翌日待機を命ぜられたるも何の質問もなく終りたり(P231)

(太田昌克『731免責の系譜』所収)


(2016.4.30)


HOME