石射猪太郎氏の証言(2) |
田中氏の文を続けます。
このように引用すると、石射氏は、もう日本がどうなろうとどうでもいい、陸軍さえ攻撃できればいい、と考えていたかのように読めます。しかしこれは、前後の文脈を無視した、トリッキーな文章です。 少なくとも、最後の「石射氏にとって、南京における陸軍の失点は反撃のチャンスでありザマミロということになる。「南京アトロシティー」は石射氏にとって陸軍を攻撃する格好の材料であったのだ」との記述は、田中氏の単なる「想像」に過ぎません。田中氏がこの「外交官の一生」を自分で読んだのかどうかすら、怪しまれる記述です。 経緯を見てみましょう。 日中戦争が泥沼化しようとする水面下で、何とか戦争拡大を回避しようとする和平交渉が進められていました。しかし戦況が日本側に有利に進む中、日本側の和平条件は、最終的には中国側が到底呑めないような苛酷なものになってしまいます。 このような状況下、石射氏は、最後まで「和平」に努力した人物です。
石射氏自身の記述を見ます。
石射氏が国の行く末を真剣に思い悩み、「和平」の実現に必死の努力を払っていたことがわかります。しかし「会議」の結論は、石射氏の思惑からかけ離れてしまい、結局日本は「戦争拡大」への道を突き進むことになってしまいました。 経緯を見ると、石射氏の絶望感は、十分理解できるところでしょう。その絶望感が、「こうなれば案文などはどうでもよし。日本は行く処まで行って、行き詰まらねば駄目と見切りをつける」という、半ばやけくその発言として吐露されたわけです。 なお氏は、この約一ヶ月後の二月二日、宇垣大将(のち外務大臣)らが出席する懇談会でも、同様の発言を行っています。
氏の真意が、「和平の実現」にあることは明らかでしょう。氏はその後も「和平」への情熱を失わず、宇垣外務大臣(五月末就任)をサポートする形で、引続き戦争回避の努力を行ったことは特筆しておきます。 氏の発言のごく一部を抜き出して、「石射氏にとって、南京における陸軍の失点は反撃のチャンスでありザマミロということになる」と言ってのける田中氏の記述は、石射氏の心情を意図的に歪めるものでしかありません。 (続く) (2003.6.1)
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