家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

1987年11月30日 東京地方裁判所

反対尋問

家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

原告代理人(小林)


後に提出する甲第二四五号証の一を示す


48 一二ページ ー 先ほど言及された真中辺の「日米両政府の合意事項として確認されて以来、」として、注の(13)というのが付いておりますけれども、この注記はお読みになりましたでしょうか。

 注記は、読んでおりません。


49 注を読まずに、日教組文書によるものであるという判断をされたんでしょうか。

 これは、伝聞によって、そういうことを聞きました。

 従って、厳密に一致しているかどうかということは、私としては申せませんけれども、大体趣旨が似通っておりますので、しかも家永さんがこれに書いていらっしゃるのと同じょうなことはあちこちで見ているわけです。

 広く流布されているので、そのルーツとして何だろうかという観点から、私は兼々関心を持っておりました。(P139-P140)

 従って、そういう観点をもって、そういう推察をした、ということでございます。


50 それでは、念のために御覧に入れますが、同じ本の二七九ページの末行、今の注の(13)の中身でございますが、この家永教授の論文は、そうするとお読みになっていないんですね。

 かつて読んだことはあると思いますが、記憶しておりません。


51 先生は教科書執筆の御経験はお持ちですか。

 ありません。


52 基礎的なことから一つずつ伺って行きたいと思いますが、先生は帝国陸軍に「七三一部隊」という部隊があったということは、お認めになりますね。

 認めます。


53 で、この部隊の施設が、終戦時において、あるいは終戦時の数年前からハルビン郊外にあったということは、いかがですか。

 そうだと思います。


54 七三一部隊が細菌戦をやったという御認識をお持ちですか、やらないという御認識をお持ちですか。

 「やった」という意味は、どういう意味でしょうか?(P140)


55 そういう質問でお答えが困難であれば、結構ですが。細菌戦をやったという御認識ですか、やらないという御認識ですか

 御質問の趣旨が明確でないので、もう少し明確でないと答えようがありません。学術的に、表現願いたい。


56 生物兵器とか細菌、黴菌、そう言われたものを用いて戦争する ー これを「細菌戦」と呼ぶことがあると思いますが、そういうことを七三一部隊がやったという御認識ですか、やらないという御認識ですか。

 やったかもしれないという認識は持っておりますけれども、確証が取れない、ということだと思います。

57 やったかもしれないし、やらないかもしれない。

 そういう……そういう表現は、ちょっと違うんじゃないでしょうか。「やったかもしれない、やらないかもしれない、」という聞き方と、「やったかもしれない。」というその認識とは、ちょっと違うと思います。(P141)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

58 先ほど、「生体実験」という言葉に言及されましたけれども、端的にお尋ねしますが、外国人の方に対して、その施設の中で、生体実験をやったという御認識ですか、そうでなくて、全くやっていなかったという御認識ですか。

 やったかもしれないという認識をしております。(P141)


59 やったかもしれないという、そういう程度の判断の根拠はお持ちなわけですね。

 そういうことになります。


60 そこには外国人の方が収容されていたという御認識はお持ちですか、お持ちではありませんか。

 「外国人」という意味がよくわかりませんが、現在の時点で日本から見て外国人、ということですか?


61 具体的にお尋ねしましょう。まず、中国人の方が収容されていた、という御認識ですか。
 
 であろうと推定しております。


62 ロシア人の方は、どうでしょうか。

 疑問に思います。


63 一人もいなかったかもしれない ー その可能性もあるんですか。
 
 何とも言えません。


64 わからん、ということですか。

 学術的に言えば、ロシア人の存在については疑問があります。なぜかと言えば、ハバロフスク裁判で、それに対する被害者の言及がないからであります
(「ゆう」注 実際には言及がある。川島証言など)


65 理由は後で伺いますから、結論だけで結構です。蒙古人の方は、いかがですか。

 全くわかりません。(P142)


66 そうすると、中に収容されていた方については、中国人については収容されていた可能性があると、こういうことですか。

 この場合、ハルビンは満州国という国家であります。従って、ここに居住していた人間が国籍の問題なのか、人種の問題なのか、その辺りによって答え方が違ってくると思いますが。


67 通常の一市民としての用語でお尋ねしているんですが、中国人の方が収容されていたかという質問に対して、お答えはいただけませんか。

 先刻、答えたと思います。

68 それから、七三一部隊がやったことによって、その施設の中で外国人が殺害されたことがある、という御認識でしょうか。そういうことはなかったという御認識でしょうか。

 かもしれない、という認識を持っております


69 そうすると、一人も殺害されたことはないということがあり得るということを含んでおりますか。今のお答えの中に。

 その質問については、非常に答え難いと思いますね。ですから、先刻お答えしたとおりであります。


70 新しい質問なんですがね。

 ……。(P143)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

71 証人のこれからの史料収集と御判断の結果によって、一人も外国人が殺害されていないという結論が出る可能性があるか、という質問です。

 何とも、わかりません。


72 七三一部隊というのは、「関東軍防疫給水部」という表看板だったわけですけれども、表看板のほかに裏でやっていることがあったという点は、御認識になっておりましょうか。

 「裏」という意味が、よくわかりませんが。


73「内緒で」ということです。

  ……「内緒」というのは、だれに対する内緒ですか?


74 昭和五七年に、イギリスの有力紙であるガーディアンの記者が、天皇陛下が細菌戦部隊を個人的に承諾された、という趣旨を含む報道をされましたね。

  (うなずく)


75 そういう事実がありましたね。

 はい。


76 その際、証人は、読売新聞のインタビューを受けられましたね。

 はい。


77 どういうことを言われたか、御記憶がありますか。

 一語一語覚えてはおりませんが、概略の趣旨としては、天皇の名前で編制された部隊であったかどうかということについては、まだ史料が十分ではない。(P144-P145)

 しかしながら、天皇の決裁事項となっているという部隊は多々ある。それを、一々内容を天皇がチェックした上で裁可をしているという例は必ずしもない、ということ。

 その他、 いろいろな徴侯から、天皇が細菌戦について承諾をしたということは考えられない。

 そういう趣旨のことを申し述べたと記憶しております。


78 読売新聞の記載によりますと、先生の御発言として、クォーテーションマークを付けた上で、「『防疫給水は軍隊にとって重要な仕事であり、防疫給水部の創設を承認したからと言って、その部隊がカゲで行った細菌戦の研究まで認めていたことにはならない。」

 ―こういう趣旨の御発言が報道されているんですが、こういう趣旨の御発言をされたということは間違いありませんか。
 
 これは、一問一答の過程で、おそらく答えたのだというふうに思いますが、そういう事情の中でそのように答えたとすれば、そのとおりだと思います。


79 ちょっと、よくわからないんですが、今私が読み上げたような趣旨の御発言をされたんですか、されないんですか。

 明確には記憶しておりませんけれども、多分発言したんだろうと思います。(P145)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

80 この読売新聞−後に甲第二八四号証として、提出致します―の先生のインタビュー記事が誤報であるということで、抗議等をなすったことはありますか。(P145)

 ありません。


81 どうも、この御発言の脈絡からしますと、陰で細菌戦をやってたということを認めているように読めるんですが、そう読んでは間違いですか。

 「細菌戦」と「細菌戦の研究」とは、別じゃないでしょうか?


82 先生は、七三一部隊が細菌戦の準備をしていたという認識はお持ちなんですか。

 準備・研究−この辺りの境界線は、甚だ不分明であります。相手が細菌戦を仕掛けてきた場合に、それをどうやって防護するかという領域もあります。

 そういう全体を引っくるめまして、防疫給水部隊という名前は付いていたんですけれども、防疫以外に細菌戦の研究をしていた。

 「準備」ということになると、これは研究成果が整わないと準備とは言えない、という要素もありますし、その辺のところは非常に解釈が難しいと思います。

 従って、研究をしていたということは学術的に明確に言えますけれども、準備ということになると、実際にそれを使用するための、つまり兵器が完成しておって、そのための準備というふうにも聞こえますが、そういう意味で準備段階に達していたかどうかということについては、まだ明確な結論は出せないのが現状だと思います


83 極めて常識的な言葉遣いで、私はお尋ねしているつもりなんですが、細菌戦の研究をしていたかという私の質問に対するお答えは、ワンセンテンスで答えると、どういう答えになりますか。(P146-P147)

 ……そのとおりだと思います。


84 それから、先ほどの御証言のお言葉の脈絡の中で、七三一部隊に係わって「悪名高い人体実験」というお言葉を伺ったんですが、七三一部隊については「悪名高い人体実験」というものがイメージとしてまつわりついているというふうに、証人も考えておられますか。

 森村さんの本が三〇〇万部売れたということでありますから、これを読んだ人は非常に多い数だと思います。従って、当然そういうイメージが形成されていてもおかしくはないだろう、と思います。


85 七三一部隊に収容者がいたということは、お認めになるんですか。そういう御認識ですか。部隊員のほかに、収容されている人がいた、という御認識はお持ちなんでしょうか。

裁判長

86 それは、さっき、中国人云々ということで、聞かれなかったですか。

原告代理人(小林)

87 お答えがはっきりしなかったものですから。

裁判長

88 中国人は、認められたんじゃないんですか。(P147)

原告代理人(小林)

89 そう理解していいんですか。
 
 そう思います。(P148)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

90 この被収容者は、自発的に足を運んでそこに入られたという御認識ですか。

 雇用者もいたかもしれませんし、従って、それを明確に断定するだけの根拠はありませんけれども、強制的に収容された者 ―何らかの原因でですね、この「何らかの原因」もはっきりしないんですけれども―強制的拘束された者がいたであろう、という認識はしております。それだけではないという可能性もある。


91 先ほど言及されましたハバロフスク軍事裁判 ― 以下、「軍事裁判」とか「軍事裁判記録」という言葉でお尋ねしますが ― の記録の中に、日本陸軍の「特移扱ニ関スル」通牒というものの写真版が含まれている、ということはご存じですか。

 見たと思いますけれども、具体的にどの写真という記憶はありません。お示しくだされば、見たいと思います。


92 その前に、先生は、訴訟記録は御覧になったことがあるんですか。

 どの訴訟記録でしょう?


93 今申しあげたハバロフスク軍事裁判
 
 印刷されたものですか?(P148)


94 はい。


 はい、何度も見ました。


95 詳しく検討されましたか。

 先刻申しあげたような理由から、これは貴重な史料ではあるけれども、しかしながら注意をして裏付けを取って行かなければならないものである、という認識をしております


96 特移扱通牒というものの内容ですね、今、記憶喚起されますか。

  トクイという言葉については、記憶あります。


97 内容は。

 ……内容は、具体的には記憶しておりませんので、お示し願えれば。


98 外国人の方を強制的に部隊施設内に収容する手続の一部が定められている文書なんですが、御記憶ですか。

 今の七三一の本の中で、具体的にどの箇所にどういう表現で書いてあったということについては、現在ただいまのところは精密な記憶はありません。(P149)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)
 
99 七三一部隊が被収容者のお体に対して何らかの働きかけをした、という御認識をお持ちですか。お持ちですね、さっき、治療と人体実験のことを云々していらっしやいましたけれども。(P149)

 その可能性はあると考えています。


100 言われるところの「治療的行為」というのは、具体的にはどういうことなんですか、証人の念頭にあるのは。

 現在と当時とは、医学の倫理に関する考え方が非常に変わってきていると思います。

 しかしながら、昔から大学病院に行けば、これはモルモット扱にされると言われる ― まあ、それが何となく伝わっておるわけですね。

 ですから、医療行為と医学進歩のための実験というものの境界線は非常に徽妙でありまして、もちろん当時の国際法、あるいは国内法の観点から見て、これは全く問題外であるというのと許容される範囲内というものとが、自ずからあるだろう、と。

 その辺について明確に決めたものはない、と。そういう意味を、さっき申しあげたわけです。


101 先生御自身のお考えでは、治療行為と生体実験というのは、どういうことで区分けするんですか。

 私自身、まだ決め兼ねております。これは医学的知識が相当ないと、できないことだと思います。


102 その点についての御見解は今お持ちでない、ということですね。

 公表できるようなものは、まだ到達しておりません。


103 そうしますと、今先生のお立場ではっきり言えるのは、強制的に収容された方々に対して生体実験を行った可能性はある、という範囲ですね。(P150-P151)

 学術的に言えば、そういうことだと思います。


104 念のためにお尋ねしますが、ちょっと失礼な質問かもしれませんが、学術的という立場を離れて、一市民民としてはどういう感じをお持ちですか。全く同じですか。


 一市民としての気持ちというのを、ここで分けてお答えする必要があるとは思いませんが。


105 先生は、家永先生の七三一部隊に対する教科書原稿の記述内容は、ご存じですね。

 はい。


106 実は、検定当局、つまり調査官の先生方や審議会の先生方は ― 法廷でもそうなんですが ― 記述内容そのものについては認めておられるんです。そのことは、ご存じですか。

 そういうふうには理解しておりません。


107 それは裁判所に明らかな事実なんで御紹介しますが、そういう立場と先生の立場は違うとおっしゃるんですか。

 どういう理解の仕方かわからないので、何とも申し兼ねます。(P151)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

108 家永先生の七三一部隊に関する原稿の記述ですね、あそこに記されている命題は証人の御認識と一致するんですか、一致しないんですか。

 学術研究上、まだあのように断定するような根拠は乏しいというのが、第一であります。第二は、その段階にあるものを、個人の著書ならともかく、教科書に記述するのは時期尚早だと考えております。(P151-P152)


109 どういうふうに書き直せばいいんですか。

 私は教科書検定官でもありませんし、そう聞かれても当惑致します。


110 特に意見はない、ということですか。

 ……仮定の質問ですから、ちょっとお答えし兼ねます。


111 仮定ではなくて、原稿記述ではっきり命題が示されているわけでしょう。それをどう書き直せば証人のお気に召すか、という問題です。

 そういう問題ではなくて、将来学術研究がこれから進められて行けば、あるいは、あの部分は同じ表現で書いても構わない、ということになる可能性も非常にあると思うんですね。

 ただ、現段階では教科書にあのように断定的に書くというのは時期尚早であると考えている、ということです



112 端的に言えば、今は七三一部隊のことは書くな、というこどですか。

 ……七三一部隊の存在自体については、私は別に問題はないのではないかと思いますけれども、しかしながらその活動を全く記さないでその存在だけを記すというのも、これまたあまり意味のないことかなと思いますけれども、この辺は何とも申せません。(P152)


113 先生は、七三一について、公刊物の中で言及されたことはございますか。念のために申しあげますと、森村先生の「悪魔の飽食」の写真誤用問題についての御論考は存じあげております。それ以外に、七三一部隊に言及された御論考はごぎいますか。

 正面から七三一部隊自体について……研究的な著述をした記憶はないと思いますが。


114 今日、裁判所にお出しになった著作の一覧ですね。

証人調書添付の「秦郁彦証人の略歴等」を示す

 素人なりに目を通させていただいたつもりなんですが、「七三一部隊」とか「石井部隊」とかいう言葉は全く出てこないというふうにうかがえますが、いかがですか。

 ……先刻申しましたように。


115 一回も見たことがないんですが、これら以外に書いたものがありますか。

 私も、自分の著述、過去三〇年に遡って、全くあるかないかということは、ちょっと断定はできかねます。が、おそらく……いや、ここに出てないものに、石井四郎中将の履歴を記載したものがあります。それは当然七三一部隊に触れたと言えば触れたということになるかと思いますが。


116 それ以外にございますか。

 今のところ、ちょっと記憶がないんですが。あるいはあるかもしれませんけれども、思い出せません。(P153)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

117 今、ここで具体的には言っていただけませんね。
 
 あれば言いますけれども、思い出せません。


118 今ここでは記憶がはっきりしませんね。

 ええ、いずれにしても本格的に扱ったことはないです。


119 先ほど、三〇年にわたって、御経歴の一環として史料を集めておられるというお話なんですが、どういう史料を集めていらっしやいますか。

 大体、先ほどの著作リストがありましたですね、関係の。これは、ほとんど目を通しておりますし、アメリカのフェル・レポートを除く文書のコピーも持っておりますし、その他これは企業秘密でございますから、公表できないデータもいろいろ持っております。


120 先ほど、アメリカ側の調査記録に言及されましたけれども、この調査記録へのアプローチを試みられたことがございますか。


 私は、公開されているということを知りましたのは少し遅れました。従って、後から取り寄せて目を通しました。


121 現在、そのフェル・レポートが問題になっているようですが、フェル・レポートへのアプローチを現在していらっしゃいますか。

 ほかにも、この分野を研究している人がありまして、だれがフェル・レポートを見付けるかという研究者同士の競争みたいなものもあるんですが、一方情報交換をするということもありますので、従って、これはお互いさま情報交換ということで、最新の情報ではまだ見付かっていない。(P154-P155)
 
 それから、常石さんも八三年の時点でこう書いておられるわけですが、基本的にはこの情勢は変わってないようだと聞いております。


122 協同作業をしておられる、ということですか。
   
 いや、必ずしもそういうことじゃありません。


123今、そういうふうに聞こえたんですが。
 
 いや、同じ研究対象を持っている人たちは、ライバルであると同時にお互いに研究情報の交換もするわけです。

 「こういうものが、今度公開されたよ。」とか、「あれは、この前は駄目だったけれども、今度は見てきたよ。」とか、そういう情報交換をよくやるものであります。

 その範囲内で、そういうふうに理解しております。


裁判長

124 それは、学会か何か、そういうものなんでしょうか。あるいは、個人的なものか。

 個人的なものです。これは、そういう件数が幾つかありまして、その対象ごとに研究している人が違いますので、従って一つの組織でもってやっているということじゃありません。(P155)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

原告代理人(小林

後に提出する乙第一二〇号証(注.常石敬一『消えた細菌戦部隊』)を合わせ示す

125 その論文の中で言及されております北野さんの論文それ自体を、御覧になったことがありますか。

 何ページでしょうか?


126 全体的に言及されているんですが、北野政次さんの論文自体、直接御覧になって御検討になったことがありますか。

 直接はありません。


127 この書物は、お読みになりましたね。

 はい。


128 実験対象として、「猿」と書いてあるんですがね。

 何ページでしょうか? ちょっと教えてください。


129 特定しないでお尋ねしますが。
 
 一四九ページですか?


130 この本のテーマです。

 一四九ページですか?読んではいてもページを御指定いただかないと、当方も困るわけです。(P156)


131 それじゃ、一五一ページの最後の段落の「猿」ですね。常石先生はこういう御見解を示しておられるわけですけれども、先生のこの 「猿」というのは文字通りの「猿」とお思いですか。それとも、人間というふうに御判断ですか。

 私には、判断できません。


132 そうすると、この常石先生のに大変敬意を表したということを言っておられましたけれども、結論については、特に今のところお持ちでないと、結論留保ということですか。

 この「猿」の部分については、いずれ医師の友人に聞いてみようと思っているところでありますが、まだ実施しておりません。


133 現時点では結論が出ていない、ということですね。

 ……。


134 先ほどハバロフスクの軍事裁判の記録のことについて言及されましたけれども、お話の趣旨からしますと、見るまでもなく全く価値がないと、こういうことじゃないんですね。

 具体的に御研究なすって、史料批判をされて、採るべきところは採る、採らないところは採らないと、こういう史料として位置付けておられるわけですね

 少し違いますけれども、大体……そういう趣旨でいいと思います。(P157)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

135 先生は、教科書には学問的研究が極められている事項でないと書いてはいけないという御見解をお持ちなんですか。(P157)

 「極められた」というのは程度問題で、いろいろな段階がそこにあると思います。ですから、個々別々のケースでありますけれども、自ずからそこに一つの限界というものがあろうかと思っております。


136 七三一部隊の問題に関する検定当局の御意見を伺ってますと、その事柄についての専門的な学術研究書がないと教科書には書けないと、こういうふうに私どもには取れるんですけれども、もしそうだとしたら、先生はそういう御見解をお持ちですか、お持ちじゃありませんか。


 事柄によると思います。たとえば三原山が爆発したというようなことは、これを書くことは学術的研究のいかんにかかわらず、ただ起こったこととして記載することは、これは新聞報道でも十分であろうかと思います。従って、これはケース・バイ・ケースであります。


137 ということは、常に必ず専門的学術研究がなければならんと、そう一律には言えないということですか。

 そういう表現と今の三原山の話とは、ちょっとカテゴリーが違うのではないかと思うんですが。


138 三原山の場合には、どうして専門的学術研究がなくてもいいんですか。

裁判長(P158)

139 と言うよりも、専門的学術研究なしに記述していいものはどういうジャンルか、という質問はどうでしょうか。

 そうですね……これも、また全部ここで網羅することはできないと思いますけれども、まあ極めて単純に年表的な事柄……それから、原因とか、その他究明しなくても済むという事柄にウいては、自ずからそれでも十分だろうということだろうと思いますから、一概には言えないと思います。


原告代理人(小林)


140 つまり、皆さんがよく知っていること、ということですか。

 それとは、またちょっと違うんじゃないかと思いますが。


141 皆がよく知っていることでも書いちゃいけないことがあるわけですか。

 書いちゃいけないということとは、また別の話だろうと思います。(P159)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

142 よくわからないですがね。証人の著作目録の冒頭にございます「日中戦争史」という論考の冒頭に、先生御自身のものと、それに先立って信夫清三郎先生の序文が付いておりますですね。

 はい。


143 信夫先生は、証人の御研究の手法の重要な特徴として、「現存者の一人一人をたずねあるいて、そのときどきの事件について聴取したノートだけでも七十数冊にのぼ」っていると、こういったお仕事の仕方を、大変先生の個性として称えていらっしゃるように読ませていただいたんですが、この文章はそういう文章として理解してよろしゅうございますか。(P159-P160)

 ……称えられたつもりでお書きになったのか、私にはわかりません。


144 そういう事実を指摘されておられますね、信夫先生が。

 はい。


145 それから、先生御自身の序文の初めのほうなんでございますが、七三一部隊の問題を考えております私どもに、大変心に残る部分がございます。

 ちょっと先生の御見解を確かめるという意味で読ませていただきたいと思いますが、

「日中戦争の歴史は、日本側でも当時から完全に近い資料封鎖によって国民の目から遮断されていたし、ついで終戦による日本帝国の解体でこれらの貴重な資料や記録の多くが失われ、ひきつづく占領体制の継続という政治的制約も災して、空白に近い状態のまの残されてしまった。

/私が日中戦争を中心とする日本大陸政策の研究に志したのは、すでにこのような制約がとけたにもかかわらず、当事者が残しておくべき最低限の史料的復元さえ行われていなかったからである。」。

 で、こういうふうに状況を御説明になった上で、先生は「私はまず関係者の中で生存していた方々 ― とくに旧陸海軍首脳に重点をおいて ― を訪ね、ヒアリングをとってまわる作業にとりかかった。」。

 そして、「このような異例の方法から始めたのは、当時ただちに利用できる根本資料がはなはだしく欠如していたうえ、既存の回想録や概説書は史実的に信頼性の乏しいものが少なくなく、」と、ずっと説明されまして、(P160-P161)

その部分の最後のところで、「(延約三百人を訪問した)。」と、こういう形で大変熱心にヒアリングをされたというふうにされておるんでございますが、先生の御論考をいろいろ拝見しますと、今日なおこういう非常に聞取りを重視するという姿勢を堅持しておられるように拝読されるんですが、それはそう理解してよろしゅうございますね。


 先刻申しましたように、文書史料が優先する、と。あくまでも補助手段である、という限りにおいて重視しております。(P161)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

146 この部分を拝見致しましたり、ほかの論文等を拝見致しますと、必ずしもそうではなくて、私ども素人がたまに目にする歴史学者の御著書の中で、かなり大きいページ数を取って手記をそのまま引用されているというようなことをなすっているように拝見されるんですが、それはそうじゃないんですか。

 いろいろ、たくさん書いておりますので、いろいろテーマによって、いろんなやり方があると思いますけれども、たとえばこの「日中戦争史」で言いますと、脚注がおそらく数百を超えると思います。

 その中で、今のヒアリングだけに頼って書いた部分はほとんどないと思うんですね。

 ですから、あくまでもヒアリングはイメージをつくるための、いわば補助手段であって、重要なことはすべて文書で裏付ける。(P161)

 あるいは、公式の電報とか、そういうものでやっておるんで、これは見ていただければわかると思うんですけれども、注の中で、だれそれのヒアリングというふうに注が出ているところは、ほとんどないと思います。

 で、たとえば、清水中隊長の手記がこれの中に出ておりますけれども、これについても本人との往復書簡を皆載っけて、更にどういう点に疑問を感じたかということで、その疑問の答えも列挙しておりまして、別にそのヒアリングについては私は非常に慎重でありまして、このときから現在まで三〇年間その基本的態度は変わっておりません。


147 それは結構なんですが、ヒアリングを、先生と同世代、あるいはそれより前の世代の先生方と比べると大変重視しておられる。

 とりわけ、通常第一次史料として使えるようなものがない、あるいは乏しいというような場合には、そういうヒアリソグを積み重ねることによって、そしてそれに十分な史料批判を加えることによって、研究を進めておられる、とごれは現在でも同じようにやっておられるわけですね。


 ヒアリングに大きく頼らなければならない場合には、私は論文を執筆することを断念致します。史料が出るまで待つ、というのが基本的態度であります。


148  たとえば、ただいまの「日中戦争史」の第四章に収められている、今ちょっと話が出ました「芦溝橋声溝橋事件」という論文がございますね。

 これは一六二ページから一八二ページまでの論文の中で、実質上清水中隊長の手記というものが一六四ページから一七六ぺージまでを占めている、というふうに読めるんですけれども、その部分に特に史料批判の経過を具体的に記述した部分というのはないように思うんですけれども、そうじゃないんですか。
(P162-P163)

 それは見解の相違であろうと思いますけれども、これはページ数から言っても、本文と注の部分とが半々くらいでしょう。

 ですから、こういうのは出版社から言わせると「注が多いと売れないから、もうちょっと短くしてくれ。」と普通言われるものなんですね。ですから、これは異常に多いほうじゃないかと私は思いますが。


149 ただ、その注も素人目で拝見しましたが、明示的に史料批判的な言葉を記してある部分は一つもないように思うんですけれども。

 私は、そうは思いませんが。(P163)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

150 森村さんのことに言及されましたけれども、そのことについて若干お尋ねします。

 証人がまとめられた「昭和史を縦走する」という書物 − 論文集の一九〇ページの上段を拝見致しますと、森村さんの 「悪魔の飽食」に係わりまして、先生のお言葉として「筆者は、細菌戦計画の中枢にいた人から、よくあそこまで突っこんだと評価する賞め言葉を聞いたことがある。」と書いてございますが、これは事実として間違いございませんか。

秦郁彦著「昭和史を縦走する」を合わせ示す

 はい。(P163)


151 ありませんか。

 はい。


152 「中枢にいた人」というのは、主尋問証言での言葉で言えば「将校クラスの人」ですか、七三一部隊の。

 そうですね。七三一部隊ではありません。


153 七三一部隊のことをよく知ってる、将校クラスの人ですか。

 そうです。


154 「よくあそこまで突っこんだと評価する賞め言葉」ということは、もう少し敷衍すると、どういうことをおっしゃったんですか。

 つまりですね、学者・研究者でない人が、とにかくあれだけ大掛かりな調査をやった、と。それから調査したものの中には、いままで明らかにされてない部分も含まれている、と。

 そういう意味で評価をしたと、そう私は受け取ったわけですが、但し致命的な偽物の部分もある、と。

 そこで、本物と偽物が混在している作品というものは結果的には利用できない、というのが学者の立場である、と。

 まあ、その人は立場が全然違いますから、そういうふうに感じた、ということだろうと思います。


155 先生の御意見はさっき伺ったことでいいんですが、その「賞め言葉」を発した人の言葉は今のようなことだったんですね。(P164-P165)

 ただ、それは全体のことを評価した、という意味ではないんですよ。


156 それで、この写真誤用問題に係わっての森村批判の結論は、「森村氏が本当に責任を痛感するなら、収集資料の一切をたとえば『消えた細菌戦部隊』の著者常石敬一氏のような人に渡して、本来の推理作家に戻るべきではないか。」。

 この「常石敬一氏のような人」というのは、素人わかりのする言葉で言うと、どういう人なんですか。


 常石さん自体のことを私としては指している、と。但し、これはユーモアであるというふうに、半分ジョークであるというふうにお考えいただいても結構です。


157 あまり、この部分は真面目にとることはない、ということですか。

 まあ、エッセイでありますから、本質的な部分とはそれほど関係がないし、こう書いたからと言って森村さんが史料を常石さんに渡すとも思えないしですね。

 ですから、そういうことはおそらくあり得ないだろうと思うわけですけれども、そういう意味で書いたということで、軽い気持ちで書いたわけです。(P165)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

158 森村さんは下級隊員からばかり聞いているとおっしゃったんですが、「下級隊員」という意味は、「将校クラスの幹部じゃない人」という意味ですか。


 これも、いろいろ具体的にはあり得ると思いますけれども、七三一部隊の場合は、少なくとも医師ないしそれに準ずる将校ということがおそらく最低の条件だろうというふうに考えます。(P165-P166)


159 森村さんのされた証言の中核をなしているのは、判任官の人たちなんですが、そのことは、先生、御記憶ですか。

 しかし、それは下級隊員だろうと、のカテゴリーに大部分入るだろうと、私は考えております。


160 判任官の人の証言があの書物の核心をなしているという点は、御記憶じゃありませんか。

 私は「判任官」という記述の部分に記憶はないんですが、森村さん自体は、最初は上級隊員にアプローチを試みたけれども成功しなかったので下級隊員に切り替えた、と。確か、そういう意味での表現をしておられたと思いますので、そういうふうに理解したわけです。


後に提出する甲第二八一号証を合わせ示す

161 御覧になったことがありますか。

 ありません。


162 七三一部隊の青年将校という方が、身元を明かして、この文章の最初の段の最後から二行目− 「今回の森村氏の『悪魔の飽食』は、私の体験からしても、殆んどその実相を伝えるものと思います。」と。

 これは身元もはっきりし、論旨明快な、しかも医師の「名大医学部学友時報」への投稿でございますが、こういうものであれば下級隊員の証言などと違って信頼性がある、ということですか。
(P166-P167)

 この渡辺という人が ― 今、読んでおりますが ― 七三一部隊にいつからいつまでどういう階級でどの部に所属していたということは、どこかにありますでしょうか?


163 私の質問に答えてください。質問がまずくて答えられない、というのであれば。

 よく読んでからでないと答えられないから、手っ取り早く伺っているわけですよ。


164 青年将校であって、身元もはっきり明かしていて、しかも医師であるということなんですが、そういう人は先生のいわゆる下級隊員の証言よりは一般的に言って信頼性が高いということになるんでしょうか、そうではないんでしょうか。

 これは、もうケース・バイ・ケースだと思います。特に、この場合、名前と医師だというだけでは、ちょっと判断がつき兼ねます。


165 一般論としてもお答えになれませんか。

 一般論としては、上級隊員、それも幹部の証言が私は絶対必要だと思ってます。証言ないし記録ですね。(P167)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

166 ハバロフスク軍事裁判で被告人となった方々がどういう方々であったか、御記憶ですか。(P167)

 大体、承知しております。


167  一二人の被告人のうち、少なくとも八人は将校といっていい人なんですが、御記憶ありますか。

 そう思います。


168 その限りでは、森村さんも上級隊員の供述を事柄の判断根拠にしているのではありませんか。

 ハバロフスク裁判自体が非公開の軍事裁判の記録であります。

 更に、これは昭和三一年でしたか、このときの被告は日本に送還されてきております。

 今生存者がいるかどうか存じませんが、そういう軍事裁判の実態がどういうものであったかということに対する資料というものを私は見たことがないわけでありまして、通常こういう環境下で行われた証言は信用できない、というふうに学術研究者の立場としてはまずその前提からスタート致します


169 丸ごと全部信用できないということじゃないんでしょう。見て、結論出すわけでしょう。見るまでもなく。

 いや、さっきも申しましたように、本物と偽物が混ざっている場合に、これを弁別するというのは大変なことになるわけです。


170 質問に答えてください。ハバロフスク軍事裁判記録というのは、丸ごと全部証拠価値がないんですか。(P168-P169)

 検証を要するということであります。


171 具体的に一つ一つ事柄に応じて検証して行く、ということですか。

 そうですね。


172 それから、何か大規模な取材をしよう、大親模な調査をしようという場合に、森村先生の言葉で言うと「ペアズワーカー」、一般的には「コワーカー」と言うらしいですけど、そういう方と、複数の方が一緒にやるというのは、今日常識的なことじゃありませんか。そうは思いませんか。


 学界でも共同研究というのはあるわけですね。しかしながら、学界の場合は共同研究であっても、書かれた論文については明確にだれが執筆したかということについての責任を明示するというのが慣例になっております。

 その点が、コワーカーあるいはペアズワーカー ― これは森村さんが自分で作った言葉だとおっしゃっておりますんで、おそらく新しい概念であろうというふうに思います。


173 コワーカーというのは、新しい概念じゃないでしょう。

 「ペアズワーカーというのは、私が作った言葉であるごということは、森村さんは確か述べておられました。


174 コワーカーというのは、そうじゃないでしょう。前からある言葉でしょう。(P169)
 
 初耳であります。(P170)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)
 
175 ちょっと元に戻りますが、証人がフェル・レポートに重大な関心を寄せているというのは先ほど縷々述べられましたけれども、端的に言って石井四郎自身が人体実験を認めたというレポートが含まれていると、そういうふうに一般的に言われているので重要だと。

 期待をしているわけです。


176 そういうふうに私は理解しているんですが、証人の御認識もそういうことですか。

 そういうことです。


177 証人は長年にわたって七三一の史料も集めておられると言っておられますけれども、「悪魔の飽食」三部作であるとか、常石先生の論文等で検討され、あるいは引用されておる諸々の史料がございますね。

 あります。


178 それ以外にも史料があるんですか。

 あります。


179 たとえば、どういうものなんですか。

 私、先刻も申しましたように、これは研究上いずれまとめたいと思っておりますので、ここでどういうものを現在私が持っているかということについては……特別の目的がない限りは、今のところ公表したいと思いません。(P170)


180 今、ここでは言えない、ということですね。
 
 そうです。


181 最後に、教科書検定についての証人の御見解を簡単に伺います。先生の御論考を拝見しますと、教科書の見本本を御検討になった御論考があるようですけれども、似たり寄ったりの内容だ、という御指摘をなさっていらっしやいますね。

 (うなずく)


182 それから、当たり障りのない表現が多くて面白みに欠けるといったような表現もごぎいますね。


 (うなずく)


183 それから、先ほど引用しました先生の「昭和史を縦走する」の二四六ページを拝見しますと、こういう御指摘がございます。

「朝日新聞の特集シリーズ『教科書はどこへ』に『文部省は自民党べったりだし、検定がなければ、偏ってしまいそうだし……』という中年会社員の意見が出ている。/同じ悩みを共有する歴史家は、おそらく筆者をふくめ数多いことと思うが、」というふうな御指摘がございますね。

   (うなずく)


184今読んだ部分の御認識は、現在も特段変わっておられないと伺って、いいですか。


 その後も読んでいただくといいんですが。(P171)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

185 読んだ限りで伺うんですが。

 ですから、要するに「実現可能な解決策となるとなかなか見つからないのが辛いところである。」 ― これが、私の結論なんです。だから、結論を読まないで、前段だけ読んでいただくのは、ちょっと困ると思いますが。


186 「季刊 臨教審のすべて」という雑誌の一九八六年第四号にお書きになった論文の最初のほうを拝見しますと、「前回は、」 −これは、いわゆる外交問題に発展した教科書問題のことを指していることは明らかなんですが、「前回は、左寄りの教科書を文部省が右寄りに修正しようとしたのが、引金になっていた。今回は、新たに登場した右寄りの"復古調"高校用歴史教科書『新編日本史』(原書房版)の記述を、文部省が左寄りに修正しようとした点は対照的だが、」云々という事実認識を述べておられますが、これも現在同様の認識をお持ちであると伺ってよろしいでしょうか。

 大体、そのようにお考えいただいて結構です。


187 こういう御認識を踏まえられるように拝察したんですが、やはり「昭和史を縦走する」の二三二ページを拝見致しますと「技術的工夫をこらして、検閲と野放しの中間を行く第三の道を確立できないものか。」と、こういうふうに言っておられますね。

 (うなずく)


188 こういうものをお書きになった記憶はありますか。(P172)

 あります。


189 それで、今申しあげた御論考の中では「検閲と野放しの中間を行く第三の道」ということをおっしゃっていらっしゃるんですが、その後書かれた「中央公論」の去年の一〇月号の御論考を拝見しますと、「技術的工夫をこらして、検定と野放しの中間を行く第三の道を確立できないものか。」というお言葉で、そういう第三の道が望ましいという御見解を述べておられるんですけれども、これは現在でもそういう御認識ですか。

 今発見したんですが、これは誤植であります。「検閲」でなくて、「検定」ですね。


190 「昭和史を縦走する」のほうは「検定」と読むべきなんですか。

 そうなんです。これは、前後で見て、そういうふうに当然読めると思うんですが。


191 ここで先生が「検定」という言葉で呼んでおられるのは、今の検定、という意味ですか。

  ……これを執筆しましたのは、一九八二年でありますから、ここに書いたことは八二年現在の私の見解であります。


192 現在は、変わっていらっしやいますか。

 何がですか?


193 第三の道が望ましい、という御見解です。

 「できないものか」というふうに私は書いているわけでありまして、これは実行可能なことでないと、いつまでも同じことを言っててもしようがないわけでありまして、当然若干の意見は変わり得るということであります。(P173-P174)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)
  
194 先生は、昭和一六年の、いわゆる関特演というものにつきまして、学問的には「関東軍特別演習」というのが正しいんだと御見解を公にしていらっしゃいますね。

 ……。


195 「昭和史を縦走する」の二二六ページ下段を拝見致しますと、「筆者が当たってみた権威のある文献のすべてが、開特演は関東軍特別演習の略称であると記している。」というようなことを述べられまして、「関東軍特別演習」の略称だというのが正しいという御見解を明らかにしていらっしゃいますね。

 はい。


196この御見解は、現在も同じですか。

 その後、「特種演習」のほうが正しいという考証が江口圭一さんによってなされて、江口さんは私のところにもそれを送ってこられて、それを読みまして、従ってこれ からこの両者の検討をしなければならないなと思っているところであります。


197 少しぐらついた、ということですか。

 そうですね。


198 私がお尋ねしたいのは、検定当局は、横並びに「特種演習」というふうに指示をしている、ということはご存じですね。(P174)

 具体的には、存じません。


199 先生の著書に書いてあるんです。

 一つ一つは覚えておれませんのでね。読んでみますが。


200 実際「特種演習」で横並びになっているんですがね。その場合、先生はどうされますか、御自分の教科書書くときに。


 それは仮定の問題ですから、これは文部省の指示で「特種演習」に訂正したというと、これは正しいほうに訂正したわけですね?


201 そういう問題を聞いているんじゃないんです。

 証人は、この御本をお書きになった段階では、「権威のある文献のすべてが、『特別演習』の略称だと、」、そう言っておられるわけでしょう。

 そういう学問的信念を持っておられる場合に、検定当局が「横並びにお願いしていますから、『特種演習』と書いてください。」とおっしゃったら、先生はどういうふうに書かれますか。


 これはですね、間違ったというときには、いくら権威のある文献がそうであっても、証明されたときには、だれでも虚心坦懐にすぐ直すべきだと思います。

 極めて技術的な単純な話だと思います。一般論ですけどね。


202 絶対「特種演習」は間違いだ、「特別演習」だ、というふうに。(P175)

 いや、私はそういうことはこだわりません。考証の結果、前のが間違っているということがあれば、直ちに全力を尽くして訂正を致します。(P175-P176)


203 だから、間違っていると思わない場合です。

裁判長

204 仮定の話のようですので。

原告代理人(小林)

205 終わります。(P176)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

原告代理人(大森)

後に提出する甲第二六五号証を示す

206 この中で、一六ページから文献のリストが挙がっているんですが、先ほどちょっとこれに触れてお述べになりましたのでざっとは御覧になっていると思うんですが、本件検定当時、五八年ころまでに、大体当方の整理によれば、三六点ほどの文献が公刊されていたんですが、そのこと自身は御承知ですか。

 数えてみたことはありませんが、先刻少し引かないとダブっているものがあるというお話がありました。しかし、この中で初めて私が見るものももちろんありますけれども。全部が全部、目を通してはおりません。


207 具体的に御覧になっているのは、どれとどれですか。

 そうですね……はっきり覚えてないものもあるんですが、……それから以前に読んだものは、はとんど中身を忘れております。あまり意味がないんじゃないでしょうか?(P176-P177)


208 いや、意味がないんじゃなくて、三六点、当時までにあって、それから昭和五九年以降、更に追加されて八点はど公刊されていると、これも御承知ですか。

 数えてみたことはありませんけど、おそらくそうなんだろうと思います。


209 先ほど、史料を収集しているとおっしゃいましたけれども、これらの史料はすべて目を通しておられますか。

 いえ、全部は通しておりません。


210 全部は目を通しておられない。

 はい。


211 これらの史料は、すべて七三一部隊が生体実験を行ったということを、いろいろな角度から述べているわけですけれども。

 すべてがですか?


212 すべて、述べていると思いますが。否定しているような文献が、この中に一つでもありますか

 私は全部読んでおりませんので、従って断定はできないですね。(P177)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

213 全部見ていないわけですね。(P177)

 はい。


214 先ほどのお話ですと、治療行為として生体に対していろんな実験をする場合もあるであろうとおっしゃられましたけれども、治療行為としてやる場合は最初から黴菌を健康な体に植え付けるとか感染させるということではなくて、自然的に病気になった者について治癒させることを目的としていろいろな手法を試みるということが、およそ治療行為の部類に入るかと思うんですが、そういったことが被拘束者に対して七三一部隊で行われたということが書かれている文献を、今まで御覧になったことがございますか。

  ちょっとおっしゃることの意味がわかりませんが、私が申し述べたことはですね。


215 ちょっと、私の質問に答えてください。治療行為として、純粋に治療のために、治すために、治癒させるために、被拘束者である七三一部隊の特移扱で集められてきた者に対して行ったケースがあるということを、あなたは文献の中で御覧になったことがありますか。


 記憶ありません。


216 そうすると、今私のほうで指摘した四四点ほどの史料は ― あなたは、全部御覧になっていないようですけれども ― 生体実験をやっていない、逆に治療行為としてそういう行為をやったことがあるということは、あなたのほうはおっしゃらないわけですね。

 私は、全部読んだわけではなく、音読んだものの中身を一々記憶しておりませんので、一つずつそう聞かれても困るわけです。(P178-P179)


217 そうすると、よく読んでないし、わからない、ということですね。

 あるかもしれないし、ないかもしれない ― としか、お答えのしようがありません。


218 先ほどから、フェル・レポート ― 石井隊長自身が人体実験をやったことを認めたと言われている史料 ― が手に入らない限り、最終的に史料の収集は終わっていないという形でおっしゃられ、大変重要な史料としておっしゃっておられますけれども、これだけの文献が ― 四十数点にわたって生体実験を行ったという史料が ― 一方にあり、他方で石井部隊長のそういう史料が仮にないとしても、なお事実関係は明らかになっていないとお考えですか。

 学術的研究という上からでは不十分である、と。


219 逆に、こういうふうに伺いましょう。

 フェル・レポートの中で、最も七三一部隊の所業の責任を問われるべき立場にある石井部隊長がどのように答えているか、その内容は下級隊員の、責任を問われる立場から言うと、むしろ下級の隊員の実際に見た証言よりも、そういう責任ある立場の者の証言のほうが史料的な価値として信頼性がおけるというようにお考えですか。

 人体実験が行われていたかどうかという点についてです。

 これは両者を総合してみなきゃ、いかんでしょうね、当然。(P179)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

220 一般的に言えば、責任を問われる立場の人は、そういう事実を否定しようとするんじゃないんですか。(P179-P180)

 但し、いろんな段階におけるいろんな責任がありますから、一概にはそうも言えないと思います。


221 客観的にはやったことはかなり世間でも明らかになっていても、最終的にその本人自身がそれを認めようとしないというのは、一般的なことではありませんか。

 そういう場含も、あるでしょう。


原告代理人(榎本)

222 今、大森代理人が聞いた点に関連しますが、あなたはあなたの書かれた「南京事件」 ― 甲第二四八号証 ― の一一一ページに「非軍紀行為について率直に告白するのは、概して下級兵士で、将校の証言を得られるのは稀である。」という記述をした記憶はございますね。

 南京事件についてはそうだ、と言うんです。


223 南京事件についてはそうであるけれども、七三一部隊については違うと、こういうことですね。

 それはケース・バイ・ケースであります。


224 このあなたが書いた書物には、注が引かれていないで、「主要参考文献」という形で最後に一覧表が書かれていますが、これですと、あなたの原稿記述がどこからどのように引用されたかは、なかなかわからないんじゃないんですか。
(P180-P181)

 中を見ていただければ、重要な箇所には必ず括弧できちんと史料は入れてあります。


225 主要参考文献」として一覧表しか書いてないんですね。だから、あなたの言う、重要なところか重要じゃないかということは、著者から行ったらわからないですから、全部があなたの「主要参考文献」から引くことができるというわけには行かないですね。

 そういう場所があるでしょうけれども、おおむね一定レベルの方はそれで満足されるだろうと、そう私は思って注の選択をしております。


226 先ほど、常石さんの著書について、そういう形で、形式的に不十分だということを言ったんですが、あなたのこの「南京事件」は、形式的に不十分じゃないんですか。学術書として。

 そうですね。私は自分のその本が学術書と特に断わっているわけではありませんけれども、しかしながら本には新書なら新書というスタイルがあります。

 従って、その趣旨にできるだけ合わせるというその妥協としては、極めて重要な部分については疑義が起こらないようにちゃんと括弧で、あるいは文章の形で中に書いておく、と。

 ただ、常石さんの場合についてはそれが十分でないという意味で申しあげたわけです。


227 あなた自身は、この「南京事件」は学術書ではない、という認識なんですか。(P181)

 私は、自分の著書について自分で評価をするということは、差し控えております。

(以上)

 この速記録は、裁判所速記官堀込康子及び裁判所速記官関幹夫の速記した速記原本に基づいて反訳したものである。

 東京地方裁判所民事第三八部
 裁判所速記官 開 幹夫 印(P182)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)



(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


 家永教科書裁判・秦郁彦証言(第二審 に続く

(2020.9.3)


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