『はじめに』より
(略)
歴史の中でも裏面史となると、きれい事の歴史ではなく、いろいろ差し障わりがあって表に出せない歴史である。また当事者本人にとっても知られたくはないし、さらに人にもその結果迷惑をかけたくはないといった事柄である。
したがって裏面史の多くは文字となり文章となって書き残されてはおらない。当事者が胸の中に畳みこんで闇から闇へと葬られてしまうものなのである。
したがってそれだからこそ書き残されたものよりも真実がこもっているといえよう、しかし文字に書かれていない秘話であるから、これを当事者一人々々に当って話を聞いて歩くよりほかは仕方はない。
仮りに話してくれたとしても、自分を飾るため、誇張して話すか、あるいは、自分に都合の悪いことは、事実を曲げたり省ぶいたりすることもあるであろう。したがってなるべく多くの人々の話を聞き、それらの話の喰い違いや記憶違いを訂正しなければならない。
そこで私は、満洲にあっては笠原参謀長と橘憲兵大佐の紹介状を、特に笠原参謀長からは事件当事者、またはその上官の師団長などに、橘大佐には国境地帯の憲兵隊長や中国人要人に宛てて書いてもらい、
また内地に帰ると参謀本部の第一課の紹介によって、満州事変関係者を一人々々虱つぷしに訪問してまわり、秘められた話を聞いて歩いた。
今記憶しているだけでも、 建川美次中将・長中将・橋本欣五郎大佐・板垣大将・石原莞爾中将・河本大佐・川島大佐・三谷憲兵少佐・小松中佐・天野中佐・本庄大将・二宮中将・小磯大将・土肥原大将・南大将・菱刈大将・筑紫中将・町野大佐・佐々木中将・甘槽大尉・大川周明博士・
笠木良明・岩間徳也・鶴岡老人・田宮大佐・憲新・張慕賢・張燕卿・チチハルの朝日屋旅館主人・蒙古人・白系ロシア人・ブリヤート人のウルジン中将・ロシア革命のはじめ、ケレンスキー政府をつくつたケレンスキー以下五十数名を数えることができる。
恐らく私ほど多くの満州事変関係者に会って、直接腹蔵なく秘められた事実を聞きだした者は、ほかには一人もいないと自負している。
私は以上の人々に、「伺った話はここだけの話にして、御存命中は、決して公けにいたしません。
唯歴史家として真実を何らかの形で後世に残さねばならないと考えますので伺う次第です。また調査の結果が国家に役立つ点があれば、参謀本部にも提出するつもりです」と話して了解も得た。そして今日までその約束を堅く守って来た。
(以下略)
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