モーゼル銃




  当初は私の文のみにて出発しましたが、その後本コンテンツに関連して、ja2047さんタラリさんより寄稿をいただきました。合わせて紹介します。

 

 < 目 次 >

1.「中国兵の偽装」か?  ゆう

2.「モーゼル銃」の解説  ja2047さん   2003.8.1追記

3.モーゼル銃を持った日本兵についての怪推理 タラリさん  2003.8.9掲載 



 
1.「中国兵の偽装」か? ゆう


  「南京事件」関連の掲示板では、ラーベの記述をもとに、「日本兵がモーゼル銃を持っているわけがないから、ラーベが目撃した「日本兵」は実は「中国兵」の偽装だった」と主張する方を、よく見かけます。

 その「元ネタ」は、以下の記述であると思われます。


「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」P169

  さらに重要な証言として「『日本兵』はモーゼル銃を手にして出没した」と『ラーベ日記』は記す。しかし、当時モーゼル銃は支那の軍隊か、支那の警察が携帯していた。日本兵はモーゼル銃を持っていなかったのである。

 このような資料を並べてみると、おおよそ事の真相は見えてくる。中国人が訴え出た目撃者も記録者も不明な「強姦」の実態は、「日本兵」に扮した中国人による狂言である可能性が限りなく高いということができる。


また田中正明氏も、同様の記述を行っています。

『南京の真実』は真実か?

 またラーベは「日本兵はモーゼル拳銃をもっていた」というが、当時日本軍にはモーゼル拳銃など一丁もない。支那兵の間違いであろう。

(「月刊日本」1998年1月号 P51)


 


さて、実際にラーベがどのような記述を行ったのか、確認しておきましょう。

ラーベ「南京の真実」文庫版P363

 委員会本部に向かう途中で、私の車はきまって停められました。いつもだれかが道にたっていて、妻や妹、あるいは娘が日本兵に暴行されそうになっている、なんとか助けてくれないか、と必死で訴えるのです。中国人の一団に連れられて現場に行き、まさに行為に及ぼうとしているところを取り押さえたことも多々ありました。

 こういう思い切った行為が危険だったことはいうまでもありません。日本兵はモーゼル拳銃と銃剣を持っていましたが 先ほども申し上げましたように、私にはナチのバッジとハーケンクロイツの腕章しかなかったのですから。武器がないなら、堂々たる態度と迫力で対抗するしかありません。事実、それはたいていの場合役に立ちました。



  見ればわかる通り、「相手は武器を持っているが自分は持っていない」という程度の趣旨の文章です。文脈から考えて、あまり「モーゼル拳銃」という単語にこだわるところではありません

 おそらくラーベ自身、「日本兵」が持っていた銃の種類へのこだわりがあまりなく、つい「モーゼル銃」と書いてしまった、という程度のことでしょう。あるいは、ラーベは「拳銃」に関する知識をあまり持たず、「拳銃」といえば「モーゼル」のことである、と思い込んでいたのかもしれません。

 いずれにしても、この文章から「日本兵に扮した中国人による狂言である可能性」を読み取ってしまうのは、「想像力過剰」というものです。

 


 なお、ラーベが出会った「日本兵」が本当に「モーゼル銃」を持っていたとしても、それだけでこの「日本兵」を「中国人の扮装」と断定することはできません。日本軍は、かなりの数の「モーゼル銃」を捕獲し、それを所持していたと見られるからです。以下、いくつか資料を紹介します。

*以下、ラーベの言う「拳銃」ではなく「小銃」の事例もありますが、「日本軍は鹵獲兵器を使用していた」例として掲載してあります。

天野軍事郵便 十二月十七日

 唯捕虜移動の為め多忙になりましたから乱筆になります。逃ぐる者は射殺します。今も銃声がしましたから射殺せるものと思はれます。拳銃は敵のものをぶんどって使用しています。

(「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」P253)

佐々木元勝「野戦郵便旗」 十二月十七日

門廊の外に出て中島部隊兵器部の片岡少佐といっしょに記念撮影をする。野戦郵便のトラックで中山門砲撃の野砲弾を運んだので、片岡少佐と私たちは知己となったのである。少佐は中川書記にその申出もあったので、鹵獲品のモーゼル拳銃を贈呈するという。

(「野戦郵便旗」(正)P218)

五十嵐善之亟 「ザ・レイプ・オブ・南京の研究」についての批評

最後にモーゼル銃をもって強姦を事とした日本兵は居る筈がないとされた事で思い出したのであるが、筆者が調査の護身用として鹵獲品のモーゼル銃をもらって用いていた事があって中国人が日本人に化けて非行を働いていたと言う事は客観情勢から無理ではあるまいか。

(「決定版 南京事件の真実」 P98)

水谷荘日記 十二月十四日

敵の捕獲小銃で鳥を射ったら見事一発で命中した。敵の小銃モーゼルは性能が良いのだろうか。公園にでて鳥を射って見たが、全々駄目だった。先刻の命中は紛れだったかも知れない。

(「南京戦史資料集機廝丕械坑機

 



2002.8.9  その後、当の東中野氏の著作の中にも、「モーゼル」に関する資料が登場しましたので、紹介します。

 
「転戦実話 南京編」 歩兵第四十七連隊(大分) 第五中隊座談会より

 柳港鎮に着いた時です。C軍曹が懐中電灯を灯しつつ、「H軍曹、H軍曹」とやって来ます。「何か」と言い、見れば手にモーゼル(連発銃)を持っています。そして「徴発に行こう」と言うのです。

  ついて行き、何らこれというものもなく、二人で談笑しながら帰って見ますと、部隊がいません。心臓の鼓動も一瞬止まったようで青くなりました。見ると銃も装具もないのです。 付近に散乱している藁のぬくみから、まだそう遠くは行っていないと判断し、二人で走って、やっと追及、きついお目玉を頂戴しましたが、一時は全く途方に暮れました。

(東中野修道氏編著「1937南京攻略戦の真実」 P63〜P64)



2003.12.30  渡辺久志さんから、当時の新聞記事の紹介をいただきました。併せて紹介します。

 
『新愛知(三河版)』 昭和13年1月16日

 忽ち敵死體の山!
 縄梯子で逃げる奴を機銃掃射
 一色出身 中島水兵ら南京で


 幡豆郡一色町出身○○陸戰隊所属中島榮君より本社宛に大要左の如き陣中便りを寄せられた

 小生は名譽ある上海特別陸戰隊の一員となり上海総攻撃に東部戦線に北部戰線閘北戰線等に轉戰數度又此の度は海軍陸戰隊中唯一部隊として南京総攻撃に海軍陸戰隊一番乗りの榮に浴しました

 小生達が南京城外下關に上陸するや、陸軍部隊より攻め立てられた支那兵が城壁より我先にと縄ばしごを連ねて逃走せんと致し居るを下に待ち受けてゐたわれら陸戰隊は一斎〇銃〇銃より火蓋を切り射ちおとし敵兵の死人の山を築き全く地獄でも見る事の出来ない様な光景を呈しましたか  敗戰國の惨めさを深く感じると共に祖國日本を堅く守らねばならぬと云ふ信念を一層感じたのです

 南京陥落一兩日中には敗殘兵は數知れず毎日數百を捕へ武装解除と同時に○○○したのであります 當時の市中は死人の半焼人多数あり臭氣も鼻をつき惨の極に達して居りました

 小生も敵兵より奪取したる独逸製のモーゼル銃にて十數名も射殺致しましたが支那兵も自分の武器で自分が殺されるとは思ひもよらない事だらうと苦笑して居ります、

 南京人城式後は敗殘兵も少くなりましたが一日十五名位は何處からともなく正規兵の服装で捕はれて揚子江岸に引かれて行く有様です
 
(後略)


 


 
.「モーゼル銃」の解説 ja2047さん 


*「ゆう」注 ja2047さんより、「モーゼル銃」の写真の画像をいただきました。また、「モーゼル銃」が大量に鹵獲されたため、のちには日本軍の「制式兵器」に準ずるものとなったことを示す資料も、発掘していただいています。

モーゼルミリタリー モーゼル1914
モーゼルC96(モーゼルミリタリー)は初期の大型自動拳銃ですが、中国ではその長射程と装弾数の多さが好まれて多く使用され、イミテーション生産さえ行われました。

中国では「毛児槍」(モールチャン)「大音子児」(ターインズル)などと呼ばれていたようです。

日中戦争初期に多くのモーゼル拳銃やチェコ機銃が鹵獲されたため、後には日本で弾薬の生産が行われるようになりました。 大型のモーゼル拳銃は鹵獲品として使用された例が多く伝えられていますが、ノモンハンのエースとして有名な篠原弘道准尉のように個人装備として中型のモーゼル1914を使用していた例もあります。




2003.8.1 ja2047さんによる追記


 当記事も初掲載後半年を経過しました。

その間、旧日本陸軍で「モーゼル拳銃」を使用したという記述の根拠についてのご質問など、いくつかの反響をいただいています。 今回は、質問へのご回答を含め、この間に発見した資料や当初省略した細かい注釈の追加、写真差し替えなど、訂正を含めた補足説明を行いたいと思います。



1.当初掲載の大型拳銃の写真(左側)は、「ボロ・モーゼル」と呼ばれるロシア向けタイプのもので、日中戦争で使われたものと細部に違いがあります。 そこで、今回写真を差し替えました。

2.掲載の中型拳銃の写真(右側)は通常モーゼルM1934として紹介されておりますが、ここでは篠原准尉の遺品現物の写真を掲載した "Japanese Army Airforce Aces 1937-1945, Henry Sakaida, OSPREY /大日本絵画 1997/2000" の解説に従い、M1914としています。

3.当初の記述の補足として、「満州事変」以降多くの「モーゼル拳銃」が鹵獲されたこと、日本兵が鹵獲品の拳銃を持ち歩いていたのが問題化していたことを示す公式資料を紹介します。

(大日記甲輯昭和15年)

受領番号参第二三八〇号                     銃砲課


下士官、兵及軍属ノ私物拳銃携行禁止ニ関スル件 

陸普 次官ヨリ陸軍一般ヘ通牒 <

爾今下士官、兵及軍属ノ私物拳銃及同実包(銃砲火薬類取締規則ニ依ル携帯許可証證ヲ所持スル者ヲ除ク)ノ携帯を禁止セラレシニ附依命通牒ス <

追テ押収拳銃及同実包ハ軍ニ於テ収集シ制式兵器ニ準シ携帯セシメラレ度申添フ

陸普 第五五四九号                 昭和一五年八月一三日


「アジア歴史資料センター」資料より)



 ところが、次の資料の通り、後で出るはずの“制式兵器ニ準シ”に相当する通達が、実際には“携帯ヲ禁止”の通達よりも一年近く前に出されています。
受領番号参第一五四〇号                    技術本部


「チ」式七.九耗軽機関銃並ニ「モ」式大型拳銃準制式制定ノ件

陸普 副官ヨリ技術本部長ヘ通牒

首題銃十一月二十日附陸技本 甲第七五八号上申ノ定メラルヘキニ付該図面(概説共)左記ノ通送付セラレ度

[中略]

「モ」式大型拳銃概説

昭和一四年十一月

陸軍技術本部 一. 目的 <

本拳銃ハ満州及支那両事変ニ於テ多数押収シタルヲ以テ現制式ノ代用トシテ使用スルコトヲ得 「以下略」

「アジア歴史資料センター」資料より)

 


 この通達を見る限り、「モーゼル式大型拳銃」は、すでに昭和一四年段階で、「現制式の代用として」使われることが決定しているわけです。 

 この後であらためて「携帯禁止」の通達が出たわけですから、 あるいは「押収拳銃の私物化携帯禁止」の通達は「準制式化」の通達を挟んで何度か出されたということなのかもしれません。

 


 
3.モーゼル銃を持った日本兵についての怪推理   タラリさん 


*「ゆう」注 タラリさんより、東中野氏の「推理」のおかしさをより明確にする文章をいただきました。当初、「思考錯誤」板に掲載されたものです。



 いつ、読んでもおかしな藤岡・東中野の推理です。何回か目を通していますが、そのたびにあほらしいので一度書いておきます。

 
「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」P169

  さらに重要な証言として「『日本兵』はモーゼル銃を手にして出没した」と『ラーベ日記』は記す。しかし、当時モーゼル銃は支那の軍隊か、支那の警察が携帯していた。日本兵はモーゼル銃を持っていなかったのである。


  日本兵は制式された銃としてはモーゼル銃を持っていない。中国軍の謀略部隊にすれば敵兵である日本兵の装備内容は常識でなければならない。とするならば、中国兵が日本兵に「扮する」とき、モーゼル銃を持つことはありえない。

 捕獲されたモーゼル銃を持つ日本兵がいることもこの時点では「攪乱工作隊」の知るところとなった可能性がないではない。ただし少数であるのは知れている。そのような少数例をあえてまねるということはあり得ない。

「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」P169

 このような資料を並べてみると、おおよそ事の真相は見えてくる。中国人が訴え出た目撃者も記録者も不明な「強姦」の実態は、「日本兵」に扮した中国人による狂言である可能性が限りなく高いということができる。



 「強姦」事件を捏造するだけなら、訴えを委員会に上げるだけでよいはずである。南京市民に日本兵への悪印象を植え付けるためなら、デマを流すのが普通の手段である。

 東中野らは【南京市民に悪印象を植え付けようとしてあえて実際の強姦にこだわった】と主張する。これがどれほど荒唐無稽な主張か考えてみればすぐわかる。

 まず強姦をしようとしたところで、言葉、顔つきで中国人であることが相手にばれてしまう。何の言葉も発せずに、顔も見られずに強姦をすることは不可能である。

 万一、無防備な行為の最中に憲兵に見つかれば他の攪乱工作と違って逃げるのが遅れる。捕まれば「攪乱工作隊」組織が崩壊につながりかねない。また、「南京で起こった日本兵による強姦事件はすべて中国兵によるものであった」と逆宣伝されればすべてが水の泡になる。

 いくら南京市民に悪印象を振りまくことに成功しても軍事力で日本軍に制圧されているのだから、南京市民の実質的な抵抗を呼ぶことにはつながらない。「攪乱工作」を意図するならば、あてどのないことをせずに、直接日本兵、日本軍を襲撃、攻撃するのが普通である。


 まあ、東中野らしい愚かな妄想です。


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