極東国際軍事裁判判決 第8章 通例の戦争犯罪(残虐行為)
第8章 通例の戦争犯罪(残虐行為)
すべての証拠を慎重に検討し、考慮した後、われわれは、提出された多量の口頭と書面による証拠を、このような判決の中で詳細に述べることは、実際的でないと認定する。残虐行為の規模と性質の完全な記述については、裁判記録を参照しなければならない。
本裁判に提出された残虐行為及びその他の通例の戦争犯罪に関する証拠は、中国における戦争開始から一九四五年八月の日本の降伏まで、拷問、殺人、強姦及びその他の最も非人道的な野蛮な性質の残忍行為が、日本の陸海軍によって思うままに行われたことを証している。
数ヵ月の期間にわたって、本裁判所は証人から口頭や宣誓口供書による証言を聴いた。これらの証人は、すべての戦争地域で行われた残虐行為について詳細に証言した。
それは非常に大きな規模で行われたが、すべての戦争地域でまったく共通の方法で行われたから、結論はただ一つしかあり得ない。すなわち、残虐行為はただ一つしかありえない。すなわち残虐行為は、日本政府またはその個々の官吏及び軍隊の指導者によって秘密に命令されたか、故意に許されたかということである。
残虐行為に対する責任の問題に関して、被告の情状と行為を論ずる前に、訴追されている事柄を検討することが必要である。この検討をするにあたって、被告と論議されている出来事との間に関係があったならば、場合によって、われわれは便宜上この関係に言及することにする。そして一般的には、差支えない限り、責任問題に関連性のある事情は、後に取扱うことにする。
一九四一年一二月の太平洋戦争開始時、日本政府が、戦時捕虜と一般人抑留者を取扱う制度と組織を設けたことは事実である。表面的には、この制度は適切なものと見受けられるかもしれない。しかし、非人道的行為を阻止することを目的とした慣習上と条約上の戦時法規は、初めから終りまで、甚だしく無視された。
捕虜を冷酷に射殺したり、斬首したり、溺死させたり、またその他の方法で殺したりしたこと、病人を混えた捕虜が、健康体の兵でさえ耐えられない状態のもとで、長距離の行軍を強いられ、落伍した者の多くが監視兵によって射殺されたり、銃剣で刺されたりした死の更新、熱帯の暑気の中で日除けの設備のない強制労働、宿舎や医療品が全然なかったために、
多くの場合に数千の者が病死したこと、情報や自白を引出すために、または軽罪のために、殴打したり、あらゆる種類の拷問を加えたこと、逃亡の後に再び捕えられた捕虜と逃亡を企てた捕虜とを裁判しないで殺害したこと、
捕虜となった飛行士を裁判しないで殺害したこと、そして人肉までも食べたこと、これらのことは本裁判所で立証された残虐行為のうちの一部である。
残虐行為の程度と食糧及び医療品の不足の結果とは、ヨーロッパ戦場における捕虜の死亡数と、太平洋戦場における死亡数との比較によって例証される。
合衆国と連合王国の軍隊のうちで、二十三万五千四百七十三名がドイツ軍とイタリア軍によって捕虜とされた。そのうちで、九千三百四十八人、すなわち四分が収容中に死亡した。
太平洋戦場では、合衆国と連合王国だけから、十三万二千百三十四名が日本によって捕虜とされ、そのうちで、三万五千七百五十六人、すなわち二割七分が収容中に死亡したのである。(P258)
(毎日新聞社『東京裁判判決 極東国際軍事裁判所判決文』所収) |