山西省曲沃における毒ガス戦 −1938年7月− |
昭和13年7月頃、日本側メディアは、山西省曲沃で「中国軍が毒ガスを使用した」という趣旨の報道を行いました。これは今日に至るも、「中国軍の毒ガス使用」を証明する有力な根拠となっているようです。 以下、報道の例として、信夫淳平氏が著作に引用する「同盟記事」と、当時の「大阪毎日新聞」の記事を見てみましょう。 <同盟記事1〜4>
<大阪毎日記事1>
<大阪毎日記事2>
<大阪毎日記事3>
このうち<同盟記事1>は、「毒瓦斯弾十数発を発見した」というだけの、単なる「保有」の情報です。 <大阪毎日記事1>と<同盟記事2>は、内容の類似から、同じソースからのものであると推定されます。 内容は、単に「中国軍が防毒面を持っている」というだけのもの。いずれの記事も、これを「中国軍の毒ガス使用準備の証拠」とこじつけているようですが、日本軍側の使用に備えたもの、と見る方が自然でしょう。 なお<同盟記事2>には「山西にある我軍の後方撹乱を企図せる敵は・・・悪性の毒瓦斯を使用しつつあり」との文が見えますが、<大阪毎日記事>には実際に使用したとの文がなく、 ここは、ニュースソースからの直接の情報を離れた、同盟記者の個人としての付け加えかもしれません。 実際の「使用」の情報が、<同盟記事3><同盟記事4>と<大阪毎日記事2><大阪毎日記事3>で す。このうち<同盟時期3>を除く3つは、いずれも「曲沃南方における7月6日の毒ガス弾使用」の記事です。 このうち<大阪毎日記事2>は、「同盟」の配信記事であり、<同盟記事4>とほぼ同一のものです。 「北京本社特電」<大阪毎日記事3>もこの二つと同じく内容であり、おそらくこれと同一のソースからのものでしょう。 以上をまとめると、日本側の報道からは、このようなストーリーが読み取れます。 6月20日頃、中国軍の毒ガス弾が発見された。 さらに6月末には、中国軍が大量の防毒面を持っていることがわかった。そして7月に入り、中国軍は「毒ガス」の使用を開始した。 しかし、実際の日本軍の動きと重ね合わせると、この「ストーリー」は随分と違って見えてきます。 実は同じこの戦闘で、日本軍は大量の「あか」弾を使用していました。 「支那事変における化学戦例証集」から、事例11です。
新聞報道では中国軍の毒ガスにより「一時同方面の山嶽地帯は濛々たる毒瓦斯煙にとざされた」ことになっていましたが、実際には、日本軍の毒ガスが「敵の第一線陣地を完全に包蔽」するような煙を発生させていたようです。 また報道では、「風向」が変わって中国軍が「自ら放ちたる毒ガスで苦し」んだとされていますが、「例証集」ではそれとは丁度反対に、日本軍側に、「毒煙逆流し成果の利用十分ならざりし部隊」があった 、ということになっています。 『機密作戦日誌』でも、この戦闘での「毒ガス使用」の記録を見ることができます。
ここにも「六日払暁」の中国軍の毒ガス使用が顔を出しますが、その直後に日本軍は「六・七千筒の特種発煙筒(あか)」を使用、さらに翌七日には「三千筒」を使用しています。 閑院宮参謀総長が北支那方面軍に対して「山西省」における「あか剤」使用許可を出したのは4月11日。現地軍では、「万一発覚の際の責任」等から実際に使用を行うことへの反対もあったようですが、 最終的には6月15日に、第一軍より第二十師団に対して「あか筒」使用許可命令が出されます(吉見義明氏『毒ガス戦と日本軍』P55〜P66参照)。 その直後の6月20日 頃から、「中国軍の毒ガス使用準備」を非難する報道が始まっているわけです。 日本側の状況と重ね合わせると、「ストーリー」はこのように膨らみます。 1.日本軍が「あか」の使用を決定し、実戦投入のタイミングを測っている時期(6月下旬)に、日本側のメディアに「中国軍の毒ガス弾保有」「防毒面の大量押収」の記事が掲載された。 2.報道によれば、中国軍は7月2日〜3日および7月6日に「毒ガス」を使用した、という。日本軍はその直後、7月6日から7日にかけて、総計10000発近くの「あか」の「大規模放射」を行い、大きな戦果を挙げた。 現地軍が、自軍の使用を正当化すべく「中国軍の毒ガス」情報を積極的にリークしている様子が、上の経緯から伺えます。 現地軍の発表がどこまで事実であるのかは、今日では確認することは困難でしょう。しかしこのような事情を考えれば、報道内容に多分に「誇張」が含まれているであろうことは、容易に推察できます。 これらの記事を、ストレートに「中国軍の毒ガス使用」の証拠とみなしていいのかどうかには、議論の余地があるかもしれません。 *『機密作戦日誌』から、参謀部が現地軍から「中国軍使用」の報告を受けていた、という事実までは確認することができます。しかしこれが「使用」を焦る現地軍からの報告であ ることを考えれば、どこまで事実であるのかは、慎重に判断する必要があるでしょう。 『中国軍の「毒ガス」使用』では、この戦闘の4か月前の、次の資料を紹介しました。
この事例はまさに、ここで言う「多少の権謀を用い」た例であったのかもしれません。 (2005.11.10)
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