ベイツの手記




「ティンパーリ編『戦争とは何か』 第一章 南京の試練」より


*訳注 この手紙を書いた外国人は、金陵大学の歴史学教授であり、同大学非常時委員会の委員長をしていて南京安全区国際委員会の委員でもあったベイツ博士である。

 「南京では日本軍はすでにかなり評判を落しており、中国市民の尊敬と外国人の評価を得るせっかくの機会さえ無にしてしまいました。 中国側当局の不面目な瓦解と南京地区における中国軍の壊滅によって、ここに残った多くの人びとは、日本側が高言している秩序と組織に応じようとしました。

 日本軍の入城によって戦争の緊張状態と当面の爆撃の危険が終結したかと見えたとき、安心した気持を示した住民も多かったのです。 少なくとも住民たちは無秩序な中国軍を恐れることはなくなりましたが、実際には、中国軍は市の大部分にたいした損害も与えずに出ていったのです。

 しかし、二日すると、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行をも含む家庭生活の勝手きわまる妨害などによって、事態の見通しはすっかり暗くなってしまいました。

 市内を見まわった外国人は、このとき、通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告しています。南京の中心部では、昨日は一区画ごとに一個の死体がかぞえられたほどです。

 死亡した市民の大部分は、十三日午後と夜、つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き殺されたりしたものでした。 恐怖と興奮にかられてかけ出すもの、日が暮れてから路上で巡警につかまったものは、だれでも即座に殺されたようでした。その苛酷さはほとんど弁解の余地のないものでした。

 南京安全区でも他と同様に、このような蛮行が行なわれており、多くの例が、外国人および立派な中国人によって、はっきりと目撃されています。銃剣による負傷の若干は残虐きわまりないものでした。

 元中国兵として日本軍によって引き出された数組の男たちは、数珠つなぎにしばりあげられて射殺されました。これらの兵士たちは武器をすてており、軍服さえぬぎすてていたものもいました。

 そういうわけで、略奪品や装備の臨時運送人として使役するためにどこかでひろいあげてきた男たちを除けば、実際にあるいは明らかに処刑の途上にある、このような集団以外には、 日本軍の手中には捕虜の影さえも見られませんでした。

 難民区内のある建物から、日本兵に脅迫された地元の警官によって、四〇〇人が引き出され、五〇人ずつ一組に縛られ、 小銃をもった兵隊と機関銃をもった兵隊にはさまれて護送されてゆきました。目撃者にどんな説明がされても、これらの人びとの最期は一目瞭然でした。

 目抜き通りでは、中国兵が主として食料品店や保護されていないウインドウなどからこまごました略奪を行なっていましたが、それが、日本軍の将校の監視の下で店先から店先へと移る組織的破壊にとって代わられました。

  日本兵は、大荷物を背負って人を押分けてゆく手助けに運送人を必要としました。まず食料を求めたのですが、やがて、その他の日用品や貴重品もやられました。 市内全域の無数の家が、人が住んでいようがいまいが、大小かまわず、中国人の家も外国人の家も、まんべんなく略奪されました。

 次に述べるものは兵士による強盗の特に恥知らずな例です。集団捜査が行なわれるうちに、収容所や避難所の多数の難民は、わずかな所有物のうちからさえもお金や貴重品を奪われました。 大学附属の鼓楼医院職員は直接、現金や時計を奪われ、また看護婦宿舎からもその他の所持品が奪いとられました。

(これらの建物はアメリカ人資産で、やはり略奪されたほかの国の建物と同様に、自国旗を掲げており、また大使館の布告がはってあったものです。)

 日本軍は旗を引きおろしてから自動車や他の財産を強奪しました。

 婦女強姦・凌辱の例も数多く報告されていますが、まだそれを細かに調査している時間がありませんでした。しかし次のような例は事態を示すに十分であります。

 私たちの外国の友人の一人の近くにある一軒の家から、昨日、四人の少女が兵士たちに誘拐されました。 外国人たちは、市内の一般住民から実際上放棄されてしまった場所にある、新たに到着した将校の宿舎に八人の若い娘がいるのを見ました。

 このような状況下での恐怖状態は筆につくすこともできませんし、もの柔らかな将校たちが口にする"戦争をする唯一の目的は、中国人民を救うために圧制者である中国政府と戦うことである″という言葉をきくと、 まったく吐き気をもよおすほどです。

 南京で示されているこの身の毛もよだつような状態は、日本帝国の最良の達成を示すものでないことは確かですし、これにたいして責任を負う日本の政治家・軍人・一般市民がいるにはちがいありません。 これらの人びとは、ここいく日かが中国における日本の立場におよぼした害悪を、自らの国益のためには即座に矯正することでしょう。

 職業軍人として日本帝国にふさわしい、紳士としてふるまった兵士や将校も個々にはおりました。しかし、全体の行動はひどいものでした。」

(『南京大残虐事件資料集2』P24-P25)


  
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