「揚子江が哭いている」より |
「創価学会青年部反戦出版委員会」は、「戦争を知らない世代へ」という一連のシリーズ本を発行しています。そのうち第53巻が、「揚子江が哭いている 熊本第六師団出兵の記録」です。 「南京」関連の証言も若干あり、ネットでもときどき紹介されます。ここでは、そのうち2つの証言を紹介することにします。証言内容すべてがそのまま事実と言えるかどうか、微妙な部分もありますが、議論の参考とすべく、そのまま紹介します。
「下腹部」に丸太棒等の異物をつき刺した「婦女子の死体」という記述は、いくつかの資料に登場します。 「日本にはそんな風習がない」という、情緒的でいいかげんな根拠だけから、これを「日本兵の仕業ではない」と断定する意見をたまに見かけますので、一応、資料を並べておきましょう。
あるいはこれは、一部の「異常者」の仕業だったのかもしれません。しかしいずれにしても、これらの資料を見る限り、「日本にはそのような風習がなかったから日本兵の仕業ではない」という幼稚な論理は通用しそうにありません。 さて、高城氏の記述に戻ります。
「揚子江に浮かぶ大量の死体」「岸辺の大量の死体」の存在は、いろいろな資料でも語られているところです。「人数」については、「目分量」である以上、目撃者によって差が出るのはやむえないところですが、「死体目撃」の事実自体の記述は概ね正確なものと思われます。 注目されるのは、「子供に間違いないと思われる死体」も「おびただしく」あった、との部分です。 状況から推して、下関方面の犠牲者には多数の民間人が混じっていた可能性もあると考えられますが、この証言が正しいとすると、これはひとつの裏付け証言とも言えるかもしれません。 「揚子江に浮かぶ大量の死体」については、この本の他の証言にも言及が見られます。
「五万人以上」という「目分量」は、多すぎるかもしれません。また、「ほとんどが民間人の死体」という認識も、微妙なところです。しかし、「大量の浮遊死体」を目撃したという事実自体は、まず間違いないものと思われます。 2013.4.7追記 「揚子江を埋め尽くす死体」につき、満鉄社員・長沢武夫氏も目撃証言を残しています。
(2003.7.13)
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