「マギー証言」への評価

―続・マギーが証言したこと―


 前コンテンツ「マギーが証言したこと」で、マギー証言の具体的な内容を見ていきました。

 さて以上の証言群を、「マギーが殺人を目撃したのはただの一件だけ」と、何とも乱暴にまとめてしまっているのが、田中正明氏です。

田中正明氏『南京事件の総括』より

 米人マギー牧師は二日間にわたって日本軍の犯罪行為を並べたてたが、ブルックス弁護人の反対訊問にあって、マギー証人が殺人を目撃したのはたった一件、それも占領直後日本兵に誰何(「だれか」と声をかけ姓名などをたずねること)されて逃げ出した男が射たれるのを見たというのである。

南京安全区国際委員会のメンバーとして、日本軍の占領期間中、日本軍の行動を監視するため自由行動をとっていた米人牧師が、その目で見た殺害事件は前述の一件、強姦一件、窃盗一件のわずか三件のみで、他は全部伝聞に属するものであったことが暴露されている。(展転社版、P32)



田中正明氏『"南京虐殺"の虚構』より

 要するに米人牧師マギーが二日間にわたって証言した件数にして百数十件の日本軍将兵の虐殺・暴行・強姦・強盗の数々は、結局、殺人一、強姦一、窃盗一の三件を除いてはすべて伝聞であり、噂話であり、もしくは憶測か、幻想か、または彼の創作であったのである。(P314)



 この「まとめ」がいかに乱暴であるか、前コンテンツでマギー証言の具体的内容をご覧いただいた方には、もう説明するまでもないでしょう。「憶測か、幻想か、または彼の創作」とは、実際に「証言」を読んだとはとても思われない、何とも凄まじい表現です。

 ちなみに法廷でかわされた「やりとり」は、以下のようなものでした。

○ブルックス弁護人 「マギー」証人、それでは只今の御話になつた不法行為若しくは殺人行為と云ふものの現行犯を、あなた御自身幾ら位御覧になりましたか。

○マギー証人 私は自分の証言の中ではつきりと申してあると思ひますが、唯僅か一人の事件だけは自分で目撃致しました。

○ブルックス弁護人 強姦の現行犯を御覧になつたことがありますか。若しあるとすれば、それは幾つ位でありますか。

○マギー証人 私は証言の中に申して置きましたが、一人の男が実際に其の行為をして居つたと云ふこと、それからもう一つは、二人の兵士が十五歳になる女の子を「ベッド」に連れて行つて居つたと云ふことも証言で申して置きました

○ブルックス弁護人 それはあなたの仰しやるのは、二つの現行犯であるのか、其の中の一つが現行犯で、片方は未遂犯なのでありますか。

○マギー証人  私が見ましたのは、一人の男が実際に強姦行為をして居つたのであります。もう一つの二人の男と云ふのは、女の子と寝台に横たはつて居つたのでありますが、其の父親が云ふには、私が其処へ行きますより既に前に強姦して居つたと云ふことであります。

○ブルックス弁護人 御自身で御経験、或は見ましたか、他の人が強盗されて居るのを。(「ゆう」注 小野寺モニターによる訂正をそのまま掲載しました)

○マギー証人 私は実際に先程申しましたやうに「アイス・ボックス」を盗んで居つたのを見ましたことは憶えております。今一生懸命考へて居るのでありますが、一つ思い出しましたのは、私の隣に済んで居る中国人の婦人が参りまして、八十「ドル」盗まれたと言ひましたので、直ぐに 其処に参りましたが、其の盗んだ犯人と覚しき者から八十「ドル」を取返すことは出来ませぬでした。

 それは私がさう云ふことを見ないと云ふのは理由があるのであります。と云ふのは、日本の兵隊が家屋に侵入して来た場合に、私達が其処に行きますと、直ぐ日本の兵隊達は逃げたのであります。是は何時も私達は、どう云ふわけで自分達が行くと逃げるのだろうと思つて不思議がったのであります。

 但し中国の男の場合には、それを助けることは出来ませぬでしたが、中国の婦人の場合には、必ず日本兵は逃げたのであります。

○ブルックス弁護人 其の逃げたのは、多分其の犯人が誰であるかと云ふ風なことが分つた場合には、処罰せられたり、上の将校に告げられることを惧れたりした為めではなかつたでないでせうか。

○マギー証人 私は証拠はありませぬが、どうも日本の兵隊は「アメリカ」人に関しては干渉するな、放っておけと云ふような命令を受けて居たやうに思われました。

(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P103-P104)


 ご覧の通り、ブルックス弁護人の質問は、「マギー証言」の衝撃を少しでも和らげようとする、かなり意地の悪いものです。 田中氏はこれに便乗しているわけですが、これに対する洞氏などの批判を紹介しておきましょう。
 
洞富雄氏『南京大虐殺の証明』より

 次に田中(「ゆう」注 田中正明)氏の所論の「二」のマギー師の法廷証言について言及してみよう。田中氏は、東京裁判の速記録から、ブルックス弁護人の反対訊問の条を長々と引いたあとで、
≪要するに米人牧師マギーが二日間にわたって証言した件数にして百数十件の日本軍将兵の虐殺・暴行・強姦・強盗の数々は、結局、殺人一、強姦一、窃盗一の三件を除いてはすべて伝聞であり、噂話であり、もしくは憶測か、幻想か、または彼の創作であったのである≫(『虚構』P314)

と言っている。

 田中氏は、マギー師の証言事例の多くは、「憶測」であり、「創作」であるとまで言うのだが、はたして、そう断ずるだけの反証でもお持ちなのであろうか。

 マギー師の東京裁判における証言や宣誓口供書(不提出。この方が法廷陳述より詳しい)の挙証は、事件当時の日記的手紙にもとづくものであり、したがってその信憑性は高いとみてよい。

 マギー師は法廷の証言で、「私が此処に持つて居りますのは、私の家内に宛てました日記の如き手紙の集まりでありまして、それは私が秩序よく陳述をすることが出来まするやうに、私自身を準備する為に見て居るのであります」(「ゆう」注 『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P88)と陳述しているのである。

 田中氏は、ブルックス弁護人の反対訊問に対するマギー師の陳述は、三件を除いてはすべて伝聞証拠であることを自白したものだと言うが、たとえば、殺人については、

「私は自分の証言の中ではっきりと申してあると思ひますが、唯僅か一人の事件だけは自分で目撃致しました」

と、正直に陳述しているだけのことである。


 また、渡部昇一氏などは、

「松井石根被告の弁護人ブルックス氏は、大虐殺神話のもととなった同国人のマギー牧師を反対訊問で問いつめ、実際に日本兵により殺害されたシナ人はたった一人しか実際に見たことがないと白状させたのである。

 元来が国際政治裁判だった東京裁判で、松井被告は死刑になったけれども、ブルックス弁護人の反対訊問のおかげでわれわれは大虐殺神話の実態をうかがうことが今日でもできるのだ」(『諸君!』一九八四年三月号掲載「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヶ条」)

とまで極論するのであるが、マギー師は別に問いつめられて「白状」したわけではない。

 このことは、前掲の陳述を素直に読めば、自明である。もし、マギー師が偽証しようと思えば、五件でも一〇件でも目撃したと言えたはずである。


 渡部氏は、「大虐殺神話のもととなったマギー牧師」と、不可解なことを言っているが、これについては、すでに氏自身が著していた『歴史の読み方』(一九七九年、祥伝社)で、
この大虐殺のあらゆる噂や文献の起こりが、たった一つのところに収斂していることが証明された。それは一人のアメリカ人牧師マギーのデマであり、さらに、そのデマを遡って調査してみても、事実らしいものはどこにも見つからなかった。

 要するに、日本人は一人の無責任な外人のデマによって、何十万人ものシナ人を集団虐殺したという烙印を押されてしまったわけである
」(P136)

と、おどろくべき一人合点を書きなぐっているのである。

 なんとも評しようのない論理だが、マギー師一人を持ちだすのからしてどうかしている。

 おなじ東京裁判に出廷して、マギー師に劣らず日本軍の暴虐ぶりを縷々陳述した金陵大学教授のベーツ博士や、紅卍字会南京支部副会長の許伝音氏などに、なぜ論及しないのか。

 察するところ、渡部氏は関係資料をろくに読んでいないらしい。

 立花隆氏も、近稿「ロッキード裁判を斬る」(13)(『朝日ジャーナル』一九八五年一月四・十一日合併号)で、渡部氏の南京アトロシティーズ論を批判して、
マギー牧師の反対尋問で、彼が目撃した殺人行為は一件だけだったことが明らかにされたということ自体は正しい。

 しかし、東京裁判の南京大虐殺の証拠となったのは、マギー牧師の証言だけではない。他にも証人が出たし、当時の記録等の書証も多数提出されている。それらの証拠すべてに頬っかぶりして、もっぱらマギー牧師の証言が南京大虐殺の存在を証拠だてるものであったかのように思わせて展開されるそれ以下の議論は、渡部氏のいつものイカサマ論法である

と言う。立花氏は、渡部氏の論法を「一点突破全面展開戦術」と称する。

(「南京大虐殺の証明」P23-P25)


岩崎稔、シュテフィ・リヒター 『歴史修正主義 一九九〇年代以降の位相』より

 マギー牧師は事態の渦中に南京におり、またその記録フィルムも残すことになった貴重な証人であるが、大虐殺を否認するひとびとは、つねに決まって東京裁判におけるマギーの証言のなかで、眼前で虐殺が行われるのを見たのは何回かという弁護側の質問に対して、「一回だけだ」と応えたただ一点のみをとらえて、その膨大な証言の意義、実証力を押し隠して、虐殺は存在しないとする。

(『岩波講座 アジア・太平洋戦争1 なぜ、いまアジア太平洋戦争か』P368) 


 
藤原彰氏 『「東京裁判によるデッチ上げ」説こそがデッチ上げ』より

 東京裁判について、否定派がもう一つ繰り返して主張しているのは、裁判は伝聞証拠ばかりによったデタラメなものだということである。

 そして必ず引き合いに出すのが、ジョン・マギー証人に対するブルックス弁護人の反対尋問の一節である。

 マギー牧師は、検察側が呼んだ九人目の証人として、一九四六年八月一五日と一六日の二日間にわたり、法廷で詳細な証言をした。

 マギーは南京の国際安全区の委員の中心的な一人で、日本軍の暴行、強姦、虐殺などの数多くの事例を挙げた。ところがブルックス弁護人は反対尋問でマギーから、日本兵による殺害のその瞬間を目撃したのは一人だという答えを引き出した。

 否定派はこの部分だけを取り上げて、証言はすべて伝聞証拠で、大虐殺などなかったとするのである。一九九八年に、東条英機を主人公にして、東京裁判を否定する立場で作られた映画『プライド』も、この場面をとくに詳細に描いて、東条に「みな伝聞だ」と言わせ、南京大虐殺を否定していた。

 しかし安全区で、もっぱら怪我人や強姦の被害者の救護活動をしていたマギーが殺害現場に立ち会わなかったのは当然で、マギー証言の意義は夥しい数の被害者と接していたことにこそあるのだ。

 また彼は日本軍の目を盗んで、密かに一六ミリフィルムのカメラで虐殺された死体や被害者を撮影し、貴重な史料を残している。それらを無視して、殺害現場を見たのは一人だけだという部分のみが、何回も持ち出されるのである。

(中略)

 マギーへの反対尋問の一節だけを問題にして、二日間にわたるマギーの大量な証言の全体を否定し、さらには東京裁判の全体をも否定するという乱暴な結論を出すのが、否定派のやり方である。

 だがこれが、南京大虐殺を否定する戦争美化論者の常套手段なのだ。一つの欠点を見つけるとそれに飛びつき、それを口実にして全体を否定するというのが、今まで何回も繰り返された否定論の手口であった。

(『「南京大虐殺否定論」 13のウソ』 P19-P21)


 マギーは被害者本人または目撃者本人から直接話を聞いて証言を行っています。「伝聞」という言葉から連想されるような、「街の噂」を確かめもせずにそのまま証言した、というものではありません。

 その意味では「伝聞」という表現がふさわしいのかどうかも微妙ですが、いずれにしてもそれでマギー証言の価値が揺らぐわけでもないでしょう。



 なおブルックス弁護人自身、マギーを「非常に公正な立場で証言をして居ると思ふ」と評しています。

○ウェッブ裁判長  是れ以上弁護側が質問を御続けになりますと、それだけ弁護側の不利になるやうに思はれます。「ブルックス」大尉、あなたは此の反対訊問を継続して、それで利益になるかどうかを此処で御決めにならなければなりませぬ。

○ブルックス弁護人 私は証人が非常に公平な立場で証言をして居ると思ふのでありますが、あなたは先程来の証言に於て、是等の人間が無差別に銃殺されたと云ふ風に仰しやるのではありませぬか・・・

(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P109)


 さらに、戸谷由麻氏による、東京裁判でのやりとりへの評価も見ておきましょう。

戸谷由麻氏「東京裁判における戦争犯罪訴追と判決」より

 しかし、ブルックスの尋問技術を駆使してもマギーの証言の一貫性と真実性を崩すことはできなかった。

 そのことはブルックス自身も法廷で実感し、またウェッブ裁判長にも次第に明白になっていった。


 というのは、ブルックスの反対尋問がある程度進んだところでウェッブ裁判長は次のように評したのだった。

 「あなたの姿勢から察するに、あなたは証人の信憑性を実際攻撃しているわけではないのですね」と。これに対してブルックスは「証人はたいへん公平だと思います」と答え、裁判長の所見の正しさを認めたのだった。

 しばらく経った後、裁判長はブルックスの反対尋問を再びさえぎり、「あなたはこの証人の信憑性をすでに認めた以上、すればするほど被告にとってより不利になります。ブルックス大尉、この反対尋問を続けるのが果たして有益かどうか決断しなければなりません」とわざわざ忠告した。

 裁判長の忠告に対し、ブルックスはあらためて「この証人は公平を務めていると信じます」と答え、ニ、三追加の質問をしたあと裁判長の勧告に従い反対尋問を終了したのだった。

(「現代歴史学と南京事件」所収 P139)



 さらに田中氏、冨澤氏などは、この一つの目撃事例すら「問題がない」ものである、と強弁しようとします。

田中正明氏『"南京虐殺"の虚構』より

 しかもマギー牧師が殺人を目撃した唯一の例も便衣兵捜索の時起きた事件である。彼の証言によれば、ある支那人の男が、武装された日本兵に誰何(「だれか」と声をかけ、人を呼びとめて姓名などをたずねること)された。ところがその男は急に逃げ出した。

 戦時下に武装した正規兵に誰何されて逃げ出せばどうなるか、もちろん射殺される。その現場をマギー牧師は一度だけ見たのである。平時でも知れたこと、警官に誰何されて逃げ出せば射たれることだってあり得るのである。まして戦場である。どうして射った日本兵を責めることができようか。(P314)

冨澤繁信氏『南京事件の核心』より

 マギーは東京裁判でいろいろな事件について証言したが、最後にブルックス弁護人が「貴方の目撃した殺人事件はどのくらいあるか」の質問に対して彼は、「ただ一件で、誰何されて逃げようとした中国人を撃った事件である」と答えた。

 誰何されて逃げる者を撃つのはアメリカの警察では常識であり虐殺ではない。したがってマギーもまた一件の虐殺現場も見ていないのである。(P85)


 田中正明氏、冨澤氏とも、これは「逃走阻止のためにやむえず発砲した事例」であった、と誤解させるような表現を行っています。実際に、マギー証言を読み返してみましょう。

○マギー証人

 其の次の日の出来事でありますが、私は他の三人の外国人、其の外国人の二人は「ロシヤ」人、一人は私の同僚の「フォスター」さんでありましたが、私共是れだけの外国人の家の「バルコニー」から外を見まして、実際中国人が一人殺されるのを目撃したのであります。

 それは中国人が私の家の前を歩いて居つたのでありますが、それは何れも絹の着物を着て居りました。それを日本の軍人が後ろから誰何したのであります。

 さうしますると 此の中国人は非常に驚きまして、歩行を早めて逃げ去らうとして、丁度其の先の所にありました角の所を曲らうと致しました所が、其処には丁度竹垣がありまして行詰りになつた為に、逃げることが出来なかつたのであります。

 それを日本の兵隊が追掛けまして、さうして殺したのであります。
宮本モニター 一寸訂正します。「一人の支那人が私の家の前を歩いて」と訳しましたが、「一人の支那人が通りを歩いて居る」と云ふやうに訳します。あとの方で、<日本人の兵隊が此の支那人の顔に向けて発砲して殺したのであります

 まるで彼等は何事も起こらなかつたやうに、さり気なく煙草を吹かしながら歩き続けて行つてしまひました。恰もそれは野鴨狩りでもして居つたやうな平気な態度でありました。

(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P89)



参考までにこの事件は、「マギー 夫人への手紙」にも登場します。

"EYEWITNESS TO MASSACRE"より「マギー 夫人への手紙」

Sunday Dec.19

Just day before yesterday we saw a poor wretch killed very near the house where we are living. So many of Chinese are timid and when challenged foolishly start to run. This is what happened to that man. The actual killing we did not see as it took place just around the corner of a bamboo fence from we could see. Cola went there later and said the man had been shot twice in the head. These two Jap. soldiers were no more concerned than if they had been killing a rat and never stopped smoking their cigarettes and talking and laughing. (P171)


12月19日 日曜日

 おととい、我々は哀れな人が、我々の住む家のすぐ近くで殺されるのを見た。

 中国人の多くは臆病で、誰何されると愚かにも走り出そうとするのだ。これがその男に起こったことだった。

 我々からは見えない、竹垣の角を曲がったところが現場だったので、殺害の瞬間を見ることはできなかった。

 後でコーラが現場に行き、男は頭を二度撃ち抜かれていたと言った。

 
この二人の日本軍兵士は、ネズミでも殺したかのように、もう何の関心もない様子で、タバコを吸うことを止めることもなく、話をしながら笑っていた。(拙訳)


 つまり日本兵は、「逃走阻止」のために中国人を射殺したわけではありません。中国人は「竹垣がありまして行詰りになつた」ところに追い込まれており、もはや逃げることはできない状況であったと思われます。

 日本兵は、その中国人を、「顔に向けて発砲して」殺害したわけです。


 常識で考えても、「殺すことが必要」な状況であるとは思われず、これは「虐殺」に当たるでしょう。

 日本兵がこの人物を「疑わしい」と判断したのであれば、まずは軍司令部なりしかるべきところに連行する必要があります。そしてこの人物を処罰しようとするならば、「裁判」の手続きを経なければなりません。

 日本兵は二人がかりであり、一方中国人は武器を持っていた様子はありませんから、「連行」が困難である状況だったとも思われません。

 二人の強弁に関わらず、これは明らかな「問題事例」でしょう。

*ネットでは時折、この事例を「合法」と評価する書き込みを見かけます。田中氏、冨澤氏という二人ですら「合法」とまでの強い表現は避けているのですが、このような方はどんな根拠で「合法」と判断しているのでしょうか。理解に苦しむところです。
 

(2008.3.2記)


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