| 731部隊(�后� | 人体実験、これだけの根拠(1) (5)「擁護」側からの証言 |
|
「731部隊」の実態に関しては、多数の証言者が存在します。 おおまかにグループ分けをすると、 �.魯丱蹈侫好�軍事裁判被告、及び中帰連メンバーの「戦犯」グループ、 �◆悵�魔の飽食』の取材源となった証言者たち、 ��『悪魔の飽食』や日本各所で開かれた「731部隊展」などに触発されて自発的に名乗り出た証言者たち、 ��『悪魔の飽食』に反発し、「731部隊」の活動を擁護する立場の証言者、 ということになるでしょうか。 ここではあえて、「擁護する立場」からの証言のみを取り上げます。 念のためですが、「擁護」側ですら、「人体実験」の事実を否定している証言者は皆無です。「人体実験」の存在は全証言者グループの当然の前提であり、全く争点とはなっていないことにご注意ください。
最初は、勝共連合系の新聞である『世界日報』に掲載された、佐々木義孝氏の証言を紹介します。 メディアがごりごりの右翼系であるだけに、徹底的に「悪魔の飽食」を批判するスタンスです。「生体解剖はなかった」「悪魔の飽食はフィクション」という、刺激的な見出しが躍ります。 しかしその佐々木ですら、実質的に、生体実験によって死者が発生したことを認めてしまっていることにご注目ください。
ご覧の通り、この佐々木証言は、「細菌戦」の事実を否定するなど、かなり無茶なものです。 しかしその中でも、あっさりと「一週間に二人ぐらい」のペースでの「生体実験」の事実、そしてそれにより「死体」となった被験者が存在したこと(つまり「生体実験」によって被験者を殺してしまったこと)、という重要な点を認めてしまっています。 なお記事の中で、佐々木は731部隊のNo4として紹介されています。しかし実際には、「731」関係の書籍や論文で、佐々木の名前を見かけることはほとんどありません。 常石氏の本に名を見ることはできますが、「石井の古くからの仲間、あるいは側近」という、あっさりした紹介です。
常石氏が書く通り、佐々木は、トンプソンの尋問を受けています。しかし尋問を終えたトンプソンは、「佐々木程度のレベルでは生物兵器について知っているということはないと思われる」と失望しています。
米国側からはあまり重要人物とは思われなかったためでしょうか、佐々木は、続くフェル、ヒルの調査では、もう呼び出しがかかることはありませんでした。 あくまで私の個人的印象ですが、佐々木に「大物」感はあまりありません。 石井四郎、北野政次、内藤良一、増田知貞、金子順一あたりの幹部を部隊の「主役」、各研究グループの班長クラスを「準主役」とするならば、それに続くステージにいるくらいのイメージでしょうか。 佐々木は実際には、部隊の実態には詳しくなかったのかもしれません。
さて、その佐々木が高く評価している証言集があります。郡司陽子『証言・七三一石井部隊』です。
郡司陽子は、松村高夫氏からは、「擁護派」に分類されています。
実際には「擁護」とまで言えるか微妙なところですが、ともかくも、「反『悪魔の飽食』」派」である佐々木からも好意的に紹介されている本です。 この本には何が書かれているのか。以下、内容を見ていきましょう。 郡司陽子氏(仮名)は、1941年、24歳の時、731部隊員の夫と結婚し、5月にはそのまま満洲に渡りました。9月に帰国、陸軍軍医学校の防疫研究室に入ります。 1942年9月には、今度は自身が部隊員(特別班動物舎勤務)となり、731部隊に戻ることになります。戦後は、石井四郎の「いわば「私設秘書」」(P228)として、新宿若松町の石井宅に住み込みました。 郡司氏は、『悪魔の飽食』に触れた感想を、次のように書きます。
私たちは「悪魔」などではない。みな、「素朴で、やさしい、働き者ばかりだ」(「まえがき」より)。そのような視点から、郡司氏は、自分の部隊での体験を詳細に語るとともに、知り合いのつてを辿って部隊員の証言を集めました。 夫は「何も話してくれない」(P85)状態でしたが、この本では、1938年から部隊に勤務していた「弟」、そして「弟」の親友であった特別班員「Y」の証言が取り上げられています。以下、「人体実験」に関わる部分を紹介します。 なお郡司氏自身は、「人体実験」などとの関わりは持ちませんでした。
繰り返しますが、以上が、佐々木義孝が「かなり正確に書かれている」という本に掲載された証言です 。『世界日報』インタビューではやや言葉を濁していましたが、佐々木も「人体実験」については十分に認識していた、と考えていいでしょう。 郡司氏にはもうひとつ、『証言 七三一石井部隊』の三カ月後に出版された、『真相 石井細菌戦部隊』という著作があります。こちらには、「総務部調査課写真班 T・K」をはじめ、5人の証言が収められています。
元731部隊員である一開業医の、大学学友時報への投稿です。 原文では氏名・医院名とも明記されていますが、名が知られていない人物ですので、プライバシーに配慮して、ここではイニシャルに変えました。
七三一部隊には、医学の進歩に貢献したという「功」の面もある。「悪行」ばかりに触れずに、こちらにも注目してもらいたい。―おそらくこれが、元部隊員であった医師たちの一般的な認識だったのでしょう。 しかしこのような立場の方であっても、「森村氏の「悪魔の飽食」は、私の体験からしても、殆んどその実相を伝えるものと思います」と、基本的には事実関係を認めています。
古賀勝彦氏は、1940年、731部隊の「隊長直轄配属憲兵室」に配属され、中国語通訳として勤務しました。 著書『諜報機関員の戦場』では、731部隊の「人体実験」は、ソ連に対する抑止力としてやむえなかった、との見解をとります。
そして氏は、自らが関わった毒ガスの「人体実験」について述べています。
その他、氏は、「1941年の冬ごろ」に行なわれた「"ダイナマイト"を用いた衝撃波実験」についても触れています。「十数名の中国人死刑囚」が、「全員」「即死」した、とのことです。 氏は、「毎回の犠牲者に対しては気の毒で、良心に相当な負担があった」と述べながらも、ソ連への対抗上人体実験は「止むを得ない」と主張します。 「正当化」の論理はともかくとして、氏が「人体実験」に関わったこと自体は疑いようもないでしょう。
こちらは「人体実験」についての証言ではありませんが、731部隊の「研究成果」を積極的に評価する立場にある方が、部隊の非人道的行為を認めている、という意味で、ここに紹介します。 赤間まさ子(高名トミ)は、1939年より、看護婦として部隊の診療病院に勤務しました。『婦人公論』1982年11月号には「高名トミ」の名前で手記を寄せています。 また1994年には「赤間まさ子」の名前で、「七三一研究会」のインタビューに応じています。 (このインタビューは七三一研究会編『細菌戦部隊』に収録。高名トミ手記とほぼ同じ内容であることから、同一人物であると判断しました。なお「手記」は、あまりに文学的な表現が目立ちますので、あるいは、証言をもとにゴーストライターがまとめたものとも考えられます) こちらでは、「高名トミ」名の証言を紹介します。高名氏は、ペスト患者が奇跡的に回復していくのを見て、「(七三一の)大変な研究成果だと思います」と発言しています。
その一方で、同じ部隊員であった夫の告白を、このように記しています。終戦時の「証拠隠滅」のため、「マルタ」ではない「ロシア人通訳」まで殺してしまった、という証言です。
最後に、疑わしい人物を捕らえては「マルタ」として731部隊に送り込んでいた、「憲兵隊」側の認識を示します。 「日本憲兵正史」は、憲兵OB組織である「全国憲友会連合会」が5年がかりの大プロジェクトで完成させた、大部の「憲兵隊史」です。いわば、憲友会の「公式戦史」と言ってもいいでしょう。
正確には「マルタ」は正式の裁判を経た「死刑囚」ではなく、ほとんどが憲兵隊の独断で「731部隊」に送り込まれたものです。中には、普通の市民も混じっていたと伝えられます。 それはともかく、石井部隊の研究を「貴重」と持ち上げる一方で、「人体実験」については「これは事実」と断じています。これが「憲友会」の正式見解である、と考えていいでしょう。 (2016.11.6)
|