731部隊(14) | 「生体解剖」はあったのか? (1)胡桃沢証言の変遷 |
胡桃沢正邦氏は、元731部隊隊員。最初は二木班に所属し、「結核菌」の研究を行いました。のち岡本班に異動し、「実験」の成果を確認するための「人体解剖」に携わることになります。戦後は医療の現場から離れ、長野県で農業に従事しました。 胡桃沢氏は、何人かのジャーナリストの取材に応じて「証言」を行っています。ただしその内容は、「悪魔の飽食」で語った内容を別のジャーナリストの取材で覆すなど、大きく変遷しています。そして死の直前になって、ようやく「真実」を語ることになりました。 以下、胡桃沢証言の変遷の経緯を見ていきたいと思います。
胡桃沢氏が最初の証言を行ったのは、1981年11月、森村誠一・下里正樹『悪魔の飽食』でのことでした。「生体解剖」を生々しく語った証言として注目を集めます。
「解剖室へ移される際『私の可愛い子どもだけは助けてやってくださいな……お願いです。私はどうなってもかまいませんから』と声をつまらせながら訴えたという話だった」 ー ここでは「伝聞」の形をとっていますが、「子を思う母の心情」は、間違いなく読み手の心に響きます。 さらに具体的な「生体解剖」の様子の証言が続きます。
一連の証言のポイントは、以下に要約されるでしょう。 1.「宋哲元の愛人」を、(意識はないものの)まだ生命がある状況で、生体解剖を行った。 2.伝聞ではあるが、彼女は「子供だけは助けてください」と言った、と聞いた。 3.(一般論として)脳の切開もやった。その時、マルタは、口を開いたり閉じたりする。
ところが氏は、その後、他のジャーナリストの追跡取材に答えて、この1〜3のポイントを、そっくり覆してしまいました。これは、右派ジャーナリストにとって、「写真誤用問題」と並び、格好の『悪魔の飽食』攻撃の材料となります。 『文藝春秋』1983年2月号に掲載された論稿から、胡桃沢証言の関係部分を紹介します。
続いて、『諸君!』1983年3月号にも、別のジャーナリストによる、ほぼ同趣旨の論稿が掲載されました。
つまり、この証言では、前の証言のポイントが、以下のように変わっています。 1.「「宋哲元の愛人」は、解剖の時には、既に死亡していた。 2.自分は下里氏に、彼女が「子供だけは助けてください」と言った、などとは言っていない。女には子どもがいたらしい、と言っただけだ。 3.「脳の切開」は「ウサギ」の話。人間ではない。 しかし、このあまりに不自然な証言の「覆し」には、同じ元七三一部隊員からも批判の声があがりました。秋元班の班長、秋元寿恵夫氏のコメントです。
しかし結局、『悪魔の飽食』の「新版」においては、下の方針に従い、森村氏はこの「胡桃沢証言」を丸ごとカットすることになりました。
実は胡桃沢氏は、ほぼ同時期に、ジャーナリスト・池田久子氏のインタビューにも応じています。 このインタビューが掲載された『続・語りつぐ戦争体験4 満州第731部隊』の出版年は1983年11月。インタビューの時期は明確ではありませんが、「わたしも、もうすぐ七十歳です」(P28)という言葉があることから、『悪魔の飽食』の直前、あるいは前後してのインタビューと思われます(『悪魔の飽食』では「今年七十歳」)。 そのインタビューの中で、胡桃沢氏は明確に、「人間が生きているうち」の「解剖」を語っています。
「悪魔の飽食」に登場したが、杉山インタビューでいったん否定した『この子だけはたすけてほしい』の一言も、このインタビューに登場します。
つまり胡桃沢氏は、下里・森村氏以外のインタビューアーに対しても、ほぼ同一の内容を語っていたわけです。してみると、どうやら、「『悪魔の飽食』が胡桃沢証言を捻じ曲げた」わけではなさそうです。 おそらく氏は、『悪魔の飽食』のあまりの反響に恐れをなして、腰が引けてしまったのではないか、と推察されます。
いったん「証言」を撤回し、それからは「沈黙」を守った胡桃沢氏でしたが、死の直前になって、再び重い口を開くことになります。 驚くべきことにその内容は、『悪魔の飽食』で語ったことを追認するにとどまらず、さらにそれを上回るものでした。
前の証言のポイントは、このように変化しています。 1.「生きた女性」を、クロロホルムで眠らせて、眠っている間に解剖した。 2.その女性は、解剖の時に目がさめてしまって、「子どもだけは助けてくれ」と叫んだ。 一連の経緯から見て、おそらくこれが、「真実」でしょう。何と、「子どもだけは助けてくれ」というのは、伝聞どころか、胡桃沢氏が直接耳にしたものだった、ということです。 自らの「残虐行為」を認めることがいかに「重い」ことであるのか。胡桃沢証言の変遷は、そのまま胡桃沢氏の苦悩の歴史である、と言うことができるでしょう。 ※一応ですが、この「死の直前」の証言は、あるいは、「記憶の汚染」によるもの、という可能性も完全には否定できません。しかし一連の流れを見ると、「死の直前になってようやく真実を語った」という見方の方が、より自然である、と考えます。 (2018.7.8)
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