| 福田篤泰氏の証言(1) |
福田篤泰氏は、南京事件当時、外交官捕として南京日本大使館に勤務していました。戦後は衆議院議員となり、郵政大臣などを歴任しています。 さて、この福田氏は、「南京事件」に関して、いくつかの証言を残しています。私の確認できる限りでは、5種類の「証言」が存在しますので、まずそれを時系列で並べてみましょう。
このうち、ネットの世界での引用頻度が最も高いのは5の「田中正明氏「総括」版」です。 しかしこのように並べると、一見して、このバージョンが極めて特異なものであることがわかると思います。 1、2、3は、それぞれ、毎日新聞社、板倉氏、田中氏のインタビューです。4は田中氏に「生前」語ったものであると明記されています。 ところが、この5「総括」版を見ると、「福田氏は当時を回顧してこう語っている」と、インタビューアーの名が抜け落ちていることに気がつきます。「筆者とも昵墾の間柄である」との文が直前にあることから田中氏 自身のインタビューであると錯覚しますが、よく見ると、これは、1「一億人の昭和史」版の文章を基本として、 それに自分のインタビューの内容を微妙に修正してミックスしたものであることがわかります。 どうしてこのような形にしたのかはよくわかりませんが、少なくとも、この版の資料的価値が、最初の3つのバージョンに比較して低いものであることは、間違いなく言えるでしょう。 1「一億人の昭和史」版と、5「田中氏『総括』版との類似性及び異動を確認します。上が「一億人の昭和史」版、下が田中氏「総括」版です。 念のためですが、以下の引用の<1>から<5>までの間、中間の「省略」は全くありません。 <1> 当時、私は毎日のように、外国人が組織した国際委員会の事務所へ出かけていたが、そこへ中国人が次から次へとかけ込んでくる。 ↓ 当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。 <2> 「いま、上海路何号で一〇歳くらいの少女が五人の日本兵に強姦されている」あるいは「八〇歳ぐらいの老婆が強姦された」等々、その訴えを、フィッチ神父が、私の目の前で、どんどんタイプしているのだ。 ↓ 「いまどこどこで日本の兵隊が15、6の女の子を輪姦している」。 あるいは「太平路何号で日本軍が集団で押し入り物を奪っている」等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど3、4人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。 <3> 「ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずに、それを記録するのか」と、私は彼らを連れて現場へ行ってみると、何もない。住んでいる者もいない。 ↓ 『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る。』と幾度も注意した。 時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。 <4> また、「下関にある米国所有の木材を、日本軍が盗み出しているという通報があった」と、早朝に米国大使館から抗議が入り、ただちに雪の降るなかを本郷(忠夫)参謀と米国大使館員を連れて行くと、 その形跡はない。とにかく、こんな訴えが連日、山のように来た。 ↓ ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と3人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の9時頃である。 現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。「困るね、こんなことでは!」とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。 <5> ティンパレーの原資料は、フィッチが現場を見ずにタイプした報告と考えられる。 ↓ テインパーリーの例の『中国における日本軍の暴虐』の原資料は、フイッチかマギーかが現場を見ずにタイプして上海に送稿した報告があらかただと僕は思っている。 以上、全体の構成が全く同一であり、文章も極めて類似したものであることがわかると思います。 この中では、<4>のように明らかに「3『虚構』版」がベースになっていることがわかる部分もありますが、なかには<2>の赤字部分のように根拠なく変更されているところも散見されます。 以上のことを念頭において、以下、「証言」の内容を見ていくことにしましょう。 (2003.6.14) 2003.7.25 追記 田中氏の近著「朝日が明かす中国の嘘」(2003.5.31発行)にも「福田証言」が掲載されていますが(P203以下)、これは田中氏の2001年「総括」版ではなく、 なぜか昔の1984年「虚構」版のものとなっています。 近著に「2001年「総括」版」を採用しなかったことは、私の「推定」通り、この版の資料価値を疑わせしめる一つの材料になる、と言えると思います。
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