「ディリー・テレグラフ」の記事
「ディリー・テレグラフ」の記事

*顧維鈞が、1938年2月2日国際連盟第百回理事会での演説の際に参照したと思われる、ディリー・テレグラフの記事です。「大公報」への転載にて、確認することができます。 なお、合わせて、「アジア歴史資料センター」資料から、この記事について取り上げた文書を掲載しました。
 

暴敵の獣行、世界に知れわたる

民国二十七年三月二十八日

 ◇英紙、敵兵の凶悪な姿を暴露
 ◇南京の敵、大使館前でついに公然とわが婦女を辱める


 イギリスのロンドンで販路がもっとも広いディリー・テレグラフは、敵の南京・抗州一帯における残虐行為に関する同紙中国駐在記者の詳細な報告を発表し、南京の外国人の南京日本大使館に対する報告・抗議の文件を引用している。ここにとくに記載する。

恩源付記
(P52)


 南京金陵大学の教授とアメリカの布教師は、日本軍隊の南京と杭州両地における種々の暴行に対して、つねに教会本部に報告を提出し、かつ日本大使館に手紙を出して一切を申し述べた。(P52-P53)

 各報告と手紙によって、記者は現在、はじめて南京・杭州一帯の日本軍の暴行を暴露できる。すべての報告は、ひとしく大量の惨殺・強姦および略奪行為を描写している。

 ある布教師の見積りによれば、南京で殺された中国人は約二万人に達し、なお無数の婦人と幼女が残酷にも日本軍に蹂躙されたといわれる。各種の報告を提出し、 手紙を出した人々は、みなその姓名を発表することを望んでいないが、しかしすべての文件は、みな記者がこの目で実際にみたものである。その完全な真実性はいささかも疑わしいところがない。

 日本当局がその軍人に対していささかも取締りを約束しないことに対しては、各方面がみな非難を加えている。日本大使館の職員の前で、日本軍人は公然と種々の口に出せないような暴行をおこなっているとのことである。


 ◇幼童の身体に七つの刀傷

 ある布教師は、正月十一日に南京より手紙を出して〔次のように〕述べている。

 ある日、日本の南京駐在総領事と同行したが、市街に死体が乱雑に放置されているのをみた。これは去年十二月十三日に南京が陥落してから四週間後のことである。

 この手紙は続けて述べている。

「ある幼童は腹部に七か所の銃剣の刺し傷を受けたため、今朝、病院で死んだ。私が昨日、病院でみた一婦人は、二〇回強姦され、日本兵は輪姦の後、銃剣でその婦人の頭部を刺したが、幸いにものどに重傷を負ったにとどまった。

 ある尼僧が前に私に話してくれたところによると、某日、数人の日本兵が尼寺に乱入し、尼寺の尼師とその八歳の見習尼僧を殺し、かつ別の一二歳の見習尼僧を銃剣で傷つけた。その尼僧も腰を銃剣で刺されたが、 地面に横たわって死んだようにみせかけ、他の死体のかげに隠れて、五日後にやっと幸いにも逃げ出したという。

 私の知るところでは、さらに一二歳の幼女が日本兵から許すべからざる汚辱を受けた。金陵大学の某院長もまた、あるわずか一三歳の幼女が日本兵に輪姦されたと私に語った。」


 ◇宣教師が威嚇さる

 その他の人士の報告もまた同様の性質の暴行を描写しており、その範囲が比較的広範であるにすぎない。男性がその妻を守ったために刺し殺され、あるいは銃殺された例は、よくみられることで珍らしくない。 宣教師は、かれらが干渉しようと思ったとき、いかに日本兵のピストルの威嚇と恫喝にあうかをつねに申し述べている。(P53)

 あるアメリカ人の宣教師は十二月十九日に手紙を寄こして、大群の中国人が日本兵によって護送され銃殺されており、その状況は牛羊を屠殺するのと異ならず、ついで中国人約三百名が池に追いたてられ、 凍った冷水のなかに立たされ、日本兵のために銃殺された、と述べている。(P53-P54)

 この手紙は続けて害いている。

「別に多数の中国人が一つのわらぶき小屋のなかに追いこまれ、日本兵は機関銃で掃射し、続いて放火し燃やした。小屋のなかの中国人は、銃弾で死ななかったものも、火中に身を葬った。 日本兵はまた思う存分掠奪している。一切の財産は、中国人のものか外国人のものかにかかわらず、全部なくなって残っていない。」

 別の一宣教師の報告は述べている。

「昨夜、二人の尼僧が余門前をすぎ市街を通りぬけて、食物を購入しようとしたところ、日本兵によって汚辱されたのをみた。」

 別の一宣教師は、多数の中国人が日本兵によって拘留され、日本兵は二〇分の時間内にもし武器を携帯しているものがみずから武器を引き渡せば、そのものの生命にけっして危害を加えないことを保障すると述べたが、 結果は二〇〇人が出頭したところ全部銃殺されてしまった、と報告している。


 ◇大使館への訴え

 金陵大学緊急救済委員会のアメリカ人主席は、十二月二十四日に日本の南京大使館に手紙を送り、 日本兵が日本大使館付近の金陵大学農場前のアメリカ国旗とアメリカ大使館の布告をひきさき、かつ校門内に押し入って校内の教員から掠奪した事件について質問を提出した。

*「ゆう」注 この手紙は、「南京事件資料集 1アメリカ関係資料編」P135以下で確認可能。なお日付は「十六日」が正しい。

 翌日、掠奪を実行した日本兵はまた金陵大学の農場に来て財物を略奪し、かつ婦女多数を連れ去った。金陵大学図書館には、もと難民一五〇〇人が住んでいたが、そのうち婦女四人が日本兵によって強姦された。 別に六人が日本兵によって連れ去られ、三人だけが帰ってきた。

 この手紙を出した人は、かつて受け取った報告では、その晩に城内のその他の場所で同様の事件が一〇〇件以上おきたといわれると述べている。手紙は続けて〔次のように〕述べている。

 「城中の市民の恐怖は、すでに極点に連しており、食物を買いに外出するにも、また警戒心が必要である。日本兵はしばしば民家に押し入り、財物を略奪する。 私たちは、日本陸軍と日本帝国の名誉のために、諸君自身の妻女姉妹の幸福のために、ふたたび市民をして日本軍隊の蹂躙を受けさせてはならないと、とくに諸君に対して訴えるものである。」

 しかしこの種の訴えが提出されたのちも、日本兵の暴行は引きつづきやまず、日本当局はまだ少しも制止していない。(P54)


◇日本兵の常軌を逸脱した淫行・掠奪

 十二月十五日、金陵大学緊急救済委員会主席はまた手紙を寄せ、多くの日本兵がくりかえし金陵大学の農場にやってきて、婦女三〇人が強姦されたと報告した。(P54-P55)

 彼は日本大使館に書面を送って〔次のように〕述べた。

「私はこの仕事に対して詳細な調査をおこない、すでにこの言葉に誤りのないことを確認した。南京城内の本区の状況はまことに凄惨である。」

 十二月十七日に、この主席は再度、日本大使館に手紙を出した。

「貴大使館がはっきりと展望できる区域およびわが校の付近の地域では、すべての恐怖と野蛮な行動がなお継続中である。

 日本兵は昨晩、くりかえしわが校の図書館にきた。図書館には現在、たいへん多くの難民が住んでいるが、日本兵は銃剣で恫喝し、女性・金銭などを要求する。

 わが校の同僚の一人は、ついに銃剣で刺された。図書館のなかでは、多数の婦女が日本兵によって犯された。日本兵はまた夜番を撃って傷つけたが、おそらく彼らが日本兵のために婦女を準備しなかったからであろう。

 わが校のアメリカ人の同僚は、日本軍の将校によって袋だたきにされた。私自身はある酒に酔った日本兵によってベッドから引きずりだされた。わが校は貴大使館にたいへん近い。それ故、私にはここがなぜ今にいたるまで秩序を回復できないのか了解できない。」

 十二月十八日、彼はふたたび日本大使館に手紙を出した。

「日本軍の暴行が横行しているので、各地ではなお引きつづき苦痛と恐怖を感じている。わが校は、現在すでに難民一万七千人を収容しているが、各地の状況がますます悪化しているので、難民が大勢おしよせてきている。

 然して金陵中学の校舎では、昨晩、引付けをおこした幼児が日本兵のために刺し殺された。別の一人の幼児もまた重傷を負い、生命はきわめて危険である。婦女八人が強姦された。兵隊は日夜を分たず校舎を乗りこえてきて不法行為をはたらく。 わが校の何人かの同僚は阻止したいとの気持があるので、日本兵によって袋だたきにされないものはない。

 難民はみな神経性の恐怖病にかかっている。貴大使館の側は、兵を派してわが校の校門を守ることを承認したが、まだ実行されていない。」


 ◇帰るべき家のない難民

 「日本軍隊はすでに市民の衣類・ふとんおよび食物の類を略奪しつくし、多くの市民は飢えと寒さがこもごも迫ってきて、苦しみのため病気になっている。大通りでも路地でも、憂慮し悲しみ泣く男女がたがいに私語しているのをみることができる。 およそ日本兵が至るところは、誰であれどの家であれ、みな平安はないといわれる。

 私のこのたびの手紙は、日本兵の検査のためにはばまれてしまった。日本兵のいわゆる検査とは、婦女を選ぶことにすぎないのであるが。」(P55)

 この主席は、十二月二十一日、日本大使館職員福田に手紙を出して述べた。(P55-P56)

「今日午後、一人の婦人が貴大使館の門衛所で強姦された。今日の午後、私が閣下を訪問したとき、拙宅は四度目の略奪を受けた。わが校のその他の七か所の建物は、今日ひとしく略奪にあった。

 各地の大火は、すでに無数の難民をして帰るべき家のない流浪者としている。わが校の病院の各門はすでに突き破られた。現在、方法を講じて日本兵がわが校の病院の救護車を略奪することを阻止している。 私自身、日本兵が食物を略奪し、中国人を脅迫して略奪した賊品を運送させているのを目撃した。

 日本軍隊はまた紅十字会内の負傷者治療所を略奪した。当時、私は助けを呼ぶ声を聞き、ただちに調査におもむいた。昨晩、その場所で三人が日本兵に強姦された。」

 十二月二十二日、この主席は〔次のように〕報告した。

「昨晩、婦女聖経学校で婦女七人が日本兵により強姦された。男子は連れていかれたが、おそらくすでに銃殺されたであろう。日本兵は今朝、また金陵大学の養蚕室を略奪し、かつ貯えてあった酒をもっていった。 日本兵は彼らが略奪した難民に向かって三度発射した。」


 ◇聡ずべき秩序の乱れ

 クリスマスの日、この主席はふたたび報告した。「金陵大学農場の養蚕室一か所で日本兵に強姦されたものは平均毎日一〇入以上である。略奪行為は引きつづきやまず、日本当局はいささかも制止していない。」

 十二月二十七日の報告は述べている。

「貴大使館の側は、種々の承諾の言葉を提供したけれども、恥ずべき秩序の乱れはなお継続している。昨晩、日本兵はわが校の花園に押し入り、女子三人に暴行を加えたが、三人のうち一人はわずか一一歳だった。 聖経学校では、婦女七人が日中にはずかしめを受けたが、そのうちの一人はわずか一ー歳であった。

 当日の晩、また婦女二〇名が同様の運命にあった。その場所の食物・衣服・金銭等はすべて奪われた。これで秩序を正したと言えるだろうか。恐怖の時期の二週間後になおこのような状況があるのは、実に恥ずべきことと感じる。 現在必要なのは、すでに日本側の承諾の言葉ではないのである。」

 ロバート・フェイス博士は、以前、親しく記者に対し、日本軍隊は杭州で計画的に軒並みの略奪を実行していると述べた。そこでもまた多数の婦女が日本兵の強姦・蹂躙にあっているといわれる。(P56)

(「南京事件資料集 2中国関係資料編」より)


<参考 アジア歴史資料センター資料>
 

各種情報資料・支那事変に関する各国新聞論調概要

レファレンスコード A03024004100

C 英国紙

△英仏蘇外相と顧維鈞との秘密協議

英仏蘇三国外相は二十八日「アヴノール」氏の書斎に集合し特に顧維鈞を招致して内密協議した結果、顧維鈞は今次理事会に於ける極東問題審議の為、臨時総会開催の要求を見合せ、其の代り月曜日の理事会て日本問責の強硬な決議を行ふこととなつた模様てある


△南京に於ける日本軍の暴行詳報

(一月)二十八日各紙は一斉に在支日本軍の暴行振を詳報したか、殊に「デイリー・テレグラフ」紙香港通信は 、在南京大学諸教授、亜米利加宣教師等か日本大使館及布教国本部に宛てた書翰に基いた完全に信頼できる最初の詳報であるとて、昨年日本軍か南京占領後数週間に亘る戦慄すへき狂暴振を特報し、 総ゆる財産は外支人の見境なく一律に掠奪破壊せられ、僧院は侵入され尼僧は■はれ、図書館、病院等は破壊焼打の厄に遭ひ、二万の支那人は虐殺せられ、数千の避難民は住むに家なく、 飢餓と困却の裡に累々たる死体の間を彷徨する有様にて、婦女子に対する襲撃は白昼日本大使館の真前ても公然行はれた。

一外人教授か日本軍人の名誉の為斯様な蛮行を中止する様切に勧告したにも拘らす、狼藉は止む所を知らす、婦女子を庇はんとすれは拳銃で強制せらるる始末てある。

杭州ても同様に日本軍は組織的暴行を行つた。尚各紙共南京に於ける日本兵の「アリソン」書記官に対する暴行事件に関し、米国政府か強硬抗議をしたと報道し、■記事共頗る「センセイシヨナル」に取扱つている。


(2009.7.5) 


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