菅原裕氏『東京裁判の正体』より
四、偽証罪と法廷侮辱罪
本裁判審理において、最も興味深く感じたのは、偽証罪の追及がほとんどなく、その反対に法廷侮辱の剔抉(てっけつ)がすこぶる峻厳を極めたことであった。この点ウエッブ裁判長は自信をもって、法廷の秩序維持を、もっぱら法廷侮辱罪の活用に置き、全公判を一貫した。
法廷の論議も裁判長が「これに関する議論はおしまい」と宣言した後、なお発言すると、法廷侮辱だと、きめつけるあんばいだった。
著者はわが国法曹界の諸氏の御参考までにこの点について、今少しく詳しく述べてみよう。(P124)
偽証罪
最初われわれ日本人弁護人は、検察側証人があまりにも厚顔無恥で、しらじらしい嘘を平気で証言するので、憤慨のあまり「証人は検事から何度調べられたのか、その調べ方はどんなふうであったか」と追及した。
ところがそうした弁護人の発言に対して、ウエッブ裁判長はきまって「そんなことはわれわれ裁判官の助けにならぬ」と拒否した。
そこで弁護人は「いや大いに助けになる。証人があらかじめ検察側から、どんなふうに調べられたかということは、証言の信憑力に重大な関係を持つものだ」と抗弁したが、裁判長は受けいれようとしなかった。
そうして、それは、だんだんウエッブ裁判長のつぎの如き信念に基づくものであることが、明瞭になった。
すなわち「検事側も弁護側も、いやしくも証人を法廷に連れて来るには、あらかじめ十分に調べて、その最も有利な部分を整理して、証言せしむべきだ。法廷に来てから混雑するようでは、法廷のためにならぬ。
もしそれ偽証であるか、どうかがわからぬようで、どうして裁判官がつとまるか。われわれは陪審員ではなく、本職の判事である」というにあった。
裁判所の心証を害さないように、証言前には証人に会見することさえ遠慮するように習慣づけられたわれわれ日本人弁護人としては、この徹底した当事者主義の実行には、当初奇異な感を催したが、裁判長は最後までこの方針を貫き、四百十九人の法廷証人、七百七十九人の宣誓口供書の取り調べに際し、ただの一度も偽証の疑いを挟んだり、偽証罪を振りかざしたことはなかった。(P125)
これは証人をして屈託なしに十分に証言をなさしめる考慮からで、人格尊重の点からいっても、真実発見の意味からいっても肝要なことである。(P126)
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