○マギー証人
十二月十四日のことでありますが、私の雇つて居ります料理人、それは十五歳の子供でありますが、其の子供が約百名の中国人と共に、南京の街の城壁の外部に、約五十名づつ二団になつて連れて行かれたのであります。
其の際彼等は手を括られていたのであります。前で括られ、前の方から日本兵がそれを殺し始めたのであります。
其の際此の料理人は、丁度鉄道の外の穴の中に逃げ隠れた為に助かつたのであります。其の際にどうして逃げたかと申しますと、手を縛られて居つた縄を或る苦心した結果、漸く解いた為めであります。
彼は丁度拉致されてから、約三十八時間後に逃げて帰つて来たのであります。それに依つて初めて、是等連れて行かれた中国人がどう云ふ運命に遭遇して居るかと云ふことの最初の証拠を得たような訳であります。
其の晩でありましたか、其の翌日の晩でありましたか、私は能く記憶して居りませぬが、私の見ました所に依りますと、中国人の二列縦隊が連れて行かれるのを見たのであります。其の数は千若くは二千に上つたであらうと思ひます。
さうして手は総て縛られて居つたのであります。
私は其の団体の中に、中国の兵隊が居るのを一人も見かけなかつたのでありまして、全部便衣を着て居つたのであります。其の中の負傷した者が逃げて帰つて来たのでありますが、それは全部私の監督しておりまする教会の病院に入れられたのであります。
どう云ふ風にして帰つて来たかと云ふと、全部銃剣で突かれたのでありますけれども、死んだやうな真似をして居た為に、逃げて来たと云ふことであります。
斯う云ふ事実に依りまして、其の日にどう云ふ事柄が行はれて居つたかと云ふところの確たる証拠が挙つたと私は思つたのであります。
(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P88)
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