「通州事件」ー直接の引き金 |
「通州事件」において、日本軍麾下にあった「中国人保安隊」が反乱に踏み切ったきっかけは何か。 大きな目で見れば、中国側の議論に見られるように、 中国人としての民族意識への目覚めから日本軍に従属することに嫌気がさして「反乱」に踏み切った、という見方ができるかもしれませんが、その「直接の引き金」については、いくつかの説が共存しているようです。 大きく分けて、「誤爆説」「ラジオ放送説」「事前密約説」があります。以下、個別に見ていきましょう。 *ここではあえて「通州事件の直接の契機となった出来事」に焦点を絞っていますが、その背景には、当時の「冀東自治政府」における日本の政策、そしてそれに対する中国側の反発が存在することは 、言うまでもありません。 <誤爆説> 日本軍による「誤爆」が、「叛乱」の契機となった、とする見方です。通州事件の現地解決にあたった外交官、森島氏の記述などに見られます。
これらの「誤爆説」に対して、当時「北京特務機関補佐官」の地位にあった寺平氏は、このようなコメントを残しています。
「誤爆」は現地の速やかな措置により解決し、「叛乱」の原因とはならなかった、ということであるようです。 しかし、森島氏・田中氏の記述も、このような「現地解決」の事情を知った上でのものであると推定されますし、また、この「解決」の事実が下級兵士にまで浸透していたかどうかも不明です。 現段階では、「誤爆が原因ではない」という即断は避けておいた方が無難かもしれません。 むしろ、寺平氏が「保安隊員」の「心中の鬱憤」に言及していることからもわかるように、ひとつの「遠因」として作用した、 という見方も可能でしょう。 <ラジオ放送説> 「誤爆説」を否定した寺平氏は、代わって、「ラジオ放送説」を唱えます。
国民党の「中国有利」の謀略ラジオ放送を聴いた「保安隊」兵士が、このままでは自分も危ない、と保身のために叛乱を起こした、という説明です。 この「ラジオ放送」については、戦前の記事にも見ることができます。昭和十二年九月発行の「サンデー毎日」臨時増刊、「支那事変皇軍武勇伝」から引用します。
戦前においては、この見方が結構ポピュラーなものであったようです。陸軍省新聞班・陸軍砲兵少佐であった岩崎春茂氏も、同様の見方を示しています。
<事前密約説> 1986年、反乱の首謀者だった張慶餘の回想記が公表されました。その中に、盧溝橋事件以前から、「日本打倒の密約」があったことが述べられているようです。 岡野篤夫氏が、この回想録を出典として書かれたと見られる「盧溝橋事変風雲篇」の内容を詳しく紹介していますので、以下、見ていきましょう。
ただし張慶餘の回想は、「抗日」のスタンスを強調する方向での一定の「脚色」がある可能性は否定できません。例えば、秦氏は、このようなこのような見方をしています。
以上をまとめると、「密約」が存在したのは事実だが、張慶餘自身はその「密約」の実行をためらっており、最終的に実行に踏み切らせた材料としては「誤爆」なり「ラジオ放送」なりの要因もあったのかもしれない、 ということになりそうです。(なお、このうち「誤爆」が要因であるかどうかについては論者の見解が分かれています) (2004.8.18記)
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