スマイス報告 農業調査


  「スマイス報告」については、しばしば、「被害者数2400人」を報告したものである、という誤解を目にします。しかし実際には、 これは「城内全域」と「城門のすぐ外側にある若干の地域」を対象とした「市部調査」による「死者」の数であるに過ぎません

 また「市部調査」では、「2400人」に加えて、「行方不明者4200人」の存在が報告されています。このうちかなりの部分が、 「敗残兵狩りの誤認殺害」を中心とした「連行殺害」であると推定されます。


 「スマイス報告」では、これ以外に、「南京特別区」(南京市及び周辺六県)での被害状況調査が記録されています(ただし同報告の記録は四県半のみ)。

 論者によってどこまでを「南京事件の範囲」として採用するかに微妙な差異がありますが、少なくとも、 板倉氏・秦氏・笠原氏とも、「2400人」または行方不明者を足した「6600人」を「民間人犠牲者数」カウントの「基数」にしているわけではありません。


 ちなみに、「民間人犠牲者数」についての板倉氏・秦氏の考えは、以下の通りです。 詳しくは、「資料:犠牲者数をめぐる緒論」をご参照下さい。

板倉氏
・・・上記「6600名」に「江寧県」の死者数「9160名」を加算した「15,760名」を「死者」の数とし、死者には戦闘の巻添え、中国軍によるもの、日本軍によるものが混合しているものと見て、 「不法を死者一万六千の三分の一から二分の一とすれば、五千から八千になる」との結論を出しています。

秦氏・・・「スマイス調査(修正)による一般人の死者二・三万」に、「二分の一から三分の二」の「不法殺害としての割引」を行い、「一・二万」または「八千」を結論としています。
*これらの見解に対して、笠原氏などは、この調査結果自体が「過少」である、との見解を打ち出しています。 私としてもこの「割引率」は大きすぎるのではないか、との印象を持っていますが、ここでは割愛します。ここでは、板倉・秦の両氏とも「2400名」をベースとしていない、という事実にのみご注目下さい。




 以下、このコンテンツでは、「農業調査」のうち、「人口」「死者数」に関する部分の抜粋を、資料として紹介します。


南京地区における戦争被害  1937年12月―1938年3月 都市および農村調査

二、農業調査


 農業調査では、南京周辺に集合して一つの自然的・伝統的単位をなしている六つの県を網羅しようとした。二つの県すなわち江浦県と六合県は揚子江の北側にあり、その南側には江寧県(南京はその中に位置している)・句容県・溧水県・高淳県がある。 附録で調査の組織とその方法にかんして説明しておいた事情のために、三月中に高淳県と六合県の半分は調査することができなかった。

 この調査に含まれている四・五県にはそのとき、最高一〇八万人の農民がいたが、戦前にはおそらく一二〇万から一三五万はいたであろう。このなかには市場町もいくつか入っているが、それ以前の人口はおよそ二七万五〇〇〇人であった(1)

 以前には南京市は一〇〇万の人口を擁していたが、三月にはおよそ二五万にまで減少していた。このように四・五県の全人口は三月現在ほぼ一五〇万であった(しかし、市場町の住民はこの調査の範囲外である)。

 四・五県の土地面積は二四三八平方マイルで(2)、デラウェア州の面積、あるいは英国のかなりの大きさの郡二つをあわせたものにほぼ相当する。 この面積のうち、ちょうど三分の一にあたる八一九平方マイルが工作されている(3)。江寧県の面積を農業調査で注目することは重要である。それは四・五県の耕地面積の四一パーセントを占め、農民人口もほぼ同じ割合である。

(1)バックの『中国における土地利用』統計(L.Back,Land Utilization in China,Statistics.)四一七頁の数字から推定。

(2)(3)バックの前掲書、二四頁の示すところでは、正確な政府側の数字は六三一五平方キロと二一二二平方キロであって、それからこの平方マイルの数字が計算された。

(「南京大残虐事件資料集供廝丕横械押腺丕横械)


京地区における戦争被害  1937年12月―1938年3月 都市および農村調査

、附録

 附録A 調査の機構と方法にかんする覚書再記

 3 正確度の点検

 (1) (略)

 (2)「独自の数字」をできるところではどこでも手に入れた。関係ある全耕地面積の独自の推定は調査した農村作付面積を点検するのに使われた。(第十七表を見よ) 現在の南京市の人口に関しては、十二月・一月に日本軍によって登録された人数と、五月三十一日現在で新市政府が発表した登録者総計とがある。南京における建物にかんする独自の計算あるいは評価額の資料は入手できなかった。

 (以下略)

(「南京大残虐事件資料集供廝丕横苅粥腺丕横苅)

*「ゆう」注 余談ですが、スマイスが依拠した「人口に関する資料」が、上記のものしかないことがわかります。


南京地区における戦争被害  1937年12月―1938年3月 都市および農村調査

二、農業調査

3 戦争と農民

 暴行事件による死亡

 調査で回答のあったこの一〇〇日中の死亡者総数は三万一〇〇〇人、すなわち住民一〇〇〇人につき二九人で、年間にすれば一〇六人の割合となる。中国における死亡者の年間平均数二七人と比較されたい(1)

 死亡者の八七パーセントは暴行事件による死亡で、大半は兵士の故意の行為によるものである。七家族に一人は殺されており、アメリカ合衆国の農家に同じ死亡率をあてはめてみれば、総計およそ一七〇万人が殺されたことになる。 また全中国の農家数にあてはめてみれば八〇〇万人が殺されたことになる。おそらく日本全土についてあてはめてみても正確にいって八〇万人ということになろう。

 この地方の状況と調査の方法からみて、警察や警備員として働いていた二、三の地元民を含むことはあるにしても、実際上いかなる種類の兵士もこの調査からは除外されていた

 殺人の割合は江浦県で最も高く、一〇〇日間に一〇〇〇人当り四五人であった。句容県では三七人、江寧県では二一人、その他では一五人及び一二人、四・五県全体では二五人である。

(1)『中国における土地利用』三三八頁。

  殺された人のうち男子の比率はきわめて高く、とくに四十五歳までのものが多く、全年齢層の殺害者数の八四パーセントにのぼっていた。殺された男子二万二四九〇人のうち一五歳から六〇歳までのものは八〇パーセントにおよび、これは生産人口の枯渇を意味する。

 殺された女子四三八〇人のうち八三パーセントが四十五歳以上のものである。若い婦人の多くは、安全をもとめて避難したか、危険が明白な場合には安全なところへ移されていた。 若い婦人や身体強健な男子よりは危害を加えられることが少ないと思われたために、老婦人が留守番役以上の目にあったのである。

(「南京大残虐事件資料集供廝丕横械)


南京地区における戦争被害

 「第25表 死者数および死因(調査した100日間のもの)」より(関連部分を抜粋)

県名 表示された
住民総数
死因 殺されたものの総数
暴行
江寧 433,300 7,170 1,990 9,160
句容 227,300 6,700 1,830 8,530
溧水 170,700 1,540   560 2,100
江浦   10,900 4,990  4,990 
六合(1/2) 135,800 2,090 2,090
合計 1,078,000 22,490   4,380 26,870 

 (「南京大虐殺事件資料集2」P269)

*「ゆう」注 各県の位置関係については、こちらの地図をご覧下さい。





 「農村調査」の調査方法については、「序言 調査の実施と方法」に記載されていますので、これも合わせて紹介します。


南京地区における戦争被害  1937年12月―1938年3月 都市および農村調査

序言 調査の実施と方法

 国際委員会の調査は、たがいに複合しているが、実際には二部に分かれる。市部調査は主として南京市住民の家族を対象とする調査であって、 それに入居中ならびに空家の全建物の調査を加え、さらにまた市内三、四ヵ所の地区に散在する市場向け野菜栽培者に食糧生産者として特に注意を払っている。

 農業調査は主として固有農家を対象とする調査であり、それに附録Bに記されている農村調査と、市場町における主要物価の作表を加えたものである。


1 実地調査の手続き

 南京の市部調査においては、家族調査員は入居中の家屋五〇戸に一戸の全家族(every family in every 50th inhabited house)を家族調査表に記入するように指示を受けた。「家屋」(House)は、若干の場合には一番号に数軒のアパートや建物(building)があったけれども、「家屋番号」(house number)に従うものと定められた。

 三月には多くの出入口が封鎖され、どの家に人が住んでいるのか知るのは少しばかり困難であった。その結果、若干の家を見過ごしてしまったかも知れない。脱落した地域を点検するために対照地図が役に立った。各人は地図上で特定の地区を割当てられ、各自五〇戸ずつ人の住んでいる家を抽出して、住宅番号を数えてはそれに記入してうめてゆく。

 調査員は委員会の評判が良かったために親切に迎えられたが、調査員は、ただ事実を質問するために来たこと、委員会の通常業務の仕事を目的とする家族救済調査員として来たのではないことを注意深く説明した。

 これら両者の活動に参加した人びとのきわめてはっきりした考えでは、家族調査の方が救済調査よりもはるかに損失報告の誇張が少ないということだった。

(中略)

 家族調査・建物調査の双方とも城内全域をカバーし、城門のすぐ外側にある若干の地域をも含めた。しかし、浦口その他の周辺小都市を含む旧南京地区全体を調査したわけではない。日本軍人および一般日本人の住む特定の小地域と点在する個人住宅のみが調査の対象とされた。

 農業調査においては、三つの団体の通行証をもった二人の調査員が、六つの県へそれぞれ派遣された。調査員は主要道路にそって進み、それから8の字を描きながらその道路をジグザグに横断して戻り、道路の後背地にある地域をカバーするように指示された。

 この一巡のさいに道筋にある村三つから一つをえらんで村落調査表を作製し、それらの村で帰村している農家のうち一〇家族に一家族を選んで農家調査表に記入することにした。
市場町の物価表については、通過する市場町すべてで質問の回答を記入することになった。


2 調査期間

 農業調査の実地の作業は三月八日から二十三日までおこなわれた。都市調査については、家族調査は三月九日から四月二日にわたっておこなわれ、四月十九日から二十三日まで補足作業がおこなわれた。 建物調査は長期にわたるものであるが、その間、損失の内容にはほとんど変化はなかった。しかし、若干の場合には建材の一部が盗まれることもあった。この期間中の再建は事実上、皆無であった。


3 調査の集計

(略) 

   農業調査・家族調査は、双方とも、全体の計算をおこなうことはせず、抽出サンプルにもとづくものであった。したがって、統計と総平均は調査した事例から知りえた結果にもとづく推定数である。しかし、当該箇所で説明するように、六合県の場合の籾を除いては、図表のよりどころとなっている推定数のデータは調査員の報告のままにしてある。

  バック教授が著書『中国における土地利用』(Land Utilization in China)でおこなっているように、農業調査においては、農家一戸当り平均を県単位で算出し、それを各県の農家の総数に乗じてある。総数は県総数の集計によってえられ、 総平均はこうした総計から計算したもので、各県における農家数の比率に応じて算定されている。村落調査簿が全体の状況を広くつかむために使用されてはいたが、計算はすべて農業調査表にもとづくものである。

 市部調査のなかでも家族調査における総計は、入居中の家(house)五○戸につき一戸の割合で調査してえられた各戸平均の結果を五○倍して算定した。また建物調査における損害計算は一〇棟に一棟の割合で調査したものの総計を一〇倍して算定した。

 印刷した図表の中で、小数点以下の端数は、読者の便をはかって、できるだけ切り捨ててある。総計は一〇〇単位であげてある。

(以下略)

 (「南京大残虐事件資料集供廝丕横隠掘腺丕横隠)

 (2003.6.8)


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