家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

1991年10月21日 東京高等裁判所

家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

速 記 録

(平成三年一〇月二一日第一二回口頭弁論)
証人 秦郁彦

被控訴(附帯控訴)代理人(平井)

原審における昭和六二年一一月三〇日付け、証人秦郁彦の証人調書添付の「秦郁彦証人の略歴等」を示す

○ここで略歴、専攻分野、学位、所属学舎、主な著作等、いずれも間違いがあるかどうか御覧いただけますか。

  このとおりだと思います。


○本件で問題になっております七三一部隊についてお伺いする前に、近現代史を書くにあたって研究者としての一般的な心構えというか、秦先生の御見解をお伺いしたいと思います。

 いわゆるオーラル、これは聞き取りのことでございます。あるいはヒアリングとも申します。

 そういうものを含んだ情報資料の収集には最大限に努力いたしますが、学術論文の発表にあたっては慎重に取り組み、ほかの研究者の見解をも考慮して、やや抑えぎみに表現するというのが私の考え方であります。

 特に政治目的から流されたと思われる情報は、警戒して扱いたいと思います。断定できない場合は複数の解釈を並べることもあります。(P170-P171)


○そういう前提でお聞きします。控訴人のほうで本件の原稿記述の根拠として挙げておられます、昭和五八年が検定ですから、その当時の文献を見ますと、そういう基礎資料としては、旧七三一部隊の範囲の証言だとか、あるいはハバロフスク裁判の記録だとか、アメリカの調査報告書というものがあると思うんですね。

 はい。


甲第二三大号証を示す

○昭和五八年当時というのが検定の時点ですから、そこがあくまでも基準になりますけれども、それらの基礎資料についてどのように評価判断をされているのか順次お聞きしたいと思います。

 今もちょっとおっしゃっていたように、オーラル・ヒストリーの問題がからんでおります旧七三一部隊の証言については、オーラル・ヒストリーとしての問題点を指摘されておりますね。

 オーラル・ヒストリーそのものについては、見解によっては、別に出られました証人の方も今日の歴史学では広く使用されている、あるいはそういう文献的資料、これは全く平等の市民権を有するんだ、というような言い方をされた方もいらっしやるんですね。

 オーラル・ヒストリーの扱い方について、秦先生の御見解を伺いたいと思います。甲二三六号証の「歴史学研究」を御覧いただきながらお話しください。

  少なくとも、昭和五七年当時の日本では、まだオーラル・ヒストリーの方法論が確立していなかったということもありまして、歴史学における市民権を必ずしも獲得するには至っていなかったと書いています。(P171-P172)

 オーラルについて、いわゆる聞き書きは話し手の記憶違いがあったり、時、場所、聞き手が違う度に話す内容が変わったり、またそのときのムードで別のことを平気で言うというようなことがあったりしますので、オーラルによる資料そのものを使うということについては、よほど慎重でなければならないと思います。

 文献的資料によって絶えずチェックすることが必要だと考えています。

 この点については甲二三六号証の昭和六二年六月発行の「歴史学研究」でも、今私が述べたのと同じ問題、指摘がなされております。(P172)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○甲二三六号証で、今御指摘になった部分はどこにございますか。

 「オーラル・ヒストリー その意味と方法と現在」という特集がありまして、中村政則さん、松村高夫さんなどが八人くらいで座談会というような形で書いていらっしやるんですけれども、その中で今私が申したのと同じような表現がございます。

 例えば四ページで中村政則さんが言っているんですが、

 「しかし、第3に、聞き書きは万能かと言うと決してそうではありません。聞き書きは、話し手の記憶ちがいがあったり、自慢話に終わったり、時・場所・聞き手が違うたびに話の内容が変わったりすることがあります。かつて山本茂美氏は、私との対談で『その時のムードで人は別のことを平気でいうものなのです。こわいですね』と語っていましたが、この点はよほど気をつけないと危いと思います。」

というくだりがあります。(P172)


○それが六ページの終わりのところで、「(4)日本ではまだオーラル・ヒストリーの方法論が確立していない。各人が勝手に聞き書きを使っている。そのため歴史学における市民権を得たとはいえない。」という結論めいたことになっているんですね。(P174-P175)

 ええ、この点、私も同感であります。

 
○そういうことになりますと、控訴人のほうで列挙しております森村誠一さんの「悪魔の飽食」だとか、あるいは吉永春子さんのドキュメント、あるいは旧部隊員の回顧録、こういうものは正に同じようなものでありまして、うのみにはできないという結論になるんでしょうか。

 はい。森村さんや吉永さんのものはもとよりですが、旧七三一部隊員の回顧録についても同様のことが言えますし、更に秋山浩といったような変名で書かれたものに至っては検証がしようもないので、なおさら学術的には直ちに利用できないということになります。


甲第二六七号証を示す

○これはいわゆるハバロフスク裁判の記録といわれているものでございますが、この裁判記録の問題点については原審でも御証言いただいておりますので、何かそこに補足されるような部分がありましたら、おっしゃってください。

 この裁判記録は来歴がよくわかりません。また、非公開裁判でありまして、証人の自由意思による発言と思えない不自然な部分が多くて信頼性に乏しいと、昭和五八年の時点では判断をしておりました。(P171-P172)

 一例を引用いたしますと、例えば、マルタは中国人民革命の兵士及びパルチザン、と松村知勝少将が一七一ページでこういう発言をしている、あるいは、天皇裕仁、石井中将及び若松少将が厳重に処罰されることを期待するものでありますと、これは平桜中尉の発言であります。

 あるいは、裁判中ここで私に対して取られた人道的な態度に感謝する、という久留島さんという容疑者の発言、あるいはこれは最も極端でありますけれども、私のごとき犯罪人を弁護士が弁護するということは恥ずかしい、という佐藤俊二軍医大佐の証言、七一二ページにございますが、こういったことが挙げられます。(P174)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


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○秦先生は「正論」の平成二年三月及び四月号で、「日本の細菌戦」と題する論文をお書きになったことがございますね。

  はい。


甲第六九五号征を示す

○「正論」の中で秦先生のほうでは、今評価をされておりましたハバロフスク裁判記録に対する評価を、今の御見解と換えて、例えば松村大佐の証言、四月号くらいに出ておりますけれども、これを引用してあなたの指摘もあるようです。

 その点について何か矛盾しているんじゃないか、というような御意見もあったんで御説明いただきたいと思います。


 原審の証言でも、このハバロフスク裁判記録が基礎資料としての価値を全く有しないと言ったわけではありません

 ただ、家永さんも指摘しておられるように、試用期間を要する点が多々あるという点に私は全く同感でありまして、したがってうのみにせず、ほかの資料と照合してみる慎重さが必要であるということであります。(P174-P175)

 「正論」でこの裁判記録を引用するに際しましては、ほかの信頼できる資料、例えば今、松村大佐の証言というのが出てまいりましたけれども、同じ松村氏が日本へ帰国してから著作をした「関東軍参謀副長の手記」といったようなものとも照合いたしまして、確認した上で引用しております。

 要するに、その後の調査研究の進展によって、この裁判記録にも使える部分があるということが次第にわかってきたということでありますけれども、五八年の段階ではこの裁判記録についての分析、資料批判が十分になされていたとは思っておりません。


○それは一般的に、余りなされていないということですか。

 そうですね。うのみにする人は多々いたように思いますけれども、学術的レベルでは検証不可能という事情がありますので、私はそういう意味においては分析、資料批判が十分に行われていないというふうに判断をしております。(P175)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


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乙第一五八号証を示す

○森村誠一さんの「悪魔の飽食」ですが、秦先生は原審で「悪魔の飽食」の問題点を幾つか指摘されましたけれども、その指摘された原審の証言のほかに、何か補足されることがありましたら、補足していただきたいと思います。

 昭和五七年、すなわち森村さんの本が出た当時でも既に指摘していたことですが、この本に書かれておりますような、例えば真空実験をやると人間の腸が対外へはい出してくる、一一七ページにありますが、あるいは馬から血を抜くとやせ細ってミイラのようになる、一七八ページにありますが、といったことは医学的には全くあり得ないことと聞いております。(P175-P176)

 こうした森村さんが医学的知識の初歩的な誤りを犯しているということにつきましては、昭和五七年当時でも、吉村寿人氏などが「世界日報」の誌上で指摘をしております。


○また、原審で「悪魔の飽食(第一部)」が下級隊員の証言に基づいているという問題点等を指摘されたことに関連しまして、一方で先程もちょっと示しましたが、秦先生自身の「正論」で、下級隊員の証言を決定的証言として扱っているんではないかという指摘もあるようなんですね。その点について御説明いただけますか。

 「正論」の論文では、下級隊員の証言を決してうのみにしているわけではありません。

 朝日新聞に証言した三人の中の二人に、直接合って話も聞いておりますし、上級隊員の証言もかなり採っております。その中には現在医師をやっておる者もございます。

 したがって、前回の証言でも「理想的に申せば、上級隊員の証言及び下級隊員の証言が両方過不足なくそろっているということが必要であり、更にこれに文書的な裏付けがあることが望ましい、と考えております。」(原審における昭和六二年一一月三〇日付け、証人秦郁彦の証人調書、尋問番号一九)と言ったはずであります。

 ただ、森村さんの「悪魔の飽食(第一部)」については上級隊員の証言が全くありませんので、これはバ
ランスを失しているという意味であります。


乙第一五九号証を示す

○原審で、「続・悪魔の飽食」について偽写真の問題だとか、アメリカ軍の調査報告書の翻訳に誤りが多いというようなことを指摘されていると思うんですがそのほかに何か指摘されることがあればおっしゃってください。

 この「続・悪魔の飽食」の初版について申しますと、とんでもない間違いがあちこちにございます。

 例えばデルベンコというソ連代表というのが出てくるんですが、これは多分デレビヤンコの間違いじゃないかと思いますが、九六ページに「デルベンコの提案に対し、マッカーサーは、『黙れ!』といった。」とあります。

 あるいは一一八ページに

「境内にテントを張り、野間神社に寝起きする男たちの行動には、いくつもの不蕃点があった。第一に部隊幹部とおぼしき人物の変装外出である。二十人余の男たちの中には、石井四郎軍医中将の実兄、石井三男、石井剛男に人相の酷似した二人の男がいた。」

と書いてあるんですが、なぜ石井兄弟の顔を知っていたのかという疑問も起こりますし、小説的な描写ならともかく、これらはノンフィクションの手法とは言えないと思います。

 それから、この本で「フェル・レポート」として紹介されているものが「トンプソン・レポート」の誤りであるということは、昭和五九年に発行された「標的イシイ」、これは常石さんの本でありますけれども、それを見ますと明らかなんですが、森村さんはなぜか平成二年五月発行の改訂版でも、まだ訂正をしておられません。

 この本は結局はトンプソン・レポートを中心に書かれているわけですけれども、そもそもトンプソン・レポートでは人体実験については一行も書かれていないのであります。(P177-P178)


○「悪魔の飽食 第三部」というのがございますが、これについてはどうでしょうか。

 「悪魔の飽食 第三部」で引用されております、中国現地において被害関係者という人たちが証言を出しておりますけれども、これは直接体験した人による証言は全くありませんし、証言の内容も人体実験に関するものはないと解釈しております。(P178)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

乙第一六〇号旺を示す

○これは秦先生の「昭和史を縦走する」という昭和五九年に出されたもので、この中にも「『続・悪魔の飽食』ニセ写真問題をめぐつて」という論文が掲載されていますけれども、こういう掲載されている論文自体、本自体の発行は五九年ですけれども、論文そのものは五七年に、すなわち本件の検定以前に発表されたものと伺ってよろしいですか。

  はい、そうでございます。


○大体いつごろ。

 五七年一二月から五八年一月にかけて、雑誌に最初に発表したものであります。


○この論文の中でも、「悪魔の飽食(第一部)」が下級隊員の証言に基づいているとか、あるいは医学的にあり得ないことが書かれている、あるいは「続・悪魔の飽食」の偽写真問題についても、写真帖の医師がつけていた赤十字マークや、各写真ごとに付された説明文を塗りつぶしたり、差し替えたりしているのを森村さんが気づかなかったのは不自然だ、という疑問点が提起されていますね。(P178-P179)

 そうです。


○この論文にありますように、昭和五八年一月の段階で、秦先生自身は既に「悪魔の飽食」が写真本文ともに偽の部分が混入していたために、全体の信用を失っていると、あるいは本物と偽物が混在した作品を歴史研究書や教科書で引用できないという評価をくださっているようでございますが、そのとおりでよろしいですか。

 はい。少なくとも、昭和五八年当時はそう思っておりました。(P179)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○別の問題かもしれませんが、秦先生が原審で常石さんの著書について、重要な部分が推測に基づいたり矛盾するケースがいろいろあるということなどから、学術的な資料としては問題があると証言されていますが、ほかに何か常石さんの著書に関連して補足することがございますか。

 常石さんは私が非常に尊敬している、七三一研究の権威だと思います。

 これは一連の作品の中の最初の作品でありますけれども、この「消えた細菌戦部隊」については、七三一部隊の全体像について述べた部分が、ハバロフスク裁判記録と伝聞に基づく証言が多いというようなことで、学術的には直ちに利用し得るものではないと思っております。


○学術的には直ちに利用できない、あるいは原審でも専門的な学術研究と見られないというように評価されておりましたね。(P179)

 はい。


○この「消えた細菌戦部隊」、先程来引用しております「正論」で先生がお書きになった中では、人体実験について画期的な成功例があったことを指摘しているということで引用もされておりますね。この点について御説明いただけますか。

 常石さんは平成元年にこの「消えた細菌戦部隊」の改訂増補版を発行しておりますけれども、こちらのほうには初版にはなかった新しい根拠が追加補充されて、極めて実証的な論証になっております

 私が「正論」で引用しました常石さんの著書というのは、この平成元年発行の改訂版のほうでございます。(P180)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○次にアメリカ軍の調査報告書について伺います。

 昭和二〇年八月の終戦以来、アメリカ軍のほうで行った調査に関する報告書には、サンダース・レポートとかトンプソン・レポート、あるいはフェル・レポートとかヒル・レポート、こういう四種類のものがあるという
ふうに言われておりますね。

 フェル・レポートについては総論だというようなことも言われておるわけですが、そういうことでよろしいですか。


 はい。ヒル・レポートはヴィクターがその作成に関与しているので、ヒル・ヴィクター・レポートと呼ばれることもあります。


○松村さんの証言によりますと、この中のサンダース・レポート、あるいはトンプソン・レポートでは人体実験については一行も書かれていない、というふうに言われておるんですけれども、そのとおりですか。(P180)

 大体そのとおりです。サンダース・レポート、トンプソン・レポートの読み方によっては、人体実験について想像をめぐらす余地はあるかもしれませんけれども、しかしながら、森村さんが「続・悪魔の飽食」の初版で根拠資料にしておられるトンプソン・レポートは、人体実験の根拠資料ではないということでございます。(P181)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


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甲第六九〇号証を示す

○いわゆるパウエル論文というものが出ているようですけれども、松村証人は昭和五六年発表のジョン・パウエルの論文に、フェル・レポートの総論が収録された資料があるとか、あるいはヒル・レポートが紹介されている、したがって検定当時には十分に参照可能だったんだということを証言されているんですけれども、まず、この甲第六九〇号証で出ておりますパウエル論文が掲載された雑誌というのは、どういう雑誌なんでしょうか。

 これは「ブレティン・オブ・ディ・アトミック・サイエンティスツ」という雑誌。その昭和五六年一〇月号にこのパウエル論文が出ているのでありますけれども、この雑誌は核関係の科学者でも余りなじみがない雑誌でありまして、我が国にもわずかしか入 ってきておりません。したがって基本的には、いわゆる正統派の学術雑誌とはいえないと判断しております。


○書かれたジョン・パウエルという人は、どういう人だか御承知でしょうか。

 森村さんが昭和五七年にパウエルに会っているようでありますけれども、そのときはフリーのジャーナリストで、アンティークの店を経営していたというふうに書いておられます。(P181-P182)

 このパウエル氏は学術論文を書き慣れていない人と見えまして、材料を生かし切れておりませんし、不正確な記述が多いのでございます。

 注の部分で、ちょうど森村さんの著書と同じように、手掛かりは我々研究者に与えてくれますけれども、
これだけでは不十分なので、研究者でありましたら引用された文献を自分で探し、取り寄せてから判断をすると思います。


○今おっしゃった中で、材料を生かし切れていないという話がございましたが、これはどういう意味でございますか。

 初公開の重要な文書を入手した場合には、その文書の性格、登場人物の調査、それから文書の一部を写真版で示すとか、そういう配慮をすべきでありますけれども、それをしておりません。


○また、不正確な記述が多いというようなことも言われておりますが、これはどういう意味でしょうか。

  内容を見ますと多々あるんですけれども、例えば皇族の竹田宮が石井四郎の部下であったとか、九大の生体解剖実験が七三一部隊員の犯罪だったとか、あるいは日本軍と日本のいろいろな組織や使命についての初歩的な知識が欠けておりまして、論文としての構成が非常にお粗末であります。

 アメリカの大学院の学生でありましたら、直ちに書き直しを先生から命じられるものだろうと思います。

 なお、松村証人が甲六九〇号証のパウエル論文の翻訳として提出したものは、誤訳が多くて余り信頼できないと思います。(P182-P183)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○松村証人のパウエル論文で、フェル・レポートの総論で使用した資料が紹介されているような証言をされているんですが、そこのところはどうなんでしょう。

 パウエル論文にはフェル・レポートの総論は引用されておりません。

 このことは松村証人がフェル・レポートの総論として提出しておられます甲六八八号証とパウエル論文とを比べてみると、内容が全く違っているという点からも明らかでありまして、パウエル論文で紹介されていますのは、ウエッターとスタッブルフィールドの覚書というものであります。

 要するに、この覚書で石井四郎らが膨大な報告書の作成に同意したという記載があるだけであります。


○松村証人はパウエル論文に、甲六八九号証で訳文が出ていますヒル・レポートが紹介されているという証言をされているんですね。実際にはかなり引用されているわけですか。

 パウエル論文でヒル・レポートの原文を直接引用しておりますのは、結論の部分だけでありまして、その他の部分はパウエル氏の要約にすぎません。したがって、石井四郎たちが具体的にどんな証言を行ったのか、という重要な部分が欠けております。


○そうすると、そのパウエル論文だけを根拠としていますね。人体実験があったと結論づけることが、極めて難しいということになるんでしょうか。

 そのとおりでございます。(P183)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

甲第六九一号証を示す(P183)

○また、パウエル論文が、この森村さんの「悪魔の飽食ノート」の中で翻訳されているということなんですけれども、この点についてはどうでしょうか。


 パウエル論文自体がそのまま利用できるという状況にない上に、更に森村さん自身が認めているように、「悪魔の飽食ノート」に掲載されておりますのは意訳をまじえた要約にすぎません。したがって、この程度の資料では学術的に利用できないと思います。


○それで、この中の「歴史の隠された一章 ジョン・W・パウエル」のところで「論文の大要を訳してここに発表させていただく次第である。要約の関係上、訳文は一部意訳をまじえた。」ということを指摘されているわけですね。

 はい。


○ところで、このような外国の論文など、日本で翻訳紹介されたということで、直ちに資料について分析あるいは資料批判がなされて、研究者の間でその資料についての解釈評価が即座に固まってしまうとは、とても思えないんですが、その点はどうでしょうか。

 そのとおりであります。外国の文献資料につきましては、日本で翻訳が紹介されたからといって、翻訳されたものをそのまま研究論文に利用するということは通常は考えられません。

 一般的に研究者は、自分で原典である英文の資料に当たり直して、自分で分析し資料批判を行った上で研究論文に利用すると、こういう手順をふむのが通常だと思います。

 したがいまして、その資料の解釈評価につきまして、研究者の間で共通の認識ができあがるまでには、相当の期間を要するということであります。

 パウエル論文について申しますと、松村証人でさえ、昭利五九年九月になってから原典を入手したということであります。(P184-P185)

 少なくとも、昭和五八年当時の我が国では、パウエル論文について本格的に資料批判を行い、これに基づいて叙述した研究者の手による学術研究書、あるいは研究論文といったようなものは存在しておりません。(P185)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

甲第六八九号証を示す

○松村証人はこのヒル・レポートが、本件の検定直前に発行されました森村さんの新版「続・悪魔の飽食」、五八年八月に出されているようですけれども、これに紹介されていて、検定当時には参照可能であったというふうに証言されているんですが、この点についてはどうでしょうか。


 今から見ますと、これがヒル・レポートであるということはわかりますけれども、昭和五八年当時の研究状況を前提といたしますと、この本では世論などが引用されておりません。

 したがって、このレポートがどこのだれによって、いかなる経緯で作成されたものであるかということがわかりません。

 また、レポートの全文が引用されているわけではありませんので、全体の構成だとか、あるいは翻訳されている部分が全体の中でどういう位置づけになるのか、ということもわかりません。

 そもそも、この「続・悪魔の飽食」自体が、偽写真問題とかトンプソン・レポートの誤訳の問題などを指摘されているくらいでありまして、いずれにせよ、このような本に書かれていることをうのみにするということは考えられません。(P185)


○そうすると、そういういろいろな問題点があるとすれば、とても、それに紹介されているはずと言われても、研究論文に利用するわけにいかない、あるいは直接原典に当たって勉強する必要があるということになるんでしょうか。

 そういうことです。


○昭和五八年当時の日本では、ヒル・レポートの原典についての分析とか資料批判というのは、どの程度進んでいると考えてよろしいんでしょうか。

 松村証人は昭和五九年の秋にヒル・レポートを入手したということなんですが、これを使った研究論文は最近まで発表されておりません。

 また、七三一部隊研究の第一人者である常石敬一さんは、昭和六〇年にこのレポートを入手しておりますけれども、その分析の成果をまとめて発表されたのは平成元年になってから、すなわち、先刻申しました「消えた細菌戦部隊」の増補版であります。

 いずれにしましても、日本の研究者がヒル・レポートの原典を人手して研究分析に着手したのは、早くても昭和五九年以降でありまして、五八年段階ではほとんどなされていなかったはずだと思います。


○そうすると、少なくとも昭和五八年の検定の段階では、ヒル・レポートを根拠として人体実験があったと断定することはできないという状況と考えていいわけですね。

 そのとおりです。(P186)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

甲第六八八号証を示す

○フェル・レポートの総論について伺います。昭和五八年当時の日本では、フェル・レポートの総論についての桝究とか分析は、どの程度進んでいたと考えられますか。(P186-P187)

 常石さんがフェル・レポートを入手したのは昭和五九年ということですし、松村証人もやはり昭和五九年ということでありますから、日本の研究者がこのレポートの研究分析に着手したのは五九年以降であると考えて間違いないと思います。


○そうすると、少なくとも昭和五八年の段階では、このフェル・レポートを根拠として人体実験があったと断定することができないという状況にあったということですね。

 そのとおりです。


○ところで、秦先生は原審で、フェル・レポートが出てくるまでは、相当な根拠をもつて学術的に処理できないと証言されていたにもかかわらず、先程来引用します先生の「正論」とかで、石井四郎らが人体実験を認めたと記述して、その根拠としてフェル及びヒル・ヴィクターのレポートを挙げているようでございますが、これらのレポートについては、原審の昭和六二年の証言当時までに公開されていたものである、という指摘もあるようなんですね。この点について説明してください。

 原審の記録を私も後で読んでみたわけでありますけれども、基本的には昭和五八年当時における、この問題についての日本の学術研究のレベルを証言せよということで、 そのつもりでしゃべっているわけでありますけれども、話の成り行きで五八年以降に及んでいるかもしれないように取れる部分もあるようでございますが、私としては基本的には五八年当時の状況を述べているというつもりであります。(P187)

 そうではありますけれども、仮に昭和六二年現在ではどうであるかということですと、ヒル・レポートやフェル・レポートにつきましては一部が翻訳されている、紹介をされているという程度でありまして、原典と照合しないと研究的に利用はできない状況は続いておりました。

 特にフェル・レポートにつきましては、原審で申しましたように、これがあるということが判明していて、なおかつ見つからないという段階でありましたので、これが出てくるのを待っているというような意味で申し上げたと思います。

 更にその後、ヒル・ヴィクターレポートの各論に匹敵する内容を含んでいるということがわかってまいりました。

 したがって、いろいろな関連で四つの各レポートの役割と申しますか、過程がわかってくるというのが昭和六二年前後に進行していたということでありまして、まだ、決定的に証拠として断定をするに至っていなかった、というふうに考えております。

 「正論」は平成二年でありますので、この時点におきましては、そういった状況をふまえて執筆するための最低条件が満たされた、というような観点から記述をしたものであります。(P188)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

甲第二四五号証の一を示す

○控訴人の書かれた「太平洋戦争」ですが、これについて秦先生は原審で、いろいろとこの本には問題があって学術的には利用できない、ということを証言されたんですが、何かそれに補足されることがあれば補足してください。

 現在でも学術書と呼ぶにはいろいろと問題がありまして、これはうのみにはできないと考えております。(P188-P189)

 特に池田ロバートソン会談につきましては、最近、アメリカのナショナル・アーカイブから議事録が解除されまして私はこれを入手しております。

 それから、外務省の第二回外交文書公開が一〇月二日に各新聞社に渡されまして、二四日に解禁発表されるんでありますが、その中にも池田ロバートソン会談に関する記録が含まれておりますので、ほぼ、この会談については完全に資料はそろったというふうに判断しておりますけれども、これを比べてみますと、家永さんが「太平洋戦争」の中で触れられた部分は、例えば一二ページで「一九五三年池田ロバートソン会談において、日本人に軍国主義意識を培養する(これは英文版ではプロモート・ミリダリズムという表現になっておりますけれども)必要のあることが日米両政府の合意事項として確認されて……」とありますが、そういう部分は全くありません。

 したがって、「太平洋戦争」における池田ロバートソン会談の記述は、家永さんの控造ではないかという ふうに思っております。


○少なくとも昭和五八年の検定当時、本件の原稿記述に書かれているような七三一部隊の全体像が学術的に勘案されていたというふうには、とても考えられないという結論と伺ってよろしいんでしょうか。


 はい、断定できる状況にはなかったと考えております。(P189)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

控訴捜訴(附帯被控訴)代理人(渡邊(家永側の弁護人)

○証人は本件の検定経過、すなわち本件教科書記述の内容、検定意見、それから結論的には全面削除になった、ということは当然御記憶ございますね。(P189-P190)

  はい。


原審における昭和六二年一一月三〇日付け、証人秦郁彦の証人調書を示す

○ 一〇六項で、「実は、検定当局、つまり調査官の先生方や審議会の先生方は ― 法廷でもそうなんですが ― 記述内容そのものについては認めておられるんです。そのことは、ご存じですか。」という原告代理人の質問に、証人は「そういうふうには理解しておりません。」と答えておられますが、御記憶ありますか。
 
はい、そういうふうに答えております。


○ところで原判決ですが、「なお、検定意見が、右七三一部隊の存在や日本軍による生体実験の事実を否定する趣旨でないことは、時野谷滋証言によっても認められる」というふうに判断していることを御存じですか。

 よく存じません。


○知らないんですか。そういう時野谷滋証言があるんですが、そのことをあなたは御存じないですか。

 正確には聞いておりません。


○時野谷滋証言をお読みになったことはございますか。
 
 正確に読んだことはありません。


現在の発行されている教科書、例えば三省堂出版の教科書あるいは実教出版の教科書などでは、七三一部隊に関する記述が記載されているということはご存じですか。

 聞いております。


○証人は具体的には中国の平房、この七三一部隊のあった場所へ訪れたことはございますか。

 ありません。


○じゃあ、その平房のいろんな遺跡、遺品の写真、例えばねずみ取りの器具とかその他の写真について見たことはございますか。

 全部ではないと思いますが、見た記憶はあります。(P190)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○先程あなたが御証言なさった「正論」についてお聞きします。この「正論」では、七三一部隊が人体実験をしたということについては、あなたもお認めになっておられますね

  はい、認めております


○それはあなたの学者としての研究ですね。

 はい。


○それから、七三一部隊の目的は、あくまで細菌を実用兵器化することにあったということも書いておられますね。

 そうです。


○これも現在のあなたの研究ですね。
 
そうです。


○今度は、中国大陸での細菌戦についても寧波や常徳で行ったということを、あなたは「正論」にお書きになっておられますね。それはお認めになっておられますね
。(P191-P192)

 はい


○「正論」を見ますと、証人は七三一部隊の本来の目的は細菌の実用兵器化であって、そのために人体実験を行い、前日にも人体実験を実施したというふうにお書きになっていると伺ってよろしいですね。

 大体、そういうふうに認識しております。(P192)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○ところで、先程あなたもおっしゃったとおり、具体的な実験についてはノモンハン事件のハルハ川ですか、そこで実用したということを書かれておりますね。

 まあ、多少、不明確なところが残っておりますけれども、大体そのように推定はしております。


○でも、あなたは、いずれも伝聞や風説の範囲を出なかったところへやっと出現した決定的証言だったとお書きになって、その後に詳細な細菌資料をお書きになっていますね。

 書いております。


○これは一般読者から見れば、あなたの学者の見解として、そういうふうに行ったという見解をお持ちだというふうに理解できるんですが、そうではありませんか。

 そこは極めて複雑なのは、当時の状況下でホルステン川に細菌を投下するということの目的が科学的にはっきりしない、したがって味方がやられる可能性のほうが大きいわけです。ですから、これは細菌戦と言えるかどうか……(P192)


裁判長

あなたは学術的裏付けがあったということを基にお書きになったのか、ということです

 若干、今言いかけた点で問題があるわけで、味方に対してやっているのは細菌戦とは言えないと思いますから、味方が被害者になるような場合は。ですから……


披控訴(附帯披控訴)代理人(渡邊)

○要はこの文章を読んで、私は今言った細菌戦の実施内容が、あなたの見解として書かれているとしか読みとれないんですが、それでいいですかという質問です。

 大体、それでいいと思います。


裁判長

○あなたは推測しておりますと先程答えられましたが、文章からいくと推測ではなくて、裏付けを基にあなたは認定されていると受け取れますが、そのとおりでしょうか。

 そういう行為があったということについては、そのとおりです。


控訴(附帯披控訴)代理人(渡邊)

 それ以外に、あなたはこれは推測であるとか、であろう、というふうに自分の論文でお書きになっておりますね。それは御記憶ありませんか。

  それは多々あると思います。(P193)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○ところで、「正論」の「日本の細菌戦(下)」の二五四ページ、中段一行目から「入れかわりに十月からやはりデトリックのヒル博士とヴィクタ一博士もやってきた。二つの報告書の要点が公開されたのは一九八四年と八六年になってからだが」云々とお書きになっていますね。(P193-P194)

 はい。


○この「二つの報告書の要点が公開されたのは一九八四年と八六年」ということの具体的内容についてお伺いしますが、これはどういうことでしょうか。

 原審でも証言いたしましたけれども、こういうアメリカの公文書が公開される場合には、こういうものを公開するという掲示があるわけではありません。

 したがって、だれか研究者がたまたま申請をして見つけた時点、これが言わば、初めて研究者に知られるということになるわけですが、その結果論文が書かれるとか、あるいは伝聞によって今回公開されたとか、その程度の意味合いでありますから、正確に公開の日付を知ることは不可能であります。


○私が聞いているのは、あなたが「公開されたのは一九八四年と八六年になってからだが」とおっしゃっているのは、具体的にどういう根拠でお書きになったのか、という質問なんです。

 今申しましたのは、諸情報を総合して私は判断をしたわけであります。
 

○じゃ、その諸情報について具体的に聞きますが、一九八四年に公開したというのは、どの情報によってあなたはお書きになったんでしょうか。

 正確には記憶しておりません。


○一九八六年になってからだというのは、どの情報によって何が公開されたのか御記憶ありますか。(P194-P195)

 正確には記憶しておりません。


○正確でなくて結構ですから、その二つについてお答えください。
 
 先刻から申しましたが、松村高夫証人が入手した、あるいは常石証人が入手したという時点、その他諸々の情報を総合して、この時点で公開されたものというふうに私は判断しております。


○ですから、公開されたというと、例えばフェル・レポートが人手されたと、あなたがおっしゃりたいことが何かに書かれるわけでしょう。あなたが入手したわけではないから。

 私も入手しております。


○一九八四年の段階に、あなたは入手したんですか。
 
 いや、そうじゃありません。もっと遅れております。(P195)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○一九八四年の段階では、フェル・レポートなりヒル・レポートなりがどんな書物によって明らかにされたのかあなたは御存じですか、という質問です。

 昭和五六年ですから一九八一年ですね、ジョン・パウエルが一部を読んで紹介したらしいということは、かなり後に載って、わかってまいりましたが、私が申しておりますのは、ほぼ完全な形でという意味合いから申しますと、この両者が完全に明らかになったのは、部分的に逐次発表されるわけですね。

 ですから、常石さんの「標的イシイ」は一九八四年であり……(P195)


○これはフェル・レポートの一部ですね

 そうですね。


○それから。

 海軍の作った要約もこの中に入っておりますね。それから、平成元年ですから一九八九年ですか、「消えた細菌戦部隊」の増補版に出てきておりますね。


○これは何がですか

 いろいろあります。


○私が聞いているのは、あなたがフェル・レポートとヒル・レポートについて二つ書いているから、そのことがあなたが先程御証言になっているとおり焦点になっているわけですよ。しかも、あなたが直接「正論」でお書きになっているから、その点、いつなのかという確認をしているわけですよ。端的にお答えください。
 
 フェル・レポート、ヒル・レポートについては、いろいろ部分的な紹介がありますので、したがって、これらが逐次集まってきて、そして総合判断をするという過程でありますから、特定の何年何月というふうにお答えすることは困難であります。


○あなたは自分で「公開されたのは一九八四年と八六年になってからだ」と書いているから、この文章の根拠は何ですかと聞いているだけなんですよ。


 総合して判断をした、と言っております。


○ですから、その総合の中で一九八四年はどれとどれ、一九八六年はどれとどれということがわからないんですか。(P196-P197)

 フェル・レポートについても、いろいろな形のレポートが何種頼もあるわけです。したがって、このことを一つずつ証言するためには多大の手間を要しますし、ここではその必要はないと考えております。


裁判長

○一九八四年に公開されたとおっしゃっているのは、どちらのレポートだとおっしゃっているんですか。

 これはフェル・レポート。但し、フェル・レポートもいろいろありますが。一九八六年がヒル・ヴィクター・レポート。こういうふうに私は見ております。


○一九八四年がフェルで、一九八六年がヒル・ヴィクターということですね。

 はい。

(以上 佐古利美(速記者))(P197)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


 家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審 ◆に続く

(2020.9.6)


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