「マギー証言」への評価 ―続・マギーが証言したこと― |
前コンテンツ「マギーが証言したこと」で、マギー証言の具体的な内容を見ていきました。 さて以上の証言群を、「マギーが殺人を目撃したのはただの一件だけ」と、何とも乱暴にまとめてしまっているのが、田中正明氏です。
この「まとめ」がいかに乱暴であるか、前コンテンツでマギー証言の具体的内容をご覧いただいた方には、もう説明するまでもないでしょう。「憶測か、幻想か、または彼の創作」とは、実際に「証言」を読んだとはとても思われない、何とも凄まじい表現です。 ちなみに法廷でかわされた「やりとり」は、以下のようなものでした。
ご覧の通り、ブルックス弁護人の質問は、「マギー証言」の衝撃を少しでも和らげようとする、かなり意地の悪いものです。 田中氏はこれに便乗しているわけですが、これに対する洞氏などの批判を紹介しておきましょう。
マギーは被害者本人または目撃者本人から直接話を聞いて証言を行っています。「伝聞」という言葉から連想されるような、「街の噂」を確かめもせずにそのまま証言した、というものではありません。 その意味では「伝聞」という表現がふさわしいのかどうかも微妙ですが、いずれにしてもそれでマギー証言の価値が揺らぐわけでもないでしょう。 なおブルックス弁護人自身、マギーを「非常に公正な立場で証言をして居ると思ふ」と評しています。
さらに、戸谷由麻氏による、東京裁判でのやりとりへの評価も見ておきましょう。
さらに田中氏、冨澤氏などは、この一つの目撃事例すら「問題がない」ものである、と強弁しようとします。
田中正明氏、冨澤氏とも、これは「逃走阻止のためにやむえず発砲した事例」であった、と誤解させるような表現を行っています。実際に、マギー証言を読み返してみましょう。
参考までにこの事件は、「マギー 夫人への手紙」にも登場します。
つまり日本兵は、「逃走阻止」のために中国人を射殺したわけではありません。中国人は「竹垣がありまして行詰りになつた」ところに追い込まれており、もはや逃げることはできない状況であったと思われます。 日本兵は、その中国人を、「顔に向けて発砲して」殺害したわけです。 常識で考えても、「殺すことが必要」な状況であるとは思われず、これは「虐殺」に当たるでしょう。 日本兵がこの人物を「疑わしい」と判断したのであれば、まずは軍司令部なりしかるべきところに連行する必要があります。そしてこの人物を処罰しようとするならば、「裁判」の手続きを経なければなりません。 日本兵は二人がかりであり、一方中国人は武器を持っていた様子はありませんから、「連行」が困難である状況だったとも思われません。 二人の強弁に関わらず、これは明らかな「問題事例」でしょう。 *ネットでは時折、この事例を「合法」と評価する書き込みを見かけます。田中氏、冨澤氏という二人ですら「合法」とまでの強い表現は避けているのですが、このような方はどんな根拠で「合法」と判断しているのでしょうか。理解に苦しむところです。 (2008.3.2記)
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