立作太郎『戦時国際法論』
第六節 交戦法規の拘束力
戦時国際法規の一部分たる交戦法規は、交戦国間の関係に関する法規にして、交戦法規上の権利義務の主体は国家に外ならないのである。
然れども国家の機関としての軍隊の権限内の行動又は権限内の行動と見らるべき行動にして、国際法規に違反するものに対しては、其の政府の命令に基くと否とに拘らず、国家は其責任を負はざるべからざるものにして、戦時に於ては、啻(ただ)に然るのみに非ずして、軍隊を組成する者の国家機関としての行動以外の私の行動に関しても、国家は、其機関たる軍隊を組成する個人に対する緊密的関係に基き、代位的の責任を負ふべきことが認めらるるのである。(P25-P26)
ハーグ陸戦法規条約に於て、交戦当事国は、其軍隊を組成する人員の一切の行為につき(損害賠償に関する)責任を負ふべき旨を定めて居る。
個人は交戦法規の権利義務の主体に非ざるを以て、厳に言へば個人の交戦法規違反の行為は存在せざる筈である。
然れども個人の一定の行為は、対手国が、其の戦争上の目的の為に有害なるの故を以て、之を禁遏(きんあつ)(防止)し、又は之を処罰することが認めらるるのである。
例へば占領地の人民が敵対行為を為すとき、又は未だ占領せられざる地方の人民が、敵対行為を為すに当り、公然兵器を携帯せず、又は戦闘に関する法規慣例に依らざるときは、戦時重罪人として、之を処罰し得べきである。
交戦法規は、其の慣習法規たると条約法規たるとの別無く、交戦国に於て遵守せねばならぬものである。
或はドイツ学者の所謂「クリーグスレゾン」(戦数)即ち戦争上の緊急必要の思想に依り、交戦法規を遵守せば戦争の目的を達する能はざる場合には、之を度外視し得るとの説を為す者あるも、之を是認するを得ないのである。
「クリーグスレゾン」の説につきては更に後述すべきである。
但し現実国際慣習法上に於て、戦時復仇(戦時報償)又は報復(返報)なるものが認められ、一定の場合に於て、対手の不法行為又は禁遏し得べき対手国私人の行為を止めしめ又は之に対する救済を求むる為めに、交戦法規に拘束されざるの行動を為すことが認められる。
戦時復仇又は報復につきても、後述する所あるべきである。(P26-P27)
或は戦時復仇行為を以て、対手国の交戦法規違反に基きて法規遵守の義務を解除せられたるが為に行ひ得るに至る所と為す者あるも、此説は之を執るを得ない。
此説たるや一方交戦国の法規違反を理由又は口実として、他方交戦国も交戦法規違反を行ふを得るを認むるものであって、結局に於て一般に国際法規の拘束力を危うするの結果を致すべき説たるを免かれないのである。
一方交戦国の交戦法規違反は、当然他方交戦国の交戦法規遵守の義務を解除すると為し、交戦法規の遵守の義務は相互主義を条件として存すると為すの上述の説(例へばリューダー)は、往々に之を執るものあるも、此説は之を採るを得ずして、一方の交戦法規違反は当然に他方交戦法規遵守の義務を解除すること無きものと認めねばならぬ(ウエストレーキ)。
但し一方交戦国が交戦法規違反を行へる場合に於て、他方交戦国は、違反の救済を求め又は将来に於て違反を行はしめざる目的を以て、(普通の交戦法規上の規則に拘束されずして)、戦時復仇行為又は報復行為を行ひ得べきことが認めらるるのである。(P27)
|