| 731部隊(10) | 終戦時、「マルタ」の「処分」 |
終戦時、731部隊が平房から引き揚げるに当たって、それまで生き残っていた「マルタ」は、証拠隠滅のため全員殺害されました。「731」の数多い残虐行為の中でこの件が問題にされることは少ないのですが、「殺害」という結果自体は同じであり、「戦争犯罪」のいう点では同列に扱われるべきものでしょう。 併せて、「物的証拠」を残さないために、731部隊の主要建物、そして多くの資料も、この時に破壊・焼却されました。以下、その実態を見ていきたいと思います。
「証拠隠滅」の指示を出したのは、大本営の朝枝繁春参謀です。朝枝は、ソ連の侵攻を知って、あわてて平房の731部隊に飛びます。 ※余談ですが、朝枝は、「シンガポール華僑虐殺」の命令者の一人として知られます。
朝枝は、同様の証言を、自らの手記を含め、いくつかのインタビューに残しています。どの証言でも、「石井が「資料隠滅」に抵抗を示したが、朝枝はそれを叱りつけた」というエピソードが共通して登場します。 ※結果として、石井は、朝枝の指示には完全には従わず、一部の資料を日本に持ち帰ったようです。この資料が、米軍との「戦犯免責」取引に当たり貴重な「交渉材料」となったのは、また後日の話です。 なお、ここではぼかされていますが、言うまでもなく、「根こそぎ隠滅」すべき「一切の証拠」の中には、生き残った「マルタ」たちも含まれます。生かした結果、戦後に不利な証言が行われることを恐れたのでしょう。 ※ドイツの「アウシュビッツ」では、戦後、数多い「生き残り」の証言により、その実態が世界に知られることになりました。一方「731」の実態解明は、1980年代の研究進捗を待たなければなりませんでした。「アウシュビッツ」と同様に「マルタ」が生き残っていれば、「731」の実態解明がより速やかに行われたことは確実でしょう。 朝枝は「細菌戦裁判」で陳述書を提出しており、そこには「人体実験用捕虜の焼却処分」の文字が明確に含まれていたようです。(私自身はこの「陳述書」自体は未確認ですので、資料をお持ちの方、お示しいただけると大変助かります)
この「命令」に基づき、「マルタの処分」が行われました。その証言は数多いのですが、まずは、「反"悪魔の飽食"派」からも高く評価される、郡司陽子氏の本から紹介しましょう。 ※以下、各証言には、微妙な食い違い、また一部、事実かどうかはっきりしない内容も散見されます。何十年も前の出来事であり、記憶違いや錯誤が生じることはやむをえないところです。ただし多数の証言を照合すれば、「何が起こったのか」の概要を掴むことは可能ですし、またそれで十分でしょう。
石井四郎の運転手を務めていた越定男も、同様の証言を残しています。
郡司本の証言と比較すると、細部にはやや異動も見られますが、殺害に「ロープ」と「ガス」を使用した、という点は共通します。 「少年隊」出身で、のち第二部田中英雄班に配属された小笠原明氏も、「毒ガスによる殺害」を証言しています。
この時犠牲となった「マルタ」の数は何名か。証言として残っているのは、溝渕俊美伍長が同僚から聞いたという、「四〇四」名という数字です。 溝渕は、太田昌克、西里扶甬子両名のインタビューに応え、ほぼ同一の証言を行っています。
なお、「機密保持」のために犠牲になったのは、「マルタ」ばかりではなかったようです。 伝聞ではありますが、「マルタ」以外の外国人の雇人、また部隊員のうち「撤退」への同行が困難であった長期入院患者も、やはり殺されてしまった、という証言が残っています。
これで「殺害」は完了しましたが、「証拠隠滅」を完璧にするために、今度は「死体処理」の問題が生じます。 とりあえず死体は建物の外に運び出され、焼却されることになります。隊員たちの証言は、ほぼ共通しています。
「死体を焼く」作業に続くのが、「骨を細かく砕く」作業です。
そしてこの砕かれた骨は、松花江に投棄されました。
トラックの数が「一台」だったのか「数台」だったのかはわかりませんが、「骨が入ったカマスを松花江に捨てた」という点は一致します。 特に越証言は、実際に「骨」を運搬した運転手の証言であり、信頼性が高い、と言えるでしょう。
七三一部隊は、「研究」の痕跡を抹消すべく、建物自体も破壊しようと試みました。ただし建物が頑丈すぎて、「破壊作業」は必ずしも順調には進まなかったようです。
そのため、破壊しきれなかった建物も多かったようです。 ネットでは、「破壊されたはずの731部隊関連の建物がなぜか残っている」なる、おかしな「否定論」が流れてくることがありますので、念のため付け加えておきましょう。
「証拠隠滅」の対象となったものは、「マルタ」だけではありません。同時に、部隊に残されているさまざまな文書・写真などの資料も、「隠滅」の対象になりました。 石井四郎自身が、恩師の葬儀の場で、次のように発言しています。
写真班は写真類の処分に忙殺されました。
資料としては、部隊内で「七三一部隊史」なるものが作成されていたようです。残っていれば、部隊の実態解明のための貴重な資料になっていたはずですが……。
溝渕伍長がちらりと触れた「実験器具」の「破壊」については、秋山浩(仮名)も語っています。
人体実験の標本は、地中に埋められたようです。
余談ですが、1989年5月、新宿区の、「731部隊」とも関係の深い「陸軍軍医学校」の跡地から、多数(一〇〇体分以上)の人骨が発見されました。 人骨は多様な人種にわったっており、戦前に作られた「人体標本」だった可能性が高い、と見られています。これも、終戦時の「資料隠蔽」だったのかもしれません。 (2018.3.18)
|