蒋介石『日本国民に告ぐ』
蒋介石『日本国民に告ぐ』


*蒋介石著・山田礼三訳 『暴を以て暴に報ゆる勿れ』(1947年刊)所収



日本国民に告ぐ

(昭和十三年七月七日 於漢口)


本文は蒋主席が「七・七一周年記念日に日本国民に告ぐ」と題しわれわれに寄せた書である。

同主席はわが軍閥の悪業を憎むと共に日本民衆に限りない信頼の念を寄せ、「中国は日本軍を敵とするが、日本民衆を敵とするものでなく、寧ろ共同して日本軍閥を倒さんことを希望するものである」と日本民衆に対する意向を明らかにした。

蒋主席の日本国民に寄せた書は戦時中これ一つあるのみだが、その意向は終始一貫してをり、その不動の信念は、終戦に際し「暴を以て暴に報ゆる勿れ」と自国民を戒めることに現はされたのである。

 



 日本国民諸君。今日はわが中華民国が貴国の狂暴なる軍部の侵略を防禦せんがため、全民族抗戦を発動した一周年記念日である。中正(注 蒋介石の本名)はこの東亜の歴史上最も痛憤に耐えぬ今日、とくに貴国全体国民諸君に向ひ平生抱いてゐる考へを述べてみたい。

(同書 P9-P10)


一 中日両国は不可分の関係にあり

 中日両国は元来兄弟の間柄である。民族的種別においてまた文化上においても浅からぬ関係にある。惰唐の昔からわが哲学、文学、宗教、美術、文藝など総て貴国に摂取されてをり、天平(註 南北朝東覿の孝静帝の年号)以降の文化は貴国特有の歴史における美術品を見ればその吸収されたことが明かに証明されてゐる。諸君の現在の生活方式あるひは器具の名称にも文化の母国の面影が少からす保存されてゐるのである。

 近世における科学の発展により、交通上三ケ月を要した難行程は一日で達する如くに短縮された。それゆえ密接な関係を有する両国は一層親睦を加へ、共存共栄を図り得るに至った。

 わが中華民国は、民国十七年の統一以来、総理の三民主義を奉ずることを以て建囲の基準とした。すなはち独立平等の原則を以て、各友邦と世界の福祉を謀るにある。貴国に対しては単に兄弟とか手足の関係に止まることなく、一層親愛の情を加へたことは諸君の知るところである。

 これはわが中国の国民性が数千年聖哲の教化を受け、平和を熱愛し、隣国の徳を尊重することは「民はわが同胞である」とかあるひは「四海の間は皆兄弟なり」の思想に基いてゐるからである。いはんや貴国とわが国との関係は上述のやうに密接なのである。

(同書 P10-P11)


二 暴を以て徳に報ゆる日本軍閥

  しかるに、貴国軍閥は間違つた観念に支配され、暴を以て徳に報ひ、その考へは未だ是正されていない。わが中国国民は常に極度の忍耐を以て貴国が翻然として覚醒し、共に東亜の平和を策されんことを期待し、極力両国が永遠に敵視する境遇に陥いらぬよう努めてきた。

 民国二十年秋貴国の軍閥はわれわれが水災救恤に寸暇ない状態にあるに乗じていはゆる「中村事件」に仮借して突然わが東北数省を占領しつひに「九・一八」事変を醸し出した。翌年正月上海における無体な云ひがかりによつて「一・二八」事変の惨禍が発生した。引続き毎年のやうに侵略を行ひ、その方法は悪辣を極め、わが民族を亡して後始めて止む情勢にあつた。

 諸君、試みに立場を代へて考へて頂きたい。もし中国が貴国軍部がわが国に対した態度を以て貴国に対したとすれば諸君はどうするであらうか。実に痛ましいものがある。

 去年の今日貴国の軍部は一貫した侵華計画に基き「蘆溝橋事変」を発動してわが華北に向ひ大挙進攻するに至つた。また突然海陸空の大軍を派遣し八月十三日には上海に攻撃を加へ奉つた。

 わが中国の全体国民はもとより平和を愛すること極めて甚しく、なかんづくその五千年に亙る文化と歴史の国家およびその先人の墳墓の地と休養する田園郷土を熱愛するものである。

 わが全体国民はこの圧迫と侵略の下においてその忍耐は忍ぶる最後の限度に達した。ここにおいてその神聖なる天職をもつて艱難なる抗戦を発動し、暴戻を膺懲せんとしたのである。全体国民の中で肝脳が地に塗れることを覚悟しないものはなかつた。熱血を注ぐ決心を以て国家民族の独立生存と歴史文化の発揚光大を求めたのである。

 事変勃発以前にあたり中正は屡々声明を発して貴国朝野明達の士に戦禍が必ず起される危険を認識して慎重なる態度を以て事に処することを要望したのであつた。しかるに貴国軍部は頑迷にして悟らず国際公理と国家の幸福および諸君の苦痛を考慮しなかつたことは実に遺憾千万である。

 抗戦はすでに一周年を迎へるに至つた。諸君は軍閥の淫威の下において必ずやその負担が重すぎてとても負ひきれぬとの感を持たれてゐると思ふ。

 貴国軍部はかつて「戦はずして中国を屈服せしめ得る」とか「僅か二三ヶ月の短期間、すなはち連戦連決」とか云つたことはないであらうか。しかるに今や云ふことは「長期作戦を準備しなければならない」である。かの輩は逐次困難を覚え諸君を欺瞞する方針を一再ならず変更せざるを得なくなつたのである。

 諸君のいくたの兄弟あるひは子息、甥御達はすでに大陸の鬼と化し、いくたのうら若い婦人は未亡人となり、いくたの幼児達はすでに父なし子となるに至つた。

 諸君の戦争によつて得たものは果して何であつたらうか。すなはちわが東北四省を以て云へば、かの輩にとられてから数年、諸君が負担した膨大なる戦費を除いたほかに何を得たであらうか。戦争勃発以来貴国の人力、財力、物力上における損失はすでに「日露戦争」の時の数倍に達してゐる。

 而してそのうち最も重大な損失は道徳上の損失である。諸君は貴国の出征軍隊がすでに世界で最も野蛮にして最も破壊力を有する軍隊であることを知つてゐるであらうか。諸君は貴国が常に誇つてゐた「大和魂」と「武士道」はすでに地を払つて存せぬことを知つてゐるであらうか。

 毒瓦斯、毒瓦斯弾は遠慮なく使用せられてゐる。阿片、モルヒネの類は公然と販売せられてをり、一切の国際公約と人類の正義は総て貴国の侵華軍隊によつて全く破壊せられてゐるのである。

 また日本軍が占領したどの地区においても掠奪、暴行火附けを行つた余勢で、わが方の遠くに避難出来なかつた無辜の人民および負傷兵士に対しても大規模な屠殺が行はれた。また数千人を広場に縛してこれに機銃掃射を加へ、あるひは数十人を一室に集めて油を注ぎ火炙りに処し、甚しきに至つては殺人の多少を以て競争し、互ひに冗談の種としてゐる。

 また四方の土匪と結託し、ごろつきを集め、欺瞞宣伝を散布し、傀儡組織を製造するなどおよそわが社会秩序とわが固有文化を破壊するためにはあらゆる手段も選ばなかつたのである。

 わが後方の無防備の城市もまた盲爆を受け、これによつて死傷した人民、損失した産業の数は数へあげる方法がない。どの空襲もまるで気違ひのやうに専ら民衆と文化、教育、慈善などの諸施設を目標とし盲爆の乱暴をほしいままにしたのである。

 すなわち最近広州では中山大学の瓦は四散し数千の市民は首と胴がばらばらとなり世界各国のごうごうたる非難を引起したにかかはらず、その兇暴さは少しも改まらなかつた。

 諸君はわが中国空軍がかつて貴国の各大城市に向ひ巡礼のため飛んだことを知るべきである。諸君に贈呈したのは親摯なる同情にして無情の爆弾ではなかつた。いやしくも中国が貴国が最近広州に加へた爆弾の数量をもつて諸君に返還し東京大阪あるひは神戸の諸城市及び諸大学に投擲したらその結果はどうであらうか。

 中正は正に諸君に告ぐ。このやうな公約に違背し人道を廃絶せんとする行為はわが中国にとつて不可能なるのみならず、実に忍び難きことを。

(同書 P11-P15)


三 狂暴な日本兵

 更に中正は実に云ふに忍びないが、また云はざるを得ないことがある。それはわが婦女同胞に対する暴行である。

 十歳前後の幼女より五六十歳の老婦に至るまでその毒手に遭ひ、甚しきは全家族難を免れぬものさへあつた。あるひは数人によつて代り代りに汚辱され辱めを受けた後即座に殺害されたものもある。あるひは母、娘、姑、嫂ら数十人の婦女を裸身で一室に集合せしめ、まづ姦淫を加へた後惨殺し、胸を割り、腹を抉つてもなほ満足せざる非人道の暴行を施してゐる。

 貴国は昔より礼教を尊重し、武徳を崇拝し、世界より賞賛を受けてゐた。しかるに今日貴国の軍人の行為上に表現せられたものは単に礼教が地を掃ひ、武徳蕩然と流れるのみかただちに人倫を絶滅し、天理に違逆せんと欲してゐる。かくの如き軍隊はただに日本の恥辱のみならず、また人類に汚点を止むるのみである。

 わが中国国民は元来礼教を守つてをり、眼に一丁字ない百姓といへども人倫を重ずべき教へをとくに尊重してゐる。わが婦女同胞は身に蹂躙を受けて一時に激怒し、憤然起つて共に干戈をとり甚しきは手に鍬、鎌、野菜庖丁あるひはかんざしなどの類をとつてこの理性のない禽獣に向ひ格闘し、天に代つて討つたため中には神助を得たものがある。

 諸君は知るや、貴国の中国で戦死した将兵の数は実に五十万以上に達し、その五十万人は貴国のいはゆる戦死将兵の「人柱」であるが、その中わが老幼婦女の手により死したるもの実に少からずあることを。

 貴国軍隊の将兵中には自ら理性に乏しからざるものがあつた。この惨状を見て憤激して生を欲せず、あるひは互ひにさし違へ、あるひは自ら縊首し、あるひは割腹自殺をし、軍服の中には常に「死諌」の二字の遺書があつた。右によつても貴国軍部の中国侵略戦争中に上下将兵は実にすでに自殺せねばならぬ悲境に陥つてゐることを知るべきである。

 しかし諸君は国内にあつて、なほ軍部の宣伝により真相から目を覆はれて、中国に渡り戦死した子弟が悉く国のため犠牲となつた名誉ある戦士としてゐる。寧ぞこれらの死者は皆軍閥の強制下に馳駆せられた冤魂であつて、ある者は無窮の罪悪を負ひ、ある者は痛憤して世を去り、栄誉なきことは云ふまでもなく、また貴国全体の国民も同時に拭ふことが出来ぬ千秋の汚名を蒙つたのである。

 以上述べたことは諸君が真実を覆ひかくした宣伝により聞知することが出来なかつた事柄である。しかし国際正義の士によりすでに文字、写真等で全世界に伝播せられ、全世界の人類は羞恥を感じぬものはなかつた。

 而して諸君の全体がその責を負ふことを出来ぬのは元よりのことで、その責を負ふべきはかの気違ひ染みた軍部のみである。軍部は人性を喪失したがために理智を以て下を御することは出来ない。ゆえに下にあるものは悉く無規律となつて上の行ひを真似するようになり、罪悪の深淵に赴いて罪悪を作ることを互ひに競争するに至つた。

 如何なる国家においても法規が乱れ、軍隊がこの様に堕落してなほ敗れないことは断じてない。諸君がもし速かに軍閥打倒に立ち上り、侵略を停止せざればすなはち貴国の前途が悲しむべきことは云ふまでもない。この点について諸君は正に反省し貴国軍部を追究しその対華政策の目的が畢竟いづれにあるか検討すべきである。

 侵華戦争以来得たものは畢竟何であり、失ひたるものは巳に幾許であるか。侵華の結果よく中国を滅亡しよく東亜を安定し得るべきか。よく白人をアジアの外に排斥し、太平洋を独占し得るべきか。

 諸君試みに思へ。侵華戦争以来貴国の収穫したるは果して何ものであり、犠牲となりたるほどの人物なりや。故にわが国の抗戦は元より自救に属するが又諸君を救ふ所以でもある。

 わが中国の歴史上において外来の侵略の防禦に際し受けた艱苦が卓絶したが、その期間が長ければ長い程愈々奮はれたことは常に明かである。いはんや今日わが国の民族意識は既に全国に普及され「三民主義」は既に民心に深く入り、かくの如き力量の堅強さは昔日の比ではない。

 もし貴国軍部のわが国に対する侵略が一日として已まざれば、わが国の抗戦はたとへ如何なる状態にあらうとも決して一日として已まざることは言を俟たない。

 且つ仇恨は時日と共に深まつて行く。わが国の「春秋」には「九世に亙り復仇す」の古訓がある。また曰く「国のため復仇するは百世といへども可なり」と。この言葉に従つて敢て言へば両国の互ひに殺戮しあふ惨禍は永遠に窮る時がないであらう。このやうな百世に害を残し、禍ひを後に及ぼす責任は子孫に負はすべきでなく、現在の貴国国民諸君が負ふべきである。

(同書 P15-P18)


四 日本民衆は敵視せず

 これを要するに、中国の抗戦は単に生存自衛のためのみならず実に中日両国国民の未来の幸福を実現するにある。而して貴国の暴戻なる軍部は単に中国の敵人のみならずまた日本国民諸君の公敵でもある。

 中国は抗戦してより今日に至るまでただ日本の軍閥を敵として認め、日本国民の諸君を敵視してゐない。中国軍民は平和を愛好し、軍閥の圧迫を受けてゐる諸君に対し始めより利害の共同する良友と認め満腔無限の熱情と期待を抱くものである。

 諸君に切望することは速かに両国安危の至計を考察して一致団結して狂暴なる軍部に対し、ただちに貴国国民の正義の意志と力量を発揮し侵略政策を変更せしめ、平和の恢復を促し、以て中日相互の親睦を実現し、東亜永遠の平和を定めんことを。

 これすなはち諸君の国を救ふ所以のみならずまた自らを救ふ所以でもあり、且つまた一般の中国にあつて軍閥のため駆使され、徒死せねばならぬ戦場の子弟を救ふ所以でもある。

 禍福存亡は全体国民の諸君にかかつてをり、その適切なる選択を望むこと切なるものがある。

(同書 P18)


(2004.8.16)


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