福田篤泰氏の証言(3) |
以上、「国際委員会記録」に関する部分を見てきましたが、このコンテンツでは、「福田証言」のその他のところを見ていきたいと思います。 以下、最も詳細で、かつ内容が多岐にわたっている、「一億人の昭和史」版を使用します。元の文は、こちらをどうぞ。
「ティンパレー」を、「結婚のために」「出国証明をとって帰国させた」というのは、福田氏の記憶違いであると思われます。「クレーガー」が、「結婚のために」南京を出て上海へ向かった、というエピソードと混同しているようです。 詳しくは、渡辺久志さんの論稿「『曾虚白自伝』引用の問題点」をご覧下さい。
従って、「ティンパレー」が「このとき持ち出した資料」云々は、間違いということになります。
テインパーリ「戦争とは何か」を実際に読んだ方でしたら、ここでちょっと引っ掛かると思います。 「戦争とは何か」は、ベイツ、フィッチらの日記体の報告がメインであり、「フィッチが現場を見ずにタイプした報告」なるものは、「暴行事件の報告」として、「附録」として記載されているに過ぎません。「暴行事件の報告」が全体に占めるスペースは、わずかなものです。 福田氏は、実際にはこの本を読んでいないのでしょうか? 少なくとも福田氏の証言は、ベイツやフィッチなどの詳細な報告を含む「戦争とは何か」の全体を否定するものにはなっていません。 なお「総括」版では、記述がさらにエスカレートしています。
「一億人の昭和史」版は「テインバレーの原資料」との表現で、これは「暴行事件の報告」のみを指している、という解釈も、苦しいながらもできなくはありません。 田中氏の記述のようにここで書名を特定すると、「戦争とは何か」全体が「フィッチがマギーかが現場を見ずにタイプして上海に送稿した報告」からできているように誤読されます。
「マギー証言」の、「田中領事」に関する該当部分です。
これについては、洞富雄氏が、「南京大虐殺の証明」の中で明快な説明を行っています。
以上、「福田証言」を検証してきました。否定派からは「国際委員会記録の信憑性」を否定する材料としてよく使われますが、それほどの材料ではなく、また詳しく見てみるとおかしなところがかなりある、ということが言えると思います。
(2003.6.15)
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