| 「百人斬り競争」―「アリバイ」は成立するか (2)向井少尉の「負傷」 |
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次のアリバイは、「当時向井は負傷して部隊を離脱しており、そもそも「百人斬り競争」などできるわけもなかった」とするものです。この「アリバイ」は、向井自身が、南京軍事法廷で主張しました。
従って向井少尉にインタビューをしたかのような「第四報」は記者の「創作」である、というわけです。この「アリバイ」につき、冨山大隊長は、南京軍事法廷に「証明書」を提出、向井を支援しました。
裁判の原告側も、この主張を忠実になぞります。
しかしその後の情報も考え合わせると、このアリバイは、到底成立しない、と見るべきでしょう。以下、見ていきます。 まず、「第四報」記者会見の現場に立ち会った、鈴木記者の証言です。
『週刊新潮』はこれに続けて、「十二月二日負傷して十五日まで帰隊しなかつた」という向井少尉に対する富山隊長の証明書は”偽造アリバイ”ということにもなりかねないが、これも元の部下の生命を救うための窮余の一策だったのかも知れない」とコメントしています。 秦郁彦氏も、鈴木証言は「確度が高い」と評価しています。
この問題に関して裁判で取り上げられたのが、向井少尉の直属の部下であった田中金平氏の手記です。
ここには「向井小隊長の負傷」の記述は存在しません。 「直属上官の負傷、離脱」という大事件が書かれていないのは不自然ではないか。これに対して、原告側は一応は次のように反論してみせますが・・・。
この説明は、一見して説得力を欠きます。 向井少尉は、部隊の指揮官でした。その負傷は、もし事実であれば、部隊にとって「大事件」でしょう。「戦傷者の記録は無いに等しい」から「向井負傷」記載がなくても不自然ではない、ということとは、次元の異なる話です。 笠原氏による反論です。
さらに向井自身、次のように語っていたと伝えられます。
「五百人斬り」云々の信憑性はともかく、「出征以来病気もせずいつも第一線に立つて負傷せず不思議なやうです」と語っていることが注目されます。記者の「作文」である可能性も完全には否定しきれませんが、ともかくも「向井負傷説」にとっては不利な材料であることは間違いありません。 「裁判」で語られたのはここまでですが、さらにその後秦郁彦により行なわれたるインタビューが、決定打となるでしょう。
当の田中金平は、「向井が負傷せず」とはっきりと語っています。また他の隊員も、同じ証言を行っているようです。 となると、「冨山大隊長の証明書」は、週刊新潮の記事通り、「偽造アリバイ」と見るべきでしょう。 原告側は、このように主張しますが・・・。
これは、誰が見てももはや「強弁」の域でしょう。冨山大隊長が「向井を救いたい」という強い動機を持っているのであれば、その真偽は、他の資料と照らし合わせつつ慎重に判定されなければなりません。 秦郁彦氏、笠原十九司氏の「判定」です。
結論としては、次の秦郁彦氏の「結び」が妥当なものでしょう。
*なお裁判では、旅団司令部の通信班長だった犬飼聡一郎氏の、「犬飼は、このとき、冨山大隊から無線で戦況を聞いており、向井少尉が負傷したことも聞いた」という趣旨の証言が提示されました(『百人斬り裁判資料集』P143、東京地裁判決より)。真偽は不明ですが、事実だとすれば、入院しない程度の負傷をしていたことは考えられます。
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