畠山清行氏『東京兵団 �機‖枡以圈戮茲�
とに角、その逆襲から朝までの問に、この陽高県城内で、まことに不祥な事件が起っている。
これは戦後にも問題となり、中国側でも戦犯処理の関係から、非常にカを入れて調べたことでもあるし、本戦記はあったままをできるだけ忠実に、当時の関係者からきいて書く方針をとっている。
筆者としても、書きたくないことではあるが、『朝になってみると、北口は、兵隊や一般民の死体で山となっていた』(湯浅連隊長談)とあるごとく、 事実は事実であるから正直に書くが、残敵掃蕩に名をかりて『男狩り』をやっているのだ。つまり、県城内の男という男を、兵隊、一般民のきらいなく、一人残らず殺しつくしているのである。
一瞬の差で、殺すか、殺されるかの戦場での出来事を、平和な今日の常識をもって律することが、あやまりであることはいうまでもない。ことに陽高の場合は、老若男女、兵と住民が一体となって我れに戦いをいどんだのだから、
一般住民、男ばかりでなく、女子供までが戦闘員だったのだ。
そう考えれば、殺害も止むを得ないということにもなるが、正規兵の遁走した後、まったく抵抗をあきらめた住民までをも殺害したことは、たとえ生死を賭けた戦場であったにしても、非人道のそしりはまぬがれまい。
この戦闘によって、男なしの『女護ケ島部落』となった陽高では、中国全土にわたって男を募集輸入し、戦争未亡人たちと集団結婚させ、話題を賑わしたのは後のこと。こうした残虐行為を、誰れが命じ、誰れがやったかとなると、今ではまったくわからない。
最初に城内へ突入した湯浅部隊でないことは、湯浅連隊長がこれをみた時のおどろきを筆者に語っていることでもわかるし、酒豪として聞えた勇猛果敢な武人ではあったが、人情に厚い一面を兼ね備えている人柄からみても、彼でないことはたしかだ。
篠原部隊の突破口の、北口に死体が山積していた点から考えれば、篠原部隊の行為と解釈されるが、それにしてもおとなしい篠原部隊長の性格からみて、彼が命令を下したとは考えられない。
彼は、後に姫路師団長となり、中将で世を去ったが、大尉から少佐のころ、軍縮管理の国際連盟日本委員として数年間をパリで送った、フランス語の堪能な常識ある文化人である。
間違っても、部下に残虐行為を強いるような人物ではないから、おそらく彼の兵団の大隊長か中隊長クラスのものが部下の死傷に対する敵がい心のあまり独断でやったものではないかと思えるのだ。
敗戦後、中国側では台湾にいた、事件当時の三連隊と野砲四連隊の大隊長か中隊長だった人物二人を戦犯容疑で捕え、中国本土に送って取り調べた。
もちろん、歩三も野砲四も関係のないことだから、その家族が本多兵団長にすがり、本多中将は『無関係である』ことを中国側に申し送ったのである。
(略)
戦犯を逮捕した中国側は、彼の証明書一本で二人の将校をあっさり釈放したのである。
その結果、陽高の大虐殺事件の犯人はいまもって不明であるし、筆者も八方手を尽くして真犯人の割り出しに努力したが、どうしても謎はとけない。
(欄外)
竹林中尉の当時の陣中日記より
九日
陽高払暁陥落す。支那兵にしては頑強に抵抗したり。
陽高通過す市内悲惨言語に絶す。路傍婦女子二、三哀号を唱ふる有り。恐らく良人、戦死したるか、捕縛されしならん。小児の恐怖顔色にあらわる。可憐なり。
(「東京兵団 �蟻枡以咫�P138〜P141)
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