「百人斬り競争」―「アリバイ」は成立するか (3)「副官」は戦わないか? |
次の「アリバイ」は、他の任務を抱えて多忙な大隊副官や歩兵砲小隊長に、「百人斬り競争」などするヒマがあるわけがない、というものです。 まずは野田少尉の主張です。
この主張は、70年代初期論争の中で、山本七平氏に引き継がれました。
そして「裁判」では、原告側は、この主張を補強すべく、何件かの「陳述書」を提出してきました。
要約すれば、「副官」や「歩兵砲小隊長」の任務は「軍隊内務書」や「歩兵操典」で定められており、その定められた範囲だけで多忙を極めたはずである。従って特殊な場合を除き、白兵戦に参加できるわけがない、従って記事のような「百人斬り」はありえない、ということになるでしょう。 ただし原剛氏や中山隆志氏は、それぞれの分野で業績を挙げている本職の研究者だけあって、言い回しは慎重です。 原剛氏は、「このように多忙な大隊副官は、第一線の白兵戦で戦ったり、捕虜を捕獲したりする余裕も可能性もほとんどないのである。・・・従って、新聞記事が報じるように、大隊副官の野田少尉が、十数日間に百五人、一日平均八人の敵兵を新ることは、不可能なことであると判断される」と、「白兵戦」や「捕虜を捕獲」する可能性の否定に、議論を限定しています。 また中山隆志氏も、「副官が、白兵戦に加入するのは、大隊本部が敵に襲われ、あるいは隊長以下敵に突入するような真に危急の場合だけ」と、「白兵戦」の可能性を否定するのみです。 いずれも、「捕らえた捕虜を殺害」することまで否定するものではありません。 本多氏側の主張は、記事のように白兵戦で「百人」を斬るというのは「常識的には無理な話」というものでした。そして志々目氏の証言などをもとに、実態は「捕虜殺害競争」であったのであろう、と推察しています。 原告側は著名な研究者の名を並べて「演出」を試みましたが、実際には、原氏、中山氏の陳述のように、「白兵戦による百人斬り」の可能性のみを否定してみせても、本多氏側は何の痛痒も感じません。 これに対して笠原氏は、「軍隊内務書」が適用される場面は「常時に兵営で訓練や演習などそれぞれの勤務」への従事であり、「したがってこれは、陣中勤務すなわち戦場における職務を規定したものではない」と主張します。 そして、戦時において適用されるのは「作戦要務令」であり、これは「全編を通じ、全軍の諸隊がこぞって積極的に行動すべきことを要求し、状況判断によっては積極的に任務を達成すべき方策を定めるよう要求している」と指摘しています。(『「百人斬り競争」と南京事件』P55) しかし最もわかりやすいのは、「副官」が戦場において実際にどのように行動していたかを確認することでしょう。 そこで登場するのが、歩兵第九連隊第一大隊副官であった六車政次郎少尉です。 六車氏は、『惜春賦:わが青春の思い出』と題する回想録を残しています。そして野田少尉らが「百人斬り競争」を行っていたと伝えられる「南京追撃戦」の時期に、数々の「白兵戦」を経験しています。
六車少尉の活躍ぶりは、この時期にとどまりません。「戦闘詳報」などに、他の時期の記録も残されているようです。
このような記録を見ると、「軍隊内務書」などに書かれた「副官の任務」をもとに「副官が白兵戦に参加するはずはない」と主張することは、「実態」を見ない机上の空論であることがわかります。 秦郁彦氏もこのように指摘します。
「副官」だから戦うはずがない、というアリバイも、また成立しえません。
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