二十万都市で三十万虐殺? |
「人口二十万人の都市で三十万人虐殺は不可能」―「否定論」の最初のページに、必ず書いてある記述です。「論理」としては極めて荒っぽく、明確な誤りなのですが、単純な「わかりやすさ」が受けて、 結構「南京事件」初心者に影響を与えているようです。 この「説」のルーツは、「極東軍事裁判」に遡ります。
ある程度の知識を持つ方には今更解説の要もありませんが、「初心者」向けに、一応私なりの「解説」を試みましょう。 この「不可能論」の問題点は、以下の3つに集約されます。
以下、3の「人口」について、少し詳しく見ていくことにします。 *言うまでもありませんが、「人口20万」を前提として「30万虐殺は不可能」と主張するのであれば、「人口20万」という数字が正確であることを示す挙証責任は、その立論を行なう側にあります。 掲示板では、自分で「不可能論」を述べながら、「20万人でないというのならば何人であることを証明しろ」などと、挙証責任を相手側に転嫁しようとするちぐはぐな議論をよく見かけますので、念のため。 以下の私の説明通り、「人口20万とは断定できない、正確な人口数は不明」ということであれば、「二十万都市で」云々の大前提が崩壊することになります。 まず、「事件の地理的範囲」を確認しておきましょう。中国側の主張と笠原氏の主張では、「地理的範囲」が微妙に異なっていることに、注意して下さい。 A 中国側見解 中国側見解による、「虐殺地」の地図をリンクします。概ね「南京市」(下記地図)の範囲と重なることが、わかると思います。B 笠原氏の見解 「犠牲者数をめぐる諸論」で紹介した通り、笠原氏は、「民間人犠牲者数」については、「スマイス報告」の「農村調査」を、ひとつのベースにしています。「農村調査」の範囲は、概ね「南京行政区(南京特別市)と重なります。 ご覧の通り、笠原氏の主張の方が、「地理的範囲」は広いのです。 *掲示板では、よく、「史実派(肯定派)が、事件の地理的範囲を勝手に広げている」という記述を目にします。しかし問題となるのは、「事件の実態」を捉える上で、どのような「地理的範囲」を見るのが最もふさわしいか、ということだと思います。 笠原氏は、「事件の実態」を捉える上で「南京行政区」の範囲が最も適当である、と判断したわけであり、これに対して「勝手に」という表現を行なうのは、 私には的外れなものに思われます。別に「事件の範囲」について、中国側に追随する必要もないでしょう。 さて次に、「安全区内」「南京城内及びその周辺(「郷区」(農村部)を除く南京市)」「南京市」「南京行政区」それぞれについて、日本軍占領時の「人口」につき、国際委員会推定値、および笠原説、中国側の張連紅説を、見ていきます。
*地図は、K-Kさんよりご提供いただきました。拡大図は、こちらからご覧下さい。 実際問題として、何の資料も残されていない以上、今日では、B「南京城内」〜D「南京行政区」の占領時人口を正確に知ることは不可能でしょう。「南京市」の人口が戦前よりも激減していたことは事実ですが、少なくとも、「南京市」全体の人口を「二十万人」と断定することはできません。 笠原氏の「四十〜五十万人」説も可能性としては十分考えられる範囲であり、「中国軍」の数も合わせると、「人口論」のみで「三十万人」説を否定できるかどうかは、微妙なところでしょう。 いずれにしても、「人口二十万人の都市で三十万人虐殺は不可能」との表現は、笠原氏など「史実派」の見解まで否定するものではないことには、注意しておく必要があります。 例えば笠原説は、概ね「南京行政区」の範囲で「軍人犠牲者8万人以上、民間人と合わせて十数万から二十万」というものです。ここまで「地理的範囲」を広げるのであれば、もはや「人口二十万人」ということはありえません。 なお、「20万人説」の根拠とされる「国際委員会」の推定値は、「安全区内」を対象としたものです。 占領時にこれ以外の地域にどの程度の住民が残っていたかについては、当時の「国際委員会」文書に明確な言及はありません。 これが当時の認識を反映したものであるかどうかは不明ではありますが、参考までに、「国際委員会」メンバーの一人、マギー牧師の「極東軍事裁判」時の認識を紹介します。
最後に、秦郁彦氏の発言を紹介しておきましょう。
2004.10.28追記 最初に取りあげた「極東軍事裁判」におけるロヴィン弁護人の陳述に対して、田中氏は次のような記述を行なっています。
この記述を見ると、ウエップ裁判長は、「南京大虐殺」というストーリーに都合の悪い発言をされたので、無理やりにその発言を封殺してしまったかのように見えます。 実際にどのような雰囲気だったのか、速記録により確認しておきましょう。
果たしてウェッブ裁判長は、「あわてて」「発言を封じてしまった」のか。上のやりとりを見る限り、とても「あわてて」「発言を封じてしまった」ようには思われません。 そもそもこの長いやりとりは、「裁判所の証拠に対する取扱い」が主要テーマになっています。ロヴィン弁護人も「更に外の部分に注意を喚起致しますが」と「主要テーマ」から外れることを宣言し、ウェッ ブ裁判長も話がずれそうになったので「今はそれを持出す時ではありませぬ」と注意をした、というだけの話でしょう。そして弁護側も、裁判長のこのような態度に特段の異議は申立てていません。 さらに言えば、この後弁護側は、「人口二十万人」の話に一切言及せず、この話はこれだけに終わっています。 少なくとも、田中氏の記述からイメージされるような、「ウェッブ裁判長は、「人口20万人」という都合の悪い証拠を示されたのでそれをあわてて止めた」という雰囲気でなかったことは、上の速記録を読めばご理解いただけると思います。 (2003.2.1記 2004.10.28追記)
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