二十万都市で三十万虐殺?


 「人口二十万人の都市で三十万人虐殺は不可能」―「否定論」の最初のページに、必ず書いてある記述です。「論理」としては極めて荒っぽく、明確な誤りなのですが、単純な「わかりやすさ」が受けて、 結構「南京事件」初心者に影響を与えているようです。

 この「説」のルーツは、「極東軍事裁判」に遡ります。

「極東軍事裁判」 速記録第58号 (A.検察側立証段階8)

○ロヴィン弁護人 更に外の部分に注意を喚起致しますが、南京に於て殺害された数は三十万となって居りますが、私の承知している範囲に於きましては南京の人口は二十万であります。

(「南京大残虐事件資料集 第1巻」P147)

  ある程度の知識を持つ方には今更解説の要もありませんが、「初心者」向けに、一応私なりの「解説」を試みましょう。
 

 この「不可能論」の問題点は、以下の3つに集約されます。

1.この「三十万人」は中国側の見解ですが、そもそも日本側の研究者で「三十万人」説を採っている方はいません。例えば、笠原氏の見解を、ご覧下さい。

2.「三十万人」は、「民間人プラス軍人」の犠牲者の数字です。これと「民間人」のみの「人口」を比較することに、あまり意味はありません。比較するのであれば、「民間人の人口」プラス「中国軍の数」をベースにするべきでしょう。

 *ちなみに「中国軍の数」については、「六、七万人」(「南京戦史」)から「十五万人」(笠原氏)まで、諸説があります。

3.「二十万人」は、「虐殺」の範囲である、「南京市」、あるいは「南京行政区」の「人口」ではありません。その一区画である、「安全区」の推定人口です。これも比較するのであれば、「虐殺」の範囲と「人口」の範囲を合致させるべきでしょう。

 以下、3の「人口」について、少し詳しく見ていくことにします。
*言うまでもありませんが、「人口20万」を前提として「30万虐殺は不可能」と主張するのであれば、「人口20万」という数字が正確であることを示す挙証責任は、その立論を行なう側にあります。 掲示板では、自分で「不可能論」を述べながら、「20万人でないというのならば何人であることを証明しろ」などと、挙証責任を相手側に転嫁しようとするちぐはぐな議論をよく見かけますので、念のため。 以下の私の説明通り、「人口20万とは断定できない、正確な人口数は不明」ということであれば、「二十万都市で」云々の大前提が崩壊することになります。


 まず、「事件の地理的範囲」を確認しておきましょう。中国側の主張と笠原氏の主張では、「地理的範囲」が微妙に異なっていることに、注意して下さい。

 A 中国側見解
中国側見解による、「虐殺地」の地図をリンクします。概ね「南京市」(下記地図)の範囲と重なることが、わかると思います。  
 B 笠原氏の見解 
「犠牲者数をめぐる諸論」で紹介した通り、笠原氏は、「民間人犠牲者数」については、「スマイス報告」の「農村調査」を、ひとつのベースにしています。「農村調査」の範囲は、概ね「南京行政区(南京特別市)と重なります。

ご覧の通り、笠原氏の主張の方が、「地理的範囲」は広いのです。
*掲示板では、よく、「史実派(肯定派)が、事件の地理的範囲を勝手に広げている」という記述を目にします。しかし問題となるのは、「事件の実態」を捉える上で、どのような「地理的範囲」を見るのが最もふさわしいか、ということだと思います。 笠原氏は、「事件の実態」を捉える上で「南京行政区」の範囲が最も適当である、と判断したわけであり、これに対して「勝手に」という表現を行なうのは、 私には的外れなものに思われます。別に「事件の範囲」について、中国側に追随する必要もないでしょう。




 さて次に、「安全区内」「南京城内及びその周辺(「郷区」(農村部)を除く南京市)」「南京市」「南京行政区」それぞれについて、日本軍占領時の「人口」につき、国際委員会推定値、および笠原説、中国側の張連紅説を、見ていきます。

  A B C D
安全区内 南京城内及びその周辺 南京市  南京行政区
戦前人口 ? 約85万 約100万 250万超
日本軍占領時の人口(民間人のみ) 国際委員会推定 約20万 言及なし(マギー証言参照) 言及なし 言及なし
笠原説 言及なし 言及なし 40〜50万 190万超
張連紅説 言及なし 36.7〜46.7万 53.5〜63.5万 言及なし
事件の範囲 中国側見解の範囲  
笠原説の範囲

*笠原説〜岩波新書「南京事件」P79〜P83、P220〜P221。なお笠原氏は、「南京行政区」の「占領時人口」につき、「南京城区」40〜50万、「近郊六県」150万超と記述していますので、上表では「190万超」としました。

**笠原氏は、「南京城区にいた市民はおよそ四〇〜五〇万人であった」との表現を行っています。笠原氏の言う「南京城区」が、「南京市」なのかそれとも「郷区(農村部)を除く南京市」なのかややわかりにくいのですが、ここではとりあえず「南京市」として扱っています。

***「北京日報」に、当時の南京の人口についての「張連紅論文」が掲載されました(2003.12.12)。この論の妥当性はこれからの議論になると思われますが、とりあえずは「中国側の見解」を知る意味でここに取り上げました。


南 京 城 内
     南  京  市 南京特別市


*地図は、K-Kさんよりご提供いただきました。拡大図は、こちらからご覧下さい。


 実際問題として、何の資料も残されていない以上、今日では、B「南京城内」〜D「南京行政区」の占領時人口を正確に知ることは不可能でしょう。「南京市」の人口が戦前よりも激減していたことは事実ですが、少なくとも、「南京市」全体の人口を「二十万人」と断定することはできません。

 笠原氏の「四十〜五十万人」説も可能性としては十分考えられる範囲であり、「中国軍」の数も合わせると、「人口論」のみで「三十万人」説を否定できるかどうかは、微妙なところでしょう。


 いずれにしても、「人口二十万人の都市で三十万人虐殺は不可能」との表現は、笠原氏など「史実派」の見解まで否定するものではないことには、注意しておく必要があります。

 例えば笠原説は、概ね「南京行政区」の範囲で「軍人犠牲者8万人以上、民間人と合わせて十数万から二十万」というものです。ここまで「地理的範囲」を広げるのであれば、もはや「人口二十万人」ということはありえません。



 なお、「20万人説」の根拠とされる「国際委員会」の推定値は、「安全区内」を対象としたものです。

 占領時にこれ以外の地域にどの程度の住民が残っていたかについては、当時の「国際委員会」文書に明確な言及はありません。 これが当時の認識を反映したものであるかどうかは不明ではありますが、参考までに、「国際委員会」メンバーの一人、マギー牧師の「極東軍事裁判」時の認識を紹介します。

「極東軍事裁判」 速記録第49号 (A.検察側立証段階7)

○マギー証人 それは一寸幾らいたかと云ふことは申上兼ねるのでありますが、 我々委員会の「メンバー」の委員の推定によりますと、安全地帯には約二十万、或は三十万を超したかも知れませぬ。城外の安全地帯にはもつともつと沢山居りましたが、何れにしても推定は不可能であります。
小野寺モニター 一寸訂正致します。我々委員会で推定した所では、安全地帯に入つたのは少くとも二十万は入つたと思ふ。其の外に安全地帯に来なかつた者がどの位あつたかは到底推定出来ないと思ふ。 けれども三十万は最低の見積りであらうと思ふ。兎に角城外に居つた者、市外に居つた者がどの位居つたかと云ふことは到底推定出来兼ねる
(「南京大残虐事件資料集 第2巻」P100)



最後に、秦郁彦氏の発言を紹介しておきましょう。

座談会『歴史と歴史認識』より

 南京守備軍がどのくらいいたのか、南京の一般市民の人口がどのくらいだったのか、両方ともわかりません。戦闘で何人死んだのか、何人処刑されたのか、初めからおしまいまでゲスワークなんです。

 当時、南京市内に住民は二十万しかいなかったから、三十万殺せるわけがないというと、みんななるほどと思いますが、二十万しかいなかったという根拠もないんです。

(『諸君!』2000年2月号 P87)



2004.10.28追記

 最初に取りあげた「極東軍事裁判」におけるロヴィン弁護人の陳述に対して、田中氏は次のような記述を行なっています。

田中正明氏「南京事件の総括」より

 東京裁判でロヴィン弁護人が「南京に於て殺害された数は三十万となって居りますが、私の承知して居る範囲に於きましては南京の人口は二十万であります」と、ズバリこの問題の本質を突く質問をした。 するとウエップ裁判長はあわてて、「今はそれを持ち出す時ではありません」とこの発言を封じてしまった。

(P162)


 この記述を見ると、ウエップ裁判長は、「南京大虐殺」というストーリーに都合の悪い発言をされたので、無理やりにその発言を封殺してしまったかのように見えます。

 実際にどのような雰囲気だったのか、速記録により確認しておきましょう。

「極東軍事裁判」 速記録第58号 (A.検察側立証段階8)

○サトン検察官 法廷の許可を得まして此書類の一部分のみを朗読致します。

 [通訳朗読]
 南京地方法院検察処敵人罪行調査報告

 (略)

○サトン検察官 ・・・

 [モニター朗読]
 6.其他に関するもの
 敵多摩部隊は俘虜となれる我人民を医薬試験室に連れ行き、各種有毒細菌を其体内に注射し、其変化を実験せり。此部隊は最も秘密の機構なるを以て之に因りて死亡せるものの確数は明白ならず。

 医薬の実験の為に犬猫を犠牲にすることさへも仁者の忍びざる所、況んや我俘虜同胞を実験に供するは誠に犬猫にも劣れる取扱なり、哀しまざるべけんや。之を要するに敵人の罪行は残暴凶悪無道の極にして、捜索せる資料を総計するに、

 被殺害者総数             三十四万人
 焼失又は破壊家屋          四千余戸 
 被姦及拒姦の後殺害されたる者  二、三十人
 被逮捕後生死不明者         百八十四人

にして其他は調査未完了なり。

○ウェッブ裁判長 あなたは所謂毒になる液と云ふことに関する証拠を我々に与へようとして居るのでありますか。試験所に於ける其の検査の結果を証拠として更に述べられるのですか。それは我々判事に取つては全く新しいことであります。其の件を残したらどうですか。

○サトン検察官 それを残します。

○サトン検察官 ・・・・ 

○ブルックス弁護人 弁護人側と致しまして、血液の検査と云ふものの反響に関しまして此の文書に書いてございますのは、色々の種痘を行つたのではないかと云ふことを検察側に紹介したいのでございます。今申しましたことは、此の報告の重要性と云ふことに関して或は効力があるかも知れませぬ。 それから事件後になつて一頁、二頁にありますやうに、検察側の要求に依つて調査委員会が作つたものであります。一九四五年十一月十七日午後二時に会議が行はれたと此処に書いてあります。

 若し種痘と云ふものと、先程言はれました血液の種類の検査と云ふものの区別が御分りにならなかつたのでありますならば、本法廷に取つて非常に重大な影響を及ぼすものと考えます。証拠の上に重大な影響を与へるものと考へます。此の証拠に付ては今までに色々な証言が行はれて居るのであります。

○ロヴィン弁護人 私は弁護側と致しまして、何か斯様な文書に対する、弁護側に対する保護は必要ではないかと思ふのであります。

 殆ど矛盾のない証拠が相当あると思ひますが、但し控室に於ける会議の時に私が申しましたやうに、弁護団は南京暴行事件に関して後刻証拠を提出すると申しました。 又、南京に於ける残虐行為に付てと云ふ文句を附加致します。

 我々弁護人と致しまして、如何にもこの法廷は、検察側が要約或は宣誓口述書を此処に提出する意味に於て相当援助して居るやうに思ふのであります。

○ウェップ裁判長 法廷を批評することはいけませぬ。

○ロヴィン弁護人 私は裁判所を批評するやうな意図は毛頭ないのであります。唯私は少くとも検察側に対しては、今までの手続を踏む意味に於て法廷はそれを許して居ると云ふことを申上げたかつたのであります。

 私の申したいことは、検察側は宣誓口述書其の他の文書を此処に提出する権利を有し、又其の提出方法に付て法廷の許可を得て居るのでありますが、私の異議を申立てたいことは斯かる性質の文書を提出すべきではないと云ふのであります。

 もう既に法廷はそれを示唆されました。斯かる証拠と云ふものは非常に累積的になると云ふことを法廷は既に言はれて居るのであります。斯かる状態が其の儘放任されますれば、つまり証拠が累積しますれば、裁判所は一種の行動を執る、詰り裁定を下すに違ひない。

 斯かる宣誓口述書或はそれに類似した文書を提出することに鑑みまして、弁護団と致しまして是等の文書に入つて居る不適当なる部分に対して弁護側を如何に保護するかと云ふことの問題が起つて来るのであります。

○ウェップ裁判長 あなたは証拠に関して抗議を申して居ると思ひますが、其の抗議の意味は中華民国の検察官がやりました毒物の試験の結果に付てでありますか。私の同僚の申しますことにも依りますが、あなたの仰しやることは証拠を持たざる単なる断言としか聞えませぬ。

○ロヴィン弁護人 更に法廷の注意を喚起致したいことは、第四頁の最後の第一行にある被害者の総数でありますが、二百十七万五千五百八十六と云ふ点であります。

○ウェップ裁判長 それは訂正されました。「ロヴィン」さん。

○ロヴィン弁護人 更に外の部分に注意を喚起致しますが、南京に於て殺害された数は三十万となつて居りますが、私の承知して居る範囲に於きましては南京の人口は二十万であります。

○ウェップ裁判長 あなたは其の証拠を持つて居られるかも知れませぬが、今はそれを持出す時でありませぬ。

 証拠と云ふものは、確定して居るか、或は、ぼんやりして居るか、或は証拠のない推定に依るものかと云ふことに依りまして、判事の方と致しましてはあなたの仰しやることを此処で受容れることは出来ませぬ。

 判事側の方も非常に注意して居りますから、そんな心配は無用です。又、弁護側は判事に対する保護は必要がないと云ふことを申上げたいのであります。

○ロヴィン弁護人 それは弁護人としても確かに分つて居ります。又我々弁護人と致しまして、余り細いことに一々異議を申立てることは、致したくないと考へて居りますが、少くとも検察団側は、此の法廷又は我々弁護側、或は一般民衆に対し、一つの任務があるのであります。証拠提出に当つて十分の慎重なる考慮を払はれんことを希望するのであります。

○ウェップ裁判長 弁護人側の反対されまする中国人に対する毒薬・毒物に関する試験の結果と云ふ「ステートメント」−陳述に付ての異議は許可致しませぬ。証拠として却下致します。

*「ゆう」注 読みやすくするために、「モニターによる修正」は、そのまま文の中に押し込めました。

(「南京大残虐事件資料集 第1巻」P142〜P147)


 果たしてウェッブ裁判長は、「あわてて」「発言を封じてしまった」のか。上のやりとりを見る限り、とても「あわてて」「発言を封じてしまった」ようには思われません。

 そもそもこの長いやりとりは、「裁判所の証拠に対する取扱い」が主要テーマになっています。ロヴィン弁護人も「更に外の部分に注意を喚起致しますが」と「主要テーマ」から外れることを宣言し、ウェッ ブ裁判長も話がずれそうになったので「今はそれを持出す時ではありませぬ」と注意をした、というだけの話でしょう。そして弁護側も、裁判長のこのような態度に特段の異議は申立てていません。

 さらに言えば、この後弁護側は、「人口二十万人」の話に一切言及せず、この話はこれだけに終わっています。

 少なくとも、田中氏の記述からイメージされるような、「ウェッブ裁判長は、「人口20万人」という都合の悪い証拠を示されたのでそれをあわてて止めた」という雰囲気でなかったことは、上の速記録を読めばご理解いただけると思います。

(2003.2.1記 2004.10.28追記)


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