モーゲンソー試案 |
みすず書房『現代史資料(34) 太平洋戦争(一)』所収
五 暫定協定に関する記録 1 モーゲンソー財務長官の打開策具申 ハル国務長官宛書信(一九四一存二一月一八日付) 私より大統領宛差上げし書信の「写し」をここに同封致します。 敬 具 ヘンリー・モーゲンソー |
対日緊張を緩和し独の敗北を確実ならしむる課題へのアプローチに就て (一九四一年一一月一七日) |
モーゲンソー試案 一、はじめに "総力"外交の態度が十分なる軍事態勢と同様に重要なる国防手段たること、ますます明瞭となっております。 軍事行動は戦闘で勝利を獲得します。外交はかかる戦闘の実施を不必要にすることができます。軍事的勝利は原料物資及資材を獲得し得て敵を弱めることができます。外交の勝利もまた同様の成果を達成し得るものです。 大きい外交の勝利がなかったら独逸は赫々たる成功を獲得できなかったと思われます。外交上重要な敗北を蒙らなかったとすれば、英仏が今日の苦境に立つことはなかったと思われます。 "総力"的努力とは、軍事戦略に於けると同様、外交に於いて凡る経済的及政治的利点を全面的に活用するを意味するのであります。 "総力"国防態勢の整備に於いて或は現実の戦争に於いて我軍事力が、我地理的位置、我豊富なる資源、我優勢なる労働力、工業施設及び民主主義の伝統を賢明に活用しなければならぬと同様、外交もまた勝利の機を獲得するが為には、之等の利点を最大限に活用しなければなりません。 我国は裕福です。−我々は一層多くの富を平和及勝利の為に活用すべきであります。我々は追詰められないうちに我が力を使用せんと意図すべきです。 我等は領土を必要としません。−この事実をフルに活用すべきです。我等は国家的公約を守っています。−今こそ、誠実の記録が非常に役立つに相違ない時です。 我等は二大洋によって防護されています- 距離なるものがなお障壁たる間はこの防護を利用したいものです。 我等は民主主義国です−公然と到達した至当な盟約の力を最大限に活用致し度いものであります。 若し、外交が米国の為に最も輝かしい勝利を確保し得る時があるなら、今こそその時であります! いたずらに遷延する時は、それだけ我国防に資するものとして外交を活用できるチャンスは減少するに相違ありません。国際関係のパターンは固定化し、諸計画は変更不能となり、失われた機会は永久に戻りますまい。一定の行動方向に縛られた国家は、選択権を行使し、提議を受入れ及び諸条件を決定する力を失うものであります。(P184-P185) 若し、大統領におかれては、何かここに添付の協定案の如きものを御提案になり且つ日本側にして同意した場合は、吾々が現に脅威を受けている好戦的かつ強大なる敵を平和的にして且つ繁栄する隣人に変換させるのに成功したことゆえ、全世界は電気に打たれたように感動することでしょう。 内外に於ける大統領の名声及び指導力は共に、輝かしく且つ高価な外交の勝利に依って、著しく向上致しましょう。− これは、敗者を作り出す必要のない勝利です。直ちに数億の東洋人に平和、幸福及び繁栄をもたらし、その結果として独逸の敗北を確実ならしむるべき勝利であります! この提案は、日本を説いて同意させることを得れば、実行可能なものであり、成功の算、明らかなるものであります。日本に大なる利点を提供するものであり、他方、同意しない場合は開戦の他なき故、日本を同意に導き得る可能性があります。 次に本提案の要旨を記載しますが、これは、その梗概であり説明は要点にとどめます。当面最も必要とされるものは、詳細に書き上げた計画案ではなく、今日の対日会談に於いて総力外交へのアプローチを行なおうとの決意であります。(P185) (みすず書房『現代史資料(34) 太平洋戦争(一)』所収) |
モーゲンソー試案 二、米国及び日本に関する自明の命題 1 米日両国間の戦争は何千もの生命、数十億ドルの戦費を要するものであり、敗者に苦痛と復讐の意図を残します。社会的崩壊を助長します。そして、我等が子供の生涯に対し平和を保障するに至りますまい。更に今日両国間に存在する複雑な諸問題を永久に解決するものでもありますまい。 2 米国は国際的諸困難の解決方法としては戦争よりも公正且つ平和的解決を好むものであり、両国間のより友好的なる国交に至る途上に横たわる諸問題を平和的に解決するために今や半途を越え更に前進せんと意図しつつあります。 3 日本が、その経済の特質の故に、外国貿易増大を大いに必要としていること、既に四年に及んだ戦争による荒廃を修復するのに資本財を必要としていること、及び基礎的原料物資の確実な給源を必要としていることを、米国は認識するものであります。 4 米国は、我が移民法が日本国民に対し事実上不公正なる差別を設けていることを認識するものであります。 5 長期に見れば日本国民及び米国国民双方の利益にとり、日本及びその近隣諸邦がその下に繁栄し得るような公正且つ平和的な諸条件こそ、大いに役立ち得るものであることを、米国は信ずるものである。 6 〜 12 −略− (P185) (みすず書房『現代史資料(34) 太平洋戦争(一)』所収) |
モーゲンソー試案 三、協定案 以上の諸事実の故に、米国は日本と協定を締結せんことを提案する。この協定中において米国及び日本は、次の如き事項を実施するに同意するものとする。 A、米国政府は、自分の側から次の事項を実施する旨を提案するものである。(P185) 1 米国海軍力の大部分を太平洋から撤退させる。 2 日本との間に二十年間の不可侵条約を締結する。 3 満洲問題の最終的解決を推進する。 4 印度支那を英仏日華米合同委員会の構成する政府の下に置くよう積極的に提唱する。同政府は欧州戦争終結まで右五カ国に対し最恵国待遇を保障し、第一に印度支那国民の利益に合致するよう国政を司るものとする。 5 在華治外法権を廃止し、英国からも、その在華治外法権を廃止すべき同意をとりつけ、香港もまた中国に返還せらるべきものとする。 6 日本人の米国への移民入国を制限している一九一七年移民法を廃止する法律案を議会に提出し、その成立を促進する。これにより、日本人および支那人を他の諸国民と同等の立場に置くこととする。 7 日本と貿易協定の折衝を行ない、日本に(a)最恵国待遇および(b)相互に満足のゆき得る如き輸入上の譲歩を行なう。これには向う二十年間生糸をフリー・リスト中に入れ置くむねの合意を含むものとする。 8 向う二十年間にわたり年利二%にて総額二十億ドルの借款を提供する。但し、右の利用は年額二億ドルを限度とするも、米大統領の承認ありたる場合は此の限にあらざるものとする。 9 日米折半出資し計五億ドルの資金を設定し円ドル為替の安定に資するものとする。 10 在米日本資金に対する規制を廃止する。 11 日本及び近隣諸国との摩擦の原因を排除し、且つ、世界の諸原料物資を日本が使用するにつき、今日米英両国が享受しあると同様の条件により得ることを保障するため努力する。 B、日本政府は、自分の側から、左記の実行を提案するものである。 1 中国(一九三一年の領域)印度支那及び泰国から陸海空軍及び警察力を撤収する。 2 中国に在る国民政府以外の如何なる政権に対する援助 −軍事的、政治的若しくは経済的−も、之を廃止する。 3 現に中国に流通しある軍票、円及び同系紙幣は全て之を円貨に交換するものとする。但し、交換レートは中国、日本、英国及び米国の財務当局間において合意せるところによる。 4 在華治外法権は全て之を廃止する。 5 中国に対し年利二%を以て十億円の借款を提供し同国の再建を援助するものとする。 6 満洲に於いては、警察力として必要なる少数の師団を除き、日本軍全兵力を撤収する。但し、右は、ソ連がその極東地区より、前記在満残置兵力に対応するものを除き、全ての兵力を撤収する場合に限り之を実施するものとする。 7 現在の戦争資材生産量の四分の三を限度として之を米国に売渡す。右には米国側の選択に基き海軍艦船、航空機その他軍用品輸送船及び商船を含むものとし、価格は原価プラス二〇%を基準とするものとする。 8 ドイツ人技術者、軍職員及び宣伝員を退去させる。(P186) 9 日本帝国全域に於いて米国及び中国に対して最恵国待遇を許与する。 10 米国、中国、英帝国、蘭領印度(及び此島)との間に十年間不可侵条約を議するものとする。 C 米国は、今日の不安定なる米日関係の持続を許し得ず、且つ、今こそ断乎たる措置が必要なりと考えるものであるから、米国は両国間の困難につき寛大且つ平和的解決を期せんが為一定の期限を付して上記の提案を行なうものとする。 若し日本政府にして右期間内に右提案の諸条件に対し少くも原則的同意を示さない場合には、今日の日本政府が之等困難を解決するに付き右と異りて平和的ならざる手段を選ぶものにして且つ征服計画の実施に踏切るぺき好機を待っているものだということを意味するだけである。(P187) (みすず書房『現代史資料(34) 太平洋戦争(一)』所収) |
モーゲンソー試案 四、前記協定の日本及び米国にとっての利点 両国政府にとっての利点は、左記の通りである。 A 米国にとって 1 日本が、前述条件下の平和解決提案を拒否したる場合に於いては、米国にとり、如何なる事態を予期すべきか一そう明瞭となるぺく、依って如何に国策を形成すべきかに付さらに明らかとなるであろう。 2 我太平洋艦隊を他地域に於ける任務に振向けることにより、我海軍力は大いに増強されることになる。 3 東洋よりの攻撃に対する脆弱性を増すことなく英ソ両国に対する資材供給を増大せしむることが出来る。 4 中国に於ける戦争を停止し中国の自由を回復することになる。 5 戦後貿易の大巾増大に至る路線を敷設することになろう。 6 ドイツに対する連合国の地位を飛躍的に強化することになろう。 7 我国自身、対日戦争を回避できる。 8 本案に伴って必要とする資金は、対日戦争を必要とせず若しくは両洋戦争に備える必要がなくなったために節約できる資金に比較し、極めて少額に過ぎないであろう。 9 日本及び中国の繁栄は、我国の正常な貿易を維持するのに大いに役立つものであり、我国の平時経済への転換を容易ならしめるものである。 10 極東よりする我国への錫、アンチモニー、桐油及びゴムの供給増大を保障できよう。 11 軍事行動面に於いてドイツにハンディキャップを負わしめ、依って同時に、英ソ両国民の士気を大いに鼓舞するに至るであろう。 12 最後に、今回"二正面″から受ける海上の脅威を懸念している陸海軍首脳部は、英ソ援助に全力を傾注できよう。現政府の外交政策に反対すべき理由は極めて少ない筈である。 B 日本にとって 1 一そう深刻な戦争及び終局に於ける敗北に直面するに非ずして、直ちに平和を確保することができる。 2 直ちに戦時経済より平時経済に移行でき、同時に、深刻なる破たんに非らずして繁栄を経験できる。(P187) 3 "面子″を失うことなく中国より撤兵することができる。 4 その通貨を強化し且つその政府負債を減少せしめることができる。 5 その対外貿易は飛躍的に増大するだろう。 6 他の諸国が戦争遂行若しくは戦争準備に忙殺されている時期に、日本は、その勢力及び資本を、日本の再建、満洲の建設、及び新しい貿易の伸張に充当することができる。 7 国際関係に於ける最も困難な問題の若干を一挙に解決するに至るだろう。 8 戦争努力が拡大且つ長期化した後の日本に発生すべき社会的崩壊を回避することとなろう。(P188) (みすず書房『現代史資料(34) 太平洋戦争(一)』所収) |
モーゲンソー試案 ここに提案した諸譲歩中に含まれている一個の危険は、本提案が若し日本に依り同意された場合、日本に対し、一つの息つく暇を与え、日本はその間に軍事的及び経済的潜在実力を飛躍的に強化し得ぺきことである。 かかる場合には、一年ないし二年後に日本は我国に対し現在以上に強大な脅威となるの惧れなしとは言えない。 然れども、左の如き要素は右の可能性を否定せんとするものである。 一 多くの原料物資の不足のため、来年度、米国が可能とする程には海空軍を拡張できないだろう。−特に、我国が同国の現兵器生産量の八〇パーセントを購入し得るとの条項が協定中にあるから、なおさらである。 二 来るべき二ヵ年は我国にとり重大である。若し、現に日本の脅威の為極東に拘束されているソ連、英国及び米国の兵力を解放することが出来れば、我等は、航空機、戦車及び船舶の年間総生産数量を充当して可能となる以上に、英ソ両国の対独戦力を強化するに至るであろう。 三 日本国民は"支那事変″の解決及び大国との戦争の脅威の消滅により大いに救われることとなるぺく、且つ、経済的圧迫の停止及び真の繁栄の出現により大いに幸福となるであろう。依って如何なる軍閥も、向う数年間に亘って重大な紛争を掻き立て続け得るとは考え難い。 総じて、日本がその地位を強化し数年内に好戦的な侵略者として世界の舞台に再登場するという可能性は極めて薄弱なりと見受けられる・・・ドイツが敗北するものとして。 決定的なる提案を行なう前には、勿論、議会の承認を得ることが必要であろう。然し、両当事国指導者間の予備的秘密会談を通じ、及び適当なる委員会に依って、交渉促進を可能ならしめんが為の素地を早急に準備することができよう。 かくて提案全文を一、二週間内に日本政府に提示することも可能であろう。日本国民を含み、世界は、我提案の動機及び意味を知るに至るであろう。若し日本政府がこれに同意しない場合には、少なくとも、(1)我国自体の政策を明示し、及び大統領に対する支持を結集するに至り、(2)日本国内に重大なる分裂を生ずるという大なる利点を生ずることとなろう。 若し日本政府が、試験的にせよ原則に於いて同意の意向を示した場合、大統領は直ちに会議をワシントンに招集し、中国、英国、ソ連、及び出来うれば蘭領東印度及び此島の各代表の出席を求むることが出来る。(P188-P189) 日米両国により主要なる譲歩が全て行なわれる見込みであるの故に、他の諸政府の会議参加も複雑なる折衝を要することはないであろう。 以上提案した相互譲歩の計画は、一定の重要なる譲歩が残りなく実施された場合に於てのみ成功し得るものである。若し、かかる譲歩が行なわれる時は太平洋の平和は達成せられることになろう。 之に反し、右の譲歩が行なわれない場合に於いては、結果は"アピーズメント″となる惧れがある。かくては戦争の脅威は回避せられないこととなろう。 而してドイツの敗北を招くに有利な条件によって問題を解決するの絶好の機会は失なわれることになろう。 日本より獲得すべき最少限度の譲歩は、アジア大陸よりの軍隊撤収及びその武器生産の大部分を我国に販売することである。 我等にして若し右を獲得できぬ場合は、日本が他日侵略行動に都合良き時期に再び侵略を行ない得るまで国力を強化するのを許しながら、我等は東洋所在連合国兵力にとり何らの利点をも獲得できぬことになるだろう。 最少限度の目的は米、英及びソ連軍兵力を太平洋方面に拘束されないようにすることが必要である。 (みすず書房『現代史資料(34) 太平洋戦争(一)』所収) |
(2012.4.30)
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