731部隊 ネットで見かけたトンデモ議論(10)
ただの防疫・給水部隊だった?


 ネットでは、「731部隊はただの防疫・給水部隊だった」なる、明らかに事実と異なる書き込みが、よく流れます。

 実際には、「防疫・給水」を行っていたのは、部隊の「表看板」であった第三部のみ。この書き込みは、実際に「人体実験」「細菌製造」などに携わった、それ以外の部の活動を全く無視しています



 さて、deliciousicecoffee氏の次の記事は、奇妙な構成をとります。

 氏が引用するのは、「731」関係ではなく、「ノモンハン」関係の書籍2冊です。そして、これらの書籍が「731」に触れたわずかな部分を根拠に、部隊は「防疫・給水、すなわち、疫病の研究をして清潔な水を供給することが任務」だった、と主張します。


飛行機細菌作戦の怪5・「関東軍防疫給水部」の任務と活動状況・『ノモンハン戦場日記』・『ノモンハン事件の真相と戦果 ソ連軍撃破の記録』


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731部隊「関東軍防疫給水部」について

防疫給水について大活躍し恩恵を受けた。砂質広漠地故、水に乏しく、ハルハ河は敵の火制下で利用困難、唯一の水源であるホルステン河(水流部3〜5メートル、水は濁っているが水源が泉故、枯渇することはない)工兵橋に大型濾水機を設置して、全第一線部隊の給水源としての大役を担当した。この濾水機は細菌のみならずリケッチャまでも排除できた。

「ノモンハン事件」の間に一度「ハルハ河で腸チブス菌が検出された。ソ連が上流で投下した疑が在るので、防疫給水部の水以外を飲用しないように」との注意があった。

ハルピン郊外に駐屯して防疫給水と伝染病の研究をしている旨の文書をみたことがある。元来防疫給水を任務とする部隊であるが、細菌戦の攻防にまで研究範囲が拡大していくのは、各国共通の成り行きであろう。細菌戦の恐ろしいのは、フラスコ一本であっても、大きな効果を収めることが可能であり、隠密裏に使用しやすく、一般の伝染病と判別困難なことである。しかしながらノモンハンには住民もおらず、地勢・気候も不適で彼我ともに、細菌を使用していないことを断言できる。


事務局長阿部武彦
『ノモンハン戦場日記』ノモンハン会


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 「(ソ連は)ハバロフスクに細菌戦の施設があり、ノモンハン事件以前にさえも、病気にかかった動物をつかい、炭疽菌を他の動物や人間に移す実験がこの地方で行われていた」(「ノモンハン」A.クックス)。

 ノモンハンで細菌爆弾を落とした目撃報道がある。(ベッケンカンプ記者)、さらに、同書注で、7月15日、16日、ソ連軍飛行機が日本軍が水源としている湖水に散布した赤痢菌を検出した例(小松原日記では9日以来)や発見されて自殺した細菌源頒布のソ連軍医を挙げている。その後の追及がないから、疑わしいなどの意見があるが、日本軍の特徴として、かえって秘密にする傾向があるのを無視している。

 歩兵第74連隊第1大隊戦闘日記には7月9日にソ連機が日本軍水源に爆弾を落下し、その後、大隊全員が赤痢になったのを記述している。航空地区司令部情報記録には10日に細菌爆弾破片確認。12日投下の細菌はF級Y型赤痢菌含有と判明、とある。その他、8月16日以来、各隊に腸チフス患者発生。要注意の命令が出されている。

 日本軍は下痢患者が続出し、この防疫に石井部隊が駆り出されて無菌の水を供給するろ過装置を設置し感状を貰ったが、これを戦後、「日本の左翼作家何人かが、石井部隊がノモンハンでハルハ河の上流からコレラ、発疹チフスやその他の疫病の菌を放流する仕事に従事したのは間違いなく、そのため、30人以上の日本人医療従事者や軍属が死んだ、という話を広めたことがあった」と、クックス氏は左翼作家を非難している。

 「ノモンハン秘史」(辻政信)第1頁に消毒した水を前線に届ける「決死の給水に出発せんとする石井部隊の兵(バルシャガル高地にて7月12日撮影)」の写真がある。


(中略)

 第一、日本軍の戦病者は2236名であり、ソ連側の701名で数字の語るところは明白に日本軍の細菌戦無効もしくは否定である。ソ連軍は水を高台の上から補給されており、日本軍がハルハ河上流に細菌を散布しても意味がなかった。

 付記、世界最初に細菌戦を行ったのは支那軍で昭和12年9月、上海付近で井戸、クリーク、水溜りなどに細菌(コレラ菌)を投入し、後には毒薬(昇汞、青酸カリ)も投入し、シナ土民が損害を被った。甚だしいのは、西瓜に注入中を発見戦闘になり、射殺された例がある。そして石井部隊が動員されて防疫に従事し食い止めた。当時の新聞記事にも多く見られる。石井部隊が行って細菌戦をした、と言うのは戦後左翼の好む論法で、事実は逆である。

『ノモンハン事件の真相と戦果 ソ連軍撃破の記録』小田洋太郎・田端元著

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要するに、731部隊(関東軍防疫給水部)が行っていたことは、近年イラク派遣自衛隊が行っていたのと同じようなことだ。

防疫・給水、すなわち、疫病の研究をして清潔な水を供給することが任務だったのだ。


ただ、ソ連や支那が細菌戦を実行したので防衛的細菌戦の研究を行ったということだ。



 「ノモンハン事件」の時に部隊が「防疫・給水」活動に携わったのは事実でしょう。しかしだからと言って、これは「人体実験」「細菌戦」の存在を否定する材料にはなりえません



 「731部隊」の組織構成を確認します。


常石敬一『消えた細菌戦部隊』(ちくま文庫)

 「石井部隊」本部の構成

部(通称)

第一部(研究部) 各種細菌(ペスト菌、コレラ菌、ガスえそ菌、炭疽菌、腸・パラチフス菌)の細菌戦使用のための研究および培養。構内監獄の管理。

第二部(実験部) 細菌兵器(爆弾)の開発・実地試験。安達の屋外実験場での実験およびその管理。部隊保有の飛行機の運行と管理。ノミの培養。

第三部(防疫給水部) 防疫給水および病院。一九四四年からは、濾水機製作工場で、細菌爆弾の容器を製作(ハルビン市街に置かれていた)。

第四部(製造部) 各種細菌の大量生産の工場。細菌の貯蔵。

教育部(練成隊) 新入隊員の教育。細菌戦要員の養成。

総務部 庶務部と呼ばれることもあった。事務部。

資材部 細菌爆弾の製造。細菌生産のための材料(寒天等)の準備・貯蔵。

診療部 部隊員用の病院。
(P81)

※「ゆう」注 念のためですが、カッコ内は、後世の研究者による補記です。当時は単純に、「第○部」と呼ばれていました。部隊の性格を秘匿する目的もあったものと考えられています。

 「人体実験」に携わっていたのは、主として第一部です。そして第二部が実戦研究を行い、第四部が細菌を製造していました。




 こんな組織構成の中、第三部(防疫給水部)が部隊のダーク面を覆い隠すための「表看板」に過ぎなかったことは、「常識」と言っていいでしょう。


常石敬一『消えた細菌戦部隊』(ちくま文庫)

 この天皇の秘密特命によって部隊の定員も増えることとなり、部隊本部の建物を新設することになった。建設場所として選ばれたのは、ハルビンから南へ約二五キロにある平房駅から東に入った人里離れたところであった。一九三九年中に着工した。完成は翌一九四〇年(昭和一五年)であった。

 完成とともに部隊の主力が移ってきた。ここで部隊の主力というのは、細菌戦の研究や実験、そして細菌を生産する部門と、事務部門である。(P73-P74)

 一方、第三部と呼ばれていた防疫、すなわち予防接種や浄水の供給、および治療(病院業務)を行なう部門だけはハルビン市内に残され、そこで業務を続けた。なるべく目立つようにという配慮であろう。この第三部の業務のみが、関東軍防疫給水部という看板通りの防疫と給水の仕事であった。(P74)



シェルダン・H・ハリス『死の工場』

 防疫給水部は、石井にとって理想的な隠れ家だった。軍隊に引用可能な水を提供する軍事部隊の価値に、異を唱えることができる者はいなかった。(P84-P85)

 最終的に、満州および中国本土には二三以上の防疫給水部が生まれた。すべての部隊は、石井四郎の直接監視下にあった。そしてほぼすべての部隊は、ある時点で、人間を実験材料に用いた細菌戦の秘密研究に携わっていたのである。(P85)

※「ゆう」注 「ほぼすべての部隊は、ある時点で、人間を実験材料に用いた細菌戦の秘密研究に携わっていた」というのは、事実に反します。全く関与しなかった防疫給水部隊も多くありました。


胡桃沢正邦『わたしと七三一部隊』(聞き書き=池田久子)

 それからは細菌班に移動させられました。第七三一部隊のおもて看板は防疫給水部ですが、実際は細菌製造部隊なんです。細菌の研究やら製造をうけもっていました。(P16)

(『続・語りつぐ戦争体験4 満州第731部隊』より)

 常石氏が書く通り、他の部が都会から遠く離れた「平房」に本拠を置いていたのに対し、第三部(防疫給水部)だけは、「なるべく目立つように」、ハルピンの街の中にありました。






 以下は余談になります。

 まず、阿部武彦『ノモンハン事件とは』について、deliciousicecoffee氏の引用ぶりをチェックしておきましょう。


阿部武彦『ノモンハン事件とは』

問(11) 満州731部隊「関東防疫給水部」について?(「ゆう」注 deliciousicecoffee氏はこの「?」を省略しています)

 実態について殆ど知らないが、戦場において次のような行動があった。

a.防疫給水について大活躍し恩恵を受けた。砂質広漠地故、水に乏しく、ハルハ河は敵の火制下で利用困難、唯一の水源であるホルステン河(水流部3〜5メートル、水は濁っているが水源が泉故、枯渇することはない)工兵橋に大型濾水機を設置して、全第一線部隊の給水源としての大役を担当した。この濾水機は細菌のみならずリケッチャまでも排除できた。

b.「ノモンハン事件」の間に一度「ハルハ河で腸チブス菌が検出された。ソ連が上流で投下した疑が在るので、防疫給水部の水以外を飲用しないように」との注意があった。

c.ハルピン郊外に駐屯して防疫給水と伝染病の研究をしている旨の文書をみたことがある。元来防疫給水を任務とする部隊であるが、細菌戦の攻防にまで研究範囲が拡大していくのは、各国共通の成り行きであろう。

 細菌戦の恐ろしいのは、フラスコ一本であっても、大きな効果を収めることが可能であり、隠密裏に使用しやすく、一般の伝染病と判別困難なことである。しかしながらノモンハンには住民もおらず、地勢・気候も不適で彼我ともに、細菌を使用していないことを断言できる。(P364)

(ノモンハン会事務局長)

(ノモンハン会編『ノモンハン戦場日記』所収)

 deliciousicecoffee氏は、「実態について殆ど知らない」という冒頭の語を、明らかに意図的に省略し、a〜cのみを引用しています。つまりこの文章は、731部隊の「実態について殆ど知らない」人物が、自分の戦場における狭い見聞のみに基づいて、「部隊」を語っているだけの話です。

 それでも阿部氏は、「細菌戦の攻防にまで研究範囲が拡大していくのは、各国共通の成り行きであろう」と、部隊が「防御」にとどまらず、「攻撃的細菌戦」の研究を行っていたことを認識しています。(deliciousicecoffee氏は「攻防」の「攻」を無視して、 「防衛的細菌戦の研究を行った」と表現しています)

 なお阿部氏が、bで「ハルハ河で腸チブス菌が検出された」とソ連が細菌戦を行ったことを暗示しつつ、cでは「彼我ともに、細菌を使用していないと断言できる」と発言しているのは、明らかな矛盾でしょう。



 次に、deliciousicecoffee氏が引用する二番目の資料、『ノモンハン事件の真相と戦果 ソ連軍撃破の記録』について、その記述を検討してみましょう。
※「ゆう」注 この本は、日中戦争が日本の「侵略」であることを否定する、シンガポール・マレーの華僑虐殺は「ゲリラ」を殺しただけで不当なものではないと主張するなど(P236)、「日本軍擁護」の性格が強いものです。以下で見る通り、「細菌戦」についても、かなり偏った記述となっています。

 まず、「ソ連による細菌戦」です。

小田洋太郎、田端元『ノモンハン事件の真相と戦果』

「(ソ連は)ハバロフスクに細菌戦の施設があり、ノモンハン事件以前においてさえも、病気にかかった動物をつかい、炭疽菌を他の動物や人間に移す実験がこの地方で行われていた」 (「ノモンハン」A.クックス)。(P45)

 ノモンハンでソ連軍が細菌爆弾を落とした目撃報道があるベッケンカンプ記者)、さらに、同書注で、七月十五、十六日、ソ連軍飛行機が日本軍が水源としている湖水に散布した赤痢菌を検出した例(小松原日記では九日以来)や発見されて自殺した細菌源頒布のソ連軍医を挙げている。

 その後の追及がないから、疑わしいなどの意見があるが、日本軍の特徴として、却って秘密にする傾向があるのを無視している。

 歩兵第71連隊第1大隊戦闘日記には七月九日にソ連機が日本軍水源に爆弾を落下し、その後、大隊全員が赤痢になったのを記述している。航空地区司令部情報記録には十日に細菌爆弾破片確認。十二日投下の細菌はF及Y型赤痢菌含有と判明、とある。その他、八月一六日来、各隊に腸チフス患者発生。要注意の命令が出されている。(P46)


 この本は、クックスの記述及び日本軍の日記などを典拠としています。ここでは、典拠の一つ、クックス『ノモンハン』の書きぶりを確認しておきます。


アルヴィン・D・クックス『ノモンハンぁ

 委員たちはさらにソ連軍の対毒ガス装備に関心を示し、すでに見たとおり、毒ガスに対する対策を強化する必要性を強調している。報告書は細菌戦の危険性については特に注目していないが、日本軍はノモンハン事件中にソ連軍が伝染病の病原菌を散布したと公然と非難した

 ドイツ通信社(DNB)のマンフレート・ベッケンカンプ特派員は七月に戦線を一週間にわたり取材し、九機のソ連軍飛行機がホルステン河付近で、五〇〇〇メートル以上の高度から光り輝く奇妙な物体を投下したのを目撃したと報じている。

 ベッケンカンプによると、それからまもなく日本軍軍医が「焦げた軟らかい金属破片のように見える ー 通常の爆弾のように粉々に炸裂はせず ー 一杯入っている石油缶がその内部圧力によって爆発したような、非常に奇妙な一種の爆弾の破片」を展示したという。

 さらに、顕微鏡による検査で赤痢菌が検出され、それは日本軍が取水している河川をソ連軍が汚染しようとしたことの証拠である、とベッケンカンプは報じていた。この事件を関東軍司令部がいかに重視したかは、濾過装置を導入し、急遽ハイラルから給水車班が送りこまれてきたことからもわかる、とベッケンカンプは書いている。

 日本軍の機密書類を見ると、日本が細菌戦を真剣に警戒していたのは明らかだ。石井四郎軍医大佐は七月十三日、歩兵第七十一連隊の地区における給水状況を検閲し、「極悪非道な謀略」のため敵が河川水を利用している心配があるので、取水しないよう歩兵第七十一連隊に警告している。同じ日に、参謀本部は赤痢が発生した証拠があり、敵が細菌戦を始めた疑いがあるので、厳重な監視をする必要があると注意した。(P266-P267)



註 6

 第二十三師団の情報要約(七月十六日午後五時)によると、七月九日敵飛行機がアブタラ湖に投下した爆弾からF型とY型の赤痢菌を発見したとしている。十五日、十六日の投下爆弾からも同型の細菌を見つけたとある。(P323)

(朝日文庫)


 ここまでのところが小田・田端氏の記述のベースとなっていると思われますが、実はクックスの記述には、続きがあります。


アルヴィン・D・クックス『ノモンハンぁ

 一方、歩兵第七十二連隊では、この事件についてもっと単純な見方をしていた。すなわち、七月中旬は猛暑で、給水部が需要に応じられなかったため、兵隊が自分で井戸を掘り、煮沸しない水を飲んでいたからだったと推測していた

 こうした状況の下で、赤痢が次から次に発生した。第六軍の軍医部は停戦後ハイラルに帰還する将兵から腸チフス患者を発見したが、コレラは見つからず、細菌戦が実施された可能性についてはなんら言及していない。

 七月、日本軍がソ連軍による細菌戦の可能性を特に憂慮していたころ、ソ連軍当局は「ソ蒙軍が毒物や細菌戦の手段を使用していると、関東軍司令部がデマを流しているが、ソ蒙軍は……無礼極まる虚言であり、悪意にみちた誹誘とみなす」と怒気をこめて反論した。

 陸軍省医務局というより広い見方のできる立場から観察した金原節三軍医中佐は、ソ連軍の細菌戦についての報告は、単にうわさに基づいたものではあるまいかと疑っていた。赤痢菌を注入した爆弾や砲弾を爆発させることで、人間の大集団に糞便を媒体として感染を蔓延させるのは、ほとんど不可能に近いことをソ連軍は知っていたはずだ、と金原は著者とのインタビューで語っている。(P267)

(朝日文庫)

 つまりクックスは、「ソ連による細菌戦」を「事実」と認定しているわけではありません。「疑わしい」とする材料も、併せて紹介しています。

 なお現代の研究者たちは、「ソ連による細菌戦」に否定的です。


秦郁彦『日本の細菌戦』(上)

 もっとも上層部が踏み切るには、それなりの理由と名分があった。ノモンハン戦末期の絶望的戦況と、ソ連軍が先に細菌戦を始めたという情報である。ただし、情報の出所に疑問がないわけではない。

 たとえば七月十六日の小松原第二三師団長日記に「九日以来敵爆撃機は九機を以てノモンハン湖、アブターラ湖中間地区に爆弾を投下せり。夫より放射せる液を含む砂を検査するにF型及Y型赤痢菌あるを発見せり」との記事がある。

 小松原師団歩兵第七一連隊の花田大隊長日記(七月九日)にも「赤痢菌を混入したるものを、我が使用し在る湖水(ウズル水)に落下したるものの如く、大隊将兵一同十日以上赤痢のため悩まさる」とあるが、この程度でソ連の仕業と断定するには、いかにも根拠が薄弱である

 ところが、二十二日付で関東軍参謀長から陸軍次官あてに打電した関参一発第一六一号(満受大日記、昭一四−五)は、石井部隊の給水作業を賞讃したあと「敵はかくの如く局部作戦において細菌弾を使用せし結果よりみれば、将来における大作戦においては多量細菌の使用は当然これを予期せざるべからず」と述べている。

 小松原日記などに続報がなく、対ソ抗議もしていないのはいかにも不自然で、関係者のなかには報復使用の口実を得るための「石井さんの謀略じゃないか」と疑う人もいる。断定はできないが、石井がこの種の情報操作を得意としていたのはたしかで、他にも似たような実績がいくつかあった。(P535-P536)

 一九三五年頃のことだが、ソ連の諜者らしい男が持っていたというアンプルが石井から防疫研究室に持ちこまれた。北条軍医大尉がチフス、コレラ、ペスト、脾脱疽薗などを検出したところ、石井はさっそく幹部を説得して防疫給水部を設立させた、と北条は書いている。その北条は五年後、ソ連・フィンランド戦争でソ連が病原菌を謀略的に散布して、多数の牛馬が倒れたとの情報を確認するため、石井に選ばれてフィンランドへ出張した。

 一九四二年にも北浦で病原菌を携行していたスパイの自殺事件が起きているが、いずれも、疑心暗鬼か、石井の自作自演だった可能性が高いと私は判断している。(P556)

(『昭和史の謎を追う』(上)所収)


常石敬一『七三一部隊』

 筆者は田村をよく知っている。彼の戦犯管理所での証言を疑う理由はない。彼の証言から、生物兵器に使う細菌の生産を七月の初めから開始しており、石井はソ連による攻撃の前から生物戦実行の準備をしていたことになる。ソ連がそれを察知して先制攻撃に出たというのは考えにくい。

 実は、ソ連による生物兵器攻撃などはなかったソ連の「細菌爆弾」云々は、生物兵器を使ってみたかった石井がその使用を正当化する、すなわち味方の生物戦実行に対するためらいをなくすための自作自演劇、と見るべきだろう。

 相手が使った、と言い立てる情報戦は生物化学戦の重要な要素だ。相手が使ったと主張することで、相手の士気を挫き、味方の士気を鼓舞するという面がある。また敵の使用を言い立てることで、自軍によるその使用を正当化するという面もある。(P137-P138)




 さらに、この部分です。石井部隊がハルハ河上流から細菌を放流した、という話を、小田・田端氏は否定してみせます。


小田洋太郎、田端元『ノモンハン事件の真相と戦果』

 日本軍は下痢患者が続出し、この防疫に石井部隊が駆り出されて無菌の水を供給する濾過装置を設置し感状を貰ったが、これを戦後、「日本の左翼作家何人かが、石井部隊がノモンハンでハルハ河の上流からコレラ、発疹チフスやその他の疫病を菌を放流する仕事に従事したのは間違いなく、そのため、三十人以上の日本人医療従事者や軍属が死んだ、という話しを広めたことがあった」と、クックス氏は左翼作家を非難している。(P46)



 クックスの記述の該当部分です。

アルヴィン・D・クックス『ノモンハンぁ

 防疫給水にかかわる問題に対処するため、石井と配下のスタッフはすばらしい業績を残した。ノモンハン事件中に、陸軍省医務局は主として石井グループの経費として二百八十万円を支出した。石井は将軍廟に本部を設置し、殺菌ずみの水を供給するためトラック五十台とドラム缶一万個が動員された。

 太平洋戦争後に、日本の左翼系作家何人かが、石井部隊がノモンハンでハルハ河の上流からコレラ、発疹チフスやその他の疫病菌を放流する作業に従事したのは間違いなく、そのため三十人以上の日本人医療従事者や軍属が死んだ、という話を広めたことがあった。

 一九三九年十二月、石井自身は関東軍参謀副長遠藤三郎少将に、中央部から細菌戦を実施するよう指示されたが、その当時は防護措置の研究が完成していなかったので断ったと報告したことがある。石井に賛成した遠藤は、ハルハ河を汚染させることで、ノモンハン事件の末期に敵の追撃を妨害するのは理論的に可能であったことは認めながらも、一九三九年に日本軍が細菌戦の手段に訴えたことは聞いていないと回想している。

 手短に言えば、日本軍が赤軍と同様に、細菌戦に重大な関心を持っていたのは確かであった。しかし、日本軍の責任ある高官も、自分たちが取水源として頼りにしている − ソ連軍、モンゴル軍も同じであったに違いないが − 貴重な河川水に、関東軍が毒物を散布しようと試みたという主張を裏づける証言はしていない。(P268-P269)

(朝日文庫)

 クックスが「左翼作家」を「非難」しているかにはやや疑問符もつきますが、それはともかく、ここで述べられているのは、明らかに「ハバロフスク裁判」に登場した「ハルハ河チフス菌投入事件」のことです。(ただしこの文のうち「コレラ菌」「三十人以上が死んだ」の部分は不正確)

 クックスがこの書を著した1985年時点では「裁判」証言以外に事件に関する資料が存在しなかったのですが、その後1989年、菌を投入した当事者たちが名乗り出たことから、今日では研究者の間では「事実」として認識されています

 小田・田端本の発行は2002年ですので、両名はこのことを知る機会は十分にあったはずなのですが……。

 この事件の関連資料を、「731部隊 ノモンハンの戦場にて ハルハ河チフス菌投入事件(資料)」にまとめておきましたので、関心のある方はご覧ください。


 

(2017.12.26)


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