山西省曲沃における毒ガス戦

−昭和13年7月−



 昭和13年7月頃、日本側メディアは、山西省曲沃で「中国軍が毒ガスを使用した」という趣旨の報道を行いました。これは今日に至るも、「中国軍の毒ガス使用」を証明する有力な根拠となっているようです。

 以下、報道の例として、信夫淳平氏が著作に引用する「同盟記事」と、当時の「大阪毎日新聞」の記事を見てみましょう。


<同盟記事1〜4>

信夫淳平氏『戦時国際法講義』より


<同盟記事1>
その後にありても、昭和十三年六月、皇軍は講馬鎮付近及び曲沃付近に於て孰れも敵の毒瓦斯弾数十発を発見したとあり(同月二十日太原発『同盟』)、次では

<同盟記事2>
『山西にある我軍の後方撹乱を企図せる敵は・・・悪性の毒瓦斯を使用しつつあり。敵はこの毒瓦斯使用に方り彼れ自ら損害を招くので、之を防止せんがため何れも優秀なる防毒面を準備し、 過般山西西部にて我軍に押収せられた防毒面は独逸製二四式二千、自耳義製二千五百、支那製一万、その他二万の多数に上つてゐる。』 ( 同年六月二十八日石家荘発「同盟」 )

<同盟記事3>
『山西各地に於ける敵は先般来頻々と毒瓦斯を使用してゐたが、去二日には蒙城鎮(臨汾南方)の東方に於て我が猛撃に堪へ兼ねた第八十三師に属する敵部隊が、又も退却に際し大々的に毒瓦斯を放射し、 翌三日には更に聞喜付近の我が部隊に対し多数の毒瓦斯弾を発射した。今回のものは従来に比しその毒性更に強烈であつたが、我が防毒防備完全なるため殆ど損害を受けなかつた。我方は敵が遺棄した放射弾その他を押収したが、蘇聯製の疑ひ濃厚なるもの多数あり。』 ( 同年七月四日北京発「同盟」 )

<同盟記事4>
『六日 [ 昭和十三年七月 ] 山西南部曲沃南方地区の戦闘で敵は突如毒瓦斯弾を発射し、一時同方面山嶽一帯は濛々たる毒瓦斯煙に鎖されたが、 我部隊の神速果敢なる防御処置に依り兵九名が意識を失つたのみで、幸ひ大なる被害はなかつた。・・・毒瓦斯は検査の結果塩化ピクリンサンと判明、蘇聯製の疑ひ濃厚である。』 ( 同月六日曲沃発「同盟」 )

と報ぜられ、(以下略)

(『戦時国際法講義』 第二巻 P443)

*<同盟記事1〜4>の表示は、「ゆう」が便宜のため加えたものです。




<大阪毎日記事1>

『大阪毎日新聞』 昭和十三年六月二十九日(夕刊)

  敗敵、毒ガス作戦 

     山西省で防毒面多数押収

石家荘【二十八日】後藤(基)本社特派員発


 徐州、帰徳、開封を逐はれ朧海線上を西へ西へと遁走した敵は今や西安を拠点として山西省内に大軍を潜入せしめ、小癪にもわが占領地区の攪乱、同蒲線の奪還を企図しつつあるが如く、 ○○部隊発表によれば最近山西西方地区でベルギー製二百五十、支那製一万その他約二万の防毒面をわが方にて押収せるが、 支那軍がかかる大量の防毒面を備へてゐることは卑劣にも毒ガスによりわが精鋭無敵の皇軍に抗せんとする意図を明白にしてをり、 さきにわが進撃を阻むため黄河を決潰せしめ数十万の自国良民の生命財産を奪つた敵はここにまた毒ガス使用の戦術を用ふるに至つたことを示し、断末魔の支那軍は明瞭に人道と国際道義を踏みにじつてゐる。

(第1面、中左 四段見出し)


<大阪毎日記事2>

『大阪毎日新聞』 昭和十三年七月七日
  ソ連製毒ガス弾 敵、山西で使用 
     わが将士極度に憤激

【曲沃六日発同盟】

 六日山西省曲沃南方地区の戦闘で敵は突如毒ガス弾を発射し一時同方面の山嶽地帯は濛々たる毒瓦斯煙にとざされたが、わが部隊の神速果敢なる防御処置により兵若干が意識を失つたのみで幸ひ大なる被害はなかつた 

 人道を無視した支那軍の暴虐行為に対しわが将士の憤激は極点に達してゐるが毒ガスは検査の結果塩化ピクリン酸と判明、ソ聯製の疑ひ濃厚である

(第2面、六段目中、二段見出し)


<大阪毎日記事3>

『大阪毎日新聞』 昭和十三年七月八日

  敵、またも毒ガス弾

     風向逆転、天罰立ち所

北京本社特電【七日発】


 山西省曲沃南方南吉村、東かん村附近において六日払暁から敵はまたまた盛んに毒ガス弾をわれに向つて発射し来つたが、 しかも天はよく彼の卑劣を知り風向が忽ち変り風下にあつた皇軍は天佑にも風上となつて敵は天に唾したるが如き結果を招き自ら放ちたる毒ガスで苦しむといふ天罰をうけた、

 なほ毒ガスはソ連製塩化ビクリンである模様で目下調査中

(第1面、左下、三段見出し)


 このうち<同盟記事1>は、「毒瓦斯弾十数発を発見した」というだけの、単なる「保有」の情報です。

 <大阪毎日記事1>と<同盟記事2>は、内容の類似から、同じソースからのものであると推定されます。 内容は、単に「中国軍が防毒面を持っている」というだけのもの。いずれの記事も、これを「中国軍の毒ガス使用準備の証拠」とこじつけているようですが、日本軍側の使用に備えたもの、と見る方が自然でしょう。

 なお<同盟記事2>には「山西にある我軍の後方撹乱を企図せる敵は・・・悪性の毒瓦斯を使用しつつあり」との文が見えますが、<大阪毎日記事>には実際に使用したとの文がなく、 ここは、ニュースソースからの直接の情報を離れた、同盟記者の個人としての付け加えかもしれません。



 実際の「使用」の情報が、<同盟記事3><同盟記事4><大阪毎日記事2><大阪毎日記事3>で す。このうち<同盟時期3>を除く3つは、いずれも「曲沃南方における7月6日の毒ガス弾使用」の記事です。

 このうち<大阪毎日記事2>は、「同盟」の配信記事であり、<同盟記事4>とほぼ同一のものです。 「北京本社特電」<大阪毎日記事3>もこの二つと同じく内容であり、おそらくこれと同一のソースからのものでしょう。

 以上をまとめると、日本側の報道からは、このようなストーリーが読み取れます。

 6月20日頃、中国軍の毒ガス弾が発見された。 さらに6月末には、中国軍が大量の防毒面を持っていることがわかった。そして7月に入り、中国軍は「毒ガス」の使用を開始した。




 しかし、実際の日本軍の動きと重ね合わせると、この「ストーリー」は随分と違って見えてきます。

 実は同じこの戦闘で、日本軍は大量の「あか」弾を使用していました。 「支那事変における化学戦例証集」から、事例11です。

陸軍習志野学校「支那事変に於ける化学戦例証集」より

一一 あか筒の大規模放射に於て成功したるも局部に毒煙の逆流及滞留を生じたる例

曲沃
附近戦闘経過要図 於七月六日払暁(図略)

一般の状況
○○Dは曲沃附近河河畔の敵陣地に対し六月下旬以来攻撃準備中にして七月六日払暁攻撃を開始する予定なり

戦闘経過の概要

一、気象  場所     風向   風速
        曲沃附近  NNE   一、六米
        北董村附近 SE     一、〇米
        南焚鎮附近 N     二五-三米

二、放射距離 三〇〇−四〇〇米

三、使用資材 中あか筒一八、〇〇〇を準備したるも気象の関係にて約七、〇〇〇を使用せり

四、効果及成果利用
 毒煙の流動は要図の如く敵の第一線陣地を完全に包蔽し我が第一線部隊は殆んど損害なく一挙に約三粁を突破せり
 但し北董村附近は毒煙逆流し成果の利用十分ならざりし部隊あり
 又山脚附近に毒煙の大部は滞留して敵の後方陣地を制圧するに至らず

教訓

一、大規模放射に方りては特に綿密に気象を調査し放射の好機を把握すること緊要なり
 但し局地風の影響を受くこと少からざるを以て成果利用部隊は毒煙の中に於て装面戦闘を敢行せざるべからず

二、敵陣内に於ては気象の変化により毒煙滞留することあるを以て後方陣地に対しては砲、迫等を以て之を制圧し縦深突破を可能ならしむるの著意必要なり

(『毒ガス戦資料』P444)
 


 新聞報道では中国軍の毒ガスにより「一時同方面の山嶽地帯は濛々たる毒瓦斯煙にとざされた」ことになっていましたが、実際には、日本軍の毒ガスが「敵の第一線陣地を完全に包蔽」するような煙を発生させていたようです。

 また報道では、「風向」が変わって中国軍が「自ら放ちたる毒ガスで苦し」んだとされていますが、「例証集」ではそれとは丁度反対に、日本軍側に、「毒煙逆流し成果の利用十分ならざりし部隊」があった 、ということになっています。


 『機密作戦日誌』でも、この戦闘での「毒ガス使用」の記録を見ることができます。

 
第一軍参謀部 『機密作戦日誌』 巻十九

七月六日

 二○師参電第一一七三号


 敵は六日払暁より曲沃南方東韓村及南吉村にある我部隊に対し熾烈なる瓦斯弾の射撃を行ひたるも適宜適切なる防護処置に依り我は大なる被害なし 蘇連製(塩化ピクリン)なるものの如し


 二○師参電第一一七四号

 第二十師団は七月六日払暁よりの攻撃に当り其の部隊正面に於て儀門村及北楽村各南方高地の線に四・五千米に亘り六・七千筒の特種発煙筒を使用せり

 尚時風は北々東、一米七十 煙は克く低迷す

 最初敵は発煙開始の信号弾を見て盛んに射撃を開始するも煙の到達と共に射撃を全く中止す 歩兵部隊は直に南下環及南樊鎮の線を奪取し更に其の南方地区に向ひ前進しつつあり

 但し煙の一部(一割以下ならん)は風向及風速の動揺に依り我か方にも流来し
一部防毒面を装着するを要せり

 詳細は後報す 方面軍にも伝へられ度



七月七日

 二○師参電第一一七五号

一、第二十師団主力方面の情況有利に進展中にて、左翼隊左第一線は西喬村(曲沃東南山地中)に向ひ追撃中、七日七時三十分東陽村南方二千米の高地上に同右第一線は同時頃西明徳景明村の線にあり

二、曲沃南方地区に於ては七日未明東韓村より南吉村に亘り約三粁の正面に亘り約三千箇の特種発煙筒を使用し 煙は澮河に沿ふ地区の西方に流動し次て風向の変化に依り曲沃西方高地脚を東流せる 若干の煙は澮河北岸にも流来せり

曲沃南方澮河北岸の敵は六日夜盛に射撃せるも七日朝迄には退却せるものの如し 南揚村林城村にも敵を見す 澮河南岸捜索中

(『毒ガス戦関係資料Ⅱ』P297〜P298)

 
 

 ここにも「六日払暁」の中国軍の毒ガス使用が顔を出しますが、その直後に日本軍は「六・七千筒の特種発煙筒(あか)」を使用、さらに翌七日には「三千筒」を使用しています。

 閑院宮参謀総長が北支那方面軍に対して「山西省」における「あか剤」使用許可を出したのは4月11日。現地軍では、「万一発覚の際の責任」等から実際に使用を行うことへの反対もあったようですが、 最終的には6月15日に、第一軍より第二十師団に対して「あか筒」使用許可命令が出されます(吉見義明氏『毒ガス戦と日本軍』P55〜P66参照)。

 その直後の6月20日 頃から、「中国軍の毒ガス使用準備」を非難する報道が始まっているわけです。


 日本側の状況と重ね合わせると、「ストーリー」はこのように膨らみます。

1.日本軍が「あか」の使用を決定し、実戦投入のタイミングを測っている時期(6月下旬)に、日本側のメディアに「中国軍の毒ガス弾保有」「防毒面の大量押収」の記事が掲載された。

2.報道によれば、中国軍は7月2日〜3日および7月6日に「毒ガス」を使用した、という。日本軍はその直後、7月6日から7日にかけて、総計10000発近くの「あか」の「大規模放射」を行い、大きな戦果を挙げた。



  現地軍が、自軍の使用を正当化すべく「中国軍の毒ガス」情報を積極的にリークしている様子が、上の経緯から伺えます。

 現地軍の発表がどこまで事実であるのかは、今日では確認することは困難でしょう。しかしこのような事情を考えれば、報道内容に多分に「誇張」が含まれているであろうことは、容易に推察できます。

 これらの記事を、ストレートに「中国軍の毒ガス使用」の証拠とみなしていいのかどうかには、議論の余地があるかもしれません。

*『機密作戦日誌』から、参謀部が現地軍から「中国軍使用」の報告を受けていた、という事実までは確認することができます。しかしこれが「使用」を焦る現地軍からの報告であ ることを考えれば、どこまで事実であるのかは、慎重に判断する必要があるでしょう。
 


 『中国軍の「毒ガス」使用』では、この戦闘の4か月前の、次の資料を紹介しました。


支那事変関係国際法律問題(第三巻)(条約局第二課、1938年3月)

四、北支戦に於ける催涙性瓦斯の使用

・・・世界世論の攻撃を惹起するの危険多分なるを以て催涙性瓦斯使用は支那側より悪宣伝せられたる後に実情と理論的説明を表明するも手遅れの感あり 因て右使用に先ち予め左の如き方法を考慮すること適当と認む

(1)北京等に対する戦闘に伴ふ損害を少からしむる為催涙性瓦斯を使用するやも知れざる旨前記理論的合法性の説明と共に予め主要列国に可然通報し置くこと。

(註)右は実際問題として瓦斯使用後支那側の悪宣伝を生じたるときは一般世論により実情を信用せられざる危険あり。

(2)右通報を不適当とする場合は多少の権謀を用い支那側に於て戦闘法規違反の「ダムダム」弾を使用し居れること又毒瓦斯も使用し居れる旨の宣伝を予め開始し 然る後に復仇として不取催涙瓦斯のみを使用する旨の説明を以て使用を開始すること。

(註、(1)の手段を適当と認む)

(『毒ガス戦関係資料』P255〜P256)


 この事例はまさに、ここで言う「多少の権謀を用い」た例であったのかもしれません。

   

(2005.11.10)


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