帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務



共産主義インタナショナル第六回大会にて

1928年8月29日


(大月書店刊 『コミンテルン資料集4』所収)




目  次

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 A プロレタリアートは帝国主義戦争に反対してたたかう

   1 帝国主義戦争の勃発前における帝国主義戦争反対の闘争

   2 帝国主義戦争時の闘争
   3 ブルジョアジーにたいするプロレタリア−トの内乱

 B プロレタリアートは帝国主義にたいしてソ連邦を擁護する

 C プロレタリアートは被抑圧諸国民の反帝国主義民族革命戦争を支持し、遂行する

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 A 帝国主義諸国における軍隊にたいするプロレタリアートの立場

 B プロレタリア革命の時期における軍事問題

 C 植民地・半植民地諸国の軍隊にたいするプロレタリアートの態度

検〃浬面簑蠅砲燭い垢襯廛蹈譽織螢◆璽箸梁崚戮畔刃村腟舛砲燭い垢詁争

 A 社会民主主義の軍縮綱領とレーニン主義

 B ソ連邦の軍備撤廃の提案

 C 平和主義にたいするプロレタリアートの闘争

后ゞ産諸党の活動における欠陥と諸党の任務




帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務

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(一) 世界大戦終結後一〇年をへて、帝国主義列強は、不戦条約を締結し、軍縮を論じ、また国際社会民主主義の指導者の助けを得て、独占資本の支配が世界平和を保障するかのように、労働者や勤労者に信じこませることにつとめている。

 共産主義インタナショナル第六回世界大会は、これらすべての駆引を勤労大衆にたいする卑劣な欺瞞として糾弾する。

本大会は、最近数年の経験に、帝国主義列強が植民地人民にむかっておこなっているたえまない小規模な強盗戦争に、昨年度の諸事件 − 中国革命への干渉、中国の新たな再分割をめぐる列強間の紛争の激化、ポーランドにおける軍隊の集結、リトワニアの独立への直接の脅威 −に、またこれらに関連して、イギリスを先頭とする帝国主義者のブロックの側からソ連邦にくわえられている脅威のたえまない増大に、国際プロレタリアート、勤労者および被抑圧諸国民の注意をうながすものである。

本大会は、突然に世界的な大火災をひきおこしかねない帝国主義者の犯罪的な戦争政策を例証しているこれらすべての事実に、注意をうながすものである。

 第六回世界大会は、きたるべき戦争の政治的および経済的な推進力に分析をくわえた。

 第五回世界大会以後に国際情勢に生じた変化の特徴は、資本主義のすべての矛盾がはなはだしく激化したこと、ソ連邦が経済的および政治的にいちじるしく強化したこと、植民地・半植民地、なによりもまず中国において、民族革命運動が急速に成長したこと、また資本主義諸国でブルジョアジーとプロレタリアートのあいだの階級闘争が激化したことにある。

 市場獲得のための闘争における帝国主義列強のあいだの矛盾が、ますます明白に現われている。しかし、帝国主義列強のあいだのこれらの矛盾にもまして、全世界を二つの陣営 ― 一方では資本主義世界全体、他方では、国際プロレタリアートと植民地の被抑圧諸国民とをますます自己の周囲に結集しつつあるソ連邦 ― に分かつ主要な矛盾が増大している。

 ソヴェト権力と中国革命を滅ぼし、中国を無制限に支配し、ロシアの市場を占取するための闘争、つまり、この両国の膨大な原料資源と販売市場を利用する可能性を獲得するためのこの闘争は、国際資本にとってきわめて重要な問題であり、現在目前にせまっている新たな帝国主義戦争の危険の根源である。



(二) きたるべき帝国主義世界戦争は、莫大な物質的資財を費消する機械化戦争であるだけではなく、同時に数千万の大衆と交戦諸国の住民の大多数とをまきこむ戦争となるであろう。前線と後方との境界は、ますます消滅するであろう。

 本大会は、大規模な軍備拡張、軍事技術の分野での大きな革新、すべての資本主義国における住民および経済の軍事化のための諸方策、ファシスト・イタリアの軍事化、フランスにおける軍制改革、チェコスロヴァキアにおける反動的な軍事法、帝国主義諸大国の参謀本部の指導下におこなわれているポーランド、ルーマニアにおける戦争準備の拡大、ドイツですすめられている古い軍国主義を新しい形態で復活させるための準備、アメリカにおける大衆的軍事化、イギリスがその自治領、まず第一にインドでおこなっている戦争準備等々を指摘する。(P374-P375)

アメリカとイギリスのあいだの制海競争は、新たな軍拡をもたらしている。現代の大衆軍事化におけるきわめて重要な、新しい要因は、青年の軍事化が強化されていること、また軍事化が、事実上、一部は公式にも、婦人におよぼされていること(フランス、ポーランド、ブルガリア、その他)である。



(三) 帝国主義者は、対外政策の部面における軍備および戦争準備と結びつけて、国内で反動を強化している。後方が「静穏」でなければ、帝国主義者は戦争をおこなうことはできない。

ブルジョアジーは、戦争政策にたいする労働者のいっさいの組織的な抵抗を阻止するために、あらゆる方策を講じている。

ブルジョアジーによるこの「後方掩護」に役だっているのは、イギリス、ノルウェーにおける労働組合法、ドイツにおける仲裁制度、化学産業会社における労資協調についてのモンド案、「産業平和」推進のカンパニア、非政治的な労働組合(イギリスにおける「スペンサー主義」)、アメリカにおける「御用組合」、イタリアにおけるファシストの国家労働組合の設立、フランスにおける労働組合の戦時動員法のような諸方策である。

これらすべては、宣戦布告の直後に、あらゆる階級的労働運動の武力弾圧を確保することを目的とした方策である。

 他方では、ドイツの「鉄兜団」、フィンランドの「防衛団」、ポーランドの「射撃団」、オーストリアの「防郷団」などのような型の不正規軍隊の存在は、また戦時ばかりか、戦争が準備されている時期においても、ストライキ破りをおこない、労働者の運動を暴力的に弾圧することを、目的としている。

多くの国に存在する軍事的または半軍事的な婦人団体も、これにはいる。

帝国主義諸大国は、帝国主義戦争、とくにソ連邦にたいする戦争を準備し、遂行するための重要な用具として、東南ヨーロッパ、ポーランド、ルーマニアにおいて、ファシズムを支援している。

 共産党にたいする迫害と弾圧措置は、系統的に強化されており、すべての帝国主義国で、コミンテルンの諸支部は地下に追いこまれる危険に直面している。



(四) 軍備がさかんに拡張され、帝国主義戦争の準備が大がかりにすすめられている情勢のもとにあって、ブルジョアジーと小ブルジョア平和主義者とは、偽善的な言辞を用いて、真の事態について勤労大衆を欺こうとつとめており、平和主義や「平和」政策のついたてのかげで、勤労大衆を組織的にソ連邦にたいしてけしかけている。

ソ連邦にたいするきたるべき戦争における戦いの合言葉は、次のようなものとなるであろう − 「平和のための戦争! 文明の破壊者、ポリシェヴィズム反対!」。

 ブルジョアジーとその手先である社会民主主義者や小ブルジョア平和主義者が、軍縮とか、安全保障とか、仲裁裁判とか、国策の具としての戦争の禁止とかについてしゃべりたてていることは、すべてこのうえない偽善行為である。

 ヴェルサイユの強盗的「講和」を守り、全世界の革命運動を弾圧するための帝国主義者の連合として九年前に設立された国際連盟は、ますますソ連邦にたいする帝国主義戦争を準備し遂行するための直接の道具となりつつある。(P375-P376)

国際連盟の保護のもとにつくられたあらゆる同盟や条約は、もっぱら戦争準備を偽装する手段であり、戦争、とくにソ連邦にたいする戦争を準備するための用具である。



(五) 帝国主義者がその戦争政策を遂行できるのは、ひとえに国際社会民主主義の積極的な協力のおかげである。

すでに一九一四−一九一八年の世界大戦が、社会愛国主義者、排外主義者としての改良主義者の正体を暴露した。それ以来、社会民主党の政策は、あからさまな社会帝国主義の形態をとるまでになった。

社会民主党とアムステルダム系労働組合との指導者は、あらゆる決定的な問題で帝国主義の弁護者であるだけではなく、またその積極的な先進闘士である。彼らが最大の活動性を発揮しているのは、ソ連邦にたいする帝国主義者の戦争準備を支持する面においてである。

 共産主義運動と激しくたたかい、労働組合やプロレタリア大衆組織内で活発な分裂活動をおこなうこと(ドイツおよびイギリスにおいて) によって、労働運動の陣営内の分裂を深めようとする改良主義的指導者の方針は、大きな経済闘争における彼らの敗北主義的な戦略と同様に、ブルジョアジーを強化し、プロレタリアートの戦闘陣地を個々ばらばらに孤立させ、そうすることによって、ブルジョアジーが新たな帝国主義戦争をおこなうための条件を準備することに役だっている。

プロレタリアートは、社会民主党がソ連邦にたいする戦争の思想的準備に用いているさまざまな方法に、最大の注意をはらわなければならない。次にあげるのは、そうした方法のうちのいくつかである。

(a)「赤色帝国主義」や「赤色軍国主義」、「ファシズムとポリシェヴィズムの同一性」などというつくり話をひろめること、(b)プロレタリアートの執権が戦争の原因であり、もしくは戦争の原因のひとつであるという主張、(c)「われわれはソヴェトを支持することには賛成だが、共産主義者とコミンテルンには反対だ」という偽善的な立場、(d)「左翼的な」仮面のもとでのソヴェト政府にかんする敗北主義の宣伝。

過ぎ去った一年間における戦争の危険は、この最後にあげた方法の実例、とくにドイツの社会民主主義老の側の実例を、いくつも示した。こうした実例は、社会民主主義の同盟者であるトロツキストのあいだにも、前者におとらず明瞭にみられた。それは、たとえば「テルミドール主義」、「富農化」等等についての彼らの空語のうちに現われていた。

 社会民主党のいわゆる「左派」指導者は、第八回総会によって労働運動内の最も危険な敵として特徴づけられたのであったが、この一年間における彼らの裏切り的な政策と第二インタナショナルのブリュッセル大会における彼らのふるまいとによって、この特徴づけの正しさを完全に裏書きした。

まさに彼らは、危機的な情勢のもとで、「左翼的」空文句の助けをかりて、ブルジョアジーと右翼改良主義的指導者との双方を救おうと努力しているのである。

彼らは、ソヴェト体制と世界共産主義運動とを、プロレタリア統一戦線の敵、「世界平和」 の敵、「反動の同盟者」と呼んでいるが、これは、労働者をまどわし、混乱させ、こうしてブルジョアジーがその戦争政策を遂行するのを容易にするものである。



(六) この数年問の諸事件は、すべての帝国主義大国の政策の主要な戦線が、ますます公然とソ連邦および中国革命にむけられていることを、示している。

しかし、帝国主義列強そのもののあいだの矛盾が激化しているので、右の戦争が起こるまえに、世界ヘゲモニーをめぐる闘争で二つの帝国主義国家群のあいだに衝突が起こることも、また可能である。


一九一四−一九一八年の第一次世界大戦が、以前のツァーリ帝国においては直接にプロレタリア革命の勝利をもたらし、植民地においては解放運動の発展を、ヨーロッパにおいてはプロレタリアートの蜂起と大衆的な革命運動とをもたらしたとすれば、新たな戦争は、アメリカの工業労働者農業諸国の広範な農民大衆、被抑圧植民地諸国民の幾千万の大衆をもまきこんだ強力な革命運動を呼びおこすであろう。(P377-P378)

公然たる衝突が起こるまえに、すでに資本主義の危機 − 戦争はこの危機の最も明瞭な表現であるが − のなかから広範な大衆的革命運動が発生することも、可能である。

共産主義者は、このような大衆的革命運動においても、また日常の闘争においても、大衆を結集し、組織し、指導し、こうして、革命的行動を手段として、プロレタリアートによる権力の獲得、ブルジョアジーの打倒、プロレタリア執権の樹立を達成しなければならない。

 たとえヨーロッパ諸国の共産主義者が、労働者の最も緊急な要求を実現するための日常闘争を先鋭化して、権力の獲得、ブルジョアジーの打倒のための公然たる闘争に転化することができないにしても − そして、主要な帝国主義諸国でブルジョアジーを打倒することによってはじめて、帝国主義戦争を阻止することができるであろう ―、

そのような日常闘争と帝国主義に反対する闘争とをたえず結びつけることは、労働者階級の活動性をいちじるしく高めて、ブルジョアジーが戦争を準備し、また遂行するのを困難にするであろう。

プロレタリアートの大衆行動によって帝国主義者の戦争方策の実施が遅らされるならば、のちにこの戦争を内乱に転化することがいちじるしく容易になり、帝国主義者を打倒することも、大いに容易になるであろうことは、明らかである。

いずれにしても、プロレタリアートとその他の勤労者層との左翼化が強まり、植民地・半植民地諸国における民族革命運動が強力に発展することは、コミソテルンの影響力を高めるため、また、搾取と抑圧の強化とならんで、軍事的衝突の極度の激化をもたらしている世界ブルジョアジーの全政策にたいする共産主義者の闘争を強化するための、広範な基盤をつくりだす。(P377)

帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務

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(七) 戦争は、資本主義と切り離すことができない。戟争に反対してたたかうためには、なによりもまず、当該の戦争の全本質とその原因をはっきり理解することが必要である。

戦争を不可避の自然現象として正当化しようとする反動的な主張、また空疎な空文句や協定によって戦争をなくそうとする、前者に劣らず反動的な空想計画にたいして、革命的プロレタリアートは、戦争に反対する現実の闘争の唯一の科学的な基礎としての、深く考えぬかれたマルクス・レーニン主義理論を対置する。

 歴史現象としての戦争の原因は、人間に内在する「本然的な悪の原理」にあるのではなく、また政府の「悪い」政策にあるのでもなく、社会が諸階級に、搾取者と被搾取者に、分裂していることにある。

資本主義 − これが、近世史上の諸戦争の原因である。

これらの戦争は、けっして例外的な出来事ではない。それは、資本主義の基礎や生産手段の私的所有と矛盾するものでも、あるいは競争と搾取の制度と矛盾するものでもなく、むしろそれらの直接の結果である。

 資本主義の独占段階としての帝国主義は、資本主義の諸矛盾をはなはだしく深めるため、「平和」はたんに新たな戦争への息つぎ期間にすぎなくなる。(P377-P378)

地球の地表とその経済的富とは、(プロレタリアートの執権が打ち立てられている部分を除いて)少数の大国によってはとんど完全に独占されている。

しかし、各国の経済的および政治的な発展が不均等なことから、たえず新たに世界の再分割の必然性が生まれてくる。これは、結局は、主要な帝国主義大国相互間の戦争の手段による以外には、解決されえない。

それと同時に、幾億のプロレタリアと植民地奴隷との搾取は、流血の抑圧戦争によってのみ、維持されうる。

 戦争は、資本主義と不可分である。だが、そのことからして、戦争を「絶滅する」ことは資本主義を廃止することによってのみ、搾取者たる資本家階級を打倒し、プロレタリアートの執権を打ち立て、社会主義を建設し、階級を廃止することによってのみ可能だ、という結論がでてくる。これ以外のあらゆる理論や提案は、どんなに「現実的」にみえようとも、搾取と戦争の体制をつづけるための欺瞞でしかない。

 それゆえ、レーニン主義は、資本主義のもとでの「戦争の廃止」についてのあらゆる平和主義的理論を拒否し、労働者大衆とすべての被抑圧者とにたいして、この目的を達するための唯一の道、資本主義の打倒の道をさし示すのである。



(八) しかし、強力を用いずには、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの武装蜂起と戦争によらずには、資本主義を打倒することは不可能である。

現在の帝国主義戦争と世界革命との時代にあっては、レーニンが証明したように、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの革命的内乱、ブルジョア諸国家および世界資本主義にたいするプロレタリア執権の戦争は不可避であり、帝国主義にたいする被抑圧諸国民の民族革命戦争もまた不可避である。

それゆえ、革命的プロレタリアートは、まさに社会主義をめざし、戦争の絶滅をめざしてたたかうものであるからこそ、けっして、あらゆる戦争にたいして反対ではありえないのである。

 およそ戦争は、特定の階級の政治を「別の手段で」つづけたものにはかならない。したがって、プロレタリアートは、それぞれの戦争の歴史的および政治的・階級的意義を綿密に分析し、すべての参戦国の支配階級の役割を、国際プロレタリア革命の見地からとくに注意ぶかく評価しなけれはならない。

 現代においては、次の三つの種類の戦争を区別することができる。

第一には、帝国主義諸国家相互間の戦争、第二には、プロレタリア革命にたいする、あるいは社会主義を建設中の国にたいする帝国主義的反革命派の戦争、第三には、帝国主義にたいする民族革命戦争、とくに、帝国主義者の側からの植民地諸国にたいする抑圧戦争に関連して、植民地諸国がおこなう民族革命戦争、これである。


 
第一の場合−一九一四−一九一八年の世界大戦がその古典的な実例であって、双方の側が反動的な帝国主義戦争をおこなう。

第二の場合―たとえば、ソヴェト・ロシアにたいする干渉戦争(一九一八−二一年)がそれであって、反動的な戦争をおこなうのは、もっぱら帝国主義者の側である。これに反して、プロレタリア執権のはうでは、このような場合には、世界プロレタリアート全体の利益のために、社会主義のための革命戦争をおこなうのである。

第三の場合−たとえば中国革命にたいする帝国主義の戦争がそれであって、やはりもっぱら帝国主義列強の側が反動的な強盗戦争をおこなう。他方、帝国主義にたいする被抑圧民族の戦争は、正当であるはかりか、革命的でもあり、現在では世界プロレタリア革命の一環である。(P378)

 戦争のこのようなマルクス主義的分析にもとづいて、プロレタリアートは、戦争にたいする自己の原則的な立場と戦術を決定する。

プロレタリアートは、帝国主義諸国家相互間の戦争にたいしては、自国政府にかんする敗戦主義と、帝国主義戦争のブルジョアジーにたいする内乱への転化という立場に立ってたたかう。

民族革命運動にたいする、まず第一に植民地諸国民にたいする帝国主義者の抑圧戦争の場合にも、またプロレタリア執権にたいする帝国主義の公然たる反革命戦争の場合にも、帝国主義諸国のプロレタリアートは、同じ原則的な立場をとる。

それと同時に、プロレタリアートは、民族革命戦争と、帝国主義にたいする社会主義の戦争とを支持し、また遂行し、民族革命とプロレタリア執権国家との防衛を組織する。



(九) プロレタリアートがまだその執権を打ち立てていないあいだは、自国がおこなう戦争のさいのプロレタリアートの戦術を決定するためには、おこなわれている戦争を全面的に分析し、さらにこの戦争のそれぞれの局面をも分析することが、必要である。民族戦争が帝国主義戦争に転移する場合も、またその反対の場合も、ありうるのだ。

 所与の戦争の性格の厳密な分析を、たとえば攻撃戦争の指標というような、形式的な指標とおきかえることはできない。一九一四年の戦争のような帝国主義戦争では、このような指標を基準とすることは、まったく無意味である。それは、たんに大衆をあざむくのに役だちうるだけである。

しかし、革命的諸国家にたいする帝国主義列強の戦争においては、このような指標の問題は、戦略的な見地から理解するのでなく、歴史的・政治的な見地から理解されなけれはならない。

不正義の戦争をおこなっているのは、はじめに攻撃をくわえた側だというわけではなく、むしろ民族革命またはプロレタリア革命に対抗して、反動、反革命、搾取、帝国主義を代表する側である。

攻撃戦争についての論拠を欺瞞的に適用した好例は、フランスの社会主義者によってあたえられている。このフランスの社会主義者は、一九二五年に「はじめに攻撃した」のはモロッコの側だという理由で、蜂起したモロッコにたいするフランスの戦争を支持したのであった。

イギリスの労働帝国主義者も、一九二七年における中国への干渉のさいに、これと同じ立場をとった(「イギリス国民の財産・生命の保護」)。



(一〇) 「祖国防衛」の問題についてのプロレタリアートの立場も、特定の戦争にたいするプロレタリアートの原則的な立場に依存する。

プロレタリアートは、政治権力を獲得し、生産手段を搾取者の手からもぎとるまでは、祖国をもたない。「祖国防衛」という表現は、戦争の正当化を意味するいちばん月なみの、広く用いられている表現、ときにはたんなる通俗的な表現である。

プロレタリアート自身またはプロレタリア国家が帝国主義にたいしておこなう戦争では、プロレタリアートは、自分たちの社会主義的祖国を防衛しなければならない。

民族革命戦争においては、プロレタリアートは、国を帝国主義から防衛するために立ちあがる。しかし、帝国主義戦争においては、プロレタリアートは、「祖国防衛」を、搾取の擁護、社会主義への裏切りとして、最も精力的に糾弾しなけれはならない。(P379)

  



帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務
A プロレタリアートは帝国主義戦争に反対してたたかう

 1 帝国主義戦争の勃発前における帝国主義戦争反対の闘争

(一一) 帝国主義戦争に反対する共産主義者の闘争は、あらゆる色合いの平和主義者の「戦争反対の闘争」とは根本的に異なっている。(P379-P380)

共産主義者は、戦争に反対する闘争を、階級闘争から切り離して考えることをせず、それを、ブルジョアジーの打倒をめざすプロレタリアートの一般的階級闘争の一部分とみなしている。

共産主義者は、ブルジョアジーが支配しているかぎり、帝国主義戦争は避けられないことを、知っている。

この客観的な発展傾向の確認から、ある者は、そうだとすれは、ことさらに戦争に反対する闘争をおこなっても無意味だ、という結論を引きだすことだろう。そればかりか、社会民主主義者は、共産主義者が革命の到来を早める目的で帝国主義戦争をあおっていると言って、非難することさえやっている。

前者は誤りであり、後者はばかげた中傷である。共産主義者は、帝国主義戦争が避けられないことを確信しているとはいえ、この戦争のために苛酷きわまる犠牲を強いられる労働者大衆とすべての勤労者との利益のために、全力をあげて帝国主義戦争に反対し、プロレタリア革命によって戦争を予防するために、ねばりづよくたたかうのである。

この闘争においては、共産主義者は、戦争の勃発そのものを防止できなかった場合には、すでに開始された戦争をブルジョアジー打倒のための内乱に転化することができるように、大衆を自己の周囲に結集するのである。




(一二) 帝国主義戦争との闘争における共産主義者の第一の義務は、ブルジョアジーが戦争の準備をおおいかくすのに用いているベールを引きさき、其の事態を広範な大衆に示すことである。このことは、なによりもまず、平和主義にたいする最も激烈な政治闘争および宣伝闘争を意味する。

 この場合、共産主義者は、平和主義のあらゆる色合いを注意ぶかく考慮しなければならない。次にあげるのは、そのうちの最も重要なものである。

 (a) 官製平和主義。資本主義諸政府は、こうした平和主義によって、おたがい同士の策動や、ソ連邦にたいする策動を偽装する(国際連盟、ロカルノ条約、軍縮会議、「不戦条約」、その他)。

 (b) 第二インタナショナルの平和主義(ヒルファディソグ、ポール・ポンクール、マクドナルド)。これは、官製の政府平和主義の一分枝にすぎないが、その論証を、社会主義的、さらには「マルクス主義的な」空文句で飾りたてるのセある。

 (c) 一部の「左翼」社会主義者の「急進的」または「革命的」平和主義。この平和主義は、戦争の危険を承認しはするが、戦争にたいしてたんに無意味な空文句を対置するだけである。これらの平和主義者は、しばしば現代兵器の破壊力を誇張するが、これは、長期の戦争は不可能だとか、それを内乱に転化することは不可能だとかいうことを証明するためである。

 (d) 半宗教的な平和主義。これは、教会の運動を基盤としている。

 平和主義とのこの闘争においては、共産主義者は、ブルジョア平和主義と、反戦的な気分にみたされており、戦争に反対してたたかう気持をもっているが、まだ唯一の正しい革命的な道をみておらず、そのために平和主義的詐欺師ども − さまざまな平和主義的潮流を代表する詐欺師ども − の犠牲となっている広範な人民大衆の誤りとを、注意ぶかく区別しなければならない。

共産主義者は、大衆にたいしては、彼らの誤りをたえず説明して、彼らを戦争との闘争のための革命的統一戦線に引きいれなけれはならないが、主義的詐欺師にたいしては、倦むことなくたたかって、これを容赦なく暴露しなけれはならない。

 (e) いわゆる「協同組合平和主義」は特別な役割を果たしている。国際協同組合同盟とロンドンの国際婦人協同組合ギルドとが、この平和主義の基盤である。たとえば、国際婦人平和自由連盟のようないくつかの左翼的ブルジョア団体も、これにはいる。(P380-P381)



(一三) 戦争の危険が近づき、かつ明白になればなるはど、上記のいわゆる「急進的平和主義」の潮流はますます危険となる。それは、現在、主としてドイツの「左翼」社会民主主義者、イギリスの独立労働党、諸小国(オランダ、ノルウェー、その他) の社会民主主義者によって代表されている。

この潮流のスローガンは、「二度と戦争を起こさせるな」、「戦争のボイコット」、「宣戦布告にはゼネラル・ストライキでこたえよ」、「軍隊ストライキ」等々のような、大仰な空文句であって、こうした空文句は、改良主義的指導者たちによって、大衆欺瞞のためにさかんに用いられている (たとえば、ゼネラル・ストライキというアムステルダム・インタナショナルの空文句)。

一九二二年一二月にハーグの平和会議へのソヴェト労働組合代表団にあたえた指令のなかで、レーニンは、平和主義のこの変種にたいする闘争におもな注意をむけたが、これはまったく正当であった。

このことは、今日でも完全に、全面的にその意義をたもっている。というのは、共産党のなかでさえ、この問題における強い偏見と偏向がいまなお無意識にたもたれているからである。それゆえ、次のことが必要である。

 (a) たとえば、「われわれは戦争を許さない」というような大言壮語とたたかい、「二度と戦争を起こさせるな」というスローガンとたたかうこと。共産主義者は、これらのスローガンを理論的に「訂正する」だけにとどめることはできず、このような扇動をそそのかす者を暴露し、この扇動が戦争準備をおおいかくす手段としての意味をもつことを示すことによって、このような扇動に反対して積極的にたたかわなければならない。

社会民主主義者が大衆を愚弄するための偽善的な約束としてもちだしている「戦争にたいする戦争」というスローガンについても、多くの場合に同じことがあてはまる。

 (b) 戦争の阻止についての「急進的」平和主義者の提案とたたかうこと。

共産主義者は、この連中を、自己の急進的な提案(ゼネラル・ストライキ、軍隊ストライキ)を実現するためになにもしないはらふきとして暴露するだけにとどめることはできず、平和主義者がもちだしているこのような提案そのものが誤った、子供じみたものであることを暴露し、戦争が現実にはどういう状況のもとで起こるかを大衆に説明し、闘争を特定の方法だけに限ることは不可能であり、階級闘争のあらゆる形態を適用する必要があることを、明らかにしなければならない。

 (c) 戦争の危険にたいする闘争の問題で、共産諸党自体の隊列のなかからなされているあらゆる軽率な言動と仮借なくたたかい、それを公然と批判すること。

とくに現在では、論文や新聞、また議会の演説にみられるこれらの誤りとたたかうことが、必要である。どんな場合にも、このような誤りを黙過することは、許されない。



(一四) 平和主義やあらゆる軽率な「革命的」空文句にたいする闘争とならんで、共産主義者は、帝国主義戦争に反対する闘争において、多くの根本的な扇動・宣伝上の任務を果たすべき義務を負っている。その任務とは次のものである。

 (a) ブルジョアジーと社会民主党とが戦争を正当化するために用いている詭弁や空文句にたいして、適時に反駁をくわえること。この点で最も重要なのは、今日でもやはり「祖国防衛」 のスローガンである。一九二七年の中国にたいする戦争は、「生命・財産の保護」、「通商の保護」、「国旗の保護」などというスローガンが、どういう意味をもっているかを、明らかにした。(P381-P382)

さきごろの帝国主義戦争では、協商国側では「プロイセン軍国主義にたいする闘争」というスロ−ガン、中欧諸国の側では「ツァリズムにたいする闘争」というスローガンが、大衆を動員するうえで決定的な役割を果たした。

イタリアとフランスまたはユーゴスラヴィアとのあいだのきたるべき戦争では、「反動的ファシズムにたいするたたかい」というスローガンが、これと同じ役割を演じるであろう。あとの両国のブルジョアジーは、その帝国主義的な戦争を正当化するために、人民大衆の反ファシズム的な気分を利用するであろう。

他方では、ファシズムは、アッペンニーノ半島の「過剰人口」、「膨張の自然的な必要」等等のスP−ガソによって、その帝国主義的な戦争政策を正当化している。

共産諸党は、これまでこれらの詭弁の暴露に十分な注意をはらってこなかった。

 (b) 「このまえの戦争のさいには、事態はどうであったか、またなぜそれ以外ではありえなかったかを、まったく具体的に、くりかえしくりかえし人々に説明しなけれはならない。

 とくに、『祖国防衛』の問題が避けられない問題となり、勤労者の大多数者は、不可避的に、この問題にたいして自国のブルジョアジーに有利な解答をあたえるであろうという事情の意義を、説明しなければならない」(レーニン)。

 「このまえの戦争の経験に照らして、われわれは、宣戦布告の翌日にはどんなに大量の理論問題や日常生活上の問題が提出されるかを、そして、そのために、大多数の応召者にとっては、いくぶんとも明快な頭脳で、いくぶんとも良心的な公平さでこれらの問題にたいする態度をきめることが、まったく不可能になるであろうことを、説明しなければならない」(レーニン)。

 「戦争の発生を包みかくしている秘密がどんなに大きいものであるか、通常の労働者組織は、たとえそれが革命的と自称している組織であっても、現実にせまりつつある戦争に直面しては、どんなに無力なものかについて、実情を人々に説明しなけれはならない」(レーニン)。

 たくみに建設された非合法組織をもっていたポリシェヴィキは、戦時に革命的活動をつづけることができた唯一の党であった。しかし、当時ロシアではプロレタリアートの階級闘争が力づよく高揚しており、ペテルプルクの街上には、戦争の起こる数週間まえにバリケードがきずかれるという状態であったにもかかわらず、ポリシェヴィキですら、大衆がブルジョア的な「祖国防衛」に味方するのを阻止することはできず、まして戦争そのものを阻止することはできなかった。

 戦争に反対する現実の闘争がどんなに巨大な困難をともなうかを、このように真剣に説明することのみが、この闘争の戦術上の諸問題を解明するための基礎となることができる。

 (c) 最後に、このまえの世界大戦(一九一四−一九一八年)の経験、当時労働運動のなかに存在していた諸潮流、戦争に反対するポリシェヴィキの闘争とその基本的なスローガン―「帝国主義戦争の内乱への転化」というスローガンを、労働者大衆に詳しく説明することが、必要である。



(一五) この扇動・宣伝活動は、大衆のあいだでの党の日常の革命的活動とこのうえなく緊密に結びつけられなけれはならない。この点に、帝国主義戦争の勃発前におけるこの戦争にたいする闘争の最も重要な任務がある。(P382)


 (a) 企業や労働組合内での活動は、なによりもまず、動員と戦争の実施とにとって必要な決定的な工業諸部門 − 金属工業および化学産業 − および運輸に集中することが必要である。とくに重要なことは、プロレタリア統一戦線戦術を正しく適用し、その成果を組織的に定着させること(行動委員会の設立、等々)である。

 (b) 大多数の国々では農民が軍隊の大多数を構成していることに留意して、農民のあいだでの反軍国主義活動に特別な注意をはらわなけれはならない。大多数の国々の農民のあいだに存在する強い反戦的気分が、この活動を容易にしている。

ブルジョアジーは、大地主と富農を媒介とし、在郷軍人団や新聞をつうじて、ファシズム的な方法や平和主義的な方法を用い、また教会等々の助けを得て、農村に自己の影響力を確保し、農民の「戦闘精神」を高めることに努力している。共産主義者は、この活動にたいして、農村で階級闘争を激化させるための活動を対置しなけれはならない。

共産主義者は、世界大戦の結果に依拠して、また小農民の経済的諸要求のための闘争と結びつけながら、農民大衆のあいだで戦争に反対する扇動をおこない、戦争にたいするプロレタリアートの態度を説明し、反動的な農民団体のなかでフラクション活動を遂行し、土地の少ない農民の戦争反対の会議を組織しなければならず、軍隊内での活動を遂行するさいには、土地の少ない農民の特殊な利害を考慮にいれなければならない。

 (c) バルカン諸国、ポーランド等々における民族革命運動は、帝国主義戦争の危険に反対し、帝国主義戦争の内乱への転化をめざす闘争において、きわめて重要な役割を演じなければならない。

このような国々における帝国主義戦争の危険に反対する闘争は、封建制の残存物および民族的抑圧に反対し、土地革命および民族革命の展開を目的とする闘争と、密接に結びついている。

 それゆえ、資本主義に反対し、帝国主義戦争の危険に反対するプロレタリアート、農民、被抑圧諸国民の革命的ブロックをつくりだし、拡大することは、共産諸党のきわめて重要な任務である。

 (d) 青年のあいだ、とりわけ青年労働者のあいだの活動は、決定的な重要性をもつ問題である。

青年諸組織だけでなく、すべての共産主義者が、ブルジョア的スポーツ団体に反対し、ファシスト組織や軍事学校など、ブルジョアジーが帝国主義戦争のために青年を訓練する目的に役だてている諸組織に反対して、最大のエネルギーをもってたたかわなけれはならない。

もうひとつの任務は、ブルジョア諸国における召集前の青年の軍事訓練に反対してたたかうことである。このような訓練が強制的な性格をもっているところでは、共産主義者は、青年労働者に呼びかけて、そういう訓練に参加させ、そのなかで青年を啓蒙し、ブルジョア的軍事組織を分解させるための活動を組織する。また志願制のブルジョア的な軍事団体のなかでも、同様な活動をおこなわなけれはならない。

この目的で、共産党と共産青年同盟はそうした団体のなかに自己の成員を送りこむが、しかし、青年労働者には、そうした団体への加入を呼びかけることはせず、彼らには、プロレタリア自衛団に加入するか、あるいはそれを設立することを、提案する。

 (e) 婦人が産業において、とくに戦時に果たす大きな役割を考慮し、また婦人が男子労働者におよぼす影響を考慮するとき、婦人工業労働者や労働者の妻のあいだで活動し、小ブルジョア的諸組織が彼女たちにおよぼしている帝国主義的な影響とたたかい、彼女たちを労働組合その他のプロレタリア的大衆諸組織に組織することが、戦争の危険に関連して特別な意義をもつようになっている。(P383-P384)

そのさい、婦人の軍事化の計画をとくに考慮にいれること、婦人にたいするブルジョアジーの平和主義的、宗教的、民族主義的諸組織の影響が強まっている事実にもっと大きな注意をはらうことが、必要である。この活動を軽視する態度、またこの活動をもっぱら婦人共産主義者だけの仕事だとみなす見解は、あらゆる仕方で克服されなけれはならない。

 (f) 反軍国主義活動、陸海軍内での活動、新兵や予備兵のあいだでの活動、プロレタリア分子が多数参加しているブルジョア的自衛組織内での活動は、党の革命的大衆活動全体と有機的な一体をなさなければならず、またすべての労働者がこれに引きいれられなけれはならない。



(一六) レーニンは、宣戦布告後にも革命的活動をそのままつづけるための「唯一の可能な手段」は非合法組織をつくることであると、考えていた。宣戦布告前においても、戦争に反対する闘争においては非合法組織は不可欠である。

戦争に反対する闘争の事業におけるこの最も重要な任務を実践的に解決する点で、いまなおきわめて大きな懈怠、きわめて大きな不明瞭さがみられる。一部の共産党の若干の部分のあいだには、反軍国主義活動をおこなうことは、もっぱら青年や特殊な組織の任務であるとか、軍隊内での活動は党にとって無条件的な任務ではないとかいう、まったく日和見主義的な偏見がひろまっている。

このような見解にたいして断固としてたたかい、いますぐレーニンの指令の精神で活動を開始することが、必要である。この面での任務は次のものである。

 (1) 党の工場・経営細胞網を拡大すること。企業家のテロルと警察支配とのため、ある種の条件のもとでは、これらの細胞は完全に非合法に移行しなければならない。この移行を準備するためのあらゆる必要条件をつくりだすこと。

 (2) 厳格な非合法の条件のもとにあってもその機能が確保されるように、指導機関、連絡機構および党機関誌を準備すること。

 共産党は、あらゆる合法的な可能性の利用を瞬時も放棄することなしに、すでに今日これらの任務に最大の注意とエネルギーをさかなければならない。そうしなければ、宣戦布告と同時に始まるテロル ― その徴侯は、今日すでに多くの国々に現われているが ― が、かならずや党組織を破壊し、それによって戦争に反対する革命的闘争のための最も重要な前提条件を破壊するであろう。

(一七) 共産諸党は、現在、帝国主義戦争にたいする闘争のために大衆を準備し、獲得し、組織するという中心任務に、その全活動を従属させなければならない。

搾取と抑圧の強化に反対するプロレタリアートとその他の勤労住民層の闘争、賃金、労働時間、租税と関税の問題での、住宅政策や社会政策の分野でのその闘争、また政治的無権利、迫害およびファシズムの危険の強化に反対するその闘争は、この闘争で直接にかかげられた要求にとどまらずに、帝国主義的戦争政策に反対する断固たる闘争と結びつけられなけれはならない。

対外政策、軍備、陸軍演習、新たな兵器の導入等々のあらゆる重要問題は、広範な大衆の討議にかけられ、革命的大衆行動を組織するために利用されなければならない。

この闘争では、共産諸党は、自己の力の冷静な評価を放棄することなく、しかも大胆に、断固として、大衆の先顕に立たなけれはならない。

党は、帝国主義的ブルジョアジーの戦争政策に反対して、デモンストレーションや抗議ストライキを組織し、必要に応じて大衆のまえにゼネラル・ストライキの問題や、いっそう鋭い闘争形態の問題を提起しなけれはならない。(P384-P385)




帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務
 2 帝国主義戦争時の闘争

(一八) 帝国主義戦争時における共産主義者の政治綱領は、ポリシェヴィキ党がレーニンの指導下に、第一次世界帝国主義大戦に反対するその英雄的な闘争のなかで作成し、適用したのと同じ綱領である。この綱領は、次の主要な諸点から成っている。

 (a) この戦争における帝国主義的祖国の擁護を拒否すること、労働者・農民にたいしてこの戦争の反動的性格を説明すること、公然隠然とこの戦争を正当化している労働運動内のあらゆる潮流にたいして最も精力的にたたかうこと。

 (b) 敗戦主義、すなわち、この戦争における自国の帝国主義政府の敗北を促進すること。

 (c) 真の国際主義、すなわち、「国際主義的な」空文句ではなく、また形式的な「協定」でもなく、すべての交戦国のプロレタリアートが、自国のブルジョアジーの打倒をめざして革命的な敗戦主義的活動をおこなうこと。

 (d) 後方における大衆の革命的行動と前線における交歓とを手段として、帝国主義諸国家の戦争を、ブルジョアジーに反対し、プロレタリアートの執権をめざし、社会主義をめざすプロレタリアートの内乱に転化すること。

 (e) 帝国主義戦争の条件のもとでは、「民主的」または「正義の」平和は、主要な交戦諸国におけるブルジョアジーの打倒と、プロレタリアートによる権力の奪取なしには、不可能である。それゆえ、中心スローガンは、平和ではなく、プロレタリア革命でなけれはならない。

共産主義者は、平和についてのあらゆる空文句にたいして精力的にたたかうべき義務を負っている。このような空文句は、一定の時点でブルジョアジーの最も重要な思想的武器となるのであって、ブルジョアジーは、戦争の内乱への転化を阻止するために、この武器にうったえるのである。

 共産主義者は、このような綱領を宣伝するだけにとどまってはならない。さらに、下からのプロレタリア統一戦線戦術を適用することによって、この綱領のための闘争に労働者大衆を獲得することが、必要である。



(一九) 「帝国主義戦争の内乱への転化」とは、なによりもまず、革命的な大衆行動を意味する。

共産主義者は、革命的な大衆行動の発展の妨げとなるような、いわゆる戦争との「闘争手段」の適用を、いっさい断固として拒否する。したがって、共産主義者は、革命的大衆行動と結びつかない、あるいはそれの発展に役だたない個人的行為を拒否し、労働運動内の小ブルジョア分子が提出している「戦争反対」の処方箋の宣伝とたたかう。

たとえば、「武器をとることを拒否する」とか、「発砲を拒否する」などというような処方箋は、いまなお大衆のあいだに広範にひろまっており、このような手段によってなにかをかちとることができると、まじめに考えている労働者も多い。実際には、それは無意味であり、有害である。

戦争に反対する闘争は、一回かぎりの行為ではないこと、後方と前線とにおけるブルジョアジー打倒のための労働者および貧農の革命的大衆行動と、武器を手にしての闘争とが、唯一の闘争手段であり、他のすベての闘争手段はこれに従属させられなければならないこと、これらのことを、共産主義者は労働者に告げなければならない。(P385-P386)

右に述べたような大衆行動にとって有害な個人的行為の処方箋とたたかいながら、共産主義者は、労働者のあいだに帝国主義戦争に反対する闘争における革命的英雄精神をそだてあげる。



(二〇) 共産主義者は、戦争反対のゼネラル・ストライキの問題をも、帝国主義戦争を内乱に転化するというこの同じ観点から考察する。共産主義者は、戦争に反対する闘争手段としての「ゼネラル・ストライキ」の問題を、それだけ切り離して提出することはできない。

すでに一九〇七年にレーニンは、エルヴュの見地とたたかって、具体的な情勢と無関係に、プロレタリアートの一般的な階級闘争から切り離された「万能薬」としてのゼネラル・ストライキのスローガンを拒否した。

一九二二年にレーニンは、世界大戦の経験にもとづいて、彼のこの立場にいっそう明確な形態をあたえた。ハーグ会議への代表団のための指令のなかでレーニンがこの点についてあたえた指示は、今日でも完全に、全幅的に有効である。

「ストライキによって戦争に『こたえる』ことが不可能であるのは、言葉の単純な、文字どおりの意味で革命によって『戦争にこたえる』ことが不可能であるのと、同様である」。

しかし、たとえ共産主義者が、「ゼネラル・ストライキによってこたえよ」というスローガンを拒否し、労働者に、戦争に反対する其の闘争をそこなうこのような幻想におちいらないように警告するとしても、だからといって、戦争に反対する闘争の武器としてのゼネラル・ストライキを拒否するものではけっしてない。

共産主義者は、この武器の利用のそのような拒否を、日和見主義的な偏向として、断固として排撃する。大衆的ストライキ運動の最高の形態としてのゼネラル・ストライキは、他の革命的大衆行動(デモンストレーション、軍需工場におけるストライキ、輸送ストライキ、その他)とならんで、最も重要な武器のひとつであり、武装蜂起への過渡として、帝国主義戦争の内乱への転化の一段階である。

しかし、この転化は、党の重心だけにかかっているのではなく、革命的情勢の存在、大衆行動を遂行するプロレタリアートの能力等々を前提するのであって、このような前提条件は、通例、宣戦布告と同時に生まれるものではなく、戦争の経過中にはじめてつくりだされるのである。

また、戦争中においても、ゼネラル・ストライキは、天から降ってくるものではなく、革命的大衆行動(デモンストレーション、部分的ストライキ、その他)の波が高まった結果であり、また共産主義者の側における、大きな犠牲をともなった、ねはりづよい準備の結果である。

戦争中おけるゼネラル・ストライキは、平和時のそれよりも急速に革命的な結果をもたらすであろうことは、疑いをいれないが、しかし、それを準備し、組織することは、けっして平和時より容易ではない。それどころか、ブルジョアジーは、対抗措置をとるであろうし、ストライキに参加した労働者を動員したり、企業を軍事化したりすることで、ストライキにこたえるであろう。

それゆえ、戦争中にも、共産主義者は、ゼネラル・ストライキの抽象的な宣伝にとどまることはできず、従来同様、企業や労働組合内で日常的な革命的活動をおこない、労働者の経済的諸要求を擁護するとともに、それらの要求を反戦宣伝と結びつけ、革命的な工場・経営委員会を組織し、労働組合の下部機関を獲得し、それらの組織から社会愛国主義分子を排除しなけれはならないのであって、こうして基盤が獲得されたならば、改良主義的な指導機関と並行して新たな指導機関を選出し、前者に対抗して部分的ストライキを組織し、遂行し、拡大する等々しなければならない。(P386-P387)

ゼネラル・ストライキは、抽象的なスローガンであってはならず、むしろこれらすべての実践活動の目標かつ結果でなければならない。

 この場合、革命的プロレタリアートは、ゼネラル・ストライキが実現されたならば、適当な条件が存在するかぎり、そのゼネラル・ストライキを武装蜂起に転化することをめざす確固たる方針をとる準備をしなけれはならない。



(二一) 共産主義者は、一部の「急進的」平和主義者や「左翼」社会民主主義者の主張する兵役の拒否(戦争のボイコット)のスローガンをも、帝国主義戦争を内乱に転化するというこの同じ観点から考察する。

 (a) 兵役義務者にむかって動員令に応じるなと呼びかけることで、帝国主義戦争を不可能にするという考えは、「ゼネラル・ストライキによって戦争にこたえる」という考えと同様に幻想的である。このような処方箋を宣伝することは、戦争に反対する真剣な革命的闘争を弱めるものである。

 (b) もしこのような「大衆的ボイコット」が部分的にでも成功したとすれは、その結果は、まさに最も断固たる、最も階級意識の高い労働者が軍隊の外にとどまることであろう。軍隊内での系統的な革命的活動 − これは、戦争に反対する闘争における決定的な任務のひとつであるが ― は、実行不可能となるであろう。

 だから、一九二二年にレーニンが、世界大戦の経験にもとづいて、次のように書いたのは、まったく正しかった。− 「戦争のポイコットとは愚かな空文句である。共産主義者は、どんな反動的な戦争にも参加しなけれはならない」。

 しかし、戦争に反対する闘争の手段としてのポイコット(兵役の拒否)にたいする共産主義者の態度について述べたレーニンのこの指示は、共産主義者が労働者大衆のあいだで、ブルジョア軍隊にはいるように扇動しなけれはならない、という意味ではない。

それは、共産主義者が、幻想をよびおこすような有害なボイコットのスローガンに反対して、ブルジョア軍隊内での革命的活動と組織とのために、プロレタリアートを武装させるために、帝国主義戦争を内乱に転化するために、断固としてたたかわなければならない、という意味である。

 それゆえ、ブルジョア軍隊に参加する問題、兵役拒否(ボイコット)の問題が提出された場合には、共産党は、労働者と貧農にむかって、兵役拒否のスローガンをしりぞけ、武器の使用法を学び、軍隊内で革命的活動を遂行し、適当な瞬間にその武器をブルジョアジーに向けかえるように、勧告しなければならない。

 宣戦布告のさい、軍隊への入隊拒否を主張する巨大な大衆運動が生まれた場合には、共産主義者がそのような運動にくわわって、それに革命的な性格をあたえ、帝国主義戦争に反対する革命的大衆行動をめざす具体的な諸要求と行動スローガンをかかげ、そして大衆を革命化するためにこの運動を最大限に利用することが、必要である。

だが、このような場合にも、共産党は、ボイコット主義のイデオロギーや平和主義的なボイコットのスローガンとたたかわなけれはならない。党は、兵役の拒否というような闘争手段が不十分であることをまったく率直に語り、帝国主義戦争の内乱への転化こそがこの戦争に反対する唯一の正しい闘争方法であることを、大衆に説明しなけれはならない。ブルジョア軍隊内での革命的活動の必要性が、精力的に宣伝されなければならない。(P387)

 もし一般情勢がそれを許すならば、共産主義者は、この種の大衆運動を利用して、パルチザン部隊を編成し、直接に内乱を展開しなけれはならない。

このことは、強力な民族革命運動が存在している諸国に、とくにあてはまる。これらの国々では、共産主義者は、宣戦が布告されたさい(とりわけソ連邦にたいする戦争の場合)や、戦争中に、もし情勢が有利であれば、帝国主義者にたいする民族革命的蜂起と、民族革命パルチザン部隊の即時結成のスローガンをかかげることができる。



(二二) 兵役が義務制でない国々では、政府は、戦争が開始するとともに、広範な募兵カンパニアを展開するであろうし、必要とあれば、一般的兵役義務を実施するであろう。

このような国々でも、共産党の闘争が、帝国主義戦争の内乱への転化を目標とすることは、いうまでもない。しかし、この闘争の枠内で、共産主義者はまた、軍隊への入隊志願を勧めるブルジョア的宣伝に反対し、また一般的兵役義務の実施に反対してたたかわなけれはならない。

しかし、軍隊にはいらず、兵役義務の実施に反対してたたかえは、戦争を防ぎ、それを不可能にすることができるとか、そうすれば軍隊内での革命的活動は不要になるとかいうような幻想を、けっして呼びおこしてはならない。

このような闘争は、帝国主義戦争に反対する一般的な闘争のなかで第二義的な意義しかもたないことを、大衆に説明しなければならない。軍隊内で革命的活動を組織し、またこの活動の必要性を公然と宣伝しなければならない。



(二三) 帝国主義戦争を内乱に転化するうえで最も大きな意義をもっているのは、前線における革命的活動である。そのさい、共産主義者は、たんなる宣伝にとどまっていてはならず、具体的な情勢に応じて、特定の行動のスローガンをかかげなけれはならない。

 (a) 兵士の経済的要求や不平に関連して、軍務の集団的拒否や、そのサボタージュという手段を、さらに兵士・水兵のストライキのある種の形態を適用することが、必要である。
 
 (b) 前線における最も重要な行動スローガンは、交歓のスローガンである。その目的は、塹壕の両側の労働者・農民出身の兵士を、ブルジョア的な将官連に反対して団結させることである。

さきの世界大戦の経験が示したところでは、大量的な交歓は不可避的に軍隊の階層分化をひきおこし、兵士と将校のあいだの武力衝突にみちびくのである。

軍隊内の共産主義者の義務は、交歓を組織し、それに明確な政治的色彩をあたえること、とりわけ平和の問題や軍隊内における革命的勢力の組織化の問題についてこれをおこなうことである。(P388)




帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務
 3 ブルジョアジーにたいするプロレタリア−トの内乱

(二四)一九一四−一九一八年の帝国主義戦争は、東ヨーロッパと中央ヨーロッパの幾多の国々で内乱に転化し、ロシアでは内乱はプロレタリアートの勝利をもたらした。

十月革命の教訓は、戦争にたいするプロレタリアートの態度の見地からみて決定的な意義をもっている。この教訓は次のことを示している。

(1)ブルジョアジーは、彼らの帝国主義戦争のさいには、自分から労働者の手に武器を渡さないわけにはいかないが、危機的な瞬間、敗戦のさい等々には、彼らは大衆的軍隊にたいする支配力を失ってしまうということ、

(2)戦争に反対する真に首尾一貫した闘争は、兵士大衆を革命化するための活動、すなわち、内乱を準備するための活動を前提とすること、

(3)内乱は、無条件に、プロレタリアートとその党との根本的な準備を必要とすること、

これである。(P388)

 それにつづく数年問の経験 −一九二〇年と一九二三年のドイツ、一九二三年のブルガリア、一九二四年のエストニア、一九二七年七月のオーストリア(ヴィーン)における経験は、プロレタリアートの内乱がブルジョアジーの帝国主義戦争によってひきおこされるだけではなく、また今日の資本主義の「正常な」状況 − それは、階級闘争を極限にまで激化させて、直接的革命的情勢にみちびく −によってもひきおこされることを、証明している。

一九二七年三月に上海に、また一九二七年一二月に広州に起こったプロレタリアートの蜂起は、プロレタリアートにとって、とくに被抑圧諸国、植民地・半植民地の諸民族にとって、重要な教訓をふくんでいる。とりわけ上海における諸事件は、プロレタリアートの蜂起がどのように帝国主義とその従僕とにたいする民族戦争の武器として適用されるかを、示している。

 この経験は、なによりもまず帝国主義戦争、反革命戦争に反対する闘争に関連して、プロレタリアートの内乱の問題を公然と大衆に提起し、前述した諸蜂起の教訓を討議し、それをわがものとすることを、共産主義者の義務としている。



(二五) その教訓とは、次のものである。

 (a) 蜂起の前提条件の問題では ―

 革命的情勢が存在すること、すなわち、支配階級の権力の危機 − たとえば、軍事的敗北の結果としてひきおこされた − が存在することが、必要である。

 大衆の状態の悪化と彼らにたいする抑圧とが非常な程度に達し、大衆の活動性と、革命的行動によって政府を打倒するためにたたかおうとする彼らの決意とが高まっていることが、必要である。試練をへた共産党が存在していて、プロレタリアートの決定的な諸層に影響をあたえていることが、必要である。
 
 (b) 蜂起の準備については ー
 
 蜂起は、指導的な党に依拠するだけでなく、また労働者階級の広範な大衆に依拠しなければならない。決定的に重要なのは、プロレタリア大衆諸組織、まず第一に労働組合内での事前の活動であり、これらの組織を蜂起の準備に積極的に参加させることであり、大衆を結集した特別な蜂起の機関を創設することである。蜂起の問題は、大衆のまえに公然と提起されなければならない。

 蜂起は、勤労人民全体、まず第一に半プロレタリアと貧農の革命的高揚を基礎としなければならない。

 ブルジョア軍隊を解体させるために精力的に活動することが必要である。この活動は、蜂起の瞬間には、軍隊獲得のための闘争に変わる。

 蜂起を組織する活動と軍事的準備とは、プロレタリア大衆のあいだや、植民地・半植民地における活動のなかで重要な地位を占めなければならない。

 蜂起の日時の決定は、これらすべての客観的および主体的な前提条件がどれだけ成熟しているかにかかっている。最後的な日時を正しく決定することは、党と革命的プロレタリアートの大衆とのあいだに密接な接触がある場合にだけ、可能である。

 (e) 蜂起の実施についていえば、その規則は次のものでなければならない。

すなわち、蜂起をもてあそんではならない、いったん蜂起を開始したならば、敵を最後的に粉砕するまで、全勢力をあげて攻勢をつづけることが必要である。蜂起にさいしての動揺と不決断は、武装蜂起全体を壊滅させるにひとしい。

敵の主力にたいして味方の主力をさしむけなけれはならない。決定的な瞬間に、決定的な地点でプロレタリアートの側に優位を確保するよう、努力しなければならない。遅滞なくできるだけ広い地域に蜂起を拡大することが、必要である。(P389-P390)

蜂起は技術とみなされなければならないが、それはたんなる軍事問題ではなく、まず第一に政治問題である。蜂起を指導することができるのは、革命的な党だけである。蜂起の瞬間には、党はその全活動を武装闘争の必要に従属させなけれはならない。(P390)



帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務
     B プロレタリアートは帝国主義にたいしてソ連邦を擁護する

(二六) ソ連邦にたいする帝国主義者の戦争は、プロレタリアートにたいするブルジョアジーのあからさまな反革命的階級戦争である。この戦争の主要な目的は、プロレタリア執権を転覆し、すべての国の労働者階級と勤労大衆にたいする自衛派のテロル支配を打ち立てることにある。

この戦争にたいする闘争での資本主義国のプロレタリアートの戦術の基礎をなしているのは、ポリシェヴィキの帝国主義戦争に反対する闘争の綱領である。すなわち、この戦争の内乱への転化、これである。

しかし、この闘争の方法と任務は、戦争前においても、また戦争中にも、戦争準備の具体的条件と、それの明らかな階級的性格とに適合させられなければならない。「敵」が帝国主義大国ではなくて、プロレタリア執権である点で、戦術に一連の重要な変更がくわえられる。



(二七) 帝国主義戦争に関連した、またソ連邦にたいする戦争の準備に関連した宣伝活動の問題を具体化して、次の点を指摘することが必要である。

 (a) 平和主義は、戦争準備をおおう隠れみのから、戦争準備の最も重要な道具に変わる。

それゆえ、平和主義とその独特なスローガンとに反対し、「文明」と「平和」の名においてきたるべき対ソ戦争をおこなおうとしている国際連盟に反対し、ソ連邦、プロレタリア革命および植民地革命を平和にたいする脅威とみなしている「現実主義的平和主義」に反対し、「あらゆる戦争」との闘争という仮面のもとで、ソヴェト権力の擁護という思想の信用を傷つけようとする「急進的」平和主義に反対する闘争を強化することが、必要である。

 (b) 社会民主主義は、ソヴェト権力にたいする戦争の積極的な反革命的準備に移行する。それゆえ、右翼的な色合いのものと、「左翼的な」色合いのものとを問わず、社会民主主義指導者にたいする、またその追随者であるトロツキストとアナルコ・サンディカリストにたいする闘争を、あらゆる手段で強化することが、必要である。

とりわけ、これらの分子がソ連邦にたいする戦争を正当化するために用いるであろうさまざまなスローガンや議論 − 「独裁に反対し民主主義をめざす闘争」とか、「ソヴェト権力の変質」、「富農化」、「テルミドール」とか、また赤色帝国主義についてのつくり話や、「戦争の場合の中立」 のスローガン等々を、大衆のあいだで暴露し、その信用を失墜させることが、必要である。



(二八) 国際労働者階級と広範な勤労大衆は、ソ連邦を自分たちの擁護者とみており、ソ連邦にたいしてますます共感をよせている。

そのうえ、あからさまな階級戦争としての帝国主義の対ソ戦争の意味が、一九一四年の戦争の場合よりはすみやかに広範な労働者大衆に理解されるであろうこと、現在では勤労大衆は第一次帝国主義世界大戦の経験をもちあわせていること、またプロレタリアートの前衛がコミソテルンというかたちで強固な革命的組織をもっていることを考慮すれは、戦争に反対する闘争の可能性は増大しており、いっそう大胆な戦術を実施するための前提条件がそなわっていると、主張することができる。(P390-P391)

 (a) ソ連邦にたいする戦争が問題となっている場合、階級闘争を政府にたいする革命的大衆行動にまで強めていくことによって、宣戦が布告されるまえに戦争を未然に防ぐ可能性は、一九一四年よりもはるかに大きい。

このような革命的行動の模範的な実例は、一九二〇年にイギリスの労働者によってあたえられた。当時、彼らは行動委員会をつくって、政府にソヴェト・ロシアにたいする宣戦布告を断念させたのである。

 (b) 資本主義諸国のプロレタリアートがソ連邦にたいする帝国主義戦争を自国のブルジョアジーにたいする内乱に転化するための前提条件は、帝国主義者間の戦争の場合よりも、すみやかにつくりだされるであろう。

 (c) それゆえ、資本主義諸国の共産主義者は、「ゼネラル・ストライキによって戦争にこたえよ」という空文句を拒否し、この種の幻想におちいることはないとはいえ、ソ連邦にたいする戦争の場合には、宣戦が布告されるまえ、まだ動員がおこなわれている最中に、また戦争中にも、大衆的ストライキやゼネラル・ストライキの武器を利用するより大きな可能性が存在することを、考慮にいれなけれはならない。

 (d) ソ連邦に軍事的攻撃がくわえられた場合には、被抑圧諸民族および帝国主義諸国の共産主義者は、ヨーロッパの少数民族のあいだや、植民地・半植民地諸国で蜂起を起こさせ、ソヴェト権力の敵たる帝国主義者にたいする民族解放戦争を組織することに、全力をかたむけなければならない。



(二九) 帝国主義戦争が国際プロレタリアートの祖国たるソ連邦にむけられているかぎりで、戦術は、「純然たる」帝国主義戦争の場合にくらべて、次のように変更される。

 (a) 帝国主義諸国のプロレタリアートは、この戦争における自国政府の敗北のためにたたかうにとどまらず、さらにソヴェト権力を勝利させるために、積極的に努力しなければならない。

 (b) したがって、彼らの戦術とその闘争手段の選択とは、自国内における階級闘争の利益によって決定されるだけでなく、またプロレタリア国家にたいするブルジョアジーの階級戦争たるこの戦争の前線の利益によっても決定される。

 (c) 赤軍は、「敵」の軍隊ではなくて、国際プロレタリアートの軍隊である。ソ連邦にたいする戦争のさいには、資本主義諸国のプロレタリアートは、国家への反逆だというブルジョアジーの非難におどしつけられてはならず、このような非難で威嚇されたために、赤軍を支持すること、たとえ自国ブルジョアジーとたたかってでも赤軍に援助をあたえることを、思いとどまるようなことがあってはならない。



(三〇) 帝国主義諸国においては「祖国擁護」は許されないとしても、プロレタリア執権の国家においては、祖国擁護は必須の革命的義務である。この場合の防衛の担い手は、貧農に支えられたソ連邦の武装したプロレタリアートである。十月革命の勝利は、全世界の労働者に社会主義的祖国 − ソ連邦− をあたえた。ソ連邦を国際ブルジョアジーから擁護することは、国際プロレタリアートの階級的利益に応じたことであり、その名誉ある義務である。

一九一九−一九二ー年にソヴェト権力が、最強の帝国主義諸国をもふくむ一四ヵ国の干渉軍に勝利したのは、国際プロレタリア−トが、革命的な大衆行動を組織することにょって、ソ連邦のプロレタリア執権に味方してたたかったからであった。(P391-P392)

ソ連邦にたいして帝国主義がくわえる新たな襲撃は、その襲撃が事前に準備されているにもかかわらず、また社会民主党のあらゆる反革命的努力にもかかわらず、プロレタリアートの国際連帯が厳然たる事実であることを、証明するであろう。

 ソ連邦の防衛の事業における国際プロレタリアートの同盟者は、(1)ソ連邦の貧農および大多数の中農、(2)植民地・半植民地諸国の民族革命解放運動である。(P392)



(三一) ソ連邦の国際政策は平和政策であって、これは、ソ連邦における支配階級であるプロレタリアートの利益と、国際プロレタリアートの利益とにかない、プロレタリアートのすべての同盟者とプロレタリア執権とを緊密に結びつけるものであり、また資本主義諸国家問の矛盾を利用するための最良の基礎をつくりだすものである。

この政策の目的は、国際革命を守護し、社会主義―それが存在し、成長してゆくこと自体が世界を革命化しつつあるのだが―の建設活動を保護することである。

この政策は、帝国主義との軍事的衝突をできるだけ遅らせることにある。資本主義諸国家にかんしては、資本主義諸国家の相互関係および資本主義諸国家と植民地との関係にかんしては、この政策は、帝国主義戦争や強盗的な植民地戦役に反対してたたかい、またそれらの戦争を偽装する平和主義とたたかうことを意味する。

 プロレタリア国家の平和政策は、社会民主主義者やその追随者たるトロツキストが、国際プロレタリアートの目にソヴェト権力の信用を失墜させようとして、中傷して言っているように、ソヴェト権力が資本主義と和解したことを示すものではけっしてない。

それは、プロレタリア執権のレーエン的政策である。それは、ソ連邦が十月革命以来終始一貫しておこなっている資本主義にたいする闘争の別の形態―しかも、現在の状況のもとではより有利な形態―にはかならない。
 


(三二) ソ連邦のプロレタリアートは、帝国主義者との恒久的な平和が可能だという幻想をいだいてはいない。彼らは、ソヴェト権力にたいする帝国主義の襲撃が避けられないことを、知っており、プロレタリア世界革命の過程においては、プロレタリア諸国家とブルジョア諸国家との戦争、資本主義から世界を解放するための戦争が避けられず、また必須であることを、知っている。

それゆえ、社会主義のための戦士としてのソ連邦プロレタリアートの第一の義務は、戦争の場合にそなえてあらゆる必要な政治的、経済的、軍事的準備をととのえ、プロレタリアートの強力な武器である赤軍を強化し、広範な勤労大衆に軍事を習得させることである。

帝国主義諸国家の場合には、その大々的な軍拡政策と平和についての耳ざわりのよい空文句とのあいだには、はなはだしい矛盾がある。ソヴェト権力の場合には、防衛の準備、革命的戦争の準備と首尾一貫した平和政策とのあいだに、そのような矛盾は存在しない。(P392)



帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務

    C プロレタリアートは被抑圧諸国民の反帝国主義民族革命戦争を支持し、遂行する

(三三) 植民地・半植民地の被抑圧諸国民の帝国主義者にたいする民族革命戦争が広大な規模をとることが不可避だということは、すでに一九一六年にレーニンが述べたところであるが、それは、この数年間に理論的な命題から歴史的な事実に変わった。(P392-P393)

このような戦争の実例としては、フランスおよぴスペイン帝国主義にたいするモロッコの戦争、シリアにおける蜂起、アメリカ帝国主義にたいするメキシコとニカラグアの戦争、一九二五年における香港にたいする革命的広州の戦争、最後に一九二六−一九二七年の中国における北伐がある。

民族革命戦争は、世界革命の現時期において重要な役割を演じるであろう。それゆえ、プロレタリアートは、これらの戦争の経験と教訓、とくに一九二六−一九二七年の中国における北伐の教訓に、最大の注意をはらわなければならない。

 この北伐のさい、中国のプロレタリアートが北方軍閥とその背後にある帝国主義者とにたいする南軍の戦争を支持したことは、たとえこの戦争における指導的役割がプルジョアジーの手ににぎられていたにしても、完全に正当であった。

プロレタリアートは、北方の反革命政府の敗北を願い、かつ促進しただけではなく、また動揺的なブルジョアジーに反対し、彼らの妥協政策と、それにつづいた裏切りとに反対し、戦争の革命的な遂行を主張し、この戦争におけるプロレタリアートのヘゲモニーのためにたたかった。

コミンテルンが中国の共産主義者に勧告したこの一般方針は、前世紀の民族戦争についてのマルクスとエンゲルスの立場に合致したものであり、またレーニンの教えに一致したものであった。



(三四) しかし、中国共産党は、そのさい多くの重大な誤りをおかした。すべての被抑圧民族の共産主義者は、それらの誤りから重要な教訓を汲みとることができる。

この戦争における中国共産党の義務は、当時存在していた革命的情勢を極力利用して、自己のプロレタリア的な階級的軍隊を創設し、軍事組織を拡大し、労働者と農民を訓練することであり、またプロレタリアートが革命の指導権のためにたたかうのを容易にすることであった。

だが、北伐のさいの客観的条件が共産党にとって有利であったにもかかわらず、共産党は、軍隊内で自己の活動をおこなうために国民党の軍事機構や政治機構を利用する能力を実際上欠いており、それ自身の武装軍隊を創設しようとはしなかった。

共産党は、国民党の将校団にたいする駆引にまったくその注意を集中して、兵士大衆のあいだで宣伝し、彼らを組織すること、また軍隊の性格を変えるために労働者や農民を大量に軍隊に引きいれることを、党の活動の中心的な契機としなかった。

党は、労働者・農民大衆の武装と軍事教育の革命的意義を認識せず、農民のパルチザン戦争を準備し指導することに、しかるべき注意をはらわなかった。



(三五) プロレタリアートは、民族革命戦争を支持するとともに、そのさい用いるべき戦術については、もっぱら当該の民族革命戦争の具体的分析、この戦争における個々の階級の役割等々の具体的分析にもとづいて、決定しなければならない。

たとえば、マルクスが一八四八年にツァリズムにたいする戦争というスローガンをかかげたときの戦術は、一八七〇年のナポレオン三世にたいするドイツの戦争のさいの戦術とは異なっていた。

北伐のさいに、中国の民主主義的ブルジョアジーが帝国主義の手先とたたかっていたあいだは、そして共産主義者が民族革命陣営のなかで暴露的な扇動をおこなう可能性をもっていたかぎり、中国の共産主義者がこの民主主義的ブルジョアジーと一時的な同盟を結び、行動をともにしたのは、まったく正当であった。

しかし、一九二三年にフランス帝国主義の侵入にたいする民族的防衛の問題が日程にのぼっていたときのドイツの共産主義者の戦術は、それとは違ったものでなければならなかった。(P393-P394)

 共産主義者は、国の防衛と、革命的な役割を果たす能力をもたなかったドイツ・ブルジョアジーの打倒のための闘争とを、結合しなければならなかった。

中国の共産主義者も、いまや日本の干渉にたいする民族闘争の問題を、同じ仕方で提起しなければならない。彼らは、国の革命的防衛と、蒋介石および国民党ブルジョアジーを打倒するため、労働者・農民の革命的民主主義的執権の実現のための闘争とを、結びつけなければならない。

 もっとも、プロレタリアートが帝国主義とたたかううえで一時的に民主主義的ブルジョアジーと行動をともにすることのできるような民族戦争は、ますます稀になりつつあることを、指摘する必要がある。というのは、被抑圧諸国のブルジョアジーは、労働者・農民革命を恐れるところから、反動的になり、帝国主義によって買収されるからである。

プロレタリアートだけが指導的役割を演じうるような新しい型の民族戦争が、ますますはっきりと日程にのぼってくるであろう。このことはまた、アメリカ合衆国帝国主義にたいするラテン・アメリカ諸国の民族戦争にもあてはまる。民族戦争や民族的蜂起がプロレタリア革命、またはプロレタリアートに率いられる民主主義革命に転化する傾向は、レーニンがすで一九一六年に指摘したところであるが、この傾向はいちじるしく強まった。



(三六)ヴェルサイユ条約によってつくりかえられたヨーロッパの多くの国家内には、多数の被抑圧民族や少数民族が存在しているので、ヨーロッパでも、とりわけ帝国主義戦争が内乱に転化するにあたっては、民族革命戦争の問題がかなりに大きな役割を演じるであろう。

ポーランドとルーマニアの国境地帯では、自分たちのソヴェト祖国に心をひかれているベロルシア人、ウクライナ人、ベッサラビア人の住民が、残虐な暴力によって抑圧されているが、この両国においてだけではなく、またチェコスロヴァキアやバルカン諸国においてだけでもなく、イタリア、フランス、スペイン、ベルギー、イギリス(アイルランド)においても、共産党は、被抑圧民族や少数民族の解放運動を支持し、彼らの帝国主義に反対する革命的闘争を指導し、分離までもふくむ彼らの自決権を、無条件に擁護しなけれはならない。

共産主義者は、このような政策を終始一貫遂行するとともに、帝国主義戦争や反ソヴェト戦争が宣言された場合には、帝国主義ブルジョアジーにたいする蜂起または戦争を組織するために、みずからも準備し、被抑圧諸民族の大衆にも準備させなければならない。



(三七) マルクスとレーニンの学説から、またこの数年間の民族戦争の経験から、民族解放戦争におけるプロレタリアートの戦術方針について、次のような準則が生まれてくる。

 (a)プロレタリアートが戦争を支持し、また―特定の場合に―ブルジョアジーと一時的に協力するということは、けっして階級闘争の放棄を意味するものであってはならない。プルジョアジーが帝国主義に反対して、一時的にプロレタリアートと提携する場合でさえ、彼らは依然としてプロレタリアートの敵であり、もっぱら彼ら自身の利益のためにプロレタリアートを利用しようとしているのである。

 (b)それゆえ、プロレタリアートは、どんな場合にもプルジョアジーの政策とスローガンをそのまま受けいれてはならず、無条件に自主的に行動して、それ自身の政治綱領、それ自身のスローガンを提出し、それ自身の革命的諸組織(党、労働組合、労働者民兵、プロレタリア戦闘隊)をつくりださなければならない。

共産主義者は、ブルジョアジーの不可避的な裏切りにたいして大衆に準備をさせ、プロレタリアートの地歩を確保するためにできるかぎりの措置を講じ、ブルジョアジーが彼らの階級的目的のためにたたかうのを極力困難にし、彼らの打倒を準備しなければならない。(P394-P395)

 (c)ブルジョアジーまたはブルジョア政府が反革命的役割を演じているような民族戦争(現在、中国の労働者と農民が、帝国主義者による中国の分割に反対しておこなっている闘争におけるように)においては、共産主義者は、国の革命的防衛というスローガンのもとにプルジョア政府の打倒をめざして行動しなければならない。



(三八) 階級分化が未発達である諸国、たとえばモロッコ人、ドルーズ人、シリア人、アラブ人の場合にも、民族戦争の問題は同じような仕方で提起されなければならない。

ここでは、家父長制的および封建的な長老や首長が、よりすすんだ植民地諸国のブルジョアジーの役割と類似した役割を演じている。帝国主義にたいする革命的闘争のさいに彼らと一時的に協力することは、許されるが、しかしそれと同時に、彼らが帝国主義者によって買収される危険、あるいは彼らのカースト的な利益に解放闘争を従属させる危険は、つねに存在する。

それゆえ、これらの国民の民族戦争は、封建制に反対し、または封建的将校団に反対し、封建制の一掃をめざす闘争と、結びつけられなければならない。



(三九) 被抑圧諸国民の解放戦争に関連しての、また民族革命運動や民族革命にたいする帝国主義の抑圧的な討伐戦役に関連しての国際プロレタリアートの任務は、− わずかな具体的な例外を除いては − ソヴェト権力にたいする帝国主義の戦争の場合と同じである。すなわち、

(a)抑圧的な戦争を帝国主義プルジョアジ一にたいする内乱に転化することを目的として、階級矛盾を激化させることによって、抑圧戦争とたたかうこと、

(b)帝国主義国とその軍隊については、敗戦主義の戦術を終始一貫適用すること、被抑圧国の勝利のためにたたかい、その軍隊を支援すること、

(c)帝国主義軍隊の兵士と植民地の革命軍の兵士との交歓をうながすこと、また帝国主義軍隊の兵士の民族革命軍への集団的移行を促進すること、

(d)帝国主義者による植民地への軍艦の派遣と軍需品の輸送に反対して、なによりもまず革命的大衆行動によってたたかうこと、植民地にたいする戦争に従事している兵士の服役年限の延長に反対してたたかうこと、等々、軍事予算の増大に反対し、植民地の反革命政府や軍閥への帝国主義者側からの借款の供与に反対してたたかうこと、租界や、植民地の鉄道や内国河川で帝国主義者がおこなっている戦争準備に反対してたたかうこと、

(e)帝国主義者が植民地でやっている虐殺に反対し、また現地の反革命政府が現地の勤労大衆を弾圧するのを支援するために帝国主義者がとるあらゆる措置に反対すること、

これである。



(四〇) 現在の中国への干渉に反対する闘争についていえば、それは、中国ブルジョアジーの一部と国民党とがまだ一定の革命的役割を演じていた当時の干渉反対闘争とは、戦術上で異なっている。

現地のさまざまな軍閥支配者のあいだでおこなわれている現在の内戦は、基本的には、中国分割の問題においてさまざまな帝国主義大国のあいだに存在する衝突の表現にはかならない。プルジョアジーと地主のさまざまな分派を代表して相戦っている諸党派は、すべて反革命的な性格をおびている

国際プロレタリアートは、中国の現在の情勢のもとでは、中国の労働者・農民を擁護するための積極的な闘争と、帝国主義の道具であるすべてのプルジョア的な中国政府および軍閥支配者の反革命的な役割の暴露とを、結びつけなければならない。(P305-P306)

帝国主義に反対する闘争において支援をあたえることのできるのは、中国労働者・農民の革命にたいしてだけである。植民地の被抑圧諸国民の側への移行というスロ−ガンを、現在の中国のプルジョア軍隊に適用することはできない。

 戦術をこのように変更しても、干渉に反対する闘争そのものは、けっしてこれまでより弱められてはならない。ところが、大多数の共産党は、中国革命における戦術の変更からまさに右のような結論を引きだし、こうして重大な誤りをおかした。(P396)



帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務

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(四一) 大多数の共産党がおかした主要な誤りのひとつは、彼らが戦争の問題を抽象的に、もっぱら宣伝・扇動の見地から提起するにとどまって、すべての戦争における決定的な要因である軍隊に、十分な注意をはらわなかったことである

軍事問題における革命的政策の意義を広範な大衆に説明することなしには、また軍隊内で活動することなしには、帝国主義戦争に反対するどんな闘争も、革命的戦争を準備するどんな試みも、たんなる理論にとどまるであろう。

 この誤りは、おおむね古い第二インタナショナルの時代からの腐った遺産によるものである。第二インタナショナルは、帝国主義戦争に反対する声明をだすことはやめなかったが、軍隊内ではまったく活動せず、そのような活動を要求したカール・リープクネヒトを「無政府主義者」呼ばわりしたのであった。

革命的な軍事政策の代わりとして、軍隊内での活動の代わりとして、第二インタナショナルが推奨したのは、「常備軍を人民民兵とおきかえる」ことであった。

「国民民兵」というスローガンは、ヨーロッパに民族国家が形成されつつあった時期に応じたものであって、ツァリズムと絶対主義とが革命にたいする反動的な脅威であったあいだは(一九世紀末まで)、このスローガンは、常備軍の解散という要求に関連して、まだなにがしかの革命的意義をもっていた。

しかし、帝国主義が成長するとともに、このスローガンは不十分になり、ついには排外主義的なスローガンになってしまった(ハイソドマン、一九一二年)。

新たに復活した第二インタナショナルは、すでに「国民民兵」というその処方箋を放棄したが、これは、自己の政策をさまざまな国の民族ブルジョアジーの利益に最後的に従属させるためであった。

フランスでは、第二インタナショナルは、古い「国民民兵」のスローガンを支持するように見せかけて、帝国主義的な「国民軍」を主張しており、ドイツとイギリスでは、軍縮という口実にかくれて、傭兵軍を主張している。

第二インタナショナルがとなえている「それぞれの国家が軍隊組織の形態を自由に選択する権利」は、八月四日を再現する自由に等しい。

それと同時に、ブルジョアジーの従僕である社会民主主義者は、ソ連邦における赤軍とプロレタリアートの執権とにたいして悪扇動をおこない、「赤色」帝国主義という嘘をひろめている。



 (四二) ブルジョアジーの利益に奉仕するこの反革命的な軍事政策にたいして、共産主義者は、国際プロレタリア革命の利益のための革命的軍事政策を対置する。

もちろん、あらゆる軍隊にたいしてどういう態度をとるべきかという問題についての一般的な処方箋は、ありえない。プロレタリアートは、無条件に、その軍隊がどういう階級の、そしてどういう政策の道具であるかに応じて、その軍隊にたいする態度を決定しなければならない。

決定的な契機は、当該の国家のあれこれの軍事制度ではなく、その軍隊のあれこれの組織形態でもなく、その軍隊が、その政治的役割からみて、帝国主義的であるか、民族的であるか、それともプロレタリア的であるかということである。(P396-P397)

この場合、共産党は、マルクスとエンゲルスの学説にしたがうのである。マルクスとエンゲルスは、偉大な民族戦争の時代には、小市民的民主主義派の民兵の空想に反対して、一般兵役義務、既存の軍隊の民主化、およびそれの革命的軍隊への転化を主張したが、パリ・コミューンのあとでは、ブルジョア国家機構の廃止 −これこそ、プロレタリアートの革命の見地からみて、コミューンの最も重要な教訓であると考えてーを要求し、軍事問題では、ブルジョア常備軍を解散して、全国民の武装とおきかえることを、要求したのであった。

レーニンは、第二インタナショナルによって歪曲されたマルクスとエンゲルスの学説を復活させ、発展させて、プロレタリア革命の軍事綱領を作成した。(P307)
 



帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務

  A 帝国主義諸国における軍隊にたいするプロレタリアートの立場

(四三)帝国主義諸国では、軍隊にたいするプロレタリアートの態度は、次の事情によって規定される。

 軍隊は、それの組織形態とはまったくかかわりなく、ブルジョア国家機構の一部である。そして、プロレタリアートは、その革命のさいには、ブルジョア国家機構を民主化する(民主主義革命の場合のように)のではなく、粉砕しなければならないのである。

 このような任務をまえにしては、常備軍と民兵とのあいだ、一般兵役義務にもとづく軍隊と傭兵軍とのあいだの組織上の差異は、まったく消え失せる。「軍隊には一兵も、一文の金もだすな」という命題、つまり、ブルジョア的軍国主義にたいする、そのあらゆる形態の軍隊にたいする最も仮借ないたたかい、軍事予算の拒否、等々 −この命題は、常備軍にも、民主的な民兵にも、同様にあてはまる。

というのは、この二つの種類の軍隊は、いずれもプロレタリアートに対抗してのブルジョアジーの武装の形態だからである。プロレタリアートは、民主主義的な部分的要求をけっして放棄するものではないが、それらの要求は、民主主義革命の時期とはまったく異なった性格をもつようになっている。そうした要求の目的は、軍隊または民兵を民主化することではなくて、それを解体させることである。

 もちろん、あらゆる帝国主義的軍隊にたいしてこのような統一的な原則的立場をとるからといって、あれこれの国家の兵制や軍隊の組織における大きな差異を無視すべきだ、ということにはならない。これらの差異は、実践活動にとっては重要である。(P397)



(四四) 帝国主義諸国の軍隊は、ブルジョア国家機構の一部であるとはいえ、これらの近代的な軍隊は、資本主義諸国家相互の角逐や戦争の結果、ますます全国民を直接・間接に引きいれ、これを軍事化するようになっている(「武装下の国民」、婦人の軍事化、青年の軍国主義教育、その他)。

この傾向は、世界大戦が終わったのち一時弱まったが、いまや新たな戦争をまえにして、非常な力で現われている(アメリカ合衆国、フランス、ポーランド)。

しかし、その直接の結果として、ブルジョアジーとプロレタリアートのあいだー搾取者と被搾取者のあいだーの階級矛盾が、軍隊の内部で将校と「平兵卒」のあいだの矛盾となって再現される。

大衆的な軍事化は、エンゲルスの言葉によれば、あらゆるブルジョア軍隊が内部から破壊される結果にみちびく。それゆえ、共産主義者は、ブルジョア軍隊を「ボイコット」すべきではなく、軍隊のなかにはいりこみ、ブルジョア軍隊のこの内部的分解の客観的過程にたいする革命的指導権をその手ににぎらなければならない。(P397-P398)

 ブルジョアジーは、あらゆる手段にうったえて―苛酷な訓練、きびしい規律、兵士の住民からの隔離、兵士の政治参加の禁止という手段によって、またある場合には兵士に特権的な社会的地位さえ保障することによって―、信頼できる軍隊をつくりだすことにつとめている。

 とくに、近年においては、一般兵役義務が以前におこなわれていたか、またはいまなおおこなわれている国々でも、ブルジョアジーは、選りぬきの分子から傭兵軍を編成する制度をとりはじめている(ドイツ、フランス)。

しかし、ブルジョアジーは、大衆を軍事化する必要をまぬがれることはできない。彼らにできるのは、せいぜい傭兵部隊と「国民軍」とを組みあわせるか、あるいは民兵型の軍事組織と組みあわせることだけである。

 彼らは、ブルジョア軍隊の崩壊の過程をくいとめることはできない。彼らにできるのは、たんにこの過程を遅らせ、革命的活動に重大な妨害をくわえることだけである。それゆえ、これらの措置の結果としてつくりだされた活動条件を綿密に研究し、ブルジョアジーの新しい方法にたいして革命的活動の新しい方法を対置することが、共産主義者の重要な任務である。



(四五) 帝国主義軍隊にたいするプロレタリアートの態度は、帝国主義戦争にたいするプロレタリアートの態度と密接に結びついている。それゆえ、敗戦主義と、帝国主義戦争の内乱への転化というスローガンとは、兵制や軍隊の組織という部分的な問題にたいしてとるべき態度の方向を示している。

 ブルジョア的民兵、一般兵役義務、青年の軍事教育―これらは、かつては革命的民主主義派の要求であったが、いまでは、大衆を抑圧し、帝国主義戦争を準備するための、ありきたりの反動的な道具に変わっており、したがって、それらにたいしては最も精力的にたたかわなければならない。

この命題は、ブルジョアジーが傭兵部隊の制度に移行して、一般兵役義務を廃止した諸国(たとえばドイツ)にも、あてはまる。一般兵役義務は、革命的活動をやりやすくし、労働者を武器の使用法に習熟させるとはいえ、帝国主義諸国の共産主義者は、この制度の採用を要求すべきではなく、傭兵軍の制度にたいするのと同様に、この制度ともたたかわなければならない。

帝国主義戦争の内乱への転化というスローガンは、大衆的な軍事化(一般兵役義務)に帰着する諸方策にたいして、共産主義者はどのようにたたかうべきかを、示している。労働者を軍事化し、彼らに武器の使用法を教えこむことによって、帝国主義は、とりもなおさず内乱におけるプロレタリアートの勝利のための前提条件をつくりだすのである。

それゆえ、革命的プロレタリアートは、大衆的軍事化にたいして、平和主義者の論拠をもってたたかうことはできない。革命のため、社会主義のためにたたかうわれわれは、武器をとることを拒否しはしない。われわれの闘争は、ブルジョアジーの利益のための帝国主義的軍事化の諸方法の暴露を目的としている。

 この軍事化にたいして、われわれはプロレタリアートの武装というスロ−ガンを対置する。それと同時に、共産主義者は、当面の具体的情勢のもとで軍隊内の階級闘争を促進して、プロレタリアや農民出身の兵士と軍隊外の労働者との同盟の強化に役だつような兵士の部分的要求を提出し、支持すべき義務を負っている。



(四六)そのような部分的要求の例をあげれは、次のとおりである。(P398-P399)

(a)兵制の分野での要求。
 傭兵部隊、幹部部隊および精兵部隊の解散。
 憲兵隊、警察等々、および内乱のための特別な武装隊の武装解除と解散。
 ファシスト団体の武装解除と解散。
 軍法会議の廃止と兵役年限の短縮についての具体的な諸要求。
 居住地服務制。
 強制入営制度の廃止。
 兵士委員会の設置。
 労働者諸組織がその成員に武器の使用法を教える権利と、教官の自由な選択。

 若干の場合に資本主義政府自身によって兵役年限の短縮が立案され、実施されているという事実は、しばしば、このような要求をわれわれの側から提出することの是非について、ある種の疑念を生みだした。

しかし、義務兵役年限の短縮それ自体は、ある場合には、軍事制度の強化ではなくて、その弱化を意味する。それゆえ、次の諸条件がそなわっている場合には、一般兵役義務にもとづく軍隊については、総じてこの要求を部分的要求としてかかげることができる。

 その条件とは、(1)明確な敗戦主義的方針、(2)社会民主主義者の同様な要求と、きっぱり一線を画すること、(3)これが軍国主義の廃止への道だというような幻想とたたかうこと、これである。

いうまでもなく、部分的要求はつねに具体的でなけれはならない。すなわち、それは、大衆に理解され、わかりやすく、彼らの革命化を促進するようなかたちで、またそういう時点に、提出されなけれはならない。

義務兵役年限の短縮が資本主義政府によって立案されるか、あるいは社会民主主義者によって要求されるような場合には、第一の義務として、通常この計画と並行的に実施されるブルジョア体制の強化をめざす諸方策(全住民の軍事化、強力な職業軍人の幹部の形成、その他)に反対してたたかうことが、必要である。

それとともに、義務兵役年限短縮というこのえせ民主主義的綱領にたいして、急進的、敗戦主義的な部分的要求綱領を対置しなければならない。

 傭兵軍や、職業的軍隊については、一般に兵役年限の短縮ではなく、いつでも退役できる権利を要求しなけれはならない。

(b)兵士の法的地位と物質的状態の部面における諸要求。
 兵士への給与の増額。
 給養の改善。
 兵士の代表からなる管理委員会の組織。
 懲罰の廃止。
 義務的な敬礼規則の廃止。
 将校、下士官による兵士の体罰の厳重な処罰。
 勤務外には平服を着用する権利。
 毎日外出する権利。
 帰休制、および帰休中の追加の給与。
 結婚する権利。
 家族の生活保障。
 新聞を購読する権利。
 労働組合を組織する権利。
 選挙権、および政治的集会に出席する権利。

 多くの帝国主義国の軍隊では、兵士のかなりの部分が被抑圧少数民族の出身者であるのに、将校団の全部、でないまでもそのかなりの部分が抑圧民族に属するという事情は、軍隊内での革命的活動のためきわめて有利な地盤をつくりだしている。(P399-P400)

それゆえ、兵士大衆の利益のためにわれわれがかかげる部分的諸要求のなかでは、民族的諸要求(たとえば、郷土での服務、訓練のさいや、号令に母国語を使用すること、その他)にも適当な地位があたえられなければならない。



(四七) 以上の二つの部類の要求(右にあげたものは、そうした要求のはんの数例にすぎない)は、軍隊内だけでなく、軍隊外でも ― 議会、大衆集会等々においても ― 提出されなければならない。

 これらのスローガンを効果的に宣伝することは、その宣伝が具体的な性格をもつ場合にのみ、可能である。このためには、次のことが必要である。

(1) 軍隊について、服務条件、兵士の要望や要求等々について、正確な知識をもつこと。これは、不断の個人的接触によってのみ、達成できることである。

(2) 当該の国家の具体的な兵制を考慮し、その国でそれぞれの時点で軍事問題がどういう状態にあるかを考慮すること。
 
(3) それぞれの時点におけるその国の軍隊の士気の状態や政治情勢を考慮すること。たとえば、将校の選挙制の要求は、一般的にいって、軍隊の解体がすでにかなりにすすんでいる場合にのみ、提出することができる。

(4) 部分的諸要求を共産党の主要なスローガン ―プロレタリアートの武装、プロレタリア民兵、等々 ― と密接に結びつけること。

 これらすべての要求は、それがブルジョア軍隊革命化の明確な政治綱領と結びつけられる場合にのみ、革命的な意義をもつであろう。

 入隊前の時期にも(新兵会、共済基金)、兵役中にも(兵士委員会)、最後にまた除隊後にも(革命的在郷軍人会)、革命的プロレタリアートと提携して兵士の利益を擁護するために、兵士の組織化に特別な注意がはらわれなければならない。労働組合には、その組合員が兵役に服しているあいだ、これと連絡をたもち、前記の諸組織の設立を助ける特別な任務がある。



(四八) 傭兵軍隊のなかでの革命的活動の条件は、一般兵役義務にもとづく軍隊のなかでの活動とは、異なっている。

前者においては、前述したような部分的諸要求のための扇動をおこなうことは、通常はより困難である。それにもかかわらず、どんな場合にもこの活動を放棄すべきではない。傭兵軍の圧倒的部分がプロレタリア分子(失業者)と貧農から徴募されているという事情は、兵士のあいだでの大衆活動のための社会的基盤をあたえている。活動形態は、軍隊の社会構成と独特な特質とに、注意ぶかく適応させられなければならない。

プロレタリアートにたいする階級闘争の目的でブルジョアジーによって編成された特殊部隊(憲丘隊、警察)に反対し、とくに志願にもとづく武装集団(ファシスト)に反対して、大衆のあいだで精力的な扇動をおこなうことが必要である。

これらの部隊の「公共的効用」とか、「人民警察」とか、ファシストの「同権」などという改良主義者のむだ話とは、とくに仮借なくたたかう必要があり、これらの部隊の正体を暴露することによって、住民のあいだにそれらの部隊にたいする激しい憎悪をとくに精力的にかきたてなければならない。

だが、この場合にも、これらの軍事組織のなかに社会的分解をもちこみ、そのなかのプロレタリア層をたたかいとるために、あらゆる努力をはらう必要がある。(P400)



(四九) 軍隊内の革命的活動は、プロレタリアートおよび貧農の大衆の一般的な革命的運動と結びつけられなければならない。直接的革命的情勢が存在し、工場プロレタリアートがソヴェトの設立に着手するときには、兵士ソヴェトのスローガンは現実的な意義をもつようになって、権力獲得のための闘争における兵士大衆とプロレタリアートおよび貧農との連携を助ける。

 傭兵部隊のなかでも、共産主義者は、― 事情がそれを許すところでは ― 兵士ソヴェトのスローガンのもとに兵士大衆を組織し、将官連とブルジョアジーとにたいする闘争に彼らを動員するであろう。

軍隊の社会構成がそれを許さないところでは、共産主義者は、これらの軍事部隊をただちに武装解除し、解散するよう、要求しなければならない。(P401)


帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務

  B プロレタリア革命の時期における軍事問題

(五〇) 民主的な部分的諸要求の基礎におかれる基本的スローガンは、ブルジョアジーの武装解除とプロレタリアートの武装である。

 プロレタリアートの武装は、革命のさまざまな段階でさまざまな形態をとる。権力を奪取する以前の時期、および権力奪取直後の時期に応じる形態は、プロレタリア民兵、勤労者民兵および赤衛隊である。赤色パルチザン部隊もその一つである。赤軍は、ソヴェト権力の軍事組織の形態、つまりプロレタリアートの執権の軍隊である。

 プロレタリア民兵(勤労者民兵、労農民兵)というスローガンは、帝国主義諸国にとっては、プロレタリアートの武装というスローガンを言いかえたものにすぎず、赤軍が組織される以前の時期におけるプロレタリア革命の軍事政策の不可避の過渡段階に応じるものである。

直接的革命的情勢が存在しない場合には、このスローガンは宣伝的な意義をもつだけである。しかし、それは、ファシズムにたいする闘争のなかで現実的なスローガンとなることもありうる。

 いずれにしても、プロレタリア民兵または勤労者民兵というスローガンは、プロレタリア大衆そのものにむかっての呼びかけであり、ブルジョア政府につきつける要求ではない。

したがって、政府や議会にむかってこれらの民兵の創設を要求することが正しいのは、例外的な場合(たとえば、社会民主党が国会内および大衆のあいだで多数派の地位を占めている国々で、社会民主党の政府が存在している場合)に限られる。この種の条件のもとでこのような要求を提出するのは、社会民主党を暴露する手段にすぎない。

 赤衛隊は蜂起の機関である。赤衛隊の創設を扇動し、またそれを実際に創設することは、直接的革命的情勢が存在する場合には、共産主義者の義務である。



(五一) 帝国主義諸国において、「平和な」情勢が存在する場合に、ブルジョア国家の枠内に、プロレタリア民兵または赤衛隊が存在するというようなことは、考えられないし、不可能だということは、どんな場合にも忘れてはならない。
 
 プロレタリア民兵は、ブルジョア国家の機関ではなく、またそうではありえない。プロレタリア民兵は、プロレタリアートの執権の樹立のためにたたかうプロレタリアートの武装組織であるか、または搾取者を鎮圧するためのこのプロレタリア執権の機関である。

この点で、プロレタリア民兵というわれわれのスロ−ガンは、とくに選抜された、無自覚の、または買収されたプロレタリア分子からなる黄色の「労働者防衛隊」という改良主義者の計画とは異なっている。(P401-P402)

この種の「労働者防衛隊」は、一九二三年五月のルールの闘争のさいや、一九二七年のヴィーン蜂起のあとで、プロレタリアートを退廃させ、束縛する目的に利用された。共産主義者の任務は、社会民主主義者のこのような詐欺的な駆引と仮借なくたたかうことである。



(五二) 権力奪取のまえにつくられて、赤軍の萌芽的な形態をあらわす労働者民兵、プロレタリア民兵、赤衛隊というこの闘争スローガンと、プロレタリアートの執権が樹立され、確立したあとで、国家の死滅と階級の廃絶との過程で出現すべき民兵の形態とを区別することが、必要である。

プロレタリアートは、帝国主義にたいする防衛のために、強力な、規律ある、すぐれた装備をもつ、戦闘能力ある赤軍を必要とする。今日の条件のもとでこの任務を果たすことのできるのは、武装した勤労住民大衆の中核を形成する常備軍だけである。

資本主義的包囲の状況のもとで、プロレタリアートの執権にたいして、ただちに、完全に民兵制度に移行するように要求することは、小ブルジョア的、反革命的なナンセンスである。

軍事力を弱めることなしに、民兵の原則を、純粋な形態で、多少とも完全に実現することは、社会主義のもとでの生産力の全面的な発展と、大衆の共産主義的教育とを基礎としてのみ、可能であるだろう。

多くの巨大資本主義国でプロレタリア革命が勝利した結果としてはじめて(すでに第八回コミンテルン執行委員会総会が確認したように)、プロレタリア国家は、その軍事政策において、常備軍としての赤軍を階級的民兵とおきかえることに、直接にとりかかることができるであろう。

 いずれにしても、プロレタリアートの執権の防衛組織は、その精神、規律においても、またその体制においても、明確な階級的性格をもたなければならない。搾取者階級に属する分子は、軍隊内での勤務につくことを許されてはならない。(P402)


帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務

  C 植民地・半植民地諸国の軍隊にたいするプロレタリアートの態度

(五三) 帝国主義にたいする被抑圧諸国民の民族革命および民族戦争の時期が開始するとともに、すべての植民地・半植民地国において、軍事問題が決定的な意義をもつ問題となった。

このことは、現在帝国主義と交戦状態にある諸国、または以前に交戦状態にあった諸国(中国、モロッコ、シリア、ニカラグア)についても、またこのような形態での戦争をまだおこなっていない諸国(インド、エジプト、メキシコ、フィリピン、朝鮮)についても、同様にあてはまることである。帝国主義にたいする民族戦争に関連した軍事問題が、帝国主義諸国家における場合とは本質的に異なった仕方で提起されなければならないことは、明らかである。



(五四) 現在、これらの諸国には二つのまったく異なった型の軍隊があることを、忘れてはならない。

すなわち、一方には民族軍隊(かならずしも革命軍とは限らない)があり、他方には帝国主義者の軍隊(それは、本国から派遣された遠征軍であることも、他の植民地諸国の原住民から成る軍隊であることも、最後にまた、その国で徴募された軍隊であることもある)がある。

中国には、これらの軍隊の二つの型が存在しており、さらに民族的な軍隊が事実上帝国主義の軍隊に変わることの実例もみられる。すなわち、蒋介石のクーデタのあとでは、華南の国民軍は事実上帝国主義者の目的に奉仕する軍隊に変わってしまった。

この二つの型の軍隊にたいするプロレタリアートと革命的勤労大衆との態度がまったく異なったものでなければならないことは、明らかである。民族軍隊にかんしては、一八四八−一八七〇年におけるマルクスとエンゲルスの軍事綱領 − これらの軍隊を革命軍に変えるために、それを民主化する綱領 − を、いくらかの修正をくわえて適用することが必要である。(P402-P403)

帝国主義者の軍隊については、われわれは、もっぱら敗戦主義的な綱領−その軍隊を内部から分解させることーが適用されうるだけである。また、特殊な将校部隊やブルジョア的な階級的戦闘部隊が存在している場合には、それらを孤立化させ、解体させることが、必要である。つまり、帝国主義国家において実施されるべきものと同じ綱領が適用されるのである。

 植民地・半植民地諸国においては、戦術的見地からすれは、前記の二つの型の軍隊以外に、さらに第三の型の軍隊を区別する必要がある。すなわち、その内部で ― 帝国主義者の指揮下にある同じ一つの軍隊の内部で ― 民族運動と帝国主義者とのあいだに部分的に闘争がおこなわれているような軍隊である(インド、エジプト、インドシナ、シリア、アルジェリア、チュニジア、その他)。

このような場合には、具体的な条件に応じて二つの綱領の要素を組み合わせること、すなわち、帝国主義者の指揮下にある軍隊、またはその軍隊の個々の部隊にかんする敗戦主義的綱領と、国民の武装(民兵)のスローガンおよび民族軍隊のスローカンとを、組み合わせることが必要である。

 民族軍隊のスロ−ガンは、具体的な状況に適合されなければならず、帝国主義者とその従僕どもによって悪用される可能性をいっさい排除するような仕方で提出されなければならない(軍隊の帝国主義者からの完全な独立、軍隊の最も広範な民主的な組織、将校の選挙制、その他)。

 植民地国でも、また本国でも、次のスローガンがかかげられなければならない ― 植民地からの帝国主義者の軍隊の撤退、現地民の軍隊から帝国主義的な幹部と将校団を排除せよ。



(五五) 植民地・半植民地諸国における軍事制度にたいする態度を決定するためには、当該の時点であれこれの国が国際革命の決定的な諸問題で果たしている政治的役割 − その国がソ連邦の同盟者であるか、それとも敵であるか、中国革命の同盟者であるか、それとも敵であるか、等々 − を考慮にいれることが、必要である。

概して、被抑圧諸民族のプロレタリアートと革命的勤労大衆とは、民主的な武装制度を主張しなければならない。それは、すべての勤労者に武器の使用法を修得させるような制度、帝国主義にたいする国の防衛力を高め、軍隊内で労働者と農民に影響力を確保し、民主主義革命におけるプロレタリアートのヘゲモニーのための闘争を容易にするような制度である。

一般兵役義務、青年の軍事教育、民主的民兵、民族軍隊等々のスロ−ガンは、ここでは、帝国主義諸国の場合とはちがって、革命的軍事綱領の一部をなす。

しかし、現在の歴史的時代にあっては、民族革命運動の戦術は、世界プロレタリア革命の利益に従属させられなければならない。被抑圧諸国でありながら、それ自体、抑圧者の役割、プロレタリア革命または民族革命にたいする戦争で帝国主義者の従臣の役割を果たしているような諸国では、革命家はこのような綱領をかかげることはできない。

そのような諸国では、革命家は、他の革命的諸国の擁護のための革命戦争の宣伝、さらに革命的軍事政策の宣伝と、当該の戦争または軍隊にたいする敗戦主義的な立場とを、かならず結合しなけれはならない。現在、国民党の将軍たちの支配下にある中国の諸省では、このような方針がとられなければならない。(P403-P404)



(五六) 被抑圧諸国の軍事綱領を決定するにあたっては、その国がどのような経済的および政治的発展段階にあるかに、注意をはらわなけれはならない。

(1)民主主義革命をまだへていない諸国、なによりもまずブルジョアジーとプロレタリアートとのあいだの階級分裂がまださはど鋭く現われていない諸国(シリア、モロッコ、エジプト)では、一般に全国民の武装(国民民兵)のスローガンが適用されなけれはならない。このスローガンは、封建制度、封建的およびブルジョア的将校団にむけられた民主主義的な諸要求と結びつけられなけれはならない。

階級分化が鋭く現われてはいるが、まだブルジョア革命が完了していない諸国、たとえばラテン・アメリカ諸国では、このスローガンは、労農民兵という階級的性格をおびなけれはならない。

(2)民主主義革命の段階を経過しつつある諸国では、民兵のスローガンは不十分であり、革命軍の組織化というスローガンに拡張されなけれはならない。もちろん、このことは、民兵のスローガンを合わせてかかげることを妨げるものではなく、蜂起の準備のさいにはとくにそうである。

プロレタリアートの武装は、全国民の武装と矛盾するものでないばかりか、国民総武装の基本的な部分であることに、留意すべきである。全国民の武装の組織化に参加するとともに、無条件に、部隊自体によって選ばれた指揮官をいただく特別なプロレタリア的武装隊が、創設されなければならない。
 
(3)民主主義革命からプロレタリア革命への過渡段階にある諸国では、帝国主義諸国における共産主義者の軍事綱領を、若干の具体的な変更をくわえて適用することができる。

民主的民兵のスローガンに代わって、プロレタリア的民兵(勤労者民兵、労農民兵)のスローガンがかかげられる。植民地における革命の過程で、直接の権力奪取の問題が生じたときには、ソヴェトの組織化とならんで、また赤軍の組織化の問題を日程にのぼせることが、必要である。軍隊の古い革命的民主主義的な組織形態に代わって、プロレタリア革命の要求する階級的な形態が導入されなければならない。



(五七)帝国主義とたたかうためには、民族革命的軍事政策を実現するにあたって、植民地軍隊のなかで系統的な扇動・宣伝活動をおこなうことが、絶対に必要である。共産主義者と民族革命家は、それゆえ、最も真剣な注意をはらって植民地軍隊のさまざまな型を研究し、それらのなかで活動するための効果的な方法を作成しなければならない。

中国の実例が示しているように、規律が低く、給与が劣悪な現地民の傭兵軍のなかでの活動は、しばしばきわめて大きな成功をもたらす見込みがある。

 この場合の部分的な諸要求は、さきに帝国主義諸国についてかかげた諸要求にある程度類似したものでありうる。しかし、ここでも、具体的な諸条件(兵士の出身、軍隊の構成や気分、物質的状態、その他)の総体を最も注意ぶかく考慮することが、必要である。現地民の兵士の要求を定式化すること、白人の将校による現地民兵士にたいする圧迫や嘲弄とたたかうことに、特別な注意がはらわれなければならない。

 民族軍隊のなかでの共産主義者の活動は、他の型の軍隊の場合とは異なった性格をもたなければならないが、一九二六−二七年における中国の国民戦争の経験が示したように、この活動はきわめて重要である。

ここでの共産主義者の任務は、全軍隊内に細胞を組織し、その軍隊を帝国主義との闘争のための意識的な武器に変え、民族革命の利益のために将校中の信頼しえない分子とたたかい、司令権がまだ共産主義者の手中にないところでは、最も広範な革命的民主主義を手段として、司令部を兵士の統制下におくことである。(P404-P405)

フランス革命当時の国民公会の軍隊が偉大な勝利をおさめたのは、その軍隊内に将校の選挙制度が存在する条件のもとであったことを、忘れてはならない。それにひきかえ、一九二六−一九二七年における華南の軍隊のまったく非民主主義的な組織は、ブルジョアジーとその将軍たちとによっておこなわれた裏切的クーデタを非常に容易にしたのであった。


帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務
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(五八) 現在、帝国主義は、新たな反革命的帝国主義戦争を思想的、組織的に準備するうえで、きわめて重大な障害にぶつかっている。前回の世界大戦以来、広範な住民大衆、なによりもまず労働者、農民および勤労婦人大衆をとらえるにいたった本能的な反戦感情がそれである。それゆえ、帝国主義は、平和主義のベールのかげで戦争の準備をすすめることを、余儀なくされている。

それと同時に、平和主義は、進展しつつある世界革命とその城塞たるソ連邦とにたいする世界帝国主義の闘争のイデオロギーおよび用具としての新たな客観的意義をもつようになっている。帝国主義諸国の軍縮提案や軍縮会議、とくにこの部面での国際連盟の「活動」 − 「安全保障問題」の討議、仲裁裁判所の設置案、「不戦」条約、等々 − の客観的な意義と基本的な目的とは、ここにある。

これらすべての平和主義的な計画、条約、会議は、次のことを目的としている―

(a)帝国主義者の軍備のカムフラージュ、
(b)条約の手段によって競争相手国の軍備を縮小させ、自国の軍事力を強化するための、個々の大国相互の駆引、
(c)弱小諸国や被抑圧諸国にたいする自己の支配力を確保するための諸大国の一時的な協定、
(d)平和主義的なスローガンのかげでのソ連邦に対抗しての思想的および政治的動員。

帝国主義者の「軍縮」は、直接間接の戦争準備にはかならない。

 それゆえ、軍縮の欺瞞と平和主義とにたいする闘争は、現在では、帝国主義戦争に反対する闘争の主要な任務のひとつである。(P405)
 


帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務
   A 社会民主主義の軍縮綱領とレーニン主義

(五九) 帝国主義が演じている軍縮喜劇において主要な道具となっているのは、帝国主義を打倒することなしにも、軍縮と戦争の廃止とが可能であるかのような幻想を大衆のあいだにひろめている社会民主主義である。軍縮の問題では、社会民主主義者のあいだに二つの傾向が存在するが、これらは、同時にブルジョア平和主義の二つの傾向でもある。

一つの潮流は、すでに一九一一年にカウッキーがとなえたものであって、資本主義のなかに、軍縮と戦争の廃止をうながす方向ではたらいているとかいう実在しない客観的な勢力を「発見する」ものである。

この潮流は、軍備の制限、戦争の防止あるいは完全な「禁止」についての国際条約を帝国主義者のあいだに締結させること等等を目的として、「左翼」ブルジョアジーと協力する政策の代表者である。

すでに一九一六年にレーニンは、この立場を特徴づけて、「完全なブルジョア的平和主義」とよんだ。一九一四−一九一八年には、この見解は「中央派」のイデオロギーであった。

また世界大戦が終わり、帝国主義諸政府が平和主義的な駆引にうったえるようになってからは、それは第二インタナショナルの指導層の政策にとりいれられた。この政策は、右翼社会民主主義者によっても、また「左翼」社会民主主義者の大多数によっても、支持されている。それは、「現実的」平和主義と自称しているが、帝国主義的ブルジョアジーの政策となんら相違するところがないのである。(P405-P406)

 「組織化された資本主義」の理論も、この部類にはいるが、この理論の主張するところでは、現在の帝国主義段階における資本主義そのものが、戦争を克服し、それを「文明世界」の外に駆逐する等等のための客観的な諸要因を発展させるというのである。「超帝国主義」の理論、帝国主義的諸矛盾を除去する手段としての帝国主義的「同盟」、「条約」、国際カルテルという理論も、またこの部類にはいる。

実際には、帝国主義の内部には、戦争の廃止をもたらす傾向など、まったく存在しない。それどころか、「現実的平和主義者」が大衆を眠りこませるために数えあげているすべての事実は、最も大規模な帝国主義戦争が、もはや個々の国家が対決するのではなく、幾多の連合国家群が、世界の半分が他の半分と対決する戦争が、準備されていることの徴侯である。

 資本主義制度のもとにあっては、ヨーロッパ合衆国または世界合衆国は、ひとつのユートビアである。だが、かりにそれが実現されるとすれば、それは不可避的に反動的な性格をおびるであろう。というのは、それは、プロレタリア革命と植民地諸国民の民族解放運動とを弾圧するための同盟にはかならないだろうからである。この傾向に属するすべての潮流(汎ヨーロッパ運動)は、徹頭徹尾反動的である。



(六〇) 第二の潮流の支持者たちは、「急進的」または「革命的」平和主義者として登場し、ブルジョアジーの武装だけではなく、プロレタリアートの武装をも完全に解除すること、すなわち、プロレタリアートの武装というスローガンを放棄することを、要求する。

さきごろの帝国主義戦争のさいにも、軍国主義を廃絶したいという自分たちのまったく誠実な願望を表現する他の手段を見いだすことのできなかった一部の革命的国際主義者が、やはりこの立場をとった。だが、プロレタリアートの武装の必要、内乱の必要を忘れ、あるいはそのいずれをも否認していたこのスローガンは、実際には、革命的スローガンなどではなかった。それは、客観的に、小プルジョアジーの絶望の表現であった。

一九一六年にレーニンがくわえた批判は、いまでも完全に有効であって、− 現在このスローガンの支持者はごく少数であるとはいえ − 今日ではいっそう強められなければならない。

十月革命は、プロレタリアートの武装が絶対に必要であることを、すべての誠実な革命家にむかって証明した。プロレタリアートの武装のスローガンをプロレタリアートの武装解除のスローガンとおきかえることは、現在では反革命的なスローガンでしかありえない。

それゆえ、共産主義者は、武装解除のスローガンに共鳴している労働者、ことに諸小国の労働者に、真の事態を最も精力的に説明しなければならず、このスローガンを擁護している「左翼的」指導者と最も仮借なくたたかわなければならない。

 国際的な強制的「仲裁裁判所」によって戦争を排除できるかのようにいう理論も、この部類にはいる。しかし、この種の機関は、重大な衝突が起こりしだいはじけとんでしまうシャボン玉となるか、あるいは、最も強大な帝国主義的強盗どもの手中ににぎられた道具の役をするだけである。(P406)

しかし、軍縮問題および平和主義の問題における社会民主主義のこの二つの潮流は、一つの点で一致している。すなわち、「民主主義の存在しない」諸国、つまりソ連邦におけるプロレタリアートの執権の存在が軍縮にたいする主要な障害であるとする点で、一致している。(P407)


帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務

   B ソ連邦の軍備撤廃の提案

(六一) すでにコミソテルンの第八回執行委員会総会のテーゼが強調していたように、国際プロレタリアートは、軍備撤廃問題におけるソ連邦の立場にたいしては、資本主義諸国から提出された偽善的な軍縮案にたいする場合とはまったく異なった原則的態度をとらなけれはならない。この問題が平和主義との闘争においてもつ特別な重要性を考慮して、大衆にたいして問題を完全に明瞭に提示することが必要である。

一九二七年一一月に国際連盟によって招集された軍縮準備委員会でソヴェト政府がおこなった全般的な、完全な軍備撤廃の提案は、その目的においても、その誠実さにおいても、最後にまたその客観的な意義においても、帝国主義者とその従僕たる社会民主主義者の空文句や計画案とは根本的に異なっている。

 ソ連邦の提案の目的は、平和主義的幻想をひろめることではなく、それを打ち破ることである。資本主義の暗い側面にははうかむりし、あるいはそれをあいまいにすることで資本主義を支持することではなく、軍備撤廃と戦争の廃止は資本主義の没落によってはじめて可能になるというマルクス主義の基本的な命題を宣伝することである。

 あつかましくも軍縮についておしゃべりしている帝国主義者にたいして、ソヴェト政府は、実際に軍備を撤廃することを提案した。ソヴェト政府は、帝国主義着から平和主義の仮面をはぎとった。

もちろん、帝国主義者がソ連邦の軍備撤廃案を受けいれるなどと期待した共産主義者は、一人もいなかった。にもかかわらず、ソヴェト政府の提案は偽善的な提案ではなかった。それは、まったく誠実な提案であった。というのは、帝国主義者の「軍縮」についての空談義がブルジョア国家の政策−抑圧および略奪の政策−と矛盾するのとはちがって、ソヴュト政府のこの提案は、労働者国家の国内および対外政策と矛盾してはいないからである。

ソヴェト権力は、数世紀にわたって搾取されてきた住民の大多数者の利益に奉仕するプロレタリアートの執権である。ソヴェト権力は、略奪と抑圧の政策をとってはいない。その政策は、国際プロレタリアートの利益のための平和政策である。

 またその客観的な意義においても、ソ連邦の提案は、ブルジョアジーや社会民主主義者の提案とは異なっている。それは、侵略政策を偽装する役をするものではなく、小ブルジョアジーの絶望の表現でもなく、社会主義の目標のひとつ、すなわち、革命的プロレタリアートが世界的規模での勝利をおさめたのちに実現するであろう目標 −しかし、それ以前にはけっして実現されない目標− を表現したものである。



(六二) 社会民主主義者は、ソ連邦の提案とたたかうにあたって、最もいとうべき手段にうったえ、トロツキズムによって提供されたスローガンを利用した。彼らは、ソヴェト政府の軍備撤廃の提案を、「レーニン主義の修正」だとか、「テルミドール」への過渡などとよんで、大衆の目にこの提案の信用を傷つけようと試みた。

これが卑劣な中傷であることは、右に述べたことから明らかである。

ソ連邦の完全な軍傭撤廃案が拒否されたあとで、一九二八年三月にソヴェト代表がおこなった第二次提案は、陸上および海上兵力の漸進的な縮小による部分的軍縮を提案したものであったが、これは平和主義への譲歩ではけっしてなかった。その反対に、それは、平和主義の暴露を完成するものであり、とりわけ、弱小民族や被抑圧民族にたいする大国の態度を暴露するものである。(P407-P408)

軍備撤廃問題におけるソヴェト政府の立場は、レーニンの政策の継続であり、レーニンの教えを首尾一貫して実行に移したものである。(P408)



帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務
   C 平和主義にたいするプロレタリアートの闘争

(六三) 内乱でプルジョアジーを撃破して、自国にプロレタリア ートの執権を打ち立てたソ連邦の労働者は、帝国主義の有毒な武器である平和主義との闘争において、全般的な軍備撤廃を帝国主義者に提案するという新しい方法を用いることができる。

しかし、資本主義諸国でまだようやく権力の獲得のためにたたかっているプロレタリアートは、このような方法を用いることはできない。資本主義諸国のプロレタリアートの側から自国のブルジョアジーおよびその従僕どもにむかって軍備撤廃を提案したり、要求したりしても、それは革命的な行為ではなく、プロレタリアートの武装のスローガンに代わって、プロレタリアートの武装解除、内乱の放棄、社会主義の放棄というスローガンをかかげることにはかならない。

それゆえ、ソヴェト政府が提出した軍備撤廃案からこのような誤った結論 ― この綱領の革命的な趣旨に矛盾する結論 ― を引きだすことにたいしては、共産主義者は、最も断固としてたたかわなければならず、自党内におけるこの種の偏向を仮借なく非難することが、必要である。



(六四)平和主義にたいする闘争でソ連邦のプロレタリアートが用いる方法と、資本主義諸国の労働者階級が用いる方法とのあいだのこの差異は、けっして両者のあいだに矛盾が存在することを意味するものではなく、そこからは、資本主義諸国の共産主義者が大衆のあいだでの扇動のためにソヴェト政府の軍備撤廃の宣言を利用してはならない、という結論は、けっしてでてこない。

それどころか、ソヴェト権力の軍備撤廃政策は、これまでよりもはるかに精力的に、また広範に、扇動のために利用されなけれはならない。だが、それの利用は、自国内でも同じ要求をかかげることによってではなく、次のような仕方でおこなわれなけれはならない。―

(1)帝国主義からソ連邦を擁護するために、平和と社会主義の戦士としてのソ連邦にたいする支持者を獲得すること、
(2)ソ連邦の軍備撤廃政策の結果と、それによる帝国主義者の暴露とを利用して、軍備撤廃と戦争の廃止とにみちびく唯一の道―プロレタリアートの武装、ブルジョアジーの打倒、プロレタリア執権の樹立の道―を広範な大衆のあいだで宣伝することによって、あらゆる平和主義的幻想の克服のためにたたかうこと。(P408)
 


帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務
后ゞ産諸党の活動における欠陥と諸党の任務

(六五) 第八回総会は、共産諸党にみられた幾多の誤りと欠陥を強調し、戦争との闘争のためにすべての支部が果たすべき一連の特殊な具体的任務を指摘した。

 これらの指示は、いまなお完全にその効力をたもっている。第八回総会以後に、われわれは新たな経験をつんだ。第六回大会は、これらの経験から、共産諸党の将来の活動のために必要なあらゆる教訓を引きだすものである。(P408-P409)



(六六) コミンテルンのすべての支部がいまなお悩んでいる根本的な欠陥は、戦争の危険とその不可避性との過小評価である。このことは、はとんどすべての支部において、第八回総会の決定を実現するための努力が不十分であったことからみて、明らかである。

最近における二つの重大な出来事 ― エジプトにたいするイギリスの覚え書と、中国にたいする日本の戦争 ― は、小さな、まったく瑣末な出来事として、なんの注意もはらわれずに見すごされた。

大衆の急速な左傾化 − それは、大衆が戦争の危険を感じていることを示すものであるが − をまえにして、共産主義者が大衆を戦争に反対するたたかいにみちびくのではなく、彼ら自身が労働者階級のうしろにとりのこされる危険がある。

多くの支部が、「平和」、「軍縮」、「国際仲裁裁判」についてのプルジョアジーや社会民主主義者の宜伝の影響をうけて、戦争の危険がせまっていることを信ぜず、戦争をきわめて遠い将来の問題として論じている。

 戦争の危険、とくにソ連邦にたいする戦争の危険の過小評価は、このような戦争が準備されていることを示す具体的な事実と具体的な現象を理解しないことに、現われている。

たとえば、ラコーフスキーが召還されてから、フランスの同志たちが、この事件を、対ソ戦争を外交的に準備する方向へのフランスの決定的な一歩と評価するまでには、長い時日が経過した。ユーゴスラヴィアの党は、イタリア=ユーゴスラヴィアの紛争のさいに、戦争の危険がどれはど切迫しているかを理解しなかったことを、みずから承認している。沿バルト諸国における若干の共産党は、バルト諸国の反ソヴェト・ブロックの準備の具体的な形態(たとえば、エストニア=ラトヴィア間の関税同盟についての交渉)の真の意義を、すぐには理解しなかった。

これらすべての誤りは、その後それぞれの党によって承認され、是正されたとはいえ、戦争の準備を目的とする措置に注意をはらわないことが、どんなに大きな危険であるかを、示している。たえず用心して、戦争の危険が現われる具体的な形態を警戒心をもって追求することが、必要である。



(六七) 戦争に反対する諸党の活動における主要な欠陥のひとつは、諸党が戦争の問題にたいしてあまりにも抽象的な、図式的な、皮相的でさえある態度をとっている点にある。

 若干の支部は、その活動を議会内や公開集会での演説に限っており、しかも、その演説では、戦争の問題には通常めだたない地位が割りあてられている。われわれの諸党は、戦争に反対してのわれわれの議会闘争と、われわれの要求をひろめるための議会外での活動とを結びつけることを、まだ学びとっていない (セント・ゴットハールド事件や、中国への武器輸送の問題におけるチェコスロヴァキアの共産主義者の全活動は、もっぱら国会や出版物の紙面でのおずおずした抗議にとどまった)。

国際問題と戦争問題を、たがいに切り離して提起してはならない。それらは、一般的な階級闘争の一部であって、国内の階級紛争、とくに純軍需工業の企業における衝突と、結びつけられなければならない。

 軍隊の機械化と、直接戦争に関係のある産業の軍事化とは、これらの産業部門における、またそれらの部門の労働組合その他の労働者組織のなかでの、精力的な活動を要求している。いまのところ、共産諸党がこの基礎的な任務の遂行に真剣にとりかかったことをものがたる徴候は、まだはとんどみられない。



(六八) 戦争問題についての見解が抽象的であることは、軍事政策の諸問題にたいして明確な態度をとりえないでいることに、現われている。(P409-P410)

大衆のあいだでしばしば反響を生んでいる社会民主主義者の反軍国主義的な欺瞞(たとえば、ドイツで社会民主主義者がおこなっている戦争にたいする「原則的反対者」としてのカンパニア)にたいして、諸党がまったく反応を示していないか、あるいはあまりにも遅れて反応している場合が、しばしばである。

ときには、共産諸党は、戦争政策の具体的な問題を一般的な空文句によって回避しており、実践的な問題を提起するかわりに、抽象的な宣伝スローガンを繰りかえすにとどまっている。

 とくに軍隊の問題では、軍国主義を実際に弱めるような、具体的な部分的要求や改良(兵役年限の短縮、傭兵軍の構成の問題をめぐる闘争、等々)のための闘争の問題を回避する傾向が、認められる。

改良のための闘争は、まったく社会民主主義者にゆだねられてしまい、彼らに対抗して、軍隊の問題における真にプロレタリア的な政治綱領 − 軍国主義の弱化をめざし、労働者の武装についての実践的な提案をふくむ綱領 −を提出することが、なされていない。

 少数の支部が、系統的な反軍国主義活動を実施するための必要な組織的措置をとっただけである。その他の支部は受動的である。

戦争の危険の見地からみてきわめて重要な諸国において、兵士や水兵のあいだでの活動はまったく不満足なものである。大衆活動として、兵士のあいだでの扇動・宣伝の手段としての、この活動の性格についての無理解がみられる。

青年のあいだでの反軍国主義活動は、一部の国々ではあまりにも狭い基盤のうえでおこなわれており、また他の国々では、この全活動が、兵士大衆のあいだに十分な組織的基盤をつくりだすことなしに、もっぱら新兵のあいだでの活動に帰着させられている。

帝国主義諸国において水兵のあいだでの活動が十分精力的におこなわれていないことは、きたるべき戦争における海軍の役割が過小評価されていることを、示すものである。陸海軍に服務している兵員や新兵にたいする家族のはたらきかけが系統的に利用されてきたところは、どこにもない。



(六九) 農民や、少数民族のあいだでの活動、植民地における活動のもつ巨大な重要性は、はとんどどこでも過小評価されている。これらすべての分野における活動に、最大の注意をはらう必要がある。

 農村における反戦活動は、随時におこなわれる個々のカンパニアや、示威行進の組織などの形態でおこなわれるだけであってはならない。勤労農民の当面の要求と結びついた計画的、系統的な活動が必要である。

農民青年のあいだでの活動は、特別な課題である。通信や、帰休兵の利用などの手段で、農村と農民出身の兵士とのあいだに結びつきをつくるよう、特別な注意をはらうことが、ぜひとも必要である。この分野で待られる経験は、戦争が起こった場合にこのうえなく大きな重要性をもつようになる。

 少数民族のあいだでの活動の分野では、われわれは、これまで以上に断固として被抑圧民族の要求を擁護し、彼らにたいする帝国主義政府の嘲弄に反対してたたかい、民族革命諸組織の活動を指導しなければならない。

 本国の共産党は、関係植民地諸国の共産主義組織や労働組合とのあいだに恒常的な結びつきを打ち立てなけれはならない。本国の共産党は、大衆行動によって植民地の革命運動にあらゆる援助をあたえなければならない。

 すべての国の共産党は、たとえば反帝国主義同盟のような無党派の組織の創設に、また一般に資本主義諸国のプロレタリアートと被抑圧諸国民の民族解放運動とのあいだに戦争に反対する闘争のための統一戦線を樹立する問題に、特別な注意をはらわなければならない。(P410-P411)



(七〇) ファシズムにたいする闘争には、これまで多くの支部では十分な注意がむけられていなかった。この分野では、ファシズムにたいする思想闘争についても、またファシズム反対の革命的大衆行動についても、最も活発な創意を発揮する必要がある。

そのさい、あからさまなファシズム的潮流や組織だけでなく、民主主義的または社会民主主義的な旗じるしをかかげて登場している半ファシスト的潮流や組織(ドイツにおける「国旗団」、社会民主党や労働組合の官僚の上層部における社会ファシスト的な発展傾向、工場ファシズム、その他)をも、考慮にいれなけれはならない。あらゆる形態におけるこの反ファシズム闘争は、帝国主義戦争に反対する闘争と最も緊密に結びつけられなければならない。



(七一) 現時期の特徴は、ブルジョアジーの側からの「平和」と「軍縮」の宣伝、また「戦争禁止」の広範な宣伝の新たな波が高まっていることである。

この平和主義にたいする闘争は、これまでのところまだ十分精力的におこなわれなかった。プルジョア的な「平和」の宣伝にたいする闘争も、またソ連邦のいわゆる「赤色帝国主義」とか、「戦争惹起の要因としてのボリシェヴィズム」とかいう社会民主主義者の宣伝にたいする闘争も、十分精力的におこなわれなかった。広範な大衆の平和主義的幻想を生みだすうえで中心的な役割を演じている国際連盟の正体を暴露することも、十分系統的、また精力的におこなわれなかった。

 大多数の場合に、ジュネーヴ会議の結果に関連しての共産主義者の主要な任務、すなわち、戦争に反対する闘争をプロレタリアートの執権およびプロレタリアートの武装の宣伝と結びつけるという任務は、まったく忘れられていた。いくつかの国では、軍縮のスローガンをかかげたことにみられるように、平和主義的な誤りがおかされた。



(七二) 第八回総会以後に、大多数の共産党は、党員のあいだに戦争に反対する闘争の正しいレ―ニン的方法をひろめることに、十分な注意をはらわなかった。

諸党の理論機関誌や新聞で、戦争に反対する闘争の基本的な諸問題が十分に討議されず、とくに具体的な部分的問題の解明が不十分であった。このことは、党活動における大きな欠陥として指摘されなければならない。

なぜなら、それらの問題は、多くの場合に切実な問題であり、また社会民主党の新聞・雑誌の側では、これらの問題にかなりに大きな注意をはらっていたからである。

 諸党の活動では、これらすべての問題においてまだ十分な思想的明瞭さが欠けている。一部の同志たち(フランス、スイスおよびオーストリアの同志たち)は、イタリアとの戦争の場合に「祖国擁護」という問題を提出した。他の同志たちは、軍事教練キャソプの完全な「ボイコット」を主張している(アメリカにおいて)。

これらすべての誤った偏向の実例は、その後党の指導機関によって是正されたとはいえ、党そのものの内部でも、また大衆のあいだでも、戦争の危険と戦争に反対する闘争の方法との問題について最も真剣な、広範な宣伝をおこなうことが、ぜひとも必要であることを、示すものである。



(七三) 戦争の危険に反対し、とくに対ソ戦争の挑発と準備に反対する闘争における扇動上の主要な任務は、次のものである。

(1)戦争の危険の切迫にかんがみて、主要な、中心的な扇動スローガンは、「ソ連邦の擁護」、「植民地および被抑圧諸国民の革命闘争への支持」、「帝国主義戦争に反対する闘争」でなければならない。(P411-P412)

(2)すべての国におけるさまざまな帝国主義グループの略奪的な企図を暴露するために、倦むことのない扇動活動がおこなわれなければならない。この活動の矛先は、とくにアメリカ帝国主義者にたいし、またソ連邦にたいする戦争準備の音頭をとっているイギリス帝国主義者にたいし、また中国にたいする軍事干渉の先頭に立っているイギリスおよび日本の帝国主義者にたいして、むけられなければならない。あらゆる既存の秘密条約と秘密軍事同盟を公表せよという要求が、かかげられなければならない。

(3)「制限的軍備」を主張し、ジュネーヴ議定書や強制仲裁裁判を擁護する社会民主主義者の提案を批判し、暴露することが、必要である。

(4)改良主義的労働組合の指導者が擁護している「産業平和」、階級協調、中立的な(非政治的な)組合、「御用」組合は、本質上、戦争準備の方策であって、それらの宣伝を暴露するために精力的なカンパニアをおこなわなければならない。

(5)なぜ労働者はきたるべき戦争のさいに自分たちの帝国主義的祖国の敗北を主張しなければならないかという理由を説明する活動を、今日すでに展開することが、必要である。「帝国主義戦争の内乱への転化」のスローガンは、戦争が起こる以前に、すでに今日からわれわれの宣伝の中心思想でなけれはならない。

(6)帝国主義者による中国の分割に反対する闘争は、すべての共産党によって、広範な大衆的カンパニアのかたちで、諸大国の特別な軍事的および政治的措置に反対する闘争のかたちで、おこなわれなければならない。この闘争は、新たな帝国主義戦争の危険にたいする闘争ときわめて緊密に結びついている。



(七四) 最も重要な方策は、すでに大部分第八回総会のテーゼのなかに示されているが、それは次のものである。

前線にむかう軍隊の沿道や、これらの軍隊の乗船港における婦人や子供の示威行動、また国会の建物のまえでの婦人、子供、傷痍軍人のデモンストレーション。プロレタリア的および小ブルジョア的婦人組織のなかでの戦争反対の扇動、帝国主義戦争反対のスローガンをかかげての代表者会議の招集。工場・経営の門前や、労働者街における婦人集会と、そこでの代表の選出。帝国主義戦争反対のカンパニアを遂行するための常設機関として、既存の代表者会議を利用し、また新しい代表者会議を創設すること。統一戦線戦術および「ソ連邦から手を引け!」委員会の活動をもっと効果的におこなうことが必要であり、そのさいこれらの委員会に労働組合を引きいれなければならない。

反革命の武装部隊のひとつとしてのファシズムに反対する全面的な闘争をおこなうことが、必要である。可能なところではどこでも、ドイツの赤色戦士同盟のような大衆組織をつくる必要がある。スポーツ組織の内部で、ファシズムに反対し、戦争に反対する活動をおこなわなければならない。

帝国主義戦争に反対する闘争のために、既存の戦争犠牲者(傷痍軍人、寡婦、その他)の階級的組織を系統的に利用し、強化する必要がある。共産青年同盟は、党と密接な連絡をたもって、兵士の徴募源である青年労働者・農民のあいだで精力的な活動を展開しなけれはならない。

既存の教師、父母、生徒のプロレタリア的組織や共産主義少年団も、利用されなけれはならない。学校における帝国主義的影響とたたかうために、児童のあいだに新たな組織を設立する必要がある。(P412)



(七五) 共産諸党自身の準備は、第一義的な重要性をもつ任務である。コミソテルン諸支部のあいだにいっそう深い国際連帯の意識をゆきわたらせることは、戦争にそなえての共産諸党の準備の不可欠の条件である。

 戦争が始まる以前に、すべての支部のあいだに最も緊密な連絡が打ち立てられなければならない。この連絡は、戦争の全期間をつうじてあらゆる手段で維持されなければならない。

 戦争による動員のさいには、革命運動全体および共産党にたいするテロルは、未曽有の規模をとるであろう。あらかじめ作成されたリストによって、何千人、何万人もの共産主義的な、また革命的な労働者・農民が、強制収容所にほうりこまれるであろう。帝国主義者は、合法的な共産諸党ばかりか、非合法的な諸党の全機構と指導部をも粉砕することを、自己の任務とするであろう。

 共産諸党は、すでに今日これらすべてにたいする準備をととのえなけれはならない。合法的な共産党は、非合法状態への移行を適時に準備することに、いっそう大きな注意をはらわなければならない。

非合法党は、現在以上に強まるテロルの条件にたいして、その指導部と諸組織に準備をさせなければならない。上から下まで、組織方法、組織上の連絡を変更するために、適時に準備することが、必要である。動員と開戦とにともなって生じるであろう新たな情勢にたいして、党員にあらかじめ準備させなければならない。



(七六) 第六回世界大会は、戦争に反対する闘争はけっして容易な仕事ではない、というレーニンの言葉を、すべての共産主義者ににそなえて党に準備させるために、これまでになされた活動を系統的に検討するよう、勧告する。大会は、すべての党に、おかされたあらゆる誤りを仮借なくあばきだし、それをただちに除去する義務を課するものである。

 第六回世界大会は、すべての支部にたいし、戦争に反対する闘争にいっそう国際的な性格をあたえ、必要なときには帝国主義戦争に反対する強力な国際的大衆行動を遂行することのできるように、革命的行動を国際的に結合調整するための準備措置をとるよう、呼びかける。 (P413)


(2010.8.26)


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