「支那」という呼称 |
例えば、あなたが友人からこんなことを言われたとしましょう。 「そのあだ名で呼ぶの、やめてくれないか。イヤなんだ」 これに対してあなたは、「いや、このあだ名には本来あなたを貶める意味のものではない。だからこれからもこのあだ名で呼ばせてくれ」と友人を説得しますか? 普通の神経の持ち主であればそのようなことはしないでしょう。「わかった。君がいやがるならばもうこのあだ名は使わない」。普通はそうなるものだと思います。 ところが、中国がいやがる「支那」という呼称を無理に使おうとする方には、この「普通の神経」が通用しないようです。 ※奇妙に思うのは、「支那」という呼称を使いたがる方が、しばしば「これは蔑称ではない」と主張したがることです。 ともかくも、「支那」という言葉がなぜ「蔑称」と認識されるに至ったのか、その歴史的経緯を見ていくことにしましょう。
よく言われるように、「支那」という言葉は、「明治期においては、清朝政府の支配に対する反発意識の表示として中国人みずからが使ったこともあるほど」(佐藤三郎『近代日中交渉史の研究』 P53)で、 もともとは差別的なものではなかったことは事実です。 その「支那」が、いかに「差別語」に転化していったのか。 かつて中国は世界から「強力な大国」と認識されていました。しかし、アヘン戦争、日清戦争、義和団の乱などを経て、中国は列強の半植民地状態に陥ってしまいました。 そんな中で、日本人は中国人に対して「差別意識」を持つようになっていった。そして価値中立的な言葉だったはずの「支那」に、いつのまにか「侮蔑」のニュアンスが加わってしまった。 要するに、そのようなことであったようです。 佐藤三郎氏は、明治期の日本の教育が「蔑視感情」の形成を後押しした、と指摘します。
こうして「中国人は劣等民族」という認識が日本人の中に広まっていきます。鈴木貞一元企画院総裁は、こんな強烈なエピソードを書き残しています。
そして中国人留学生たちは、やがて「支那」という言葉自体を「侮蔑」の言葉として感じるようになります。実藤恵秀『中国人日本留学史』には、「留学生」であった郁達夫、郭沫若の文が紹介されています。
中国人留学生たちにとって、日本でしか使われない「支那」という言葉は、「日本の中国に対する蔑視感の象徴」になってしまったようです。 ただし日本人は、主観的意図としては、必ずしも「支那」という言葉を「蔑称」として用いたわけではなかったのかもしれません。谷崎潤一郎は、こう書いています。
このあたり、日本人と中国人の間に「認識ギャップ」があったのかもしれません。 ただし問題は、「呼ぶ方が主観的にどう思っているか」ではなく、「呼ばれる方がどう感じるか」です。「呼ばれる方」がそれを「差別」と感じるのであれば、とりあえず呼ぶのはやめた方がいい。 それが、「大人の態度」というものでしょう。
こんな状況の下、中華民国政府は「支那という言葉を使うな」という要求を日本側に突き付けます。
自分たちには「中華民国」という立派な名称がある。勝手に「支那共和国」などという呼び方をするな、という主張です。 そして日本側は、この要求を受け入れました。
結局日本政府も、公式には「支那」ではなく「中華民国」の名称を使用する、ということになったわけです。 ただし「上」が決めたからといって、日本人全体が素直に従ったわけではありません。時代を経るに従い少しずつ「中国」「中華民国」の用例が増加してはいきましたが、「支那」の表現はなかなか消えませんでした。 戦後になり、改めて「通達」が発せられます。
これ以降、歴史的用語を除き、「支那」の語はほとんど使われなくなりました。「支那」論争の決着、といっていいでしょう。 ただしその後も、あえて無理に「支那」の語を使いたがる人は残ります。その流れが今日まで続いていることはご承知の通りです。
人のいやがる呼び名をわざわざ使う必要はない ― これがこの問題のごく常識的な「解答」であり、普通に考えれば「議論」はこれで「終わり」でしょう。 それでも「支那と呼びたい派」は、あれこれと屁理屈をつけようとします。 まずは、1930年の中華民国国民政府の訓令直後、日本国内で起った論争を見ます。『中国人日本留学史』からです。
「中華」という名称は「列国に対して無礼至極」である。また「支那」の語は決して「侮蔑」の意味を含んだものではない。現代の「支那」肯定派と、ほぼ同じ論理展開です。 それに対して、まもなく別の読者からの「反論」が寄せられました。
どうしてわざわざ人の嫌がる「呼称」を用いなければならないのか。この観点から、私は後者の意見に共感します。 今日では、「中国側が「支那」の呼称を本当に嫌がっているのか」というレベルの議論が行われています。「嫌がっていない」根拠としてしばしば持ち出されるのが、2000年の「sina.com」(新浪網)事件です。 当時の東京新聞の記事はもうネットから消えていますが、検索したところ、記事をコピペしたサイトを確認することができました。
記事では「新浪網」が「支那(シナ)は差別語ではない」との見解を持っているようにも読めますが、検索してみると、新浪網の「公式見解」は、このようなものであるようです。
「新浪・Sina・支那」中に見る「新浪網」の総裁「王志東」のコメントも、ほぼ同趣旨です。
この記事を書いた記者は、
と書き、新浪網は改名する必要はない、と結論しています。 要するに、ドメイン名「sina」は、日本語の「支那」とは全く無関係である、だから改名の必要はない、という見解です。 これを見る限りでは、新浪は別に「支那」という呼称を肯定したものではないように思われます。 さて実際に、現代中国においては、「支那」という言葉はどのように認識されているのか、を確認しておきましょう。「支那と呼びたい派」の文を見ていると、もはや「支那」は「差別語」と見られなくなっているのではないか、という錯覚に陥りますが、それははっきりと誤りです。 例えば中国のインターネット百科事典「百度百科」で「支那」の項を見ると、書き出しはこのようになっています。
また先ほどの『支那とsina―新浪のドメイン名の是非を論じる』を読み進めると、こんな一節に行き当たります。
基本的には、現代中国においても、「支那」は依然として「蔑称」と受け止められている、と考えていいでしょう。 「東京新聞」の報道の通り、中国の一部には「シナと呼ばれても構わない」という見解も存在するのかもしれません。しかしそれは、現時点では少数意見に止まる、と判断した方がよさそうです。 最後に、中国文学研究者、加藤徹氏のコメントを紹介します。
(2013.5.12)
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