| 毒ガス戦 (�供� |
中国軍の「毒ガス」使用 |
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日本軍が、「あか」(嘔吐性ガス)の大量使用のみならず、殺傷能力の強い「きい」(びらん性ガス)までについても一定の使用を行っていたことは、確実と言っていいでしょう。 これに対して、「中国軍だって「毒ガス」を使用したではないか」として、日本軍の毒ガス使用を正当化しようとする議論があります。 ネットの議論で極端なものには、「中国のみが毒ガスを使用した。日本軍が使用したのは違法性のない「あか」のみで問題はない」とまで主張するものも見かけます。 実際には「中国軍の毒ガス使用の実態」はどのようなものだったのか。以下、見ていきましょう。 まず、この問題でよく引用される、中村粲氏の文章を見ます。
氏はここでは使用が「早かつた」事実に言及するのみで、その規模や実態には何も触れていません。そこで『昭和史研究会会報』を見ると、そちらには、信夫淳平氏『戦時国際法講義』の一節が、 そのまま転載されています。 *最初に「中国は早くも一九二六年三月、ソ連から一万発もの毒ガス弾を購入してをり」との文言が見えますが、この部分は後述の信夫氏の論説には見当たらず、根拠は不明です。
ご覧の通り、信夫氏が頼るのは、すべて当時の新聞記事のみです。 このソースは「軍発表」以外には考えられず、それは当時の状況からかなり「宣伝色」の強いものと見られることは、言うまでもないでしょう。 なお、ここに取り上げられている6つの記事のうち、最初の2つは「毒ガス弾を発見した」というだけで、実際に使用されたかどうかは不明です。 *なお、中国軍が毒ガスを使用したとされる「昭和13年7月6日曲沃戦」は、日本軍側が「あか」弾の大量使用を行った戦闘でもあります。 6月後半から7月初めが日本軍が「あか」弾使用のタイミングを伺っていた時期であることを考えると、上の一連の報道の背後には自軍の使用を正当化しようとする日本軍の「意図」が働いていたことは明らかであり、この真偽判断は慎重に行うべきでしょう。 詳しくは『山西省曲沃における毒ガス戦』をご覧ください。 さらに三番目の記事では、「中国軍が防毒面を大量に準備していた」ことを「毒ガス使用」の傍証としているようですが、これが無茶であることは、解説の必要もないでしょう。 日本軍の資料でも、中国軍の「防毒面」は、日本軍のガス攻撃に対応するための防衛目的のものと捉えられています。
ネットではもっぱらこのような「宣伝臭の強い新聞記事」を根拠としたページしか見かけませんが、「中国軍の毒ガス使用」について論じるのであれば、このような「新聞記事」よりも、軍の内部報告を根拠にする方がまだしも説得力があるでしょう。 吉見義明氏・松野誠也氏が編んだ資料集、『毒ガス戦教育関連資料』には、次のようなレポートが掲載されています。
*本資料の出自は、『敵瓦斯装備竝に防毒訓練の状況』に同じく、太原集合教育統監部における化学戦教育のテキストとのことです。 昭和12年から14年9月にかけて、12の事例が報告されています。ただしこのうち2つは単なる「保有」の記録であり、使用事例としては10事例です。いずれも散発的な使用であり、また、日本軍の被害はすべて「ナシ」となっています。 参考までに、日付は若干異なりますが、このうちの「田上部隊」(静岡歩兵第三十四連隊)における証言記録を挙げておきます。
2013.2.3追記 家近亮子『蒋介石の外交戦略と日中戦争』によれば、「蒋介石日誌」の中に「毒瓦斯をもっていく」との記述があるとのことです。
また、ネットでしばしば見かけるものに、「南京戦光華門における中国軍の毒ガス使用事例」があります。たいていソースとしているのは、『支那事変戦跡の栞』と題する、陸軍恤兵部発行の小冊子です。
しかし根拠資料が陸軍発行の観光案内的パンフでは、心もとありません。戦闘参加者が記録を残していないか調べたところ、以下の証言を発見することができました。
ネットではよく「催涙弾を雨注し来り」という部分のみが紹介されますが、上の資料を見る限りでは、催涙性ガス攻撃が「雨注」と表現するほど大規模なものであったとは思われません。 もとの文は「手榴弾、機関銃の外、催涙弾を雨注し来り」というものであり、ここから後半部分のみを取り出して引用することは、悪くとれば「トリミング」に近いものでしょう。 なお、「光華門」の西隣の「中華門」攻略戦では、逆に日本軍側が「みどり」(催涙ガス)を使用した、との証言があります。
ただし、以上すべてが事実だとしても、中国軍の毒ガス使用は散発的なものあり、また日本軍に被害を与えることもほとんどなかったことを考えると、 少なくとも、日本軍の大規模な使用を正当化できるような規模には達していなかったことは、間違いないでしょう。、 「中国軍の毒ガス使用」についての日本軍の見方を、いくつか紹介します。
いずれの資料も、「中国軍は「毒ガス」を使用した(あるいは、使用したかもしれない)。しかし、それは「極めて局部的」であり、今後仮に使用されたとしても「小規模」「分散的」なものにとどまるだろう、ということで、一致しています。 新聞報道から受けるイメージとは異なり、日本軍にとって、当時の中国軍の「毒ガス」の脅威は、ほとんど無きに等しかったようです。 さらに、こんな資料も残されています。
当時の外務省の文書です。要するに、こんな感じでしょうか。 こちらが使って中国から宣伝された後で、あれは合法だった、と言ってももう遅い。 (1)事前に主要列国に対して「催涙ガスは合法である」ことを説明するべきである。もしそれが無理ならば、 (2)「多少の権謀を用い」て、中国側も毒ガスを使っているという「宣伝」を予め行い、日本側はその報復として使用した、ということにすればよかろう。 「主要列国」に対して「合法論」を説いた、という記録は存在しませんので、結局(1)の方法は採用されなかったようです。 (2)の考えがどの程度浸透していたかは不明ですが、この資料にも見られるように、当時の軍発表の背景に、 「中国側の毒ガス使用を大袈裟に宣伝して、日本側の使用を正当化しよう」という発想があったと考えるのが自然でしょう。 以下は余談になりますが、ネットには、結構いい加減な情報も流布しているようです。例えば、「中国軍の毒ガス使用」について、こんな記事を掲載しているページをみかけました。 (「ゆう」注 2013年1月1日現在ではリンク切れになっています)
一見して、おかしな記述です。 日本軍に全く損害を与えられなかった中国軍が、逆に自軍に「一万2千」人の戦闘不能者を出す、という大被害を出している。事実だとしたら、こんな間抜けな話もありません。 しかし、私が実際にこの記事の現物を確認してみたら、こうでした。
「最近」を「細菌」と写し間違えたのはご愛嬌としても、紹介者は、この記事の信憑性を探る上でのキーワードともいえる、「一説によると」のフレーズを省略していました。このフレーズを加えると、 「本当かどうかわからないが、こんな話もある」程度の印象を与える記事になると思います。 当時の新聞記事を見る時には、「軍のプロパガンダ」がその背景にあることは最低限認識しておかなければならないでしょう。記事すべてを何の留保もなしに「事実」とみなしてしまうことは、危険なことだと言わざるをえません。 ましてやこのページのように、信憑性を判断するキーワードを省略してしまうことは、読者を欺く行為である、と見られても仕方がないでしょう。 ※※なお当時の新聞記事の「いいかげんさ」については、こちらで具体的事例を紹介しています。 さらに、この引用も問題です。
「敵はここにまた毒ガス使用の戦術を持ちふるに至った」の結びの言葉で、読者は間違いなく、「中国軍は毒ガスを使用した」と錯覚します。しかし実際の記事は、こうでした。
「後略」部分を復活させると、印象は一変します。何のことはない、中国軍は防毒面を用意していた、というだけの記事でした。 これを「毒ガス使用の準備」と見るのは、記者の単なる「想像」に過ぎません。 その後の「7月6日曲沃戦」の記事を根拠とするのであればともかく(前述の通り、記事が事実であると断定できるかどうか微妙なところですが)、 この記事を根拠に持ってきて、さらに一部を省略して誤った印象を作り出すことは、これまたこのページの作者の「いい加減さ」を物語っています。 (2005.10.24記 2006.12.22「光華門攻略戦」部分を追記)
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