信夫淳平 『戦時国際法提要』


※「序言」によれば、本書は、信夫淳平の代表作である『戦時国際法講義』があまりに膨大であることから、「一面には繁を削り、他面には同書刊行以後の新資料を補足し、・・・原『講義』の大凡十分の四程度に要約したもの」です。

 古本マーケットでは、上下巻合計で100,000円で売りに出ているのを見かけたことがあります。上巻だけですが、何と5,000円という廉価で売りに出ているのを発見し、早速購入しました(笑)。

 ただし現在では、「国会図書館」の「デジタル化資料」で全文閲覧可能です。

 以下は、私が関心を持った部分を書き写したものです。系統的に書き写したものでは全くありませんので、ご承知ください。

 なお本書は古い本ですのでスキャナーが使えず、すべて手写しにならざるをえませんでした。この程度でも大変な手間がかかっています。


<上>

第一編 戦時国際法の進化

第一章 三十年戦役以降の交戦法規

第一款 序説




 戦時国際法といふ殿宇の基礎たるものは人道主義で、之を支ふる柱梁は慣例及び条約である。

 国際の慣例とは、文明諸国が或行為を、それを適法のことと信じ、幾回か繰返へして行ふことに依りて自然に先例が累積するに至つたものである。

 或行為も一回だけでは慣例とならない。又不法のことと知りつつ横車を押したのでは他の諸国が承知せぬから、之を再三重ぬるも亦慣例を作為しない。

 故に慣例を構成するのには、同様の行為を文明諸国が繰返へして行ふの事実と、その行為を適法であると信じて繰返へすといふ信念との二条件が要る。

 国際法の淵源に関しては、ホヰートンは之を、(一)権威ある国際法学者の論説、(二)従前の国際法則を解釈し又は変更する所の講和、同盟、通商等の諸条約、(三)海戦行動及び捕獲審検の方針を規定する特定国の国内法規、(四)仲裁裁判廷、(五)国務書類、外交文書、竝に自国政府に上申せる法律官憲の機密意見書、(六)交戦、談判、講和条約、その他公約の国際関係の交渉の来歴、以上の六種に分類するが、

 オッペンハイムは、これ等は孰れも国際法の淵源の発達を助くる有力の原因たるには相違なきも、之を以て国際法の淵源と視るは、淵源と原因とを混同するものなりと為し、国際法の淵源としては一に慣例、二に条約、この二者の外に出でずと説く。

 畢竟は言葉争ひに過ぎざるべきも、理は蓋し後者に在らう。乃ち戦時国際法の淵源も、要は元と人道主義に発せる古来の交戦慣例と、之を或程度成典化せる国際条約とに求むべきである

 交戦慣例は十九世紀の後半以降頓みにその数を増し、漸次之を成典化せんとするのが大体の趨勢なるも、現在に於ける両者の割合から云へば、既成の条約は精々二三分位に止まり、未成典の慣例尚ほ七八分の比較的広域を占めて居る。(P4-P5)

(平時国際法にありては成典は十が一にも達せず、大部分は学者の机上法より一歩も外に出でない)。

国際法の成典化の是非及び能否に関しては其学者の間に議論なきにあらねど、仮に之を望ましとせば、将来識者の之に向つて努力すべきの余地尚ほ綽々として存ずるのである。(P6)



第二編 戦及び似戦行為

第二章 開戦

第三款 開戦の齎す直接の影響

第三項 敵性の発生(その一、敵人)


二一九

 敵なる語は、古来時代に依り種々その観念を異にする。

 往昔にありては、交戦国は啻(ただ)に対手の国家そのものを敵としたるのみならず、その国家所属の個人をも悉く敵とした。故に戦は国家間の武力的対抗の行為若くは状態でありしのみならず、同時に交戦国の個人相互間のそれであった。(P238-P239)

 この観念及び慣行の下にありては、交戦者とは啻に武器を手にする戦闘員及び非戦闘員のみならず、全然戦闘に与らざる老幼婦女までをも之に擁し、之を殺害するも妨げずと為された。

 時運の進歩は加害の範囲及び程度に何程か斟酌を加ふるあるに至りしも、理に於ては人々爾く認めて怪まなかった。

 十八世紀の後半、追て陸戦篇に於て述ぶるルウソウの個人非敵説が一世を風靡するに及び、欧大陸に於ては戦とは単に国家間の関係のみと見る風になりしも、英米にありては戦を国家と国家との関係に止まらず、同時に国家を構成する国民彼等自身との関係なりと解し、今にこの見解より離れない。

 ただ均しく之に敵性を認むるにしても、戦闘員と非戦闘員とにて加害の範囲及び程度を相異にし、故意に且直接には後者を加害の目的とせざるに於て、そこに文明の進歩を認むべきである。

 尚ほこのことは追て交戦者及び非戦闘員を解説する所に至りて細述する。(P239)



第三編 陸戦

第二章 交戦者

第二款 正規兵及び不正規兵

第三項 私服狙撃者(便衣隊)



三五七

 民衆軍は古来何れの戦にありても、多くはゲリラの名に於て、大小の程度に之を見ざるはないが(ゲリラも統制あり且公然の動作を取らば民衆軍となり、否らざれば次に述ぶる便衣隊となる)、最も大規模に之を使用したのは普仏戦役に於ける仏国側であった。

 されば同戦役終ってから三年のブルッセル会議に於ては、民衆軍の地位如何は自然重要なる一問題となった。

 元来民衆軍に関しては、徴兵制を有する大陸軍国は交戦者を正規兵に限らしめ、敵国の民衆軍を交戦者と認めざらんと欲するが、之に反し徴兵制を有せざる国は民衆軍に依りて国土を防護せんと欲する所から、自然その利害を相異にする。

 この利害の相異は、一方には主として独露、他方は英、西、白、蘭、瑞西等の対立に於て現はれた。

 その討議の経緯は煩を避けて今略し、その際仏国代表は別に『敵軍の侵入掠奪に対し各人その家を防護するは当然の権利で、之を非交戦者として遇するは当らず。』と論じ、『自国の防護のために武器を執り、交戦の法規慣例を遵守して行動するものは之を交戦者と認め、捕へたる場合には俘虜として取扱ふべし。』との案を提出したが、妥協を得ず、結局民衆軍に関しては、同会議の宣言第十条として『未だ占領せられざる地方の住民にして敵の来襲に際し第九条[これは海牙陸戦法規慣例規則第一条の「部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること」の一節を除く外大体同条と同一である]に依り軍の編制を為すに遑なく、自然に兵器を取りて侵入軍に抗敵する者にして交戦の法規慣例を遵守するに於ては之を交戦者と看做すべし。』の案文が採択せられた。(P389-P390)

 それにしても、之を独り未占領地に限らしめ、一たび占領地となった以上は民衆軍を目するに交戦上の無資格者を以てするの規定は、強大国の不当の侵入を誘ふに利あらしむるものなりとの感が小国側に強く存した。

 ブルッセル宣言案の遂に高閣に束ねられたのは、一はこの理由にあったのである。(P390)




三五九

 民衆軍には民兵又は義勇兵団の交戦者として認めらるるに必要なる四条件中の(一)部下のために責任を負ふ者がその頭に在ること、及び(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有することの条件は之を要せず、ただ(三)の公然兵器を携帯すること、及び(四)の交戦法規慣例を遵守することの二条件さへ具備すれば、以て之に交戦者たるの資格を認むるのである。

 蓋し敵兵が眼前に近寄る場合に於て、その土地の民衆が自発的に兵器を執りて防戦するのは、畢竟自国のため将た自郷のための人情自然の発露であるから、民兵及び義勇兵団に必要なる第一及び第二の条件を併せて具備せざるの故を以て、交戦者として遇せずして之を戦律犯に問ふのは、人情に戻るや大なりといふ思想に出でたものである。

 第一次大戦の初め、独軍の白耳義に侵入するや、独逸司令官は『住民(未だ独軍の占領権力の下に置れざる地方の住民をも含むものと解された)の無節制の激情に対し独逸軍隊を保護するため、凡そ識認し得べき或徽章固着の制服を着せずして戦闘に参加し又は独逸の通信線に妨害を与ふる者は之を自由狙撃隊として取扱ひ、即座に銃殺すべし。』と布告して民衆軍の蜂起を戒めた。

 この布告は、未占領地にありては右の(三)及び(四)の条件を具備する限り適法の交戦者と認むべき民衆軍をも非認したもので、即ち海牙条約に悖戻(はいれい)する違法の布告たるを免れなかった。

 けれども白耳義官憲は、強て逆らへば独軍より報復を受け、捕へらるれば戦律犯に問はるべきを慮り、乃ち独軍の未占領地に於ける適法の民衆軍の編制を許さざることにし、既に編制したるものは之を解隊せしめたとある。(P391-P392)

 尚ほ第二条にある『自ら』とは自発的で、即ち敢て特に政府の命令あるを俟たずの義である。

 又『占領せられざる地方』の『地方』は原語territoire(territory)で、localiteではない。即ち或都市とか村落とか別箇に見ず、都市村落等を包括的に見たる当該地方である。

 若し都、市、村落等を別箇的に見ると、その各場所は各その敵の接近するまで兵器を採って起つこと能はざることになるが、本条に於て特にLocaliteの文字を用ひないでterritoireとしたのは、要するに或都邑に敵が接近し来ったならば、同じ地方に属する附近の市なり村落なりの人民が民衆軍を組織し、而してそれが公然兵器を携帯し且交戦法規慣例を遵守するに於ては、通じて之を交戦者と看做すの意である。

 『公然兵器を携帯し』の『公然』は、ブルッセル宣言案(第十条)にも第一回海牙平和会議議定の旧陸戦法規慣例規則にも無かった語であるが、ピストルや仕込杖の携帯位では以てその資格を認め難しとの意を明かにするため、第二回の同会議に於て独逸代表の主張に由り新にこの語を加へたのである。(P392)


三六一

 民衆軍は未占領地に於てもそうであらうが、殊に既占領地に於ては、起って占領軍を撃攘し得れば謂ゆる勝てば官軍で、敵軍の占領も自然終焉となる訳であるが、負くれば占領軍に於て容赦する筈なく、目するに適法の交戦者を以てせずして、之を戦律犯に問ふは必然なるべく、又それが当然でもあらう。

 第一回海牙平和会議に於て交戦者の資格問題の討議の際、英国専門委員は第一条及び第二条の補足として

『本章中の何等規定と雖も、之を以て被侵入国の人民が侵入者に対し一切の適法手段に依りて最有力なる愛国的抵抗を為すの義務を尽すの権利を制限せられ又は廃棄せられたるものと看做すことを得ず。』

の一条項を加へんと提議したるに、独逸専門委員は

『防衛上の絶対自由性を宣言する本案の如きに向っては予は一歩も譲歩するを欲せず』

と強硬に反対したので、英国側にては、前に記したる陸戦法規慣例条約の前文中に於ける宣言、即ち本協定漏れの事項は国際法の原則に依りて保護せらるべきこと、竝に第一条及び第二条は殊に右の趣旨にて解釈すべきことの声明ある以上は、自分の趣旨は或程度に達成せらるべしと云ひ、右の提案を撤回した。

 隋って既占領地に於ける民衆軍の資格に関しては、陸戦法規慣例規則の条文と離れ、別に国際法の一般原則に照して是非を批判すべきことになったのである。

 けれども、然らば国際法の原則に照しその当否如何といふことになると、現に第一回海牙会議の討議に於て英独の見解に逕庭(けいてい)ありしこと右の如くでありしに顧み、言って居の原則を立つることは依然困難であらう。

(このも問題は一九一一年の伊土戦役の際、伊軍に反攻せるトリポリ民衆軍に対し伊軍の執りたる手厳しき弾圧振りに就ても当否の論が起った)(P394-P395)

 然しながら占領軍は、自軍の安全と管下地方の安寧を保持するに必要なる措置を執るの権能を有するし、又占領地住民は占領軍の節度に服従すべき義務あるものであるから、占領地内に於ける敵対行為者には交戦者たるの特権を認むべき理由は無く、隋って斯かる輩は不逞の徒として之を戦律犯に問ふに妨げなかるべきに鑑み、既占領地に於ては民衆軍なるものを認めざるのが合理的であらう

 斯の如く民衆軍は既に敵軍の占領地となれる所に於ては適法の交戦者と認められざるのみならず、条文に『敵の接近するに当り』とある所から推し、未だ完全に占領地となるに至らずして単に敵軍の侵入地たる所にありても、民衆軍は認められず、その認めらるるのは敵軍の接近するといふ程度の所に於てのみに限らるるのである。

 隋って占領地に於ては勿論、敵軍の既に侵入したる所に於ては、彼等の敵対行為は当然戦律犯に問はれ、敵手に落つれば俘虜とせられずして直ちに殺害せらるべきものとなる。(P395)


三六二

 交戦に従事するを得るものは交戦者たるの資格ある者、即ち前述の正規兵、及び特定条件を具備する民兵、義勇兵団、竝に民衆軍に限らるるのであるから、その資格を有せざる常人は敵兵殺傷その他敵対行為を行ふの権なく、その権なくして之を行へば、敵軍に捕へられた場合は俘虜として取扱はれず、戦律罪として重刑に処せらるべく、自国法廷の審理の下に立つ場合には当該法律に依り処断せらるる。(P395)

 米国の一八六三年の陸戦訓令には、第八十二条に『職権を有するに非ず、組織ある敵軍の一部を成すに非ず、又継続的に従事するに非ずして間隔的に自家に戻り家業に従事し、兵たるの性質又は外形を脱して平和的業務者の態様を時に装ふが如き、凡そ斯かる人又は隊伍にして、その戦闘たると破壊又は掠奪のためにする侵害たると、その他何等種類の寇擾たるとを問はず、敵対行為に出づる者は公敵と認めず、隋つて之を捕へたるときは俘虜の特権を享有せしめずして、一括的に山賊又は海賊を以て之に擬すべし。』とあるが、他の諸国の国内法規にも同様の規定を有するものが二三ある。(P395-P396)


三六三

 交戦者たるの資格を認められざる常人にして自発的に、又は他の示唆を受け、敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者を近時多くは便衣隊と称する。

 彼等は専ら私服を着し(便衣は制服に対する私服を意味する)、凶器は深く之をポケット内に蔽し、一見無害の常人を装ふて出没し、機を狙つて主として敵兵を狙撃するもので、その行動には多くは隊伍を組まず、概ね個々に潜行的に蠢動するものであるから、隊の字聊か妥当を欠くの嫌あり、私服狙撃者と称するを当れりとすべきが、便衣隊の語は簡であり、且昭和七年の上海事変当時より邦人の耳に慣れても居るし、且彼等の仲間には自ら一系脈の連絡ありて、自ら一種の隊伍を組めるものと見れば見られぬでもない。

 故にこの点からして、便衣隊と称することが必しも不当ではあるまい。

 以下便宜この語襲用する。(P396)


三六四

 便衣隊の活躍は、近代にありては普仏、南阿、米西の各戦役、孰れもその例があつた。殊に之を最も盛に活躍せしめたのは普仏戦役に於ける仏軍であつた。(P396)

 その便衣隊は前線にも多少は出没したが、主たる活動は独軍占領地にありて電線鉄道等を破壊し、守備兵を狙撃し、兵站連絡を妨ぐる等、専ら後方撹乱にあつた。(P396-P397)

 独軍の占領地域と言へば、普仏両軍の間に休戦の成れる頃には、仏国領土の約三分の一に亙り、その中の歩兵約十万、騎兵約五千七百が専ら占領地守備兵として兵站線その他後方の警備に当つたものである。

 仏国領土の三分の一といへば約十八万四千平方粁となるが、この広域に対し歩騎合して約十五万では、一平方粁を守備するに平均一名弱の割合であるから、便衣隊が後方を撹乱するは格別六ヶしくなかつたであらう。

 故に便衣隊に依る独逸占領軍の被害相当に大なりしは想像すべく、ただ占領軍は之に臨むに最重刑を以てし、殊に犯人を出したる都市村落には連坐的に苛重の罰金を課し、又は之を焼払ひ、住民には一切武器の所有を禁じ、武器を手にする常人を見れば直ちに容赦なく銃殺する高圧手段に出でたので、都邑自身も管内より便衣隊を出しては大損といふことに気付き、自然進んで之を抑止するやうになり、是と共に便衣隊の出没も漸次衰ふるに至つた。(P397)


三六五

 日露戦役に於ても、その末期に皇軍がサハリンを占領したる折、ウラヂミロフカ邑には制服を纏はず、指揮者もなく、普通の村民と識別し難き輩が村民の間に伍し、或は猟銃やピストルにて我兵を狙撃し、或は槍や斧を手にして山野に待伏せするなど、まさに露国式の鷹揚な便衣隊があつた。

 我軍の之を捕へたるもの百六十を算し、中にありて情状の重きもの約百二十名は、交戦法則の許さざる、即ち交戦者たるの資格なきに敢て交戦行動を執りて我軍に敵抗てたとの理由の下に、軍事法廷に於て之を銃殺の刑に処した。(P397)

 しかも日露戦役の初期の於て露軍に捕へられて壮烈な最後を遂げたる我が横川、沖の両志士も、その性質に於ては、やはり便衣隊であつたのである。勿論両志士の行動は憂国の至情赤誠に出でたる真に敬服すべきもので、専ら金銭で働く日傭の支那式便衣隊とは発端に於て雲泥の差あること論を俟たぬが、法的性質に於ては均しくこれ便衣隊たるを失はない。

 露軍の両志士を銃殺に処したのは間諜と認めたが故と記せる文書もあるが、これは誤つた見方である。当時露軍にして果して爾く判断したものとせば、そは誤断である。

 間諜の一条件−最も主要の条件−は情報蒐集、敵情視察にある。然るに両志士の目的は鉄道破壊にあつた。敵情をも偵察する考も或は有つたであらうが、そは副たる任務で、主たる使命ではなかつた。

 鉄道破壊は敵対行為の一種で、それを交戦者たる資格なき者が行へば便衣隊を以て論じ、戦律犯に問ふて概ね銃殺に処する。両志士の千古に伝はる忠烈義勇は別とし、その行動を法的に観れば、間諜ではなくして便衣隊たるものである(P398)


三六六

 近代にありて最もうるさい便衣隊の出没を見たのは、昭和七年の上海事変の際であつた。この事変の勃発したる当時、我が海軍陸戦隊の歩哨兵、通行兵、その他在留邦人にして支那便衣隊のために不測の危害を受けた者は少なからずあつた。

彼等の中には学生あり、労働者あり、将た正規兵の変装せる者もありて、その或者は当時主として皇軍に対抗せる支那十九路軍の指揮を直接に受け、或はその傍系に属し、或は軍外の特定団体の使嗾の下に行動するが如く、その系統は一様ではなかつた。

 降つて支那事変にありても、上海方面には当初は便衣隊の出没は相当にあつたが、前回の事変の時ほど甚しくはなかつたやうである。(P398)

 然るに支那軍の敗績に敗績を重ぬるに及び、蒋政権は潜に、いや寧ろ公々然と、ゲリラ戦術に依りて後方撹乱に大に努力すべき命を下した。(P398-P399)

 されば我が占領地域内殊に中支各地にありては、昼は尋常の農夫や労働者を装ふ輩が夜は銃を手にして皇軍の比較的手薄の方面に襲撃を試むること屡々あり、その一部は上海の租界内に巣を構へ、我が軍人及び常人、将た支那新政権の要人に或は短銃を放ち、或は手榴弾を投ずるの凶挙を演じたること頻々報道せられた所である。(P399)


三六七

 支那事変と略々時を同じうし、西班牙の内乱戦に於ても便衣隊の活動は相応に伝へられた。

 殊に同内乱の二週年を迎へたる一九三八年の七月、共和軍の政治委員長ヘルナンデスは、ヴァレンシアより管下の民衆に訴へたるラジオ放送に於て『フランコ軍の当市への進軍は重大なる脅威を当市に与へつつある。我が民衆は、その鋤を田野に操る者たると工場に働く者たるとを問はず、悉く兵たるの心得を有すべし。今日は最早や従来の意義に於ける常人たるものは存在しない。男女老幼共に悉く銃を手にして護国の任に当るを要す。』と力説した。

 これは管下に謂ゆる民衆軍の蜂起を促す勧告であつたか、将た民衆を挙げて便衣隊たらしむる命令であつたか詳ならざるも、蓋し後者の意味であつたかと読まれる。

 この命令が如何なる程度に実現せられたかは承知せぬが、要するに何れの国も戦局不利とならば、兎角に力を便衣隊に求むるやうになるものと見える。(P399)


三六八

 要するに便衣隊の出没は、古来累次の職を通じ戦場附近又は後方地域に殆ど之を見ざるはなく、別して都市その他重要地方が侵入軍に奪はれ、戦局悲運を告げ、殊に正当政府が敗竄し事実的に崩潰するに至ると、残兵は侵入軍の後方に出没して余喘を謂ゆるゲリラ戦術の上に示すこと珍しくない。(P399-P400)

 必しも正当政府が崩潰した後とは限らず、優勢の侵入軍に対し劣勢の国防軍は便衣隊を使嗾して橋梁鉄道等の破壊、兵站線の襲撃、その他凡ゆる後方撹乱の挙に出でしむること屡々ある。

 便衣隊なるものは大体斯の如きもので、概言するに、即ち前に述べた横川沖両志士の如き真箇に憂国の至情に出でたるものは別とし、その性質に於ては間諜よりも遥に悪い(勿論中には間諜兼業のもある)。

 間諜は戦時国際法の毫も禁ずるものではなく、その容認する所の適法行為である。ただ間諜は被探国の作戦上に有害の影響を与ふるものであるから、作戦上の利益の防衛手段として戦律犯を以て之を論ずるの権を逮捕国に認めてあるといふに止まる。

 然るに便衣隊は、交戦者たるの資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから、明かに交戦法則違反である。その現行犯者は突如危害を我に加ふる賊に擬し、正当防衛として直ちに之を殺害し、又は捕へて之を戦律犯に問ふこと固より妨げない。(P400)





第三款 俘虜

第三項 俘虜の取扱の基本的原則


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

三八七

 俘虜は人道を以て取扱はるべきこと前述の如くであるが、俘虜にして対戦国の権内に陥る直前に戦律犯、殊に非人道的の重大なるそれを故意に敢てした者、例へば軍事的の行動又は施設に無関係の学校病院等その他一般常人、別して老幼学童輩に故意に爆撃を行つたことの証拠歴然たりし者の如きは別論である

 俘虜の人道的待遇は、元々交戦の法規慣例の認むる適法の戦闘行為の末に力尽きて已むなく対戦国の権内に陥つたことの同情的念慮に発したる法則であるから、反対にその違法、殊に暴虐性の非人道的行為を演じた末に俘虜となった者に対しては、対戦国は之に人道的待遇の恩典を享有せしむべき限りに在らざるは論を俟たずで、当然その情状に適応する処断を加ふるに妨げない。

 昭和十七年四月十八日、我が帝都に空襲を行へる米機の乗員に対し、帝国軍憲の加へたる厳罰の如き、この哩に照し明かに適法処分で、寸毫(すんごう)の異議を挟み得べき余地は無い。(P426-P427)

 当時米国側では、帝国軍憲の行へる処分を以て一九二九年の俘虜待遇條約の違反なりとして呟ジュする声も聞えたが、仮に我国は該條約の拘束を受くるものとしても、該條約には斯かる俘虜に対しても尚ほ且厳罰を遠慮すべしと命ずる条項は一も無きに於て、之を援用して我が処置を非難する如きは全然見当違ひである。(P427)

※「ゆう」注 この項、「日本の立場」の正当化のため、かなり無理をしている感あり。


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

三八八

 之を取扱ふに人道主義を以てすべしといふ俘虜は専ら敵の本国の将兵(及び敵軍参加の中立人)のそれに限られ、自国軍の脱走兵が敵軍に加担し、それが自国軍に捕へられたる場合には、俘虜の待遇が与へらるべき限りに在らざること勿論である。

 これ等は当然軍規に問はれ、厳罰―概ね銃殺―に処せられる。帝国陸軍刑法第七十七条(及び海軍刑法第七十六条)に『敵に奔りたる者は死刑又は無期の懲役若は禁固に処す』おあるが、同様の規定は何れの国の軍事刑法にも概ね之を見ざるはない。(P427)



第四項 俘虜の収容及び自由拘束の範囲

信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

四〇二

 俘虜の逃走に関しては、元来俘虜が逃走を企つるのは自国軍の戦闘力を増加せんがためで、同じく祖国への忠勤の一発露とも見得るものであるから、逃走は必しも犯罪を以て目すべきものでない

 或は逃走は俘虜として機会さへあらば当然試むべき一の義務なりと説く者もある。

 英国の陸戦法規にも『敵国の俘虜となりたる将校又は士卒にして陛下の軍務に復帰し得るの機会あるに拘らず復帰せざりし場合には之を懲役に処す。』との規定すらある(第五条第三項)。

 曩に述べたる万国国際法協会の一九二一年の海牙大会に於て俘虜取扱規則案の討議の再、西班牙の赤十字社の代表は『俘虜が逃走せんと企つるのは、啻(ただ)に彼の権利であるのみならず一の義務で、随つて論理上犯罪でも過失でもないと吾等は見る。故に俘虜がその義務たることを企図したことに対し之を懲罰するが如きは勿論、叱責を加ふることすら吾等は正義の名に於て承認し難い。』と論じた。(P442)

 逃走を義務といふは聊か言ひ過ぎたものならんが、少なくも俘虜たる者の自然の情とは云ひ得られる。

 けれども如何にそれが自然の情とはいへ、収容国から見れば、俘虜の逃走して再び本国の兵力に加はるの機会を之に与ふることになる。逃走を企図する俘虜をして之を遂行せしめたのでは、収容国はそれだけ敵の戦闘力を増さしむることになる。

 それでは作戦上不利となるから、之をしてその目的を達する前に捕へて之を懲罰に附するは当然である

 故を以て陸戦法規慣例規則には第八條に於て『逃走したる俘虜にし其の軍に達する前、又は之を捕へたる軍の占領したる地域を離るるに先ち、再び捕へられたる者は懲罰に付せらるべし。俘虜逃走を遂げたる後再び俘虜と為りたる者は、前の逃走に対しては何等の罰を受くることなし。』と規定する。

 俘虜待遇條約も第五十條に於て同様に規定し、更に第五十一條の第一項に『逃走の企は再犯の場合と雖も、俘虜が該企中人又は財物に対して犯せる重罪又は軽罪に付裁判所に訴へられたる場合に於て、刑の加重情状として考慮せられざるべし。』としてある。

 然らばその懲罰としては如何なる処分が許さるべきか。(P443)
 


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

四〇三

 俘虜が逃走せんとするのを看守兵が発見したる場合には、之を捕ふるため先づ『止まれ』と命ずるのは普通の順序であらう。しかも俘虜之を聴かずして逃走を遂行せんとする場合には、狙撃して之を銃殺するに妨げなきか。

 ブルッセル宣言案には『逃走を企つる俘虜に対しては止命後武器を使用することを得。』とあり、而して同会議の議事録には、一回の『止まれ』にて命を聴かざる場合にも射殺して可なりとの解釈が留められてある。

 陸戦法規慣例規則には明文はない。けれども第八條第一項には前掲の如く『総て不従順の行為あるときは俘虜に対し必要なる厳重手段を施すことを得。』とある。

 単に逃走を企つるだけでは不従順の行為とは称し難きも、『止まれ』と命ぜられて之を肯ぜず尚ほ逃走を継続すれば、そは明かに不従順の行為であるから、たとへ明文は無いにしても、一の必要なる厳重手段として之を射殺する理由は立つ。(P443-P444)

 第一次大戦中にも、独逸にて逃走を企てたる露兵の一俘虜が『止まれ』の命令を聴かざりしとて射殺された例があると云ふ。

 之を一二の国内法規に見るに、米国の『陸戦訓令』第七十七條第一項には『逃走する俘虜はその逃走中之を射殺し又は他方法にて殺すことを得。但し交戦法則が犯罪と認めざる所の単なる逃走の企図の故を以て之に殺害その他の処罰を加ふることを得ず。逃走未遂の俘虜に対しては一層厳重なる安全手段を加ふることを得。』とありて、即ち逃走中の俘虜を殺すことの適法を認めたると同時に、単に逃走の企図だけでは処罰を加ふるを得ざることを明記してある。

 日露戦役に於ける我が俘虜取扱規則にも、第六條第二項に『俘虜逃走を図りたる場合に於ては兵力を以て防止し、必要の場合には之を殺傷することを得。』、又第七條に『俘虜逃走を遂げ又は遂げずして再び捕へられたるときは懲戒処分に附するの外、其の逃走の故を以て何等の刑罰を之に加ふることなし。』とある。

 この第七條に該当する前掲の陸戦法規慣例規則第八條第二項の末尾の『懲罰に付せらるべし』は死刑には処せずとの意味を逆に言表はせるものなること(及び同規定は後に述ぶる俘虜が共謀して逃走を企てたる場合には之を適用せざること)載せて第一回海牙平和会議の本条項に関する審査委員会の報告にある。

 要するに俘虜の逃走は、元々逃走それ自身が犯罪ではなく、ただ取締上から罪と云へば罪たるに過ぎず、法語のmalum in seではなくしてmalum prohibitumたるものであるから、随つて之に対する懲罰も、謂ゆるpeines disciplinaires即ち規則取締上のそれに外ならない。(P444-P445)

 その懲罰としては、『止まれ』の命に従はざる場合の殺傷は別とし、単に逃走を企てたるの故を以て死刑に処するを得ざることは、既に述べたる第一回海牙平和会議委員会の報告に於て既定の解釈となつてある。(P445)

(以下略)


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)





信夫淳平『戦時国際法提要』(上)







第三章 戦闘

第一款 害敵手段

第二項 陸戦法規慣例規則の特別禁止事項

第三目 乞降兵の殺傷及び不助命の宣言

信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五〇九

 ハ号の禁止は『兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞へる敵を殺傷すること』で、これは人道上当然の要求であり、又武士の屑(いさぎよ)しとせざる所である。窮鳥懐に入らば漁夫も助ける。況して力尽きたる敵兵に対しては尚ほさらである。

 乞降の敵を殺傷すべからざることは、必ずしも仁慈主義からのみではなく、法理も亦而く之を命ずるのである。(P558-P559)

 抑も人が権利として他人を殺すを得るのは、兵が戦場に於て敵に対抗する場合と、獄吏が法に従ひ死刑を執行する場合とのみである。

 自衛行為にて加害者を殺すことも法律は之を認むるが、これは殺人の権利といふよりも、ただ法律がこれを寛恕する迄のものと見るを当れりとする。

 兎に角兵が戦場に於て敵を殺害するのは何故に適法であるかと云へば、我方の国家意思の遂行に対し彼れ兵器を手にして抵抗するの意思あるものと推定するからである。

故に敵兵とても既に兵器を捨て、抵抗の意思を抛つた以上は、我れ彼を殺すの権利も茲に終絶したものと謂ふべく、随つて乞降の敵兵は我れ当に之を殺傷すべからざるのみならず、之を殺傷するを得ざるものとの法理も立つ訳である。(P559)


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五一〇

 さりながら敵にして降を乞う最後の瞬間まで頑強に抵抗し、最後の一発を打終つて已むなく乞降したる敵に対してはどうであるか。

 これは南阿の役に屡々見たる所で(第一次大戦中も独逸兵の中には往々そういふのがあつた由である)、斯かる乞降は助くべきものか否かが当時問題となった。

 ベイチ博士は『敵が乞降の最後の瞬間まで銃を発射するは敢て問ふ所でない。兵としてはそれが義務で、敵は当然之を期待せねばならぬ。敵が乞降の直前まで銃を有効に発射せりとの故を以て之を銃殺するは当らず』と説く。

 これは理に於ては当然過ぎるほど当然である。

 さりながら実際問題としては、敵が乞降の最後の瞬間まで頑強に抵抗し、味方の戦友にして之がために戦場に倒れたるもの数知れずといふ場合に、その乞降兵の処分に斟酌を加ふるが如きは事実可能であらうか。又その必要があるであらうか。頑強の抵抗者は当然助命の要求権を抛棄せるものとも云へるではあるまいか。

 又事実最後まで頑強に抵抗する敵に対しては勿論のこと、会々その中に若干の乞降者ありとしても、一々之を識別して助命の斟酌を之に加ふるなどは、戦場の実情が之を許すまい。(P559-P560

 例へば敵が塹壕に拠りて頑強に抵抗し、我方之を撃破すべくそこに突入し、或は手榴弾を投し、或は銃剣にて敵を縦横に斬捲くる際にありては、敵の兵器を捨て降を乞ふ者と否とを識別するの余裕ある筈はない。

 最後の瞬間に於て乞降者の助命に気を取られたり、俘虜として収容することに力を殺いだのでは、急ぎ抵抗者に止めを刺すに機を逸し、作戦上の迅速なる奏効を狂はすことにもなるから、獅子猛進の突撃兵としてそれを顧慮などの遑なく、必然壕内の敵兵を十把一束的に殺傷するは勢の到底避け難き所で、それは作戦上の絶対必要が命ずるのであるから、之を違法視するは当らない。(P560)


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五一一

 勿論敵の一部隊が全員挙つて明確に乞降の合図をしたならば、攻撃隊は之を助命すべきのが原則である。

 けれども塹壕敵襲の場合の如きには総てをこの例に求めしむるは難く、又敵兵の大部分が乞降するにしても、仆れて已むまで依然抵抗する勇敢の小部分もあるべく、その場合には乞降者も勇敢の戦友のために犠牲となるは勢の避け難き所であらう。

 乞降は多くは白旗を挙げて合図するが、その白旗は之を挙げたる軍隊に限り、且その隊所属の各兵が悉く抵抗を止めたる場合に限り保護の効あるもので、たとひ之を挙ぐるにしても、スペイトが云へる如く、『戦闘の酣なる際に敵兵中の小部分が白旗を挙ぐるも、大部分が尚ほ依然抵抗する間は、攻撃側の指揮官は何等之を顧念するを要せずと為すのを最安全の法則』と見るべきである。

 いや反対に、大部分が白旗を挙ぐるも、小部分とはいへ尚ほ抵抗する敵兵ある限りは、乞降の意思の不統制に由る責は我方之を負ふべき筋合でないとして、その白旗に我方亦敢て顧念するの要なしと解したい。(P560-P561)

 この見解聊か酷に失するの嫌あらんが、苟も一人にても抵抗者ある限りは、我兵の安全を犠牲にしてまで攻撃を中止すべき理由あるを知らない。

 勿論敵の乞降者と抵抗者とを判明に識別し得るの余力が我方に綽々として存せば別論である。(P561)


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五一四

 次の(ニ)の禁止は『助命せざることを宣言すること』で、これも前の(ハ)号と同じく人道上の要求に出づるものである。

 往昔にありては、戦場の敗兵は敵に対して助命を望むことを得なかつた。勝者はその捕へたる敗者をば殺すも活すも勝手次第と公認せられてあつた。(P562-P563)

 負傷者の如きは尚ほさらで、医療の手不足から寧ろ之を手取り早く片付けて了ふというのが常であつた。

 敗者の助命が稍々行はるるに至つたのは、十四世紀の頃『慈悲を祈る者あ慈悲を受くべし。』の格言が稍々奉ぜらるるやうになつた以来で、しかも真に降者は之を殺害すべからずとの観念が洽く萌したのは、漸く十八九世紀の交以来のことである。(P563)


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五一五

 本両号に該当する条項を一八七四年のブルッセル会議にて討議せる際の原案は

『交戦者は敵を助命せざることを宣言することの権なきものとす。但し敵の執りし苛酷の行為に対する報復として、若しくは味方の敗滅を防ぐ不可避的手段として、の場合に限り之を為すことを得。敵を助命せざる軍隊は己れの助命を要求するの権なきものとす。』

といふのであつたが、この例外的許容の字句は削られて大体現行の本両号となつたものである。

 然しながら現行規定の下にありても、或場合には不助命の宣言に例外を認めぬではない。

 その例外の場合としてオッペンハイムは

(一)敵軍隊にして白旗を掲げて降伏の意を表したる後尚ほ射撃を続行するあらばその兵に対し、

(二)敵の交戦法規違反の行為に対する報復手段として

(三)助命に伴ふ俘虜のため累を我軍に与へ、ために軍の安全を致命的に危うせしむるといふが如き絶対必要の場合、

以上三種を挙げる。

 ホールも『自身交戦法規を破れる敵に対し、又助命するを拒むことの意思を表白したる敵に対し、将た所属の政府又は指揮官の行為にして報復を正当視せしむるが如きものありたる場合に於てその敵に対しては、助命の一般原則は之を保護するものに非ず。』と説く。(P563)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五一六

 然しながら例外右の例外に関しても、実際の適用となると大に取捨を要する場合もあらう。

 先づ以て敵部隊にして白旗を掲げて降伏の意を表したる後尚ほ射撃を続行する場合であるが、軍隊の降伏は軍艦のそれの如くに包括的に行はるるものとは限らず、寧ろ局部的に行はるるを多しとすべく、随つて一部隊は降伏の意を表しても数町を隔つる他の一部隊は尚ほ射撃を続行することもあらう。

 斯かる場合に於て、敵軍隊の一部に射撃続行者あるの故を以て既に白旗を掲ぐる他の一部を助命せずと為すは妥当ではあるまい。

 然しながら同一部隊にして白旗を掲げながら尚ほ且射撃を続行するに於ては、そは敵が背信行為に出でたものであるから、助命の要求を自ら抛棄したと同じで、随つて助命を為すに及ばざること論を俟たない。

 況して敵が白旗を佯用(ようよう)するに於ては尚ほさらである。

 第一次大戦中、英軍は独兵が時に白旗を佯用して依然射撃を続行すること屡々ありしを実験し、遂には白旗を掲ぐる降伏方法を容認せざるに至つた由である。

 第二は報復手段であるが、敵の軍隊指揮官の交戦法則違反の責任を個々の兵に負はしむるのは理に於て妥当を欠くのみならず、暴を以て暴に酬ゆる報復それ自身理論として議すべきの余地なきに非ざるも、現代の国際法は報復を是認するのであるから已む得ない。

 ただ然しながら、報復は既に解きたるが如く、対手の交戦法則違反の程度に能ふ限り比例せしむべく、報復の名に於て漫に過度の蛮的暴挙を無辜の敵兵個々に加ふるなきの斟酌はあつて然るべきである。

 第三は軍の安全のために絶対必要といふ場合であるが、これは事毎に是非を判断すべきで、原則的に汎論するを得ない。((P564-P565)

 (原則論で推し行けば、大概の場合は名を軍の安全に藉(か)りて敵を一切助命せざらしむることにならう。)

 然しながら例へば戦闘酣(たけなわ)にして勝敗の運命予断し難く、敵兵の生命を斟酌して居つたのでは味方が危殆に陥り、遂に敗潰を招くといふやうな間髪を容れざる場合には、之を斟酌するに及ばぬこと言を俟たない。

 独逸の『陸戦法規』に『如何なる場合にも人道主義にて一貫せんとするのは、人道を誇大且不正当に感得することに基く所の交戦の意義、重大性、及び権利の誤解を表現するものである。作戦上の必要及び国家の安全は第一要素で、俘虜の無条件的自由の考量は次位に属するものたることを看却してはならぬ。』とあるは当然肯定せざるを得ない。

 要するに絶対必要なるものは、敵を助命すれば到底自軍が助からずといふ真箇の絶対必要の場合と狭く解すべきである



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五一七

 さりながら軍の絶対必要なるものは、之を濫用することなきの注意の下に取捨するを要する。

 オッペンハイムは右の所説に次で

『俘虜捕獲者が多数の俘虜を安全に警護する能はず将た給養する能はずとか、又は敵が間もなく形勢を盛返して俘虜を奪回するやも知れずとかの単なる事実は、捕獲者側に真箇の死活的危険があるに非ざる限り、未だ以て助命の拒絶を正当視せしむるに足らざることを銘記するを要する。』

と云へるが、敵兵の俘虜収容に力を割くことに依り戦局が不利に陥ること歴然たる場合には、その収容に齷齪(あくせく)するに及ばざるべきも、収容するの余力ありて之を収容し、しかも安全の収容覚支なしと為して之を片付けて了ふが如きは妥当でない。

 昔は一七九九年、ナポレオンはパレスタインの役に於て大に土耳古軍をJaffaに敗り、敵を捕虜にすること約三千。然るに仏軍は糧食欠乏して之を給養する能はずと称し、悉く之を殺害した。(P565-P566)

 斯かるは今日の交戦法則の許さざる所で、その収容到底不可能といふ場合には、ホールが

『解放すべき俘虜なり将たその奪回に成功すべき敵軍が、転じて我方に虐殺又は虐遇を加ふるものと認むべき理由ある場合は別なるも、然らざる限りは、俘虜にして之を安全に収容し置く能はざる場合は之を解放すべきである。敵の兵力を増大することの不利は人道の掟則を破るの不利に比すればヨリ小である。』

と云へる如く、之を解放するのが現代の国際法の要求する所で、実例としては南阿の役に、ボア軍はその俘虜とせる多数の英兵をば給養困難の理由にて解放したること数回あつた。

(ホールの右の諸論はウェストレークも之を賛し、安全に収容するを得ざる俘虜は之を解放せざる可らずと説く)

 以上の外、例へば戦場混乱し、乞降者と不乞降者の識別の判明し兼ぬるが如き場合にありては、乞降者あるも之を助命することは事実不可能であり、既に不可能であらば、之を殺傷するも固より違法を以て論ずる限りでない。

 要するに上叙の特別なる場合は別とし、尋常の場合に於て予め敵兵は一切助命せず、俘虜は一切収容せずと脅すことの違法を戒むるのが本号の主眼である。(P566)

信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五一八

 軍の指揮官が敵兵不助命その他残虐の戦闘手段を部下に命令するが如き交戦の法規慣例違反のことをするあらば、而して本国政府にして軍紀の厳粛を保持するものであらば、該指揮官は軍法会議に附せられ処罰を受くることもある。

 近代の戦史に於てその著しき一例は、米西戦役に於ける米軍の旅団長スミスにあつた。

 彼は同戦役中の或時、比律賓のサマル地方の土民兵が米国の一小部隊を全滅せしめたことに対する膺懲戦を指揮せる際、部下の一大隊長に

俘虜は一人も取らず、敵は悉く殺し且家も悉く焼払ふべし、殺焼多ければ多いほど結構なり、サマルは屠つて之を一荒野に化せしむべく、現に米軍に敵対する者は勿論、苟も武器を手にするを得る者は悉く之を殺すを望ましとす。

と命令した。

 而して大隊長の『何歳位の上の者とすべきか。』との尋伺に対して『十歳以上の者は悉く。』と答へた。

 この命令は実際にはその儘に行はれず、女子供の非戦闘者は勿論、俘虜の殺害も事実無かつたとあるが、兎に角彼は善良なる秩序及び軍紀に背馳すとの理由にて、大統領の命令に依り軍法会議に附せられ、審理の末に義務違反に由る有罪の宣告を受けた。

 尤も大統領は之を裁可するに方り、彼に情状の酌量すべき点あるを認め、殊に彼は六十二歳の老齢であり、且その過去に於ける功績と従来大体に於て志操善良なりしとの理由の下に、陸軍長官の意見具申に基き、特に彼を現役退職の比較的寛容処分に止むべきとの指令を下したとある。

 交戦法則を重んずる国はまさに爾く為すべきである。

 戦闘の現に進行中、敵兵を殺害するは交戦法則の当然是認する所で、何れの戦闘に於ても常に行はるることであるが、右のスミスのおう殺命令の如きは到底是認すべきでない。(P567)



第二款 攻囲及び砲撃

第一項 攻囲及び砲撃の目的地及び物件


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五七二

 防守の都市村落は敵が侵入軍に対し当然抵抗を試むるものと推定すべきものであるから、当然之に向つて砲撃を加ふるを得るのであるが、反対に抵抗を試むる兵がそこに無く、侵入軍は刃に血ぬらずして侵入し得る所にありては、たとひ城砦ありと雖も、それは不防守であるから、之に対する砲撃は違法となるべき理である。

(尤もその土地が果して不防守であるや否やを験するため一再砲撃を試みて見る場合もあらう)。

 仏国の陸戦法規第六十五条に『或場所の砲撃の可受性は、そこに要塞があるや否やよりも現に抵抗するや否やに依りて決すべし。場所がその門を敵の前に開くと同時に、要塞の有無に拘らず砲撃の可受性は停止せられるべきものとす。』とあるは、この法理に基いたものである。

 要するに防守せらるる所は、事実的に云へば、そこに砲塁、鹿柴、その他相当の防塞工事が施され、衛るに守備兵を以てし、敵の侵入に対し抵抗を試むる施設のある所であり、理論的に云へば、抵抗の意思とその意思を遂行する相応程度の力の実在する所である。(P614-P615)

 故にたとひ防塞ありとも、将た若干の兵が屯して居つても、侵入軍来らば直ちに都門を開いて無抵抗に之を迎へ入れるといふ意思の直接間接に表示されてある所は、以て防守せらるる都市村落とは云へぬのである。

 而して防守せらるる土地であつて見れば、守備兵は敵の侵入に際し当然抵抗するものと推定すべきであるから(防守地に守備兵の居らぬことは事実殆どあるまい)、之を先づ圧迫するために、苟も防守地であらば、住民の果して抵抗するかせざるかを確むるを俟つて然る後に砲撃を加ふべきや否やを決するを須ひず、先づ砲撃を適法に行ひ得るものと論じたい。(P615)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五七三

 防守せらるる都市村落に向つて砲撃を行ふ場合には、従来の観念にありては、必しも加害の目標を城砦その他の軍事施設のみに限局するに及ばず、之に近接の公私建物は勿論、その防守地域を包括的の一単位とし、その全地域に向つて砲撃を加ふるを妨げずとしてある。

その理由とする所は、防守地内所在の公私建物は、たとひ不武装のものであつても、防守地そのものと不可分的関係のものと云ふにある。

 英国の陸戦法規第百二十二条に『攻撃軍は砲撃を要塞若くは防守物体のみに限局すべき何等法的義務を有せず、寧ろ反対に、公私の建物を砲撃にて破壊することは、地方官憲に向つて降伏の得策なる所以を感悟せしめる一手段たるが故に、古来今に至りて常に適法と認めらるる所なり。』とあるのは(米国のリーバー陸戦訓令第二百十四条にも同様の規定がある)、この理由に基けるものである。

 これは謂ゆる『心理的圧迫のための砲撃』として弁護されてある。

 独逸の『陸戦慣例』にも、やはり右の理由が敷衍されてある。(P615)


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五七四

 思ふにこの説は、苟も防守地であるならば、その全地域に向つて無差別砲弾を加へて可なり、そは『心理的圧迫のための砲撃』即ち威嚇射撃として適法なり、といふに帰着する。

 由来無差別砲撃は該地域在住の一般住民に威嚇を与へ、士気を沮喪せしめ、防御軍司令官に迫つて降伏を促さしむるといふ政治的意義に於て効あるが故に之を行ふに理あり、と見る者稀でなく、帝政時代の独逸の軍事専門家の間にはこの類の意見が強く説かれたものであるが、同じ独逸にありても、斯の如きは『絶対に不徳義なる精神的圧迫なり』として排斥する論者もある。

 陸戦法規慣例規則には、この点に関し何等明文が無い。

 けれども同規則は多くは従来の陸戦慣例を単に成文にした迄のもので、而して無差別砲撃は従来の慣例に於て許されぬものであるから、随つて同規則に明文なしと雖も違法なりと説く学者もある。

 ホールの如きもその一人で、その理由は『要塞の攻囲に方り、住民の受くる災禍に鑑みて要塞司令官に降伏を促すべき間接の圧迫を加へんがため、市邑に所在の住宅そのものを砲撃することは殊に惨酷で、啻に無用の業のみならず、必しも所期の効果を齎すものでない。』といふにある。

 所期の目的を齎すものでないと云ふのは、威嚇は威嚇とならないで却つて常人の敵国に対する敵愾心を一層固めしむるものに過ぎずとの意味であらう。

 この見解の当否は、追て威嚇の目的を以てする空下爆撃を説く所に至りて細述する。(P616)


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五七五

 要塞内又は防守地内在住の常人に関しても、彼等は防守軍隊と共助共存の不可分的関係にあるものであるから、その非好戦者たるに伴ふ被害免除の資格は一時喪失するに至れるものと従来は説かれた。(P616)

 殊にスペイトは『要塞内の守備兵と住民との間には或種の不可分的関係ありて、敵が城門に迫れる場合には、安危を共にすべき恰も兄弟に類化せしめる。防守都市は交戦慣例上要塞に類似せしめ、随つて攻撃軍は之に砲弾を注ぐに方り、非戦闘員たる常人に加害するも妨げず。』と論ずる。

 然しながら要塞内又は防守地域内在住の常人を以て戦闘者たる守備兵と不可分的と見るのは如何なる論拠に由るものであるか。

 平和的住民は防守されたる都市村落に在住するの故を以て戦闘者となつた訳ではなく、又準ずるに戦闘者を以てすべき理由もあるまい。

 故に彼等に必然危害の及ぶべき無差別的砲撃を行ふの非なるは、不防守の都市村落に於ける彼等に対するのと何等異なる所ない。

 勿論住民が砲爆弾の飛沫に由りて生命財産の上に受くる捲添的の損害に就ては、加害者に於て何等責を負ふべきものでない。

 攻撃軍に於て一々砲弾の行先を殊別するは不可能のことであるから、城砦の近接地に在住するものは砲弾の傍杖を食つても、且之を食はざるを得ざる危険率の多いのは当然として、結果に於て苦情を云ふべき理由は無いのである。

 非戦闘者の生命財産の尊重も、往昔作戦地帯の限局せられし時代にありては、比較的容易に之を期待するを得た。

 然るに大砲の射程の著しく増大し、現戦場の遥に後方にまで砲力の及ぶ時代となつては、殊に空軍活躍の現代にありては、その尊重の範囲は甚しく狭まり、戦場の後方に居る非戦闘者とても、その生命財産は事実安全を期するを得なくなつた。

 ただ問題は故意の無差別的加害である。

 故意に出づる加害の避くべきは防守の有無を通じて一である。

 平和的住民への無差別的砲撃を避くべきものとすれば、必然無差別的砲撃の虞ある都市村落そのものに対する砲撃は、それが純乎たる要塞ならば格別、例へば僅に若干の守備部隊の駐屯し、少し許りの土嚢の積まれてあるの故を以て防守地と看做さるる程度の都市村落にありては、之を適法と断ずるに理由極めて乏しいやうに思ふ。(P617-P618)

 仮に無差別的砲撃を適法なりとせば、常人に退去期間を与ふるため砲撃に先だち予告を発する規定は理由なきことになるまいか。(P618)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五七六

 尤も他の一面から之を見れば、輓近砲力の増大に伴ふ加害の必然的延拡は、無差別的砲撃を違法とする理論に必しも膠着するを許さざる事実あることは之を否み得ない。

 第一次大戦に於て独軍は射程七十哩に達する巨砲を以て巴里を砲撃したとあるが、第二次大戦にありては、独軍の蘭白方面より仏国内の戦線にかけて使用したる砲の最大射程は実に百二十粁(三十里強)に及んだと聞く。

 斯かる破天荒の長射程のものとならば、砲弾の正確なる命中の期し難きは当然である。

 砲弾の分散は射程四十粁に於て一千乃至四千米突と称する。

 故に射程仮に四十粁のものにありては、標的の周囲少なきも十町四方、多きは一里四方は被害を免れず、射程増して百粁以上にも達するものとならば、被害の範囲は之に比例して益々増大すべき計算であらう。

 砲弾が仮に標的に正確に命中したとしても、周囲に及ぼす被害は斯の如きである。

 況して着弾に狂いを生ぜば、それだけ被害の範囲ははみ出る理である。

 随つて一般常人の住宅、その他陸戦法規慣例規則の砲撃免除を要求する宗教、技芸、学術及び慈善用の建物、歴史的記念物、病院等には加害を免れしめんとしても、事実全然とは云はざるも、多くは不可能とならう。

 故に新に国際条約を以て右の理由の下に長射程の偉砲の使用を禁ずることにせば別なるが、苟もその使用を認むる限りは、砲撃に関する加害の範囲限定は事実に於て至難のことたるを認めざるを得ない。(P618-P619)


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五七七

 然しながら砲力の増大に伴ふ加害の必然的延拡は、武器の必然的に齎す当然の結果で、故意に無差別的爆撃を平和的住民の生命財産の上に加ふるのとは、その動機に於て雲壌の差がある。

 前者は避けんとして避け能はざる物理的影響であるが、後者は行はざらんとすれば行はずして済む人為的思慮に属する。

 防守地を砲撃するに方りても、能ふ限り加害を平和的住民の生命財産の上に及ぼさしめざるの注意は、人道上から見るも交戦法則の精神に照すも、その望ましきこと論を俟たず、随つて無差別的砲撃の当否は問はずして明白である。

 故を以て砲撃も、追て述ぶる空下爆撃に於けると均しく、将た既に海軍力砲撃条約第二条に於ても認めらるるが如く、特定の軍事的目標に向ふて行ふものに限り適法と為すやうに将来第二十五条を更正することにしてはどうであるか。

 その代り苟も特定の軍事的目標が存在する所であるならば、土地の防守と否とを問はずと為すのが合理的であるまいか。

 要は空戦の爆撃の現代通義とする軍事的目標主義を陸戦の砲撃にも適用するの意である。(P619)


第四款 間諜

第二項 間諜の処罰

信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

六二七

 間諜は以前は之を捕へたる軍に於て一応審問したる上直ぐ処罰(多くは絞銃殺)する風であったが、今日では之を戒め、陸戦法規慣例規則の第三条(「ゆう」注 第三十条)に『現行中捕へられたる間諜は裁判を経るに非ざれば之を罰することを得ず。』とあるが如く、裁判に附した上でなければ之を処罰するを得ないこととなった。これは一段の進歩である。

 勿論その裁判は専ら軍事法廷で、そこには弁護人がある訳ではなく、又本人自身の挙ぐる反証とても充分に聴取せらるるや否やは疑はしき場合あらんが、兎に角厳罰に裁判を経るを要すとしてあるだけでも、その無きに勝るや勿論である。

 本条には『現行中』とあるから、然らば現行中に非ずして捕へられたる間諜は裁判を経ざるも之を罰するを得るが。本条を卒読すると或はこの疑問が起るかも知れない。

 然しながら、これは畢竟『現行中』といふ我が官訳文が悪いからである。この一句は仏原文では"sur le fait"、英文では"in the act"である。

 即ち間諜行為を行へる者で、敢て既行に対する現行を特別に意味するのではない。本条の『現行中』とは、右の意義に於て理解すべきである。(P667)




第四章 敵国領土の占領

第三款 占領地の軍事司法

第一項 軍律及び軍事法廷


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

七六八

 占領軍の占領地に於ける軍事司法としては、占領軍本国の軍人軍属その他特定の軍関係者、および特定罪目の犯人たる軍人以外の者に対しては律するに陸海軍刑法を以てし、陸海軍の各軍法会議之を管轄するが、その適用の対象とする所のものは主として自国人である

 外国人にしても従軍者、俘虜などは同じくその適用を受け、又或場合にはその以外の外国人をも管轄することあるも、(帝国陸海軍軍法会議法各第六條参照)、そは例外で原則ではない、内外人に対し均しく法権の行はるる本国の版図内にありては別とし、外国である所の軍事占領地に於て陸海軍刑法及び軍法会議の対象と為す所のものは、主として自国の軍人軍属及び特定常人で、これが各国の軍事法制を通じての原則となつてゐる。(P809)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

七六九

 然るに占領地には別に軍律なるものがある。軍律は軍令又は陸海軍刑法とその性質を異とする。軍令は陸海軍の統帥に関し勅諚を経たる規程で、公示を要するものは特定の方式を履(は)みたる上官報にて公示する(明治四十年九月軍令第一号、第一條乃至第三條)。

 軍律は軍令を以て発布することもあるが、軍令そのものが軍律であるのではない。そは恰も軍事刑法は法律第何号として発布せらるるも、謂ふ所の法律そのものが刑法ではないのと異ならない。(P809-P810)

 軍事刑法は憲法上の手続を経て制定公布する所の国家の法律で、その司法機関たる陸海軍軍法会議も亦法律を以て構成する。然るに軍律は、憲法上に謂ふ所の法律でも命令でもない。法律命令は国の元首になしませ給ふ。天皇より出づるも、軍律の淵源は国軍の大元帥にあらせらるる天皇の統帥権に存する。(P810)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

七七〇

 軍律は軍司令官が軍事上の必要に鑑み、己れの適当と認むる所に従つて制定する住民取締の命令である

 別語にて云へば、軍律は戦線又は占領地の軍司令官に於て侵入地又は占領地に於ける軍の安全と秩序維持のため、軍事上及び占領地行政上必要と認むる事項を己れの裁量にて随時制定し、管下の住民を洽(あまね)く拘束しむる所の特殊性の命令である。

 軍律は以前には占領軍自国の軍人にも之を適用したる例あるが、今日では自国の軍人に適用すべきものは専ら陸海軍刑法とし、軍律は主として占領地(及び侵入地)の内外常人、殊に主として敵国人及び第三国人たる住民に適用すべきものとなつてある。

 占領地に在る自国の常人に対しては、自国の軍人を律するものに陸海軍刑法があると同様に普通刑法(及び時には陸海軍刑法の適用)があるから、軍律は之に適用せざるべき理なるも、そこは軍律なるものの性質上から、発令者の意図次第では伸縮自在たるべく、たとひ自国の常人を或場合に軍律の下に立たしめたとて、人権問題として憲法上の問題となる訳のものではない。(P810)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

七七一

 占領軍司令官は能ふ限り占領地の現行法令を尊重すべきを本体とするが、之を改廃することが軍の安全及び秩序維持のため必要なりと認めたる場合は之を改め、又は廃して代ゆるに適宜の軍律を以てするに妨げなきこと既述の如くである。

 占領地の住民は占領軍に依りて危害を受けず、安意その生業に従事するを要求するを得るが、その代り占領軍に対して恭順の意を表し、その命令に服従するの義務を有する。住民が占領軍の保護を購はんとするには、その正当なる命令に服従するといふ代償を提供するを要する。

 勿論之がために本国に対する忠義を捨てるといふ訳ではない、若し之を捨てたならば、そは当然国際法違反を構成する。

 けれども敵軍の占領中は本国の保護が及ばぬから、代つて占領軍の保護を受くべく、そこでその保護を受くる代償として占領軍の命令に服すべしといふ迄である。

 若し住民に不恭順の動作ありて、占領軍に於てその軍事的利益に背馳するとみれば、捕へて厳重に処罰すること勿論妨げない。占領軍司令官は苟も軍に不利益と認むる住民の行為に対しては、常時の法令とは全然相離れ、又占領地の現行法令を改廃し、特殊の軍律なる名に於て己れの自由裁量に属する如何なる禁令及び罰則をも制定施行するを得るのである

 斯の如く軍律にて規定する事項は一に占領軍司令官の自由裁量に属するが、しかも交戦法規の明文特に反対の規定あるものは之を尊重せねばならぬこと勿論である。又特定条約上の権利の侵害となるが如きも之を避くべきは当然である。

 交戦法規の上に於ける反対の規定といへば、例へば陸戦法規慣例規則の

 第四十四條 交戦者は占領地の住民を強制して他方の交戦者の軍又は其の防禦手段に付情報を供与せしむることを得ず

 第四十五条 占領地の人民は之を強制して其の敵国に対し忠誠の誓を為さしむることを得ず(P811)

 の禁止事項の如きはそれで、隋つて之を軍律に於て命ずることは許されない。

 兵役義務の如きは忠誠の誓を立てしむるものであるから、隋つて占領軍は、昔時屡々行はれたる如き占領地住民を自国の兵役に強制することの今日為し得ざるのは論を俟たない。

 更に例へば占領地在住の第三国人が敵国との間に條約上有する所の或種の特権−例へば治外法権の如き−を無視する事項を軍律にて規定するも、実際に臨んで之を適用せんとすれば、故障を招くは必然である。

 故に謂ふ所の自由裁量も、全然絶対無制限といふ訳には行かぬのである。

 ただ然しながら斯かる例外に触れざる限りに於ては、その内容の取捨は一に占領軍司令官の権内に在りと知るべきである。(P812)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

七七二

 占領軍司令官が軍律を以て規定する罪科には種々あるも、その最も多く且制裁の重きは戦律罪(War crimeで、或は戦時重罪犯とも云はれる)及び敵軍幇助罪(War treasonで、叛逆罪の称もある)である。この二者は世の国際法教科書往々にして明晰を欠く嫌もあるが、その性質は必しも不判明のものではない。

 戦律罪とは、簡単に云へば交戦の法規慣例の違反行為である。而して敵軍幇助罪とは、必しも交戦の法規慣例に違反はせざるも、交戦国に於て自国の作戦上に有害と認定する所の特定行為である(例へば間諜又は反乱鼓吹の如き)。

 戦律罪を以て論ぜらるべき事項は、その総てではないが、多くは国際法規の上に禁止のことが規定されてある(例へば陸戦法規慣例規則第一條及び第二條に依り適法の交戦者と認められざる者の敵対行為、第二十三條の各号、第二十五條、第二十八條等の禁止事項、赤十字條約の諸規定、一九三〇年の倫敦海軍條約中の潜水艦の遵由すべき法則等の違反の如き)。(P812-P813)

 敵軍幇助罪にありては、概して一般公認の慣例に由るが、その以外に陸海軍刑法その他戦時関係の国内法規にて之を規定し、将た或は侵入地域又は占領地域に於て特に軍律を以て臨機制定するのも少なからずある。

 戦律罪及び敵軍幇助罪に関しては、オッペンハイムは『War crime中には行為の性質を必然的に相異にする左の四種類あり。』とし、それを『(一)軍隊所属員の行ふ交戦の公認法則の違反、(二)敵の交戦軍隊所属者に非ざる者の行ふ敵対行為、(三)間諜及びWar treason、(四)一切の掠奪的行為』と説き、之を二十種目に細別し、又敵軍幇助罪を戦律犯の一種と見、その十一種目を掲記する。(P813)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

七七三

 敵軍幇助罪には従来多くは戦時叛逆罪の称呼が用ひられている。然しながら叛逆罪なるものは厳格に論ずれば、国民の或者が己れの国家に対し不軌を謀ることの罪である。隋つて忠義関係の無い敵味方の間及び対外国人関係に於ては、叛逆罪は成立せざる理である。

 尤も英国の法律では、英国に居住する外国人は、その居住期間英国皇帝に対し一時的の忠誠(temporary allegiance)を負ふものとしてあるから、之に背けば英国の一三五二年の『叛逆罪法』("Treadon Act")又は一八四八年の『大逆罪法』("Treason Felony Act")に依り、外国人としても叛逆罪に問はるるに理はあらう。

 けれども彼にして一たび英国を去り、而して後に英国に対して不軌を謀ることあるも、最早や捕へられても叛逆罪が成立するとは考へられない。

 故を以て占領地住民の占領軍に対する反抗の如きは、占領軍は元々単にその軍の安全の必要上占領地に於て行政施行の任に当るに止まり、住民は一時的権力者たる占領軍に対し服従は為すべきも忠義を誓ふ筋合の者ではないから、忠義関係の下に於てのみ成立すべき叛逆罪の称呼を以て論ずるは当を得ずと思ふ。(P813-P814)

 然るに独逸(帝政時代の)にては、占領地住民に対しても叛逆罪を適用するの制であつた。独逸にては一切の叛逆罪を大叛逆罪、国叛逆罪、および戦時叛逆罪の三種に区別する。

 大叛逆罪は独逸の元首に対し危害を加へ又は加へんとし、又は独逸の国意紊乱を企つるが如き大罪を指す。

 国叛逆は外国を促して独逸に開戦せしめ、独逸の敵国に仕へ、故意に敵国を援助し、要塞を敵国に交付し、軍事的建設物を破壊し、間諜として行動し、その他敵国のために独逸軍の不利を謀ること等で、詳細は載せて一八七一年制定の独逸刑法第八十條乃至第九十三條にある。この国叛逆罪を独逸の軍人が戦場で行へば、よく七二年制定の独逸陸軍刑法第五十七條の下に戦時叛逆罪に問はるるのである。

 同陸軍刑法第五十八條には戦時叛逆罪の項目が列挙されてあり、その中には敵のために嚮導を為すこと、上官の命令に服従せざること、軍の給養に必要なる事項の遵由を怠ること、敵の俘虜を逃走せしむること等もある。

 而して次の第五十九條には、これ等の行為に就ては独逸人以外の者にも前條を適用すること、又第六十條には、戦時叛逆罪の計画あることを聞知して之を上官に内報せざる者も同罪を以て論ずることの規定がある。

 のみならず第百六十條には第五十七條乃至第五十九條所載の行為(主として敵国幇助罪に該当するもの)を啻(ただ)に戦場のみでなく凡そ作戦地帯内にて行へる外国人も之に依りて処罰すること、又第百六十一條には、独逸帝国の法律に依り処罰せらるべき行為を独軍の占領地たる外国領土に於て行へる外国人は、之を独逸領土内にて行へる者に擬して処罰することが規定せられてある。(P814-P815)

 外に一八九九年には、軍律を外国人適用することに関する勅令が出で、中に於て凡そ独逸軍の侵入したる敵国領土にありては、指揮官は管下の常人にして敵国に幇助を供し又は独逸軍に有害の行為を為せる者を死刑に処することの軍律を発するを得、とのことが規定された。(以下略)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)




第四編 空戦

第二章 一九二三年の海牙空戦法規案

第二款 空下爆撃

第二項 空爆禁止の特定事項


信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

八三五

 海牙空戦法規案第二十二条及び第二十三条は、空爆を行ふことを得ざるの四つの事項を規定する。即ち

(一)普通人民の威嚇、
(二)軍事的性質を有せざる私有財産の破壊又は毀損、
(三)非戦闘員の損傷、若くは
(四)現物の徴発又は取立金の支払の強制、

以上の目的を以てする空爆の禁止がそれで、之を条文に就て示せば左の如くである。

第二十二条 普通人民を威嚇し、軍事的性質を有せざる私有財産を破壊若しくは毀損し、又は非戦闘員を損傷することを目的とする空中爆撃は之を禁止す。(P873-P874)

第二十三条 現物の徴発又は取立金の支払を強制することを目的とする空中爆撃は之を禁止す。(P874)



信夫淳平『戦時国際法提要』(上)




(2014.10.13)


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