731部隊(14) 「生体解剖」はあったのか?
(1)胡桃沢証言の変遷


 胡桃沢正邦氏は、元731部隊隊員。最初は二木班に所属し、「結核菌」の研究を行いました。のち岡本班に異動し、「実験」の成果を確認するための「人体解剖」に携わることになります。戦後は医療の現場から離れ、長野県で農業に従事しました。

 胡桃沢氏は、何人かのジャーナリストの取材に応じて「証言」を行っています。ただしその内容は、「悪魔の飽食」で語った内容を別のジャーナリストの取材で覆すなど、大きく変遷しています。そして死の直前になって、ようやく「真実」を語ることになりました。

 以下、胡桃沢証言の変遷の経緯を見ていきたいと思います。




 最初の証言 『悪魔の飽食』初版



 胡桃沢氏が最初の証言を行ったのは、1981年11月、森村誠一・下里正樹『悪魔の飽食』でのことでした。「生体解剖」を生々しく語った証言として注目を集めます。

森村誠一『悪魔の飽食』(光文社版 初版)より (1981年11月)

 元石川班員から病理解剖の実態を取材しているうちに、ショッキングな事実にぶつかった。それは「8棟に収容されていた女マルタが、岡本班によって生体解剖された」というのである。元隊員から別の元隊員へと取材紹介を受けながら、女「丸太」の最期を追って元岡本斑員の一人を訪ねた……。


 愛人分解

 −女マルタの一人が生きたまま解剖されたというが、事実か。

「そう。事実だ。彼女は中肉中背の中国人女性で、年齢は……二十四、五歳にもなっていなかっただろう。なんでも宋哲元の愛人だったという女性だ」

 − その女マルタには子どもがいた?

「ああ、いたな。監獄の中で出産した女マルタの一人だ。生体解剖される直前、今日が最後になるとわかったのか……解剖室へ移される際『私の可愛い子どもだけは助けてやってくださいな……お願いです。私はどうなってもかまいませんから』と声をつまらせながら訴えたという話だった……」

 元岡本班員の回想は、のっけから生々しい事実に彩られていた。インタビューに応じてくれたA氏は今年七十歳、ごま塩頭と赤銅色の風貌は、戦後第七三一部隊から復員して以来、医学分野とはいっさいの関係を絶ち、ずっと農業をやってきたというまぎれもない東北農民のものであった。(P72-P73)

 宋哲元(一八八五〜一九四〇)は中国国民軍の将軍で、一九三三年(昭和八年)の長城戦において侵略してきた日本軍を打ち破り、その後、対日姿勢に曲折はあったものの、蘆溝橋事件以来再び抗日戦に参加していた軍人である。中国民衆からは「抗日の英雄」として尊敬を受けていた人物である。(P73)


 「解剖室へ移される際『私の可愛い子どもだけは助けてやってくださいな……お願いです。私はどうなってもかまいませんから』と声をつまらせながら訴えたという話だった」 ー ここでは「伝聞」の形をとっていますが、「子を思う母の心情」は、間違いなく読み手の心に響きます。

 さらに具体的な「生体解剖」の様子の証言が続きます。

森村誠一『悪魔の飽食』(光文社版 初版)より

 第七三一部隊において数々の病理解剖を手がけたというA氏の回想によれば、当の女「丸太」の生体解剖には、岡本班のみならず石川班、田部班や、湊斑、内海班など各班から技師・技手が参加したという。

  − マルタの生体解剖のときは、各研究室にあらかじめその旨が連絡されてくるのか?

「主として執刀を担当するのは岡本・石川両班だが、生体解剖は医学的にみても価値が高いので、あらかじめ各班に連絡されていた。『×月X日は珍しい解剖があるから……』と連絡があれば、生体解剖のことだと各研究室ともピンときていたはずだ」

 − 執刀担当者への注意は?

コッヘル鉗子を携行せよといってくるので、生体解剖だとわかる……死体の場合には止血作業は不要だ。ところが生体はメスで開くそばから、コッヘル鉗子で止血しないと、解剖室の天井から壁まで血糊が飛び散り大騒ぎとなる

  − 麻酔の方法は?

クロロフォルムを浸ませたガーゼ布で鼻と口をおおう……五分もすると完全に眠ってしまい意識不明となる。そこで咽喉にメスを当て、止血しながら腹から陰部へと開いていく。その女マルタが殺されたのは昭和十九年ごろじゃなかったか……」

  − 生体解剖の段取りは?

「解剖室の手前、高橋斑研究室に向かい合って、更衣室がある。そこで解剖衣に着換える……解剖衣は上体密閉式のもので、腕には長いゴム手袋をはめ、その上から布手袋をはめる……執刀はたいていの場合、技手がおこなったが、珍しい検体のときには技師も立ち会って解剖所見を口述する……『はい、どこそこの部位に充血』『はい、次は肺』という具合に……(P73-P74)

 印刷された解剖所見書が何枚もあり、『肺』といわれれば肺が印刷された図面をさっと取り出して、筆記するのは雇員の役目だ……普通の病理解剖だと一体一時間で終わりだが、生体解剖は一体三時間ぐらいかかる。終わるとくたくたになる……」(P74)



森村誠一『悪魔の飽食』(光文社版 初版)より


  − どうして一般の病理解剖に比べ生体解剖は三倍もの時間がかかるのか?

開きながらいろんな実験をするからだ。とくに女マルタの場合には女性生殖機能を中心として、いろんなところにさまぎまな測定器具を当てがい、排卵機能を調べたり、微細な解剖をおこなう……だから時間ばっかりかかる。一つの研究室が余り時間を食いすぎないよう、事前に実験計画が提出されていた

  − 脳の切開は?

「やった。脳を開いて、まず延髄のところを細いメスでさわる……『橋』と呼んでいた部位と延髄の間を突っつくと、マルタの口が突然ぱくっと開いて、わく、わく、わくと歯を鳴らして口を開いたり閉じたりする

……麻酔で眠らせているヤツだから気味悪いことだ。中脳の小さな隆起をさわると、足がぴんと起ったり、腕が動いたりする……こういう実験をおこないながら切開したところを片っばしから標本にする。執刀者はぐったりだ」 (P74)


 一連の証言のポイントは、以下に要約されるでしょう。

1.「宋哲元の愛人」を、(意識はないものの)まだ生命がある状況で、生体解剖を行った。

2.伝聞ではあるが、彼女は「子供だけは助けてください」と言った、と聞いた。

3.(一般論として)脳の切開もやった。その時、マルタは、口を開いたり閉じたりする。





 証言を覆す

 ところが氏は、その後、他のジャーナリストの追跡取材に答えて、この1〜3のポイントを、そっくり覆してしまいました。これは、右派ジャーナリストにとって、「写真誤用問題」と並び、格好の『悪魔の飽食』攻撃の材料となります。

 『文藝春秋』1983年2月号に掲載された論稿から、胡桃沢証言の関係部分を紹介します。


中田建夫『"飽食"したのは誰だ』

 このくだりを証言したA氏とは元岡本班技士の胡桃沢正邦氏だが、氏は次のように再証言しているのである。

宋哲元の愛人の解剖は、わしが執刀したわけでも、助手でついたわけでもない。立ち会ったというより、見学に出た程度だな。

 おそらく生体解剖に等しいというか、ご存じのとおり、死後二十四時間たたなければ埋葬許可や火葬許可が出ないわけだから、死後すぐやったら生体解剖といえばいえる。私たちは解剖と病理研究が役目でしょう。破傷風のような場合は、死後六時間以上経過すると、組織が崩れてしまうんですね。死後即刻、解剖しなければならない。

 午後五時が退庁時間だとして、臨終所見で実験材料(の命)がその一、二時間後には死ぬという場合、解剖が翌日の出勤時間まで延びたら実験成果が出てこない。そこで、おそらく麻酔剤を使用して殺したのではないかということなんです。クロロホルムはかがせないで、注射するんです。

 私たちは嗅覚と舌の感覚は鋭敏なんです。執刀した場合、血液からパッと出るにおい、つまり薬品のにおいがかぎわけられるんです。そういうにおいがするということは、血液中に入っているわけだから、生きているうちに入れた(注射した)んだろうと考えられる。

 退庁時間ぎりぎりに実験材料が死亡したから解剖して欲しいと解剖室に連絡が入ったときに、まだ血液が凝固していないとか、死斑も死硬も出てなくて、暖かみのある柔らかい実験材料だったということが二、三あった。おそらく、それが生体解剖ではないかというわけです。(P371-P372)

 ヒィヒィ言うのを、手術みたいにやるということは、おそらくなかったでしょうね。少なくとも、私が担当したことはない

 私らが解剖するときは、出血なんかありませんよ。コッフェル鉗子は、サルやウサギを本当に生きたまま解剖する時に使いますが、マルタに対する解剖でコッフェル鉗子を使ったことはおそらくない。ちょっとオーバーな話だな。

 (宋哲元の愛人を)生きたままというのではない。麻酔をかけてすぐ・・・。処置はよく知らんけれど、解剖台に載っとったときは、すでに死んどったんだ。解剖している段階では、(一般の考えるような生きたままの)生体解剖ではないね。

 (脳を突ついて)口がパクパクの部分は、これは動物の話ですよ。ウサギなんかの脳の実験、さながら人間のように書いてあるね。このように運動するんだったら、その人間は生きとるですよ。なんだって、まぁ。このようなこと、私は言ったことはない。針小棒大なことにしてしまうから、新聞記者と小説家は大嫌いだってよく言ってんだ」(P372)

(『文藝春秋』1983年2月号)

 続いて、『諸君!』1983年3月号にも、別のジャーナリストによる、ほぼ同趣旨の論稿が掲載されました。

杉山隆男『「悪魔の飽食」虚構の証明』

生きている人間を開くなんて・・・

 現に、七三一部隊の「歴史的蛮行」をあばきだし、「コペルニクス的転回」とまで絶賛された前作の内容にさえ、疑いをさしはさむ声がある。それも下里氏の取材に直接協力した元隊員の中からそうした疑問があがっているのだ。

 証言を歪められたと、はっきり断言する元隊員もいる。

 「生体解剖なんでウソですよ

 七三一部隊でもっとも多くの"丸太"を開いたという一人、K・Mさんはやりきれないといった調子で語る。森村氏の手記に実名で登場する、あのKさんである。

 「たしかに私ら、口では言えないようなひどいこと、さんざんやってきましたよ。それは否定しません。だから私は罪ほろぼしのつもりで下里さんに打ち明けたのです。ほんとうなら自分の胸の中にそっとしまっておいて墓の中まで持っていこう、そう固く誓ってたことなんです。

 それを下里さんと一緒にたずねてきた印刷班の上園さんに説得されて、しゃべるつもりになったのです。悪魔と呼ばれてもしようがありません。それだけのこと、やってきたのですから。

 でもいくら悪魔だって、生きてる人間を開くなんてできません。それじゃまるでケダモノです

 一昨年十一月に出版された『悪魔の飽食』では、明らかにKさんをさしたとみられる元解剖班員とのインタビュー記事が六ページにわたって掲載されている。<愛人分解>、<解剖屋大繁盛>といささか猟奇的な小見出しのついた部分(七十二ページ〜七十七ページ)がそれである。

<元岡本班員・・・今年七十歳、ごま塩頭と赤銅色の風貌は、戦後第七三一部隊から復員して以来、医学分野とはいっさいの関係を絶ち、ずっと農業をやってきたというまぎれもない東北農民・・・>

 長野が東北にこそ変っているが、あとのプロフィールはすべてKさんにあてはまる。

 インタビュー記事はのっけからショッキングなやりとりではじまる。(P262-P263)

−女マルタの一人が生きたまま解剖されたというが、事実か。

 「そう。事実だ。彼女は……なんでも宋哲元の愛人だったという女性だ」

 − その女マルタには子どもがいた?

 「ああ、いたな。監獄の中で出産した女マルタの一人だ。生体解剖される直前、今日が最後になるとわかったのか……解剖室へ移される際『私の可愛い子どもだけは助けてやってくださいな……お願いです。私はどうなってもかまいませんから』と声をつまらせながら訴えたという話だった……


 Kさんは、このくだりをはじめて読んだ時、一瞬目を疑ったという。

 「こんなこと、だれが言ったのだろう。まさか自分とは夢思いませんでしたからね。でも、だんだん読みすすんでいくうちに私とのインタビューだとわかって、もう腹がたって腹がたって・・・」(P263)



「丸太」の正体はウサギだった!

 Kさんは、「生体解剖があった」とはひと言も下里氏には証言しなかったというのだ。

 「たしかに、<宋哲元の愛人>がいたらしいとは話しましたよ。でも、生体解剖なんて話、これっぽっちだってしていません。だいたい、『可愛い子どもだけは助けて』なんてこと、私は言ってませんよ。声をつまらせる? ウソ言っちゃいけませんよ。女には子どもがいたらしい。そう下里さんに話しただけなのに、なんでこんなふうになるんですか。デッチ上げもいいとこですよ」

 Kさんによって「ウソ」と決めつけられたインタビュー記事はさらに続く。むろん<生体解剖>のシーンである。

− 脳の切開は?

 「やった。脳を開いて、まず延髄のところを細いメスでさわる……『橋』と呼んでいた部位と延髄の間を突っつくと、マルタの口が突然ぱくっと開いて、わく、わく、わくと歯を鳴らして口を開いたり閉じたりする……麻酔で眠らせているヤツだから気味悪いことだ。中脳の小さな隆起をさわると、足がぴんと起ったり、腕が動いたりする……」


 Kさんは、ここまで読んで、怒りよりバカバカしさが先に立って、思わず苦笑してしまったという。

 「ウサギがどうして、"丸太"に化けるんでしょうか。私はウサギの話をしたんですよ。動物実験でウサギの脳を切り開いた時のことを下里さんに話しただけなんです。メスで突つつくと、口が開く。わくっ、わくっと歯が鳴るってね。でも、私はメスを持ってた四年間、一度だって"丸太"の脳を突つくなんてことしませんでしたよ」

 「ウサギ」が人間の「丸太」に化けたのである。(P264)

(『諸君!』1983年3月号)

 つまり、この証言では、前の証言のポイントが、以下のように変わっています。

1.「「宋哲元の愛人」は、解剖の時には、既に死亡していた。

2.自分は下里氏に、彼女が「子供だけは助けてください」と言った、などとは言っていない。女には子どもがいたらしい、と言っただけだ。

3.「脳の切開」は「ウサギ」の話。人間ではない。



 しかし、このあまりに不自然な証言の「覆し」には、同じ元七三一部隊員からも批判の声があがりました。秋元班の班長、秋元寿恵夫氏のコメントです。

秋元寿恵夫『医の倫理を問う 第731部隊での体験から』

 ところが最近になって、かつては「せめてもの罪はろぼしのつもりで」打ち明けたはなしが、それらの証言を集めて書かれた本の中では歪められて、実際に生体解剖をやったことになってしまっているが、あれはウソだ、と、べつの雑誌記者に断言する元隊員が現われた。

 そしてその記事によれば、このひとはつぎのようにいっている。

 「たしかに、私ら、口では言えないようなひどいことをさんざんやってきましたよ。それは否定しません。だから私は罪はろぼしのつもりで打ち明けたのです。ほんとうなら自分の胸の中にそっとしまっておいて墓の中まで持っていこう、そう固く誓っていたことなんです。………悪魔と呼ばれてもしようがありません。それだけのこと、やってきたのですから。

 でも、いくら悪魔だって、生きている人間を開くなんてできません。それじゃまるでケダモノです。………ウサギがどうして『丸太』に化けるんでしょうか。私はウサギの話をしたんですよ。動物実験でウサギの脳を切り開いた時のことを話しただけなんです。………」

 わたくしはこれを読んだとき、しばらくはあいた口もふさがらぬ思いがした。このひとは、ウサギを解剖した時のことを話したのに、いつの間にかそれが人間の生体解剖に化けてしまった、といっている。

 だが、もしもそれが真実であるとするならば、このひとも問わず語りにしゃべってしまったように、「口では言えないようなひどいことをさんざんやってきた」人間が、思い切って告白するという緊迫した場面で、本筋とは何の関係もない動物実験で使ったウサギの話などがひょっこりと飛び出したことになるのだが、そんなつじつまの合わない証言で、聞き手は本当に納得したのか、とかえってこちらから問い返したくもなる。(P122-P123)



 しかし結局、『悪魔の飽食』の「新版」においては、下の方針に従い、森村氏はこの「胡桃沢証言」を丸ごとカットすることになりました。

森村誠一『新版・悪魔の飽食』(角川文庫)より (1983年6月)

 新版においては、その後証言内容に争いが生じたものは削除し、判明した新事実を書き加えた。(P3)

※「ゆう」注 光文社から出た旧版が「写真誤用」事件で絶版になった後、1983年6月、角川文庫から新版が発行されました。



 『悪魔の飽食』以外にも・・・


 実は胡桃沢氏は、ほぼ同時期に、ジャーナリスト・池田久子氏のインタビューにも応じています

 このインタビューが掲載された『続・語りつぐ戦争体験4 満州第731部隊』の出版年は1983年11月。インタビューの時期は明確ではありませんが、「わたしも、もうすぐ七十歳です」(P28)という言葉があることから、『悪魔の飽食』の直前、あるいは前後してのインタビューと思われます(『悪魔の飽食』では「今年七十歳」)


 そのインタビューの中で、胡桃沢氏は明確に、「人間が生きているうち」の「解剖」を語っています

胡桃沢正邦『わたしと七三一部隊』(聞き書き=池田久子) (1983年11月)

 破傷風菌などは、人体内では、あっというまに組織を破壊するでしょう。だから人間が生きているうちに、バッと解剖したんです。おもてむきは医学の向上ですが、ほんとうはおそるべき細菌兵器づくりでした。戦争遂行上の、あらゆる医学的実験が、関東軍防疫給水部、略して防給の名でやられました。お国のためだからと、わたしだって、なにひとつうたがうこともありませんでした。(P19)

(『続・語りつぐ戦争体験4 満州第731部隊』より)


胡桃沢正邦『わたしと七三一部隊』(聞き書き=池田久子)

メスをにぎって

 昭和十六(一九四一)年九月に、病理解剖班へまわされました。岡本班配属です。それから、昭和二十(一九四五)年八月に日本が降伏するまで四年間、人体解剖に、執刀にとあけくれることになりました。(P22)



 解剖室というのは、病院の手術室とおなじようなもんです。鉄製の手術台や、天じょうの大型の照明器具。しかし、もっとずっと殺風景です。ほかには標本用のガラス容器とか、バケツがあるだけでした。(P22-P23)

 わたしらは朝からそこへはいりました。執刀者と助手ふたり、それに記録係がいます。記録係は、わたしが生きた人間のからだをきりひらくかたわらで、上官に提出する剖検メモをつくるための下書きをするわけです。

 順序としては、まず更衣室で解剖衣に着かえました。それは絹製の防水服で、つなぎの防菌衣というところです。ゴム長ぐつをはき、ゴム手袋をつけ、さらにうすい布手袋をはめ、帽子、メガネ、マスクをかけます。

 そこで解剖室にはいり、メスをとるわけですが、人間ひとりを解剖すると、血だらけでした。実験材料は、七棟、八棟のマルタがほとんどだったでしょう。マルタは、診療室へ、聴診、打診といってつれだして、クロロホルム注射でころしてしまったりしました。マルタ一本を三時間がかりで解剖すると、はいていた長ぐつの中に、五センチも汗がたまる。

 胸の上の鎖骨のところへメスをいれて、すうっとひらいていき、つぎつぎ臓器をとりだし、最後には、肛門から睾丸までとってしまって、すっからかんです。睾丸もたちわってみます。生体解剖のときは、変色しないように、すぐアルコールへつけます。死体のときは、臓器をよくしらべたあと、水であらい、ホルマリン液につける。二〇リットルほどはいる、ガラスの標本ピンにいれて保存しました。助手が、ドサリ、ドサリとバケツにほうりこんで、あらったり、つけたり、大いそがしでしたよ。(P23-P24)

(『続・語りつぐ戦争体験4 満州第731部隊』より)


 「悪魔の飽食」に登場したが、杉山インタビューでいったん否定した『この子だけはたすけてほしい』の一言も、このインタビューに登場します。

胡桃沢正邦『わたしと七三一部隊』(聞き書き=池田久子)

 実験材料にはマルタをつかったが、たまには、ハルビン第一陸軍病院からおくられたものや、流行性出血熱とか、森林ダニ脳炎にかかった満州人なども解剖しました。飛行機でとんでいって、南京、上海で解剖したこともありましたね。

 わたしの隊には、少年隊員が三人いましたが、解剖室へのでいりはさせず、もっぱら病理研究室をてつだわせました。

 子どもの生体解剖があったときいたが、わたしはやっていません。二十四、五の女マルタはみました。抗日家で宗哲元という国民政府軍の将軍の愛人がつかまって、その解剖にはたちあった。昭和十九(一九四四)年ごろでしたか。

 その女マルタには、監獄の中でうまれた男の子がいて、
「この子だけはたすけてほしい」
と哀願したそうです
が、もちろんたすかるはずはなかったと思います。(P24)

(『続・語りつぐ戦争体験4 満州第731部隊』より)


 つまり胡桃沢氏は、下里・森村氏以外のインタビューアーに対しても、ほぼ同一の内容を語っていたわけです。してみると、どうやら、「『悪魔の飽食』が胡桃沢証言を捻じ曲げた」わけではなさそうです。

 おそらく氏は、『悪魔の飽食』のあまりの反響に恐れをなして、腰が引けてしまったのではないか、と推察されます。

※胡桃沢氏はその後、越定男『日の丸は紅い泪に』にて、「赤澤」という名前で証言を行っています。インタビュー時期は明確ではありませんが、本の発行が1983年8月ですので、おそらく「証言を覆した」後であると思われます。こちらでは、「特に破傷風で死亡したものは、死後六時間経過すると解剖の価値はなくなってしまうので、研究班の我い要請もあって、息が止まれば直ちに死班、死硬も出ぬうちに解剖した」(P107-P110)と、一応は「死後の解剖」であったことになっています。



 そして、その後


 いったん「証言」を撤回し、それからは「沈黙」を守った胡桃沢氏でしたが、死の直前になって、再び重い口を開くことになります。

 驚くべきことにその内容は、『悪魔の飽食』で語ったことを追認するにとどまらず、さらにそれを上回るものでした。


西野留美子『七三一部隊のはなし』

 彼がここまで話す気持ちになるのには、二日かかりました。私が訪ねたその日、彼は重要なことはほとんど語りたがりませんでした。彼が変わったのは、この質問からでした。(P113-P114)

「私がどうしてもあなたの口から聞きたいのは、性病研究のなかで、生きた女性の解剖があったのかということです」

 思いきってたずねたとき、彼はサッと顔色を変えました。

「そんなことは言えん! 思いだしたくない……」

 そう言って、グッと目を閉じたのですが、しばらくしてからです。

「生体解剖のこと……今でもときどき思いだすんですよ。クロロホルムをかがして眠らせておいて、眠っておるあいだに解剖したの。ところが生きておるから、うまく切らんと血がものすごい勢いで吹きだす。水道のようにね。そういうときは、いくつものコッフェル鉗子で血管を押さえるの……」

「……」

「まだ言われんことがある。どうしても。生体解剖のことだって、あんただけだ。こんなにしゃべってしまったのは。だけど、あのことだけは、どうしても言いたくない。地獄にまでもっていくつもりだ……」(P114-P115)

 そう言って、突然彼は泣きだしたのです。声をあげて、涙で顔はグシャグシャになりました。何を話したいのだろうか。そう私は思いました。話したくないと言っているけれど、本当は何かを話したいのではないだろうか。話したくても話せない心の狭間で、彼はこんなにも苦しんでいるのではないだろうかと思ったのです。

 話してはならないという気持ちが強ければ強いほど、彼はその秘密から解かれたいにちがいないと。しかし私は、無理強いして聞こうという気持ちにはとてもなれませんでした。

「ごめんなさい。だいぶ疲れさせてしまって……」

 私は彼をこれ以上興奮させてはいけないと思い、帰ることを告げました。ところが帰りかけたとき、彼は私を呼びとめたのです。

「言いたくなかった。死んでもだれにも言わんぞと思ってきた。地獄までもっていくぞと思っていた……」

「……」(P115)

生体解剖のことだ。中国人の女だった……。解剖するときに目がさめてしまって、私は殺されてもいいが、子どもだけは助けてくれって、そう叫んだ……その女を、わしは解剖した……

 その話を聞き、再会を約束した三カ月後に、私は彼が亡くなったことを知りました。彼が話してくれた貴重な証言は、秘されていた事実の解明にきっと役立つだろうと、私は信じています。(P116)

※この本には「胡桃沢」の名は出てきませんが、このインタビューのビデオを紹介した、ハル・ゴールド『証言・731部隊の真相』に実名が登場します(P46)

 前の証言のポイントは、このように変化しています。

1.「生きた女性」を、クロロホルムで眠らせて、眠っている間に解剖した。

2.その女性は、解剖の時に目がさめてしまって、「子どもだけは助けてくれ」と叫んだ。



 一連の経緯から見て、おそらくこれが、「真実」でしょう。何と、「子どもだけは助けてくれ」というのは、伝聞どころか、胡桃沢氏が直接耳にしたものだった、ということです。



 自らの「残虐行為」を認めることがいかに「重い」ことであるのか。胡桃沢証言の変遷は、そのまま胡桃沢氏の苦悩の歴史である、と言うことができるでしょう。

※一応ですが、この「死の直前」の証言は、あるいは、「記憶の汚染」によるもの、という可能性も完全には否定できません。しかし一連の流れを見ると、「死の直前になってようやく真実を語った」という見方の方が、より自然である、と考えます。

(2018.7.8)


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