毒ガス戦 (Ⅲ) |
「あか」は「合法」か |
「きい」(びらん性ガス)についてはなお「使用」を認めない向きもあるようですが、「あか」(くしゃみ性、または嘔吐性ガス)については、論壇では「日本軍が大量使用した」ことについての争いはありません。 一例をあげると、「武漢攻略戦に於ける化学戦実施報告」という資料が有名です。
武漢攻略戦において、日本軍は「特種煙」(あか)を「375回以上」使用した、と明記されています。 当時の戦闘における日本軍の攻撃パターンは、 「あか」を敵陣に向けて散布し、敵がガスを吸い込んで中毒症状を起こしているところへ突撃し、銃剣で全滅させる」というものでした。 議論の焦点となっているのは、「あか」使用が当時の国際法解釈上、合法であったか否か、ということです。(「きい」使用については、「国際法違反」であることについての争いはありません) 「合法論」は、「「あか」は1925年ジュネーブ議定書で禁じられた「毒ガス」には含まれない」との見解です。旧軍人の中には、「「あか」は「毒ガス」ではない(から使用に問題ない)」とまで言い切る方もいるようです。 「合法か違法か」の議論は、当時から継続して行われているもので、今日でも決着が着いたとはいえません。しかし最小限、次のことは確実に言えるでしょう。 1.日本政府は、少なくとも1932年までは、「あか」どころか、もっと毒性の弱い「みどり」(催涙性ガス)までも、国際法上違法なものであるとの見解を持っていた。 2.その後日本は「合法」論に転じたが、「合法」論を世界に向けて積極的に主張することはできなかった。 また、本当に「合法」であるならば「あか」使用の事実を積極的に宣伝しても問題はないはずだが、国際世論の反発を恐れて、日本は「あか」使用の事実を最後まで隠匿し続けようとした。 以下、具体的に見ていきましょう。
まず「ジュネーブ議定書」が、そもそもどのような文章であったかを確認しておきます。
今日の目で振り返る時、この「ジュネーブ議定書」に対しては、このような見方も可能かもしれません。
「毒ガス」の定義は曖昧であり、開発・生産・保有についての規制もない。これではこの「議定書」は実効性を持ちえない、との見解です。 このような代物であってみれば、そもそもこれを標準に「国際法違反」であるか否かを問うことに、あまり意味はないのかもしれません。 むしろ、当時の国際世論の中で、「毒ガス使用」がどのように捉えられていたか、 という実態に即して「道義的に問題があったかどうか」を論じる方が問題のポイントである、と見ることも可能でしょう。 そんな中でも日本政府は、ともかくも1932年までは、「あか」のみならず、より毒性の弱い「みどり」(催涙ガス)の使用も「国際法違反」に該当するものと考えていました。 <事例1> 1930年11月、イギリス代表から「催涙ガス」が「ジュネーブ議定書」で禁止されているかどうかにつき、日本政府に対して照会がなされました。
これに対する、陸軍・海軍の見解です。
陸海軍とも、明確に「催涙ガス」も「毒ガス」に含まれる、という解釈を打ち出しています。この結果、幣原外相は、佐藤局長に対し「貴電第一四〇号の二に関し 催涙瓦斯を含むものと解す」との回答を行ないました。(『毒ガス戦関係資料』P6) <事例2> さらに1932年11月24日、ジュネーブ一般軍縮会議における、日本代表の発言です。
1930年見解と同様に、「催涙ガス」は「禁止」されている、と見ています。 注目されるのは、その論理です。 「催涙瓦斯」そのものは「害毒」が「顕著」なものではない。 しかし、「一般攻撃」と「併用」するときには、「甚だしき惨害」が生じる。従って、他のガスと同様、禁止されるべきである。 「暴動鎮圧にも使われる催涙ガス」という表現でその使用を正当化しようとする議論を見かけますが、 少なくとも当時の日本政府は、そのような見解をとってはいませんでした。そもそも「暴動鎮圧」に、強力な「あか」が使われたことがあるのかどうか、疑問です。 <事例3> また、1932年1月23日、催涙弾及くしゃみ弾合計2500発の支給を求めてきた三宅光治関東軍参謀長に対して、1月29日、陸軍省は以下の回答を行い、「催涙弾、くしゃみ弾」の使用が「国際法無視の誹を免れ」ないことを明確に語っています。
しかしその後日本は、実際の使用がスケジュールにのぼってくるに従い、「催涙ガス」使用は「違法」ではない、という見解に転じました。
私見では、前者「違法」論が世界に向かって発信した堂々たる正式見解であるのに対し、後者「合法」論は「毒ガス」使用がスケジュールにのぼってきた事態に対応しての、外部向けではない、 政府機関の内部的な見解に過ぎないことから、「違法」論の方がより自然なものであると思われます。 何よりも、日本が世界に向かって堂々と「合法論」を主張できなかったことが、世界世論が「あか」使用をどう捉えていたかを示しています。 *なお、ここでいう「催涙性瓦斯」が、「あか」(嘔吐性ガスまたはくしゃみ性ガス)を含むものであるかどうかは、微妙です。 「合法」派は「あか」を「催涙ガスの強力なもの」とみなすことによって「催涙性瓦斯」のカテゴリーに入れようとしていますが、日本軍が「みどり」(催涙性ガス)と「あか」とを作戦上明確に区別していたことから、 「あか」は「催涙性瓦斯」とは異なるカテゴリーに属するものである、とする見解も有力です。
さて、このように内部的には「合法論」に転じた日本でしたが、対外的に「合法」との主張を行うことはできませんでした。 それどころか、 「あか」(嘔吐性ガス)の使用を必死に隠蔽しようとする様子が、さまざまな資料に見てとれます。
当時の新聞でも、「中国軍の催涙ガス・くしゃみ性ガス」の使用は、それが事実であったかどうかはともかくとして、重ねて報道されました。しかし、日本軍の「あか」使用が新聞の紙面を賑わせたことは、私の知る限りではありません。 中には次の通り、「中国側のクシャミ性毒瓦斯使用」を非難する記事も存在しました。当時の世論において、「あか」の使用がどのように見られていたかを知るデータの一端であるといえるでしょう。
(2005.11.12)
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