731部隊 ネットで見かけたトンデモ議論(3) |
「少年隊」は存在しない? |
「731部隊」における「少年隊」の存在は、あまりに有名です。彼らは未成年の「軍属」として部隊に参加し、各班に配属され、その助手のような役割を果たしていました。 少年隊を設立した目的については、石井四郎部隊長自身が明快に語っています。
「少年隊」出身の証言者も、数多く存在します。何人か、並べてみましょう。
さらにこのような正式の「少年隊」編成に先立っても、未成年の軍属募集があったようです。
そして少年隊出身者らは、戦後、OB組織である「房友会」を結成しています。
ところがdeliciousicecoffee氏によると、そもそもこの「少年隊」なるものは存在しないそうです。
deliciousicecoffee氏は明らかに、「軍人」と「軍属」との区別がついていません。 「軍人」であれば、徴兵年齢、あるいは志願可能年齢は18歳でしたので、それ未満の者は存在しません。しかし「少年隊員」は「軍人」ではなく、「軍」で働く民間人、すなわち「軍属」です。 制度上、14歳の「軍属」が存在していても、何もおかしなことはありません。 さて、deliciousicecoffee氏の篠塚証言への批判は、これだけです。完全に的外れに終わっていますが、続いて氏は、同じ少年隊出身の森下清人氏に矛先を向けます。
このインタビューの原文はこちらですが、あまりの長文で可読性にやや難がありますので、体裁を整えて拙サイト内に転載しました。 全体としては興味深く読める証言ですが、「語ったこと」を編集なしにそのまま掲載したものである以上、部分的な記憶違い、錯誤、誇張などの存在はやむえないところでしょう。 しかしそれにしても、このdeliciousicecoffee氏の突っ込みには、私は、え、そこなの? という感想しか持てませんでした。氏が批判する該当部分を転載します。
森下氏は、「マルタ」を「捕虜」として認識しています。 どこか遠いところの戦場で捕まって、飛行機で送られてきたんだろうな、程度の認識なのでしょう。その「遠いところの戦場」の例として、思わず口から出たのが「上海」「重慶」という地名だった。 それだけの話です。 さらに言えば、デリ氏は「日本軍の者」という言い方で「軍人」であったかのようなイメージを読者に与えようとしていますが、実際には「少年隊」であり、すなわち「軍に雇用された民間人」=「軍属」です。 毎日、新聞を読んでいたわけでもないでしょうし、「戦況」にあまり詳しくなかったとしても不思議はありません。 実際、インタビューにも、こんな発言が出てきます。
この程度の認識でしたので、「日中戦争において、日本軍がどこまで進出したのか」について不十分な知識しか持っていなかったとしても、怪しむ必要はないでしょう。 そもそもこの部分、森下氏の「見聞」ではありません。単なる「推察」です。 一般に証言において重視されるのは、「証言者が何を見て、何を聞いたか」です。「証言者がどう考えたか」は枝葉の部分であり、これが誤っていたからといって、「見聞」のレベルを誤りと決めつけることはできません。 余談ですが、むしろ私は、「マルタが飛行機で連れてこられた」という部分に違和感を覚えました。「マルタ」は通常、ハルビンから「護送車」で平房の七三一部隊に送り込まれた、と伝えられます。 常石敬一氏は、「マルタ」の移送風景をこのようにまとめています。
ハルビンから、外からは中が見えない「護送車」で夜中にこっそりと運ばれる。そして平房に着くと、外部からわからないように専用の通路を通って監獄に送り込まれる。これが、マルタ移送の一般的なイメージでしょう。 インタビューアも「飛行機」云々は意外だったらしく、「いや、この話は本当に初めて聞きました」と反応しています。 資料を調べると、「マルタが航空機輸送された」という証言がいくつか見つかりました。ただしこれは、平房の監獄に連れ込まれるところではなく、平房から北西に260キロ離れた安達(アンダー)の野外実験場への輸送です。 ここに「マルタ」を運ぶ手段は原則としては「トラック」でしたが、場合によっては飛行機を使うケースもあったようです。以下、証言を並べてみます。
ひょっとすると、森下氏が見たのは、「マルタが731部隊に連れてこられる場面」ではなく、「安達の実験場から輸送されてくる場面」だったのかもしれません。 (2017.7.9)
|