ラーベが報告する「犠牲者数」 |
ラーベ日記については、例えば秦氏のこのような評価があります。
ラーベがヒューマンな立場から南京の中国人の救済に立ち回っていたことは、実際にこの「日記」を読んだ方であれば、誤解のしようがない事実です。 しかし若干の本には、「南京虐殺」を否定したいがあまり、このラーベを、人格的にむりやりに貶めようとする記述が存在します。その一例をあげましょう。
念のため、ここでいうラーベの「報告」を、それぞれ確認しておきましょう。 まず、「数百」から。
一見してわかる通り、これは、「犠牲者数」の報告ではありません。「一家の働き手が連行されたり殺されたりして、赤貧に陥っている家族」の数です。「敗残兵狩り」における「一般市民の誤認殺害」、あるいは「強制徴用」が、ラーベの頭にあったものと思われます。 なおこの数字は、「金陵女子大学」の避難民からの報告に基づくものであるようです。 コンテンツ「資料:「国際委員会文書」の告発」より、「1 日本軍による連行」を参考にして下さい。 従って、「被害者数」がまともに文中に見えるのは、次の二資料になります。
「日付」にご注目ください。 「南京陥落」1か月後の「一月十四日」には、ラーベは、犠牲者数を「何千人」と認識していました。しかし、「陥落」から6か月が経った「六月八日」には、「中国側の申し立て」を始めとしたいろいろな情報が集まり、「五万から六万人」に、認識を変えました。 それだけの話です。ラーベは、「相手によって」報告する数を変えたのではなく、その時々での認識を述べているだけ、と解釈するのが自然です。 「報告する相手によって犠牲者数を大きく変えている」という記述が、いかに捻じ曲がった表現であるかは、言うまでもないでしょう。 (2003.1記)
2004.2.11追記 上と同趣旨の批判を、『週刊金曜日』2001.6.22号で、金子マーティン氏が行っていることに気がつきました(金子マーティン『外国でバラまかれる英語版南京虐殺「まぼろし」本!』)。関心のある方は、合わせてご覧下さい。
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