| 東中野氏の徹底検証 20 |
| 幕府山事件(2) |
「自衛発砲説」では、夜間の火災にまぎれて残った八千人のうち四千人くらいが逃げた、というのが、ストーリーのひとつの核となっています。火災が「夜間」に生じたことが、ポイントです。
さて、東中野氏は、「南京大虐殺を記録した皇軍兵士の日記」を、「両角手記」の傍証にしようと試みていますが・・・。
まず、「不注意で出火させれば寒天の下で眠らなくてはならないから、不注意の出火ではなかった」というのは、おかしな文章です。 「意図的な放火であれば寒天の下で眠らなくてはならないから、意図的な放火ではなかった」という逆の「理屈」ならば、よく理解できますが・・・。 結局、「両角手記」でも東中野氏の文章でも、火災を「失火」ではなく「放火」と判断した根拠は、不明のままです。 しかも、「両角連隊長は・・・放火と判断した」の後で、根拠不明のまま、いきなり「この放火事件は・・・」と、「放火」を前提とした記述にすりかわっています。 続けて、「出火時間は、各人まちまちの記録であった」。しかしよく読むと、「四人のうち三人」は「十六日正午頃」で一致しています。 残り一名の記載は、こうです。
この記述を「夕方の火災」と読む論者もあるようですが、全体を見ると、 「夕方」は、「近藤栄四郎」氏が「中隊の兵の交代」に行った時間、と読む方が自然ではないか、と思います。たとえ「夕方の火災」と読むとしても、自衛発砲説の「夜間の火災」の傍証にはなりません。 以上、4名中3名は「正午頃」と明記、残る1名も「時間の明記」はない(あると解釈しても「夕方」)、ということになります。 「・・・皇軍兵士たち」の記述は、「自衛発砲説」の「夜間の火災」の傍証にはなりません。
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