『杉山メモ』より


 1941年11月1日大本営政府連絡会議は、日本が事実上の開戦決意を行った会議でした。

 会議の具体的な進行については、杉山元参謀総長の「メモ」が有名で、『参謀本部編 杉山メモ』として公刊されています。

 こちらでは、『杉山メモ』のうち、11月1日連絡会議の項を紹介します。


『杉山メモ』(上)

十一月一日(土)午前七時半より約一時間
東条陸相と杉山総長との会談要旨


東条

一 本日は結論として

第一案 戦争せず、臥薪嘗胆す
第二案 直に開戦を決意して作戦準備をぐんぐん進め、外交を従とするもの
第三案 戦争決意の下に作戦準備をすすめるが外交交渉はあの最小限度にて之を進める(P370-P371)

の三案に就て研究するが総理としては第三案を採り度いと思ふ(P371)

(以下略)




『杉山メモ』(上)

十一月一日自午前九時
十一月二日至午前一時半
第六十六回連絡会議


国策遂行要領再検討の件

 結論を得べき最終会議にして十七時間連続し一日深更二日午前一時半に及べり

 判決を得る前に、物資特に鉄に関し海軍より海軍の分として多量の配分を要望せり(P372)

(略)

四 結論に就て

(イ)第一案の(戦争やらぬ案)

賀屋 此儘戦争せずに推移し三年後に米艦隊が攻勢をとって来る場合海軍として戦争に勝算ありや、否やを再三質問せり

永野 それは不明なり

賀屋 米艦隊が進攻して来るか来ぬか

永野 不明だ、五分五分と思へ

賀屋 来ぬと思ふ、来た場合に海の上の戦争は勝つかどうか。(まさか負けるとは統帥部に聞く訳にゆかぬ)

永野 今戦争やらずに三年後にやるよりも今やって三年後の状態を考へると今やる方が戦争はやりやすいと言へる、それは必要な地盤がとってあるからだ

賀屋 勝算が戦争第三年にあるのなら戦争やるのも宜しいが永野の説明によれば此点は不明瞭だ、然も自分は米が戦争をしかけて来る公算は少いと判断するから結論として今戦争するのが良いとは思はぬ

東郷 私も米艦隊が攻勢に来るとは思はぬ、今戦争する必要はないと思ふ

永野 「来らざるを恃む勿れ」と言ふこともある。先は不明、安心は出来ぬ、三年たてば南の防備が強くなる敵艦も増える

賀屋 然らば何時戦争したら勝てるか

永野 今! 戦機はあとには来ぬ(強き語調にて)

鈴木 賀屋は物の観点から不安をもって居り戦争やれば十六、十七年は物的に不利の様に考へてる様だが心配はない 十八年には物の関係は戦争した方がよくなる、 一方統帥部の戦略関係は時日を経過せばだんだん悪くなると言ふのだから此際戦争した方がよいこととなる(と再度賀屋東郷の説得に努めた)

賀屋 未だ疑あり(とて第一案に対する質問を打切る)


(ロ)第二案に就て

 参謀本部の別紙原案に就て詳細説明す
 之に対しては反論なし

賀屋東郷 只左様に決心する前に二千六百年の青史をもつ皇国の一大転機で国運を賭するものだから何とか最後の交渉をやる様にし度い 外交を誤魔化してやれと言ふのは余りひどい、乃公には出来ぬ(P373-P374)

次長 先づ以て決するべきものは今後の問題の重点たる「開戦を直に決意す」「戦争発起を十二月初頭とす」の二つを定めなければ統帥部としては何も出来ぬ 外交などは右が定まってから研究して貰い度い、外交やるとしても右を先づ定めよ

伊藤 (此時突如として)海軍としては十一月二十日まで外交をやっても良い

塚田 陸軍としては十一月十三日迄はよろしいがそれ以上は困る

東郷 外交に期日を必要とす 外相として出来さうな見込が無ければ外交はやれぬ 期日も条件もそれで外交が成功の見込がなければ外交はやれぬ 而して戦争は当然やめねばならぬ(此くして東郷は時々非戦現状維持を言ふ)

右の如くにて外交の期日条件等を議論する必要生じ総理は第三案(戦争外交二本立)を併せ討議することを提議せり


(ハ)第三案(第二案と共に研究す)

塚田 参本原案を繰り返し述べ「外交は作戦を妨害せざること、外交の情況に左右せられ期日を変更せぬこと 其期日は十一月十三日なること」を主張す

而して此期日十一月十三日が大いに問題となれり

東郷 十一月十三日は余り酷いではないか、海軍は十一月二十日と言ふではないか

塚田 作戦準備が作戦行動其ものだ 飛行機や水上水中艦船等は衝突を起すぞ
    従て外交打切りの時機は此作戦準備の中で殆んど作戦行動と見做すべき活発なる準備の前日迄なるを要す 之が十一月十三日なのだ

永野 小衝突は局部的衝突で戦争ではない

総理外務 外交と作戦と並行してやるのであるから外交が成功したら戦争発起を止めることを請合ってくれねば困る

塚田 それは不可なり 十一月十三日迄なればよろしいが其以降は統帥を紊す(P374-P375)

杉山永野 之は統帥を危くするものだ

島田 (伊藤次長に向ひ)発起の二昼夜位前迄は佳いだらう

塚田 だまって居て下さい そんなことは駄目です
    外相の所要期日とは何日か

右の如くして外交打切りの日が大激論となり二十分間休憩することとなる

茲に於て田中第一部長を招致し総長次長第一部長に於て研究し「五日前迄はよろしかるべし」と結論せられ之に依り「十一月三十日迄は外交を行ふも可」と参本としては決定し再開す

此間海軍令部も同様第一部長を招致し協議せり 再開す

総理 十二月一日にはならぬか、一日でもよいから永く外交をやらせることは出来ぬか

塚田 絶対にいけない 十一月三十日以上は絶対いかん、いかん

島田 塚田君、十一月三十日は何時迄だ 夜十二時迄は良いだらう

塚田 夜十二時迄はよろしい

右の如くして十二月一日零時(東京時間)と決す

以上の如くして

(イ)戦争を決意す
(ロ)戦争発起は十二月初頭とす
(ハ)外交は十二月一日零時迄とし之迄に外交成功せば戦争発起を中止す


に関しては決定を見たり



次に外交条件に付討議す

外務省提案の甲案、乙案に付研究することとなる 甲案は従来の対米交渉案を若干減したるもの(再検討による)なり 乙案は南方のみに限定せる案にして 外務省原案(別紙)たる乙案は第一項第二項第三項は単に「資金凍結解除」のみ 第四項(支那関係)なし
備考一、二、なり

総長次長 乙案は支那問題に触るることなく仏印の兵を撤するものにして国防的見地から国をあやまることになる、仏印に兵を駐むることは、支那をして日本の思ふ様にならしめ、 南方に対しては之により五分五分に物をとることを可能ならしむ 又戦略態勢は対米政策上又支那事変解決上之により強くなるのだ、米と約束しても物をくれぬかも知れぬ、乙案には不同意、 又日次も少いから新案たる乙案でやるより甲案でやれ(P375-P376)

外務 自分は先づ従来の交渉のやり方がまずいから、条件の場面を狭くして南の方の事だけを片づけ支那の方は、日本自分でやる様にしたい、支那問題に米の口を容れさせることは不可也、 此見地からすれば従来の対米交渉は九ヶ国条約の復活を多分に包蔵してるもので、殊に不味いことをやったものだ、度々言ふ様に四原則の主義上同意など丸でなって居ない、 依て自分は乙案でやり度い、甲案は短時日に望みなしと思ふ、出来ぬものをやれと言はるるは困る

塚田 南部仏印の兵力を撤するは絶対に不可なり、(とて之に付繰返し反論す)乙案外務原案によれば支那の事には一言もふれず現状の儘なり 又南方から物をとることも仏印から兵を撤すれば完全に米の思ふ通りにならざるを得ずして何時でも米の妨害を受ける、 然も米の援蒋は中止せず 資金凍結解除だけでは通商ももとの通り殆んど出来ない、特に油は入って来ない。此様にして半年後ともなれば戦機は既に去って居る、帝国としては支那が思ふ様にならなければならない、 故に乙案は不可、甲案でやれ

以上の如く協議せられ第三項を「資金凍結前の通商状態を回復し且油の輸入を加ふる」如く改め又第四項を新に加へ「支那事変解決を妨害せず」とせるも南部仏印撤兵問題は解決せず

東郷 通商を改め又第四項に支那解決を妨害せずを加へ而も南仏撤兵を省く条件なれば外交は出来ぬ、之では駄目だ、外交はやれぬ、戦争はやらぬ方が宜し

塚田 だから甲案でやれ

永野 此案で外交やること結構だ

右の如く南仏より北仏に移駐すること及乙案不可なることに就ては総長次長は声を大にして東郷と激論し東郷は之に同意せず時に非戦を以て脅威しつつ自説を固辞し此儘議論を進むるときは東郷の退却即倒閣のおそれあり 武藤局長休憩を提議し十分間休む(P376-P377)

休憩間杉山、東郷(「ゆう」注 東條の誤記)、塚田、武藤別室に於て協議す

支那を条件に加へたる以上は乙案による外交は成立せずと判断せらる 南仏よりの移駐を拒否すれば外相の辞職即政変も考へざるべからず 若し然る場合次期内閣の性格は非戦の公算多かるべく又開戦決意迄に時日を要すべし  此際政変並時日遅延を緩さざるものあり」

更に右を要約せば
(イ)此審議を此上数日延することを許さず(統帥上十二月初旬は絶対也)
(ロ)倒閣を許さず(此結果非戦内閣出現し又検討に時日を要す)
(ハ)条件を緩和するや否や

(イ)(ロ)は許されず (ハ)を如何にすべきかが問題の鍵にして陸軍として已むなく折れて緩和するが、すべてがこわれてもかまわず同意するかを熟慮し其結果緩和に同意せざるを得ざることとなれり 然らざれば外務との意見不一致にて政変を予期せざるべからず  又非戦現状維持に後退せざるべからず

統帥部として参謀総長及次長は不精不精に之に同意せり(P377)

(2013.1.1)


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