東中野氏の徹底検証 17
アリソン事件


 これは、「一方の側の情報しか伝えない、公正を欠いた記述」の例です。


こうして、日本軍と欧米人の間には相互不信が高まる。そのような中、一月二十六日、アリソン米国領事がある事件調査のため、日本軍中隊長の制止を振り切って家屋内に侵入しようとした。そのため、一伍長がアリソン氏を殴打するという事件が発生した。 

 理由の如何を問わず、外交官にたいする暴行はよくなかった。そこで、日本側は陳謝した。しかし、アリソン氏の検察官のような態度が事件の伏線となっていた。「国際知識及評論」昭和十三年三月号によれば、南京の軍当局は「アリソン氏が日本軍に恰も検察官的不遜の態度を以て、その領事たるの職分を超越し、事毎に日本軍の非を鳴らすが如き態度に出た」という談話を発表している。

(「徹底検証」P282)


  この紹介では、「アリソン事件」のイメージは、正確に伝わりません。これを読んだ方は、「アリソン氏が一方的に傲慢な態度に出たから日本兵による「殴打事件」が起こったのだ」、と解するでしょう。「理由の如何を問わず」「アリソン氏の検察官のような態度」という言葉で、東中野氏は、そのような暗示を試みています。

 以下、資料により、「アリソン事件」の概要を、追ってみましょう。

 


まず、きっかけとなった「ある事件」の内容を、確認しておきます。

飯沼守日記 一月二十六日 

 本夕本郷少佐より報告を受く。

 米人経営の農具店に二十四日夜十一時頃日本兵来り、留守居を銃剣にて脅し女二人を連行強姦の上二時間程して帰れり、依て訴へに依り強姦されたと言ふ家を確かめたるところ天野中隊長及兵十数名宿泊せる所なるを以て、其家屋内を調査せんとしたるに米人二名亦入らんとし、天野は兵を武装集合せしめ逆に米人を殴打し追い出せり。

 
其知らせに依り本郷参謀現場に到り、中隊長の部屋に入らんとしたるも容易に入れす、隣室には支那女三、四名在り強て天野の部屋に入れは女と同衾しありしものの如く、女も寝台より出て来れりと、依て中隊長を訊問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与へて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと。

(「南京戦史資料集1」P184)


 東中野氏は「ある事件」の内容をぼかしましたが、これは実は、天野中隊長らによる「強姦事件」でした。

 「飯沼日記」の記述だけを読むと、東中野氏の紹介とは、だいぶイメージが違ってきます。「強姦事件」を調査に来たアリソン氏を、事件の「犯人」である「天野中隊長」らが、「殴打し追い出」したわけです。

*なお、「天野中隊長の非行」は、南京戦に参加した兵士の間でも有名だったようです。「南京戦 102人の証言」でも、天野中隊長の名はたびたび登場します。

 


この「殴打」に至った経緯について、アリソン氏は詳しく書き残しています。以下長文になりますが、参考資料として、アリソン氏の側から見たこの事件の記録を紹介しましょう。


会談記録 一九三八年一月二十九日午後六時三○分

駐日アメリカ大使グルー氏と外務次官堀之内氏との会談

 重要度三(triple priority)の国務省電報第三○号(一月二十八日午後八時発信)にある指示に従って、私は今夕外務省に外務次官を訪ね、南京アメリカ大使館書記官のリソン氏の次の二つの電報を口頭で伝えた。

「第四○号、一月二十七日午後二時

 日本兵がアメリカ人の施設へ不法に侵入し、そこから中国女性の難民を連れ去った事件について、昨日調査をしていた時に、チャールズ・リッグズ氏(アメリカ市民)と私は一人の日本兵に平手打ちを受けた。リッグズ氏はさらに攻撃を受け、襟を引き裂かれた。最後にわれわれは、一人の日本軍将校に侮辱的な態度で怒鳴られた。この事件は、アメリカ人の施設に対して続けられた一連の不法侵入事件の頂点に立つものである。

 一月二十五日の夕方、日本大使館の福井氏と一般的な問題について話していたところ、彼は、私がアメリカ人宣教師の言葉を信用しすぎると述べ、それらはときには彼らが信じている中国人の雇用者から聞いた話にもとづくものだと言った。この会話の結果、私は明るみに出た次のケースを調べてみようと個人的に決意を固めた。

 私に対して二十五日に次のような報告があった。すなわち、前日の夜一一時頃、武装した日本兵たちがアメリカ人施設である金陵大学農学院の作業所に侵入し、構内にいる中国人集団のひとつを探して、女性一人を連れ去った。その女性は二時間後に戻ってきたが、報告によれば彼女は三回強姦されたという。

 一月二十五日の午後、リッグズ氏とM・S・ベイツ博士(アメリカ人教授)がその女性に質問したところ、彼女は自分が連れて行かれた場所を教えることができた。そこは以前カソリック司祭が住んでいた家で、現在は日本兵が占領していた。

 この問題は日本大使館に報告された。一月二十六日の午後、私服の領事館警察一人と憲兵複数名が同伴の調査に来て、私とリッグズ氏を伴って、その女性が連れ去られた場所へ行った。そこにいた人々を尋問した後、日本人はその女性と二人の中国人を連れて、その中で強姦が行われたと申し立てられた建物のところへ行った。

 その場所で、これから彼女が自分を襲った者を確認しようとしている建物のなかに、彼女に付添って私とリッグズ氏が入るかどうかをめぐって討論となった。憲兵は私たちは入らないほうがよいと言ったが、なにがなんでもだめだとは言わなかった。

 ついに憲兵の一人がその女性を連れて、開いた門を通って敷地内へ入っていった。そこでリッグス氏も後について行った。私もそれに従った。そしてちょうど門の内側で、われわれは議論するために立ち止まった。そうしているところに日本兵が血相を変えて突進してきて、「バック、バック」と英語で叫ぶと同時に、門まで私を押し返した。私はゆっくりと下がったが、門から追い出される前に、その日本兵は私の頬にビンタをくれ、それから向きを変えて同じことをリッグズ氏にやった。

 われわれが同行した憲兵は、弱々しい態度ながらもその日本兵を止めようとした。そのうちの一人が日本語で「こいつはアメリカ人だ」あるいはその種のことを言った。われわれはそれから門の外の道路に出た。われわれがアメリカ人と聞くやいなやその兵士は激昂して「アメリカ人!」と繰り返して叫ぶと、彼の近くにいたリッグズ氏に再度襲いかかろうとした。憲兵らがそれを止めようとしたが、彼はリッグズ氏の衿を引き裂き、シャツのボタンをいくつか引きちぎった。

 そうこうしている間に、該部隊の指揮官将校が現われ、侮辱的な態度でわれわれを怒鳴った。私もリッグズ氏もけっして日本兵には触れなかったし、同行した憲兵以外に誰とも話したことはなかった。連れて来た中国人たちは、喧嘩騒ぎの間に逃げてしまった。そこで私は、その女性を連れて日本大使館へ行くことを主張した。

(以下略)」

 

「第四二号、一月二十八日午後七時

 私の第四○号電報(一月二十七日午後二時発信)を参照。

 今日の午後ラジオを聞いて私は愕然とした。公式な日本語の翻訳によれば、日本兵が私に対して敷地内から出るように要求したのを私が拒絶し、さらに私が日本軍を侮辱したのだという。

 私の第四○号電報に述べたように、私が敷地から押し出されつつあった時に暴行が行われたのであり、片側からそれを見る位置に立っていたリッグズ氏によれば、私が殴打された時は門に向かって下がっていて、前に進むことはできない状況にあった。

 侮辱と言い立てていることに関していえば、昨日の午前、本郷少佐が謝罪に訪れたとき、彼はそのようなことについては何も言及しなかった。私は今日の夕方、福井氏に私がどのように日本軍を侮辱したのかを尋ねた。すると彼は、それは許可を得ずに彼らの構内に入ったことだと答えた。私は日本軍当局を侮辱する意図はなかったと断言し、そう日本軍当局に伝えるよう彼に要請した。私がこの申入れを行っているのは、明白な誤解を正したいとのみ願ってのことであり、私が係わった日本兵の行動を重大に考えているからだと指摘しておいた。」

(「南京事件資料集 1アメリカ関係資料編」P233〜P236)

 


このあとに、グルー氏による事件のまとめが掲載されています。



(1)アリソン氏は、アメリカ人資産に対する、権限のない不当な侵入について調査しているところであった。

(2)アリソン氏は、日本の領事館警察と憲兵に同行してアメリカ人施設へ質問のために入ったのである。

(3)調査は、アメリカ人施設からアメリカ人施設にいたるものであった。すなわち後者は、カソリック司祭の邸宅であったのを現在日本軍が占領しているのである。

(4)さきの後者の施設へ行ったのは、アメリカ人の施設に正当な理由もなく侵入した者を質問によってできたら割り出そうとしたからである。

(5)アリソン氏とリッグズ氏は歩哨や門番に誰何されることなく、日本軍憲兵について日本兵が占領する構内へ、開いている門から入ったのである。

(6)日本兵が帰るように指示するとすぐに、彼らはそうしはじめたのである。

(7)その兵士は、アリソン氏が門から出るのを待たないで、同氏が敷地の外へ交代している時に、平手打ちを加えたのである。

(「南京事件資料集 1アメリカ関係資料編」P236)


 東中野氏は、「日本軍中隊長の制止を振り切って家屋内に侵入しようとした。そのため、一伍長がアリソン氏を殴打するという事件が発生した」と説明していましたが、これは日本側の説明です。 アリソン氏の側では、「平手打ち」は、アリソン氏の侵入を止めるためではなく、「門から出る」直前に加えられた、という主張を行っています。


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